「さて...どうしよっか」
そう呟く俺が今いるのは、古びた城の城門前。
空気の薄いこの場所は、巨龍の背中だ。
十六夜からの依頼が無くなったので、俺は暇潰しがてら敵情視察にきているのである。
あわよくばこの龍の弱点とかを見つけられないかなー、などと思いながら、気配を消して龍の背に上陸した俺を待っていたのが、この古城だ。
どうしよう、というのは他でもない。この城に足を踏み入れるかどうか、ということである。
「なーんか強い気配があるんだけど、これレティシアか? レティシアの気配なんてもう覚えてないんだよなぁ...一回会っただけだし」
龍の圧倒的な存在感で感知しづらいが、確かにこの城内には誰かがいる。それも、
レティシアがそんなに強いというイメージはなかったのだが、今は状況が状況だ。魔王となったが故に超強化されている、という線も捨てきれない。
...まあ、いっか。
調べてみなければ埒が明かない。レティシアかもしれないし、そうでないかもしれないが、どちらにしろ
そう思い至った俺は、城門を潜って城内に潜入する。
城内は、古びた外見から想像できる通りの風化しきったものだった。
床や天井、壁には幾多のヒビが走っており、ちょっと本気で蹴れば崩れ落ちそうな程に老朽化している。...龍の背に建てられた城がここまで古くなってるって、それじゃあこの龍は一体どれだけ生きてるんだ?
そんな疑問を頭の片隅に浮かべながら、朽ちた廊下を数分ほど歩き進る。
所々に出没する黒い謎生物を避け、時には抹殺しながら探索を続けていると、俺の耳が何かの音を拾った。
「──.....だと思っ.....。...ラ、撃退のじゅ.....か?」
それは、少年というイメージが当てはまるような、少しだけ高い男の声。はっきりとは聞き取れなかったが、どうやら誰かと話しているらしい。
声が木霊しやすい城内とはいえ、声が聞こえるほどの距離まで近付いても上手く気配が掴みきれないか。声の主の正確な位置が分からない。想像以上に厄介だな、この充満してる龍の気配。
まあ、文句は後だ。
より一層自分の気配を消し、さらに簡単な認識阻害系のルーン魔術を合わせて第三者の視覚からも消える。
抜き足、差し足、忍び足。一切の音も消し、知覚されることを全力で回避しながら、声のする方へと近付いた。
「...、.....は万端で...。今頃は.....め尽くし.......」
「...っかー。私は.....かと思って.....」
「...ん? な...でだ?」
近付くにつれ、当然声もはっきりと聞き取れるようになる。
現在確認できた声の種類は三つ。つまり、通信越しの通話でない限り、この先には最低でも三人は誰かがいる、ということだ。
もしかしたら、城内から感じている強い気配の相手がいるのかもしれない。慎重にいかなければ。
「.....そ.....すね。リ.....うことも.......るわ。...剰戦力、もしくは援軍のあてがあるのでは? 例えば、例の軍神とか。いえ、今は豊穣神でしたか」
.......ん?
「それは...考え得る限りで最悪の出来事だけど、多分違うと思います。だってあのおじいちゃん、約束は守ってくれそうだもの。勘だけど。あと考えられる援軍は牛の王様くらいだけど、その王様は“鬼姫”連盟を援護してます。なので、考えられるのは次の二通りです!」
はっきりと会話の全てが聞き取れる距離まで、俺は声の主達に近付いた。ここまでくれば、さすがに気配も感知できる。この先にいるのは、合計で四人。うち一人は、下手をすれば十六夜クラスのイレギュラーだ。もう少し歩けば、姿も視認できるだろう。
...それより今、ちょっと気になるワードがいくつか出てきたな...。
最近まで軍神だった豊穣神? しかもおじいちゃん?
「一つ目は、参加者側の謎解きが難航している可能性。...だけど、このケースはありえないと思ってます。今回の収穫祭にガロロ大老が来ているなら、時間さえあれば解答に至れる謎解きだと分かるはず。それにペストちゃ.....じゃなくて。“
少女だと過程できる幼さの残った声はそこで一旦区切られる。
と、ここで俺は声の主達を視認することに成功した。
今の声は、予想通り少女のもの。日本人のような、黒髪黒目を携えた子供がそこにいた。
そのそばにいる白髪の少年と黒いローブを纏った女性、柱の影に隠れるように立っている人がどうかも分からない気配の奴の三人から視線を集めながら、少女は緊張感を帯びた声音で話を続ける。
「これは、おじいちゃんが参戦するって事の次に最悪の想定です。地上の参加者たちは既に謎解きを終えていて、尚且つ強行軍を決行しなければならない状況にある。例えば、組織の重鎮が、何かの手違いで敵城に運ばれてしまった、とか」
瞬間、古城が音を立てて軋みだした。
四人が突然、周囲を威嚇するように殺気を飛ばし始めたのだ。
一瞬「まさかバレた...?」と焦った俺だったが、どうやらそういう訳ではないらしい。証拠に、誰一人として俺に向かっての殺気は飛ばしてきていない。あくまでも警戒のための殺気。この場に敵がいた場合、それを炙り出すためのものなのだろう。
ならば、俺が焦る必要はない。四人全員が全員、鋭い殺気を放っているが、それでも俺の気配遮断を看破できるほどの相手ではないようだ。
...けど、アイツはヤバいな。あの白髪少年。
城に入る前から感じていた気配の出処があの少年だ。十六夜より強いとは言わないが、恐らくは同等レベル。あまり戦いたくはない相手だ。
息を潜め、次の行動を考える。
目の前では、殿下と呼ばれる白髪少年が切り札だとかなんとかいう話をしているが、それは俺にとってあまり関係の無い話。まあ、言い換えればあの白髪少年より上の奴は出てこないということなので、ひとまずは頭の隅に置いておく。
さて、どうしたものか...。
この場で奴らと戦うことも視野に入れつつ、思考を巡らせる。
目の前の四人を纏めて相手取って、俺が勝てる可能性は低い。白髪少年がいなければ問題はないだろうが...いや、それは慢心だな。実力は未知数、能力的に俺にマウントを取れる相手かもしれない。
だが、今回は俺一人で戦うわけではない。
もう少しすれば、十六夜率いるゲーム攻略組が到着するはずだ。だったら.....あれ? なんか俺、戦う前提で色々考えてない?
...どうやら、俺は自分で思っているよりも戦闘に飢えているらしい。最後に全力で戦ったのは一体いつだったか...。正直、あの白髪少年とは戦ってみたい。サシなら勝つことも不可能ではないはずだ。サシなら。
.....いや、やめておこう。
下手に手を出して負けるなんて馬鹿げてるし、何よりこの後には巨龍戦が控えてる。ここはスルー一択だろう。
そう結論付け、気付かれる前に撤退することにした。だが、その前に一つ、気になることがある。
この奥にいるのは誰だ?
柱の影に隠れている奴のことではない。
そのもっと奥。ここからでは視認できない位置に、もう一つ気配がある。しかも、それなりに強い。
確認してみる価値はあるか。
幸い、この場に俺の存在を感知出来ている者はいない。ならば、ここで退くのも確認してから退くのも大差ないだろう。
そうと決まれば即実行だ。
身体強化をかけて一足で、とも考えたが、過剰に魔力を使うと感知される恐れがあるので、壁に沿いながらそっと歩く。気配に加え視覚や嗅覚からも認識されないように色々な技術を駆使しながら四人の間を抜けた俺は、安堵するより先に奥へ進んだ。
「...ビンゴ?」
本当に小さく、俺はそう呟く。
奥の部屋...恐らく玉座であろう場所にいたのは、いつか見た金髪メイド吸血姫。その瞼は下ろされており、一見寝ているように見える。
「おい、レティシア。起きろ」
玉座の裏に隠れながら、俺はレティシアにそう囁きかけた。
下手に大声を出せば、先程の四人に気付かれる。しかし、小言での声掛けではレティシアが目を覚ます気配は無かった。
「.....しゃーねぇ」
この場で起こすことを諦めた俺は、レティシアを眠らせたまま運び出す手段に移行しようと考えたのだが──それが間違いだった。
「んな!?」
レティシアの体に触れた、その瞬間。
突然腹部に強烈な殴打を食らった俺の体は、軽々と壁を破壊しながら吹き飛ばされる。
「っつつ.....。...ん? んー、あー.....えっと、ハロー?」
無抵抗のままに吹き飛ばされた俺の体がようやく止まった場所は、つい先程まで覗き見していた広間の中心。つまり、敵陣のど真ん中だ。
そんな場所に突然人が壁を破壊しながら転がってきたら、そりゃあ注目もするだろう。当然、今の俺も穴が空くのではないかという程の視線に晒されていた。
呆然としている四人が我に返る前に、俺達の前に、一つの人影が降り立つ。
「っ! 貴様、あの疑似餌に触れたのか!?」
「は? いや知らない」
殿下、と呼ばれていた少年が俺に向かってそう叫ぶが、疑似餌なんてものを触った覚えはない。俺が触れたのはレティシアであって.....ん?
「ごめんやっぱ嘘。多分触ったわ、疑似餌」
「チッ。馬鹿が」
柱の影から、そんな声が聞こえてくる。
いや知らなかったんだって。ごめん。
「えっと、殿下でいいのか? あのさ、この際お前に聞くけど、あの影なに? 倒していいやつ?」
俺を殴ったであろう、目の前の人影を指差しながら、俺は殿下にそう聞いた。
人影、とはその言葉通りだ。人の形をした影が、俺達の前に立ち塞がっているのである。...よく見りゃ、レティシアに似てんなぁ。やっぱり俺がレティシアに触れたのが原因なのだろうか?
次にどう動くべきかを模索していると、俺より先にレティシアの影が動く。
「チッ。おい殿下、どうなんだ。倒していいのか、悪いのか? もっと言やぁ、コレを倒すことでこのゲームにどんな影響が出るんだ?」
「...ふん。貴様に教える義理はないな、坂元凌太」
「あ?」
レティシアの影が放つ攻撃を躱しながら殿下に問いかけるが、返ってきたのはそんな素っ気ない答えだった。まぁ教えないってところは分からないでもないが...なんで俺の名前を知ってんだ?
「俺達がお前の名を知っているのが不思議か? あの老神の所属するコミュニティのリーダーにして、神殺しを名乗る者だぞ。俺達が知らないわけが無いだろう?」
「いや『知らないわけが無いだろう?』とか言われましても」
影の槍を避け、時には弾きながら殿下の言葉に耳を傾ける。
それにしても、老神ねぇ。やっぱりコイツら、もしかしなくても爺さんの言ってた“魔王連合”って奴らか?
...まぁ、いっか。
よくよく考えてみれば、この影を倒したところでゲームがクリアされる可能性は限りなくゼロに近い。だって謎解きしてないからね。
問題は“魔王連合”の奴らに俺の
「
拳に魔力を込め、雷に変換させてから勢いよく撃ち抜く。
俺の拳から放たれた雷の一撃はレティシアの影を容易に呑み込み、古城の天井ごと塵に変えた。
「...嘘。たった一撃で...?」
「話以上の実力ですね。さすがはあの豊穣神の所属するコミュニティの長、と言ったところでしょうか」
小柄な少女と、黒ローブを羽織った女性がそう呟く。
さて、このまま穏便に事が進めばいいのだが。
「必要ないかもしれないが、一応挨拶だ。“ファミリア”がリーダー、坂元凌太。以後よろしくな、“魔王連合”」
居住まいを正してそう言えば、殿下が一歩前に出てきて俺に返答してくる。
「“魔王連合”...ああ。そう言えばあの老神が俺達のことをそう仮称してたな。ではそれに倣って、“魔王連合”が一員、殿下と呼ばれている者だ。真名の方は控えさせてもらおう。構わないな?」
「別にいいよ。興味もない」
「そうか。...それで? 坂元凌太。貴様、単身この城に乗り込んできて、一体何の用だ?」
そう言って明らかな戦意を示してくる殿下。
それに合わせ、ほかの三人からもそれなりの敵意が飛ばされてくる。
「落ち着けよ。別にお前らと戦う気はない。今はな」
「今は、ときたか」
「ウチの駄神が世話になったみたいだしな。聞いたよ、お前ら強いんだろ? そのうち戦ってみたいとは思うが...今じゃない」
それに、こいつらは“魔王連合”なんて呼ばれてる奴らだ。打倒魔王を掲げてる“ノーネーム”と同盟を結んでいる限り、そのうち嫌でも戦う日がくるだろう。それまではお預けかな。
「では、何をしにここまできた? まさか、龍の背に乗ってみたかったから、などとは言わないだろうな?」
「ギクッ」
「.......本気か?」
「冗談だよ、冗談。半分は。だからそんな目で見るな頼むから」
「半分は冗談じゃないんだ...」
呆れたように、少女が半眼で俺を見る。
場を和ませようとちょっとお茶目に口で擬音を発してみたのだが...くそ、やらなきゃ良かった。結構恥ずかしいし。
「コホン。ま、目的って言われれば敵情視察だな。それに、俺らのコミュニティの同盟者が
「っ! じゃあやっぱり...」
「そ。ほかのコミュニティの重鎮もこっちに飛ばされてるみたいでな。さっきそこの女の子が言ってた、最悪の事態ってやつだ」
「.....さっき言っていた、だと?」
殿下が何か反応したが、無視だ無視。
何かを言われる前にこっちが聞く。
「俺は今回、このゲームをクリアする気はないんだ。龍と戦えればそれで十分」
「龍と戦う? この最強種と? 本気で言っているのか?」
「オフコース」
未だ柱の影から出てこない奴の声に、そう返答する。
「...さすがあのお爺ちゃんの仲間だね。考え方がおかしいよ」
「そうか? ...まぁ、そうなのかもなぁ。最悪死ぬし」
「それが分かっているのに戦うのですか? 態度によらず、自殺願望をお持ちなので?」
「そうじゃない。俺はただ全力で、後先考えずに戦ってみたいんだよ、黒ローブ」
「く、黒ローブ...? また安直な呼び名ですね」
「嫌なら名乗れ」
「.......アウラです」
「ホントに名乗んのかよ」
ちょっと予想外だったが、まあ問題はない。寧ろ得だろう。...いや得はしてないな、うん。
「まぁいいや。殿下、でいいんだよな?」
「ああ、構わない」
「んじゃ殿下。ここで戦ってもお互い得はない。それに、もうすぐ“ノーネーム”率いるゲーム攻略組が到着するはずだ。お前、自分の存在を知られたくないんだろう? だったら戦ってる場合じゃないよな?」
「フン。貴様に見られた時点で存在は隠せていないだろう」
「別にほかの奴らに言ったりしねぇって」
まあ、十六夜辺りが勘づくのは時間の問題かもしれないが。
「貴様を信用しろと?」
「俺から他人に教えるなんざしねぇよ。
「信用の欠片も無いね、神殺しさん?」
「ま、この世の何に誓ったって、お前らが俺を信用することはねぇだろ? 俺がお前らに信用してもらうために出来ることなんざ何もないんだよ」
そういや、昔カルデアで見た魔術礼装の中にセルフ・ギアス・スクロールとかいうのがあったかなぁ。著名したら絶対にその契約を破れなくなる、みたいな効果の。
ま、その効果も俺には効かないのかもしれないし、何よりそんなの使う気なんてさらさら無いんだけど。
「信用出来る手段ならあるさ」
「あ?」
殿下が、何故か不敵に笑いながらそう言ってきた。
なんだろう、嫌な予感しかしないんだが。
「──お前を殺す」
言葉と同時、殿下の足元が陥没した。というより、殿下が自身の脚力で粉砕したのだろう。
俺がギリギリ目で追える速度で、殿下の拳が俺の頬を掠る。
「...ふん、今のを避けるか」
「残念だったな。奇襲には慣れてるんだ」
言いながら、俺は右足を殿下の腹目掛けて蹴り上げる。
それは殿下に避けられてしまったが、想定内だ。とりあえず殿下と距離が置ければそれでいい。
「四対一。さすがの貴方でも、この状況は不利だよね?」
「さて、どうでしょう。神殺し舐めんなよ?」
殿下よりも速い速度で、黒髪の少女が俺の背後を取った。
内心では驚いているが、それを表に出したら相手に余裕を持たせてしまう。ギリギリところで取り繕い、強がってみたのだが...なんだよ、今の速度。黒ウサギや十六夜より速い...?
まあ、それならそれで仕方がない。それよりも次の対処をしっかりしなければ。
俺を中心にして、円状に雷を放出する。
これなら、後ろに退くなり防御に回るなりするはずだ。その間に脱出路の確保を...
「...は?」
思わず、俺の口からマヌケな声が漏れた。
背後にいた、黒髪の少女。彼女は俺の雷を受けたはずなのに、平気な顔をして俺の背中に短剣を突き刺してやがるのだ。
久々に感じる、じわじわと広がる熱い感覚。
だがそんなものよりも、俺の思考は驚愕で支配されていた。
「チッ。離れろ!」
無理矢理腰を回して、少女の脇腹に蹴りを放る。
「おっと」
...が、その蹴りは虚しく空を斬るだけだった。見えなかったが、恐らく少女の異常な速度で避けられたのだろう。
「...出し惜しみしてる場合じゃねぇな、こりゃ」
俺が目でも追えない速度。それは最早、光速に至る領域だ。
だが、そうだとしたら、彼女の攻撃手段は理に適わない。
光の速度が出せるというのなら、その速度のまま斬るなり突くなりすればいい。そっちの方が威力が上がるし、何より確実に攻撃が通るだろう。だって見えてないんだから。
その辺はよく分からないが、考えるのは後だ。
「我は雷」
「ッ! 奴を止めろ!」
殿下がそう叫ぶが、もう遅い。
少女が飛び退いたことにより、俺に数秒の猶予が出来た。
たった数秒、然れど数秒。それだけあれば、俺が奥の手を出すには十分すぎる。
「故に、神なり」
瞬間、暗い広間を照らす光が
石壁を突き穿ち、天井を撃ち崩すソレは、俺の体から放出される雷だ。
「悪いが、加減は無しだ。全力でいかせてもらうぞ」
そう宣言する俺の言葉に、嘘偽りはない。
本当は対巨龍戦のために温存しておきたかったのだが、こればかりは仕方ない。殺られる前に殺る。
今の俺は本気も本気、正真正銘の全力全開だ。
──