アークライトと魔法の剣 無許可の異世界憑依は犯罪です 作:よもぎだんご
「恋人との逢瀬を楽しかったかい、アーク」
「恋人でも逢瀬でもない。人狼のしつけだ。しつけはその場でやらんと覚えんだろう」
ドクの作業の頃合いを見て、ミアとの会話を打ち切って戻ってきた俺を、ドクのからかいが迎えた。ミアは傭兵団の一員であり、彼女の非行を正す義務が、団長にして師匠である俺にはある。だが、仕事中だったのは確かなので、その皮肉は甘んじて受け入れた。
何が琴線に触れたのか犬耳をそばだてたミアを、未だ気絶したままの彼女の相方の狼に向かわせて、俺はドクに進捗状況を尋ねた。
「で、どうだ」
「ふむ、あんたの取ってきた記憶の霊水のおかげである程度は情報の裏付けが取れたが、逆に言えば収穫はその程度だ。本体は完全に消滅している。この世にも冥界にもいないから、呼び出すことすら出来ない」
弾いていた竪琴を置いて、お手上げだというように両手を上げるドク。彼の周囲の妖精たちがもっともっとと曲をねだるが、ドクにそれに応える気はないようだ。
「ふむ、そうか。徒労だったな」
「主に君の霊剣のせいなんだがね」
こっちをじろっと半目で見るドク。睨むな、睨むな、これもあんたの仕事の内だ。
「なら脳を破裂させる呪いの方はどうだ」
あの凶悪な呪いは放置していると周囲を汚染して、森の一角に脳髄破裂ゾーンを形成しかねなかったので、スレナに殆ど浄化してもらった。だが、未だその残り香のようなものが漂っている。まあ、霊感が鋭ければ気分が悪くなるかもしれない程度なので、ほっておいても森に浄化されて消えるだろう。
「ああ、そいつについては興味深い結果が出たぞ」
「教えてくれ」
「あんたとスレナの推察通り、あの呪いは生き物の脳みそを破裂させて殺し、被害者の魂を閉じ込め、それを糧に成長する胸糞悪い最低の呪いだ」
汚らわしいと吐き捨てるドク。
「やはりそうか。あの野郎……」
やはり滅ぼしてしまって正解だったようだ。
「あんな呪いを無差別に振り撒かれたら都市の一つや二つ滅んでいたかもしれん。あんたら兄妹の仕事は大抵荒っぽいが、あいつを消しとばしてくれたのは吉事だな」
「それって褒めてるのか」
この男がこんなに素直に褒めるなんて滅多にない。意外に思ってドクを見ると、彼は肩をすくめて両手を上げた。
「お好きに取ってくれ。さて、そうするとますます分からないことがある。俺もあの悪霊の記憶を見たが……随分発展した都市で暮らしていたようだが、あの霊の一生はごく平凡なものだった。あんな強力な呪いを振り撒ける力や怨念があるとは考えられない」
どうやら老練な妖精博士の見地から見ても、答えは同じようだった。
「ああ、あんなものそこらの平凡な男が持てる代物じゃない」
あれはそれこそ気の触れた呪術師や闇魔法使い、あるいは悪魔や魔獣のようなのが使うような代物だと思う。断じて常人が持っていていいものじゃない。
「たとえ何かの拍子に手に入れたとしても、知識を持っているだけで精神が汚染されて、あっという間に廃人一直線だ」
「まあ、あの霊が最後まで正気を保っていたかと聞かれると正直疑わしい」
「確かにな。霊がキメラ化していたそうだし、時間の問題だったのかもしれない。しかし最大の問題はそこではない」
「ああ、問題は……」
俺たちがひそひそと話し込んでいると、ひょいっとミアが顔を見せた。
「ねえ、難しい話は終わったー?」
「いや終わってないが……まあいい。残りは家に帰ってからみんなの前で話そう。ミアもドクもそれでいいか」
「ああ。どうせ、すぐ終わる話でもない」
「わたしもそれでいいよ」
俺たちは荷物をまとめ未だ目を覚まさないミアの相方を担いで、帰路に就いた。
「異世界から来た幽霊!?」
「ああ、それが俺とドクの出した結論だ」
母さんと一緒にリンゴを剝いていたスレナが素っ頓狂な声を上げ、俺が重々しく頷く。
「異世界とは……なんだか分かってるか、ミア」
説明すると見せかけて不意打ちでミアに質問をぶつけてみる。傭兵には強さだけでなく、頭の方も重要だというのが俺の持論だ。人狼はどっちかというと脳筋気味な種族だが、ミアは半年前に教えたことをきちんと復習していただろうか。
「えーと……冥界や妖精郷みたいな、私たちの世界とは違う法則の働く別世界のことだよね」
「そうだ。この半年間、剣術以外の勉強もさぼっていなかったようだな。偉いぞ」
「えへへ」
俺がミアの成長を確認していると、さっきようやく起きたミアの相方であり、華奢な人狼の女の子ポルポルが手を上げた。
「違う法則が働くってどういうことですか」
「そうだな……」
ポルポルは人狼にしては控え目な子だ。彼女が食べ物以外で自分から質問するのは珍しいので、出来れば答えてあげたい。さっき思いっきりぶん殴ってしまった負い目も少しある。
とはいえ彼女は魔術師ではない。その手の知識もないので、専門用語を使わずになんて説明したものか……
そんなことを考えていると、スレナが剝き終わったリンゴを皿に乗せて、テーブルの上に置いた。彼女にお礼を言って、早速つまんでいる弟子とポルポルを見て……そうだ。
「例えばお前たちが食べているリンゴだ。お前たちはそれを食べても特にどこかに行けなくなるとか、どこかから出られなくなるみたいなことはないよな」
「ええ」
「当然、だよね」
困惑した顔を見合わせる2人。いや、妹もいれて3人か。
「冥界では冥界産の食べ物を食べると、冥界から他の世界に移動できなくなる。魂と肉体を冥界に固定されてしまうんだ。一方アスターテ大陸産の食い物はいくら食っても飲んでも世界間の移動に制限がかかることはない」
ほへえー、と感心する3人娘。って、おい。この辺はスレナとミアには母さんと俺で前回教えただろうが。
洗い物を終えて席についた母さんもスレナを厳しい目で見ている。
「反対に 妖精郷や幽世では誰でも行きたい所を念じるだけで瞬時に移動できるけど、アスターテ大陸ではそんなことは転移魔術の使い手にしか出来ないの。このあたりは7日前に教えたはずよね、スレナ」
「うう、はい」
母さんのやんわりとしたお叱りの言葉に椅子の上でスレナが小さくなっている。おい、呑気に妹の肩を叩いて慰めているそこの弟子、お前も魔法剣士に必要最低限の知識を忘れている時点で同罪だからな。後で楽しい補習授業だ。
母さん、メレアはいなくなった親父の再婚相手であり、スレナの実の母親だ。見た目は大きくなったスレナという風情で、豊かな栗色の髪と優し気な目をした20代の美女だが、優れた魔術や魔法を使う者は年齢不詳になりやすい。実際は……おっと母さんが笑顔でこっちを見ている。さすが魔女、素晴らしい勘の冴えだ。
彼女はこの森をホームグラウンドにする魔女であり、スレナの師匠でもある。口伝で知識を伝える魔女たちの修行は下手な剣術道場よりも厳しい。その分空を飛んだり、未来を予知したり、と出来るようになることも多いし、楽しいこともたくさんあるらしいが。
そして母さんは家族を、血の繋がっていない俺さえも、力いっぱい愛してくれていて、とても優しい。だが努力を怠る者に対しては、それが自分でも義理の息子でも実の娘でも実に厳しい。スレナは確実に楽しい楽しい補習授業だろう。
「そういった具合にその世界にはその世界特有のルールがある。分かってくれたか」
「はい、ありがとうございます」
丁寧に頭を下げるポルポル。薄紫の長く綺麗な髪がさらりと揺れる。
「よし、それでは話を戻そう。今回俺に乗り移ろうとした悪霊は異世界の幽霊だ。しかも異世界は異世界でも、妖精郷でも冥界でも、今まで知られているどの世界でもない未知の世界から来た奴だ」
「未知の異世界……」
これを聞いてどう思うかは人それぞれだ。まだ見ぬ世界にワクワクするミア、実物を見たせいか不安そうにするスレナ、あまり実感が湧かないのか表情が変わらないポルポル、深刻そうな顔をする魔女の母さん。ちなみに俺はミアと母さんを足して2で割ったところだ。新たな世界の発見に浪漫を感じ、同時に事態の深刻さに顔をしかめている。
「それは本当なの? お兄ちゃん」
「これについては俺もドクも母さんも魔導書をひっくり返し、物知りな妖精や精霊や幽霊に聞いて回り、議論し尽くした末の結論だ。絶対正しいとは言えないが、ほぼ間違いないだろう」
母さんがハーブティーを入れてくれたので、礼を言って受け取り、一口飲む。熱さと柑橘系の香りが、程よい刺激となって喉と舌を湿らし、心を潤す。
「さて、だ。新たな異世界が見つかったというのは、百歩譲ってまあいい。学会も教会もハチの巣をつついた様な大騒ぎになるだろうが、大したことじゃない」
俺はティーカップを置いた。
「ここからが問題なんだ」
そこまで言った時、ドクが記憶の霊水を持って会議室に入ってきた。手にはドクが母さんから借りたっきり行方不明にしていた魔女の水晶玉を持っている。
「投影用の水晶玉が見つかったようだな」
「お嬢さま方、待たせてすまんね。メレア、長い間借りてしまってすまなかった。謹んでお返しする」
「ドクは炊事洗濯魔術に妖術と何でも出来るが、掃除と整理整頓だけは苦手な男なんだ。許してやってくれ」
ドクは友人だし、母さんは優しいから大丈夫だと思うのだが、一応弁護しておく。
「いえ、構いませんよ。予備はありますし、妖精さんが悪戯好きなのは今に始まったことではないですから」
案の定、母さんは笑って許してくれた。実際ドクの周りで物がなくなるのは、かまってちゃんな妖精か、人の物を借りて暮らしている小人たちのせいだろう。
「ありがとう、メレア。あとアーク、アップルパイ一つまともに焼けないお前さんに言われることじゃない」
「パイだけは苦手なんだ。肉なら任せてくれ」
その肉に最適な火加減と食べる人の好みな火加減のせめぎ合いを見極めて、おいしい焼肉を作るのは結構得意だ。
ドクと軽口を叩き合いながら、母さんとスレナにも手伝ってもらって、霊魂の記憶の一部を空中に投影する準備をする。
記憶の持ち主に一番近い俺が、異世界の記憶が溶け込んだスープを専用の水盆に移し、魔女の水晶玉をそっと入れる。水晶玉は当然その重さから水底に沈んでいく。あの水底に水晶玉が付いたら儀式は失敗だ。
俺はかざした手から霊力を放射して水晶玉を受け止める。
「っく」
歴代の魔女が使ってきた水晶玉はこびりついた力のせいで異様に重く感じたが、ドクがハープを奏で始め、母さんとスレナがそれに合わせて呪文を唄うと、少しずつ軽くなっていく。魔術が掛かった合図だ。
他者の記憶の投影というのはかなり高度な魔術に当たる。だが、ここにいるのは俺の知る限りトップクラスの妖精博士と魔女だ。俺とスレナは魔法使いとしてはまだ半人前だが、足をひっぱるような半端な訓練はしていないつもりだ。
子守唄のような優しい呪歌によって、魔女の水晶玉がじれったい程ゆっくりと浮上していく。水晶玉を支え、持ち上げる術に没頭する俺たち、息をのんで見守るミアとポルポル。
そして今、ついに、水晶玉が完全に上がり切り、柔らかな光のカーテンを空中に作り出した。
しかし、そこに移る記憶は薄く、ぼんやりとしていてよく見えない。まさか……失敗か?
「明かり!」
そうか、明かりだ。周りが明るすぎるんだ。
ミアは叫ぶが早いか、ポルポルと連携して、素早くカーテンを閉じる。
窓から入ってきていた冷たい月明かりが遮られ、部屋は暗闇に閉ざされて、記憶のカーテンはやっと真の姿を現した。