分かたぬ衣と往く先は   作:白縫綾

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第三章突入。


第三章 Corposant(探偵社設立編+α)
第二三話 Sole


 

 

 着いたその場所は、これから二人で住むには広すぎるような場所だった。

 

 此処がそうなのか、と──無言の確認の為に、少女が傍に並び立つ男の方を見上げると、その横顔は何処か懐古に浸っているようで。数度瞬きをしてから、そっと、その様子を伺った。

 

 人の居なくなった家は、直ぐに荒廃してしまうという。

 

 その家主が亡くなってから、未だそれ程も経ってはいない筈だ。然し逆に云うならば、そういった云わば『使われる可きもの』というのは、その本来の意味を喪ってしまえばそんなわずかな時間の流れも許さないのかもしれない。

 

 養い親は、門扉の横にある、矩型の窪みを眺めていた。

 

 

「此処には表札があった」

 

 

 ぐるりとその窪みを指でなぞり、男は平坦な声で「古く成ったものだ」と呟いた。

 淡々と──その中に、一抹の郷愁を感じたような気がする。口にはしないが、そう思った。

 

 

「じゃあ、此処が……?」

「今となっては遥か過去の話ではあるが」

 

 

 ────(おれ)の生家だ。そして、

 

 

「今を以て、貴様の家とも成る処だ」

 

 

 

 

 

 **

 

 

 

 

 

 

 

 そんなことが、あった。

 今はただ、雑然とした部屋に向かい箒を持つ手を動かしている。掃除だった。

 

 

 否、雑然、というよりかは──何だろう。

 それ程長い間放置されていた訳ではなかったが、時代に置いていかれたような古さ、と云う方が正しいような印象を受ける。

 

 酷い埃だった。

 親類縁者もあの養い親以外に居なかったのか、家主が亡くなった後そのままに物は埃を被っていた。

 使用人は、今は既に亡き故人が逝く前には既に解雇されていたというのだからこの状態なのも頷けるというものだった。

 

 ──新しい家、新しい住処。

 きっと云い方はどうでもいい。誰か(養い親)の、少しでは有れども確かに思い出の中にある場所。

 けれども私の、私にとってこの場所は……横浜に於ける最初の一歩である。

 

 

 

 

 

 防塵の為、口元を隠すように巻き付けていた布を首の処に降ろして窓を開けた。

 想像以上に強い風。春の、どこか甘くも感じられる温い陽光の匂い。

 ぶわり、と吹き込む風が想像以上で少し、息を呑んだ。

 

 殺風景で荒れ果てた庭。ましになったとはいえ、未だ残っている中で埃が舞い上がる。

 細かな粒子が光に照らされてきらきらと光り幻想的でもある、が────然し、うっかりでも吸いこんではいけないものであった。

 

 大体は取り除いた筈の埃が煽られて再び広がっていき、先に口元の布を取り去ったことを後悔する。

 毛羽立っているような感じ。けほ、と一つ咳をして喉を擦り、朧は涙目になって顔周りの空気をぱたぱたと払うようにした。

 

 

「水、飲まなきゃなぁ……変な感じ、んんんっ」

 

 

 中身が僅かに減っているような感じの塵取りを持って、掌で風を遮るようにする。屑入れの中に中身を投入してから、もう一度咳払い。

 ひりつくような眼は、擦りたくても掃除中の手では少し躊躇われた。

 

 一通り埃を払い終えて、それから、その部屋に在った立派な造りの棚に目を遣った。……重厚な造りの、一目で善いものだと判るような木製の棚だ。

 恐る恐る、その扉に両手を掛ける──開けてみて、意外にも埃っぽくないことに、少し目をしばたかせる。

 

 

「…………」

 

 

 開けた時に風が入り込んだのか、ひらり、とその存在を誇示するように目の前に落ちる物を拾い上げた。

 つまみ上げ、裏を返して、まじまじと見詰めて……そこに写り込んでいる人の正体を、私は識っていた。

 

 

「い、ん長……?」

 

 

 意外にも保存状態は良好であったから、その写真に写されている者の姿もくっきりと目に入ってくる。

 ……一人の少年の、色の無い、射抜くような目がそこに在った。

 自分が見間違える筈も無い。白黒の写真。無表情ながら、何かを透かして此方を見詰める一人の、年端もゆかぬ少年────その隣に居るのは兄と思しき子供、そして父親らしき男。

 兄はどこか自信の無いようなふやけた笑みを浮かべ、それと対照的だというような父親は、朧の養い親に酷似していた。

 

 似ているな、と思った。

 

 

「…………」

 

 

 思わず。

 思わず──本当に、無意識に近い反応速度で──自身の異能を発動させてしまっていた。

 此れは残しておかなければならない物だと、少女の中の何か(異能)が叫んでいる。

 

 残しておけと。

 どんな事情があったとしてもそれは大切な、大切にするべきものだと。

 これは私が手放したものに限りなく近いものだと。

 経緯は違うにせよ、あの養い親が嘗て手にしていて、そして遠ざけたものだと。

 ──……私がこれから手に入れられるかも定かではない『何か』であるのだ、と。

 

 自分の異能については、発現したときからその効果を少しずつ検証して、ある程度の制御が可能となっている──暴走とも言い難く、なればそれは、自分が異能共々追いかけている物であると、理解していた。

 

 中にあった、撮った写真を収める為のアルバムを取り出し、そっと挟み込んでから脇に置く。

 

 他にも書物や何やらがあって、それら全てを一旦取り出してから、固く絞った雑巾で中を拭いてみると、思った以上に汚れで黒くなった布が出来上がった。

 

 

「……。待ってた、のかなぁ」

 

 

 ふ、とそんなことが頭に浮かんだ。

 棚自体を綺麗にしたような形跡は無かったが、それでもその中に在ったものの保存状態の良さを見れば──そうであって欲しい、と思わずにはいられない。

 

 ぱちぱち、と無駄に思える程に瞬きを繰り返したのは、きっとこの部屋に未だ漂っている埃っぽさの所為なのだと無理矢理、そう思った。

 

 雑巾を水の湛えられた桶の中に突っ込むと、徐々に黒ずんでいく。その様子を眺めて、水のひやりとした心地よい冷たさに目を細めた。

 

 

 

 

 

 気配を感じて、その一瞬後に聞き慣れた平坦な声が名前を呼んだ。

 

 

「朧」

「あ、院長先生」

 

 

 振り返れば庭に男が下りていて、開けた窓から此方を覗き込んでいる。何時もの白装束で、手にハタキを持っているのが何だかおかしな格好に見えた。

 

 

「……その格好、汚れませんか?」

「問題ない」

 

 

 問題ない、らしい。確かに真っ白なままであった。

 

 窓の桟に外から寄りかかる形になってから、彼は「必要な物とそうでない物に分けるから一通り掃除したら別の部屋に往け」と云った。

 はい、と応える以外に無く、ふ、と男の居る庭に目を向けると、その後ろで山に成っている何か、がある。

 

 

「院長先生……その、それは?」

「不要品だ」

「え、」

 

 

 かなりの量で、つまり──この庭に出されたものは全て、きっと燃やされてしまうことは容易に想像がついた。

 

 

「善いんですか」

 

 

 恐る恐るの確認は、然し咎められることはなかった。

 

 

「構わん。貴様が気にするようなことではない」

 

 

 淡々と、養い親はそう云った。

 そう云っただけで、少女がその詞に何かを返すことは出来なかった。

 そんなことを期待されてはいない筈だし、求められてもなかったろう。

 これは、いくら養い子であったとしても朧が介入して善いことではきっと、無かった。

 

 

 ──疾うの昔に棄て去ったものを、今更拾い上げることは害悪以外の何物でもない。

 ()してやそれが、自らの意思の下に行ったものであるのなら尚更そうだ。

 

 

 頭ではぼんやりと、理解していた。

 後にそう云われることも、然しこの時の状況では未だ何とも云えないもどかしさばかりで、私はただそれに頷くことだけしか出来なかった。

 少しだけ感じた、しこり(・・・)のようになる違和感の正体に思い至らなかった辺り、そこには未だ隔たりがあって────あれは、この養い親なりの『けじめ』であったのだなと、そう思うのは未だ先のことであった。

 

 

 

 

 

 **

 

 

 

 

 

 ちらちらと燃える、橙の微かな焔をぽとりと落として、燃え広がっていくのを見詰める男の姿があった。

 隣に少女──朧の姿は無い。

 一際酷い風呂場の掃除にやったので、暫く帰ってこない筈であった。

 

 横浜、住居の建ち並ぶ一角。

 人が消え、その間誰も出入りすることの無かった家──男の、生家である。

 一対の眼からの視線を感じながら、その家の庭に立っていた。

 

 

 

 

 

 先ず思ったのが、前の住人が居たことを示す『人間らしさ』の跡を消さなければならない、そんな考えだった。

 

 収集物は何処か骨董品を扱う処に売り払うことにする。掃除をして隅々まで綺麗にする。

 見つけた手紙や写真のような類いの物は、今こうやって燃やしていた。

 

 

 

 時間を感じさせる僅かに色褪せた紙。

 明々とした火が移り、くすんだような白は黒く焦げ、やがては灰になってほろほろと落ちていく。

 あまりにも呆気なく、崩れて消えていく。

 

 ──嘗ての此処な住人の生活を、一体どれだけの人間が覚えているのだろうか。

 

 

 

 燃え尽きてちろちろと小さくなっていく焔に、ふと。

 一つだけ、何も無いかのように(・・・・・・・・・)灰の中に半分埋もれている物を見た。

 屈んで、拾い上げ、

 

 

「…………朧か。余計な事を」

 

 

 その写真に施されたものが何であるのか、その養い親たる男に理解出来ない筈が無かった。

 異能。養い子の異能は、その性格に相応しい、あの子供を体現したような力だ。

 

 普段が鈍い割に、こういったこと(・・・・・・・)には聡い。

 きっと、あの娘は気付いただろう……気付かない訳が無いのだ。あの娘は、そういう子供だった。

 

 視線は未だ、注がれたままである。

 

 

「広津くらいの距離感が丁度善いのだ──あれ(・・)はともかくとして、だ。貴様も近すぎるだろう。或いはこうして来たということは、又何かの前触れを察知したか?」

 

 

 丁度その様子を、塀の上から見下ろすようにしている三毛猫。素知らぬ顔で飄々と居るのを睨み上げて、男は唸るようにそう云った。

 

 

夏目。今日も優雅なことだな」

 

 

 にぁー、と、三毛が鳴く。

 その目の光は到底獣のそれとは思えず、黒々と奥底まで見抜くような瞳が大きく、ぱちりと瞬いた。

 

 

 拾い上げた写真を、そのまま懐へと仕舞い込む。

 灰のざらりとした感触。風に煽られて、こんもりと積もっていた灰がぱらぱらと散っていく。

 三毛猫とそれを眺める────塀から飛び降り、残っている灰へ飛び込もうとする首の皮を掴み、顔の高さまで持ち上げてから目を合わせた。

 

 ぶら下げている重みから、心なしか太々しく成長している気がしないでも無かった──が、案外人間よりも猫の方が気楽に居られるのかもしれない。

 

 だらり、と躯に力を入れられていない獣に「又後日に来い」と云い放ってそのまま塀の向こう側へ放り投げれば、意外にも聞き入れたらしくその後に姿を現すことはない。

 

 

「…………」

 

 

 ひょっこりと又顔を出してこないのを確認してから、再び懐から取り出して眺めたのは写真に写る若き日のことだ。

 

 男は、自分が思っている以上に己の父であった者のその、面影を受け継いでいたらしい。そうしてそこで漸く気付いたのは──果して幸であったか、或いは不幸であったのか。

 矢張りそれは、本人のみにしか感じ得ないことであったのだろう。

 

 

 

 




ここ数話分が異常に長かった反動か、少し短め。探偵社設立編+αです。
なお、αの方が割合的には多い。




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