分かたぬ衣と往く先は   作:白縫綾

18 / 48
第一二話 薄氷の上で踊る(後編)

 

 

 大体、どんな順で鍛錬をするのかは決まっていた。

 

 

 先ず念入りな柔軟をし、それから貰った得物を振り回す。

 院長が少しの瞑想をしている間にそれを続けて後に、相手が居なければ出来ない打ち合いと、合気の型を行う。身体が温まり、僅かに荒くなる息を鎮めていき乍ら、最後の試合の直前に動作の確認を数回。

 

 手に持つのは私の得物──云うところの、逆刃刀である。

 刃渡りは二十センチを超えた位で、その長さの割には重みがある。

 見た目からして実用的な物では無く、実際に使おうとすればすぐに折れてしまうような玩具(おもちゃ)の如き代物らしい、が…………私の異能とは頗る相性が善かったのだ。

 

 その時にはもう話していた私の異能力(ちから)の詳細に、院長がそれを考慮して与えてくれた物だった。

 

 

 

 

 

 ────私の異能。

 

 其れは、私が触れた物に対して、それが世に有る以上は必ず可能性のある果て、終わりの要因となる『破壊』の施す損害(ダメージ)を無効化する、というものだ。期限は異能を施してから一日…………その間ならば、切り付けようと銃を撃とうと、落とそうとも壊れない。

 簡単に云うなれば、物に『不壊(ふえ)』の属性を付与する、只それだけのもの(異能)だ。

 生きているものには効かない──何故かその、生きている人が持っている異能には通用するのは聊かおかしな話ではある──という欠点も有るし、全くもって微妙な力なのだが、まあ今それを云ったとして何か変わる訳でも無いだろう。

 

 

「…………」

 

 

 私は得物を──小刀を、振り回す。

 袈裟。薙ぎ。振り下ろし。切り上げ、引き付けて、……そこから突く。

 

 切っ先の、風を切るような鋭い音を響かせて、相手(院長)の視線に曝され乍らも数回それを、繰り返した。

 

 

「…………」

 

 

 暫く気の済む迄して、それから手を止めた。小さく息をつく。直前の(・・・)準備運動は、これで終いになる。

 もう一度、改めて、眼前に佇む長身を見遣ってから、私は数歩後ろへ退がった──断じて、臆してはいない。その筈だ。

 

 数歩駆ければ到達出来るだろう距離を空けて、その先に白一色の和装を纏った男がひとり。私はその人と相対するように身体を向けた。

 

 彼の腰には私よりも刀身の長く、勿論逆刃では無いもの()がある。その柄には手が添えられており、恐らく何時でも対応出来る状態になっている。

 ──その鞘に隠されている白刃が、未だ抜き放たれてはいないにしても、変わらずにその中で冷たく光っていることは容易に想像出来た。

 

 

 少し緊張感が這い上がってきて、それが心臓を鷲掴みする前に何とかふるい落として、奮い立たせた。

 

 毎度のことだ。

 あくまでも、試合である。

 そしてこう自分に言い聞かせるのも、何回とやって来たことだ。

 

 これは自分の技量を識り、確認し、時には試す場である。何がどうあっても殺し合いでは無い。

 

 

「準備は善いか」

 

 

 院長が問い掛けてくる。

 力は着実に付いてきていると、そう思いたいが、勿論彼が、私のような未熟者に全力を出し切る訳も無い。

 

 寧ろ私へのハンデとでも云うようにして、安全性を高める為にする可き私の異能を拒む。不壊の属性を付与するのは、私の異能力の扱いの練習、というのもあるが――之は服に付与すれば、防弾・防刃を可能にするのだ。

 

 まあ切り付けられたとして肉に届かない、とはいっても、ちゃんとその分の衝撃は届くのだから、痛いものは痛いのだけれど。

 

 

 

 

 

 私は一度、刀身を元の鞘へと戻してから、努めて集中するようにした。

 身体は温まり、何時でも本番(・・)に移行出来る状態へと持っていく。

 

 そうして意識して呼吸を、ひとつ。即ち、集中だ。

 投げ掛けられた問いへは、頷くことで応えて、続けられた言葉を聞く。

 

 

「では条件は何時ものように──時間制限は無し、即死へ至る技は無し。(おれ)は『縮地』を封じる。互いに降参を宣言するか、或いは戦闘不能へ陥れば試合は終了とする」

「はい」

 

 

 声を出すことも何だか惜しいことに思われたけれど、一言そう返事をする。

 静かに息を吐き出し、浮ついた重心を安定させる。

 

 私がそうしている間に院長も又、数歩退がって距離をとった。館内全体を使っての試合が私たちの常である──最も、院長()にとって私たちの、その間でさえ有っても無くとも関係ないのではあるのだけれど。

 

 その変わらない表情に無機質的な黒目は、見る者が見れば恐怖である。普通なら平静を何処かへ置いて来てしまうような、戦いの中であれば尚更そうだろう。

 

 

 集中しよう、と内心で私は呟いた。

 今は目の前にある、私に出来ることを見詰めるのだ。私にはそれしか出来ないし、ならばきっとそれしか取り柄(・・・)は無い。

 

 集中────(たちま)ち海の中へと没入するような感覚に襲われ、息を吸い、吐き、然し違うのは、目を開くことだった。相対する声が始まりを告げるのを聞き、刀を鞘から抜き放つ。

 

 

「常より云っていることだが、繰り返し…………死なないよう、注意することだ」

 

 

 重苦しい声がそう云って、試合は始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 **

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 常より院長、と呼ばれる男から見てこの朧という少女の存在は異能力、異能者という事実を考慮しても矢張り普通の、平々凡々な子供であった。

 

 労働とはいっても、畑仕事や薪割りのような事に従事してきたような娘だ。下の子供と走り回る事はあってもその程度のもので、本人も進んで身体を動かすようなことはあまり見受けられない。

 最初の一歩である蓮華座も組めなかったのを見た時には、少し呆れを隠すことが出来なかったものだ……まあ、環境だけに、出来たら出来たで驚いていたのかもしれないが。

 

 それでも、その日頃の家事の御蔭か、貧弱極まる程で無かったのが救いでもあった。少し鍛えてやって、もう少し体力をつけさせてやれば短期決戦には持ち込める筈だと、判断した。

 

 異能力者同士の戦いなんて大抵その短い間で決まるのだからその程度で十分と、そう云いたいところではあったが、生憎なことに己もこの少女も、いざ戦うとなれば自分の身で以て飛び込んでいくしかない。

 体力を付けることは必須条件なのだった。

 

 

 そうして武術……簡単な刀術や合気、間合いの使い方等、徐々に、そして様々に教えていく予定であった。

 

 普通の、子供に教えるようにすれば善いと、そう思っていた中。然しそれよりも前、もっと最初の時点で少女の強みが顕れたのは──、僥倖を通り越して想定外のことであった。

 

 

『無心』という言葉がある。

 そう成るように努めるというのは、武術に於いては基礎とされるものであり、同時に極意へ至る為には必要とされる重要な要素である。

 

 それは、その瞬間の最善を、直感に基づいて行える状態。直感を、思考という頭の雑音を乗り越えてやって来る囁き声を、自身が受信出来るという状態だ。

 基礎ではあるが、『無心』に成るというのは難しい。それが善いと頭では解っていても、早々と出来るものでは無い。

 普通ならば、その目指す可き到達点へと徐々に近付いていく感覚を頼りに、少しずつ習得していくものなのである。

 

 だからきっとそれは、早々と顕れた、彼女が持つ唯一の才能ともいえた。

 唯一ではあったが、内容が内容である。それだけでも十二分に少女は凡人の一歩先を往っていた。

 

 

『随分と深く潜っていたな──喜べ、一先ず第一段階は越えた。ならば次だ』

『……全部で何段階なんですか』

 

 

 大体がその第一段階で躓くことを、少女は識らないだろう……出来ない者も多い中で、それを易々とやってのけた娘の特異さにいっそ安心さえしたものだ。

 

 

 嗚呼矢張り、この娘も確かに異能力者(同類)であった、と────。

 

 

 少女は──朧は、男が見た中では最も深く『潜る』ことの出来る者だと云っても過言では無かった。確かにそれは生来の、天稟と称して差し支えない。

 その見た目からは想像出来ない、意外な才能であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 始まりを告げると同時。一瞬眼を閉じて開いた少女の黒混じりの翠が微かに陰っているのを遠くに確認した。判りやすい(しるし)だ。何処かしら薄ら寒さを感じさせる、全てを映しているようでその実何も見ていない瞳。

 他人事の様に、何も感じること無く只の事象として捉えられる様な感覚…………それ程経験を積んでいないにも関わらず其処までして見せることに改めて末恐ろしさをも感じ乍ら、男は距離を詰めていった。

 

 少女も僅かに走りより、互いに相対速度が速まる。

 朧が僅かに一回、瞬きをする瞬間を見計らって男は加速する。一気に眼前に現れるように刀を振るい、金属の硬質な音が一度鳴り響く。

 

 朧の、『潜っている』というのが一目で解る茫洋とした、然しまるで無駄の無い動きを可能にする眼とが交錯する。

 戦いに相応しく無い静謐さ、常の少女ならば動揺する一瞬も、この時に限ってはそうでは無い。

 

 

 力には男の方が分があった。

 そして少女はどちらかと云えば『受ける』側である。

 大人の、まるで違う膂力によって得物が弾き飛ばされないように身体自体を僅かにずらすことで、少女は少しの間を取ろうとする。

 

 じりじりと逃げる様にして、然し追い掛けられる。

 その間にも数合の打ち合いがあった。

 

 男の追撃を、その小さな身体特有のすばしっこさで躱す。

 館内の端に到達しそうになっていることに気付いてから、一気に横飛びに逃れる。

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 追撃は無い────きっと、否、間違いなく手加減であろう。

 

 少女の茫洋とした、それでいて妙に動きが明確(クリア)に見える視界の中、然しそれによって起こりうる余計な考えは、露も表れることはなかった。

 

 同様に、焦りも無い。

 見えるのは目の前のことのみ──深い集中状態で、普段の弱気で流されがちな気勢は鳴りを潜めている。故に、場の空気に呑まれない、それこそが少女の強みである。

 空気に呑まれないということは、本人の全力を出せる、というのと同意であるのだ。

 

 

 少女は得物を持つ手を背に回し、間合いから少し外れた程度の距離から心持ち大きな歩幅で跳んだ。

 水平に、勢いも乗せて振り抜かれた逆刃刀を、男は得物を逆手に持ち縦にすることで防御した。

 

 力の差からして競り合いは得策ではない。

 弾かれた刀身、その防御したところから胸元を狙って来る突きを身体を捻ることで回避する。直ぐ横を真っ直ぐ刃が通り過ぎていくが、未だそれは男の攻撃の範囲内であり、故に朧は迷わず次の攻撃へと移る。

 

 身体を屈め、前ががら空きとなった腹に刀を叩き込む。逆刃な為に云わずもがな、峰の方だ。

 

 確かな手応え、然し少女故に弱いその衝撃に眉一つ動かさずに少女のその手を、男の刀を持たない手が押さえ付けた。

 

 手首を反すように回転させ、未ださほど力を出していなかったのか直ぐに外すことは出来た────然しその外したその一瞬に、手を叩かれる。

 握り締めていた筈の得物が、容易にぽろりと落とされた。咄嗟に後退する。

 弾かれた手に得物は無く、床に落とされた逆刃刀はからからと音を立てて遠くへ転がった。

 

 取りに往くことは出来ないし、男がそれを許さないだろう。

 一度崩すことに成功した男の体勢だが、その攻防の後既に隙は無く、手には刀が有った。再度向けられた切っ先は、今度は朧の頸部を狙っている。

 

 無手に成り、じりじりと動きつつ、今度は男から仕掛けた。

 逆袈裟に切り上げ、次いで頭上から切り下ろし、連続して追い詰めようとした瞬間、朧が消える。

 

 瞬間的に男への横へと現れた少女の、刀を持つ側への面打ちを、咄嗟の判断で刀を手放しつつ上体を反らす。紙一重で避けて、腕を掴んだ。

 

 少女の突っ込んできた勢いを利用して手首を(かえ)し、投げる。

 

 綺麗な一回転に、やや落とす力に手心を加えて、それでも床に打ち付けられる音はそれなりだった。

 少女が僅かに呻き声を上げた。

 

 

「未だ荒い、が…………善い動きだ」

「──自分でも驚き、です」

 

 

 けほ、と打ち付けられた衝撃に咳込んでから、眼に光を戻して──極度の集中状態から脱したらしい──朧はちょっと顔を顰め乍らも僅かに微笑するという、器用なことをやってのけた。

 

 完全に力の抜けた笑み、常よりこの少女が浮かべているそれと同じで、試合はその侭終了する雰囲気であった。戦闘不能に成っていないとはいえ、最早此の状況で少女に打てる手は存在しない。

 何より、集中が切れた後の少女ならば幾らでも押さえられる自信があったし、それでは試合の意味は無い。

 

 ……まあ勿論、その気の抜けた状態で男の表情筋が仕事をするかといえば、全くであるのだが。

 

 一旦之で終りだ、と云う様に掴んでいた手の力を緩めて、男は読めない(・・・・)眼で少女を見る。

 腕を離してやり、安心したように息をついた朧を眺め、転がった刀を回収に向かい乍ら男は「ああ、(ところ)で」と云った。

 

 

「何ですか?」

「『縮地』が出来る様になったのか」

 

 

 縮地──それは独特の体重移動を以て瞬時に敵に接近する、足捌きの技術だ。

 前動作無く地を蹴り近付く為に、習得には困難を極めるという。

 

 そして男は、朧に未だそれを教えてはいなかったのだった。

 未だ早い、そう云って。

 

 少女も又、そう思ってはいたのだが──自覚無くやっていたようだった。

 座り直して両脚の(ふくらはぎ)を摩りつつ、「あれがそうなんですか」と答えた。

 

 

「何だか脚に力が入らなく成ったのですけど。……こんな危険の多い(リスキー)な技なんですか」

「それは貴様が無理矢理したからだろう。戯け」

 

 

 脚のばねを酷使して無理矢理の移動であった筈だ。次いでに遠く弾かれた朧の逆刃刀も取りに向かい、男はそう説明した。

 

 

「本来ならそんな風にはならん。癖がつく故、己が教える迄は使用禁止だ。いいな?」

「え、でも殆ど無意識にやってたというか、その場合どうすれば」

「言い訳は要らん。いいな?」

「…………はい」

「脚の力が戻ったらもう一試合するぞ、いいな?」

「はい────って、え」

 

 

 この流れは鍛練終了になるんじゃないのですか、と僅かに非難の目を向けた少女に、男は「其んな訳が無かろう」と云い棄てたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 **

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男の手刀が少女の首筋を打ち据える音が、鈍く響いていた。

 ぱたりと糸が切れたようになる少女を男は暫く眺めて棒立ちになり、暫くそうしてから「やり過ぎたか」と呟いた。

 

 

 結局あれから二戦したのだった。

 最後の方は少女の体力が尽きていたからなのか、案外呆気なく終ってしまったのだが──それは仕方ない、と云う可きだろうか。

 

 計三戦。只、休憩を含めてもそれに要した時間は一時間かそこらだろう。試合の一つ一つは長くて十分、その程度のものだからだ。

 

 

 

 

 

 空は漸く白み始めた、という具合であった。

 

 男は倒れ伏した少女の傍らに座り込んで、その手持ち無沙汰にさ迷わせた右手を眠り込むようにする少女の頭へと置いた。

 栗色の、二年程前から伸ばし続けている髪は、今は背の中程迄になっている。

 試合の間に乱れたのか、一房だけ顔の横に垂れていた。

 

 館内の天井を訳も無く見上げて暫く眺め、するするとすり抜けるように軟らかい猫っ毛を指に感じた。

 ふとその目元を緩め────男は娘の頭に手は乗せたままにして、静かに息をついた。

 

 

 一つの気配が何時からか隠れるようにして此方を見ていることに、気付いてはいた。

 

 然し男には、応ずるような積もりは微塵とて無かったし、やがてその気配が消えようと去るその時にも、姿を見極めようとはしなかったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




 
と、いうわけで朧の異能について、情報公開(伏線っぽいの回収)のお時間よー。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=133580&uid=90558


※雨ふり傘さん、最高評価ありがとうございました。
ご期待に沿えるよう今後とも精進していきたいです。

※※作者自身が運動能力ポンコツな為に、戦闘描写が下手です。申し訳ない。全然、動きが想像出来ない…………‼



以下、Q&A形式の言い訳↓


Q:院長、本気出し過ぎじゃない?
A:本気じゃないです。勝てる気がしないラスボス感。手抜いてます。


Q:朧が意外と好戦的な気がする
A:あくまでも『逃げ場が無い場合を想定して』の戦闘訓練、の筈。
  朧は人を傷付けるのが好きでは無い為、多分逆刃刀じゃなかったらまともに訓練出来ない。まあ、自分の為というのもあるので、多少のことは院長の「仕方ない」で大体解決。


Q:武器について(逆刃刀)
A:『るろ剣』見てください。
  実際はまるで実用的でない(折れやすい)らしいのですが、そこは朧の異能でカバー。まあ『斬』の研無刀(玄人好みのあつかいにくすぎる刀)リスペクトで切れ味無しの完全に破壊特化の刀も考えたんですが、女の子の武器じゃないかなって。


Q:二年位しか武術してない割には強すぎ?
A:主人公補正です(震え声)
  才能の方向(ベクトル)が善い方向で噛み合った結果ともいう。普通の状態でいくなら中堅(太宰)より上くらい。集中状態で漸く院長(ラスボス)手抜き(五割位)に対抗出来る程度。


Q:院長、デレました?
A:心を開けば案外普通の人。但しそこまでこぎつけるのが大変な上に、本人の見ていない所でしかデレない。




▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。