「…………生命判断師?」
人の死に際の場面を本人に伝えることが出来る、奇妙な占い師の話だった。
『 』
「ん、あぁ。じゃあ──近い内に逢う日を作ろうか、朧。うん、また」
耳から離し、手馴れた動作で釦に触れた。
ぴ、と音を一度上げてから沈黙する機械を、白木は暫く見詰めていた。
吐いた深い溜め息は、諦観ではなく、後悔でもない。端から見ればそうと取れるのかもしれないが、今更そう思うのは往生際が悪いと理解していた。
そんな考えが出来る程度には、白木は大人になった心算である。
けれども、あぁ────
「次に逢う時、もしかしたらお前を泣かせてしまうかもなぁ」
ぽつりと、そう呟いた。
**
その時、別に彼ら二人は、待ち合わせのようなことをしてその場所に居合わせた訳ではなかった。
「久し振りっすね、死神さん」
けれども偶然とするのもどこか違う。
その人と近い内に何処かで遭遇する必要があると思ってはいた白木は、かといって探していたという程の熱意でもって歩いていた訳ではなかった。
ただ何となく、導かれるようにして歩いていて、そこに目的の人が居た。それは、運が善かったとしても善いのかは定かではない。
植え込みの中から声を掛けても、動揺の気配はひとつとして伝わってこない。
予想通りの反応ではあったけれど、面白くない気持ちが沸いてくる。基本はそこそこの愛想を持っている彼が嫌っている最たる人は彼の養い親だった男だが、それとは別方向に不愉快なものをしばしば感じさせるのが、今白木の前に居る者だった。
あまり相性が善くないとしても、嫌いな相手だからと正面から話さないなんていう選択肢はないのだから、どうこうと文句を云うのは極力心の中に留める努力はしている。
口に出しても善いことが起きた試しはないと学習している。学習しているにも関わらず内心が結構そういう文句で溢れているせいでよくつるっと口から漏れたりするが、ご愛嬌というものだ。
彼──白木が、がさがさと繁る中をかき分け、態とらしく音を立てながら近づいた先。
開けた景色だった。
目の前の閑静な広場にある音は、鳥の声に噴水の水がさらさらと流れる音くらいしかない。あまり生き物の気配を感じない場所で、けれどもきっと、此方に背を向けた形で
自分ならばともかく、相手はあの男だからきっとそんな芸当も容易いのだろうと、他人にそう思わせるような何かがあった。
白木の見知った人の一人だ。裏の世界でその名をよく識られ恐れられているその男は、そのくせポートマフィアの下っぱ構成員であってもその機会さえあれば顔見知りになれる。奇妙なものだが、それも男が恐れられているせいというのが大体の理由だろうと、白木はそう思っている。
その男の
──死神、『告死』の男、と呼ばれるひとがいる。
決して誇張ではなく、他人の死を宣告し、時には鎌持つ魔を手繰って魂を浚っていくという異能の者。
「やぁ、殉教者」と呟いて、男が顔を上げた。
ひょろりとした痩身に、目元を隠すようにする服は元からある不気味さを増大させている。
「……皮肉なら間に合ってるっす」
「生きてたんだね?」
噛み合わない詞の応酬は、白木の得意とするところではない。
どちらかというと、身体を動かして切った張ったをする方が──白木の専らの得物は銃ではあるのだが──合っている。頭を動かすのは余程、孤児院に未だ居る弟の方が絶対に得手としているのだ。
噛み合わないが──その云わんとしていることは理解している。
「貴方が俺の死期を云ったんだ。忘れていた訳じゃないっすよね?」
「……その語尾、本当に変だよ」
「云ってろ」と吐き捨てるように詞を繋いだ。
敬語であろうとそうではなくとも、能力こそが尊重される中でそんなのは些末事である。──そもそも、そういった普通から逸脱しているような人間の方こそ色々とアクが強いものである。
まあつまり、お前が云うな、と。
陽光に石畳が照り返して、その眩しさに目を細めながら白木は、その男の隣に座った。
きっと年齢は優に一回りは離れていて、けれども会話をするのに年齢なんて気にするだけ無駄なものだ。
──白木という青年は、ポートマフィア、横浜の裏社会に君臨する組織の、比較的末端に位置する構成員だ。
朗らかで軽い口調、時々毒を含んだやや乱暴にも思われる詞遣い。前者は元々のもので、後者が仕事上で自然と身についていったものだった。
彼ら以外の人影が無いことをいいことに、──此処は所謂穴場、というやつなのだろう──常より上着に仕舞い込んでいる拳銃をからりころりと無造作に、手持ち無沙汰で手の中で転がす。
そうしながら、それまで男がやっていたように、ぼうっと光の中を眺めていた。それくらいしか暇を紛らわせることがなかった。
「生きてたんだね」
二度にわたり同じ台詞を繰り返した男の口振りは、ただ単純に、その白木が生きて存在しているという事実を確かめているに過ぎないのだろう。
「意外、とでも云いたいんすか」
「喧嘩売られたみたいに云わないでほしいなぁ」
目を見せない男がどんな感情をその瞳に写しているのか識りえないことだったが、その薄い唇は面白そうに端を上げて微笑んでいた。
「うーん、あの宣告を外して君が想定外の死に見舞われてたなら、僕は自分の副業を考え直さなきゃいけないなぁ……君が僕のお客さんってことを識ってる人が居るのかはともかくね、まあ意外ではないよ。でも、此処だと人が死ぬなんて割とよくあることだからね」
一瞬、詞の意味を計りかねた。けれども、白木は直ぐに納得に表情を歪ませた。
人死にが茶飯事のように起こっている中で、情に流されること程愚かなことはないのだ。
それを割り切れているかどうかはともかくとして。一見薄情なそれは、裏社会では当たり前のことである、と。
当たり前でない場所での当たり前は、詰まるところ普通ではない。明日の天気の話をするかのような呑気さで、それでも人が死を悼む時は、きっと己の本当に大切な人に対してのみだろう。
まして真に非情な人間なら、それすらもしない。…………それにこの殺し屋が果して当てはまるのか否かは、白木の識るところではない。
客の一人に過ぎない者と彼の間には薄い関係しかないのだろうと推察しても、実際どうなのかなんて、白木には皆目見当もつかないことである。
「まあ、確かに」
「そうだろう?」
「ええ」
「──それで?」
「それだけじゃあないでしょう、云うことは」
がちゃりと拳銃を頭部に突き付けて、白木は隣の男の方にぐるりと顔を向けた。
もっと欲しい詞があった。寧ろそれを男の口から聞くことが白木の目的でもあった。狂暴に目を細めて、白木は男を見据えた。
そんな状況でも矢張り、男は淡く微笑んだままだった。目深に被る服の陰で一度まばたきをした後、示し合わせたように彼の異能が、コートの黒色から溶け出すようにして現れる。
背後から抱きつく格好でふわりと背中に乗っているのは、昼日中の明るい中ではどこか奇妙だった……重さを感じさせない異形は、その実人には背負いきれない程の業を負っているのは既に識るところとなって久しい。
元より、お互いに本気で傷つけようとする考えはなかった。
少し息をついて、白木は片手で懐から、その大きさにしてはやや高い葡萄酒の瓶を取り出し放る。
少々生温くなっているだろうけれど、それを気にしないように死魔は軽やかに酒瓶を受け取った。
その主人はといえば、顎に手を当てている。思案げ、というよりは話し出す
「…………君に云っておきたいこと、か」
暫くして手を顎から外し、首を捻って異形の様子を見つめ始めた男は──なお、未だ銃口はしっかり彼の頭を狙っている──その後も少し沈黙を貫いて、「先日、『彼女』に遭ったよ」と漸く重い口を開いた。
「……そうっすか」
数瞬呼吸が止まったことを、果して気づかれただろうか。
穏やかな昼下がり、誰も来る気配は矢張りないものだから、そっと息を吐き出した。疲労混じりの安堵だった。…………空元気は、不本意ながら慣れていた。
「じゃあ今日の呼ばれ方は当て付けってことっすね」
「……君ってさ、意外と自虐の気があるよね」
白木が云い放ったことに、『告死』の男が明確な返答を避けたのは。きっと、お互いが中途半端にお互いを思いやった無責任さの表れだった。
──殉教者、とは。
そういう言い方はあながち間違いでもない。厭がったところでそれが事実だろうと、白木は心からそれを認めていたし、名付けた方だってそう感じたから呼んでいるのだ。
当て付けなんてものではない。単純に、彼だって青年の気持ちを読むことくらいは可能だ。詞としてその有り様を示されて、納得をしただけのことだった。
この、白木という名前の青年にとっての『かみさま』が一人の少女であったのだ、と。
狂っていると詰るならばそうすれば善い、所詮は裏社会の人間に常識を説いたところで何が変わることがあるだろうか。
「君が聞きたかったのは、この詞で善かったのかな。『もうじき、君は死ぬ』」
「……じゃあ、そろそろ、という想像は間違い無いんすかね」
「虫の知らせ、って奴かい────ねぇ、殉教者」
「…………なんすか」
「もし仮に、『彼女』が僕と同じだって云ったら、君は一体どうするんだろうね」
真逆、それこそ有り得ないことだろうと、白木は声をあげて笑った。
ゆっくりと腕を下げて、懐に銃を仕舞い直す。何か虚を衝かれたようでもあって、この死を弄ぶような男とあの泣き虫な可愛い妹が同じ種類のものを秘めているなんていうのは、とんだ戯れ言のようなものとして白木には捉えられた。
信じられていないことを、特段気にした様子もなく、思いつきで喋った一言のように流して、男はするりと話を戻す。事実なのに、と云ったところで彼はそれを信じないだろうし、識らないことが幸せなのはままあることだ。
「僕は君が『彼女』を『かみさま』と崇める位に好きだというのは理解出来ないよ。だってついこの間、すれ違っただけの、赤の他人の間柄だ。ただ、私情を挟んでもいいのなら……」
これは個人情報になってしまうのかなと一言置いてから、「僕の大事な子の、大切な人でもあったらしくてね、あまり他人事でもないんだ」──ゆったりと背凭れに寄りかかる。
あの子が幸せになるための、ゆくゆくは礎になるのならば。こんなことをお客に云うのは正しくないのだろうけれど、
「僕も実は君のことを探していたから、お相子かもね。まぁ、この僕個人からのお願いが釣り合うものだとは到底思ってはいないんだけど…………もうじき、君は死ぬ。ならば、あの子らの為に死んでほしい」
「死ぬ意味が増えるだけなら大歓迎っすよ」
「……はっきりと云うんだね」
白木はひょいと肩を竦めた。
「別に何か、実際の終わりが変わる訳じゃないっすよね。ただそこに居なくて見ることの叶わないあの
何時かの裏路地で、その死の往く末を先んじて識らされた時から今までの間はそれなりに長かった、と思っている。つまり、逃げも隠れもしない。泣き喚くような時期は、疾うの昔に過ぎ去った。
白木は、無性に妹の顔が見たかった。
黒の混じる鮮やかな翠の瞳が、白木は一等好きだった。あの色は春の芽吹きの色に似ていた。
妹の……朧の前で、あの娘の為に死ねば、怖がりな少女が闇の世界に足を踏み入れるような間違いを犯すことはないのだろう、そうあって欲しいと、漠然とそう考えていた。
未来でお前はある少女の前で死ぬだろう、生命判断師の男にそう未来を予言されたことがあった。死に際を見せてしまうことが確定しているのを、そう言い訳して正当化したのだ。苦し紛れの言い訳は白木にとって無二のひとの為であり、けれども圧倒的に自分の為でもあった。
正しいのか正しくないのか──圧倒的に後者であろうと、心の片隅で冷静な部分が囁いていた。
白木が妹を心底大切に思っているのは本当のことで、だからこそ倫理観の壊れた
「因みに、その『大事な子』ってなんですか」
「別に変な子じゃないから安心したらいい──精神が早くに成熟してしまっただけの子供さ」
「そうすか」
普通だなぁ、と詞を素直に受け取った白木は苦笑した。少し、安心もした。
──白木は今日も、人を殺した。
平穏は遠い。人を撃ち殺したことは、死の生々しい感覚は無くとも硝煙の香りが染み着く。それは裏社会の住人であるともう否定しきれない程に身近なものだ。
この世界の人々は、きっと須らく狂っている。
どんなに優しげな人も、どれだけ陽気で暢気に振る舞っていても、異能を当たり前ように振るう怪物たちを白木は識っている。
願わくば。どうか、この世界に沈むようなことにはならないでくれと、そう祈っている。
──数年の間で、青年の心もまた変化を辿る。
分かりにくかったので、白木について少しまとめてみました。
○妹を心底愛している(かみさまのような、という意味合いで)
○『告死』の男の客の一人である
○自身の死に際に妹である少女が立ち会うことになるだろうと予め識っている
○横浜に妹が訪れたことで自分の命がもう長くないことを悟り、『告死』の男に確認を得ている
●妹が『告死』と同類(異能者)であることを識らない
●妹に裏社会は似合わない、来てほしくないと思っている
●自身の妹の前で死ぬことが、妹の裏社会入りの抑止力になるだろうと(無理矢理)思い込んでいる
●精神的に弱ってきている(または狂ってきている)
*第三章の軸となる、重要な回でもありました。
**多分今年の投稿はこれで終了です。滞り気味で申し訳ない。
時折活動報告の方で近況を載せたりしますので、詳しくはそちらをどうぞ。
***評価感想、お待ちしております。
では、少し早いですが、よいお年を!