タンク道、始めます   作:いぶりがっこ

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タンク道、続きます

 ――戦場が、少しずつ静けさを取り戻しつつあった。

 

 草原の先、顔面を胸板ごと抉られ、二輪の大型タイヤと重なるように地に伏した真紅の機体。

 丘稜の半ば、下半身を失い、天空を睨むようにビーム砲をかざす蒼い機体。

 山頂、花弁のように裂けた砲身から、今もぶすぶすと黒煙を上げる深緑の鉄塊。

 そして森林の奥、装甲の中心に風穴を開け、完全に沈黙した一台のタンク……。

 

 戦場のあちこちで黒煙が立ち昇り、それでも今なお、砲火は止まない。

 この戦争、血は流れずとも因果は募る。

 

 がさり、と樹木を揺らし、森の中から一個の機影がふらふらと飛び出して来た。

 敵の姿を認め、山頂のマユヅキ・ミカがようやく砲撃の手を止めた。

 その動きに示し合わせたかのように観衆の声援が止み、ざわり、と戸惑いの声が溢れ始めた。

 

 もはや純白とは呼べぬ、泥と黒煙に煤けた外装。

 肘口から先を焼き切られた左腕。

 優雅なる鋼鉄の胡蝶は、今や羽を裂かれたかのような危うい羽ばたきで戦場を彷徨う。

 

 頭部に添えたブーケの花びらを散らす事無く天空を舞う、可憐なる戦場のプリマ。

 エコール主将、リュウザキ・アゲハは、茨城県下で最も優雅な戦士であった筈だ。

 そのマダム・バタフライのここまで追い込まれる姿など、誰が想像できたであろうか?

 

 ずん、といかにも気だるげに、ビギナ・ギナが丘稜の麓へと降り立った。

 対するミカのカスタムロトは、山頂から悠然と対主を睥睨する。

 

 無傷のタンクが上、傷つきくたびれたMSが下。

 ここまでの両チームの展開を象徴する光景である。

 だが、僚機の支援を失ったタンクは、時に呆気ないほどに脆い。

 一度接近できたならば、茨城県下随一の技巧を誇るアゲハならば、まだ望みはある。

 状況は、未だ予断を許さなかった。

 

「待ってていただけましたの?」

 

 丘の上のタンクを見上げ、リュウザキ・アゲハが鷹揚の無い声で問いかけた。

 

「まさか。

 ただ、ヒロちゃんたちがどんな風に頑張ったのか見たかっただけだよ」

 

「ふっ……、見ての通り、お二人とも見事な戦いぶりでしたわ」

 

「アゲハさん、だったら」

 

「けれどミカさん、私はまだ、貴方の事を認めていません」

 

 にべもなく、アゲハが言い放った。

 このまま会話を引き延ばし続ければ、それだけ粒子残量回復の時間を稼ぐ事が出来る。

 気高きエコールの乙女は、その選択肢を拒絶した。

 

「私もビギナ・ギナも、この通りいまだ健在です。

 ガンプラバトルの復活より6年。

 この時代に、貴方たちがタンク乗りの新風を巻き起こそうと言うのなら……。

 私に膝を屈させたくば、力尽くでやって御覧なさい! マユヅキ・ミカさん!」

 

「おうっ! やらいでかァ!」

 

 応答と同時にミカが砲撃態勢に入った。

 両肩のキャノンが爆音を噴き上げ、灼熱の砲弾が一直線にギナへと迫る。

 対し、示し合わせたようにアゲハも動き始めていた。

 バーニアを噴かして大地を蹴り、上空へと飛び上がる。

 

 しかし、重い。

 乗り手の反射神経に対し、傷ついた機体のレスポンスが追い付いていない。

 間を置かず足元で巻き上がった爆風に煽られ、バランスを崩したギナが中空に投げ出される。

 

「おうりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃあァアァァッ!!」

 

 精彩を欠くアゲハに対し、すぐさまミカが次の攻撃へと移る。

 突き出したタンクの両の手に握られたマシンガンが火を噴いた。

 轟音と薬莢をランボーの如く撒き散らし、ありったけの弾幕が標的へと迫る。

 アゲハにとって、常ならば躱すのも容易い盲撃ち、なれど今は機体が追い付かない。

 しかも銃弾の一発一発が、直撃すれば致命傷――

 

「キャスリング!」

 

 迷わずアゲハはジョーカーを切った。 

 傷ついた胸甲が金色の粒子に染まり、朧にそよぐ残光に、銃弾が次々とすり抜けていく。

 バックジェットストリーム。

 かつて伝説のガンプラ塾において神童とまで謳われた、ジュリアン・マッケンジーが秘奥。

 粒子変容技術の粋たる究極の原作再現。

 地虫を捨て、蛹を経て胡蝶となったアゲハの手にした最高のひとひら。

 しかし、それも今の彼女にとっては、地獄に向かう片道切符に等しい。

 

「くうッ」

 

 物理法則を振り切って急速に降下し、地面スレスレで鋭角に軌道を捻じ曲げ競り上がるように山頂へと迫る。

 背骨が軋み、鋼鉄の慟哭がスフィアごしに乙女の全身を震わせる。

 空中分解、自滅、急加速のツケはすぐに来る。

 いや、その前にもはや機体のエネルギーが持たない。

 真っ赤に明滅するモニターが限界を告げる。

 

 ――10秒か? ――5秒か?

 

 地獄のような極限下にあって、リュウザキ・アゲハは初めて献身を知った。

 奇跡のように、かろうじてビギナ・ギナは芯を残し、主の要求に応えようとしている。

 こんなにもこの機体は、自分の我儘に付き合ってくれる娘だったのか?

 

「こっんのオォォッ!!」

 

 だが、向かい合うミカのカスタムロトもまた、標的の変化に良く喰らい付いていた。

 持ち前の動体視力で本体を視界から逃さず、敢えて狙いを絞り切らずに銃弾を滅多撃ちにする。

 今のビギナ・ギナにとっては最も苦しい、適当な射撃。

 バランスを欠いた今の状態では、いつもの紙一重の見切りは使えない。

 必然、大きく回り込むような軌道を強いられ、それだけ大きくエネルギーを消耗する。

 

(それでも、間に合う!)

 

 アゲハの胸に確信が溢れる。

 苦しいロールで弾幕を躱し、そうしてようやく敵の銃口を外した。

 隻腕に握りしめたライフルを構え直す、届く、仕留める。

 

「こうだッ」

 

「――!」

 

 意表を突いて、タンクが両肩の砲捨てながら、思い切り断崖を飛んで来た。

 瞬く間に距離が縮まり、照準が敵の胸部のから頭部のメインカメラへとズレる。

 

 マズイ、応射?、否、仕留めきれない、サーベル、片手、逆襲、回避――

 

「……ッ」

 

 敵、鼻先。

 逡巡の間に飛んできたマシンガンの接射を、機体を捩じらせかろうじて回避する。

 躱せた、間に合った。

 それは正しく、リュウザキ・アゲハの日々の研鑽が為した賜物であった。

 だが、結果として交錯の瞬間と言う最大の好機を逸してしまった。

 

 急勾配の途上で高速の両機がすれ違う。

 瞬く間に立場が入れ変わる、アゲハが上、ミカが下。

 

「逃しませんッ!」

「こっちのセリフだァ~ッ!」

 

 両機が同時に後背を振り向こうとした。

 だが、機体に急制動をかけたビギナ・ギナに対し、腰部を反転させただけのタンクが一瞬早く反撃態勢に移った。

 思わずはっ、とアゲハが瞠目した。

 そう、ミカの駆るタンクは突っ込んできた時の速度を一切落としていない。

 あくまで照準を後方の自分に合わせたまま、前方を顧みる事無く、恐ろしい加速の中で一心不乱に銃弾を浴びせて来るではないか。

 

(ハリケーン……、クローラー……!)

 

 

 とくん。

 

 

 乙女の心臓が、微かに震えた。

 断崖に跳んだあの瞬間に、おそらくミカの瞳には、自分が進むべきラインがはっきりと見えていたのだろう。

 地面の起伏、勾配、足元に散らばる障害物、それら全てを刹那に見極めた上で、最大の速度で駆け抜けられる黄金の軌跡を選び出した。

 そして見極めたなら、もう前を見る必要はない。

 風が、大地が、標的との距離が黄金線を自分の現在地を教えてくれる。

 

 じりり、と嫉けた炎が心臓を焦がす。

 長い長い研鑽を重ね、地虫の少女はいつしか蛹となり、やがて艶やかな鳳蝶(アゲハ)となった。

 天空に可憐なワルツを刻む、触れる物無き胡蝶の世界。

 けれど、あの日のちっぽけな少女が、本当になりたかった姿は、アレだった。

 天分の才と、直観、動体視力に裏打ちされた、天に愛されたタンク乗りしか辿れぬ黄金の道。

 

 その憧憬を、今日、リュウザキ・アゲハは己の手で殺す。

 

 迫りくる弾幕を紙一重で避け、同時に手にしたライフルをまっすぐに伸ばす。

 この距離、敵の速度、粒子残量、外せばもはや次はない。

 けれど、次の一撃は確実に当たる。

 

 本家『地虫の嵐(ハリケーン・クローラー)』と今のミカの操縦には、決定的な違いが一つだけある。

 もしもカトリ・ランコならば、最善のラインを必ずどこかで外してくる。

 世界レベルの大会ともなれば、ランコと同じ世界が見えるファイターが必ずいる。

 最善の位置取りが、そのまま次の動きを相手に教えてしまうのだ。

 

 マユヅキ・ミカの描く黄金の軌跡は、どこまで純真無垢で美しい。

 次の一撃を凌げる狡さを持ち合わせていない。

 

「チェック!」

 

 ビギナ・ギナのライフルから、一条の閃光が駆け抜けた。

 狙いを僅かに外した軌道に、まるで引力が働いているかのようにタンクが吸い込まれていく。

 瞬間、閃光は違わずタンクの右の履帯をまっすぐに刺し貫いた。

 

(勝……)

 

 思った瞬間、不意に限界が来た。

 けたたましいアラームが止み、糸の切れたビギナ・ギナが、地表へ向けて落下を始める。

 

(こんな、時に――!)

 

「くッああああ!!」

 

 マユヅキ・ミカは、まだ諦めてはいなかった。

 反転する視界の中で、ひたすら我武者羅に引き金を弾いた。

 飛び出した銃弾の幾つかが、地に墜ちる胡蝶の軌道と重なる。

 銃弾が舐めるように乙女の右肩を掠め、胸を、腰を撃ち抜いていく。

 

「カハッ!?」

「ッガアァあぁァ―――ッ!?」

 

 双方の絶叫が重なった。

 弾き飛ばされたMSが岩肌に叩き付けられ、横倒しとなったタンクが坂道を削り落ちていく。

 わっ、と会場全体が悲鳴に震えた。

 

「相撃ちッ!? 引き分けでありますか!?」

 

「いや、バトルシステムは切れちゃいない。

 双方の機体ともに、まだ死んじゃあいないんだ」

 

 戸惑うオリハラ・マイの叫びを、傍らのイイツカ・カオリが静かに否定する。

 果たして、タンクの両手が動き、態勢を立て直そうと必死に車体を震わせ始めた。

 対し、丘の上のビギナ・ギナは、未だに死に体。

 

「そうだッ! 撃てッ ミカァーッ!!

 ビギナ・ギナの炉心に再び火が入る前に、トドメをさせェ!」

 

「くっ、んぐぐ……」

 

 ヨロズヤ・ギンガの応援を受け、ミカが必死でスフィアを倒す。

 上体だけの動きで寝返りを打ち、未だ身動きの取れぬ敵機にマシンガンを向ける。

 

 ガギン、と鈍い音が微かに響いた。

 砲身の歪んだ機関銃は、ただ空しく引き金の音を残すだけだった。

 

「く、あ、後は」

 

 無用の長物と化したマシンガンを投げ捨てる。

 手持ちの銃火器は全て失った。

 右の履帯は弾け飛んだ。

 唯一残ったキャノン砲は、敵の眠る丘の上に捨てて来た。

 

「だったら……、こうだ!」

 

 左のスフィアをまさぐり、次のコマンドを押し込む。

 ぎぃっ、と嫌な音を軋ませながら、やがてカスタムロトがゆっくりと競り上がり始めた。

 傷ついた履帯を膝裏に収納し、おっかなびっくりの膝立ちから、ゆっくりと体を起こす。

 やがて、完全に二足歩行となったカスタムロトが、その背から引き抜いた光刃を右手に構えた。

 

 

(ビーム……、サーベル。

 そう、来るのね、ミカさん……)

 

 完全に静止した機体の中で、片足を引き摺るタンクの姿をアゲハが見つめる。

 

(何と言う……、無様な)

 

 先ほどまでの鮮やかな黄金のラインはどこかに消えてしまった。

 ようやく立ち上がったばかりの子供のような危うい足取りで、時折砂地に足を取られながら、一歩一歩、死ぬ物狂いのミカがアゲハの元へと迫る。

 

 砲を捨て、機銃を打ち捨て、履帯をも諦め大地を踏み締める。

 そのか弱き姿は、本当に彼女たちの信奉するタンク道の在り方であろうか?

 ふと、場違いな感傷が胸に溢れた。

 一方で、そうまでしてでも勝ちたいミカの心理も、今のアゲハには痛いほどに理解できた。

 

 勝利に固執するばかりがタンク道ではない。

 けれどだからとて、潔く勝利への可能性を捨て去るべきでは無い。

 あの日、あの時、彼女たちが勝利してさえすれば。

 その後のタンク道の歴史が途絶えることも、アゲハがタンクを捨てる事もなかったのだ。

 

(そう、そうよ、ミカさん。

 早く私を、殺しにいらっしゃい)

 

 

 

『タンク道は淑女の嗜みですから。

 女性には薙刀が適していると、古武術の先生が常々おっしゃられていました』

 

「……だね、あたし、ちゃんと憶えてるよ、トモちゃん」

 

 手にしたビーム・ナギナタを杖代わりに、一歩一歩、カスタムロトが大地を踏み締める。

 

『行くぞ諸君! はま高タンク道部、パンツァー・フォーだッ』

 

『この試合はまだ通過点。

 全国への切符は、次も、その次も勝たねば手に入らないのであります』

 

『やっぱミカはすげえよ』

 

 三バカの言葉を踏み締めながら、体を起こす力へ変える。

 彼女たちの心血を注いだ機体が、この土壇場で最後の余力を残してくれた。

 だから勝ちたい、ピリオドの向こう側が見えるまで。

 

『ヒロミさん事、試合では、あなたが支えてあげて』

 

 約束した。

 大丈夫、きっと全てうまくいく。

 リュウザキ・アゲハは、今もまだタンク道を愛している。

 ここで彼女に勝てれば、それさえ認めさせたなら、全ての時間が氷解する、うまくいくのだ。

 

 コバヤシ・ヒロミ。

 田舎上がりのマユヅキ・ミカに、タンク乗りの世界を教えてくれた女の子。

 

 

『――私と一緒に、タンク道、やりませんか?』

 

 

「行くんだァ! ヒロちゃんと、トモちゃんと、みんなと一緒にッ!」

 

 

 到達した。

 可憐なる乙女の姿を眼下に見下ろし、手にした光刃を高らかと振り被る。

 

「――ビームサーベル、などと」

 

「……ッ」

 

 見計らっていたかのように、リュウザキ・アゲハが動いた。

 ギロリ、とビギナ・ギナのゴーグルに急速に光が灯った。

 たちまち乙女が力強く上体を跳ね起こし、腰元のサーベルをタンク目がけて抜き放つ。

 

「貴方には、似合いませんわッ!」

 

「うあああああああああああ!!」

 

 

 ――ブッピガン!

 

 

 凄い衝撃が走り、一瞬、オーロラビジョンが白色の閃光に包まれた。

 会場が沈黙に包まれ、人々は固唾を呑んで次の瞬間を待つ。

 

 一分か、十秒か、あるいはほんの一瞬の出来事だったのか。

 

 やがて閃光は晴れた。

 画面の中心には、もつれ合う二つの機影があった。

 

 ミカの打ち下ろしたナギナタは、ビギナ・ギナの肩口の半ばまで喰い込んで止まっていた。

 

 アゲハの突き出したサーベルは、ロトの体の中心を一直線に刺し貫いていた。

 

 更に数秒が流れた。

 握力の失われたギナの掌から、ビームサーベルが滑り落ちた。

 敵の刃を抱え込んだまま、ロトは坂道を転げ落ち、やがて、完全に動きを止めた。

 

 

『Battle End』

 

『――し、試合、終了です。

 勝者、エコール女学院ガンプラバトル部!』

 

 試合が終わり、フィールドが解け、会場にようやく照明が戻った。

 数秒遅れ、はっ、と我に返ったように、ウグイス嬢が戦いの勝者を読み上げた。

 

 会場に活気が戻るには、更に多くの時間がかかった。

 しばらくの間、痛いくらいの静寂が会場を覆っていた。

 

 どれほどの時間が流れた事か。

 やがて、会場のそこかしこから、ちらほらと拍手が上がり始めた。

 喝采は連鎖を呼び、いつしか会場全体が、割れんばかりの大声援に包まれ始めていた。

 

 マユヅキ・ミカは、動かなかった。

 腰を落とし、両の掌でスフィアを握り締めたまま、その視線を地面へと向けて固まっていた。

 

「ミカ……」

 

 コバヤシ・ヒロミの呼びかける声が、大歓声の中へと消えた。

 こんなにも打ちひしがれた十勝の太陽を見るのは初めての事だった。

 次の言葉が、どうしても脳裏に浮かんで来なかった。

 

「私が、しっかりとリュウザキさんを止められていれば……」

 

「誰が何を、間違えたワケでもないのです」

 

 取り繕うトモエの言葉を遮って、真紅の髪の乙女が真っ直ぐに歩み寄ってきた。

 ふわり、と金木犀の香りが鼻腔をくすぐる。

 リュウザキ・アゲハが、項垂れるミカの姿を真正面から見下ろしていた。

 それでもミカは顔を上げなかった。

 

「アゲハ、ちゃん……」

 

「この会場を震わせて止まぬ大歓声こそが、貴方たちの正しさの証明です。

 戦いの真の勝者が誰であったか、目にした者には伝わりますわ」

 

 そう言って、アゲハがゆっくりと会場を見渡した。

 ガンプラバトルの長い歴史の中には、こう言った試合が往々にして現れる。

 単純な技術や戦術の拙劣を超えて、人々の胸に刻まれる永遠の輝き。

 

 手を繋ぎ合う、ちっぽけな女の子たちの胸から、生涯消える事の無い大輪の花――。

 

「……その上で、敢えて言わせて頂きますわ」

 

「…………」

 

「これが、現実です」

 

 さっ、とアゲハが鮮やかに踵を返した。

 会場から一際大きな歓声が上がった。

 

 そのままアゲハは、振り向く事無く三人の前から姿を消した。

 それでもミカは、顔を上げる事が出来なかった。

 

「……ごめん、ごめん、ヒロちゃん」

 

 顔を上げぬまま、ぽつりと喝采に紛れるようにミカが呟いた。

 痛々しいほどに震える声だった。

 

「ミカ、謝らないで」

 

 堪らずヒロミが駆け寄って言った。

 しかし、少女の顔を上げさせるための、次の台詞がどうしても分からない。

 

 ――と、

 

「ミカ、お疲れ」

 

 ぽん、と、馴染みのある手が沈んだままのミカの頭を撫でた。

 タンク道部部長、ヨロズヤ・ギンガの手であった。

 

「戻ろうぜ、ミカ。

 戻って先生に報告するまでが戦争だぜ」

 

「…………」

 

「ミカ、タンク道は淑女の嗜みだからよ、一番キツイ時こそ美しくなきゃあダメだ」

 

「……んっ」

 

 言われ、ようやくミカが顔を上げ、ぐしぐしと右手で顔を擦った。

 照明が、痛いくらいに少女の瞳を焼いた。

 

 

「先生ッ! ゴメンなさい」

 

 戻りしな、開口一番、ミカが深々と頭を下げた。

 垂れ下がる二つのおさげを見下ろしながら、カトリ・ランコが怪訝な瞳をミカへと向ける。

 

「……なんでイキナリ謝ってんのよ、アンタ」

 

「うぐっ、だ、だって、あたし、先生と約束したのに。

 結局、何にも出来なかった、から……」

 

 珍しくも殊勝な事を言い出した教え子の姿を尻目に、ランコはしばしどうしたものかと頭を掻いていたが、その内に胸元からピンクのスマートフォンを取り出し、何事かダイヤルを打ち始めた。

 

「……ああ、すいません。

 本日の19時からですけど、飲み放題コースで予約出来るでしょうか?

 7名で……、ええ、カトリの名前で、はい、お願いします……」

 

 ひとしきり営業ボイスでの挨拶を終えると、再びランコはスマホを納め、会場の歓声にも負けない勢いで叫んだ。

 

「アンタたち、まずは応援してくれたお客さんにご挨拶して来なさい!

 そしたら今日の午後7時、大洗駅前『割烹 魔土庵蔵(マッドアングラー)』に集合よッ

 今日はアタシがアンタたちに、大洗で一番の鮟鱇鍋をご馳走してあげるわッ」

 

「なッ なんやてぇ~っ!?」

「大人のオゴリ! ポケットマネーでありますか!?」

「やっぱ大人はすげえよ」

 

 突然の晩飯宣言に、居並ぶ三バカが歓声を上げる。

 一方、ミカはぱちくりと猫目を瞬かせ、仏頂面の顧問のデコをマジマジと見つめ返した。

 

「デ、デコちゃん、なんで?」

 

「いいこと、マユヅキ。

 タンク乗りなんて人種は基本、バカよ、バカ。

 単にバトルに勝ちたいだけなら、手段なんていくらでもある。

 それをわざわざ自分で縛って、どうやって戦うか無い知恵絞って、

 挙句ボロ負けして一人で落ち込んでんだからね」

 

「ううっ、そ、そんなハッキリ言わなくたって……」

 

「バカだからね、どうしたって勝てないのだけは仕方ない。

 けど暗いのはNGよ!

 暗い顔したバカが雁首並べて、それでタンク道の楽しさを世間様に伝えようだなんて、ちゃんちゃら可笑しいわ!」

 

「…………」

 

「分かったら、とびっきりのスマイルでお客さんにご挨拶。

 明日からはまた、勝利を目指してビシバシしごいてあげるから、

 今日の所は美味しいもの食べて忘れちゃいなさい、ねっ」

 

「……うっ」

 

 ふっ、とデコちゃんが勘気を緩め、行き場の無い不器用な笑顔を覗かせた。

 直後、マユヅキ・ミカが堪えていたものが一気に弾け飛んだ。

 

「うわあああぁあん! デコちゃん! デコちゃああああああんっ!!」

 

「ええいっ! 鬱陶しい、引っ付くなマユヅキッ!

 暗いのはNG……、て言うかデコちゃん言うなっつってンでしょ!?」

 

「だっで! だっでさあっ!

 ヒロちゃんもトモちゃんも、ギンちゃんもかおりんも二等兵もっ

 今日の試合のためにすっごい頑張っできたのに、あたし、あたしのせいでさあっ!!」

 

「ハア!? 己惚れてんじゃないわよマユヅキッ

 コバヤシさんもトモエさんも、今日は揃って撃墜されてんだからね!

 私から言わせりゃあ全員が喝よ喝ッ!」

 

「はは……、返す言葉もありません」

 

「まあ、みんな揃って落第ですね」

 

「無論、バックアップ不足の私ら製作チームもな」

 

「大尉、タンクは一人じゃ動かせないのであります」

 

「んで一番の戦犯が、指導力不足のランちゃん先生なのな」

 

 そう冷やかすようなギンガのニヤケ面に対し、デコを真っ赤に紅潮させてランコが怒鳴り返す。

 

「言われなくたって分かってるわよ!

 私が一番悔しい思いしてるんだからねッ!

 けどタンク道は、勝ち負けだけじゃあ無いんだから、分かったらさっさと挨拶なさい!」

 

「押忍! 一同、カトリ教官に敬礼ッ!」

 

 

「「「 ゴチになります! 」」」

 

 

 ヨロズヤ・ギンガの号令に合わせ、三バカがビビビ! と息の合った敬礼を示す。

 僕らのデコちゃんの怒りが、とうとうソーラ・レイに到達する。

 

「私にじゃなーいっ!? お・きゃ・く・さ・んっ!!

 はるばる大洗から応援に来て下さった地元の皆さんにーっ」

 

「おっと、こりゃ失礼」

 

「ようし、まずは二等兵の親御さんトコにGOだッ 小生に続けェ!」

 

「嬉し恥ずかしであります!」

 

「ほら! アンタもよマユヅキ」

 

「うおっちゃ!?」

 

 急にデコちゃんに背中を押され、ミカが思わず前方につんのめる。

 と、不意に両脇からガッチリと腕を取り押さえられた。

 驚いたミカが、慌てて左右に侍る少女たちの顔を見渡す。

 

「えっ? え? えっ?

 な、なに? どったのヒロちゃん、トモちゃんも……?」

 

「ええっとぉ、オルフェンズごっこ、ですよ?

 私が、クーデリア・藍那・バーンスタインさん。

 ヒロミさんがアトラさんです」

 

「あ、トモエさん、さりげなくズルい」

 

「……あたしは?」

 

「うふふ、ミカさんはミカさんに決まっているじゃないですか」

 

 そう言ってたっぷりの自愛顔を作り、トモエがミカの頭をよしよしとばかりに撫で回す。

 堪らずミカが子猫のようにイヤイヤとおさげを振るう。

 そんな二人の姿に苦笑しながら、トモエがそっとミカに耳打ちした。

 

「ね、ミカ。

 アゲハさんの最後のセリフ、気にしなくたっていいんだからね。

 あの人ってば昔っから、好きな子にはいじわるしちゃう性格なんだから」

 

「……分かるの?」

 

「当ったり前じゃん!

 何年おさな馴染みをやってると思ってるの。

 私、彼女の気持ちなら、なんだってお見通しなんだから」

 

「あ……! そ、そっか、そうだよね!」

 

 きひひ、といたずらっ子のようにヒロミが笑った。

 つられ、ようやくミカにもようやく笑顔が戻って来た。

 

「ほら、早く行こうよ、部長さんたち待ってるよ」

 

「お客さんは大事にしなければいけませんよ」

 

「うん!」

 

 そして三人は、腕組みのまま並んで走り出した。

 会場から再び、暖かな拍手が起こり始めていた。

 

 

 

「……会場、まだ盛り上がっていますのね」

 

 廊下にまで響いてきた大歓声を受け、マスノ・ヒタチが呆れたようにこぼす。

 

「ふん、さすがはタンク乗りといったところかしら?

 打たれ強さだけはガンタンク級なのかしら?」

 

 そう悪態を吐くカシマ・エイコの口元に、らしからぬ苦笑が浮かぶ。

 

「……タンク道は術に非ず、ただバトルに勝つだけの手段じゃない。

 けれど勝とうと負けようと、会場の声援は全部あたしらのモンだ……、ふふ」

 

「え……? お姉さま、何か仰りましたの?」

 

「いいえ、なんでもありません。

 私たちには私たちの、彼女たちには彼女たちの『道』があると言う事です」

 

 マスノの疑念に対し、アゲハが小さく笑って首を振った。

 会場から勝者の姿が消え、それでもなお、暖かな拍手はいつまでも鳴り響いていた……。

 

 

 


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