少年の同業者の男には、一風変わった異能を持つ者が居る。あまり世間に興味を示さない少年に積極的に絡んでくる同業者だ。
──曰く、彼は出逢った人の死に際という未来を見ることが出来るという。
出逢った人の、というからにはそれぞれの、それこそ少年の未来すら彼は見据えることが出来るのだろう。けれど、少年が男にそれを尋ねたことはない。
少年は、死に頓着していなかった。
けれども、むざむざと抵抗なく死に至る心算もない。
その姿勢を出逢ってから今までずっと貫き通してきた少年に、『告死』の男は何を云うでもなく微笑んだまま、見守っていた。
その裏で何を思っていたのか。何を考え、願っているのか。その確たる真意を少年が識る術はない。それは、男の雰囲気が、それを識られたくないと云っているように思えたからでもあった。
だから、少年は口を閉ざす。
男は構わずよく喋った。
最近云われた中で、忘れられない台詞がある。
「作坊に善いことを教えてあげよう。──近々訪れる出逢いの機会を、逃しちゃあいけないよ」
台詞は助言、或いは教示のようにも聞こえた。
そして、きっとそれは遠い未来ではないのだろう。
近い未来のことまで男は視ることを可能にしたのだろうか、と少年は首を傾げることになった。
**
ふらり、と立ち寄った喫茶店にも求人の張り紙があるのを目にして、案外何処にでも人の手は足りていないらしい、とそんな感想を抱いたような記憶がある。
明るい陽の射し込む店内。気に障らない程度の音量で、低く
店主と対面するように席をとり、腰かけてみるとそこからは店内をよく見渡せた。
ぐるり、と首を回して…………ふと、一人の客に目が止まる。
『彼』は窓際の席で一人、本を読み耽っていた。
陽の光の明るさを気にする様子もなく、ただ、その
既視感、しかしそれ以上に…………仮に
意を決し店主に向き合った時、彼は既に解っている、とでもいうような素振りでいた。
「此所で働いてみたい、と思うのです」「宜しいんじゃあないでしょうか」そんな簡単なやり取りだけだったけれども。
息を吸い込むと、やや煙たいとも錯覚してしまいそうなまでに染み付いているのだろう珈琲の香ばしい香りが鼻を擽った。
ほぅ、と息を吐き出して、朧はゆるりと目を細めた。最初こそ嗅ぎ慣れなかったものも、少し経ってしまえば心地好いものとして感じられる。
柔らかな陽が眩しく見えるこの
年月を経たような曇り硝子、落ち着いた色合いで纏まった店内には、溶け込むように低い音色を響かせ、流れている。
どこか異なる時間の流れを感じさせる此の場所が、朧が働くことを決めた店だった。
いくら保護者が居るからといって、働かない理由にはならない。彼女の心の中で、既にそれは決定事項だった。
彼女の兄だって、彼女の今よりも一つ上の年齢でこの横浜へと一人旅立っていった。その背中は、彼女がかつて追いかけていたものだ。
何もしないのは、孤児院の少女にはどうにも暇を持て余してしまう。そのくせ、きちんと仕事、といえるものをするのは初めてだった。
もちろん朧がぐうたらした自堕落な生活を送ってきた筈もないが、敢えて云うならば、『その対価として金銭が発生する労働』は初めてである。
陽当たりのいい、小さな喫茶店。
その光景を眺めるだけで最早満足感を得ていたことを養い親が識ったのなら、無表情を浮かべた眉を顰められるのだろうなと思った。
ちりん、と扉につけられたベルが鳴る。
カップをを吹いていた店主が「朧さん」と少女の名前を促すように口にして、ふんわりと笑った。老人の穏やかさは、そういう種類の笑い方がよく似合う。
客は彼女が応対することになっているのだから、朧だって気づいてはいたけれど、そう云うことは野暮というものだろう。
入ってきた客を空いている席へと案内して、簡素にまとめられた
養い親も、時折この喫茶店にやって来る。
やって来ては、その和装に似合わない洋物のカップの紅茶を傾け、何をするでもなく此方をじい、と見詰めている。
暇なのだろうかと思えば、割と間違いではないらしいので笑ってしまう。人には云えない苦労だって彼はしているのかもしれないけれど、少なくとも目に見えるところではないのだから仕方ない。
今でこそ立派に──まあ人には自慢出来ないような職業な訳だが──働いている男もまた、誰もがそうであるように、嘗て居た兄や姉を慕う幼い子供だった頃があるのだろうから。
これは、朧が決めた一つのことだ。
色々打算的なものがあるとはいっても、こうして裏社会の闇を感じながら、じわじわと馴らしていく。
この店は、見掛けにはよらなくともポートマフィアの管轄下にある。なんというべきなのか、所謂
一般の人が識るところのない話は、朧が働き始めてから店長に教えられた。まるで世間話のように。
「君は、彼の宝玉のようですね」
「本当に驚いた」と、老人は微笑んだ。
「その話は……?」「独自の情報網といえば聞こえがいいかもしれないですね」
「私も昔は少々のやんちゃをしていたから、顔くらいは識っていますよ」がりがりと珈琲豆を器具で破砕していきながら、曖昧に誤魔化されるのを朧は黙って甘受した。
申し訳程度の密やかさで「内緒だよ」と────心根が穏やかであっても、人は見掛けにはよらないと、朧はひとつ学んだ。
どうあっても、その濃淡は違っても、結局のところは自分は何かしらの不穏を感じさせる出来事、人に関わらざるを得ないのかもしれない。
少女は横浜へやって来た時点で、薄々そういう交友が意図せず広がることを察知していた。
そこに不安は既に無い。仮にあったとして、燻っているものは黙殺するべきものだ。何故ならそういう感情は、
彼女の近くには広津や夏目、院長の男といった、裏社会に属するか深く関係のある人間たちという知り合いが居た。何とも濃い面々は、だからこそ寄り集まる。異端同士が繋ぐ縁に、少女のそれも恐らく絡まっていた。
強いていうなら、裏社会の組織の構成員とはいえ比較的末端である白木が、裏のことについて深い処を識る機会を得ることが無いだろうことが救いであるかもしれなかった。
彼が、己の妹に善かれと思って知らせていないこと。それは彼女にとって、既に識りえることであるのだと朧自身が把握してしまっている。もし兄が総てを
察していないことは幸せかそうでないかと訊かれたらきっと、前者なのだろう。
それなりに覚悟があったとして、殺しの才覚を人並み以上に持っていたとして。たった一つの
彼女の兄と彼女は、別の理を敷く人種であった。
店長の云う『彼』にかつては庇護されていながら早々に放り出された者と、そのまま庇護され続けている者。だからこそ自由を与えられた者と、闇に沈まざるを得ない
悲しいまでに決定的な違いがある。
店主の詞に、少し訂正をいれたくなった。
「宝玉、なんて綺麗なものだとは思わないですよ」
──その
「嗚呼確かに、私としたことが──貴女はきっと、彼の逆鱗に近しい人にあたるのかもしれませんね」
「……それも大げさなように思いますけれど」「彼の過去と現在を識る身としては、どうにもね。大切にされているのですよ、朧さん」
**
養い親の男は、放任主義に見せかけて割と過保護なところがある。
譲れないことは、ご丁寧に其処へ至るまでの道程を舗装する。そこまで誘導しておいて、最終的にその道を実際に往くのかは少女自身に決めさせる──極めて性質が悪いと、朧は思っている。
その上、逃げることは許さないのだ。何かしらの決心を経たのならともかく、何も考えずに、思考からすら逃げることを、男は認めない。
無関心に過ぎた過去のことを、今更掘り返す気は起こらないけれど、それを前提にしてしまえば、男の変化は劇的だろう、と考えてしまうのだ。
鍛練も一時中止となって、何をしろとも云われず宙ぶらりんになって放逐されたことに対して、疑問よりも、ただの穀潰しになりたくはないという気持ちの方が勝っていたと思う。今でも暇を持て余すのは、真っ平ごめんだ。
働き始めて暫く、入店してきた人の中に、養い親の顔を見た。何時識られたのか判らなかったが、何となく見当はついていて朧はちらりと店の奥へと目をやった。店主は素知らぬ顔をしていた。そも、恐らく最初から見知った間柄でいたのだろう。
「目の付け所は善いな」と云われたことに微妙な心地になった。
この店を選んだのには思いっきり私情が入っているからだ。何も識らないうちに選んだその運すらも評価するならそれまでかもしれないが、……少女は少し居心地が悪く養い親が席についてお品書きをぱらぱらと捲るのを眺めていた。
少し、目を閉じる。
恐らく瞬きと同じくらいのそれを、朧は意図して行った。……戦後黎明期ともいえるこの時に、まっさらな白が居る一方で、その白に擬態する者も存在する。
いざという時の解決に、武力を持つ組織の後ろ楯を得て、その代わりに収入の何割かを納める。正に此所は、そういう場所だ。敢えて特筆するなら、店主自身もかつては裏社会で『やんちゃ』をしていたことだった。
こういう形もあるのだと、既に少女は識っている。
大体終業間際にやって来て帰る時まで外で待つという行動は、見た目だけは善い親のそれであった。無表情を固定したままに連れていかれる処は、食事処であったり古めかしい本屋──養い親は此所で複製した本の売り買いをしていたらしい──であったりする。
けれども、其処まで行く時に
可能な限り争い事を避けるべきというのは、きっとこればかりは表も裏も変わらないのだと思いたい。
今更のような足掻きを、面と向かってする気は起きなかったけれど。
その時に識ったのは、鍛練を停止した理由に治安の悪い処で否応なしに実践方式で鍛えられるだろうという思惑が含まれていたということだ。それ以外にも何かあったのかもしれないけれど、養い親がそれ以上口を開かないので、きっと自分が識ることはないのだろう。
「……朧」
ぼそりと小さく呼びつける声に珍しいことだな、と思いながらその声の方へと体を向けた先では、白装束の男が固い表情のまま珈琲を啜っていた。
よく識らない人が見れば、強張っても見えるかもしれない表情は残念ながら何時も通りである。
彼女の働くことになった店は、それこそ様々な人がやってくる。どういう経緯の人であれ、それは店主の人望か、はたまた店自体の雰囲気がそうさせるのか、当たり前のようなことだけれど喧嘩は御法度になっているから気楽なものだ。
そっと周囲を見わたして────この男が彼女の養い親と識る人は、その時ばかりは本人たちと店主のみの筈だった。
緩やかに低く流れ続ける音楽の中に潜ませるような囁きを、自然な形で落とす。
「院長、私は今これでも一応は一従業員なんですけれど」
「──お前、憶えているか」
「……何の事ですか?」
少し困惑した──風にして、少女は少し接客用の顔を顰めた。
伊達に長い付き合いではない。
どこか言葉足らずのきらいがある男の視線を追って、直ぐに逸らしたそれは、果して興味を持たないような風に見せることが出来ただろうか、と考える。
「──……いや、解らないのなら、いい」
私は、少しだけ悪い大人になってしまったのかもしれない。
会話はそれから発展することもなく、周囲に気付かれるようなこともなく、自然な挙動ですぐに終了した。
親しい──と云えるかは解らないけれど──人に何食わぬ顔で嘘を吐いて、背を向けて歩き、そのことに少しだけ、満足感を感じたのだった。
視線の先の少年に、俯いた顔でそっと微笑む。私は、その少年のことをしっかりと憶えていた。
鳶色の、けれども私は憶えられてはいないだろう、殺し屋の少年。
彼はそこで、静かに本を読み進めていた。
twitterやってます。(→@amaryllis34410)
⇨大体日常会話ネタ系
~今話で載せきれなかった織田作少年とのファーストコンタクト~
朧「あ」
織田作少年「……? はじめまして」
朧「(流石に覚えられてないよね)はじめまして。ご注文は?」
織田作「咖哩」
朧「(喫茶店にあるのかな)……聞いてきますね」
なお、此処までの朧ちゃんはメイド服の模様(作者の趣味)
~安吾少年との会話1~
朧「思うんだけどね」
安吾少年「なんです?」
朧「異能の名称って誰が決めてるのかなぁ、と」
安吾「あぁ……特務課でどんな能力か調査して、その調査書を上に提出すると上(=朝霧先生)が能力に合う名前を決めるみたいですよ」
朧「本当の順序は逆だけどね」
安吾「メタいこと云うのやめませんか?」
~会話2~
安吾「朧さんの異能って、なんだか微妙に複雑ですよね(※本編参照)」
朧「そうかな……そうかもね。布の服でも銃弾は防げるけれど、それって貫通しないだけで打撲とか骨折とかはするんだよね、多分」
安吾「たぶん」
朧「だって経験したことないもの」
※更新遅くなりました。
※※この作品も総合評価が400pt超えました。ありがとうございます。
ちゃんと完結まで漕ぎ着けるつもりはあるので、これからも宜しくお願いします(`・ω・´)