けれど、殺しから足を洗い、今も尚密かにその罪と咎を背負う自分でも……否だからこそ、未来までと贅沢なことまでは云える筈も無い、────今この時に、隣に居る人と少し笑える位のささやかな幸せを、何処か夢心地のようにも感じている。
※既存キャラ×オリ女主のR-15程度の描写(直接的)あります。
その声を上げた女と大抵は連れたって行動することの多い彼であったが、かといって互いに口数が多い訳ではない。
頬杖ついて酒を傾けていた織田作は、ちらりと顔だけを彼女の方へと向けた。
「朧?」
「んー……?」
なぁに、と常よりも間延びした声で、女は自身の上げた声にどうかしたのかと視線を受け止めて、機嫌よく笑った。
明らかに酔っている。弱いのも理由の一つには成ろうが、何より彼女は飲み方の配分がとにかく下手であるのは既に識るところとなって久しい。
「作之助さん、そういえば誕生日もう大分近いんだねぇ」
そんな詞に、云われてみればそうだったな、と思った。
彼女が不意に思い出したのは急に冷えてきたせいであろうか、或いは家の周りに無造作に植わっている金木犀の仄かな薫りが強くなってきたからかもしれない。
織田作の産まれたであろう季節は、そういった変化がよく感じられる時分だった。
お互いが未だ大人になる前、未だ少年少女といっても差し支えないだろう歳であった時。何かの折にそんな事を話して、けれども孤児である彼女にとって不明である事もあって、表面上では二人共にあまり気にしてもいない事柄であった。
…………付け加えるなら、生きていることを毎年祝うような、それに何時死ぬとも知れないのにその時だけ無責任に祝うなんてこと、彼女は絶対に出来る筈が無いということも加味すべきだ。
だから、彼女の内心は別なのだろう──そう思っていて、真逆実際に詞として聞くとは思ってもみなかった。
(それこそ、彼女が不覚をとるようなこんな状態で無ければ、詞にすることも無かったのだろう)
「そうだな」
否定する理由もなく頷いて、よく覚えていたものだ、と云うよりは気付かれないながらも気にしてはいたのか、という感想だった。
酔っ払いの言動には困らされることの方が多いが、きっとこの時に限ってはこれで善かったのだろうと思う。
ぽろりと飛び出して来る本人の深奥も、たまには外に吐き出させるべきであると織田作は思っている。彼女の内心は、そういう柔らかいもので出来ていることを、よくよく承知していた。
何気無い風を装い、出逢った当初から変わらない凪いだ瞳の穏やかさにも、何かしら秘めるものは存在するのだろう。……いや、実際のところそれなりに長く付き合ってきた人からすれば意外と解りやすいのが彼女だから、この表現には少々語弊があるけれど。
肘をついていた手を伸ばして軟らかな猫っ毛にそっと指を鋤かすと、矢張り猫のように気持ち目を細めた。酒に弱いから、織田作に比べればほんの少量の酒だけでももう酔いを全身に回してしまっている。
うっすらと頬を染め、既にふわふわと微笑むのは、普段あまり表情筋を動かすことのない──もし笑ったとしてもそれはこの眼前のそれとは全く異なる、如何にもな日本人然とした曖昧なものだろう──朧からしたら相当に緩んでいる顔だった。
そんな彼女を眺めて、途中からどうにも見ていられなくなってついと逸らした視線を適当にさ迷わせる。
翠の眼が薄暗く設定されている部屋の影を溶かしてとろりとしているその様を、口に出したことは無いが織田作は一等好んでいて、けれどもずっと見詰めているには艶がありすぎる。
空に成っていたグラスをもて余しているだろう隣の為に水を頼んで、織田作もまた手に持っていたグラスに残る水割りを飲み干して、少しだけ目を閉ざした。
「誕生日、か」
返事が返ってくるのを既に期待してはいない。
少なくとも今口にするには二人とも大人に成りすぎていたし、かといってそれを祝う年齢の幼少時代では、未だ戦後である世間は混乱の中にあった。
きっと、同じ年代の彼らだって余程幸せな恵まれた家で無い限りは同じようなものだっただろう。
生きるために行動しなければならなかった昔と余裕のある考え方を出来るようになった今では、自分たちの変化も含めてもう随分と、状況が異なってしまっている。
……実際、自分が産まれた状況がどんなものだったのか、織田作は識らない。
ただ、『生きるために行動をしなければならなかった』割に自分はその事にさして意味を見出だしたことは無かったし、殺し屋として活動していた最盛期だって、仕事に対する自負があった割にはその方法自体に何かを思うでもなかった。
他を殺してまで生き続ける理由を識らず、少女と出逢い、人並みの感情を抱くようになり、そして自分は殺しを止めた。
──……それは、自分が一歩踏み出す為のことだったとはいえ、自分が幼かったとはいえ。何とも傲慢で、身勝手なものだっただろう。
人らしい情動をしっかりと自覚出来た今だからこそ、こんな自分が今になってその生を祝福されることに罪悪感と幸福と、気恥ずかしさがない交ぜになったような気持ちになる。
ことり、と各々の目の前に再びグラスが置かれて、もう眠り込みそうな幼い顔を見せる女に手を伸ばす。
「朧、」
「………………ん」
「一口だけでも水を飲んでおいた方がいい」
介護よろしく数口水を飲ませた直後、力尽きてしまったが如く突っ伏した頭に何かと手を伸ばしてしまうのは、最早癖でもあった。
──何処か機械的だった嘗ての少年は、人の心を識ってしまった以上、今更戻れる筈もなく。
途中から一緒に歩いてきた、この到底綺麗とは云えない途を、それでもいっそ恐ろしいまでに手放したくないと感じる罪深さは、彼と彼女が男と女であった故なのだろう。
(…………嗚呼)
こんな日に限って常なら居る筈の話し相手たちが居ないから、一人でこんなことを考えてしまうのだろうと思う。
同様に口数の少ない店主が、先程出したグラスをそっと手で示して──今度は水で薄められていない酒を煽ると、案の定灼けたように喉がひりついた。
**
ゆらゆらと、体が規則的に揺らされている。頬にひんやりとした物が当たっていた。
ぼんやりとした頭のまま頬擦りをすると、摩擦熱か或いはぴたりとくっ付けたことで漸く熱が伝わったのか、温かくなったように思える。
「起きたのか」と少し意外そうな詞は、聞き慣れた声色だ。揺れが少しだけ激しくなって、緩慢に一つ、まばたきをする。
一回すこんと寝始めたら、深く眠り込んで朝まで起きないような朧だったから、確かに珍しいことだった。ぼんやりとして、意識があるか無いかも微妙な状態で、目蓋はやけに重い。
「くすぐったいからじっとしていろ」
「……うん」
はっきりと云う声は何時もの心地よい低さで、怒っている訳ではないようだ。体を預けている背中で響くような音はこんなにも近くで聞こえる声であったので、彼女を運んでいるのは間違いなく織田作だろう。
何度も運んでもらっているのだろうが、そんな時は決まって眠りこけている彼女だったので、酒の残った頭は何が可笑しいでもないのに勝手に笑いを漏らしてしまう。
耳を背に押し当て、とくとくと鈍く響く心臓の音に、何となく、生きている音だなぁ、という感想を抱いて目を閉じた。
目蓋が厭に重たい。身体に力が入らない。然しそれは心地よいものでもあった。
こうしていることさえ最早夢か現か──夢だとしてもきっと、この背中の高い体温が変わることはないのだろう。
ゆらゆらと揺れる規則的な調子は、彼の足取りがしっかりしている証拠だ。まるで揺り籠のようで、多分もう少ししてしまえば完全に意識が落ちてしまう。
「未だ眠いだろう」と囁かれたように思う。寝ておくといい、とも。
それがどうしようもなく愛しく感じて、夢心地の頭は何を思ったか、何の脈絡もなく「好きだよ」と返していた。
「……。突然だな」
「だって、云う機会無いから」
ぽろぽろと、頭で考える間もなく口が動いている癖に、何処か他人事のようにも思うのはいっそ奇妙でもあった。未だ動き続ける口を、然し止める気などありはしない。
本当に云う機会が無いのだから、今云わずして何時云うというのか。口に出したところで今更変わることのない強固な関係ではあるけれど、それとこれとは話が別だ。
好きか嫌いかでいえば絶対に好きだ。一緒に居ることが当たり前になって、恐らく半身のようにも思っていて、もしいなくなってしまったら何か永遠に欠けたままになるのだろう、それくらいには。
そして、それが自分だけでなく、お互いのものであるとも自覚している。…………人はそれを、依存と呼ぶのかもしれないけれど。
「こんな事が云えるのは、本当にいい夢だなぁって」
「夢、か」
そう、これはきっと、気持ちのいい夢だった。少なくとも、異能者に成った日に夢見た不可思議な奴よりは余っ程、幸せな夢だ。
ふふ、と笑う。
これは夢なのだから、ならば何を云ってもいい筈だ。流石に素面で面と向かって、というのは気恥ずかしさで出来ないから。
僅かに現実を感じさせながらも、優しくて温かな夢だと思った。
────本物に似た、夢のような。
**
頭の回らなくなって、てっきり夢だと思っている彼女は、明日の何時か、起きた後に漸く『あれ』が現実であったと気づくのだろう。
暫く聞いていた後に再び静かになって、背中に寄せられていた頭がかくりと傾き動かなくなった。
こうなると理解していて連れ出される彼女も彼女だが、自分も人のことを云えたものではないだろうと、織田作は静かに苦笑を浮かべた。
男性に比べれば遥かに小さく柔い体躯は、脱力しきってその身を任せきっていた。
二人の住居である、ポートマフィア管轄下のアパートの一室へ程なく到着してから鍵を開け、電気を付ける。
片手で女を背に固定したまま、眩い明かりに背中で小さく呻き声が上がった。
寝台へそっと降ろし、今度は起きないことを確かめると、音を立てないようにそのまま浴室へ向かった。どんなに怠いことがあっても、一日の汚れや身体に纏わりつく硝煙の匂いを落とすのが織田作の染み付いた習慣だ。湯を頭から被り、目頭を押さえ付け、一日の疲れはじわりと溶け出したような気になる。
石鹸でおざなりに身体を洗い、完全に温まる間もなく浴室を出た。疲れを取るための眠りに就く、その前の動きは習慣であってもどこか余計なものにも思えて、少し億劫であった。
浴衣掛けで外に出るには既に涼しすぎる季節になったが、それでも部屋の中だけならば大丈夫といった体感なので、寝間着を温かいものに替えるのは未だ少し先になるだろう。
体を拭き、髪を濡らしたまま、棚から同居人の分の浴衣も取り出したのは、外へ出る服のまま眠るのが窮屈そうに見えたからだ。
寝台の方へと戻ってきて、先程転がしたままの体勢で変わっていない朧の服に無言で手を掛け、釦を外す。
最早馴れた手つきは、きっと彼女がこの光景を見ていたなら介護と称しただろう──服を脱がし、下着だけになった薄い体躯に対して思うところが無い訳がないのだが、そこに被せる形で服を掛け、直ぐに織田作も寝台へ身を横たえた。
天井を少し眺め、一息ついた音はどこかため息にも似ている。
元々体温の低い彼女が、暖を求めて引っ付いてくるのは年中なのでもう馴れたものだが、織田作だって男だ。信頼の表れを裏切らない余裕くらいは持っているし、そういったところも含めた上で彼女がこうしているだろうとも理解しているにしても、時々どうしようもなく欲に駆られることはある。
もう一度深く息を吐き出し、それから体を横向きにした。やけに近い寝顔を見ながら掛け布団を肩の辺りまで引き上げる。
そっと頭を撫で付け、眠る人に気付かれない程度の密やかな口吸いを一度だけしてから、何事も無かったかのように目を閉じた。
明日こそが自分の誕生日であるのだと、二日酔いの彼女は果してそのことに気づけるだろうかと思いながら。
(今日もこの日を無事に終えられたことに、感謝を込めて)
(明日が特別でなくとも……、ただ、こんな平和を享受出来る時間が長く続けば善い、というささやかな願いを、きっと彼女は笑わないだろう)
─次の日─
織田作「…………もしもし。あぁ、朧の仕事は入っていないのは識っているが一応連絡に。多分今日は調子が悪いから、急遽予定が入っても出られないだろう、と伝えておいてもらえると助かる。ああ、有り難う太宰。……この携帯? 朧の物だろう。本人なら今隣で寝ているから代わ────いいのか。(二日酔いで)動くのが億劫そうだから、今日はそっとしておく心算だ。体の力が(ここ数日立て込んでいた仕事と二日酔いのダブルパンチで)出ないと云われた。……ああ、明日には回復するらしいから問題ないだろうが、解った。また明日遭えたら」
朧「完全欠勤連絡はありがたいんだけど、何でか今日の頭痛は後を引くからなぁ。……それにしても作之助さん、それ多分、勘違い(R-18的な意味で)されてるよ?」
織田作「そうか」
朧「そんな、あっさりと……いたた、動いたら頭が」
織田作「じっとしておけ。今更困ることでも無いだろうに」
朧「…………うん。まあ、そうなんだけれど」
織田作「次いでに一緒に休みを貰えたのは棚ぼただった」
朧「作之助さんも今日はゆっくりしてね、ってこと? うーん……完全に『お楽しみ下さい』で気を遣われたよ、もう(´・ω・`)」
織田作「…………ふむ。ところで朧」
朧「なぁに?」
織田作「覚えてるかは識らないが、寝言というか、昨日の『あれ』は夢じゃないぞ」
朧「………………えっ」
☆
太宰「…………」
安吾(通りすがり)「携帯じっと見て、何かあったんですか?」
太宰「ああ、今彼女の電話に出たんだけど──うん、織田作も男だったんだねぇ」
安吾「……はぁ、そうですか(察して何を今更、の顔)」
普通に勘違いされる。でも、朝のやり取りの後、当人達は家で一緒に(意味深)過ごしていたようなのであながち勘違いともいえない……?
作者の性癖が察せてしまう番外編、短編日常ver.~誕生日に酒を添えて~でした。
酔っ払って告白(今更)を口走る主人公が書きたかっただけの話。
と、いう訳で、織田作、お誕生日おめでとう!