分かたぬ衣と往く先は   作:白縫綾

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第一九話 少女と子虎

 

 

「孤児院には別の職員が向かうことになると思います」なんて云った少年と詞を交わしたのも、気づけばもう数日も前のことになる。

 

 

 ふと、少年……坂口安吾の世に倦んでいるような眼が向けられた時に少し怯んだのが、思い出された。

 同時にそんな台詞から始まる場面が記憶として蘇ってくる。

 

 朧はくす、と少し笑いを零した。今考えてみれば何だかおかしく思える。

 所謂(いわゆる)思い出し笑い、というやつだ。

 

 

 

 

 

 彼女のすぐ側でじゃれついていた生き物(・・・)はわずかに漏れた声を聞き付けたらしい。

 ぴたりと動きを止めてどうしたの、とでも云うように此方を見上げて首を傾げた。耳だけぴくぴくと動かして様子を窺ってくる目は可愛らしい。

 ……可愛らしい、のだけれど。でもそんなのも今だけなのだろうな、とふっと現実に立ち返ったりもする。

 ()に偶然出逢ったとして、その大きさは如何程になっているのだろうかと、未だ来るかも判らぬ未来に思いを馳せる。

 

 今は未だ大きめの猫程度の大きさだけれど、逆に本人が二、三歳の今──考えてみれば丁度孤児院に残してきた末妹と同じくらいの年齢である──でそれならば、之から先もっと成長していくのは容易に想像出来るのだ。

 

 

「本当に、ねぇ」

 

 

 そんな独り言にも律儀にがう、と返事をされた。

 

 見下ろせば、体勢を変えないまま見上げ続けていたらしいその眼には獣とも思えぬ理性的な光が宿っている。

 大きさこそ小さくとも、この獣の状態での精神は既に成熟しているのだろうか。

 

 

 ……本当に、世の中には識らないような未知が沢山潜んでいるものらしい。

 

 或いは、出逢うべくしてそうなったか。

 構って欲しいと前足で腕をてしてしと引っ掛けられながら、少し笑みを漏らす──子供っぽさは残しているようだ。

 

 

 

 

 少し意外でもあった。

 異能者特有のお互いを引き寄せるような何かが、それでもこんな穏やかな時を施してくれることもあるらしい。

 多少入れ込んでしまっている、というのもあるのだろう──赤の他人から少し気に掛ける知り合い、といったそんな少しの程度だけれど。

 

 自覚している。

 僅かでもそう思ったのは、きっと境遇が似ているせいだろう。

 ……まあ、とはいっても、孤児で異能者である、それだけしか共通点は無いのではある。

 

 

 ただ一つ、懸念があった。

 

 自分とこの子が違っているのは────自身の中に埋まっていた異能を、十を過ぎて迄感じてさえいなかった私と。

 それを、奇しくも産まれた時から既に行使できるという幼子には、決定的な違いがあった。

 

 どうなるのか、それが心配だった。

 孤児であるというのも合わさって、『普通』と縁遠いどころか触れることすら叶わないかもしれない。

 そんな存在だからこそ、今の、穏やかな時間に身を委ねることに、実は少々複雑さを感じていたりもする。

 

 

「がる」

「はいはい、ごめんね……前のことを少し思い出してただけなのよ?」

 

 

 内心の考えを喋るようなことはしない。

 云って解るかどうかは定かでないけれど──何気なく伸ばした手の指にかぷり、と甘噛みしてくるのも、矢張り加減している筈で。

 そんな諸々のことも許してやる、と云っているのかもしれない。

 喉元を擽ればぐるる、とそんな甘えたような唸り声でその躯を擦り寄せてきて。それにしても──親の居ない虎はどうやって成長するのだろうと、ふわふわとした毛を堪能しながら、そんなことをぼんやりと考えた。

 

 こう云っては何だが、別に人間は善いのだ。

 手本と成るような誰かしらは周囲に一人くらいは居るだろう。

 この、人の持つ側面として発生した虎は、異能である故に人の中でしか育てないのだ。

 それとも……この幼子(子虎)こそが子虎(幼子)であるのだから、そう深く考えずとも善いのだろうか。

 

 今一よく、解らなかった。

 まあ抑も考える必要も無いのではあるけれど、仄かに興味が湧いたというか。

 

 

「うーん、かわいいんだけど唸り声は矢っ張り、猫じゃないんだよねぇ……」

 

 

 可愛すぎる。

 

 そして、この姿が異能(・・)だというのも、朧からしたら何だか信じ難いような話であったのだった。

 

 でもあの少年なら、そんな思いもばっさりと両断してしまいそうな気がして、ちょっと苦く笑って朧は子虎の耳の裏をかりかりと掻いてやった。

 

 

 ──この子の、獣性とも云う可き人間から翻った姿が将来、この人間の社会の中でも生きて居られることを切に願う。

 

 

 郊外に程近いとはいえ、此の場所も横浜。

 そう、既に朧はその魔都へと、足を踏み入れていた。

 

 

 

 

 

 **

 

 

 

 

 

 短い時間の間に自問を繰り返し行った末に、結局、朧は院長についていくことを選んだ。

 

 異能特務課に保護された方がもしかしたら善かったのかもしれない、そんな思いが無かった訳では無い────それでも、今の彼女を作ったのは院長の鍛練であり、広津の詞でもあり、過保護な兄の無用な気遣いで、この孤児院の環境であった。

 其方へ、異能特務課の彼らについて往ってしまえば、そんな最初のことさえも忘れ去ってしまいそうで少し怖かった。

 

 何より自分が未だ、この無愛想な養い親に教えて貰っていないことがある。そして、今迄半ば強制的に教えを受けてきた身でこの孤児院を去るのだと云われて、はいそうですか、なんて応える程朧は薄情ではなかった。

 

 男の、それこそよく見なければ判らない程度の感情の変化を察せる位に成っていたし、そんなことが出来るようになる程の時間の内に彼女自身、この養い親を『大事な人』の種類(カテゴリ)に分類してしまっているのだ。

 

 意外にも理由は沢山あって、それを自身が望んでいるのだと少女はそう、自覚した。

 

 

 そして、望んだように選択をした。のだけれど…… 一つ、問題を発見した。

 

 

 

 

 

 そう結論を出して、答えた後の少年の眼光が、鋭さを更に増しているのだ。

 ああこれ間違えたかなぁ────と又思っても、既に後の祭りである。後悔はしていないし、今更変える心算(つもり)も無いのだけれど、友人への道が遠のいた。

 難易度が跳ね上がったとも云う。

 

 

 まあ、どうあってもそれが選択だった。反応が解っていたとして、変えるなんてことはしなかっただろう。

 少し眉を下げてみるが、それすらも何の反応も返してくれないし、気づけばもう、その二人の用事は終了して帰る時間が近づいていたのだった。

 

 

 困った子を見るかのように──事実そうなのだが──彼女は少年を見詰めた。

 確かに微笑ましいと最初は思ったが、それにしては過ぎたものであるように思う。

 

 彼は自身よりも年下の筈で、だからこそ、そこまで敵対心のようなものを向けられることに、朧は困惑しきりであった。

 善い意味でも悪い意味でも、少女の周りでそういう(・・・・)種類の性格である子供に出逢うことは少ない。

 大体が素直で、逆に云うなら過度な自己主張が無い弟や妹である。協調性があって、だから多分周囲と助け合わなければ生きていけない──家事とかの作業的な意味合いは勿論のことだが、精神的にも。

 多分、そういう風に成らざるを得なかった……というのも、あるのかもしれないけれど。

 

 

 何と云う可きだろうか──そう、ふてぶてしさと少々の反骨心を子供の精神に練り合わせて育てたような、そんな感じだった。

 間違ってはいない筈だ。

 多分、彼にとって根本的に気に入らない何かを、朧が持っているのだった。

 

 

 彼女の、その考えは正しいといえる。

 そしてそれは運よく、暫く二人が話し合ってお互いを把握出来れば解決出来る──その、話し合う状況を作るのが中々大変そうなのだが──ものだった。

 仲良くなれそうだし、彼女の、今迄存在も感知していなかった兄弟子のような人が少年の教育係であるからにして、きっとまた顔を合わせることもあるだろう。

 

 

 ……と、ここ迄考えてはみた。

 かなり時間が掛かる、それだけは疎い彼女にも察せることだった。

 何せ嘗てはあんなにも恐れていた養い親とも普通に話せるのだから、可能性は無きにしもあらず。

 

 多分、間違ってはいない。

 だから時間をかけなければならないだろうな、そう思って──内心のささやかな願いを叶えてくれるようなことがあった。

 やや性急な感もあるのだが、少し嬉しくも思う。

 

 二人を見送り──辞令を受け取ったからには院長と呼ばれていた男とそれについていくと決めた彼女もその後速やかに発つこととなるだろう──、その去り際に青年から「ああ、丁度善いから此奴(こいつ)と友達に成ってやってくれないかな?」と云われたのだ。

 少年の何云ってんだこいつ、という表情がやけに印象的だった。

 

 

 ……簡単に云うなら、非常にタイムリーな爆弾で、機会であった。

 そんな台詞を投げ掛けられて確かに嬉しい。嬉しいのだが、相手も同じ気持ちであるとは到底思えない。少し迷いつつも一応試みとして差し出した手は、矢張り容赦なく叩き落とされた。

 

 多分、中々出来る経験では無いと思う。

 そこ迄されるようなことをした覚えが無いのだけれど、と曖昧に笑うと、また睨まれた。

 

 

「あんまり馴れ馴れしくしないで下さい」

 

 

 ……まあ、そう云って落とされた手はもう一度と差し出したのだけれど。

 

 

「安吾、だってお前友達居ないだろう」

「あんたは一々大きなお世話なんですよ!」

 

 

 青年へ向けてそんな暴言を吐き棄ててから、少年は彼女の差し出した手を、まるで親の仇であるかのような目で眺めた。

 それから朧へと視線を合わせる──この手は何だ、とか思っていそうな感じだった。然し如何せん未だ少年の彼にそれらしい威圧感は無い故に全く怖くないが、何ともまた。

 

 

「……えっと、朧です?」

「そんなの識ってます」

 

 

 即答された。

 

 想定して流れるように返される返答に、会話が続かない。

 朧自身少し口下手なところがあるので、こういう自分から切り込んでいくというのはすこぶる苦手であるのだ。

 

 どうしたものかなと思って後ろでにやりとしている青年を見ても、一層笑みを深めるばかりである。兄弟子のようなものであるらしいが、面白がっているようにしか見えなかった。

 自分一人だけ手を伸ばしているのは、確かに少し間の抜けたように見えているのかもしれなかった。

 

 

「いや、改めて名乗るのが礼儀かなって」と呟く。

 そしたら「友人に成るような必要性を感じません」なんて返されて。

 

 彼女はそういう在り方によく似た人から育てられたけれど、たまに思うことがある──間違ってはいないのかもしれないけれど、淋しく思わないのだろうか。

 

 そういう基準で決めて、漏れた中に自分にとっての大切に思える人が居るかもしれないのに。

 真逆自分が少年にとってそう足り得る人だと断言する訳では無いのだけれど……ちょっと勿体ないな、とそんなことを思うのだ。

 

 

「私には判らないけど……そういうのはきっと、必要を感じたから成るってものじゃ無いと思うよ?」

 

 

 笑ってみせると、じっとりとした視線を向けられて「これは仕事なんで」と云われた。

 未だ幼さはあるけれど、年齢は別に公私を分けなければ気が済まなそうな性格には関係ないらしい。

 

 

 ──云われていることは正論だから確かに、とも思うのだ。

 でもわずか、腑に落ちないのである。

 

 

「逆に必要無いのに無闇にこうするのもどうかと思いますけどね」

「でも、私は成りたいかな……うん。なら、之から私がその価値を持てば善いの?」

「…………」

 

 

 ……不意に、雰囲気が変化した気がした。

 何だか意外そうにその手から此方を見上げて、少しの間注視される。

 

 

 

 

 

 多分。

 この少年は、本当に大切な人は自分で見つけ出せると思っているのかもしれない。漠然と、そう思った。

 

 

 彼女の少ない経験上では少なくともその大切な人、なんてものは先ず、付き合う沢山の人の中に波長(・・)が合う数人が居て。時間と共に、何時の間にか自分の中でその存在が自然と格上げされていくものだった。

 

 友人が居ない、とそう云われていた。

 少年はもしかすると、そんな誰もが識らず経験しているようなことを識らないのかもしれなかった。

 

 自分のことを押し付けようとしたいのではない、けれど…………嗚呼、内心で色々理由を並べても、結局のところ、自分はこの子供と仲良くしたいと思っていて。

 そしてきっと彼となら、仲良く出来る気がするのだ。

 

 

「安吾くん」

 

 

 宜しくお願いします、と云ってから控えめに笑みを浮かべた少女の顔と差し出されたままの手、それからはっとして振り返った先の上司のにやけ顔を順に見て「何ですかこれ」と呟いた。

 ……直ぐに、諦めたような表情で、やや自棄気味であった。

 

 

「解りました。ええ、解りましたとも。こうすれば善いんでしょう」

 

 

 少年が差し出された手を掴んだのを確認した。温かさがじわり、と肌に染みる──朧の体温は比較的低い方なのだ。

 ほっと息をついて、朧はそれから少し近づいて、もう一方の手で安吾の眉間の皺をぐりぐりとほぐすように指で押し込んだ……先程からずっと気になっていたので。

 

 彼の表情が一瞬虚を衝かれるようになって、それから朧はずっと我関せずである自分の養い親がどこか呆れた表情になるのを見てとった。

 別に、これで友人同士になったのだから、もう善いだろうに。

 そう思ったが、後ろで傍観している大人からしたら何か間違っているようだ。

 因みにもう一人の方はにやけ顔を一変させ、笑い過ぎにより息絶え絶えになっていた。

 

 ぱっと手を離されて、更に一歩後ろに引かれた。

 

 

「近いです」

「えー……」

 

 

 流石に未だ早い、と怒られたのだった。

 本当に、つれない友人である。

 

 口元を緩めながら暇つぶしのようにそんな一場面をとつとつと語る少女の話に、途中からそれを膝上で聞いていた子虎が小さく一つ、欠伸をしたのだった。

 

 

 

 

 




肝心の朧と安吾少年のお友達計画()のくだりを書くの忘れていたので回想という形で。
安吾さん(真正のツン)ってどうやってお友達作るんでしょうね?

二人の関係はまあこんな感じ。
朧ちゃんが存在する時空において、黒の時代終了時点の安吾さんはどう転んでも朧ちゃんに腹パンされる運命にしかない不憫()枠です。
まあ、織田作より仕事選んじゃった人だからね。仕方ないね。
(決して作者が安吾さん嫌いだからではありません。寧ろ好きです)









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