分かたぬ衣と往く先は   作:白縫綾

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第八話 朧げなる境界にて

 

 

 

 兄が私たちに送ってくれた土産はかなりの量があった。

 既に子供たちの検分は済まされているように見受けられる。

 只、今は兄に群がっているためにか、ぽつんと取り残されるようにして置いてあった。

 

 私も又、それに近付く。

 興味が無いという訳ではなかった。

 

 

「案外多いんだね?」

「兄さんも、よくもまあこんなに買ってきたよなぁ……」

 

 

 弟と二人でそう云いながら、一つずつ並べられたのを手に取ってみる。

 一人で運んだとすると此処まで来るのも大変だったろう、と思わされる位の量であった。

 実際、あの何処と無く気品の感じられる上司に、兄が個人的な荷物を持たせる筈が無いのは、短い間でも理解していた。

 

 私は先ずその存在感を主張している毛布を触った。

 選んだのは今が寒い季節だからなのか。一枚きりだが、かなり分厚い物だ。小さな子供たち数人ならこれ一枚で十分凌げそうである。

 孤児院事情をよく解っているなと、当たり前のことながら感心した。

 

 弟がその横で眺めていたのは甘味だ。見れば、色とりどりの金平糖を瓶詰めにしたものが数個ある。

 食事だって今でも細々として繋いでいくだけなのに、これはかなり貴重なのでは無かろうか、と思ったのは正しいだろう。

 

 大体服装からして何故そんなに金回りが善いのか、逆に不安で問い質したくなってくるくらいだ。

 ……小さな弟妹の手前、間違ってもそんなことはしないが。

 

 他にも細々とした物品が在ったのだが、その中でふと、或る物を見つけた。

 

 

「後……此れは?」

「服だね」

 

 

 一人分の服は、流石に皺に成ることを子供たちも危惧したのか、あまり手を付けている様子見られない。 

 

 子供たちの中で埋もれている兄の方から、私たち二人の会話が聞こえていたのか、至福と云わんばかりの声音で「服だな!」というのが聞こえた。

 ……声だけは、拾っていたらしい。

 

 振り向けば、当の本人が緩んだ笑顔で子供たちを引き剥がし乍ら、起き上がるところだった。

 表情と動作が何となく噛み合っていないなあ、と、そんなことを思う。

 

 

「ほらちび共、俺は逃げないから少し大人しくしてな────っと」

 

 

 乱れた服装も直して、兄は「其れは朧のだよ」と云った。

 

 

「お前も一人立ちして街に行くことに為った時、その交織りじゃ厭だろ? 俺は厭だった」

「経験済み?」

「経験済み」

 

 

「まァ、世が世だから仕方無いんだがな」とつけ加えられて、私は手に取ってみたそれを見遣る…………どうやら、私の為の洋服であったらしい。

 何だか見慣れない感じであるが、質が善さそうだというのは一目でも判る。

 

 長袖で襟のついた黒の襯衣(ブラウス)に、どこかつるりとした手触りの黒下裾着(ズボン)

 真っ黒だ。何か、仕事用ですとでも云わんばかりの服だった。

 女性にもこんな恰好をした人が居るものなのだろうか。

 

 

「……高かったんじゃない?」

「まァ大体闇市頼りだからな……値は大分下がったから気にする程でも無いぞ? 少し前なら驚く位高かったんだが、連合諸国の流入やら取り入れられる品物の量の多さやらで、流通の面では問題無い位に為ったからな」

「へぇ…………」

 

 

 ……少し、ほっとした。

 

 

「姉さん、着てみたら?」

「今?」

 

 

「大きさの心配もあるからな。大丈夫だとは思うが」と云われて、私は素直にその場で、簡素な作りをしている服を脱いだ。

 薄い下着一枚に成ってから不意に見遣れば、兄と弟にさっと視線を逸らされた。

 

 そんな、未成熟の身体に何もそうする必要も無いのでは、と思う。

 胸なんて無きに等しいというのに。

 

 

「お前、女なンだからもう一寸(ちょっと)羞恥心ッてモンをだな」

「別に家族だし、今更だと思うんだけど……? 着てみたらって云ったの其方(そっち)じゃない」

「「普通着替えは声を掛けるものだ!」」

 

 

 声を揃えて云われ、私は一寸(ちょっと)肩を竦めた。

 

 然う云えば兄も弟も、いつの間にか一緒に風呂には入らなく成っていたのだ。

 小さい頃は一緒に入りもしたが、何時からか自然と男女に別れているし、風呂の間は絶対に近付くなとか厳命されたりもするし。

 

 態々近付く必要性も無いからする訳が無いのだけれども……この反応は、振り返ってみれば当たり前のことかもしれない。

 

 目の前の此の二人も何かしらあるのだろう。

 ……性格は全然と云って善い程なのに、妙に似通った言葉遣いや行動、思考回路をしているところは流石兄弟、と云う可きか。

 

 

「何だかなぁ……」

 

 

【異能】とか、それ以前に性別という面でも人が住み分けをしているのだと思うと、外の世界はもっと面倒な作りに成っている筈だ。

 

 私は別に面倒臭がりな気質では無いが、抵抗というものも何と無くはある。

 少なくとも家族なんだから、仕切りなんて無いに越したことは無いというのに。

 

 

「姉さんが無頓着なだけだからね」

「そうなの?」

 

 

 首を傾げるが、然し、それで無い自覚が沸き起こる訳が無い。

 

 此の僅かな抵抗すらも無頓着の内に入るのだろうか、然し弟が云うのならそうなのかもしれない──と内心で思いつつ、袖に手を通してみる。

 

 二人は相変わらず顔を背けていた。

 他の子供たちは何も気にせず遊んでいる。多少視線を感じるが、それだけだった。

 

 私は(ボタン)を留め、下裾着(ズボン)に足を通した。見下ろせば真っ黒である。

 

 

一寸(ちょっと)大きいかな……?」

「成長するから、それ位で善いンだよ。彼方(あっち)じゃ珍しくもないから、気にする必要も無い」

「真っ黒なのも?」

「それは気分だ」

「えぇ……」

 

 

 まあ似合ってるから善いじゃないか、という言葉に私は頷いた。

 

 

 ──大事にしようと思う。

 ──亡くしてはいけないと思う。

 ──ずっと(・・・)使えたらいいな、と願う。

 ──破れたりするようなことが有るのは厭なのだ。

 

 

「あ」

 

 

 その時、ざわり、と、私の()が蠢めいた。

 私の中を満たしているそれが、手に触れていた襯衣(ブラウス)へ向かい僅かに出ていったように感じた。

 

 勝手に……否、此れは、勝手にと云う可きなのだろうか。

 

 

「朧、如何かしたか?」

「…………何でも無いよ。此れ、凄く善さそうな物だから大事にしたいなって」

「そう云ってくれたなら、あげた(かい)が有るッてモンだ! ……あ、弟。お前はもう少し大きく成ったらだからな?」

「兄さん、そんな事位判ってるって……」

「ふふふ、そんな事云って実は拗ねてるんだろ? 愛い奴め!」

「ちょ、兄さ……ああもうちび共も乗じて群がってくるなぁ!」

 

 

 私は一寸笑ってからその様子を眺めた。

 

 機を窺っていたらしい弟妹たちが突進していき、兄共々悲鳴を上げている。…………昔は気付かなかったが、一人増えるだけで此んなに違うものらしい。

 或いは久しぶりにやって来たからで、此の光景も、もしかしたら暫く居れば元に戻ってしまうのかもしれないが、今は関係無い話だろう。

 

 

 賑やかだなぁ、と思う。

 

 その輪に入らず、只少し離れた処から、それを眺めていた。

 脱いだ交織りの服は足元に落ちていて、そこから取り上げれば未だ仄かに熱を持っていた。

 私はそれを丁寧に畳みなおした。どうせ直ぐに着替え直すというのに。

 そうしたところで何かが変わる訳では無いことは、知っていた。

 

 不意に子供が一人、輪から飛び出して此方へと駆けてくる。

 

 

「織姉、来ないのー?」

「ん……姉さん、此れを衣紋掛け(ハンガー)に掛けて来ようかなって。兄さんに云っておいてくれる?」

「解ったー!」

 

 

 たた、と又直ぐに小走りで私の元から離れ往く子供を、私は見届けることなく静かに部屋を出た。

 後ろ手に扉を閉めて歩き出す。

 

 途中でふと頭に手をやって指で少しだけ髪をくしけずれば、僅かな絡まりを発見する。後でいいかと放置して結局直ぐに手を離した。

 

 

 もう、驚かなかった。

 

 私の内に宿る異能(こいつ)は、私がそれを望めば多分、十全にその持つ効果を発揮してくれる筈だ。

 何だか対象には出来るものと出来ないものがある様だと云うのも判った。多分、時間制限もあるのだろう。

 

 まあ、目覚めたばかりの力をそう簡単に扱えるとも思っていないけれど、それなりに意識すれば制御も出来るようになると思う。

 その点で云うなら、案外私と異能(こいつ)は気が合うのかもしれないな、と思った。

 

 勿論異能は私自身でもある故にそういう問題でも無いし、抑も私の異能が意思を持っている訳では無い。

 

 只……、此れが『そのようにしてある』ことを、疑問に思いこそすれ拒絶しないという点で、相性は善いのかもしれなかった。

 

 

「…………うん、そっか」

 

 

 私は自分のことが何と無く識れて、同時に、一寸(ちょっと)だけ世界が優しく無いことも理解した。

 

 生きている以上至極当然の事だ。

 私もそんなことは以前から識っていて、それを再確認出来ただけだけの話である。

 結果としては未だ何も変わりはしていない。

 

 でもきっと、今はそれだけでも善いのかな、とも思った。

 

 

 

 

 物置から空きの衣紋掛け(ハンガー)を見付けだして、直ぐに脱ぐ事に成った服を丁寧に掛ける。

 元の交織りを着込めば、元通りとはいかなくとも何時もの私が出来上がる。

 

 兄たちの居る部屋に直ぐに戻る気にも成れず、そのままの足で広間へ向かう。

 ……誰も居ない場所で静かに一人、居たかった。

 

 

 

 広間に入り、玄関を見遣れば弟は子供たちを急かしたのか、よく見れば慌てて入った様に、靴は普段以上に乱れていた。

 その脇に兄と、そして恐らくはその上司の靴が揃えられている。

 

 私は屈んでそれらを見れる程度に揃えるとそのまま、何とは無しに頬杖つく。

 視界の端には本棚が変わらずそびえ立っていて、私はそれを認めてから目を閉じた。

 

 

 ──記憶は無くとも、何だか(わたし)の前の私はより身近に為って、私は彼女と、彼女により齎された異能のことを確実に理解し始めていた。

 

 

 確証なんて無いけれど、異能が一個人につき一能力、と云われるのはきっと……意識的であれ無意識的であれ、個人が抱えてきた『何か』があるからだ。

 

 一人ひとりが寸分違わず人生という道を同じ様に歩むことは決して無く、仮にそう歩んだとして、それをどう受け取るかは各人次第。

 

 普通の人から最早逸脱してしまったけれど、私がそう成るに至る何かが、此の緩やかにも思える代わり映えの無い毎日の連続の中に在ったのだろう──嗚呼、確かにそうだ。

 

「凡ゆる終わりを恐れろよ」と、彼の者は云った。

 そして何より、云われずとも、そう思ってしまうのが私であった。

 

 

 何てことは無い、私の願望(おもい)が僅か乍らに反映された、そして同時にそれは、嘗ての彼女(わたし)と同一の思いであったやもしれない。

 それは…………私にとってそんな異能だった。

 只――私には異能(じぶん)を拒絶する積りは毛頭無いけれど──その異能こそがある意味で、私の日常に終わりという終止符を打ったということは、何とも皮肉な話である。

 

 

 

 

 目を開く。

 そうすれば、変わらぬ景色が何時ものように広がっている。

 

 考え込んだのは一瞬か、はたまた数分はそのままだったのか。

 他人からすれば深く考える必要も無い事柄かもしれないが、数分そうしていたとして、然し私にとってはそうするのに値する程度には重要な話だった。

 

 

「どうせなら、最初から発現してれば善かったのに」

 

 

 立ち上がって本棚に歩み寄る。

 並んでいる幾つもの本の背表紙を指でなぞり上げ乍らその力が発揮されているのを感じ取る。……今やってみた限り、能力が行使されている最中か否か、触れればそんなことも把握出来るらしい。

 

 何だか無駄に便利な異能だ。

 多分こうしていれば、子供たちが本の頁を破るなんて心配をしなくても済むのだろう。

 折檻を恐れる子も気軽に本を手に取ることが出来る。

 

 宝の持ち腐れを解消出来るのだと思えば、多少なれど気分も晴れた。

 

 

「……………………」

 

 

 

 

 

 ──……だから、と云うのも変なのだが、意図的に異能を行使したのが初めてのこともあって、私は集中していたのだろう。

 

 少なくとも、誰も来ないだろう時間を越えてしまう位には。

 その場にある本全てをやり終える頃に、漸く人の気配を感じ取ったのは、誤算という他無かったのだ。

 

 

 

 

 

 それ(・・)に漸く気付いた私は振り返って──その人と見つめ合った。

 彼も此方を見ていて、お互いの視線が絡みあった。

 

 暫くの間、私と彼は、何も云わなかった。

 

 

「朧、と云ったかね」

 

 

 口火を切ったのは、相手の方だ。

 落ち着いた口調に、此方を探るような瞳が、黒々として此方を見据えて居た。

 

 ……事前に知らされる何もが無い時に出くわすと、思った以上に人は動揺するものらしい。

 私の身体は僅かに強張り、喉には何か絡まったかのようだった。

 彼にも、院長とは又別の種の『大人』という……云わば上位者であることをまざまざと感じさせる何かがあった。

 

 そのせいか、私の出した最初の一声は、少し掠れていたようにも思う。

 

 

「兄は詳しく教えてくれませんでしたけど、院長とのお話は終わったのですか」

「『交渉』は思いの外上手くいったものでね。多少運が善かったというのもあるし、ある意味君のお蔭なのだろうが──まあ、君には未だ(・・)関係無い話か」

 

 

 そんな意味深な言葉と共に、「そんなに固くならずとも善い」と付け加えるように云われて、私ははっとして謝り少しだけ肩の力を抜いた。

 

 お互い立ったままというのも居心地が悪かったからか、自然と本棚を背に、間を空け並んで座り込む形になる。

 座ることで僅かに立ち上り風に舞った塵が、陽光に照らされて煌めくのを眺める。

 そうし乍ら私は、取り敢えず、又別の事について謝ることから始めなければならなかった。

 

 

「──先刻(さっき)は、小父(おじ)さまへ異能を発動させてすみませんでした」

「…………ああ、あれかね」

 

 

「矢張り、あの感覚が『異能への干渉』とやらだったのか」彼はふと思い出したような然り気無い仕草で得心したようにふ、と息をついた。

 一拍おいてから「白木には識らせたのかね」と尋ねてくる。

 

 当然の疑問かもしれない。

 勿論私は、首を振った。

 何時かはばれるだろうと、そんなことは解っていたけれど。

 

 首を横に振りつつ──私はといえば、思ったより淡泊な対応で何だか虚を衝かれたような面持ちであった。

 もっと何か、別のことを云われると思っていた。

 

 

「詳細を、聞かないのですか」

「推測なら未だしも、異能力の詮索は異能力者(われわれ)にとって余程気心の識れた同胞(はらから)で無い限り、礼儀に反するのでね」

 

 

 私は、曖昧に頷いた。

 どうやら、そういうものであるらしい。

 

「所謂自己責任、という奴だ」と男は云った。

 

 

「故意であろうと無かろうと、君が謝る必要は無い。結果が全て、それこそが事実なのだから。勿論気をつけるに越したことは無いのだが……異能力、異能力者とは、望む望まざるに関わらずそういう(・・・・)世界へ、そんな考えが当たり前な世界へ足を踏み入れてしまうものだ」

「…………」

「であるならば、若しも攻撃的な異能力を君が持っていたとして、私が此処に居ない様な事と成るとしてもそれは、君の責では無い」

 

 

 そうで無いから此うしているのだと、暗に示すようにそう云った。

 

 

「能力を発現させる状況からも示されていることだ。真逆“精神操作"系の異能力者でもあるまい?」

 

 

 抑も異能力に系統があることも識らないのだから、私は返事のしようが無かった。

 本当に、『何でもあり』な力らしい。

 

 

「──私は、」

 

 

 異能力を振るえば(いず)れ訪れるものに今は未だ(・・・・)、恐れは無い。……私は無知だから、それ故に。

 

 けれどもそんな私でも、男の云う世界とやらが、普通の人なら一生関わることのない出来事を多分に含んでいるのは容易に想像出来た。

 同時に此の会話そのものが、私などが踏み入れてしまえば二度と這い上がれない領域への切っ掛けであるということも。

 

 

 だって、そうで無ければ彼が、(まる)で見てきたかのような口調で話せたりしないだろう。

 

 

「──私は、如何なるでしょうか」

 

 

 尋ねた訳では無かったけれど、漏れた声に「それは君が選ぶ事だ」と返事が返ってきた。

 

 

「彼──君の云う『院長』の様に生きるも善し、或いは私の様に成るのも善し」

「小父さまも、選んだのですね」

「無論そうだとも」

「…………私よりも小さな子供が異能力で以て小父さまを亡き者にしようとすることも、異能力ならば普通にあることなのですか」

 

 

 彼が無感情に頷いたのを見詰めて──兄が危険な世界に足を踏み入れたのだと、理解した。

 

 兄の職種を聞く機会が無かったけれど、本人から直接聞かなくて善かったのだろう、と何となく思った。

 居るか居ないかと云われるような異能力者を上司に持ち、その力を用いることも有り得る仕事というのは──或いは兄は、敢えて話さなかったというのもあるのかもしれなかった。

 

 

 一瞬、沈黙が落ちる。

 

 彼は白の手袋に包まれた掌を握ったり開いたりし乍ら、「君の異能力の様なものは珍しいな」と呟いた。

 

 

「一日程で効力は切れるらしいと聞いたが……今迄に無い感触(もの)だ」

「…………そうなのですか?」

「ああ、君は異能力を発現させた(ばか)り故、未だ自身で把握仕切れていないのか」

 

 

 私は、目を瞬かせた。私が彼以外に異能を施した人物は、他に一人しか居なかった。

 あの一見、というか──見るからに近寄り難い雰囲気を醸し出している壮年が私のことについて話をしていたということが抑も驚く可きことだが……矢張り、と云う可きなのか。

 

 私が信じられないようなことは、未だ世界に沢山溢れているらしい。

 まあ、院長が本以外のことを気に掛けたのも単に私が異能力者であり、一度は己に行使された異能についてのことだからだろう。

 

 後は多分、気紛れとか、そんな感じだ。

 

 

「白木の云った通りだな」と彼は云う。

 

「君に我々の仕事が出来るとは思えない」と、口元だけ笑って見せた。

 

 

「…………?」

「異能は、その人の人となりを観ていれば判ることも多いのだよ。貴重な異能力者だ、少し位唾を付けておいても善いと思ったんだがね」

「何というか……小父さま、特殊な仕事をしていることを隠さなく為ってますね?」

 

 

 私は苦笑した。

 何だか、此の会話にも馴れてきていた。

 内容は私からすればかなり重いのだろうけれど、それも暫くすれば苦では無かった。

 

 彼が単眼鏡(モノクル)を弄り始め乍ら、口を開く。

 

 

「あれは──白木は話さないだろう。成る程懸命だ……と云いたいところだが、君が異能力者なら話は別だ。何れ当たり前のことに成るとも」

 

 

 それは、果たして院長にとっても当たり前のことであったのだろうかと、そう思いつつ、話を聞いていた。

 意図せずして兄の願いに背いてしまったことを、少し申し訳なく思った。

 

 

「君の『院長』が後で話すことに成るだろう。そして聞いてから、選び給え──君には、未だ時間が有るのだから、その時迄に決めれば善い」

 

 

 果たして私の往く末を、私は識らない。

 

 然し、そこへ至る迄に少なからず出会える人が居るというのは、きっと幸せなことだった。

 

 

「…………私は、恵まれて居るのでしょうね」

 

 

 言外の感謝に広津は、「敵では無いのだ、先進が未だ幼い娘に少々口を滑らせても罪には成るまい?」と茶目っ気を含ませて笑った。

 

 私もその返しに一寸笑い、髪を撫でつけた。

 

 毛先に作った絡まりを丁寧に解き乍ら、僅かな沈黙の中で考えた。

 

 

 ──私は此の時、真に人生を歩みだしたのかもしれなかった。

 

 

 

 

 別に、安穏とした日々を否定する訳ではない。

 寧ろ私はそれを望んでいたのだから。

 

 ……然し、その望みの末に発現したのが此の異能であり、嘗ての私が生を終え再びこうして生き始めたことは、此の鼓動こそが証左であるのだと、そう云われているようにも思えている。

 

 さながら彼女が記した、未完(終らぬ)ものである物語のように、私は生き続ければ善い。

 先ずはそこから始めて、然し何れ至るだろう終わりは……まあ、その時に成れば判るだろう。

 出来れば今の、家族と在るような日常を過ごせていれば善いな、と思うのだが。

 

 

 

 踏ん切りがついた、とまでは云わないが、一歩前へ進めたような気がした。

 

 私は窓の外を眺め、日が昼頃を指しているのを眺め乍ら、子供たちは昼寝をしているのだろうな、とそんなことを思い付いたように考えた。

 

 腕を伸ばせば、妙に寒さが身に染みるようだった。

 

 私は目を閉じて…………きりきりとした冷たさを訳も無く吸い込んで、何だか笑みが溢れた。

 

 

 

 

 

 

 

 




朧視点は一旦終了して、次話が第一章最終話になります。



ナチュラルに広津さんを小父(おじ)さまと呼ばせるのは完全に作者の趣味。

※※
正直なところ、探偵社は一般人を脱した人ばかりなので、普通の何も知らない子供がいざそんな局面に遭ったならこんな感じなのかなあ、という妄想。
漸くスタートラインに立った感じです。




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