分かたぬ衣と往く先は   作:白縫綾

7 / 48
書いてる途中にボリス・ヴィアン著『日々の泡』が思い出されたため少々拝借。日本語題だと『うたかたの日々』の方が良いかもしれない。フランスの文豪です。
泡は日常という意味を込めて。




第三話 泡を抱く

 ──気づけば、朝に()りかけていた。

 

 

 読みかけの()れの、題名(タイトル)は覚えていた。

 ()し忘れてしまったとして、文字を縁取る金色は目立つから、きっと()ぐに見つけ出せるだろう。

 使い込まれたような表紙を一撫でして、私は弟妹たちが目覚める前にと本を元の位置に戻した。

 

 見れば、空が下の方から白み始めていた。

 私は立ち上がり、意味もなく深呼吸をしてみた。

 朝方だからか、何処(どこ)か空気は澄んでいる気がした。

 

 静かだった。

 子供たちの昼間のはしゃぎようが嘘のようにしん、と静まり返る広間。自分の寝床まで戻ってから再び布団に潜り込む。

 

 私の場所は勿論(もちろん)ながらひんやりとしていた。両隣の、さして離れていないところに転がって居る妹たちの仄かな熱が、共有する掛け布団の中で私を温める。

 

 ──天井を見上げ仰向けになってから、ふと袖の辺りを握られたような気がした。

 

 其方(そちら)を向けば、ぱっちりと目を開いた子供が、私のことを見詰めていた。

 思わず言葉が詰まった。

 心臓が跳ねて飛び出して来そうな気さえする。

 

 

「起きていたの?」

 

 

 横向きになり、周囲を起こさない程度の声で、私は囁く。

「うん」と少女は頷き、応えた。

 

 

(さっき)、気づいたの」

 

 

 そう云い、身を寄せて来た子の頭を私は撫でた。

 柔らかな毛先がするすると指を通り抜ける。

 何故だか弟妹たちが頭を撫でられると気持ち良さそうにするのは皆、同じことらしかった。

 

 

(おぼろ)姉、如何(どう)して何時(いつ)もより凄く早く起きたの?」

「姉さん、昨日の夕方(まで)眠っていたでしょう。眠く無かったの……でも、皆には内緒よ? また心配されちゃう」

 

 

 妹は(くすぐ)ったそうに笑って、「善いよ」と指を口元に()てた。其の仕種が可愛らしくて、私も微笑み同じようにした。

 

 

「姉さん、(からだ)冷たいね」

「少し外に居たからね」

「温めてあげる!」

「お腹は触ったら駄目よ?」

 

 

 控え目に抱き着いてきた妹の高い体温を直に感じながら、眠れる訳ではないと判っていたけれど、私は目を閉じた。

 短い間なら、何をするでも無く(ただ)そうするのも善いのかもしれない、とそう思ったからだ。

 

 

 

 

 

 ……其んなことが在ったのが、朝に()るより前の話だ。

 起床の時間(まで)布団に包まっていた身も、其の時に為れば弟妹を起こして回ることとなる。

 

 布団の片付け。

 一部は食事の支度とその監督をしに向かい、其れ以外は外へ出て点呼を行う。

 その後に各自交代制の仕事を(こな)していく。或る子供は風呂用の水を貯水槽へ少しずつ運び、又別の子供は靴を置いて在った場所の掃き掃除──といった具合に。

 

 余りにも小さい子供たちは未だ其れらをするには早過ぎるので……辺りを走り回り、お互いに戯れたりして居る。

 

 

 

 

 

 私は、そんな彼らを、目的の場所へと向かう途中に窓から眺めていた。

 

 大きな両開きの窓からは、その様子が良く見える。

 聞こえる幼童特有の高く細い声の賑やかさに、陰りのようなものは存在していない。

 

 

 思うのは、(およ)そ考えつく限り、手間の懸かるような子供は殆ど居ない、ということだった。

 或いは、……未だ幾つも生きておらぬ子供たちがそんな子供に見合わぬ素直さであるのは、矢張り孤児と云う面が色濃く現れているからだろうか、とも。

 

 

 ──其れは同時に、私にも云えることだろうというのは、十分過ぎるくらいに理解していた。

 

 

 

 

 物置に為っている部屋のひとつにたどり着く。

 目的は、今以て爛れている傷の為に巻く包帯だ。

 其れが在るかどうかで、本日の予定……(もとい)、遠い隣の民家に訪ねるか否かが決まる。

 

 開くと、物置の中には、幾つもの箱が折り重なっている。

 内容は大体その季節でない時の服だとか風呂を沸かすのに使う炭や、必要最小限の道具、又はよく使われる消耗品等が雑然と詰まって置いてある。

 私は其処から見当をつけて、包帯の在るだろう箱を物置から出した。

 

 

「無い、か……」

 

 

 開けてみれば、有るには有ったのだが、其れは使うには足りない位の程度でしかなかった。

 何故前回使用した時点で補充しようとしなかったのか、其れが悔やまれる。

 

 

 肩を落として居ると、廊下の奥の方から丁度、扉が開く音がした。

 

 顔を向ける。

 奥の部屋から院長が出て歩いて来るところであった。

 

 きっちりと整えられた白髪交じりの髪、相変わらず似合わない全身真っ白な白装束。口元は厳しく引き結ばれ、手には本を持っていた。

 冷たいようにも見える黒々とした瞳が、近づいて初めて気づいたように私を見据える。事実、そうだったろう。

 その姿を既に認めていた私と彼の視線が、かちりと合わさったようで思わず身震いした。

 

 

 ぼそりと、院長が云った。

 

 

「…………ああ、貴様か」

 

 

 私は応えなかった。

 答えは、求められていなかった。

 

 

「包帯が無いだろう、隣から借りたら(おれ)の処へ持って来い」

「……はい」

 

 

 辛うじて発した了解の返事すら、聞いていたかどうか。

 云うだけ云ってから用は済んだとばかりに朝食を求めて去る後ろ姿を暫く眺めて、箱の蓋を閉めた。

 

 

「………………」

 

 

 別に、特別嫌われている訳ではない筈だ。

 孤児が皆等しくそうである以上、彼にとっての私たちは同じものであるに違いないのだから。

 

 時折云われる聞き慣れた厭味も、其れ以上に云われることは無い。

 幼い頃の私は、すぐに涙ぐんでしまうような子供だったが、最早それしきのことで傷つくような齡ではなかった。

 

 

『泣いちゃだめよ、朧。私たちは心の傷に愚鈍でなければならないの。其れが許されるのは、親のいる子供だけなのだから』

 

 

 そう私に云い聞かせた姉は、当たり前のことを云っただけなのだろうが…………なんと残酷なことを言葉にしたのか、今なら判る。

 

 私も又、その言葉をいつかの姉のように言い聞かせるような年齢に為っていた、只それだけのことだ。

 

 

 

 

 

 **

 

 

 

 

 

 孤児院に外付けされた小さな小屋で調理はされている。

 其処から後始末の確認をしたところで、私は監督を引き受けてくれて弟と小屋の中を確認していた。

 

 心なしか満足そうな様子から、恐らく調理途中の味見やらでおこぼれを与ったものと推測する。

 育ち盛りの男児だ、それくらい役得があっても善いだろう。

 

 

「姉さん、何時も大丈夫なンだからそんなに心配する必要無いと思うけど」

 

 

 呆れるような声を背中に聞きながら、確認を終了させる。

 小屋を出て、歩きながら其の大切さを教える。

 

 

「念のためだよ。特に火の後始末をちゃんとしなかったら、本が焼ける可能性に院長が又怒るから」

「…………其れは、厭かなあ」

 

 

 ぎゅっと眉を顰めたのに頷く。私も厭だ。

 

 大人という生き物は如何なるものであれ、少なくとも私たちにとっては強大で敵うことのない何かだった。

 そして、私たちが絶えずその大人へと近づいて往くことは、歩いている地面が罅割れ崩れ去ってしまうようだと形容出来る位に信じられないことだった。

 (いず)れ訪れるその時にも、私はそう考えているのだろうかと、少し不安に思った。

 

 

 子供たちが食事をする部屋へ弟と共に入る。一目その様子を見て思わず声を上げ、その後に苦笑いが漏れた。

 

 言葉たちの無邪気な、澄んだ目が揃ってこちらを向いていた。

 (はや)く疾くと、急かしている態度が其のまま言葉に成りそうだ。

 

 遅れて来た二人分の食器も既に準備され、あとは号令を待つだけのようだった。

 私たちを待っていてくれたらしい。

 

 私は速やかに自分の席へついた。誰かが生唾を呑む音が聞こえた。

 そこまで必死になることだろうか、とも思うが、きっとそうなのだろう。

 

 

「──じゃあ、皆手を合わせて」

 

 

 いただきます、と云うのが早いか、或いは動いた方が疾かったか。

 味付けは兎も角量は有るので、そこから先は……激戦だった、と云っておこう。

 こんな様子を見ると、空腹は最高の薬味(スパイス)だと云う言葉は正に至言であると熟熟(つくづく)思うのである。

 

 私は走り回る、という訳ではないからか空腹に為っても割合に少量の食事で事足りる。

 然し、そうでもない子供たちも多い、と云うことだった。

 

 

 朝に食べるものは大体にして、大きめの碗にご飯を少量入れ、その上に野菜類の入った薄い汁物(スープ)を掛けている。時折其れに鶏肉だとか卵だとかが入って来ることも有る。

 今日のは、普通に野菜のみのものである。

 

 十分だ。

 それなりに腹が膨れるし、何より温かいものというのは善いものである。

 他の子供たちがどうかは判らないが。

 

 

「…………うん」

 

 

 多少大きさや形が違うが、年齢を考えれば十二分に上手くやれているだろう。

 ふやけて膨らんだ米をさらさらと汁ごと胃に流し込み、残った野菜を食べる。

 持って来た寸胴鍋からは未だ湯気が立ち上り、早くも一杯目を食べ終えた子供たちが其処に誘われるように集っていく。

 

 先程迄話していた弟が隣で身じろぎしたのが見えた。

 

 既に器が空っぽなのを見れば――お代わりするか否か迷っているらしい。

 大体にして変わらないメニューだが、好き嫌い云っても腹は膨れないからだ。

 

 

「行ってきていいよ?」と促せば、「後で行くよ」と云われた。

 

 

彼奴(あいつ)らが遠慮して来るような気がするから、其れ迄待とうと思って」

 

 

 それに、僕は味見で少し多めに食べてるから、と──恥ずかしそうに頬を掻いた様子に、私は何も言わずに口を閉じた。

 

 何か云う程野暮ではなかったし、確かにその通りであった。

 

 

 

 

「ところで、今日の私の仕事だけど」

「姉さんは大人しくしてること。判った?」

「……矢張(やっぱ)り、そう為るよねぇ」

「寧ろ痛がらない姉さんの方に感心するよ。其れより酷くないのでも痛いってのにさ……あ。空いたから行ってくる」

 

 

 立ち上がって第二陣として突貫していく後ろ姿を見送れば、私も又、丁度食べ終わるところだった。

 

 器の上に箸を置けば、ころりと滑るように転がってから、小さく音を立てて落ちた。

 

 

 

 

 




繋ぎの回其のニ。
孤児院の生活がいまいち想像できないんですが、大体はふわっとこんな感じ。
主人公は戦後黎明期にしては多分かなり恵まれた環境に居ると思います。


ルビは作者が読んでて見にくい所に振っています。最初の方はルビの数が多いです。
多分、段々減っていくはず。





▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。