分かたぬ衣と往く先は   作:白縫綾

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第四話 躰の灯火たる眼は

 隣の農家へ徒歩で数分歩いて向かおうとしていた。

 

 直ぐに戻るからと弟に用事を話しているのを近くに居た妹の一人が聞いていたらしく、付いていきたいと云ったので連れていくことにする。

 一人増えたところで、別に私は構わなかったからだ。

 

 だから好きにすれば()いと伝えた。

 此の妹も又、幼い。聞き分けがいいとはいえ、まだまだ甘えたがる年齢だ。

 

 大戦の影響で駆り出され、或いは働きに出された歳の離れた兄や姉のことはきっと覚えていないのだろう。

 幼い子供たちにとっては実質、私が『姉』なのだった。

 

 

 年長者の温もりを求めることは罪ではない。

 それを拒む程冷血じゃないし、断ち切るなんてことは出来る性格でもなかった。

 

 そんな程度には、私たちは家族であった。

 

 

 ……ただ、私の兄や姉──今街へ稼ぎに出ているのとは別の、戦争に、或いは工場の労働力として駆り出されていった歳の離れた方の──である、彼ら彼女らが今どうしているのだろう、と。

 何故だか、その杳として知れない行方を思わせた。

 

 何時だって気掛かりだが、それをまざまざと感じさせるような──、不意にそう考えずにはいられないような時というのが、正に今で。

 

 妹の無邪気さが、思い出させたのだ。

 

 

 

 ……まあ、大人に為っているのだから、知らせる必要が無ければ帰ってくる必要も無い。性格からして一度は顔出しするのではと勝手に思っているだけ。

 判っている。恐らく生き延びていたとして、日々を生き抜くことに必死に為るしかないのだろう。

 此の孤児院に居る子供たちが、私を含めて年齢が比較的低い理由であった。

 

 

 ──勿論、そんなことをずっと考えているわけではないけれど、事実その道中で考えていたので、「朧姉の手、大きいね!」と妹が笑うのに少し反応が遅れた。

 私は一寸(ちょっと)黙してから、体温の高い温もりを握り返した。見遣ってみればきらきらと目が輝いている。

 

 まるで灯のようにも見えた。

 

 見ていたら、私もつられるように笑いが込み上げてきて、「皆きっと、私より大きくなるよ」と応えた。

 

 

 

 えー、と賑やかに笑う隣の子供と手を繋いで、道程を歩く。

 小さな手。私もかつてそうだったとは考えられない柔らかさ。

 姉や兄もこんな気持ちだったのだろうか。

 

 

 手を繋いだまま、やがてその玄関前に立つことになった。

 中からは人の気配が感じられる気がした。

 なかなか言い出さない私に、妹が首を傾げた。

 

 

「声、掛けないの?」

「……云っていいのかなあ。忙しそうだ」

 

 

 なんだか、気後れしたのだ。

 

 擦りつけるわけでは無かったが、試しに声を掛けてみるかと妹に云ってみれば、「え、いいの?」とぱっと顔を輝かせた。

 様子は可愛らしく、けれどもなんだか罪悪感が湧いた。

 

 

「ごめんくださぁい!」

 

 

 幼げな声が通り抜ける。存外大きな声に家屋の声が一瞬潜まったように感じた。

「はぁい」と声がした。足音に気を遣ろうとせずとも、既に聞き取れる位には近くにいたらしかった。

 

 なんだか邪魔をした気分だ。事実、そうなのだろう。

 包帯を借りたい、と云えばその旨に承諾が返ってきて、真新しいのを一巻き貰う。妹の愛嬌か、はたまた私の火傷への同情か……卵を二つ貰った。思わぬ戦利品である。

 

 今日の夕飯の汁物(スープ)に入ることになるだろう。

 包帯と卵二つという、奇妙な取り合わせで手に持ちながら、帰りについた。

 

 手元にあるのだから、本当なら直ぐにでも包帯を腹に巻き付けたい。然し院長からの言い付けでは何故か、それを持って来いということだった。

 

 

 意味が判らないが、そんな判らないことを平然とするのが院長で、私にとっての大人だった。

 やっぱり骨と皮膚が、同時に鈍く痛んでいた。

 

 

 

 

 

 **

 

 

 

 

 

 用事自体は直ぐに終わったので、妹と別れてから或る部屋へと向かった。

 

 本棚が並び立つ閑散とした広間を抜け、廊下を時折弟妹が戯れる横を通り過ぎる。

 手に其れを抱え、目指している目的地は言うまでもなく──

 

 

「院長、朧です。入ります」

 

 

 私は扉をノックして、そう云った。

 

 云ってはみたが、返事が無いのにどうするべきかと迷った。そもそも、居るのか居ないのか判らない。

 意を決してそっと扉を開ければ、果して男は居た。

 そのことに胸を撫で下ろしたが、然し、居たら居たで緊張するものらしい。

 

 

 其処は、それなりの広さであるくせして妙に狭く見える部屋であった。

 

 

 本。

 ひたすらに其れだけが、目についた。

 見渡す限りに有って、部屋を覆い尽くしてしまいそうな量だった。

 

 床から積み重ねたうずたかい本のタワーが無数にある。

 机の上も同様で、本の塔の隙間に辛うじて、男が居るのを見ることができた。

 壁際に置いている棚には満杯というが如く本が押し込まれ、更には棚の上から天井まで隙間なく積み上がっている。

 

 端にある、足の短い寝台の上まで侵食しているのだ。足の踏み場など殆どなく、僅かな隙間が道のようになっているだけである。

 

 

「……貴様か」

 

 

 椅子に腰掛け本を開いていた院長はそう云ってから、本を閉じた。

 

 何時も通りの服装に、何時も通りの無表情で、見慣れた動作だった。

 

 

 此方に来て傷を見せろと、そう云われて、言葉通りに本の塔の隙間を縫うように進んだ。

 

 手に抱えた包帯を渡してから、服を捲り上げる。

 院長は爛れた火傷跡をじっと、見詰めた。

 

 

「…………」

 

 

 私は、黙っていた。無機質な黒目が傷を眺める様子を見ていた。

 

 

()り過ぎだったと思うか、朧」

 

 

 不意に云われる、その平坦な言葉になんと答えれば正解なのか、判らなかった。

 

 然し何か、応えなければならないと求められているようにも思えて、只「…………私は、大丈夫でした」と、そう応えた。

 

 

 院長は相変わらず乏しい表情だった。私の応えに何を思ったか、読み取ることは出来なかった。

 彼は一寸黙り込み、云った。

 

 

「其れ以上の自己犠牲は、(いず)れ身を(ほろ)ぼすぞ」と。

 

 

 けれども、罰を受ける筈のあの子は未だ小さい子供だった。

 そう云えば、「貴様の最初の折檻を忘れたか」と返される──そんなに幼かったろうか、と私は考えた。

 

 

 ──幼い時のことは、あまり覚えていない。

 

 

 物心ついた時から此の孤児院に居た幼い時分で、特別なことが無かった訳ではない。

 然し覚えているのは、自分が泣き虫だったこととか何かと世話を焼いてきた兄や姉たちの顔と言葉の断片、それくらいのものだ。

 

 

 私は自分の傷を改めて見遣った。

 所々引き攣りのようになって皮膚が変色している古傷だが、孤児ならそんな傷の一つや二つ、きっと当たり前のことだ。

 

 暫くそうして、気づけば院長は包帯を弄び始めていた。

 火傷から視線を外すことは無かったが、無表情のくせして何処か退屈そうにも見える。

 

 

「貴様は何処か、自分を蔑ろにする節が有る。──まあ知ったことでは無いし、(そもそ)態々(わざわざ)貴様を呼んだ理由も此んな忠告をしに来た訳では無いが」

 

 

 本題、が在るらしかった。

 

 思わず眉を顰めてしまう。

 抑も、院長は最低限の生活の保証をしてくれるが、それは逆に必要最低限の接触しか測っていないことに等しい。

 そんな状態で、私という一個人に対して何の用が在るというのか。

 

 

「私、何もしていませんよ?」

「何も、だと────? ……(いや)、気付いていないならば丁度今を以て識ることになるだけか」

 

 

 此れを見ろ、と院長が手元の包帯を振り、私が其れを見遣る。

 

 何の変哲も無い、白さが眩しい一巻きだと、私が持って来たのだからその位は判っている。

 彼は、置き場の無い机の端に其れを置くと、(おもむ)ろに撫ぜてからその掌を上に向けた。

 

 

「見ていろ」

 

 

 それから起きたことは、……──出せたのは、声にも為らない息だけだった。

 

 瞬きをした一瞬に其れが生じたのだろう。

 然し、そうだとすればまるで超常の類いにしか思われぬもの。

 

 

 ……彼の掌には、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の包帯が上に乗せられていた。

 院長は、私の前で何食わぬ顔をしながらそれを二度三度と繰り返し、漸く止める頃には十分過ぎる程の量に成っていた。

 

 院長は、「何か判るか」と云った。

 真逆存在しているとも思わなかった私だが、彼は私が言葉を発する前に答えを云った。

 

 

「【異能】。聞いたこと位有るだろう」

「……でも如何して、それを今私に見せる必要があったのかが判りません」

「此れから云うのだから気付いていない貴様に判る筈がないだろう、戯けが」

「…………」

 

 

 私は黙り込む。

 そう、異能だ。ならばそれを扱う院長(かれ)は異能者か。

 

 

 ──曰く、一個人につき一能力。

 ──曰く、本人が自覚し意図的に操れるものもあれば、制御不能に自動発動するものもある。

 ──曰く、生来の異能者もいれば、ある時突然異能が開花する場合もある。

 ──曰く、異能がそれを所持する本人を倖せにするとは限らない。

 

 

 存在も曖昧で、或いは人の身には過ぎたものが、目の前でその真実を主張していた。

 何故、私がそれを明かされたのか、理解できなかった。

 

 ()やした包帯で私の傷跡の上を覆い隠し乍ら、彼は私に「貴様も特殊な何かを──異能を、発現しているだろう」と云った。

 

 

 

 それは、全く縁の無いような言葉だった。私の目の前で今しがた起こった超常と同種の何かが、私の中に眠っているというのだ。

 

 信じられなかった。

 だって、……一体何処に、本人も気付けぬ兆候が生じていたというのか。

 どのようにして院長はそれを見付けたのか。

 

 

 私自身に特に変化は無い筈だ。

 

 思い返して暫くして──然し、敢えて云うなれば或る夢の中に答えは在ったのかもしれなかった。

 老人の姿をした誰かが云った言葉。それは、証拠と為りうるのだろうか。

 

 確かそう、『──ならば貴様の異能(ちから)は、貴様自身のものとなるだろう』と。

 

 私の、私自身の【力】とは即ち……異能であったのではなかろうかと、今更ながらに考えた。

 

 不可解な言葉は、改めて考えてみればそうともとれた。むしろそうでなくば、納得がいかない。

 あの何のことはない、戯れに発せられた様な手向けにも、意味はあるらしかった。

 

 

「私に、異能……」

「先の折檻で貴様に触れた時、(おれ)の異能に干渉する『何か』を感じた。異能に対抗しうるのは異能位だ──発現したに、違いないだろう」

「……何か、ですか」

 

 

 呟けば、「其れ以外は知らん。自分で考えろ」と言い放たれた。

 相変わらず冷たい雰囲気だったが手は動かしていたらしく、いつの間にやら包帯は巻き終えていたのに気づいた。

 

 短い会話で、けれども私が此処に居る用はもう無かった。

 

 

 予備に作られた異能の産物を「(つい)でに物置に入れておけ」と押し付けられて最後、部屋を出ていく際に、此んなことを云われた。

 

 

「貴様が何を思い、異能で何を為すのかなぞ知らんし興味も無い。然し……其れを為すのに足る異能(ちから)が有る以上心しておくことだ」

 

 

 その言葉に振り返って見れば、彼は既に本を読み耽る体勢だった。

 私は黙って頭を下げてから部屋を出た。

 

 

 扉を閉め廊下を歩き、「異能者、か」と呟いた。

 

 未だあまり実感は湧いていなかった。

 

 

 

 

 

 




           




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