タンク道、始めます   作:いぶりがっこ

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後書きです
七年後、十勝平野にて


 

 AM7:45

 

 新千歳空港の慌ただしい空気に気圧されながら、僕は一人、見慣れぬ国内線ターミナルを掲示板頼りに歩いていた。

 性に合わないとまでは言わないが、慣れない飛行機移動に加えこの人波である。

 普段の自堕落な暮らしとギャップと相まって、久方ぶりに札幌の地を踏み締めたこの時点で、すっかりくたびれてしまっていた。

 

 とは言え、今回の北海道行の目的を思い出せば、幾分気力も湧いてくる。

 なにせ、身なり正しいスーツの群れの中、こちらは一人、ずぼらがお洒落らしきものを試みた程度のジャケット姿である。

 手荷物も気楽なボストンバッグ一つきり。

 次回作の予定も当面ないので、愛用のノートPCも今回は自宅でお留守番だ。

 道中の写真や取材メモもスマホ一つで済ませようかと、心はもう完全に春休み気分であった。

 

 人生二度目の北海道旅行。

 四年前に訪れたのも、丁度今回のような春先であった。

 あの時は『タンク道、始めます』のコミカライズを終えた直後で、オリジナルで一本新作を書かせてくれると言う編集部からのオファーを受け、作画担当のジャイ豪松ケンジ先生を伴い取材旅行に訪れたのだった。

 もっとも実体は単なるリフレッシュ休暇で、一仕事終えた僕らに対する編集長の粋な計らいだったと言える。

 その時は二人、大人の金で散山豪遊したものだったが、その後、満を持して送り出した次作、

『ボリノーク・サマーン神威』は、アイヌの伝統文化に誤解を与えると言う関連団体からのクレームを受け、わずか六話で打ち切られるハメとなってしまった。

 後年『ゴッドガンダム・ファーザー』の大ヒットで同紙の看板作家に上り詰めたケンジ先生に対し、原作者として何の役にも立てなかった申し訳なさでいっぱいである。

 

 柄にもなく感傷に浸っている内に、いつしか空港の入口まで辿り着いていた。

 とは言え、だだっ広い北海道の玄関口の事。

 無事に待ち人と合流できたものか、いや、そもそも彼女が先に到着しているのかも疑わしい。

 とりあえずは一度、こちらから電話を入れてみるべきであろう。

 

「おお~いっ! おっちゃ~ん!」

「げっ」

 

 と、思ったら、向こうから来た。

 周りを気にも留めない大きな声に、僕は恥かしさ半分で振り向いた。

 小走りで人波を掻き分ける内に、やがてぶんぶんと大きく手を振る彼女の姿が見えて来る。

 

 やや大きめのジーンズに、いかにも突っかけて来たかのような安物の白のスニーカー。

 上は春らしい薄桃色の薄手のセーター。

 寝起きのボサボサを力づくで纏め上げた、明るい亜麻色のおさげ髪。

 相変わらず化粧っ気の無い素朴な顔に、好奇心旺盛な猫目がぱちくりと瞬く。

 

「久しぶり、おっちゃん、元気してた?

 相変っわらず冴えないカッコしてんなぁ~」

 

「はは、そいつはお互い様だって、ミカ」

 

 開口一番に()()()()な挨拶を受け、おかげでこちらも肩肘を張らず軽口を返せた。

 始めに出会った頃より幾分背が伸び、トレードマークの三つ編みも一本減ってはいたが、それでも彼女の瞳は女学生の頃の名残を残しており、思わず僕は、ふっと時間が巻戻ったかのような錯覚を憶えた。

 

 マユヅキ・ミカ、22歳。

 天真爛漫な十勝の太陽が、あの頃と何ら変わらぬ笑顔で目の前にいた。

 

 

 新千歳空港を出ると、ロータリーは既に動き始めた朝の空気に溢れ返っていた。

 北国の風に少しばかりの肌寒さを覚えたものの、幸い空はこの上ない日本晴れである。

「日中になれば気温も上がるよ」と地元のミカも太鼓判を押してくれた。

 春先の北海道の気候を読み切れず、一か八か上着を持って来なかった自分であるが、どうやら今日は天候が味方してくれたようだ。

 

「あれ、どこ行くんだミカ?

 今日は車で来てるんじゃないのか?」

 

 ロータリーに背を向けさっさと先に言ってしまうミカに対し、ふと疑問を口にした。

 振り向きざま、さも当然とばかりにミカが答える。

 

「ほら、さすがに正面にユニックを止めるワケにはいかないでしょ?

 二人とも、この先の駐車場で待ってるよ」

 

()()()()?」

 

「例のヤツ、会場まで運ばないとテストにならないじゃん」

 

「えっ!?

 アレ、お前が車で運ぶのか? ここから十勝まで……?」

 

「うん、そだよ。

 流石にバトルシステムの調整は向うのラボ任せだけどね」

 

 あっけらかんと言い放つ女を前に、自然、呆れたような溜息がこぼれる。

 なんで農家が大型の搬送車を乗り回せるんだよ、と素人ならばツッコむ所かもしれないが、なにせここは試される大地・北海道である。

 調子の悪い耕運機を工場に運んだり、酪農用のタンクを融通しあったり、その時々に動ける人間が集落ごとに居るものだ。

 マユヅキ家のお嬢さんがその役目と言うのも大胆な話ではあるが、確かに彼女の運転ならば、下手な運送業者よりよっぽど安心である。

 しかし、いかに研究助手の友人とは言え、一介の農家に長年の成果を預けてしまうのか、と。

『アーリィ・ジーニアス』ヤジマ・ニルスの大胆さに、僕は内心で舌を巻いた。

 

 郊外の大型駐車場に辿り着くと、成程、一際目を引く大型ユニックの前で、二人の少女、いや、もう成人を過ぎた若い女性が二人、こちらに向けて軽く手を上げて見せた。

 

「こんにちわ、お久しぶりです記者さ……、あ!

 ごめんなさい、つい昔の癖が出ちゃって」

 

「構わないよ、馴染みのある方で呼んでくれれば。

 今さら『先生』なんて言われても、こっちの方が落ち着かなくて困る」

 

 恥ずかしげに口元を押さえたコバヤシ・ヒロミに対し、僕は謙遜交じりにそう答えた。

 事実『記者さん』と言う響きの中には、遠い青春時代の名残があるように感じられて、内心では少し嬉しかった。

 

「どうも、ご無沙汰しております、おじさま。

 見た所、その後おかわりもないようで安心いたしました」

 

「やあトモエさん、こちらこそ久しぶり。

 そっちは何だか随分と見違えちゃって、正直驚いたよ」

 

 懐かしいおっとりのんびりとした口調で、恭しく頭を下げて来たムサシマル・トモエに対し、苦笑しつつも挨拶を返す。

『おじさま』とはいかにも大仰な呼び方だが、元を正せば『おっちゃん』呼びのミカに合わせただけなので、特に彼女自身に悪意があるワケではない。

 最初の頃こそ、まだオジさん呼ばわりされる歳では無いと抗議を重ねてみたものの、最終的には僕自身、すっかりその扱いに馴染んでしまっていたものだ。

 そんな自分もいい加減三十路、時の流れの速さを感じずにはいられない。

 

「あら、見違えた、とは?

 私、どこかおかしな事でもありますか?」

 

「大人になったって事さ、トモエさんもヒロミさんも。

 なにせ最後に顔を合わせたのが、はま高の卒業式だからね。

 二人とも随分と別嬪さんになっちゃって、正直ビックリした」

 

「まっ、記者さんの方こそ、どこでそんなお世辞を憶えたのかしら?

 な~んか意外、似合わないなあ」

 

「お世辞じゃないって、緊張してるんだよ、これでも」

 

 呆れたようなジト目のヒロミに対し、軽く諸手を上げて降参の姿勢を示す。

 事実、成人を迎え、想像よりも大人の女性に成長していた彼女たちに対し、こうしておどけて見せている今も、僕は内心では大分動揺していた。

 

 改めて両者の姿を見直すと、今回の主役、コバヤシ・ヒロミは、さすが主賓に相応しい爽やかなスーツ姿でビシッ、と決めていた。

 痩せ形のスッキリとしたスタイルに、艶やかな黒のロング・ヘアーが冴える。

 典型的なガノタだった学生時代からは想像も着かない変貌であるが、こうして二、三、言葉を交わすと、彼女の愛嬌とでも言うべき垢抜けなさが顔を覗かせるのがなんとも面白い。

 

 一方のトモエは私服姿で、ゆったりとしたワンピースに明るい色のカーディガンと言う春らしい装いであった。

 女性らしいふっくらと丸みを帯びた体つきが、元より人当たりの良いのんびりとした性格に、シャア・アズナブルの理想像とも言うべき母性の片鱗を上乗せしている。

 現在はムサシマル建設関連の重機工場で事務員をしていると言う彼女であるが、これでは送り出したお父上の方も気が気ではあるまい。

 

「ねえ、おっちゃん、あたしはあたしは?」

 

 傍らにいたミカが、薄い胸を自慢げに張って話に喰い付いてきた。

 緊張が解け、知らずふっ、と安堵の吐息がこぼれる。

 

「変わってないよ、ミカは。

 学生の頃のイメージそのまんまで安心したよ」

 

「む~っ、何だよそれぇ? あたしばっかさぁ……」

 

「褒めてるんだよ、これでも。

 ミカまで美人さんになってたら、こっちもガチガチでマトモに話も出来ない所だった」

 

「ふんだ!」

 

 僕の必死の弁解も、どうやらミカには通じなかったらしい。

 たちまちハリセンボンのようにぷっくらと頬を膨らませ、そっぽを向いてしまった。 

 

 実際、皮肉でもからかうワケでもない率直な感想である。

 マユヅキ・ミカの変わらなさに、今の僕は救いとも言うべき懐かしさを感じている。

 年月が流れ、身長が伸び、髪型も少しばかり変わってはいたが、それでもミカは奇跡的に、無邪気な少女の瑞々しさをその内に留めている。

 初めて出会った頃と変わらない、気の置けない妹分。

 彼女の瞳の中には、あの日のタイムカプセルが詰まっているような気がして、何だか無性に羨ましかった。

 

 とは言え、その可愛い妹君は、今や完全にご機嫌ナナメとなってしまった。

 助け船を求めるように周りを見回してみたが、彼女たちもどうやらミカの味方らしく、目を合わせてもらえない。

 

 ああ、そうか。

 これが七年前に周りから散々指摘された「デリカシーが足りない」と言う部分であったのか。

 いかに妹のように近しいミカとは言え、彼女ももう立派な大人である。

 今さらながらに自身の至らなさを痛感する。

 

 ――と、

 

「……ん?」

 

 彷徨える視線が、不意にトモエさんの足元辺りで縫い止められた。

 乙女のスカートの裾をはっしと握り締め、まじまじとこちらを観察するちっぽけな女の子。

 年の方は三、四歳か?

 大福のようにふくふくとした愛らしい姿を前に、思わずぎょっ、と息を呑む。

 

「うん? おっちゃん、どうかした?」

 

「あ、いや、その子……」

 

「うん」

 

「ええっと、その、だ、誰の?」

 

「…………」

 

 思わず上ずってしまった僕の疑念の声に対し、三人はきょとん、と互いを見渡したが、やがて誰からともなくぷっと吹き出して笑い合った。

 

「ははは、ヒドいなあ記者さんも。

 私たち、そんな子持ちに見える?」

 

「いや、だけど……」

 

「違う違う、ほら、ウチの兄ちゃんの所の子供だよ。

 この間メールしたじゃんか?」

 

「ああ……、確か、マンタロウさん家の双子、だったっけ……?」

 

「そっちじゃないって。

 ハン兄ちゃんトコの三人目のテルヨちゃんだよ」

 

「そうか、いや、もう分からんわ、お前ん家は」

 

 少子化社会に逆行するマユヅキ家驚異の繁殖力に、思わず溜息がこぼれる。

 この分だと村一つが丸々マユヅキ家親戚一同となるのも、遠い未来の話ではないかもしれない。

 

「けどさミカ、冗談じゃなくて、そろそろ真剣に考えた方が良いんじゃないの?」

 

 テルヨちゃんの頭を軽く撫でながら、少しからかうような口調でヒロミが言った。

 

「うん、何の話?」

 

「高校の時はミカはさ。

 じゃかぽこ子供を産んでタンク道を教えるんだ、なんて言ってたじゃない?

 あれから七年も経ったって言うのに、まだ独身なんてさあ」

 

「へぇ~、へっへっへ。

 だけどあたし、順番的にはシン兄ちゃん家の第一子の方が先だと思うんだけどなー?

 ねえ、ヒロミ()()()()()()?」

 

「え? あっ!? ちょ、バ、バカッ!?」

 

 ミカの放った絶妙なカウンターに、たちまちヒロミ女史の顔面がぼっ、と燃え上がった。

 新進気鋭のキャリアウーマンが、一瞬で内気な女学生に戻ってしまった。

 

 はま高の卒業後、つくばガンプラセンターへと進学したヒロミが、ミカの兄のシンザブロウ氏と付き合い始めたと言うのは、以前ミカからの電話で聞いていた。

 ミカの情報では交際は順調との話だったが、シンザブロウ氏は粒子研究に燃えるヒロミの意志を尊重するあまり、中々プロポーズに踏み切れないでいるとも言っていた。

 今日の試験運転が成功すれば、その彼女の夢にも一段落着く事となる。

 ミカがヒロミを「お義姉ちゃん」と呼ぶのも、そう遠い未来ではないのだろう。

 

「もう!? は、早く出発しましょ!

 あんまりのんびりしてると、時間に間に合わなくなっちゃうよ」

 

 よっぽど恥ずかしかったのだろうか?

 ヒロミは赤面したままくるりと背を向け、さっさと車へと向かってしまった。

 

「おじさまは、どちらに同乗なさいますか?」

 

 傍らのトモエの言葉を受け、改めて二台の車両に目を向ける。

 向かって左側は大型ユニック車。

 その荷台にはブルーシートで覆われた、今回の発表の目玉を載せている。

 免許証の関係上、当然こちらはミカが運転する事となる。

 となれば、唯一の男手である僕は当然、右隣の軽車両の運転を申し出るべきなのだが……。

 

「気を使っていただかなくても大丈夫ですよ。

 ここから会場まで運転して行くのは、初心者の方には大変でしょうから」

 

「あ、ハイ、スイマセン、ありがとう」

 

 七歳年下のトモエさんに、思い切り気を遣われてしまった。

 正直、ホッ、と安堵の吐息が洩れた。

 トモエさん、本当に大人になったんだなあ……。

 

「それじゃあ僕は、ミカのユニックの方に乗せてもらおうかな?」

 

「えっ、こっち? 助手席だって窮屈なのに」

 

「そう言う窮屈な体験がさ、後々になって作品に生きる事もあるんだよ。

 こっから十勝まで一人じゃあ、ミカだってさすがに退屈だろ?」

 

「ふーん、まっ、いいけどね」

 

「それが宜しいですよ、お二人とも、積もるお話もあるでしょうし」

 

 僕の答えが最初から分かっていたのだろう。

 トモエさんは眠たがりのテルヨちゃんを抱き上げ、そうそうに軽自動車へと乗り込んだ。

 いい大人がつくづく気を遣わせてしまっている。

 

「よーし、そんじゃまっ、出発するよ!

 さあ乗った乗った」

 

「おうっ」

 

 威勢の良いミカの声に急かされるように、助手席の扉を開けタラップへと足を掛ける。

 

 四月某日、新千歳空港前、快晴。

 晴れやかな気持ちの中、僕たちはこうして北海道旅行のスタートを切った。

 

 

 

 彼女たち『大洗はまぐり高校タンク道部』との慣れ初めは、今から七年前にまで遡る。

 

 当時、三流出版社で胡散臭いゴシップなどを記事にして糊口を凌いでいた僕は、かつて第四回ガンプラバトル選手権・東日本大会を制した『タンクバタリアン』の元メンバーが、地元大洗でタンク道を復活させようとしていると言う噂を聞き付けた。

 

 当時から僕は、タンク道と言うコピーには、ある種の思い入れがあった。

 と言うのも、友人の付き合いで見に行った世界大会以来、僕はすっかり彼女たちのプレーに魅せられ、典型的なファンの一人となっていたのだ。

 タンク道復活と言う前情報が転がり込んで来たのも、その筋のタンク乗り仲間に個人的なツテがあればこそであった。

 

 世間から忘れ去られた、タンク道と言う古い偶像。

 黄金の匂いを嗅いだ気がした。

 

 未だ大物作家の手垢が付いていないジャンルの先鞭を担う事で、うだつの上がらない今の暮らしを変えられるかもしれないと言う、浅ましい気持ちも確かにあった。

 その一方で、ようやく十年の凍結から動き出し始めたタンク道を自分なりに応援したいと言う、ファンボーイらしい青臭い感情も燻っていた。

 とにかく当時の僕は、矢も盾も堪らずはま高への突撃取材に乗り込んだワケだ。

 今にして思えば、我が事ながら恐ろしいばかりの行動力である。

 

 そんないかがわしい三流出版社からの取材申し込みに対し、タンク道部顧問のカトリ・ランコは当初、難色を示した。

 いかに共学の普通高校とは言え、タンク道は女性の嗜み。

 立ち上げたばかりの部員6名も女の子ばかりである。

 そこに胡散臭い男が一人取材に入るなど、少女たちの保護者である彼女も警戒しようものだ。

 ましてや密着取材ともなれば、その活動に色々と支障が出る事も想像に容易い。

 むしろ何のコネもなく、徒手空拳で乗り込んだ当時の自分を思い切りブン殴ってやりたい。

 

 ともあれ、そんな進退窮まった僕に対し救いの手を差し伸べてくれたのが、天真爛漫、お気楽なタンク道部員のマユヅキ・ミカだったと言うワケだ。

 

 好奇心旺盛な十勝の太陽は、現実に出版のアテもない僕の企画に全力で賛同し、カトリ先生に対しても積極的に働きかけてくれた。

 男兄弟に囲まれて育ったと言う環境の為せる業か。

 十年もの年齢の開きがあるにも関わらず、とにかく彼女とはウマがあった。

 はま高の密着取材の中で、年の離れた女の子たち相手に孤立せずに済んだのは、物怖じしない彼女の存在による所が大きい。

 

 彼女と意見が割れたのは過去にただ一度きり。

「三番目に面白いスタローン主演映画」の話で盛り上がった時だけであり、そんなバカ話を本気で語り明かせるくらい彼女は近しい存在だった。

 

 ……つーかコブラってどういう事だよ?

 お前それ男のリトマス試験紙言いたいだけじゃねえの?

 クリフハンガーに決まってんじゃねえかよJK。

 

 閑話休題。

 とにかく少女たちの快い協力の下、一年間の取材を経て、僕の処女作『タンク道、始めます』は無事に出版されたのだった。

 

 当初は彼女たちの二年進級までを物語の区切りとして構想しており、本編終了後もトモエさんのお見合い話や御大将の失恋話、結局ミニスカサンタでバトルするハメになったヒロミさんの話など、面白エピソードが目白押しだったのだが、彼女たちのこれからと言うテーマを考慮した結果、最終的には後夜祭のキャンプファイアーで筆を止める事とした。

 

 同作の小ヒットを機に、僕は勤めていた出版社を退社して物書きとなり、以来大したヒット作も無いが、ニッチなガンプラバトルの世界を描くカルト作家として、何とか食いっぱぐれる事も無く今日に至っている。

 

 

 

「――そう言やミカ、社長の方は結局どうなったんだ?」

 

 十勝への道中、ふと思い出した懐かしいアホ毛の動向を尋ねてみると、運転席のミカはハンドルを握ったまま残念そうに首を振った。

 

「やっぱ今回は無理だってさ。

 半年先まで予約がいっぱいで、とてもじゃないけど製作部を空けられないって」

 

「そうか……、彼女たち、残念がってただろ?」

 

「うん。

『な~んでこのタイヘンな時期にそんな面白そうな事やるんだよぉ~』って。

 ギンちゃん、受話器越しに泣いてた」

 

「ははは、そう言う所は昔とまるで変わらないな、彼女も」

 

「けどさ、代わりこっちは会社のデモタンクを借りて来てるからね。

 仕事で来れない三バカの分も、今日はあたし、頑張って宣伝しちゃうよ」

 

「デモタンク……? ああ、それでこのⅣ号か」

 

 ミカの言葉を受け、ダッシュボードの上に置かれた戦車模型に改めて目を向ける。

 Ⅳ号戦車D型。

 全長7.02m、全幅2.88mのドイツ製中戦車。

 近年では遂に劇場版完結編の公開された『ガールズ&パンツァー』の主人公、西住みほらの乗機として高い人気を誇る。

 だが今、そのジャーマングレイの外装にあしらわれているのは、アニメでお馴染のあんこうチームのエンブレムではなく、何故か大洗はまぐり高校の校章であった。

 

 素人目に見ても溜息のこぼれる見事な逸品であるが、本車輌最大の個性は別の所にある。

 この戦車模型、実のところ()()()()なのだ。

 ガンプラであるが故にプラフスキー粒子を通し、バトルフィールドを自由自在に動き回れる。

 

「……ん? ちょっと待て。

 て事はこのⅣ号、もしかして、今日のテストに使う気なのか?」

 

「うん、そだよ」

 

「マジか……、ヤジマ所長がよく許可してくれたもんだな」

 

「まだ本格的な実用試験じゃないからね。

 ヒロちゃんが色々と交換条件出して骨を折ってくれたみたい」

 

「へえ……」

 

 かつての内気な少女が見せた行動力に、思わず感嘆がこぼれた。

 大洗はまぐり高校の卒業より四年。

 社会人となった少女たちは、見事な連携プレーによって、バカ話のような高校時代の夢の一端を現実の形にし始めていた。

 

 四年前、はま高を卒業したギンガ、カオリ、マイの三人は、楽隠居した超級堂のテナントを借り受け、デチューンショップ『ガンプラ&パンツァー大洗店』を駅前商店街に開業した。

 

 デチューンショップ……。

 他のショップとの最大の違いは、ガンプラの性能を()()()事に特化した店舗と言う部分にある。

 業務としては、まず既製品の61式戦車を売り付け、そこから更にカスタム料を加え、望み通りの現実の戦車へと『ダウングレード』させる。

 ほぼほぼ現実性能の戦車で戦車道、もといガンプラバトルが出来ると言うワケだ。

 

 本店と協賛店である『haman garden』の店頭ではデモタンクの貸出しも行われており、今や伝説となった卒業研究『大洗・知波単連合 対 聖グロ・プラウダ』の一戦を体験する事が可能である。

 

 大洗は戦車乗りの聖地と化した。

 

 だが、仮に大学選抜戦を再現しようなどと言う上客が現れたならば、必要な車輌はそれだけで最低60台。

 それら全てを工場制手工業で製作するハメになる。

 

 タンク道部の後輩たちを掻き集め、現在の社員は総勢12名。

 オリハラ板金脇に設けられた製作スペースをフル稼働させているが、前述の通り、それでも予約は半年先までいっぱいだと言う。

 学生時代、選手としては大して活躍できなかった三人が、結果的には誰よりもタンク道の普及に貢献していると言うのも、人生の面白い所である。

 

 

「しっかし、社長の話じゃないけど、僕の方はタイミングが良かったって事のかな?

 これが一か月前だったら、こっちも旅行どころじゃなかった」

 

「あ……、て事はやっぱ、今の連載終わっちゃうの?」

 

「ああ、うん、まあね。

 俺たちの戦いはこれからだ、って感じかな?」

 

「そんなぁ~!

 あたし、今の相撲道がおっちゃんの作品の中で一番好きだよ。

 前回、スモーがようやく必殺の合掌捻りでごっつぁんしたばっかじゃんか?」

 

「ミカがそう褒めてくれるだけでも、こっちは救われた気がするよ。

 ただまあ、今回は確かに、少しばかり作風をニッチに攻め過ぎたかもな」

 

 ミカが嘆いているのは、現在の僕の唯一の連載作品である、大相撲ガンプラ大河ロマン

『嗚呼!虎恋灘』の今後の展開の話である。

 会話の流れから分かる通り、先週、最終話を校了してきた。

 身も蓋も無い事を言えば打ち切りである。

 

 心底残念そうなミカの言葉を聞いている内に、僕は心中のささくれだった気分が癒されて行くのを感じていた。

 確かに今回の連載終了に対し、思う所がないでもないのだが、何分、客あっての商売である。

 肝心の本が売れないとあっては致仕方ない。

 編集部だって「遊びでやってんじゃないんだよォ!」と叫びたい状況に違いないのだ。

 今回の打ち切りのおかげで、今は朋友のミカとこのようにくつろいだ時間を過ごせているのだから、物事はプラスに考えておいた方がお得と言うものだ。

 

「まあ、それはそれとしてな、ミカ。

 お前の方こそ仕事はどうなんだ?」

 

「どう、って言っても、こっちは農家だからね。

 やる事なんて毎年変わらないよ。

 例年通り、今年もこれから忙しくなるよ」

 

「ふうん、そう言うものなのか?

 ……さっきのヒロミさんの話でも無いけど、お前、そろそろ良い人とかいないのか?」

 

「うん? 何それ?

 おっちゃん、何か悪い物でも食べたの?」

 

 ふと、先ほどの会話の時に思った事を口にしてみると、何だか本気でこちらを心配しているような答えが返ってきた。

 確かにこれまで、口頭にせよメールにせよ、ミカと自分が交わす会話は、男兄弟同士でするかのようなバカ話ばかりであった。

 話題を振るにも急すぎたかもしれない。

 だが今回、随分と大人の女性に成長していたヒロミたちに対し、未だ少女の面影を残すミカ。

 そのギャップの大きさが、僕の中の余計な老婆心を突き動かしたと言う事であろうか?

 

「だいたいさあ、こっちはまだ22だよ。

 おっちゃんさあ、他人の未来よりも先に、自分の老後を心配した方が良いんじゃないの?」

 

「それはまあご尤もな話なんだが、こっちは気楽な男やもめだからな。

 お前ん家はちょっと変わってるから、そろそろつつかれてる頃かと気になってな」

 

「む~」

 

 僕の言葉に思い当たる節があったのか、ミカは少し面倒くさそうに眉をしかめた。

 そもそも、マユヅキの家は兄弟が多い上に早婚が多い。

 ミカの周りでも、上の二人の兄は所帯を持っており、逆に年の離れた弟妹はまだ中学生である。

 唯一、三男のシンザブロウ氏だけは婚期を逃しているものの、そちらは既に家を出ており、しかも前述の通り、結婚も秒読みの段階まで来ている。

 浮き駒となってしまったミカの去就を親御さんが気に留めるのも、当然の心理と言えよう。

 

「……あ、そうだ!

 そんならさ、おっちゃんがあたしを貰ってくれるってのはどう?」

 

「はい? 僕が?」

 

 突然、ミカがおかしな思い付きを口にした。

 しかもそれが抜群のグッドアイディアとばかりに諸手を叩く。

 

「ねえ、良いじゃんそれ。

 今月で連載もなくなっちゃうんでしょ?

 小説家なんて辞めてあたしん家で畑仕事をしようよ~」

 

「…………」

 

 今ならワンコインでポップコーンまで買えちまうんだぜ、くらいの気安さで女が言う。

 ミカとは長い付き合いになるが、時々本当にこの娘の事が分からなくなる。

 

「お嬢さん、あたしと一緒に、十勝平野に愛のジャガイモ畑を拓きませんか?」

 

 おおう、とうとう本格的なプロポーズまで受けてしまった。

 何と言う力強いパワーワードか。

 やめろバカ、惚れてまうやろ。

 

 あるいは彼女は、真剣に僕の喰い扶持を心配した上でこんな事を言い出したのかもしれない。

 いずれにせよ、目の前の愛しい妹分に対して、僕が言える事はただ一つである。

 

「……あのなぁ、お前、農家の婿養子だろ?

 もっとちゃんとした、若くてマジメな働き者を探しなさいよ!」

 

「あっはっは! そりゃそうだ、おっちゃんじゃあ無理だよね」

 

「まったく、面倒臭いからって身近な相手で妥協しようとするなよな。

 大人をからかうモンじゃあありません」

 

「ははは、ゴミンゴミン」

 

 たちまち破顔したミカを前に、僕は大きく溜息を吐いた。

 時折、こう言う突拍子の無い悪戯をするのも彼女の魅力の一つではあるのだが、出来ればそれは僕以外の相手にしてほしい。

 

「あ、そうそう、話は全然変わるんだけどさ。

 今日のイベント、デコちゃんも来るかもだってさ」

 

「カトリ先生が!? マジで!?」

 

 ……しまった、こっちが本命だったか。

 

 全力で釣られたその後で、取り返しのつかない事をしてしまったアムロ並みの後悔が襲う。

 案の定、目の前の大きな子供は、ニマニマと横目でこちらにいやらしい笑みを向けて来た。

 

「げへへへへ、めっちゃ嬉しそうですねぇ、お客さん?」

 

「お、大人をからかうなよな……」

 

「あたしだってもう大人だもーん」

 

 そう言い放ち、ミカはいかにも演技臭げにツーンとそっぽを向いてしまった。

 ああ、違いない。

 永遠の夢狩人である男の子に比べ、いずれ母親となる女の子の成長は早い。

 この程度の悪戯にいちいち動転しているようでは、どっちが大人だか分かったものではない。

 

 ……だが一つだけ、マユヅキ・ミカは誤解している。

 カトリ・ランコと言う女性に対し僕が抱く好意の正体は、恋慕と言うよりも憧憬、あるいは信仰にほど近い物なのだ。

 アイドルに対するファン心理のような、あるいはより原初の偶像に向かう崇高な感情である。

 

 17年前。

 

 人並みに義務教育を終了した僕は、一人で勝手に世間に対し失望しては、何もかも分かったつもりで斜に構えて見せる、いわゆる一つの高二病の時期に差し掛かろうとしていた。

 目に見えるなにもかもが薄っぺらで、胡散臭く、嘘っぱちに見える時代。

「神は死んだ」と言う、偉大なる高二病の先人の言葉だけが真実だった。

 

 当時から隆盛を誇っていたガンプラバトル。

 それすらも思春期を殺した少年の屁理屈から言わせれば、とんだ欺瞞の塊であった。

 世間にはガンプラは自由などと綺麗事をのたまう輩もいたが、本当に自由にガンプラを作ったならば、シンプルにデカくて頑丈で火力のあるヤツが勝つ。

 

 事実、当時のガンプラバトルはそのような時代を迎えつつあった。

 第四回大会、予選会において頭角を現して来たフィンランドの英雄、カルロス・カイザー。

 その圧倒的なパワープレーを目にした者は、プロ・アマ問わず「いずれ、モビルアーマーの時代が来る」と、口を揃えて皆そう語った。

 

 大型MAに蹂躙された瓦礫の戦場。

 現実の縮図がそこにあった。

 夢も、希望も、努力も、愛も、理想も、信念も、友情も――

 この地上の全ての輝きが、より巨大な力の渦に呑まれ、虚しく潰えては消えて行く。

 

 ――ふと気が付けば、そんな無情のコンクリートジャングルに、奇妙な音が響いていた。

 

 具合悪く大地を叩く、軋んだ無限軌道の駆動音。

 一台のタンクであった。

 

 MSと呼ぶべき上半身を失い、戦車のアイディンティティたる砲すら失い。

 今や千切れた履帯をカタカタと回す、みすぼらしい車両が一台。

 瓦礫を掻き分け衆人の前へと姿を現した。

 

 その痛々しい光景を前に、人々は、いや、僕はこの世の奇跡を見た。

 ざわめきが途絶え、痛いくらいの静寂の中、喝采の輪が、少しずつ会場中に広がって行き、やがて拍手の嵐となった。

 

 全身の震えを押さえられなかった。

 物語の主役となった少女たちに惜しみない歓声を送りながら……。

 それでも観衆は皆、薄々気が付いてはいた。

 奇跡は永久には続かない。

 彼女たちの戦いに、明日は無い。

 次か、あるいは持ってその次か、いずれ彼女たちは敗れ、戦いの舞台を去るのであろう。

 だからこそ、その一瞬の煌めきが愛おしかった。

 

 大袈裟な言葉かもしれないが、世の中まだまだ捨てたもんじゃないと、その時の僕は考えた。

 

『タンク道、始めます』のプロローグにおいて、二人の女の子は、永遠に焼き付いて離れぬ閃光を目にしている。

 だがあれは本当は、幼いヒロミとアゲハが見た世界ではない。

 二人の少女が垣間見た原風景の上に、僕自身の体験を重ねた心象風景である。

 

 神が死んだ無常の荒野に、カトリ・ランコと言う女神が一人舞い降りて、高二病の僕の夏は、高校二年を迎える前に終わりを告げた。

 

 

 

 ……まあ、それはそれとして、

 

 カトリ先生が来るかも、とは、とにかく朗報に違いあるまい。

 新千歳行きの飛行機に乗る前から、僕の中にそういった予感(むしろ期待)は確かにあった。

 とは言え、過剰な期待は禁物である。

 ミカはあくまで、来る「かも」と言った、ニュアンスとしては当然、来ないのかもしれない。

 

 確率は五分五分。

 その辺をミカに問い詰めてみたい所ではあるが、そんな事をしてはいい大人が台無しである。

 結局、今の僕に出来る事は、心の準備くらいしかない。

 会えた時に何を話すか、ではなく、会えなかった時にどのようにして失望をやり過ごすのか?

 下手に期待し過ぎてしょんぼり顔の所をからかわれたりしたら目も当てられない。

 

 発想を変えよう。

 そう、今は充電期間とは言え、今回の度は取材旅行、あくまでも仕事の一環なのだ。

 仕事だったら、旅先で憧れのアイドルに会えるなどと都合の良い話があるワケない。

 気を引き締めて次回作のネタ集めをしなければ、冗談抜きにマユヅキ家に永久就職するハメになりかねないのだ。

 拙作を応援してくれる読者たちのため、今日は気持ちを入れ替えて取材に打ち込むとしよう。

 

 

 仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事……。

 

 

「……本当に嬉しそうだね、おっちゃん」

 

「うるせー」

 

 

 今回の旅の目的地である十勝平野へと到着すると、休耕地を利用した広大な敷地には、すでに鉄板敷の即席の駐車場が設けられ、ニールセン・ラボの職員たちが慌ただしく会場設営に励んでいる最中であった。

 

 何かお手伝いしたい所であったが、何分こちらは素人。

 却って迷惑をかけぬよう、遠巻きに状況を眺めるに留まる。

 このような状況下で的確な玉掛け、荷下ろしを行うミカ-トモエ間の連携プレーには感服せざるを得ない。

 

「――この新型粒子拡散装置『プラフスキードライブ』は、

 安定化したプラフスキー粒子を広域に散布する事を目的として開発されました。

 スペック上の最大可動範囲は半径約800m。

 室内試験においても粒子散布後の安定性が――」

 

 着々とテストの準備が進む中、今回の目玉である新装置を前にして、スーツの上から白衣を纏ったコバヤシ・ヒロミが、詰め掛けた記者たちの質問に愛想良く答えていく。

 ううむ、こうして見ると正しく本物のキャリア・ウーマンである。

 専門用語を織り交ぜつつ、簡潔に分かりやすくテストの主旨を説明する姿からは、内気で臆病だった学生時代の少女は想像もつかない。

 

 改めて、彼女の背後にそそり立つ研究成果へと視線を向ける。

 新型粒子広域拡散装置『プラフスキードライブ』

 

 その小型の宇宙船と農業用タンクをゲイジングさせたような2m強の設備の内部では、新プラフスキー粒子を放出する疑似アリスタの生成が行われており、用途に応じて範囲を絞って、粒子の広域散布を行う事が可能であると言う。

 

 ざっくり言ってしまえば、駐車場サイズの会場から広大な田舎の休耕地まで、まるごとガンプラバトルのフィールドに変える事ができるワケだ。

 後は手近にコントロールユニットとガンプラさえあれば、理論上は現実世界でバトルが出来るのだが、流石にそちらの機能は厳重なプロテクトを施してあるとヒロミは語っていた。

 

 ガンプラは遊び。

 誰だってアリスタ暴走事件の惨劇を繰り返したいワケでは無いのだ。

 

 と言う事で、本装置の用途は、専ら豪華な投影装置にと限定されてくる。

 ヒロミの説明に合わせ記者たちが一斉に右手を向くと、視線の先のキャンピングカーががぱりと展開し、その荷台に馴染み深いバトルシステムが姿を現わした。

 

 移動式のガンプラバトルシステム。

 元々は親戚の家の子たちともガンプラバトルしたいと言う、ミカのアイディアで考案された車輌らしいが、今回のテストには持って来いである。

 

 あの狭いテーブルの上で繰り広げられるガンプラバトルが、中継機を通しプラフスキードライブへと送信され、現実の十勝平野に等身大の立体映像として投影される。

 実に豪壮な大人の玩具ではないか。

 

 ヒロミの説明が終わり、発表はいよいよヤジマ・ニルス所長の挨拶へと移っていく。

 こうして見ると、中々に似合いのツーショットである。

 昨年のつくばでの研究発表の折には、居並ぶ学会の権威を前にガチガチに緊張しきっていたヒロミであったが、今日の彼女には『ジーニアスの秘蔵っ子』とまで噂される風格すら感じられる。

 

 と、その時、不意に横を向いたニルス所長と視線があった。

 なんとなくバツが悪かったので軽く会釈してみた、まあ、気が付くハズも無いのだが。

 するとニルス氏はにこりと人当たりの良い笑みを浮かべ、まっすぐにこちらへと足を向けた。

 

 ……えっ? いやいやいや、ちょっと待て。

 

 慌てて左右を見渡してみるも、当然、誰がいるワケでも何があるワケでもない。 

 と、言う事は、やはり用件は僕なのか?

 プラフスキー粒子工学の第一人者が? 天下のアーリィ・ジーニアスが? なんで?

 

「いやあ先生、本日は遠い所を良くお越し下さいました。

 私、ニールセン・ラボの所長を務める、ヤジマ・ニルスと申します」

 

「え、あ、はいっ! ぞ、存じております!

 こちらこそご丁寧にどうも……」

 

 流暢に右手を差し出して来たニルス氏に対し、しどろもどろになりつつもかろうじて挨拶する。

 いや、マジでなんなのこれ?

 突如スポットを浴びた胡散臭い男に対し、詰め掛けた記者さんたちも困惑気味である。

 

「おい、誰だ……、あいつ?」

「ほら、アレだよ、コバヤシ女史の活躍を書いたタンク道の」

「秘蔵っ子の恩師二人がご対面か、こりゃあいいや!」

 

 ……流石にプロのブン屋は対応が早い。

 本人が戸惑う間にたちまち個人情報が暴かれ、容赦ないフラッシュが僕たちを襲う。

 

 本当になんなの、この状況?

 売れない物書きの僕が、過去にこれほどの脚光を浴びたのはただ一度きり。

 昨年のガンプラバトル選手権の都大会。

 決勝進出を決めたケンジ先生の『ボリノーク・サマーン神威(ガンプラ)』を招待席で応援してた一幕くらいのものである。

 一体何の冗談なのか、そろそろ誰か説明してほしい。

 そんな戸惑いが顔に出てしまったか、目の前の天才は少し申し訳なさそうに苦笑をみせた。

 

「わざわざお呼び出しなどして申し訳ありません。

 実は私は前々から先生の作品のファンでして、

 今回のコバヤシさんの研究成果を、是非先生にも見て頂きたいと思い、

 無理を言って連絡をとってもらったのです」

 

「ヒロミさんが……?」

 

 聞いてない。

 たまらず後方のヒロミに視線を泳がせると、彼女は「ごめ~ん」とばかりに両手を合わせ、ちろりと舌を出す仕草を見せた。

 ああ、そうか。

 つまりこのサプライズもまた、先ほどミカが言っていた交換条件の一つと言うワケだ。

 

 そうと分かれば少しは余裕も出て来る。

 この程度のドッキリで彼女たちの夢の一部が叶うと言うのならば、僕だって立派な小説家の先生を演じるのにもやぶさかではない。

 

「現在先生が手掛けてらっしゃる『鳴呼!虎恋灘』も、ずっと連載を追い駆けていますよ。

 特に第三巻、伝説の大横綱、白津口のプライドをかなぐり捨てた隠し腕前ミツ取り!

 いやあ、文章から焼け付くような男の世界が伝わってくる大一番でした」

 

「えっ!? あ、ああ、ははは、次回をお楽しみに……」

 

 ダメだった。

 キラキラとしたニルス・ニールセン少年の瞳の前の僕の笑顔は、引きつってはいないだろうか?

 ごめんなさい所長、それ来月で打ち切りなんです。

 

「実際、冗談でもお世辞でも無く、先生の描く荒唐無稽な世界観の中には、

 世のビルダーたちの情熱に火を点ける力を感じます。

 そう言った意味では、今日の研究発表も、先生の作品が世に放った成果の一部なんですよ」

 

「え、いや、いやいやいや、流石にそれは持ち上げ過ぎでしょう?

 今日に至るまでのヒロミさんの努力を知っていれば、そんな厚顔無恥な事は言えませんって」

 

 最大級の賛辞に対し、さすがに僕は恐縮して両手を振った。

 小心者の大先生の姿が面白かったのか、ヤジマ所長は口元に悪戯っぽい笑みを浮かべて囁いた。

 

「ねえ先生、ご存じですか?

 先生がコバヤシさんに送ったサイン入りの文庫本。

 彼女、今日もスーツの内ポケットに入れているんですよ」

 

「えっ?」

 

「お守り代わりなんですよ。

 物語の中のコバヤシ・ヒロミが勇気をくれるんだと、彼女、そんな風に言っていました」

 

「……そう、でしたか、はは、初めて聞きました」

 

 じわり、と、胸の中に熱い物がこみ上げて来るのを感じた。

 ヤジマ所長の言葉は、今日一番の嬉しいサプライズであったと言えよう。

 

 だが、だとすれば尚更の事、誤解は正されておかねばならない。

 

「ですが所長、だとしたらやっぱり僕は、何の役にも立っていませんよ。

 あの作品に関して言えば、作家として何一つ付け加える所がありませんでしたから」

 

「……? 先生、とは?」

 

「あの時の僕は、ただのカメラマンに徹していました。

 あの本が売れたのは被写体が最高だったからですよ、悔しいけれど」

 

「……成程、そう言う事ですか。

 けれど、被写体の輝きを引き出すのも、カメラマンの腕一つだと思うんですけどねぇ?」

 

 少しばかり失望させてしまっただろうか?

 気弱な作家先生の謙遜に対し、目の前のファンはわずかに呆れたような苦笑をみせた。

 

 

 一時の歓談の後、ヤジマ・ニルスは折り目正しく一礼すると、再び仕事へと戻って行った。

 

 たちまちマスコミが潮のように引いて、ほうっ、と一つ安堵の息を吐く。

 やはり自分にはああ言った場は向かないらしい。

 物書きにも色々なタイプが居るが、僕はと言えば、たまたま筆で飯が食えているだけの典型的な引き籠りに過ぎない。

 やはりネクタイくらいはしてくるべきだったかと、遅まきながらぼんやりと考える。

 

「ふふ、人気者も大変ねぇ?」

「えっ?」

 

 思わずドキン、と心音が跳ねた。

 完全に油断していた。

 余計なサプライズを前に、そちらへの意識がおろそかになっていた。

 

「けれど、まさか天下のアーリィ・ジーニアスから握手を求められるなんてね。

 随分と出世したものね、小説家の先生」

 

 透き通る少女のような声色で、からかうように大人の女性が笑う。

 はやる動悸を抑え、さりげなさを装って声の方へと振り返る。

 

「先生は勘弁して下さいよ。

 そう言うのは教師だとかお医者様だとか、立派な先達を呼ぶ時の言葉ですよ、カトリ先生?」

 

「あらら、プロになっても冴えない事を言うのね、あなたは」

 

 今一つキレに欠ける僕の返答に対し、視線の先の女性は呆れたように溜息を吐いた。

地虫の嵐(ハリケーン・クローラー)』カトリ・ランコ。

 思春期を殺した少年を殺したタンク道の翼である。

 

 自分にとってこの人は、やはり特別な存在なのだと、こうして直に向き合うと改めて自覚する。

 古傷のように心臓が疼き、それだけで魂が十七年前に還ったかのような錯覚を憶える。

 

 あの日の少女は立派な教育者となり、お洒落なガーリッシュ・カジュアルも、今はシックなスーツ姿へと落ち着いているが、それでも表情の端々に垣間見る少女の面影に、いちいち心がざわめくのを抑えられない。

 

「生まれついての性分なんですよ。

 ああ言う風に世間の注目を浴びるってのは、どうも苦手で……」

 

「ふふん、そうだったかしらね?

 けれど、出来ればもう少しだけ、立派な文豪のフリを続けて貰えると助かるわ」

 

 すっかり困り果ててしまった僕に対し、すまし顔でカトリ先生がそう言った。

 要領を得ないその一言に、内心で首を捻る。

 

「実は今日、どうしてもあなたに一目会いたいって言う熱烈なファンを連れて来てるのよ。

 あなたさえ良ければ、少しだけ時間を割いて頂けないかしら?」

 

「ああ、構いませんよ、そう言う事なら」

 

 カトリ先生のお願いを受けて、僕は改めて表情筋に力を入れ直した。

 他ならぬ彼女の紹介である、僅かなりとも粗相があってはならない。

 

 先生は少し安堵したように頷くと、後ろで背筋を丸めていた女の子へと声をかけた。

 おおう、いかん。

 カトリ・ランコに夢中になるあまり、まるで視界に入っていなかった。

 

「は、はじめまして! 先生ッ!

『タンク道、始めます』の作者の方とお会いできるなんて、こっ、光栄です!」

 

 中学生くらいと思しきジーンズジャンパーの少女は、ガチガチに緊張した声色でそう叫んだ。

 思い切り頭を下げた勢いで揺れる青色の髪の毛が、いっそ初々しくて気持ち良かった。

 

「ああ、こちらこそ初めまして。

 僕の小説には君みたいな若い読者は少ないから、今日は会えて嬉しいよ」

 

「あ、あたし、ありがとうございます……!」

 

「ふふ、だけどね先生。

 本当は二人が会うのは『はじめまして』ではないのよ」

 

 すっかり恐縮しきった少女に代わり、カトリ先生は助け船を出すように口を挟んで来た。

 けれど残念ながら、僕の方にはてんで自覚の無い話である。

 

「えっ、そうでしたか?

 ゴメン、えっと、どこで……」

 

「さあて、どこだったかしらねえ?」

 

 謎かけを愉しむ口調で、カトリ先生が微笑する。

 ……本当にどこで知り合っていたと言うんだろうか?

 考えてみれば、カトリ先生とこうして顔を合わせるのすら数年ぶりの事なのだから、あるいはそれは、少女がもっと幼少のみぎりの話だったのかもしれない。

 

 赤面する少女の顔を、あらためて正面から覗き込む。

 整った顔立ち、取り分けその青空に吹き抜けるかような髪の毛の色に引っ掛かる物を感じた。

 と、言うより、目の前の少女とカトリ・ランコが肩を並べる姿にかつてない慨視感を憶え――

 

「……もしかして!

 シナトラさ、いや、タナカさんの所のタイガちゃん?」

 

「あら意外、ヒントもなしに良く気が付いたわね」

 

 思わず声を大にした僕の横で、つまらなそうにカトリ先生が嘯く。

 視界が一気にクリアーになった。

 

 一度気が付いてしまえば、少女の中のタンク乗りの面影は隠しようがない。

 これでセーラー服を着て四字熟語などを口走ったならば、すわ『虎の咆哮(タイガー・ジェット)』の再来である。

 

 かつてのチーム、タンクバタリアンのメンバー。

 カワシナもといタナカ・トラの一人娘、タナカ・タイガ(汰那珂 大河)

 思い返せば確かに先生の言う通り、七年前のはま高文化祭において僕たちは出会っていた。

 

 本編最終章のタンクバタリアン再結集のシーン。

 現実にはあの場面で、書き手である僕も彼女たちの再会に立ち合っていたワケだ。

 父に肩車され、戦うお母さんの雄姿を熱に浮かされたような瞳で見詰めていた女の子。

 それが今やこんな立派な姿に成長していようとは……。

 

「いやあ、本当に大きくなったなあ。

 タイガさんは、今年で何歳になったんだっけ?」

 

「十三歳です。

 今年から大洗中学校で、カトリ先生の指導を仰いでいます」

 

「この娘ったら、母親からみっちりシゴかれて来てるからね。

 ウチの将来のエース候補ってヤツよ」

 

 そう言ってカトリ先生は、少女の肩をポン、と叩いた。

 成程、そう言った縁であったかと感心する。

 

 二年前、カトリ先生は大洗はまぐり高校から近場の大洗中学へと転勤になっていた。

 その頃の彼女は、地元にムーヴメントを起こした講師として知られるようになっており、生徒たちのたっての願いにより、転勤先でもタンク道の顧問を引き受ける運びになったと言う。

 

 とは言ってみても、新入部員は皆、春先まで小学生だった素人ばかり。

 部員全員が即戦力だった、はま高一期生の奇跡を再現できるハズも無く、発足一年目は準備期間として大会への参加自体を回避していた。

 今年は勝負の年となる二年目。

 期待の新人タナカ・タイガは、正しく大洗中の今後を占う試金石となるだろう。

 

「あ、あの、実は母も先生の作品の大ファンでして、ええっと……。

 その、この間の『嗚呼!虎恋灘』第二巻も素敵でした。

 マロンディの新弟子検査回がすっごいコミカルで――」

 

「んぎゃ!?

 い、いや、随分と渋い趣味してるね、ハハ……」

 

 未来のエース候補の砲撃は、的確に僕の急所を直撃した。

 いかん、動揺し過ぎた。

 カトリ先生の前ですげえ変な声が出ちまった。

 なんだよ編集、大好評じゃねえか嗚呼!虎恋灘チクショウッ!

 僕だって続き書きたいよ!

 

「ええっと、そう言えば今日は、そのタナカさんご夫妻は来てないのかな?」

 

 やさぐれた心をごまかすように話題を変えると、タイガちゃんはなぜか気恥ずかしげに俯く。

 

「両親はその、今は旅行中なんです」

 

「旅行? 一人娘のタイガさんをおいて?」

 

「この時期は必ず二人で伊豆の方に行ってるんです。

 その……、け、結婚記念日、だから……」

 

「あ……、ああ~」

 

 思わず感嘆がこぼれた。

 結婚記念日、男やもめの自分には分からないが、そう言うイベントもあるのか。

 

 無論、往年の戦士『虎の咆哮』が高校卒業と同時に恋愛結婚したと言うのは知っていたし、そのアツアツぶりも七年前に確認済みである。

 しかし、今年で結婚十五年目。

 すごい、夫婦ってそんなに仲良くやれるものなんだ。

 

「なるほど、それで今日はタンクバタリアンはカトリ先生お一人なんですね」

 

「え? あ、うん、まあ、そんなトコ……」

 

「……あれ? そう言えば今日はツルギさんは一緒では無いんですか?

 あの人がこう言うイベントに顔出さないなんて思えないんだけど」

 

 話のついでに、ふと思い出したお気楽リーダーの動向を尋ねてみた。

 するとカトリ先生は、いかにも渋い顔をしてそっぽを向いてしまった。

 

「アイツなら今日は来ないわよ。

 今頃はワイハよワイハ」

 

「ワイハ!? そりゃまた随分とゴージャスな所に……」

 

「新婚旅行中なのよ、十歳年下の医大生と」

 

「……マジで?」

 

 思わず憧れのカトリ先生に素で返してしまった。

 いつも想像の斜め上を行くサムライ・ガールであるが、流石に今回はぶっ飛び過ぎている。

 その一方で「ああ、あの人ならやりかねないな」と思えてしまうノリを持っているのだから良いキャラをしている。

 

「はあ……、いや、まあ。

 確かにあの人も婚礼期は過ぎてる事ですし、雑な性格に目を瞑ればそりゃあ美人ですから、

 いつ結婚してもおかしくは無かった訳ですけどね」

 

「…………」

 

「へ、へへ。

 けど、あの人が新妻になって甲斐甲斐しく朝食作ったりするって?

 ハハ、まさかね、医大生が過労死しなきゃ良いんだけど……」

 

「…………」

 

 うん。

 あれ?

 なんだこの空気……?

 

 なんだかさっきから、口ベタな僕ばかりが一人で喋っている。

 こちらを見つめるカトリ先生の瞳が、どこか寒々しい。

 ちらりと傍らのタイガちゃんに目を向ければ、心なしかハラハラとこちらに視線を送ってくるではないか。

 

 なんだろう?

 もしかして僕はまた、やってしまったんだろうか?

 

 一応弁解しておくと、独身のカトリ先生に対し、何かしら含む所があるワケではない。

 一人身なのはお互い様だし、そもそも先生の魅力に釣り合う男性など想像もつかないのだ。

 

 彼女のファンと言う立場から、女性としての幸せを願う一方で、本音ではそんな日など来なければ良いとも心のどこかで思っている。

 ここで彼女も結婚するなどと言い出したなら、ショックで今夜のジンギスカンも喉を通るまい。

 

 ともあれ、この状況はまずい。

 ここは下手に気を使ったりせず、デリカシーのないフリをしながら話を変えるべきなのだが、咄嗟に良い話題が思い浮かばない。

 何か無かっただろうか?

 えーと、えーと……。

 

「……何よ、言いたい事があるならハッキリ言ったらどう?」

 

 タイムオーバーである。

 知らなかったのか? 大魔王からは逃がれられない。

 

 いや、まだだ、まだ終わらんよ。

 くどいようだが、カトリ・ランコを敬愛する僕が、彼女を傷つける事などあってはならない。

 今はもう小細工を抜きにして、この至誠を違わず彼女に伝えるしかない。

 

「……かつての『地虫の嵐』のファンの一人として、

 今は心のどこかで安堵しています、カトリせんせ」

 

「やっかましいわね! よけいな御世話よッ!

 こっちはアンタを喜ばすために独身やってるワケじゃないわよ」

 

 アカンかったー!

 かわすどころか、思い切り特大の地雷を踏み抜いてしまった。

 傍らのタイガちゃんまでもが「そりゃあねえよ」って瞳を無言で向けて来る。

 小学生から上がったばかりの少女がそう思うなら、よっぽど残念な選択だったのだろう。

 彼女の傷つく姿など見たくないとのたまいながら、どうして僕はこうなのか。

 

 ……

 …………しかし、アレだな。

 

 実際に怒り狂う彼女の姿を目の前にすると、悲しみよりも懐かしさが胸にこみ上げてくる。

 七年前のはま高取材の時も、僕は彼女にデリカシーが足りないと散々お説教を喰らったのをよく覚えている。

 

 選手時代には、秋空のようにクルクルと変わる表情が愛されていたカトリ・ランコであるが、取り分けファンにとって印象深いのは、彼女の激おこ顔である。

 悪い意味では無い。

 飄々としたリュウザキ・ツルギと苦労人のカトリ・ランコの軽妙なやり取りが、僕らタンク乗りは心の底から大好きだったのだ。

 

 見ろ。

 感情の爆発を通して、カトリ・ランコの魂の細胞がみるみる活性化していくではないか。

 ランコ、怒りのアンチエイジングである。

 チャームポイントのおでこが薄桃色に上気して、つぶらな瞳に熱情の炎が燃え上がる。 

 

 こんなにも若くて、過激で、素敵で……。

 

 ああ、本当……。

 

 ……可愛いなぁ、デコちゃん。

 

 

「誰がデコよ!? はっ倒すわよ!」

 

「うええええ!? な、ななななんで!?」

 

「思い切り声に出てんのよ! アンタ私をバカにしてんの!?」

 

「あわわわわわっごめんなさごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 

 怒り心頭に達した先生に対し、とにかく必死の平身低頭で謝罪に徹する。

 アカン、これはアカン、完全にダメ人間の見本である。

 

 おお、傍らのタイガちゃんの瞳から、僕に対する好感度が見る見る下がって行く。

 けれどこれで良かったのだ。

 未来多き少女には、きっと彼女の母親のように運命的な出会いが待ち受けている事であろう。

 いつまでもこんなダメな大人に憧れているべきではないのだ。

 

 とにかく、今はこの状況を何とかしなくては。

 いつまでもこんな羞恥プレイを続けていては、幸せ過ぎて精神が崩壊してしまう。

 

「お~~~~~い! そろそろテストが始まっちゃうよ~。

 イチャついてないで早く来なよー」

 

「マーユーヅーキーッ!

 こっちは遊びでやってンじゃないのよーッ!!」

 

 絶妙なタイミングでミカからのお呼びがかかり、先生の怒りの矛先が逸れる。

 助かった、やはり頼れるべきは心の友である。

 

「あの、先生。

 今日の試験運転は、私も仕事を貰ってるんです。

 良かったら見に来て下さい!」

 

「あ、ああ、分かった、応援してるよ」

 

 タイガちゃんは折目正しく一礼すると、足早に二人の後を追っていった。

 好感度ゼロのおっさん相手にも気遣いの出来る良い子である。

 彼女はきっとタンク道の明日の背負うエースになるだろう。

 

 胸に吹く爽やかな風を感じながら、僕は軽く背伸びをして、少女たちの後をゆっくりと追った。

 

 

 会場に戻ると、丁度バトルシステムの前で、今日のテストを務める乙女たちが握手を交わしている所であった。

 一斉に焚かれたフラッシュを意にも介さず、二人の主役が不敵な笑みを見せる。

 

「もう一度、貴方を相手にこう言う舞台が持てた事を嬉しく思いますわ。

 ヒロミさんには感謝しなければいけませんわね」

 

 ガンプラバトル国際公式審判員。

『マダム・バタフライ』ことリュウザキ・アゲハはそう満足気に目を細めた。

 彼女もまたミカと同じで、あの日の面影そのままに大人になったような女性であった。

 ただし、少女の幼さを残すミカとは逆に、当時から彼女は完成していた、と言う意味で。

 

 こうして二人が並び立つと、今にも茨城予選が幕を開けるような高揚感を覚える。

 高校卒業と同時に審判員としての活動を始め、今では業界でも一目置かれるほどの実力者となりながら、エコールの気高きマダムはあの頃の潔さをまるで損なっていない。

 ワイレッドのイブニングドレスに黒のストールなどと言う非現実じみた装束が、彼女には小憎らしいほどに似合っている。

 

「へへん、ホームだったらアゲハちゃんには負けないよ。

 今日の賭けの事、忘れないでよね?」

 

「ええ、もちろん。

 ガンプラバトル国際公式審判員の名に賭けて」

 

 そして、そんな有名人に対しても、我らがミカは気負う事無く自然体で向かい合う。

 あの舞台に明らかな普段着で上るクソ度胸が眩し過ぎる。

 やっぱミカはすげえよ。

 

 ミカが先ほど口走っていた、「賭け」の内容については、彼女からメールで詳細を聞いていた。

 そもそもの事の発端は、次回のガンプラバトル選手権の折に、静岡でのミニイベントに参加して欲しいとの打診をアゲハから受けた事だと言う。

 

 公式審判員への就任以来、リュウザキ・アゲハはタンク戦のレギュレーション制定と競技の普及のために精力的な活動を続けて来た。

 その甲斐あって今年の夏には、世界大会と並行する静岡会場のイベントで、タンク限定のエキシビジョン・トーナメントを開催する運びにまで漕ぎ着けたと言う。

 

 彼女としても絶対に成功させたいイベントなのだが、問題が一つだけある。

 タンク道自体の競技人口が少な過ぎるために、トーナメントの枠が埋まらないのだ。

 

 タンク道の看板たるツルギたちを招集し、アゲハ自身も参戦したとして、それで二枠。

 その辺りの一流どころと張り合えるファイターとなると、他のプロ選手にゲスト参戦して貰うのが無難であろうが、世界大会と並行するイベントゆえにスケジュールの調整が難しい。

 そこでアゲハは今、ミカは勿論、はま高や砲学のOBを始めとした心当たりに、片っ端から声をかけている最中なのだと言う。

 

 実際の所、その辺の事情は話半分だと僕は思っている。

 

 ミカのライバルを名乗るアゲハは、その実、誰よりも彼女のファイトスタイルを愛している。

 アゲハ自身が大会で本当に売り込みたいのは、タンク戦のルール自体よりも、ミカと言う新たなタレントの卵なのではないだろうか?

 ミカが片田舎に引っ込んでしまったのが口惜しくて口惜しくて、手を替え品を替え、何とか上京させようとしているのだ。

 そして片っ苦しいバトルを嫌うミカは、再三の勧誘に辟易してると言うワケだ。

 

 そこで、賭け、である。

 今回の試験走行を兼ねたバトルにおいて、アゲハが勝ったならミカは何でも言う事を聞く。

 逆にミカが勝ったならば、アゲハは二度とこの話はしない。

 実に男らしい話では無いか。

 

 ……だが、ミカは本当に気が付いていないのだろうか?

 この勝負、賭けの成否とは関係なしに、最後に勝つのはリュウザキ・アゲハだ。

 

 公式審判員の若手ナンバーワンとも噂されるリュウザキ・アゲハをガチンコで倒せるファイターなど、国内のプロ連中を探してもそうそういない。

 そんなマダム・バタフライが、もしも野試合で無名の選手に敗れるとなれば、事である。

 委員会は改めてタンク戦ルールの奥深さを知ると共に、アゲハを下した農家の娘に注目する事だろう。

 

 誰も彼もがタンク道を普及させたくて必死なのだ。

 プロレベルの実力を持ちながら片田舎に引っ込んでいるなど許されようハズが無い。

 約束通り、アゲハはミカに対し、スカウトの話はしなくなる。

 彼女の上司が直接来るようになるだけだ。

 ミカにとっては南無阿弥な話である。

 

 そんな事を考えている内に両陣営の握手が終わり、ヒロミ女史の進行の元、今回の模擬戦の内容と使用する戦車、両チームの選手紹介へと移っていた。

 

 

「思えばこうして、貴方とチームを組むのも初めての事ですわね」

 

「そうですねえ、今日は頑張ってミカさんたちをやっつけちゃいましょうか?」

 

「ふふ、そう来なくてはね」

 

 バタフライチーム。

 使用車両:Ⅳ号戦車ティーガーⅠ

 砲主:ムサシマル・トモエ 操縦士:リュウザキ・アゲハ

 

 

「こ、光栄であります! 

 二代目ハリケーン・クローラーの操縦するタンクに砲主として搭乗出来るなんて」

 

「へっへえ~、きばってこうぜぇルーキー。

 お高く止まった審判員さんに目にモノ見せてやれよ!」

 

「はっ、はい! 頑張りますッ!」

 

 はまぐりチーム

 使用車両:Ⅳ号戦車D型

 砲主:タナカ・タイガ 操縦士:マユヅキ・ミカ

 

 

「――それでは只今より、プラフスキードライブの機動テストを開始いたします。

 観客の皆様は、係員の指示する位置までお下がりください」

 

 ヒロミ女史のアナウンスに合わせ、ギャラリーがテープで区切られた境界の外まで退避する。

 実証試験において人体への影響が無い事が確認されている新プラフスキー粒子だが、流石に試験段階なので、保険をかけるに越した事は無い。

 環境に被害の無い立体映像と言えど、至近距離で爆音を浴びるのも危険であろう。

 

 観衆の注目が集まる中、いよいよ装置より青白い燐光が拡散し始めた。

 光は揺らぎ、境界が微かに乱れ始め、建物一つない休耕地の上に新たな世界観を形成し始める。

 平坦な台地に深い堀が刻まれ、堅牢な石垣が積まれ、やがて漆喰塗りの壁がそそり立つ。

 

 城郭。

 和風の近代の建造物であった。

 城と呼ぶには心許なく、館と呼ぶには物々しい。

 観客から、なお一層の歓声が上がる。

 小高い丘の上から見下ろしている僕にも、その理由がはっきりと理解できた。

 

「五芒星の郭……! まさか、五稜郭!?

 こんなフィールドデータが存在したのか」

 

「製作したのは()()()のイイツカさんよ。

 日本中の名所を戦場にしてけば、戦車道っぽさが出るんじゃないかって言ってたわね」

 

 思わず声を上げた僕に対し、おねむのテルヨちゃんを抱っこしたカトリ先生が答えてくれた。

 どうやら子供の手前、先ほどの説教の続きをする気もないらしい。

 姪っこを手すきの恩師に預けると言うミカの暴挙に、今の僕は心から感謝する。

 

「そうか、ガンプラと違ってデータだけならコピーで済むから。

 確かにこれは会社経営の柱になりますね」

 

「そう思うわよね、普通なら……。

 でもあの子たち、タダで配布するつもりみたいよ」

 

「しょ、正気で……?

 どんだけ良心企業なんだよ」

 

「完全にワーカホリックよね……」

 

 教え子たちの将来を案じ、カトリ先生が大きく諦観の吐息を吐き出した。

 人生の先輩として、体だけは大切にしてほしいと切に思う。

 

 機体データの反映に戸惑っているのだろうか?

 歓声がまばらになり、少しばかり持て余した時間が流れ始める。

 

「…………」

 

 話題が途切れた。

 じれったいような気まずい空気が充満する。

 無言で仮初の五稜郭を見下ろす先生の横顔は、物憂げな大人の美しさに溢れていた。

 だが、こうしてただ傍観していてはラチも開かない。

 意を決し、再びこちらから声をかけて見る事にした。

 

「ええっと、その、カトリ、先生」

 

「……何かしら? 小説家の()()?」

 

 うっ。

 やはり、と言うか言い回しがキツイ。

 子供の手前喧嘩こそしないが、それでも今なお冷戦は続いていた。

 

 だが、これしきの事で怯むワケにはいかない。

 今日を逃せば、次に彼女と言葉を交わすのは何年後になるであろうか。

 老いて後悔する前に、意を決し、彼女に告げねばならない台詞があった。

 

「その……、今度、大洗中学校の取材をさせて頂けないでしょうか?」 

 

「取材? 何だって今更……」

 

「続きを書きたくなったんです。

 彼女たちのこれまでと、これからの話を」

 

 カトリ先生の疑念に対し、僕は今の自分の率直な気持ちをそのまま言葉にした。

 間をおかず、周囲から歓声が上がった。

 幕末の戦場に突如出現した戦車が二台、履帯を軋ませ大地を揺らす。

 ご機嫌な無限軌道の音。

 ここから顔は見えずとも、今のミカがどんな表情をしているのか、Ⅳ号の軽快な足回りからありありと伝わってくる。

 

「…………」

 

 沸き立つ群衆の中、カトリ先生は一人、何事か考え込んでいたが、その内に顔を上げて呆れたようにこちらを振り返った。

 

「……ダメ、全然ダメね、論外よ」

 

「ダ、ダメ、ですか? なんで……?」

 

「昔っからずっと言ってるでしょ? あなたにはデリカシーが足りないって。

 大体ねえ、自分は先生は勘弁してくれなんて言っておきながら、

 あたしの事はなんで『カトリ先生』なのよ?」

 

「いや、だって……」

 

「あたしは……、ううん、あたしたちはね、

 これでもあなたの事を信頼してる、頼りになる味方だと思っているわ。

 そんな事も理解出来ないような男とは、正直、金輪際口も利きたくないのよねえ」

 

「ああ……!

 ゴ、ゴメン、言い直します!」

 

 彼女の言葉に、慌てて僕は首を振り、ごほん、と一つ咳払いした。

 ああ、そうだとも。

 タンク道に纏わる少女たち全てがヒロインである以上、ミカだけを特別扱いするワケにはいかないじゃないか。

 

「これからも宜しく。

 その、ランコ……………………、さん」

 

「……アンタって、本当にこう言う時に冴えないわよね」

 

「ずっと裏方だったもんで、慣れてないんだよ、こう言うの」

 

「まっ、いいわ。

 今日はこれくらいで勘弁しておいてあげる」

 

 カトリ・ランコはすまし顔で、こちらに右手を差し出してきた。

 小さく、しなやかで、暖かで、

 どうしてあんなにも荒々しくタンクを跳ばせるのか分からない女性の手だった。

 

 

 ドゥッと二つ、轟音がビリビリと十勝の春空を震わせた。

 たちまち歓声がわっ、と沸き返った。

 少しばかり照れ臭かったけれど、繋いだ手を離さないまま、視線だけを戦場へと戻した。

 

 

 時が流れ、舞台が変わり、時代が変わり。

 それでも何一つ変わる事の無い少女たちが、今日も夢中でくるくると履帯を回していた……。

 

 

 

 

 

 

 


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