分かたぬ衣と往く先は   作:白縫綾

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本日二話目。
最新話から来られた方は注意してください。

弟視点その二です。


第一四話 水底に沈む翠(中編)

 

 

 

 それから何が変わったか、と尋ねられれば返答に窮するかもしれない。

 何を挙げれば善いのか、一体何がそこ迄変えさせるようなことの切っ掛けであったのか、恐らく僕ごときには理解出来ない──否、理解する可きでないことなのかもしれない。

 只それでも、その結果として環境が改善され、以前よりも善い『今』を享受出来ているという点に於いては感謝するしかない。

 そうする可き、なのだろう。

 

 

 ──冬が終わりを見せ、春が近付いてきていた。

 姉との話題にも現れていたた建物……云うところの、習練場のようなものが、院から少し離れた場所に早々と建設された。

 そして、その間に起きたことについても言及せねばなるまい。

 

 先ず、食事環境が善くなった。

 一日二食最低限に抑えられた、単純に腹を膨らませる為だけの料理が、少しずつ善いものになり始めた。

 

 入って来る物資の量も増えた。

 元よりあまり頓着していなかったが、よく見れば何と無く、弟妹たち、勿論のこと僕自身も含めて血色が善くなってきている感じがする。

 

 機会が有れば硝子窓の割れた部分も修理することになるだろう、と聞いた。

 一気に自費(ポケットマネー)から金銭を捻り出して来ているだろうに、一体どんな心境の変化なのか、その表情から推し量ることは出来なかった。

 

 見た目こそそんなに変わった風には見えないから、ますます以て不気味である。

 

 

 ……決して気まぐれでは無いのだろう。

 そんな性格にはとても見えないと、実際そんな人であることを、浅くとも長い付き合いの中で識る程度には解っている。

 

 そしてそんな徐々に豊かに成り行く状況が、短い間でありながらも馴れてしまった春──これが最も特筆すべきことかもしれない──その奇妙さを吹き飛ばすような出来事があった。

 家族が増えたのである。

 

 

 僕らは、親に棄てられた子供だ。

 子へ最も愛を向けねばならぬ存在に拒絶をされた。…………それでいて奴ら(大人)人の理の外へ往く(その子供を自身で殺す)ことも出来ず、逃げた先は責任の押し付けで、その果てに生じたのが僕らである。

 

 此んな辺鄙な場所へ態々足を運んだのは、単に偶然通り掛かったのか、或いは此の孤児院がそこまで認知されるようなものであったのか…………定かでない。

 識る必要は無い。

 識りたいとも思わない。

 

 家族が増えた、それだけのことだ。

 珍しいことではあるにしても、驚くことじゃない。

 春、暖かくなる時期にはよく有ることだった。

 

 流石に冬の寒い間に放り出せば直ぐに躯は冷えて死んでしまうことは火を見るより明らかである。

 ではそこまで冷血では無い、と捉えても善いのか────そんな半端な冷血さならば、こんなありふれた残酷さは、僕ならいっそ必要なかった。

 

 ……あくまで僕がそう思っているだけで、他の家族がどう考えているかは識らない。

 或いは、そんなことを考えていない可能性だってある。

 けれど皆共通して云えることは──身の回りとかで多少、というかかなりの不自由は有るにしても、家族と十分に称することの出来る人が居る環境は、人生の最初、自我の生えぬ時点で躓いた僕らにしては幸せだった。

 

 顔も識らぬ親は愛する筈の子を棄て、自分たちは棄てられ、……然し自分から手に入れる迄も無く、求めていたものは何もせずとも手元に有った。

 それは幸せなのだと、未だよく世を識らない僕でも判ることで。そういう点では逆に恵まれているとも取れるのかもしれない、というのは、聊か前向きに過ぎるだろうか。

 

 

 

 その子供を見付けたのは下の妹であった。

 幼い声がやや焦ったように呼んで、その時近くに居た姉と顔を見合わせてから向かったのを覚えている。

 やや擦り切れたような布は、然ししっかりと、柔らかに赤子を包んでいてくれていた。

 赤子は棄てられていた。僕らの新しい家族だった。

 

「名前を付けなきゃね」と姉が呟いていたと思う。

 赤子は、女児であった。

 

 名前が付けられている子供でも棄てられた子供は居る。この赤子にはそのような様子は無かったからだった。

 

 わらわらと群れ集まるように院全体の子供が集まって、姉の手に渡って腕に抱かれた子供を覗き込んだ。

 名前と聞いて、小さな弟妹たちがうんうんと唸っていたが、子供の、しかも幼い頭では考えつかないのは当たり前である。

 

 ……かといって院長が出て来る訳でも無く、結局姉の名付けによって、新たな妹の名前が決められたのだった。

 

 そうだね、と独り言のように呟いて、こんなのはどうかなと、姉が云った。

 

 

「春を(こいねが)う日の──」

 

 

 春希(はるき)、なんてどうだろう。

 

 割と安直だが、綺麗な名前だと思った。何となく、温かさを感じさせるような。

 

 そう云われた名前の子供はその時は未だ大人しく眠っていた……視線に曝されながらこれ(・・)とは、図太いのか。今から心配である。

 

 暫くその、見ているだけで壊れてしまいそうな様子を見詰めて、それから続くようにしてて僕は、その子を抱いている姉の顔をちょっと見上げる。

 顔を向けてから直ぐに、見なければ善かったかなと、少し後悔したのだった。

 

 慈しむように赤子を見下ろす翠の瞳は、優しいようでありながら別の何かを含んでいる。

 時たま、彼女がそんな目をしていることを僕は識っていた。

 

 複雑そうな、その視線の先にあるものは様々なもの──それは何の変哲もない何時も通りの料理であったり、妹たちがままごとに興じている姿であったり、或いは外の何も変わらぬ景色をぼうっと眺めている時で、この赤子を見詰める今であった。

 

 彼女は、僕らと少ししか齢は違わないというのに、之からの僕たちがきっと持ち得ることは無いであろう表情をするのだった。

 

 以前から度々浮かべられるものは、更に顕著に成って──ずれ(・・)のようなものとして現れているように思えた。

 

 それは、諦観にも似た落ち着きを底に湛えた、脆く控えめな笑みだった。

 何か眩しいものを見るようで、見られている此方側がくすぐったく感じてしまうような……然しそれが彼女にとって善いものであるのかと云えば、矢張り否であるのだろう。

 

 純粋無垢な赤子はそれ故の儚さだった。

 人は段々とその儚さから縁遠く成っていくものだが……姉も又、種類は違えど別の儚さを持ち続けていた。

 それは、触れたら壊れてしまいそうな印象を受ける。その癖して若し触れて無ければ、目を離した一瞬のうちに崩れ去ってしまいそうでもある、そんな危うさだった。

 

 ……何と云うか、全面的に守られているのは此方である筈なのに、守ってやらなければならないと思わせるような。

 

 歯痒く思う。

 ────そうする(守ってやる)のだと、思っていたとしても。

 

 実際に、現実において彼女を守るのはきっと僕では無く、別の見知らぬ誰かであるのだと、薄々乍ら感づいてはいたのだ。

 

 

 

 

 

 **

 

 

 

 

 

 院長は結局一人で姉に武術を教える心算(つもり)らしかった。

 

 まあ金銭的に妥当である──そう感じるものではあったけれど、(まえ)の姉との話でも口にしたように、あの男が果してそれが出来得るのだろうかと疑っていた。

 

 ……まあ、何の実力も無い癖に侮っていたという、それだけの話である。

 武術なんて縁遠い僕が、それを推し量ることなど出来る筈も無いのは自明であった。

 

 何だかやけに早く建った修練場の、真新しい板張りの上に素足を滑らせて、僕は二人(・・)を横目でちらっと見遣った。

 

 二人──そう、二人だ。

 姉と院長。そこに何故僕が居るのかは皆目定かでは無かった。

 

 別に繋がりが無いと迄は云わない。

 之でも男は、表面上は僕らの養い親である。姉だけでなくこの身にも、少なからず折檻の跡は残っているからにして、認めたくは無いがある種の『教育』を施されていると云って善い。

 

 

 院長は出来上がったばかりの建物内を見渡し乍ら口を開いて、「教える時間は子供らの起きる前にする」と云った。

 僕の方を一瞬見て、それから「いいな」と既に決定したかのように言い放つ。

 

 

「昼間は駄目なのですか」

「子供らが起きていると纏わり付いて来るだろう。あれら(・・・)は、邪魔だ」

 

 

 邪魔、という詞に姉が僅か、むっとした顔をした。

 多分僕もそんな顔をしている気がする。流石に口にすることはしないが。……色々と、死活問題である気がするので。

 

 

「貴様も既に、朧無しで取り纏めが出来るようになっているだろう」

「院長先生がそこ迄して、姉さんが受けなきゃならない理由があるとは僕には思えないんですが?」

 

 

 どうにも不自然に、というより不完全に説明されたその理由を、然し院長は何時ものように淡々とした態度と目付きで「貴様が識る必要は無い」と云った。

 

 事の発端の始まりが何時かは理解していてもそれが何なのかは教えられず、然しその必要が僕に無いのならば何故彼女であるのか。

 単に時期的な話では説明のつかない位の判りやすい違和感がしこり(・・・)のようで、ひどく不快だった。

 

 例えば、姉の儚いようにも見える佇まい、それこそを特異性であるとして、何故今頃なのか。

 その片鱗は何時も何処かしらにちらついていたものだというのに。

 漸く気付いたように姉を囲い込み、それを見せないように厳重に隠そうとしているのだろうか。

 

 その表情から何かを読み取ることは出来ず、又何を意図しているのかを察することは出来なかった。

 

 ……そして同様に、姉がその全貌を理解しえているのかどうかも、僕の感知する処ではなかった。

 只彼女は察しているのだろうなと、それだけがはっきりとしていた。

 

 姉はそういう人だ。

 理解していて、然し相手がそうだと云うならばきっとそれが正しいのだと、自ら道を譲るような人である。

 

 

 

 ──それが全て了解した上で選択し、受け入れたことならきっと僕も文句は無かった。

 

 然し、僕には姉がそうすることをまるで想像出来ないのだ。

 例え彼女が自らその道を選んでいたとして、之までの記憶が、僕がそう思うのを邪魔するのだった。

 

 

「朝早いから、夜は任せっきりになるね」

 

 

 院長の詞に従うならば、姉は早く起きて、夜はその分早く眠らなければならなくなる。

 

 

 ごめんね、と彼女は云った。

 

 状況と僕の内心と、すぐ近くの男の視線が、ある一つの詞以外に云うことを許さなかった。

 だから僕は只、うんと一回だけ頷いた。

 

 彼女のそれは、何に対しての謝罪であったのか…………否、余計な事だ。勘繰ってしまうのは、過ぎたことだ。そう思うことにする。

 

 ──だって、そうだろう。認められる筈が無い。

 

 そうして、又情けないことに、その認められないことをずっと胸に秘めておける程僕の強さも持ち合わせてはいなかったのだ。

 

 

 だから、と云うのはおかしいかもしれないが、新しく出来た妹……春希をあやし乍ら、そんな事を兄に話した。

 

 兄がその上司を連れて帰ってきた初めての日……まあ二度目があるなんて思わないが、実は僕もある物を受け取っていた。

 姉の貰った洋服──スーツ、と云うらしい──とは別に、「たまには連絡しろよ?」なんて詞付きで。

 

 彼女が一度部屋を去った後に、兄が懐から出してきた機械仕掛けのそれの存在を識った。

 目の前には居ない、遥か遠くの人と喋る事が出来る珍妙なる物体。

 携帯電話、というらしい。

 

 

 それを春希を抱えた体勢で器用に開いてから、ある(ボタン)を押した。

 帰ってきて未だあまり時間の経っていなかった頃で、だからそれが初めての通話だった。

 

 使い方は聞いているが、それでも何処か緊張した。

 ぷるる、という何とも間の抜けるような音を聞いて、数回あった後に『おう、やっと電話してきたか弟』なんて詞が聞こえた時……何時も通りで、少し気が抜けたのを覚えていた。

 

 

「何か最初の時って、こういうのするのが怖くて──時間、大丈夫?」

『昼飯の時間だから、今は暇だな。如何した』

「いや、声が聞きたくなったは善いけど、時間大丈夫かなッて。あと妹増えた」

『えっ』

「えっ?」

 

 

 何でそんな反応をするのか、と思ったら「寧ろ其方(そっち)が用件だろう」と呆れられた。実は本命は又別のことなのだが、未だ口には出さない。

 それにしても、そこ迄反応する必要は無いように思うのだが。

 

 

 ── 一瞬の沈黙。

 

 

 機械越しに、兄の姿が頬を掻くような姿を見た気がした。

 

 

『あー……その、な。少し意外だったというか』

「意外って、何が?」

『いや、俺たちの孤児院って図書館だろう。改築もしないで無理矢理住んでる形の』

 

 

 確かに、と僕は頷いた。

 

 本を扱う場所故に、火を扱うのは隣接して建てられた小屋で行っているのだ。済むのに適しているとは到底云い切れない。

 

 こうして住んでいる人数自体もきっと、こじんまりとして少ない方なのだろう。

 

 

『で、しかも辺鄙な場所にあるから、規模も小さい。お前は識らないだろうけど……孤児院自体は横浜にも有ッてな? なら其方にやった方が早いのにと思った』

 

 

「見た目は立派だぞー」と云う詞にどう応えたものか決めかねて、然しあんまり想像も出来ずに、只ぐずりだした赤子を抱え直すことにした。

 

 微かにその、赤子の声が聞こえたのだろう。

 僕は自分の、抱えている子供を少し見詰めて、数回ゆらゆらと揺らし乍ら、名前は何て云うんだ、と──心なしか優しく、柔らかくなったようにも感じる声音で尋ねられた。

 

「春希、だよ。希う春って書く」と、そう返した。

 

 

『うん、善い名前だ。付けたの、朧か』

「判るの?」

『いや、院長先生とかちびっ子たちにそういうの期待してないから』

「僕は?」

『お前もなァ……うん』

「え」

 

 

 その云い方は酷くないか、とも思ったが……まあ、否定しきれないのが辛い処である。

 

 

『後変わったとことか有るか? いや、何も無い処で変化なんて──』

「ああ、兄さん識ってるかどうか判らないけど」

『んッ? 有るのか』

「…………有るよ? 多分」

 

 

 それで、漸く本題だった。

 

 一通り僕の話を聞かせてから──姉の課せられる事に成るらしい何かとか、何処かしらの不自然さとか、異常な迄の速さで建っていった建物とか、そんな事を話した──通話口で兄の詞を待った。

 

 何が変わる訳でも無いだろうけど……それでもどこかちょっと、期待していた。

 

 

『院長がそんな手間を面倒がったりしないのが先ず、なぁ』

其方(そっち)の広津? さんが発端らしいけど」

『あぁ、広津さんか……どうなんだろうな、俺も全く関与してないから何とも。あの人が朧を気に入ってるみたいなのは解るんだが、その肝心の理由が解らん』

 

 

 白木から見て上司の男として印象にあるのは、彼がその理知的な相貌とは異なり意外にもその強さを重視する節がある──ということだった。

 

 然しそれを前提として鑑みても朧は、白木の妹は、そう強くは無かった筈だ。

 広津の気に掛ける要素を、彼は識らなかった。

 

 身体面でも、そして多分……精神面でも、見る限りでは。

 それもそうだ。広津が彼女を気に掛ける唯一の要素こそ、白木の識らないことなのだった。

 

 

 昔からそうだった、泣き虫な可愛い妹。

 今でこそ流す涙が無く、然し相変わらず泣きそうな顔であるのは変わらない、血の繋がり無くとも大事にしたいと思う少女。

 

 この今話している弟は聡かった。

 なればきっと白木よりも賢く、人の気持ちに敏感であり、その感じた事は正しいのだろう。

 自分の識らない事を弟が識っているのは少々癪ではあったが、年上の威厳として、努めて声には表さなかった。

 

 院長に直接聞くしか無いのでは無かろうか、そう云ったら、意外にも既に云った後だったらしく、苦々しげな声が返ってきたのだった。

 

 

「その識りたいことを、それでも話してくれなかった」と、電話越しに少年が云うのを白木は聞いていた。

 

 只淡々とした口調で、それは貴様が識る必要無きことだと──貴様に要らないものをあれ(・・)は必要とする、それだけの話なのだと。

 

 貴様らとあの娘は違うのだ、と──その詞は、云われるまでも無く識っているからこそ一番聞きたく無い台詞だった。

 

 

 




 
因みにこの弟視点が終了したら孤児院編はほぼ終了となります。
漸く原作と本格的に関わりだすよ、やったね!





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