分かたぬ衣と往く先は   作:白縫綾

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院長の過去と第六話の続き。
概ね三人称てす。





第九話 A Man Of The Orphanage

 其の、眉唾ものとも云える異能が、然し本当に存在するのだということを彼は幼い乍らに識っていた。

 

 そして其れが、人為らざる領域──或いは存在しているかも定かではない、彼方へと近付きゆくのだろう異質なる物だとも理解していた。

 

 未だ幼き少年は己の掌を暫く見遣り────元の様に居直ってから、黙って何時も通りに努めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少年の家は、指折りの名士と云われる様な家……つまるところ、古くから連なる家である。

 

 母は既に亡くなっている。

 然し其れが不幸な訳ではなかった。

 

 幾人もの使用人が居て、父が治める家の中で彼は、滅多に接することの無い兄と共に不自由無く育った…………否、不自由無く、とは云い過ぎだろうか。

 

 幼き頃より、彼も其の家の血を継ぐ者として、相応しく為るがための教育を施される中、彼の父は云った。

 

 

「強く在れ、正しく在れ、清く在れ。其れが此の家の掟であり、同時に其処へ至るため突き進まんとする者こそ我が息子である」と。

 

 

 故に、少年の内心が如何に在るかに関わらず、彼は様々なことを周囲から施された。

 其の意思を問われないという事に限り、彼は不自由であったが、余り気に留めることは無かった。

 

 剣術は勿論のこと、合気や漢詩、外つ国の語に至る迄──本当に、様々な事をした。

 

 

 

 

「そう在れ」と定められたのならば、そう在る可きなのだろう、と──至極単純な考えで、彼は黙って其れを、受け入れていたのだった。

 

 兄がどう思っていたのかは識る由も無いが、少なくとも彼にとってそうだった。

 

 

 

 幸か不幸か、少年には才能があった。

 周囲は彼に期待し、彼の方も淡々とそれに応えつづけたのだ。

 

 

 

 そんな風にして、十数歳にも為る頃の事だ。

 何度目に成るのか、戦争が起きた。

 幾人もの若者たちが徴兵された。

 

 次男であった彼にもその義務が在ったが、未だ来る可きその年齢では無く、彼は日々を過ごして居た。

 

 

 武器は沢山流れ、只でさえ混沌とした街の治安はそれ以上に悪く成ってゆく。

 

 少年が初めて人を殺めたのも、その頃であった。

 同時に転機と成る出来事でもあった。

 

 

 

 …………人を、殺す。

 是以上無い位の罪だろう。

 然し其れが、相手から向かって来たのならば、話は別であった。

 

 きっと皆、必死だった。

 其れを少年は、普段の訓練により鍛えられた太刀筋を以て、反射の如くその人を斬り殺していたのだ。

 

 

 

 顔に散った僅かな血。抜いた刀の血を振り払っても、彼は顔のそれを拭うことなく只僅かに、眉を顰めた。

 彼を襲った男は持っていた拳銃を落とし、倒れ伏す。

 

 から、と軽い音を立てて転がった物だけを拾い、帰宅した。

 

 

 

 

 ──意外だな。そんな顔をするのか。

 

 

 帰ってきた息子の表情を見て、父はそう云った。

 彼は「殺しは嫌いだ」と短く応えた。

 

 至極当然の応えであったが、普段から何でも卒無く熟す息子であっただけに、それは父にとって意外なことらしかった。

 ……渡された布で顔を拭い、普段の無表情を少しだけ歪めるのは、酷く印象的なものだったのだろう。

 

 そんな父に、息子は問うた。

 

 

 ──父よ。此れは正しく在る可きことだったのか。

 或いは其れは清き行動だったのか。

 ならば私は、それは厭だ。

 

 

 それは少年が初めて口にした、我が儘に近しい何かだった。

 然しそんな言葉を向けられたことが初めてである父は、その返答と選択を誤った。

 

 

「全てその様に正しく在る事が出来るのならば、誰もがそうするだろう。全てが全て、そう成る訳では無い。故に理想と呼ばれるのだ」と云ったのだ。

 

 

 息子は其の意味を暫く咀嚼するように黙り込んでから「そうか」と呟き──それから数日後、忽然と姿を消した。

 

 切っ掛けが此の問答であったのは、云う迄も無かった。

 

 

 

 

 

 家の者が探しているだろうことを理解していたが、少年は宛ても無い歩みを止めようとは思っていなかった。

 常より持ち歩いている刀と懐に拳銃、数日は食い繋げられる程度の銭のみを持って、歩いていた。

 

 彼らは少年にとって庇護者であったが家族ではなく、血の繋がった他人であった。

 母という存在なども皆目見当がつかないのだから、親子の情なども無縁のようなものだった。

 

 

 ──只其れでも、あの家訓に沿えと、そう在れと望まれていた。

 だから私は其方へ居たのだ。

 

 

 唯一その為に少年がしてきたことは裏切られ、ならば自分に何が残ったというのか。

 

 

「………………」

 

 

 偶然か或いは必然だったのか、少年の足は彼を或る場所へと導いていた。

 

 (いず)れ往くことになる場所へとたどり着いた彼は、暫く其の門を黙って見上げた。

 手に触れ感じるのは固い金属の感触だ。彼は懐へ手を突っ込んだ侭、門番へと歩み寄った。

 

 

「何だ小僧」

 

 

 門番は、頭二つ分小さな少年を見下ろして笑う。

 

 

「此処は軍部だ。よもや気でも逸ったか? 止めとけ止めとけ、(わっぱ)にゃ未だ早い!」

 

 

 揶揄うような調子に、然し無感情なままで、(いいや)、と少年は首を横へ振った。

 その仕種は若者がするにしては酷く空虚で、同時に諦観を滲ませるものだった。

 

 

 ──否、私は其の為に此処へ来たのでは無い。

 

 きっと私は私の有用性を以て、着いた先が此処だったのだ。

 

 

 

 

 

 **

 

 

 

 

 

「では──と云いたい処だが、椅子は無いのかね?」

「そこ迄時間が掛かるとも思えんが…………善いだろう」

 

 

 男は本の山を崩し乍ら椅子から立ち上がり、徐に掴んでいた椅子の背を持ち上げた。

 

 

(おれ)の経歴位は調べたのだろう? 広津柳浪」

「其方こそ、大体の用事は理解しておられるようだがね」

 

 

 新たに出現した全く同じ色形をしている其れを押し出して、「持って行け」と男は云った。

 

 白木が憮然とした顔で本の山を同様に崩しつつ其れを受け取って広津の処まで持って行った。

 どうやら自然に行使された異能に対してよりも男に対する感情の方が勝ったらしい。

 当て擦りの様な行動に、然し双方眉一つ動かさず向かいあっていた。

 

 

 

 本の塔が崩されたからか、お互いの表情がよく見える。

 

 広津が腰掛け、視線の高さが同じになると、男はふと、其の冷徹な(かお)に見合わぬ息を吐いた。

 手は先程迄開いていた本の表紙を撫でている。恐らくその内容を諳じることも出来るのだろう。

 それ位に古びている一冊は──先程男の読み上げたある一節を記されている物だった。

 

 福音書である。

 視線に気付いたのか、広津が問う前に男が口を開き「先の(ことば)だが」と云った。

 

 

「己に組織への所属を望む輩には何時も此の一節を聞かせるのだ。『貴様等の提示する(みち)が、如何して己を正しく導くと云えるのか?』と。──ああ(いや)、己の正しさが所詮只の理想なのは識っているがな」 

 

 

 それを、此れ迄に男を勧誘しただろう組織と同様に遣いとして来た広津に話したのは……会話をする僅かな間にある一定の基準を見出したのか、はたまた単に同じ異能力者としての(よしみ)であったからか。

 

 

「理解しているとも。如何云おうと何れ、己は何処かへ属することを求められるだろう」と彼は云った。

 同時に「然し」とも口にした。

 

 

「どうせ庇護されるならば、己は己の有用性を十全に用いられる場所を望もう。戦時中の幼き己には、思い付く選択肢が軍だけだったから其処へ赴いた、其れだけの話なのだ……同時に、己に残された唯一の有用性を最も活用出来ていただろう処でもあったが」

 

 

 そこで一息つく。

 視界には、白木が身じろぐのを捉えている。

 

 横目に見ている所為か、只でさえ身構えられる顔が更に凄味を増しているのには気付いていないようである。院の幼子が見て下手をすると泣き出してしまいそうな視線だった。

 

 

「まあ、昔の話だ。戦争は終わった、最早己に盾は無くなる、己の有用性は何処かへと変わりゆく……己は貴様等『ポートマフィア』に、己へ何を提示するかを聞かねばならん」

 

 

 静かに、然しはっきりと、白木は瞠目した。

 そうして僅か、悔いるように目を閉じた。

 

 彼に男の、無機質な視線が突き刺さるのには幾許も掛からなかった。

 広津もちらとその方を見たが、何も云わない。

 

 

 ──判っていた。広津と共に来た時点で悟られているだろうことは。

 

 只、幼少の頃から、丸で届かない場所から見下ろすように居たこの男の印象の方が強かった。

 

 

「識らぬ筈が無かろう。貴様の使う銃弾等を誰が精製していたと思っている?」

「真逆、矢っ張り…………」

 

 

 未だ少し信じられずにそう漏らす青年と、それに対して、「戯けが」と短く云い棄てたのは外ならぬその城で彼を育てた男だ。

 

 上司は口を挟む迄も無く、彼らのやり取りを見詰めている。

 

 

「貴様がそこ(・・)へ足を踏み入れた事を、己が識らぬとでも思ったか──白木」

「────ッ!」

 

 

 白木は多少だが怯んだ。

 判って居たが、改めて言葉として真正面から云われるのは……罪悪感を、少なからず感じさせるのだった。

 

 苦手であった。

 関わりも少ない。

 然し一応は育ての親だ……大体のことを数多くの兄弟姉妹たちと熟してはいても、その事実は変わらない、確かなことであるのだった。

 

 きっと──何とも思わないにしては、彼の育った環境は優し過ぎた、というのもある筈だ。

 

 

 それに、浮世離れしているような雰囲気さえある育ての親も、……自分が思っているよりずっと近くの世界に居たのだと。

 此の地に足を付けて生きている以上は、当然のことなのかもしれないけれど。

 

 

「白木、外に出給え」

 

 

 だから、きっと────暫くの沈黙、話が進まないのを見かねて発せられた広津の一声は、彼にとっての助けの一言であった。

 同時に、無慈悲な宣告でもあったろう。

 

 

「…………」

「弟妹の処へ行ってやるのでは無いのかね? 抑も、その為に帰って来たのだろう」

 

 

 広津のみで事足りる事案なのは、彼等が一番よく識っている。

 

 異能力者でない白木には縁遠い話だ。

 抑も赴いた理由が違う、今此の場においては白木こそが邪魔者であった……否、其方には最早、拒否権等は無かった。

 

 此の場においての彼らは、孤児院の主とその養い子、片や上司と部下であった。

 

 

「朧が偶然己の異能を見た時でもあの様に成る事は無かったが、矢張り性格か……」

 

 

 扉を閉める直前に其んな言葉を耳にした。

 白木は僅かに唇を噛み締めて其の場を離れて往く。

 

 勿論、自分の暴力と流血に塗れた職業について打ち明ける訳では無かったけれど、白木は彼の妹──朧と、無性に話したかった。

 

 歳に見合わぬ大人っぽさと凪いだ瞳をする子供が、院長と同じでは無いと判っていても……何時の間にか識らぬ何処かへ往ってしまっていないか確かめたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気配が無くなったのを感じて、広津は改めて溜め息をついた。

 

「──白木のような性格が出来るのも頷けるというものだ。見た目に反して寛容で甘いのは本当らしい」

「…………」

 

 男が確認したように、広津は彼の経歴を一通り識ってから此の場に来ていた。軍部の後ろ盾が陰る今、その程度のことは容易に識れた。

 

 

 

 

 

 

 ──曰く、名士の家の次男坊。

 

 物心ついた時母は既に亡く、父と歳の離れた兄が一人。

 才能甚だしく、幼少より高度な教育を施される。

 

 やがて戦争が始まる。

 家督を継ぐ立場に無いため彼も又、他の者と同じように徴兵を義務付けられる。

 

 ある時を境に家族と不和を起こし、出奔。徴兵の年齢よりも早くに軍へ属すこととなる。

 その際、其れ迄ひた隠しにしてきた異能を活かして物資確保の面で貢献する。

 

 戦争の激化と共に、補給係の一角を担う彼の暗殺を恐れ、軍部に名を変えられ、同時に一般人の側面を与えられる。

 

 その際、軍部は孤児院に勤めたいという本人の希望を受諾する。功績を評価された故であり、その後も定期的な物質の補給を望まれる。

 

 目立たぬ様万全を期して己の存在を秘すように生き、終戦迄武器を積み上げ続けた男であった。

 

 

 

 

 ──其の異能は、手で持ち上げられる程度の重量の物に対し触れることで、その触れた物と全く同じ物(・・・・・・・・・・)をもう片方の手から生み出すことを可能とする。

 

 

 

 

 

 そんな来歴を持つ男は、成る程上手く出来ているものらしいと──半ば諦めた様な口調で云った。

 

 

「どうせ己たちは時代に取り残された身だ……つい先日のことが無ければ、貴様等の話も此れ迄断ったのと同様、断ろうとしたのだが」

 

 

 その言葉を聞き乍ら広津は「間が善かったらしいな」と呟き、手持ち無沙汰に懐を探った。

 

 

「……葉巻を吸っても?」

「灰を落とさないのなら好きにしろ」

 

 

 男は、ゆっくりとした仕種で火を付けるその様子を暫く眺め、「朧には遭ったか」と呟くような調子で云った。

 

 紫煙がたゆたい、狭い部屋の中を回るように特有の香を漂わせ始める。

 少し間を空けて、広津はその姿を思い返す。

 

 一見は丸で普通の少女、否──或いは此れから変わりゆくのかも識れぬ。

 

 

 

 

 異能力を所持している限り、少なからず平穏な人生を送れはしないことだけは察することができた。

 それ以外のことなど、広津には解る筈も無かった。

 

 それ位に、異能力、或いは異能力者について判明していることで断言出来ることは少ない。

 

 

 

 

「朧──ああ、あの少女かね? 白木がいたく気に入っていた」

 

 

「ああ」と男は応えた。「あれも又、異能力を発現した…………とすれば、此れも縁だったのだろうと云う己も居るのだ」とそう云った。

 それが切っ掛けであり、又広津の、ひいてはポートマフィアの要望を受け入れる理由になったのは、想像に難くなかった。

 

 

 

 異能力者という存在は、その異質さ故に、何か普通で無いものを引き寄せるものだ。

 

 それが本人の望みであろうと無かろうと、はたまた自覚が有っても無くても……恐らくそういうもの(・・・・・・)なのである。

 男や広津にとってのそれはきっと、大戦そのものだった。

 

 

「握手した時に干渉された時には驚いたものだ。真逆異能力に直接作用出来る異能力とは……」

「何だ、既に識っていたのか」

 

 

「害には成らんから心配するな」と云ったことからして…………既に経験済であるらしい、と広津は話を聞いていた。

 

 異能力、其れは世に僅かながら存在する、超常の力を振るうもの。

 その待遇は先の大戦終結に伴い変化していた。

 

 合法的に職務に携わる者は少なく、多くは世間に関わらないか、或いは黒社会に属している。

 

 

 どちらにせよ、政府特務機関……国内異能者を管理する存在がある以上、前者で居られる程人間できている(・・・・・)者がどれだけ居るだろう。

 又其の機関自体、異能力者を保護してくれる訳でも無く、男からすれば己の存在を把握されるだけのものに信用が置ける筈も無かった。

 

 現に広津は黒社会の中に潜むように生き、男は未だ中立の状態とはいえ、之迄の争いを幇助していたことには違いない。

 まして之からする判断は、手っ取り早いとはいえお世辞にも善い、とは云えぬものだった。

 

 

 男は云う。

 

 

「己は恐らく、あれに教えねばならんだろうな。如何に足掻こうと、あれは最早光の中だけでは生きられまい」

「我々と同じように、かね?」

「身内に黒社会の者が居るだけなら未だしも、尚且つ異能者であるのが問題だ。心構えだけでもさせねば、何れあの過ぎた自己犠牲で身を亡ぼすのは目に見えている」

 

 

「後味が悪くなる」と吐き棄てる様に云った男の性格を、広津は徐々に把握し始めていた。

 ──……どうも素直でないらしい。

 白木への態度然り、それが子供たちに通じているかは別にして、だが。

 

 

 

 孤児院の中でも、此の場所の環境は他に較べれば圧倒的に善いと云える。

 普通はもっと酷い体罰が横行しているし、物資そういう(・・・・)異能力者が居るお陰で充分な物であるのは容易に察することが出来る。

 余りにも事足りる状態であると、周囲から怪しまれるのだ。

 その為に院の物資も必要最低限に抑えているのだろう。

 

 聞けば一日二回だが毎食食べれるようでもあるらしい。

 孤児達は識らないことだろうが、それだけでも甘いと云うには充分な環境だった。

 時に因っては、不定期な食事であったり、その食事すらも抜きにされることがあるというのだから。

 

 

 ……何より、普通ならば孤児(子供)たちが笑い合うように生きている、それこそが奇跡のようなことであった。

 

 

「それは、ポートマフィアに属するという答ととっても善いのかね?」

「ああ。……只、他の奴らに急に物資を流さなくなるのは悪手故、最初の方は貴様等に融通をきかせる様にする程度になるがな」

「充分と思うがね。……之は単なる興味だが、果して何を求める?」

「己が此処を中心に活動することの許可と完全なる後ろ盾となること、孤児共の将来の選択の自由に──嗚呼、あとは……」

 

 

「大したことではあるまい?」と云った男の最後の要求を聞いて、広津は笑みを零さないように苦労しなければならなかった。

 

 

 ──成る程、矢張り異能力者の発現する異能力の系統には本人の性格が如実に現れるものらしい、と、そんなことを思った。

 

 

「最初に勿体振る割にはあっさりとした承諾だったな」

「云ったろう、どうせ何れは決断せねばならなかった。其れが今であっただけの話だ」

 

 

 ──ずっと同じ侭では居られぬのが人で、己たちは須らく其の流れに流されゆくものである故に。

 

 

 溢れ者と為って放り出され、遂には黒社会へと進んだ広津とは正反対の境遇であるにも関わらずその果てが同じ『ポートマフィア』というのも些かおかしな話でもあるが。

 

 

 

 男はそう呟き、広津は今度こそ声を上げて笑った。

 

 それは、残念なことに英雄に成り切れず、大戦中に死ぬことも叶わなかった身にとっては僅かながらにも幸運な出来事だった。

 

 

「然し、将来の選択の自由か……」

「不満か?」

(いや)

 

 

 只、今の情勢──治安警察、所謂市警こそ何とか機能しているものの、軍警、沿岸警備隊などがほとんど無力化されている、正に魔都と呼ぶに相応しい横浜においてそれがどれだけの力を発揮するのかは解らないが。

 

 闇市も徐々に物価が下がり、一般市民の生活も楽に成っているとはいえ……否、連合軍系列の各国軍閥が流入してそういう(・・・・)状況に成っているが故に裏では戦時中よりも危険になっている、というのは確かだった。

 

 

 

 広津の考えを読み取ったように、男は云った。

 

 

「此の孤児院の子供は、抑も黒社会で生きて行けるような性格では無い」

「白木が居ることは予想外だったかね?」

「ふん…………中途半端な冷酷さも又、身を亡ぼすことに為るだろうよ。部下の教育をしっかりしておくことだ」

 

 

 あれは既に己の手を離れ、自分で自らの道を選んだのだから。

 

 口には出さず、然し其んなことを男は内心で呟いて、「まぁ──何だ」と云った。

 

 

「又遭うことも有るだろうよ。宜しく頼む、御傍輩」

「あぁ──此方こそ」

 

 

 そう云い、広津は立ち上がって男の方へと近付き、互いに差し出した手を握り締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 **

 

 

 

 

 

 

 辺りが暗く為る前に帰って行った二人を、男が見送ることは無かった。

 

 此の場では無くとも、何時か又別の場所で、機会が有るならば遭えるだろうことを識っていたからだ。

 落ち着かなげに気にしている子供を目の前にしながらも尚、男は其の無表情を崩すことは無かった。

 

 

 

「朧」と──男は呼んだ。

 

 少女は弾かれたように男の方を注視して、「何ですか」と喉の奥から絞り出す様に云った。

 

 

「白木だけでない、貴様の姉や兄も又、横浜に居るやもしれぬ。遭いたいと思うか」

「何時までも此処に居ることが叶わないのなら……遭いたいと、そう思うことは、駄目なことですか?」

 

 

 少女の翠の瞳が、夕日の朱さに照らされて何時もとは違う艶めきを与えているのを見詰める。

 

 或いは暖色系の色だからか──その眼は、普段の凪いだ様相よりも、力強く輝いているようにも思えた。

 

 否、と男は首を振った。

 

 

 

「貴様が云うように、異能力者で在る以上、何事かに巻き込まれることは前提にある。白木と同じように、時期が来れば貴様は此の場所を出るのだろうが…………今の侭では無駄死にを晒すことになるぞ」

 

 

 寧ろ此の揺り籠からあの魔都へ赴き且つ生きていくのに時間があるのは幸運なことであったのだと、そう少女が思い識ることになるのは、未だ先の話だろう。

 

 

「────喜べ。貴様には、己から少なくとも最低限は武術を身につけさせてやる」

 

 

 少女は少し、虚を突かれたような顔をした。

 数瞬の戸惑いを見せたが……やがて頷いた。

 

 

「勘違いするなよ。己は貴様に選ぶ可き選択肢を僅か乍ら殖やす手伝いをするだけだ」

 

 

 ──其の道を歩むのは貴様自身であることを、努々(ゆめゆめ)忘れるな。

 

 

 私が異能力者だからですか、と尋ねた少女に、男はこうも云った。

 

 

 ──(そうだ)

 そしてその価値の利点と欠点を何れ識ることに成るのは必然的であるのだ。その、陽だまりの中だけでない世界に足を踏み入れざるを得ないということは。

 

 

 

 院長もそうだったのですか、と更に重ねられた問い掛けを…………男は、黙殺した。

 

 

 

 

 

 

 

 




今年の投稿、及び第一章はこれで終了。
お気に入り登録して下さった方、或いはこの作品を覗いてくださった皆さん、有り難うございました。
評価、感想(おとしだま)下さい(´・ω・`)



第ニ章の書き溜めは未だ全然なので、ここから登場人物紹介を入れた後は不定期になります。一応不定期更新のタグも付けてきました。
でも一ヶ月は空けないようにしたいです。





未だ武装探偵社、所謂表と裏のあわいにある機関がこの時は無く、それ故にどっち付かずの状態では居られない、という風に解釈しております。

異能特務課についても、不明な点ばかりなので独自設定を入れつつ若干ぼかした感じで。




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