新世紀エヴァンゲリオン リナレイさん、本編にIN   作:植村朗

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67、シンジくん、相互互換テストにIN(後編)

シンジは目の前の人物から目を離せぬまま、両手に力を込めた。

闇の中、手探りで握る操縦桿(インダクションレバー)

その硬質の感触こそが、己の存在を確かめる為の命綱だ。

 

 

見知った少女に似た『それ』は裸身で、きめ細やかな白磁の肌を晒している。

だが、その表情を見てしまえば劣情を催す余地など有りはしなかった。

 

 

曖昧な光を放ち、ゆらめく蒼い髪。

白目を剥き出した赤い瞳。

三日月型に持ち上がり、狂気を孕んだ笑みを浮かべる唇。

 

 

眼を反らしたい。逃げたい。

眼を反らすな。逃げちゃダメだ。

 

 

シンジの本能は、矛盾する二つの思考を撃ち出し…

そして、ギリギリ踏みとどまって、後者に従った。

逃げようと震える心を叱咤し、抑えつけ…目の前の『それ』に問う。

 

 

(君は…誰だ!? なんで綾波さんの姿をしている!?)

(私はアヤナミレイ。あなたが知っている『綾波さん』と同じモノであり、まったく別のモノ)

(…綾波さんと同じで、まったく違う?)

(何も知らないのね。()()()()のはずなのに)

 

 

鸚鵡返ししたシンジに、アヤナミレイは(わら)った。

あのギョロリとした目で、見透かすように。

その言い草に神経を逆撫でされ、シンジは吼える。

 

 

(知ってるさ! あの明るい性格も、あの笑顔も、温もりだって!

僕は綾波さんのことなら、なんだって…!)

(うそつき。何も()()()()()()()()()癖に。

『綾波さん』が、なんであんな廃墟みたいなマンションに一人で住んでるか知ってる?

両親、家族のことは? 誕生日だって、聞いた事がないのに?)

 

(綾波さんにだって、事情や辛い過去があるかも知れないじゃないか!

そんなの、無理に詮索する必要なんてないだろ!?)

(過去を聞くことで、今の幸せが壊れるかも知れない…だから、詮索()()()()()んでしょ?

彼女のことが大事、それは建前。本音は、刹那の快楽に流されていたいだけ。

甘えて、甘えられて、互いの欲求を満たす…共依存の関係が心地いいから、手放したくないだけ。違う?)

 

(違う。違う。違うっ!)

 

 

シンジは必死に否定を繰り返しながらも、図星を突かれていることに気付いていた。

最初こそ「何故」という思いはあった。

だが日々の日常と、戦いという非日常の狭間で、いつしか疑問を抱かなくなった。

 

レイと会話を交わすのが楽しかった。

言葉もなく肩を並べるだけで落ち着いた。

身体を重ねるのは、この上ない安らぎだった。

自分も彼女も、笑うことができた。

 

けれど、もし真実に触れて、その関係が壊れてしまったら?

 

 

(…そう。そうかもしれない。

怖いんだ。綾波さんに嫌われることが。温もりを失うことが。

…トウジやケンスケは、『お前はヒーローだ』って言ってくれた。

エヴァに乗って、戦って、みんなを守れるんだからって。

でも本当の僕は、使徒との戦いから逃げたくてしかたない…臆病で、弱い人間だ。

綾波さんが側にいてくれなかったら、きっととっくに逃げ出してた)

(……)

 

(でも、それを依存って言うなら、どうすればいいんだよ!?

綾波さんを大事だと思って、何が悪いんだよ!?)

(良いとも悪いとも言わないわ。ヒトは一人では生きていけない。

迷いながら、間違いながらでも、進んでいかなくてはいけない。

それが、ヒト)

 

 

怒鳴り散らすようなシンジの声に、別方向から答えが返る。

あの恐ろしい笑いを浮かべたアヤナミレイの斜め後ろにもう一人。

第壱中学校の制服姿の綾波レイが立っていた。

 

無表情で淡々としたしゃべり方…同じ姿、同じ声質なのに、まるで別人のように見える。

おそらくはミサトやクラスメートが言っていた、性格が変わる前の()()()()()()()()()()…。

 

その隣に別の…赤いスカートの子供服を着た五歳ほどのレイが現れ…

幼い姿と声に似合わない、大人びた口調で続けた。

 

 

(知っていること、知らないこと。それによって、あなたが選べる道は変わっていく。

あなたは何も知らなかった。今までは、それでたまたま上手くいっていただけ。

けれど、あなたは知らなくてはいけない。その上で決めなくてはいけない。

()()綾波レイ…あなたが『綾波さん』と呼ぶ彼女と、共に歩んでいくかを)

 

(道…? 決めなきゃいけないって… 何をさ?)

(教えてあげる。真実の、ほんの一部を)

 

 

歪んだ笑みのアヤナミレイがそう告げると、シンジの視界には、ある光景が飛び込んできた。

 

 

******

 

 

鈍色の質素な家具。 埃をかぶった電子機器類。 硬そうなベッド。

そして、打ちっぱなしのコンクリートの壁と床。

 

 

(まるで綾波さんの部屋だ…)

(NERV本部最奥…ターミナルドグマ。綾波レイが生まれた場所。

彼女の…私の深層心理を構成する光と水は、ここのイメージが強いの)

 

 

シンジはハッとして、初めてレイの部屋に訪れた時を思い出す。

スポーツドリンクの入ったコップを弄び、四肢とヘソを露にした格好でニヤリと笑う彼女を。

 

 

『住めば都だよ……あと、武骨なコンクリの壁って()()()っぽくて超カッコよくね?』

(冗談でも強がりでもない…この光景こそが、綾波さんの原風景だったんだ…)

 

 

(そしてこれが、また別の真実)

 

 

制服姿のレイが、いつの間にかシンジの隣に立っていた。

場面が切り替わり、円筒形のガラスに囲まれた暗室の光景が広がる。

透明な壁の向こうには、オレンジ色の液体が満たされていた。

 

そこに浮かぶ、同じ顔の、一糸まとわぬ少女の群れ。

一様に張り付いたような笑みを浮かべている彼女達は…。

 

 

(綾波さん… LCLの水槽…!?

同じだけど、まったく違うって… まさか、クローン人間!?)

(そう。これは綾波レイを構成するパーツ。魂の入れ物。

ある人間の遺伝情報から引揚(サルベージ)され、造り出された、ヒトの形をしたモノ)

(造り出された… そんな… そんなことって…)

(…私が死んでも、代わりはいるもの)

 

「あんたなんか、死んでも代わりはいるのよ、レイッ! あたしと同じね!」

(!?)

 

少女の独白に被せて、背後から聞こえたヒステリックな声に、シンジは振り返った。

切り替わった光景は…最低限の電気のみが灯った、薄暗い本部発令所。

 

赤い服を着たあの幼いレイが、白衣姿の中年女に首を絞められていた。

化粧こそ濃いが、すらりとした体形…かつては相当の美人だったであろう顔が、般若のごとく歪んでいる。

誰かに似ているような…だが、それを考える余裕は、シンジにはなかった。

 

 

(やめろ!)

 

 

少年は手を伸ばす。これは過去の光景であり、その手は届きはしないと解っていながら。

首を絞められている童女は恐れも苦悶もなく、薄笑いを浮かべていた。

 

 

(エヴァを動かすためには、魂を宿らせる必要があった)

(やめろ)

(零号機のコアに宿っているのは、一人目の綾波レイ(わたし)

(やめろ…!)

(あの()()()()が、その過程を踏むのも、すべて織り込み済み)

(やめろぉぉぉっ!!)

 

 

それは凄惨な場面に対してか、それとも少女が語る言葉に対してか…。

シンジの絶叫は、夢と現実、過去と現在が入り乱れた光景の中に響いていた。

 

 

 

******

 

 

 

オペレーティングルームには警報ブザーが響き、赤い警告ランプが点灯していた。

見ればエヴァンゲリオン零号機は、その身体を悶えさせ、唸り、拘束から逃れようとしている。

 

「どうしたの!?」

「パイロットの神経パルスに異常発生! 精神汚染が始まっています!」

 

ミサトの問いかけに、マヤが緊迫した声を返す。

リツコが身を乗り出し、愛弟子のコンソールを覗き込んだ。

 

「まさか! このプラグ深度では、有り得ないわ!」

「プラグではありません! エヴァからの侵食です! 零号機、制御不能!」

『シンジッ! バカシンジ! なにやってんのよぉっ!?』

 

振動は仕切られた向こう側のスペースにいる弐号機にまで届き、アスカが通信越しに毒づく。

零号機は一瞬動きを止めたが、すぐに行動を再開した。

 

拘束具など全力のエヴァにとっては所詮気休め。

機体が強引に前へ進めば容易く(ひしゃ)げ、ついにはその背が壁から離れる。

 

 

「回路断線! 零号機のエントリープラグ内、モニターできません!」

「くっ…! これ以上は拙いわ。マヤちゃん、電源落として!」

「了解! ケーブル、パージします!」

 

日向の報告に、ミサトは(かぶり)を振る。

マヤは頷いてキーボードを手早く叩き、零号機の外部電源は火花を噴きながら外れ飛んだ。

 

だが、かつて起こった零号機事故を考えれば、稼働時間が残り数十秒の内部電源でも、この第二実験場を滅茶苦茶にするには充分すぎる。

あの時とほぼ同じ状況…違うのは、当時のパイロットであったレイが、プラグ内ではなく、オペレート側にいるということだ。

蒼髪の少女はツカツカと青葉シゲル二尉の席へ歩んでいく。

 

「…ロンゲくん、ちょっとマイク借りんね」

「だめだレイちゃん! 通信は完全に途絶してるんだぞ!?」

 

慌てる青葉の静止を無視し、マイクをひったくるレイ。

スゥゥ――――……息を細く長く吸い込み……

 

「いぃぃっかりくぅぅぅん!!!!」

「「「っ!?」」」

 

レイの凄まじい声量が、オペレーティングルームの空気を震わせた。

マイクが、キィンッと悲鳴のごとき音割れを起こす。

オペレーター衆が身を竦め、あるいは咄嗟に耳を塞いだ。

 

 

******

 

 

「…はっ!?」

 

誰かの声が『聞こえた』瞬間、シンジは目を覚ました。

 

エヴァが強引に前進している感覚…背後の壁には引きちぎられた拘束具と、前進に伴って空いた穴があった。

そこから延びた今にも切れそうなか細い計測コード群が、零号機の背中に引っ張られて悲鳴を上げている。

 

弓引くような拳を振りかぶった山吹色の一つ目巨人(キュクロプス)

その単眼の先、拳が狙う先…そして、プラグ内のシンジの視線の先には、オペレーティングルームの強化ガラス…。

 

周囲の職員達に指示を飛ばすミサトとリツコが見える。

必死にキーを叩くオペレーター達が見える。

そして、マイクを手にした、蒼髪の少女の姿が見えて…

 

『どしたーっ!? 寝ぼけてんのかーっ!? ピリっとしろよサードチルドレン!!』

『さっきまでの自分を完全に棚上げしてんじゃないの! 頭にドでかいブーメラン刺さってるわよ!』

 

アスカに突っ込まれながらも、レイは無駄に明るくマイクに叫び続けていた。

 

「っっっ!!」

 

シンジは操縦桿を全力で引く。

零号機の拳は、強化ガラスを殴りつける寸前で…止まった。

 

『通信、回復…シンジくん、無事か!?」

「だ、大丈夫です日向さん。でも、僕は…零号機はっ…!」

『今は自分を責めないで。すぐに医療班を向かわせるわ!』

 

シンジの顔色は蒼白だ。

一歩間違えれば、オペレーティングルーム内にいる全員の命を危険に晒すところだった。

自分を責めるな、と言われて出来るほど器用な少年ではないとミサトも解ってはいる。

なればこそ、精神汚染の悪影響を抑えるべく、自責の言葉を口早に遮った。

 

 

『碇くん』

「綾波さん、僕は…」

 

 

医療班を待つ間、レイから声が掛かるも、シンジは顔を上げられぬまま。

零号機の中で見た悪夢…ただの夢と思いたかったが、それにしては生々しすぎた。

自分の、レイへの思い。レイの正体。真実を確かめるか否かの葛藤…答えはまだ出ない。

 

 

『ね…碇くん』

 

 

もう一度呼ばれて、シンジは恐る恐るレイの方を見た。

いつもの笑顔だ。能面のような無表情でも、いびつな笑いでもない。

過去に何度も、壊れそうな心を癒してくれたその笑顔、そして、声。

 

 

『自信を持って。碇くんがいるから、あたしは戦えるんだよ』

第三使徒戦。初号機を果敢に駆る彼女の言葉が、何も知らない彼には頼もしかった。

 

 

『…エネルギー注入! どーぉ?元気出た?』

第五使徒戦前。彼女の口づけと微笑みが、悪夢に怯えた彼に勇気をくれた。

 

 

『あはっ、やだもぅ! なに泣きそうな声になってんの!』

第八使徒戦後。電話越しの声に、待つしかできなかった彼は安堵した。

 

 

(…確かに依存だったかもしれない。正しい選択だったのかは解らない。

けれど…綾波さんが助けてくれたから、今まで生き延びられたのも事実なんだ)

 

 

「…ありがとう、綾波さん」

『どーいたしまして』

 

 

()()()()の笑みに、シンジは不器用ながら笑い返した。

 

 

******

 

 

「あの時、通信は完全に途切れていた…なのに、なんで零号機は止まったの?

科学的にも物理的にも、有り得ないことだわ…」

「そりゃあ、エヴァってガチな機械じゃなくて()()()()だもん。

言ってみりゃ半生(ハンナマ)ですよ半生。

あの子、案外根性論が通じるよ?

アスカっちが通信した時点で、零号機が一瞬止まったからさ。

あたしが思いっきり叫べば、声が届くかなーって思って」

「え、えぇぇ……?」

 

科学者らしく理論派のリツコは、この時ほどレイに困惑させられたことはなかったという…。


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