分かたぬ衣と往く先は   作:白縫綾

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若干の自己解釈有りです。
あと敦くん(幼)の性格がよく分からないので捏造しています。違和感がある時はお知らせ下さると幸いです。修正します。


第二一話 埋もれ木の家

 或る、二人の話をしよう。

 

 

 

 ──その男は、自分という異物が純真無垢なる子供と関わり合いになることをひどく嫌っていた。

 ──また別の男は、自身が経験してきた社会の厳しさの中、自分の手が届く凡ゆる事をすることこそが生き延びる術であることを身を以て識っていた。

 

 

 ──その男は、子供を遠ざける節があった癖に、やがて身を孤児院へと置いた。政府と取引をした結果だった。

 ──また別の男は、働き口を求め彷徨い、孤児院へと辿り着いた。

 

 

 ──その男は、自身の異能を用いて環境の改善に務めることにした。

 ──また別の男は、便利な異能を用いるという男が別の孤児院に居るという話を小耳に挟んだ。

 

 

 ──その男は、異能の産物を各地の孤児院へと届けるようになった。

 ──また別の男は、矢張り異能は実在するものなのかと半ば信じられないような気持ちでやって来た男と異能が行使される現場を眺めた。

 

 

 ──その男は、孤児院に居た一人の少女がある時異能を開花させたのを目の当たりにした。

 ──また別の男は、孤児院に置き去りにされた赤子が異能者であることに気づいた。

 

 

 ──その男が、関わって来なかった子供の一人だけに、一歩でも歩み寄ったということは……その少女を同類と認めた故であった。

 ──また別の男は、初めて異能者の子供を育てるということに困惑した。然し、どんな理不尽にも耐えられる様でなければ駄目だろうということは理解していた…………その子供の恨みの矛先は自分に向かうだろうが、そんな未来であっても将来この赤子が逞しく生きていてくれたらそれで善いだろうと、思うのだ。

 

 

 ──その男は、少女と共に横浜へと向かった。郊外に近い孤児院へと立ち寄ると、そこの子供の一人が異能者であるという。

 ──また別の男は、なんだかんだと長い付き合いになっている男が上からの辞令を受けて孤児院にはもう居られないことを識った。

 

 

 ──その男は、一人になってしまった養い子が小さな虎の子を撫でているのをじっと見詰めた。

 ──また別の男は、その男に異能者の子供を託したかったがにべもなく断られた。今している事を、何れ子供が孤児院を発つまでずっと続けることを最善と信じても善いのか。

 

 

 

 

 

 ────そんな幼子を、何の選択もさせていない状態で此方側(裏社会)へと引きずり込むような、そんな真似が出来るならば。

 

 

 

 

 

 ────(おれ)ももっと、楽に生きていたのだろう……そう、思わないか。

 

 

 

 

 

 **

 

 

 

 

 

 一晩の間だけ、それ迄識りもしなかった別の孤児院で身を休めたことについて、何か云う心算(つもり)は無かった。

 この孤児院と自分が居た処は違う。それくらいは理解していた──此処の子供たちにとって周囲に居る他の子供は『家族』なんかではなく、蹴落とすべき存在であるということなのだろう。

 考えられないとまではいかないが少し衝撃的なことで、然しそんな感想に至る自分こそが特異なのだと、そう思う。

 自分の居た、時代の趨勢と隔絶されているようなあの場所は……何というか、きっと普通ではなかった。

 

 

 与えられた簡素な家具つきの部屋で寝床に潜り込んだ体勢のままに、そんなことを思っていた。

 孤児院に泊まるにあたって宛てがわれた部屋は一人用で、狭苦しい程度の広さにそれを補おうとするような大きめの窓。差し込む月と星の明かりを遥か遠くの空に認める。

 

 大した理由のない経緯によって、少女はこの建物の内部に居る訳だが、初め前に立った時の感覚を思い返すと…………厳然とした雰囲気は、どこか自分の養い親と似たような種のものであるようにも感じていた。

 要は近寄りがたくて、その癖、その彼が管理している城の内側で用意された寝床に潜り込んでいるのだから、中々奇妙な事のようにも思える。

 

 

 ……判ったのは、雰囲気が似ているならば思考も似通ったものになる、そんな訳ではないということだ。

 想像が実際と異なる、なんていうのはままある話で。ごろりと寝返りを打って、朧は窓越しにぼんやりと空を振り煽ぐ。

 

 

 ──環境が、そうさせたのか。

 

 

 ぽろりと、そんな独り言が口をついて出てきそうで、けれど実際に声には出していない。

 いつかの始まりにおいてやむを得ずに踏み出した一歩目が、後々にも続く方針となって今に続いている。

 人間皆、きっとそんなものだ。ただそれだけのことである。そう、思う。

 

 ……こんな事を云いたくはないし、実際口に出すものでもないのだけれど。

 異能者と只人の違い、というのが多分にあるというのも、十分に理解していた。

 

 

「…………」

 

 

 ふと思い当たったように注視した月が漏らす明かりは、常から見ているものよりその輝きを翳らせているようにも見える。

 朧は少し目を細めて、それをじいっと見入るように見上げていた。

 

 街中にあっても敷地がそれなりに広いからか。

 

 夜の街の光はそこまで強くは感じられないが、そのせいか星も同様、どこか見えづらい。中心部ヘと往けばその翳りはもっと目に見えるような変化になってこの目に映るのだろうか。

 

 

 ──離れたばかりなのに、そして覚悟はとうに決めていたのに。

 

 

孤児院、之までずっと過ごしてきていた場所を既に懐かしく思うことが罪悪感のようにも思えた。

 

 

「…………眠れないな」

 

 

 思えば、一人で寝るのは初めてかもしれない。

 

 呟きを拾ってくれる人は居らず、そもそもこの宛てがわれた部屋には一人きり。客としてなのだから当然であって、然し、いつも寄り添うようにして眠っていた他の人の温もりが当たり前に思っていた身としては寂しくて仕方なかった。

 冷たかった布団の中に篭る仄かな熱は自分のものだけ。寝床は一人用で、身を寄せ合って眠っていた身からするとそれさえも広い。

 

 

「これも────」

 

 

 慣れていかなければ、ならないのだろうか。そう、呟いた。

 そして、…………部屋から抜け出そうと、そう考えつくまでにさして時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

 それはきっと、誰にでもあるだろう小さな逃避だ。

 手洗いにでも行こうとした、そう云えば善いのだ。そんな安易な考えのみを携えて、ひたひたと彷徨い歩くことにした。

 実際の方向は手洗いのある方とはまるで逆だが、きっと些末事である。その筈だ。

 

 

 

 

 

 扉を開けて、できる限り音を立てないように。人気のないところを、ただただ往く宛も無く。

 足の裏からぞわぞわと這い上がるような冷たさに身を竦める。それでも立ち止まるようなことはしない。

 

 ひたひた、ひたひたと。

 

 黙して足のみを動かす。そうさせるだけの、広さがあった。

 案内されてもいない建物も、自分の居た処より遥かに広い敷地ではあれど孤児院なのだというから恐ろしい。

 

 けれど多分、これが普通だった。

 基準を目の当たりにした訳ではないが、そう思った。

 

 少数とはいえ、子供たちの養い親となった男が一人きりで面倒──まあ、養われている方からしたら首を傾げたくなるような、ほとんど自活に近いものだが──をみていたというのは、通常とは異なる(・・・)ことの筈である。

 だって、そのみていた面倒すらも実際のところは物資の融通のみであり、子供たちは殆どを互いに支えることに専念していたのだから。

 それを如何して普通と云えようか。

 

 

 孤児院は慈善事業だ。

 然し間違っても、そこに居るだろう孤児院の子供に家族が何たるかを教えるような場所ではない。

 

 時代が、というのももちろんあるだろう──この優しくない社会の中でどうやって生きていけば善いのか、それを身体に染み込ませるが如くにして、でもそれは間違っても、自ら黒社会へと突き進ませるようなものではない。

 多少逸れたとして、それは正しく正道である。

 

 

 ……朧が孤児院を出たのは、そういう理由でもあったのだった。

 

 だって、きっと院長の、かの養い親の後釜になるであろう人はずっとまともだろうから。

 善い意味でも、悪い意味でも。一般人らしく、一般人が社会で生きていく為のやり方を普通に身につけているだろう。

 

 そこに、あの養い親である男と同類たる少女が居れる理由がどれだけあろうか。正道を往ける人々の中にその裏の暗がりに身を潜めるような存在の自分たちに、それは何と眩しいことか。

 

 

 歩いていったその先に何が在るのか、朧は識らない。そもそも何かを目的にして歩いて往っているのでもない。

 

 

 ──それでも歩き続けなければならぬ。

 

 

 半ば意地、だった。

 寝静まっていて静けさばかりの空気が自然とそうさせたのかもしれなかった。

 ……或いは、そうしなければ(みち)の先など切り開くことすら出来ないのだと薄々ながら識っていた故か。

 

 そんな中、前方にぼんやりと顕れた光がある。

 よく見て取れば、興味の惹かれるままにふらり、と中を覗き込む。

 あたかも、最初から其処を目的地として定めているかのような自然さで、少女は隙間のわずかに開いている処に指を掛けた。

 

 音もなく、扉が開く。

 音は無くとも然し、そこから生じた柔らかな風の気配を感じたのか。先客の子供がぱっと振り向いて、朧はその少年の容貌を見ておや、と眉を動かした。

 

 其処は書庫だった。

 光を極力漏らすまいと、扉を閉めることにする。柔らかく薄ぼんやりとした光がその内装を照らし出す。

「わ」と小さく呟いた少女はそれから少し首を傾げて、積み上げられたている本の塔を──彼女の身長よりは低い程度の高さである──見下ろした。

 

 

 どうでもいいことなのだが、本は高価であるだろうに何故食事にも困ってしまう経済状況の孤児院にこれ程までの書物があるのかは皆目不明である…………不明、ということにしておく。

 

 心当たりが無い訳じゃないが──逆にたった一人の異能を活用した結果が本の値崩れであるのならば、それこそ恐ろしい事である。世の中には識らない方が幸せであろう物事で溢れているのだ。

 薮蛇の可能性を考え、朧はそっと口を慎んだ。

 

 此方を見詰めたまま固まっている少年に少し笑みを漏らして、朧はぐるりと周囲を見渡した。

 

 余計な考えさえ起こさなければ、其処は素晴らしく幻想的な処であるように思えた。

 その明かりを灯した人の目的さえきちんとしたものであったなら、それこそ文句などは無かったのだが、それを年端のゆかぬ少年に求めるというのは無理な話だろう。

 

 

「だれ?」

 

 

 そう云って、怯えた表情を隠しきれないまま首を傾げた幼子の、人の姿で起きているのを見たのは初めてだなと思った。

 月白の髪の──子供が両手に大事そうに抱えていたものを見て、思わずといった風に苦笑が漏れる。

 

 本に用があった訳では無く、ただ単に隠れて夜食を食べる為の場所として選んだのか。

 淵一部が欠けた茶碗に入っていた中身が未だ残っているのを見るに、どうやらこの子供も書庫へ入り込んでからそこまで時間は経っていないらしいことだけは理解する。

 

 

「君の──敦君の同類ですよ」

「…………おねーさん、お腹空いてるの」

「………………ん?」

 

 

 怯えながらも、あげないよ、とやや食い意地の張った頓珍漢な応えに朧も首を傾げて幼子を見た。

 上から下に少し眺めて、ああ成る程と、頷いた。

 

 それにしても、誰、とは…………彼は、自身が獣の時の記憶を持ち合わせていないらしい。

 幼い子供である彼が人間の状態で、目覚めたままに対面した初めての場面であるのならそれは初対面にも等しいことだったことに思い至った感想である── 一度経験したからこそ解ることだが、子供から見た自分が大人といって差し支えないくらいの雰囲気を既に持っているのなら、怯えるのも無理からぬことだった。

 初対面、というのもあるだろう──此方からしたらこの偶然を二回目とするが、この子供からしたら初めて顔を合わせたことになるのだ。

 

 それとも、或いは。

 彼の怯えは、小さく閉塞した息苦しい世界に現れた見知らぬ人が初対面の癖して見覚えがあるという、そんな奇妙さへ向けられたものであったのだろうか。

 

 どちらにしても識り得るような事では無かったが……どんな気持ちなのだろう、と。

 思うだけならただであると、そんなことを少しだけ、考えた。

 

 

 

 

 

 未だ自分の異能(ちから)を識らない子供は、自身のことにこそ無知で。

 自身の身の内にある異常、それ以外の何物でもない理不尽を識らず……そして恐らくは、何故自分が人目を盗んで夜な夜な食事をとらなければならないのかも理解していない。そんな子供。

『異能者』である朧がこの子供の待遇を見て、その理由に思い至らないことこそ有り得ないことだった。

 

 その存在を感知出来ず、制御もままならない異能。成長すれば狂暴性が増すだろう事は想像に難くなく、然し前提として、そもそも制御出来るかどうかも怪しい。

 

 色々考慮して、然し結局この子供に自身の事をどう伝えたら善かったのか判らず、だから思わず『同類』と云った。……まあ、普通に勘違いされたが。

 

 

「?」

「気にしないで、食べるといいよ。元々その食べ物は君のものだもの」

 

 

 その詞に、きっとよく意味を理解出来なかったのだろう──きょとんとした表情と見当違いな返答をした子供は、何が可笑しかったのかふくくく、と何かを押し殺すような笑い方をした。

子供の感情の起伏は激しい。先程までの怯えがまるで嘘のようだった。

 

 

「おねーさんはこわいことしない人だ」

 

 

 ふくくくく。

 中途半端に押し殺した笑い声をあげながら、子供は未だ茶碗の中身に残っていた夜食を再びもそもそと食べ始めた。

 

 

「怖いこと?」

「せんせいみたいなこと、するの?」

「…………しない、かなぁ。多分」

「おねーさん、いい人だ」

 

 

 にこりと、そう云われて。

 ……果して、善いと、そうしてしまっても善かったのだろうかと、思った。

 或いは単に、そう云わせてしまう程食い意地が張っているだけなのかと。

 

 

 朧は、何か喉元に支えているような微妙な表情になって子供を見詰めた。

 

 これしきの同情で大切な人を増やしてはならない。

 理解していて尚、大切な者の枠に入れる方向へ天秤が傾きかけるのは誘惑という名の幻想だった。

 

 その幻想は、険しい途だ。少女が選んではならない分岐点の片側だ。

 

 

 ──けれども、何も識らないとはいえ、こんな考えはこの子供に対してこそ失礼というものであった。

 

 

 世の中ままならないことばかりで、心が一度決めた筈の意思を超えてしまうのはよくある体験で。

 

 

「そっか。……うん、君がそう云うならきっと、そうなんだろうな」

 

 

 他にどう云えば善いのだったか。

 朧にはそう云って笑うことしか出来ない。

 

 幾ら云ったところでこんな些細な事へ情を割いてしまうなんてことは、此方の身がもたないだろう。

 それにこんな遭遇なんて、きっとこれからもっとあることだろうから。

 

 

 そんな考えをしている内に、心底呆れたという様子で見下ろしてくる男の姿が容易に思い出せるのだった。

 彼女の養い親が嘗て彼女に云った台詞は確か、そう──その程度で済んで善かったと思え、だったか。

 

 彼女の異能に掛かっている微妙な制限……生きていない物に限ってしか発動出来ないだとか、その効果が一日分ということとかに対しての詞だった。

 

 

 男が彼女に教えた、彼なりの気遣いであったことは理解している。矮小なるこの身が異端を背負えど、それ故に人間なのだ、と。そう云いたいのだろう。

 そうして、生きているのだと感じさせてくれる機会があるならば……それがどんなに辛くとも、又は幸福に思えなくとも、幸せなのだろう、と。

 

 

 

 これを割り切ってしまえる性格なら、然し彼女の養い親は此処まで彼女を保護してはくれなかった。

 だが同時に、この、ままならない心に朧が此処まで苦労することも無かったろう。

 

 

 

 

 

 ……まあ、詰まるところ、そう上手くいかないものだなと。

 

 苦笑したところに、此方の考えを感知出来るはずもない子供が首を傾げるのが見えて、少女は「何でもないよ」と呟いてからそろりとその頭を撫でた。

 

 

「…………?」

「………………嗚呼」

 

 

(ぬく)いなぁ、と。

 

 

 何故かしみじみと、生きていることを実感した瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 




これ以上書こうとするとずるずる引きずってしまうと思ったので敦くん編はこれにて終了。
次話、第二章最終話になります。
ちらっと織田作出ます。出します。でもメインは告死さんです。
(番外編年越し小話に出てきてます)




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