分かたぬ衣と往く先は   作:白縫綾

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氷の入ったグラスを機械的にからころと動かしながら、じっと何かを考え込んでいる少年が居た。
ひょいと、そこに影が差す。声が降ってくる。


「作坊、何か考えてるのかな」
「…………」


無言で見上げて、硝子玉のような眼は、透明故にぞくりとする程に美しい。
氷の音は止まった。少年の唇が呟きを紡いだ。


「『近いうちに』と云った」
「…………? あぁ」

彼らの間の詞は必要最小限に抑えられる。それでも、男は一瞬の回想で過去の言動を思い返した。
──なるほど。確かにそんなことも云ったねぇ。気になってるのかな。

少年はかぶりを振った。
或いは、自身のことを正しく認識していないのかもしれない。その『誰か』と少年は、けれども確かに引き合っていることを識るのは、今のところそれを予言した男だけだ。
引き合っているのは、それを呼び寄せるのか、呼び寄せられるのか。それだけの違いだ。

何を云うか、そこで迷うように口を何度か開け閉めしたのは、詞を詰まらせたからだろう。
未知の感情は、善い方向にも悪い方向にも、人を成長させる。

少年に、男は眩しそうに微笑んでみせた。
嬉しそうに、寂しそうに、羨ましそうに、讃えるように。


「心配しなくても、彼女(・・)とはもう出逢っているかもしれないよ。何か印象に残っているものが、あるだろう?」
「…………」


その時、考え込むよりも前に、その瞬間の反射のように、少年の脳裏には(よぎ)るものがあった。
色だ。鮮やかな植物、春の翠の芽吹き。光が走るように、その色を何処で目にしたのか。

──思い出せそうでどうにもはっきりとしない人のことを、同業の男は『彼女』と呼び示した。


第三二話 不壊は証明し得るものか?(後編)

 友人の少年が彼自身のことを『情報屋見習い』と云った時、遅れて気付いたことがある。異能特務課とポートマフィア、政府下の訓練された飼い犬と厳しさに曝され弱肉強食の世を生きる野犬。

 そのどちらにも居ない猫と、幸運にも往く道に選択を与えられた()

 何とも奇妙な集団がこの場に集結していることの不可解さは、けして厭なものではなかった──それは、自分も染まってしまっているからだろうか、と朧は考える。

 種類は違えど黒だ。政府下にあれど隠される、影のような組織に、どっぷりと犯罪に染まる闇の一団の人。彼らのどちらとも、……きっと血腥いものであろうとも、完全に嫌ってしまえるような一線は疾うに越してしまったと、そう思う。

 そのどちらでもある(、、、、、、、、、)ような灰色(どっちつかず)は、もしそんなものがあったのならどんなに都合がいいだろう。そんな処が在ったなら是非とも入りたいところだが、今更だとも思う。

 

 それは、そんな組織を作ろうと挑戦する人や、当たり前の正義感を胸にする人が相応しいと確信していた。例えそんな正義を望んでいたとして、実際はその為に動かないだろう私にも、けれど定めたものがある。自ら裏の方へ進んでいった二人の家族を、見棄てることは『朧』という人間に出来ることではない。

 未来に誰かがそんな場所を作り出したとして、一度呑み込んだものを吐き出すことは不可能だ。

 

 少なくとも、先行きがどうあろうとも、今のところ少女は(しあわ)せであったから。

 

 だから、安吾にすり寄る三毛猫──その実態はいい歳した男である──にちらりと目を向けてから、朧は恩人ともいえる彼にもう一度「久しぶりですね」と穏やかに笑ってみせた。

 その眼は未だ明るく鮮やかに、広津も薄っすら笑って返した。

 

 

「元気そうで何よりだ……と云っておこうかね」

「院長先生に色々と(、、、)連れられたりもしましたけれど」

 

 主に裏路地の破落戸(ごろつき)などに。軽率に襲い掛かってくる輩を放ってすたすたと歩いて往くものだから、大体対処していたのは少女であった。黙々と対処した訳ではないし、かといって「何故避けないんですか!」「そのくらいが対処出来ない程度に貴様を育てた心算は無いが?」といった応酬はあっても、それで瞳が翳るような柔な精神はしていない。

 

 ──……それでも矢張り、自衛の為の力が何時自発的な暴力へ至るかと思うと、それが一等恐ろしくある。

 

 意図的なものかは定かではない。余計なことは口にするよりも心の内に沈めておくべきだからだ。

 けれど、仮に何もしなかったとしてきっと養い親はどうにでも出来ていただろうと考えるのは空しいし、だからといって放置する程酷薄にはできていない。

 

 強く、しかし脆い心の少女は確かに強くなった。

 それが一度壊れてしまうとしたならば──……それは、身近で大切な誰かを永遠に喪ってしまう時になるだろう。

 

 色々と、という詞に何か含みを感じたのか。追及しては来なかった広津に「得難い物もありましたから」と云ってから無言で猫と戯れている安吾を手招きした。

 その行動に理解を示して、広津が頷いた。

 

「確かに友は得難い物だな」

「小父さまにも?」

 

 

 ゆうらりと単眼鏡が揺れる。

 その服装も相まってかどうにも安心させられるような雰囲気を持っている。朧は、影を好んで纏っているような、時には酷薄にもなるだろう人を、それでも嫌いにはなれなかった。

 

 彼は、「君の養父のことなんだがね。あれで中々、悪い奴ではないのだよ」とそんなことを云う。

 識っている。

 彼女の養い親である男もまた同様に、悪い人ではない。世間一般から見たら悪い人かもしれないし、悪ぶっている節もあるけれど、少女一人の意見だと結果的には「識っていますよ」と返答するだろう。

 総ては解釈次第だ。そして、少女は自らの自分勝手な主観によって判断するだろう。

 

 だって私を育ててくれた人だから。見捨てないでくれたから。私に機会を与えてくれた人だから。贔屓目であっても、それが少女の真実である。

 

「安吾くんだって、院長先生に紹介して頂いたんですから」

「おや」

 

 そうなのかね、と意外そうに目を瞬かせた広津に──意外な仕草は、案外自然に感じられた── 一瞬、意外な反応をするものだと思っていそうな顔をした少年を朧は見逃さなかった。

 

 嘘は云っていない。

 押し掛けてきたのは特務課の方だし、紹介したのは安吾の教育役の、あの笑い上戸の男であったけれども……紛れもなく養い親の人脈によるものであることは確かだった。

 かの男の人脈が実際にどの程度であるのか、完全に識り得る人はこの場には居ないのだろう。

 

 そして、見るからに嘘を云いそうにない、そんな少女であったからこそ広津はあまり疑いを持たずに、ただ問い掛けたのだ。

 

「情報屋、と云ったかね」

見習い(・・・)ですよ。まだまだ仕事も任せてもらえない未熟者です」

 

 打てば響くように返される少年の声を、朧は好んでいた。自分が喋る時はよく台詞に溜め(、、)を使うことが多く、上手く合わせるものだ、とちょっと感心したのもある。

 少年から云い出したことではあったけれど──成る程確かに、彼はそういう不定形の情報(ナマモノ)の扱いが上手そうな、所謂頭脳労働者の気を感じるから、向いているのだろう。

 

「いや、幸運だとも。師事出来る者が居るというのは、それだけで独りでないことを保証してくれる」

 

 それぞれ別個に振るわれる超常を個性として扱われてしまう異能力者には、先達という者が存在しにくい。なまじ人には有り得ないことを出来てしまうことは爪弾きとなる要因でもある。

 生まれながらにして、或いは幼い頃にその人外の力を開花させてしまえば、彼らが人に寄り添うことは夢のまた夢となるのだろう。

 そこに親愛の情があるかどうかは別として、同類として生きる先達が存在するということは、幼き同胞(はらから)の異能力者には重要なことだろう、それが広津の考えだ。

 そしてそれは、組織という一歩離れた関係性であったならば実現出来ないことだ。同僚の義娘、それは一見遠いようでいて、組織的な柵など微塵もない、正に奇蹟のような繋がりであった。

 

 

「私ももちろん、感謝していますよ」

「解っているとも」

 

 

 彼らの往く末を見守ることが、年長者が弱き子らに出来る数少ないことの一つである。

 未だ其処まで歳を重ねてはいないと広津は思ってはいるが、それでも妙に感慨深い面持ちになってしまうのはきっと、子供の成長率が凝り固まった大人よりも遥かに高いからであるのだろう──自分も頑固な節があると自覚している広津が云えることではないのかもしれないが。

 

 

「君とも何れ、共に肩を並べる日が来るのかもしれないな」

「小父さま、また唾付けですか?」

「……見習いの身なれど、僕は未だ身の振り方を考えるまでに研鑽を終えていないのですが」

「然し、有り得んことではあるまいよ。何時か頼る時が来るやもしれない。この世界(裏社会)は案外狭く出来ている──有り得ないことは、有り得ないだろう。四季が(めぐ)るように、子供が大人に成るように、初春に芽吹きが訪れる如く、至極当たり前のように物事は流転するものだ。それは人の思考とて例外ではあるまい」

 

 どこかだみ声にも似た音で抗議のように手足をばたつかせる猫を再び抱き込むと、少年少女の両方から微妙な視線を頂いてぱっと腕を緩めた。

 途端に子供たちの間へと逃げて収まった三毛の狭い額を指で撫で付けながら、少女がともあれ、と口を開いた。

 

「小父さまとも久しぶりに見えたのですから──仕事柄なのは理解してますけども少しゆっくりとしませんか?」

 

 丁度美味しい御茶請けもあるのです、そう云って微笑んだ。

 

 

 

 

 

 **

 

 

 

 

 

「──……と、そうは云ったけれどね。小父さまの前であの即興(アドリブ)は、少し肝が冷えたなぁ」

「僕はあなたがきちんと乗ってくれたことが驚きですよ」

「失礼だなぁ。そう思わないかな、『先生』」

 

 

 なぁご、と詞を理解しているかの如く(、、、、、、、、、、、、)鳴いた猫が、少女の無い胸へ頭を擦り寄せるのを微妙な心地で眺めながら、安吾は「良かったんですか」と問うた。

 

「危険人物とは云え、朧さん、貴女の仲まで僕は文句を云う心算は無いですよ」

「……私だって、正直なことを云った結果に起きるような悲劇を避けたいんだよ。それが人を少し騙す形であってもね」

 

 

 少女は猫の背骨のあたりをつつつ、と指でなぞりながら、少年の台詞に何てことはないような顔で応える。

 

 

「君はどの位識っているのかな」

「……それこそ何も、ですよ。僕が調べる分は推奨されてないことであれど、かといって強制されている訳ではありません」

「へぇ」

 

 だけれども、人の口に戸は立てられぬ。つまりはそういうことだ。

 

「──広津柳浪。異能力名、『落椿』。詳細は開示されず。然し相対したならばその手の届かない処への退避を推奨される。但しポートマフィアに擁される為、周囲に部下の居る可能性を留意すべし……此処までならば、下っ端の僕にも開示されますが」

「……それ、十分じゃないの?」

「…………そこから更に、裏に関わる死亡事件を遡ると、身体中の骨をへし折られたような(、、、、、、、、、、、、、、、)被害者が存在する事件には必ずかの男が周辺に出没しています」

「……わぁ」

 

 

 思ったより怖い異能力だった、と少女が呟いた詞に頷いて「然し、若し僕がポートマフィアに潜入するならば彼の立場は実に都合が好い。其処まで脅威度無さそうですし」と云うと、「抜け目無いね、安吾くんは」と苦笑された。

 

「矢張り、思うところが?」

「んー……いや、小父さまが云っていたことが引っ掛かっているだけだよ。ほら、云ってたでしょ──至極当たり前のように物事は流転するものだ、っていうのが」

 

 それが少しね、と少女はぽつりと漏らした。

 

「私の異能力は、それに喧嘩を売っているようなものだから。私が触れた物は、どんなことをしても一定時間は絶対に破損しない」

「…………」

「変わらないといい、というのは誰もが一時は考えるかもしれない。それは正常な思考だ。けれどね安吾くん、小父さまの詞こそ正しい。人は変わる生き物だよ」

 

 

 少女の異能力は、彼女の思考から形を成したのか、はたまたその異能力こそが少女を形作ったのか、定かではない。

 極めて概念的な要素をふんだんに盛り込んだそれ(・・)を、自分であるにも関わらず朧は上手く説明できない。

 

「なんというか、『不壊』はその文字通り『不壊(壊れないもの)』であるけれど。同時に『固定するもの』『変化しないもの』──『終らないもの』とも取れるでしょう?」

 

 安吾が顔を顰める。

 

「……それ、僕に教えて大丈夫なんですか」

「私の心のもやもや(、、、、)を晴らす為の愚痴に付き合ってくれる、正当な報酬だよ」

「そもそも貴女が語り始めたんでしょうに……」

 

 

 呆れ顔を少しの間晒した少年は、然しそのままに、止めようとはせず続きを促した。

 

 

これ(不変)を内包する、紛れもなく生きている(変わりゆく)人間(わたし)っていうのは何て矛盾した存在なんだろうと、たまに思い知らされるんだ。ただ、それが今だった……院長先生は、それで済んで良かっただろうと云うけれど。ならいっそ、何も持たない方が余程普通に幸せ(、、、、、)だったとも思うんだ──あぁでも、そうでなければ君とは逢わなかったんだろうね」

「……彼は、何故そう云ったんですか?」

 

 云いたい諸々を黙殺して、一つだけ問うたそれに、少女は淡くしか動かさない表情を蕩けるようにして、「私の異能力が人間に使えたのなら、それこそ目も当てられないもの」と(のたま)ったのだった。

 少女の力は、生きているものには作用しない。その癖、異能者(生きている人)自身でもある異能力そのものには干渉出来る。聞いた安吾は、その歪さを敢えて口にするような勇気は無かった。

 

「……それでも」

「うん?」

「朧さんがそれを人間に施すべきではないと理解している時点で、出来るか出来ないか、その是非に関わらず貴女は人間でしょう」

「…………うん、そうだね」

 

 いっそあらゆる総てに、限定的な時間とはいえ『不壊』を施せるとした方が余程自然だろう。中途半端に発動される異能のその先は、きっとパンドラの匣だと理解していた。

 

 

「……因みに、安吾くん?」

「云いませんからね。生命線を貴女に握られるのは厭です」

「まぁ、私が勝手に云ったんだものねぇ」

 

 

 仕方ないか、と少女は微笑って、残っていたお茶を飲み干した。

 好んでいる温度よりも幾分かぬるいそれに、後でもう一度淹れ直して飲もう、そんなことを思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男と少女が、互いに向かい合っている。男の眼は冷たく、少女の眼はどこか諦観と、未知に対する不安が見え隠れする。

 男が口を開く。少女は黙したままだ。

 

 

 ──寧ろそれで善かったと思え。強力な異能はその力故に、人の人生を容易く捩曲げるのだから。

 ──……。

 ──人に作用しないのは幸いだということだ。不老不死を可能にしうる(、、、、、、、、、、、)だけの潜在性(ポテンシャル)を発揮してしまったのなら。人の営みを侵犯する力は、お前を我々異端者(異能者)以上に人倫から外れた存在にしたかもしれないだろう。

 

 

 

 

 

 




────少女が、自身を強く異端として自覚している理由。



異能『   』
触れた物に不壊の属性を付与する。対象は基本生きていない物に対してのみ発動されるが、例外として異能力者の持つ異能にも干渉可能。
物に付与する場合、その物への破壊に至る攻撃等を受けても損害が発生しない。

この力は制限を掛けられている。人の営みを侵犯する力は、少女の身には重すぎるから。





※考えたら、この異能で完全に優勢になれるのは梶井さんに対してだけですね。
鬼門は中也、異能生命体を扱う人々(森医師、紅葉姐さん、鏡花ちゃんetc…)とか。
異能自体に攻撃性は皆無であるにも関わらず、結構な爆弾をこっそり持ってる系異能筆頭。

※※時間軸の修正を入れました(外伝の位置)

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