分かたぬ衣と往く先は   作:白縫綾

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修正前のは色々ごちゃごちゃしていたのでもう一度推敲し直して再投稿です。申し訳ありません。内容は変わってませんが表現が一部変わったりしています。
内容的にまとめて読んだ方がいいので、本日中に中編、後編も投稿する予定です。

弟視点その一です。




第一三話 水底に沈む翠(前編)

 

 

 ────その姿を不意打ちで見付けた時、決まって心臓を握り潰されそうになるような恐怖感に襲われる。

 

 

 それは大切な人のあまりにも哀しい、打ち棄てられたような姿だ。

 

 その貌に何時もの控え目な笑みは無い。

 只倒れ伏している姿に、目にしてしまった此方が息を詰まらせてしまうような、そんな感覚に陥る。

 

 

 寂しい様子だった。

 此方の心臓に悪いもので、然しそれなのに恐ろしさが勝って僕は彼女に近づけないのだった。

 

 ……確かに、目を凝らして注視すればその胸元は呼吸に上下しているのが見てとれるだろう。

 溜め息の中に安堵は勿論だが、同時に往き場の無い怒りが混じっていることも少なく無い…………素直に「善かった」等と云える訳も無い。

 普段の笑みは無く、ぱっと見ただけでは息をしていないのではと疑ってしまいそうになるというのに。

 

 

 ──初めて見た時は恐怖に腰が抜け、二度目は彼女をその状態に至らしめた張本人(養い親)に掴み掛かるのを自制した。

 今は……どうだろう、よく判らない。

 

 姉は、僕がどんなことを思い見ているのかなんて、きっと解らない筈だ。

 自身がどんな姿で横たわっていたのかも識らない侭、平然とその日を、又それ以降も元気に過ごしているのだから。

 

 

 その光景を見るのは、苦しいことだった。

 回数を重ね、何度もその様子を──最終的にはそれが彼女の為に成るのだろう、彼女も拒む様子は無い、そう思い乍ら──僕はただ、為す術も無く眺めていた。

 何も出来ないのは──否、しようとしなかったのだと解ってはいる──辛いことだ。

 

 唯一、ある事の曖昧な支えのみで僕は立っていた。

 

 識っていたのだ。

 何の意味も無く、彼女が自らを(なげう)つ筈が無いと。そういう既知が、僕の中にあった。

 共に暮らして来た知識が、だから案ずるなと囁きかけているのだ。

 

 案ずる必要は無い──然し僕は見届けなければならない。

 いや、僕自身が、せめて之だけはと、見届けたいと思っているのだった。

 

 

 …………まあ、だからといって馴れるかと問われれば、それはそれ、という奴なのだけれど。

 

 

 

 

 少年にとっての彼女の存在とは、きっとそういうもの(・・・・・・)だった。

 

 

 彼女は、その血が繋がっていないにしても限りなく家族に近い存在──否、家族そのものの、最も大切な一人であった。

 彼女は少年の姉であり、同時に少年よりも下の弟妹の姉でもあった。

 直接その口から聞いた訳では無いが、彼女は少年に、自身の存在を認めてくれる人は居るのだと、そう感じさせてくれた人だった。

 彼女は何かしら危うく、無防備で、責任感はある癖に流されやすい、よく判らないけれど────決して放ってはおけなくて。

 自身()が守りたいと思い願った初めての人だった。

 

 

「そう……だからこそ、憎めないから、より一層性質(たち)が悪い」

 

 

 きっと、そうなのだった。

 

 院から少し離れた場所の館内から一人出て来る男を認めて、少年はそう独りごちた。

 眉を顰めて、何時ものようにその姿が男一人だけであるのを確認する。

 

 続いて人が出て来る気配は矢張り無い。あれ(・・)からさほど時間は経っていないのだから、当然か。

 ならば……居る筈の、もう一人(自身の姉)は矢張り今もあの冷たい板張りの床に、倒れ伏しているのだろう。

 

 

 出て来た男が不意に此方を見据えた。

 距離を空けて、然し視線は交錯した──そのように、思われた。

 

 簡単に目視出来る程度の距離だし、別に驚くような事ではなかろう。

 

 実際にその『護身の為の武術』を目にする迄、男の実力は識る機会すらも無かった。

 彼女が居なければその一度も有り得ないものだったろう……あの男ならば見ることをしなくともその気配のみで、此方のことを識ることすら自然に出来そうだと、今ならそう思う。

 

 印象としてある、男の持ち合わせる人成らざる不気味さ。それが本物なのだと理解している。

 その理解した頭が、本能的な迄に「それ以上は踏み込んではならぬ」と囁く──精神の最奥で何か囁くような、(ことば)でもない何かを、聞いた。

 

 それは、警告だ。

 線引きされた縁の、ぎりぎり内側に立っているような危機感でもある。

 

 

 ──その先に何が在るのか、僕には識る由も無い。

 けれどもきっと進めばもう元には戻れず、生半可な気持ちの(自分)は喰われてしまうのだろう、それは理解していた。

 

 …………理解はしているが、認める訳ではない。

 そうしてしまうと自分が負けるようで、癪にも思ってしまう辺り、無駄な反抗、僅かな反骨心をこんな処で発揮してしまうこの身はどうにも救われないな、等と思う。

 

 

 

 

 

 大分空けた距離での交錯は、直ぐに終わった。

 少年が自ら離脱して、建物の中──即ち孤児院内へと戻った為である。

 

 只、その姿が視界に無い今でも、短い間しか離れていない距離から此方を見詰める眼を思い出す。

 ひやりと、触れるような無機質的な純黒を思い出して──震えが走った。

 

 きっと理屈ではない。

 いっそ、反射的な迄に拒絶してしまう何かしらである。

 

 

 だから止めろと云ってるじゃあないか、と警鐘を鳴らす自身が皮肉気に嗤う。

 それに首を振って否定する。

 

 

 ──それを経験しても尚、僕はこの行為を止めるつもりは無い。

 

「…………、姉さんは」

 

 

 少年は呟き、ずるずると壁と背を擦るようにして、座り込んだ。

 

 どれだけの事を思ったとしても、何処か遠くを見詰めるようなその瞳に彼女が一体何を映していたのか、それだけがずっと判っていない。

 

 判らなくとも、見届けねばならない。

 自分は彼女の弟である、それ故に。

 血を分かつこと無くとも、紛れも無くこの身は共に過ごしてきた。

 

 

 ──何が違うのだろうか、としばしば思う。

 

 

 少しずつ開いていくずれ(・・)、ずっとそれに気付いていた。

 他の弟や妹も無意識に察知して何かと姉の方へ向かうのはそのせいであった。

 

 何となく感じ取るだけならば未だ善い──僕のように気付いてしまうのは別だ。

 きっとそうなってはならなかった。その上でぎりぎり一線を越えない迄の一歩を踏み込んだ。

 そうしてこの身が発する警告を無視しておきながら、最後の最後で踏み切れずに足踏みする──此処迄来たなら、一気に踏み込んでしまえば善かったと、今更乍らに後悔して──矢張りその中途半端さに、苦笑いを漏らす。

 

 その、此方と彼方を隔てている薄い膜は、もしかすると自分も見えない筈だった、或いは見えてはならなかった物。

 

 あの養い親と同じ(・・・・・・・・)なんて、考えてはならないことなのに、だ。

 

 

 彼女も又────。

 

「…………」

 

 

 薄々と思っていたことを、然し口にするのは躊躇われた。

 

 無駄な足掻き、それにも満たないかもしれない行為だ。

 然しそれでも、外ならぬ自分がそれをしてしまえば、二度と修復出来ないものがあるような、そんな気がした。

 

 

 

 

 

 **

 

 

 

 

 

 未だ記憶に残っている、それこそがきっと発端である。

 

 冬のある日、突然この孤児院とも云えない孤児院(図書館)の近くに、もう一つ建物が建つことになったのだという話を姉から聞いた。

 

 

「何で急にそんな話になったの」

「あぁ、それはね……」

 

 

 姉である年上の少女に尋ねれば、彼女はその黒みがかった翠の目を苦笑するようにすぅ、と細めて話してくれた。

 

 何でも今、兄が居て働き、日々を過ごしているその場所──横浜は魔都と呼ばれているらしく、かなり物騒なのだ、と。

 僕は神妙に頷いて、どういう経緯でそれが持ち上がってきたのか、未だ識らないその先を促した。

 その位は兄が話してくれた内容の一部に含まれていたからだ。

 

 姉が、その日に貰った土産(と云って善いのかは判らないが)の真っ黒な洋服の上下を持って片付けに部屋から出て行っている間に少しその話を聞いた──……そも、一番上()が識っていて二番目()が識らないというのも、おかしな事であるので。

 

 そして姉が何と無く苦笑している理由の大元が、それであったらしい。

 

 

「私もあと三年位したら多分、横浜へ往くでしょう? 危険だし物騒だから、少し位護身を覚えた方が善い、って広津の小父(おじ)さまが云っていたの」

「小父さま、って朧姉…………兄さんの上司の人、だよね」

「そうそう」

 

 

 あの人そんな名前だったのか、と呟けば、結構善い人よ? と返されて、何だか少し憮然とした顔になるのが自分でも解った。

 顔面は正直である。残念なことに。

 

 ……何だか反射的にというか、どうにも気に入ららなかったというか。

 何時の間にそんな、仲良くなるような機会があったのか、ていうかあの人そんな気さくな風には見えないんだけど──とか、まあ云いたいことは沢山あったが取り敢えず口には出さない。横道に逸れてしまうので。

 

 

「で、小父さまと院長が話をして、そしたらそれ用(・・・)の建物を建ててしまおうか、っていう話になったらしいよ?」

 

 

 外でも出来るような気もするんだけどな、と彼女は云って……苦笑したのはそういうのも含んでいるのだろう。

 然し問題はそこでは無い気がするのは、果して僕だけなのだろうか。

 

 こういう、たまにずれてる(・・・・)時があるのだが、今はそれ程重要なことでは無いので、正すのは止めることにする。

 そうして僕も又、その姉の詞を聞いてから考えてみたのだが──解ったことがある。

 

 

 正直に云ってしまおう。

 例え姉の口からそれを聞いたとして、内容通りのことを話している光景が全く想像出来ない。

 

 

 話だけなら、まるで彼が過保護な養い親のように聞こえるが、その本人はあれである。

 冷徹で全然笑わ無くて本ばかり読んでる癖にちゃんと折檻だけはしてくる、表情筋仕事しろと云いたくなるけども本人を前には絶対に云える筈の無い、簡単に説明するのならばそんな男である。

 

 

「……姉さんに護身を教える場所の為に、態々建物を建てるの?」

「普段は皆の遊び場にも使えるんじゃないかな、とも思うんだけどね?」

 

 

 多分そんなこと一切考えてない気がする。

 否、『気がする』なんてものではなく絶対そうだろう。最終的にはそうなるのだとしても、である。

 

 大体その、院長と男……広津とやらの会話が、とても物騒で殺伐とした会話、というか詞の避球(ドッジボール)しか想像出来ないのである。

 兄には悪いが、完全に悪者共の会談である。

 

 

 色々困惑して、改めてちらりと姉の顔を見た。

 彼女は困ったように眉を下げて、微笑んだまま僕を見ていたので──何か云おうとしたが、やっぱり詞を飲み込んだ。

 

 口を開きかけて結局黙り込む僕に、一体何を思ったのか、姉が手を伸ばして少しばかり背の低い、僕の頭をさらさらと撫ぜてくる。

 何も解決していないが、僕はされるがままに目を細めて、それから頭に感じる仄かな温もりを享受することにする。

 …………影から此方をちらちら見てくる弟妹が数名居るが、無視だ無視。

 姉が気付いていない限りはそんな行為も無意味同然である。

 

 

 今更ながら皆、姉のことが大好きなのだと自覚した。

 

 何時も微笑んでいて、自分たちを何も云うこと無く受け止めてくれて──……もう少し彼女自身を大事にして欲しいとは思うけれど、それはきっと、彼女の気質に寄り掛かっている僕らがあまり云ってはいけないことだから。

 

 多分その点で、僕たち年下と、兄さんのような年上が姉さんを気にかける理由は違うのだった。

 

 

 今でこそ大人びた、どこか浮世離れした雰囲気を持つ少女だが、過去の話だけを聞くならば別の印象を抱かせる。

 兄の話によく出て来て、それでいて兄が姉を気にかける、僕たちとは異なる理由。

 

「よく泣く子だった」と──兄がよく云っているような、姉が泣き虫だったというのを、実の処、云うほど歳の離れていないのに僕は覚えていないのである。

 

 そう歳の関係ない、幼い頃からそうだった(大人びていた)ようにも思うのだが、それは気のせいで、勝手に記憶を作り出しているのだろうか。

 

 未だ僕にも姉にも年上の彼らが居た時──思い返そうとしても、記憶に無いものを掘り返すことは出来なかった。

 

 

「どうかしたの?」

「いや……院長が真逆なァ、って」

 

 

 姉の尋ねに詞を濁して会話の続きをする。

 ……何だか色々と認識を変えさせられる内容であったことは否定しない。

 

 聞けばその建物、院長の自費(ポケットマネー)であるというではないか。

 意味が解らない。

 

 ……否、解ってはいるのだが、脳が理解するのを必死で拒否している。

 そんなお金があるなら食事環境とか、あとこの孤児院の一部割れている窓の替えとか、寧ろそういうことに使ってほしいと思う。

 他の院の事情とか識らないので、堂々と云えはしないのだけど、そんなことを考えた。

 

 

 

 

 

 ふと、疑問に思った。

「それって姉さんだけなのかな」と尋ねれば、姉はうん、とあっさり頷いた。

 

 

「でも、頼めば案外してくれそうな気もするのよ?」

「それは、……建物建てる位だしさ」

 

 

 然し、だから可能性があるのかと云えば、かといってそうでもない訳で。

 

 

「まあ院長と云えば本、本と云えば院長だしね? でも、流石に指南役(せんせい)を一人の為だけに雇う訳も無いと思うの」

 

 

 そうして何かを思い出したのだろうか──厭な事を思い出したような顔を、姉はした。

 大体のことは何時もうっすらと微笑んで受け入れるのが常であるだけに、その表情は珍しいといえた。

 

 一瞬の間だけだが、そんな顔をしたのは、之からの事を憂いた故だったのだろうか……理由も無いけれど、多分違うのだろうなと思った。

 

 

 云われた詞は肯定であったのに、その一瞬の表情と僅かに常と異なる雰囲気に距離を感じた。拒絶と迄はいかなくとも、まるで線引きされているような感があった。

 

 この姉に識る限りで疑う可き要素等見付からないだろうことは、(家族)である自分がよく解っているつもりである。

 なのに、何だか自分でも理解しないままに、それを否定する何かが首を擡げて来ていた。

 

 

「ま、解らない事を色々推測してもどうにも成らないかなって思うよ?」

「そっか……うん、まあそうだね」

 

 

 ぷつりと会話は途切れて、それを埋めるように割り込んできたのは先程迄陰から此方を見てきていた年下(ちび)共であった。

 正直に、之ばかりは有り難かった。

 その御蔭で、途切れた会話の先が無くとも別段気になるような事は無かったので。

 

 纏わり付いてくる子供らの、ひしとしがみつくようにし乍ら差し出してくる頭を、暫くは流れ作業の如くはいはいと撫で回すのに集中することとなった。

 

 

 

 

 

 

 




※いつもの。
アイアムヒューマンさん、田無火さん、最高評価ありがとうございました!
とても励みになっております。之からもこの作品を宜しくお願いします( `・∀・´)ノ



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