タンク道、始めます   作:いぶりがっこ

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漢のリトマス試験道、始めます

「ふっ!」

 

 呼吸が詰まる。

 全身が一瞬、ふっ、と重力を失い、どくりと心臓が唸る。

 

「あぁうッ!?」

 

 間を置かずダンッ、と激しい震動が全身を襲った。

 乱暴な着地、縦揺れするスフィアを力尽くで抑えて体勢を安定させる。

 頭を一つ振るい、正面の暗闇を睨みつける。

 加速する車体、震える指先。

 すっぽりと覆うような暗闇の中、頭部のライトの灯りだけが、荒れた路盤を扇状に照らし出す。

 

 クローラーの操縦には、多少なりとも自信があった。

 今日のコースもまた、日中、幾度と無く走り込んだステージである。

 それが昼夜のシチュエーションを変えただけで、こうまでも様変わりするものなのか?

 

 だが、ここでスフィアを引いて速度を落とすと言う選択肢は無い。

 じっ、と見つめる宵闇の先に、蛍のようなちっぱけな光が微かに揺れる。

 先行するカトリ・ランコが操るガンタンクのテールランプである。

 今はもう、時折見えるかどうかと言う所まで離されてしまっている。

 

 MS試作機と言う特性上、車高が高く、しかも腰が回らないガンタンク。

 素組みでの走行のコンディションは最悪と言って過言ではないハズだ。

 対し、重心が低く四肢の自由が効くラゴゥ。

 十分すぎるほどのハンデをもらっている。

 その上でなお、これほどまでに力量の差が顕れるものなのか――?

 

「くんぬっ!」

 

 腹を括って、ふっ、とスフィアを右に振るう。

 たちまちラゴゥがコースを外れ、漆黒の彼方に身を躍らせる。

 ばさり、と茂みを掻き分け、そして視界が急転する。

 鵯越。

 ここから先にタンクの為の道は無い、ラゴゥのみが使える獣道である。

 

「わちゃあっ! おぅわッ」

 

 迫り来る大木の幹をすんでの所でかわし、息つく間もなく断崖を飛び越える。

 着地の瞬間、機体が右手の大岩と接触した。

 思い切り弾かれた右前足を、左軸の片輪装甲でかろうじて立て直す。

 機体が加速に軋む中、直下に視界を横断するヘッドライトを捉える。

 

「見~えたッ!」

 

 ぎりりと奥歯を噛み締めて、ジャンプ一番、路盤を砕きながら豪快にコースへと復帰する。

 ズン、と震える機体を必死に制御し、テールを振ってタンクの尻に喰らい付く。

 ほどなく、ゴール。

 白色に光るラインを駆け抜け、レースの終わりを告げるブザーが鳴り響く。

 

『 Battle Ended 』

 

「うぉっしゃ~、今度はどうだァ!」

 

 試合終了のアナウンスも終わらぬ内に、スフィアを手放したミカがガッツポーズを見せた。

 空間が解け、夕暮れの教室に呆れ顔のランコが現れる。

 

「へっへへー、見た、先生?

 今度は予告通り、きっちり最終コーナーで追い付いたでしょ」

 

「…………」

 

「む~、何さその顔?

 まさか今さら、コースをショートカットすんのは卑怯だー、とか言わないよね」

 

「まさか?

 教育者として、今さらそんなみみっちい事は言わない、けどね……」

 

「え? あ……」

 

 トントンと、すまし顔のランコがテーブルを叩く。

 たちまちミカがしゅん、としおれた青菜のようにうなだれてしまう。

 ベースの脇に転がった紙コップ。

 こぼれ落ちた水は、今やミカの足元にまで広がって水溜りを作っていた。

 

「残念だけど落第ね。

 この練習はスピードよりも走行の安定感を見るためのプログラムだもの。

 ま、あんなに飛んだり跳ねたりしてちゃ、タンク乗りとしては論外ね」

 

「いや、だって……、無理でしょ普通に?

 あんな真っ暗な中で、それもクローラーで藤原とうふ店のまねごとなんてさ」

 

 口籠るミカに対し、ランコが会心のドヤデコでテーブルの対面を指し示す。

 ガンタンクの傍らには、九割がた水の注がれた紙コップが平然と置かれていた。

 

「マユヅキ、アンタはちょっと手クセで動かしすぎなのよ。

 ルートの先読みに路面状態の予測、無駄を省いて最善のコースを最小の動作で切り抜ける。

 集中して操縦に当たれば、詰められる要素はいくらでもあるわ」

 

「うう、あたしそう言うの苦手ーっ」

 

「まったく、アンタはチームの前衛なのよ。

 常に最前線で動き回ってんのが仕事。

 場合によってはトモエさんを乗せて砲撃を預ける可能性だってあるんだから。

 操縦はもっと繊細にこなしてもらわないと困るわね」

 

「むむむ」

 

「なにがむむむよ!

 そもそもアンタは集中力が足りてないのよ。

 さっきのレース中だって、何か余計な事を考えていたでしょ?」

 

「ふぇ?」

 

 思いもよらぬランコの言葉に、きょとん、とミカが小首を傾げる。

 

「あら、その分じゃ自覚が無いようだけどね。

 一たびクローラーに乗ったなら、私の眼力はごまかせないわよ」

 

「そんな事言われても……。

 む~、ひょっとしたら、アレの事かなあ」

 

 しばらくの間、ミカは両腕を組んでうんうんと唸っていたが、その内、ためらいがちに顔を上げ、どこか困ったようにランコの顔を覗き込んだ。

 

「ねえ先生、あたし、このままで良いのかな」

 

「……なによ藪から棒に?

 アンタ、私の作った練習メニューに文句でもあんの?」

 

「そうじゃなくってさ。

 ホラ、二等兵の家じゃさ、今もヒロちゃんたちが履帯作り頑張ってるでしょ」

 

「ええ、まあ、そうね」

 

「それに、機体の細かい修理とかは、全部ギンちゃんたち任せにしちゃってるし」

 

 ちらり、と部屋の奥に視線を向ける。

 ちゃぶ台の周りではギンガ、カオリ、トモエの三人が、ヒルドルブの履帯の取り付けに挑んでいる所だった。

 

「自分の使う機体の事なのにさ。

 私、こんな風にバトルばっかやってて良いのかなあ、って」

 

「なんだ、そんな事……」

 

 今さらのようなミカの言葉に、はあっ、とランコが深いため息を吐いて顔を上げる。

 

「良いワケ無いでしょ、バカなの、アンタ?

 自分の愛機を全部他人任せにするなんて、そんなのビルダー失格よ」

 

「うえええっ!?

 ひ、ひどいよ先生ッ、役割分担しろって言ったのは先生じゃんか!?」

 

「ええ、そうね。

 どうせ素人のアンタの事だから、何かしなきゃいけないとは思ってるんだけど、

 どこから手をつけたら分からないって感じなんでしょ?」

 

「うっ」

 

 図星である。

 思わず言葉を失ったミカに対し、なおもランコが正面から詰め寄る。

 

「だから今は、一にも二にも練習だって言ってるのよ。

 バカの考え、休むに似たり、ってね。

 手にした機体を使いこなせるようになれば、自然と物足りない部分が出てくる。

 そのラゴゥのどこをいじらなきゃいけないのか、自ずから理解出来るようになるわ」

 

「うう~、そう簡単に言うけどさぁ」

 

「……はァ」

 

 柄にもなく悶々と悩み始めたミカの姿に、ランコが再び大きくため息を吐く。

 

「……プログラム変更よ。

 マユヅキ、アンタ今日はこのまま家に帰りなさい」

 

「へっ?」

 

「訂正するわマユヅキ、今のアンタは休んでいた方がマシよ。

 今日はもうガンプラに触るの禁止、そのラゴゥもここに置いて行きなさい」

 

「うえっ? え、え、え? なにそれ? なに?」

 

 思いもよらぬ言葉を受け、戸惑うミカがキョロキョロと辺りを見渡す。

 そんなミカの姿に対し、部長のギンガが振り向きもせずにひらひらと右手を振る。

 

「ん~、ま、先生がそう言うなら良いんじゃないのー?」

 

「うわっ、ギンちゃん、すっげえなげやり!」

 

「けどミカさん、物事には適度な休養も大切なんですよ」 

 

「だな。

 ま、今日はタンク道の事は忘れて、レトローゲー探しにでも行って来たらどうだ?

 新しいアイディアって奴は、案外そう言う所にあるもんだぞ」

 

「うーむ、まあ、みんながそう言うなら」

 

 がっくりと両肩を落とし、ミカが傍らの鞄を拾い上げる。

 

「マユヅキ、ガンプラ禁止よ。

 オリハラ板金にも寄り道しないようにね」

 

「うーっす、そんじゃ、ま、お疲れ様でしたー」

 

 ランコの忠告に気も無く応え、とぼとぼと教室を後にする。

 ガラガラと引き戸が閉められ、ミカの去った教室に、しばし沈黙が戻る。

 

「……これで、宜しかったんでしょうか?」

 

「うむ、ミカのあんだけしょぼくれた姿は、小生も初めて見たな」

 

「先生、何かこう、もっと具体的なアドバイスとかしなくても良かったのかな?」

 

「そうしてあげたいのはやまやまなんだけどねえ……」

 

 戸惑いの声を漏らす部員達に対し、ランコが大袈裟に肩を竦めて見せる。

 

「――この間、リュウザキ先生が語ってた『縁の物』の話、覚えてるかしら?」

 

「ああ、ガンプラと未知の世界の邂逅がどうたらってヤツ?」

 

「そう、それね……。

 認めたくは無いけど、あの娘はどう見たって『あっち側』の人間なのよねえ。

 真っ当にコツコツやってるだけじゃ上に行けない、そう言うタイプよ。

 私の経験なんて何の役にも立ちはしないんだから」

 

 

 ――PM17:40

 

 マユヅキ・ミカは先生の言い付けを守り、オリハラ板金には寄らなかった。

 板金屋には寄らず、真っ直ぐに駅前商店街へとやって来た。

 駅前商店街の、兄がバイトを務める超級堂玩具店へとやって来た。

 

「――つまり先生の言い付け、ちっとも言い付け守って無いんだよなあ。

 ったく、こんな時間にプラモ屋でプラモ屋の店員とダベっちまってさあ」

 

「む~、兄ちゃんまでそんな意地悪な事を言う~」

 

 ぷっくりと両頬を膨らませ、レジにしがみついてミカ抗議の声を上げる。

 

「しっかし、昔っからこう言う所は変わらんねぇ、ミカは」

 

 パタパタとハタキがけをするシンザブロウの口元に、くすり、と苦笑が浮かぶ。

 マユヅキ・ミカは幼少の頃より、天真爛漫でお気楽でおバカで能天気なお子様だった。

 何か困った事があると、自分で考えるよりも先にまず、年の離れた兄の許へとやってくる。

 

 筋肉モリモリのマッチョマン、頼れる長男のマンタロウ。

 ジャッキー・チェンの物真似をする内村光良のマネが得意なひょうきん者の次男、ハンジロウ。

 ひょうげた脳筋兄妹に囲まれて、一人嘆息するインテリ気取りの三男、シンザブロウ。

 

 目の前にどんな困難が立ちはだかろうと、三人の兄に相談すれば誰か正しい回答をくれる。

 ゆえにマユヅキ・ミカは迷わない。

 十勝の太陽は過保護な兄の促成栽培によって、今日まですくすくと育まれて来たのである。

 

「それにしたってさ、今回はちょっとらしくないんじゃないの?

 普段のお前はもっとこう、うじうじ考えずに動いてみる性格だと思うんだがね」

 

「簡単に言ってくれるけどさぁ、どこから手を付けて良いのかが分かんないんだよ」

 

 カウンターに頬杖ついて、ガラスケース内のガンプラたちにちらりと猫目を向ける。

 

「ねえ、知ってるお兄ちゃん。

 タンクって奴はさ、積み込む武器の種類一つで、フィーリングが全然変わっちゃうんだよ」

 

「ああ、そりゃあまあ、そうだろうな。

 単純な重量はもちろんの事、操作体系から重心の位置まで変わってくるワケだからな」

 

「それにさ、塗装の仕方一つとっても細かいイロハがあってさ。

 あたしら素人じゃ、中々手が出せない世界なんだよ」

 

「そいつもよく聞く話だよな。

 表面塗装のやり方如何で、ビームコーティングやフェイズシフト装甲の仕上がりにまで影響が出るって言うわな」

 

「あたし、そんなの知らなかった、全然知らなかったんだ……」

 

 そう言って、再びミカが深く溜息を吐く。

 ガンプラバトル選手権、茨城予選の開始まで、すでに四週間足らず。

 時間が足りなかった。

 ガンダムシリーズ35年、ガンプラバトル選手権の発足より14年。

 ミカが時代の最先端に追い付くには、猶予に比して、学ぶべき知識が余りにも膨大であった。

 

 目を閉じると、ミカの前に、分厚く、真っ白で、大きな壁が立ち塞がる。

 越えねばならない壁である事は分かっている。

 けれど、壁には僅かな窪みも、傷一つすらない。

 どこから手を付けて良いのか分からないまま、ミカは壁の前でぐるぐると回り続けるのだ。

 

「……新プラフスキー粒子の精製から六年。

 確かに現在の粒子変容技術ってのは、過去の大会とは比較にならないほどの進化を遂げたよ」

 

 ミカの憂鬱な心境を、果たしてどこまで理解していることか?

 しみじみと独り言のように、インテリ気取りの兄がガンプラバトルの今を淡々と語る。

 

「丹精込めて作り上げたガンプラの、ほんのちょっぴりの解釈の違いが、

 そのままバトルの明暗を分ける、言い訳もやり直しも効きはしない。

 薄皮一枚の手応えの中で、プロのビルダーたちは今日も鎬を削り合っている。

 実際シビアな世界だよな、ガンプラバトルってやつは」

 

「…………」

 

「けどさ、ミカ。

 そう言うのって本当は、すっげえどうでもいい事なんだぜ?」

 

「えっ?」

 

 思いもよらぬ言葉にミカが顔を上げ、ぱちくりと兄の顔を覗き込む。

 

「なあミカ、お前のにとっての宇宙最強ってなんだ?」

 

「宇宙、最強? 何の話?」

 

「何だっていいぞ。

 ヒョードルでもブルース・リーでも武蔵でもヘイヘでもゲバラでも超サイヤ人でも。

 核爆弾でもドラえもんでも勇次郎でもゴジラでもイデでもゲッターロボでも構わない。

 何か一つ、お前が太鼓判を押して、コイツこそ宇宙最強だって呼べるヤツは、なんだ?」

 

「ジョン・ジェームズ・ランボー!!」

 

 宇宙最強とはなんぞや?

 兄の出した、終わり無き人類永遠の命題に対し、ミカは一点の曇りも無く即座に答えた。

 

「ハッ!?」

 

 瞬間、開眼した!

 

 雷撃が爪先から脳天まで駆け抜け、思わずピン、と背筋が伸びた。

 ギリリ、と狂気を宿した戦士の瞳から、一条の矢が、ビュン! と風を切って放たれた。

 鏃は真っ白な壁へと突き刺さり、瞬間、メキシコの地形が変わるレベルの爆炎を上げて跡形も無く消し跳んだ。

 

「そんな、ううん、けど……、だけど……」

 

 ぽつぽつと、熱に浮かされたような呟きが口元からこぼれる。

 スカートから伸びる細い脚が、可哀そうなほどに震えていた。

 堰を切ったように溢れだすアイディア。

 興奮と、感動と、それ以上の躊躇いと不安の中で、少女は今にも押し潰されそうになっていた。

 

「バカだなあ、ミカは」

 

 シンザブロウが、ぽん、とミカの肩に手を当てた。

 少女を解き放つ魔法の言葉を、今の青年は良く知っていた。

 

「ガンプラは……、自由、なんだってよ。

 この間の特番でメイジンがそう言ってたの、もう忘れたのか?」

 

「あ、ああ……!」

 

 感嘆が漏れた。

 少女の瞳から、透き通るような大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちる。

 

「に、兄ちゃ! あっ、あたひ、あたし……!」

 

「ほれ、洟拭けよ。

 今日は久しぶりにさ、帰りにGEOに寄って行こうぜ」

 

「ぶひゅうっ」

 

「旧作レンタル半額だからさ、ワンコインあればポップコーンまで買えちゃうんだぜ」

 

「怒りの脱出!」

 

 泣き笑いながらミカが叫んだ。

 それは少女の新たな闘いの始まりを告げる、魂の雄叫びであった。

 

「え? あ、うん、いや……。

 折角だから一作目から順に見ようぜ?」

 

 たまらずシンザブロウが言った。

 それは全世界のスタローンファンにとって共通の願いでもあった。

 

「怒りの脱出ッ!!」

 

 ミカは頑固だった。

 シンザブロウも少しだけ泣いた。

 

 

 翌日、ミカは何事も無かったかのように部活に顔を出した。

 日中の授業を全て眠りこけ、抜かりなきベスト・コンディションでやって来た。

 

「ダメね、全然ダメ。

 水をこぼさないように意識するあまり、今度は操縦が委縮してしまっているわ」

 

 駆け付けに一レース相手を務めた後、カトリ・ランコはそう言って首を振った。

 事実、ミカのタイムは昨日よりも一分近く遅くなっていた。

 獣の自由な四肢を封印し、一貫して「ふせ」の姿勢のまま走り続けたのが原因である。

 

「確かに飛んだり跳ねたりするなとは言ったけどね、ラゴゥの武器は四本足よ。

 要所要所でしなやかな両脚を使っていかなきゃ、その機体の真価は発揮出来ないわ」

 

「ううん、違うんだ先生、()()これで良いんだよ」

 

 ランコの苦言に対し、珍しくミカは自分の意見を返した。

 

「まずは、両脚を使わずに、同じ条件で先生に追い付けなきゃね。

 この虎を使いこなすためには、そうしなきゃいけないの」

 

「…………」

 

 真っ直ぐにそう言いきった教え子の瞳を、ランコはしばし、まじまじと覗きこんでいたが、その内にふっ、と苦笑をこぼした。

 

「ふ、ん、どうやら何か掴んできたみたいね。

 それでこそ休養を与えた甲斐があったってもんね」

 

「へへ、まぁね、それは今後のお楽しみって事で」

 

 そう言って、ミカがにっかりといつもの笑みを見せた。

 ふっ、と誰からともなく安堵がこぼれ、部員たちが少女の許へ集まってくる。

 

「ふっ、たったの一日でスランプを克服するとは、さすがはミカだな」

 

「へへ、けどなあミカ、それがこのまま絵に描いた餅じゃあシャレにならんぜ。

 どれ、どんな風に機体をイジりたいんじゃ、小生に見してみ、ん? ん?」

 

「ミカさん、私たちに出来る事があれば、精一杯お手伝いいたしますね」

 

「うん、ありがとうみんな。

 実はもう、虎の改造プランは考えてあるんだ」

 

 そう言いながら、ミカが手元の鞄より、使い差しのジャポニカ学習帳を取り出した。

 

「ジャーン! これ、こんな感じにしたいんだよッ」

 

「これは……、うわっ!? 下手くせえ! 小学生かよッ!?

 大丈夫? これ後々黒歴史ノートになったりしない?」

 

「けれど、ミカさんの作りたい気持ちは、ちゃんとまっすぐに伝わってきますよ」

 

「やっぱミカはすげえよ」

 

 ちゃぶ台に広げられた設計図を前に、三人がそれぞれに感嘆する。

 ちらり、と猫目がやや不安げにギンガの横顔を見上げる。

 

「どう、部長? 難しそう?」

 

「いや、このイメージ図だけじゃあなんとも……。

 ええい、と、とにかくまずはやってみっか!

 ミカ、肝心の陸ガンは持って来てんのか?」

 

「もちろん! ほれ、ここに」

 

「オーケーオーケー。

 そんじゃま、かおりんとトモエさんはパーツのばらしを頼む。

 私はミカへの授業を兼ねて、武装の加工に入る」

 

「押忍、よろしくお願いします!」

 

「ふふふ、お任せ下さい」

 

「ランボー怒りのガンプラ、か」

 

 短く頷き合い、ちゃぶ台を囲んで四人が腰を下ろす。

 

「いや、さすがに四人じゃ狭いでしょ?」

 

「ですよねー」

 

「ギンちゃん、あたしらは机並べて向こうでやろうよ」

 

 

「おぅ……」

 

「わわわっ!? これは一体どんな状況でありますか?

 地獄のベトナム戦線でありますか」

 

 扉を開けた途端、むわっ、と猥雑な熱気が二人を襲った。

 室内の混沌とした有様を前に、ヒロミとマイの足が思わず止まる。

 

「あ、ヒロちゃんおかえり」

 

「二等兵もよく戻ったな、どうだ、首尾は?」

 

「ああ、うん、ひとまずヒルドルブ分のパーツは完成したから、

 セッティングのために戻ってきたんだけど……」

 

 躊躇いがちにヒロミがそう言って、黙々と作業に没頭する部員たちを見つめる。

 

「これは、ミカ大尉の陸戦強襲型ガンタンクではありませんか。

 何故この車両を解体しているのでありますか?」

 

「いやなに、ミカが機体を改造するって言うんでパーツ取りにな」

 

「なんとニコイチ!?

 新旧愛機の夢のフュージョンでありますか!

 さすがにミカ大尉はタンク乗りのロマンを分かっているのであります」

 

「ガンタンクの武装を、ラゴゥに……」

 

 独り言の呟いて、ちゃぶ台の上を覗き込む。

 視線の先には、武装を取り外した虎の子の隣に、基本兵装である二連のビームキャノンと、ガンキャノンから取り外された滑空法、ロケットランチャー、ポップガンがズラリと並ぶ。

 

 ふむ、と一人、ヒロミが頷く。

 距離適性と武装の多彩さで言えばガンタンクに軍配が上がるものの、それは言い換えれば、一長一短な兵器を状況に応じて使い分けねばならないデメリットを含む。

 ミカの実力を考えれば、近距離から遠距離戦までこなせるビーム砲を捨てるメリットは薄い。

 

 だが、その上であえて実弾兵器にこだわるミカの心情もヒロミには理解できた。

 タンクとは、砲である。

 タンク乗りにとって砲撃とは鬨の声、ビームでは満たされない闘志の炎を燃やしてくれる。

 今のミカは合理性よりも、心理的な昂揚を求めている。

 ならば司令塔としてのヒロミは、その心境を考慮に入れて戦術を組むのみである。

 

「……で、その、肝心のミカは?」

 

 ちらり、と教室の隅に視線を向ける。

 件の中心人物はと言えば、傍らの部長の指導を受けながら、慣れぬプラ板とパテを前にうんうんと唸っている所であった。

 

「ミカ、いったい何を作っているの?」

 

「ボウガン」

 

「そう、ボウガ……、え、え?」

 

 思わず聞き返してしまった。

 さりとて、熱心にデザインナイフを握るその姿勢、ミカの瞳が真剣な事だけは間違いない。

 

「本当は本格的なコンパウンド・ボウにしたかったけど、ラゴゥの前脚じゃ弦が引けないからね」

 

「え、ええと、そういう問題じゃ……」

 

「分かる、ミカの気持ち、小生も痛いほど分かるぞ」

 

「弓矢はメイトリックスやライバックには無いアイディンティティだからな」

 

「弓を引き絞る時の目で殺す演技、痺れますよねえ」

 

「その感性、イエスであります」

 

「え? え? え? え? え?」

 

 思わずきょろきょろと周囲を見渡す。

 マユヅキ・ミカの情熱の許に一つとなった室内で、何やらヒロミだけが孤独なようであった。

 

「そんな事よりさ、ミカ。

 さっきのガトリングシールド二丁、ちょいと仮組みしてみたんだ。

 少し具合を見てくれないか?」

 

「おう、サンキュ」

 

「ガトリングシールド、二丁?」

 

 喜色満面のミカの顔を前にして、ヒロミの思考回路がいよいよ混迷に陥って行く。

 

「ええっと、グフカスタム重攻型でも作るの、かな?」

 

「何言ってんのさ、ヒロちゃん、タンク道部だよ。

 タンクを作っているに決まっているじゃん」

 

「ああ、うん、そうだよね。

 ホント何言ってるんだろ、私……?」

 

「これほどの重装備なら、ミャンマーの武装勢力に襲われても安心ですね」

 

「一体なにが始まるのでありますか?」

 

「はっはっはっ、そいつはシュワちゃんだろ、二等兵?」

 

 駄目だ。

 仲間たちの話す言葉の一つ一つが、てんで意味が分からない。

 もしもミカがたった一人でガノタたちの世界に放り込まれたなら、今のヒロミの疎外感が理解できるであろうか。

 そんな取り留めない事を考えてしまうほどに、彼女たちの住む次元は遠い。

 

(う、ううん、駄目だよヒロミ、こんな事で弱音を吐いてちゃ?

 大会に向け、ミカのモチベーションもチームのテンションも最高の状態にある。

 だったら私も、彼女たちの気持ちを理解出来るように努力しないと)

 

 ぶんぶんと頭を振って、目の前の現実と向かい合う。

 この最高の状態のミカに対して、水を差すような真似をしたくはない。

 彼女の個性を実戦で発揮できるかどうか、全ては司令塔である自分の理解度にかかっている。

 今は目の前の現実に怯むよりも、積極的に交流を図るべき時であった。

 

「ようし、それじゃあ私も手伝うからさ。

 何か必要な事があったら何でも言ってよ」

 

「ホント!

 じゃあヒロちゃんはそっちの型紙通りにマチェットを切り出してくれるかな?」

 

「うん、分かった、マチェットね……、えっ、なに?」

 

「うーんとね、サバイバルナイフ……、って言うより牛刀、鉈かな。

 戦場で頼れる特注サイズだよ」

 

「ガンダニウム合金製なら、弾切れした時にも一安心でありますね」

 

「ああ、あの一心不乱に槌を振るうシーンな。

 灼けた鋼の中にスタローンのランボー人生が凝集されてて、小生、震えながら泣いたわ」

 

「思えばジョンさんの数奇な運命も、全ては一本のナイフから始まるんですよねえ」

 

「そこに気が付くとは、ミカは天才か」

 

(……本当にここは、年頃の女子高生の部室なんだろうか?)

 

 自身の事を棚に上げて、ヒロミが一つ小首を傾げた。

 奇妙な熱気の中、ただ少女たちは情熱に溢れた瞳で、一台のタンクの完成を目指していた。

 ガンプラは自由。

 その麻薬のような罪づくりなフレーズがもたらす物語の結末を知るのは、宵闇に昇る明星一つのようであった。

 

 

 その後。

 時刻は19時を回り、業務を終えたデコちゃんから部室を追い出されるに至り、ようやくその日の部活動は終了となった。

 校門前で三バカと別れ家路に急ぐ三人の道を、満月の光が柔らかく照らし出す。

 

「くぅ、ああ~、細かいパーツを作るのって、ホント大変なんだ。

 あたしの虎、いつになったら完成するのかなあ」

 

「気が早いなあミカは。

 このペースなら週末には塗装まで行けるだろうから、試運転は来週中、かな?」

 

「うう~、待ち切れないよ~。

 生まれ変わった機体を、早く試してみたいのにー」

 

「仕上がりに手を抜くワケには行かないからね。

 完成まではトモエさんともども、私のガンタンクで練習だね」

 

 子供のように駄々をこねるミカの姿に、両横のヒロミとミカがクスクスと笑い合う。

 部室の熱で火照った体に、春の夜風が心地よい。

 

「ふふふ、ミカさん、本当に楽しそうですねえ。

 何だか見てるこっちまでウキウキして来ます」

 

「楽しいよ、すっごく。

 あたし、こう言う風に一つの事に打ち込んだのって初めてだからさ」

 

 そう言ってミカが満面の笑みを向け、しかしやがて、少し困ったように頭を掻いた。

 

「あ~、えっと、ゴメンね二人とも。

 こんな遅くまで突き合わせちゃってさ」

 

「えっ? 部活だしそれは別に良いんだけど。

 なに、どうしたの急に」

 

「その、大会に向けて計画立てて作業分担していかないといけないって、前に話してたでしょ?

 目標は大会優勝なのに、なんか、あたしの我儘にみんなを巻き込んじゃって……」

 

「ああ……」

 

「何だ、その事ね」

 

 珍しく殊勝な事を言い出したミカの横顔に、自然、どちらからともなく忍び笑いが漏れる。

 

「私たちはきっと、今のままで良いんじゃないでしょうか?

 多分、これが大洗はまぐり高校タンク道部のベストなんですよ」

 

「ガンプラバトルは遊び、遊びだから本気になれる、ってね」

 

「うん? なあにヒロちゃん、誰の言葉?」

 

 ぱちくりと両目を瞬かせるミカに、静かに一つヒロミが頷く。

 

「うん、誰が言い出した言葉かは分かんないけどね。

 何時の頃からか、ガンプラバトルの世界は、そう言う事に決まっちゃったの。

 ガンプラバトルは、現実的に見ればスポンサーの提携によって成立している興行だよ。

 同時に先人たちの努力によって、競技として高いレベルで完成されたスポーツでもある。

 けど本質的にはガンプラは遊び。

 心から楽しんでいる人たちは誰よりも強い。

 彼らの生み出す奇跡が感動を生み出し、ガンプラバトルの歴史を作り上げて来たんだ」

 

 そこでヒロミは少し言葉を切り、ちらり、とミカに微笑を向けた。

 

「来月の大会、きっと面白い事になるよ。

 この千葉県下で一番強いビルダーが誰なのかは分からないけれど。

 きっと今、誰よりもガンプラを楽しんでいるのは、ミカなんだって私は思っているから」

 

「そっか……、うん、ヒロちゃんがそう言ってくれるなら。

 こっから先は私、アクセル全開、ブレーキ無しで大会まで駆け抜けるよ!」

 

「え……?

 ミカさんって、ブレーキが付いていらしたんですか?」

 

「うん? まあ、それもそうか。

 だったらやっぱり、いつも通りにしよっと」

 

 そう言って、おどけたようにちろりとミカが舌を見せた。

 それからミカは、いつもの彼女らしい奔放さで不意に話題を変えた。

 

「ね、そう言えばさ、この練習試合。

 砲弾学園の人たち、すごく格好良かったよね」

 

「そうですねえ、そろいの鉢巻きに胴着姿で、きりっ、と引き締まって見えましたねえ」

 

「あれさ、私たちも出来ないかなあ?

 大洗女学園のジャケットみたいに、揃いの戦闘服でビシッと決めてさあ」

 

「まあ、それは素敵ですねえ」

 

「えっ? それ本気?」

 

「もちろん」

 

 当然のようにケロリとした表情のミカに対し、慌てたヒロミがわたわた両手を振るう。

 

「いやいやいや、無理、無理だってば!

 ただでさえ時間がないワケだし。

 それにほら、タンク道部ってまだ、まともな部費すら下りて無いんだしさ」

 

「む~、いいアイディアだと思ったんだけどなあ」

 

「一度、お父様に相談してみようかしら?」

 

「あわ、トモエさん、真に受けちゃダメだってば!

 タンク道は外見よりも中身で勝負、だよ!」

 

「うむむ……」

 

「ぽー……」

 

「黙りこくらないでよ二人とも、もしもし、ねえ聞いて!」

 

 どこまでが本気なのか分からない二人の仕草に、ヒロミが必死でツッコミを入れる。

 ともあれ、第十三回、ガンプラバトル選手権の開催まで四週間。

 初出場初優勝の目標に向け、タンク乙女たちの士気はいよいよ最高潮に達しようとしていた。

 

 

 

 

 

 


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