【完結】Innocent ballade   作:ラジラルク

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Episode.12

 共同ライブの当日は綺麗に晴れ渡った青空が何処までも広がっていた。つい最近まで秋を感じらせない暑い日々が続いていたかと思えば急激な寒さが到来した東京。肌寒い日が続き、いよいよ冬の訪れを感じさせ始めた頃にはもう私の吐く息も白くなってしまっていた。

 集合時間より少し早い時間に会場へと着いた私は、ライブを数時間後に控えているのが嘘のような静寂に包まれている東京ドームを見つめていた。正面入り口の前には765プロと346プロの皆が写った大きな告知ポスターが冬の肌寒い風に吹かれてなびいている。そんな風に揺れるポスターのすぐ近くにはもう既に多くのお客さんが凍えるような寒さの中で身を丸くして物販の列を作っていた。

 

 東京ドーム周辺には興奮と緊張が入り混じった独特の雰囲気が漂っていた。千早ちゃんの引退報道を聞いて夢を諦め765プロを辞めた後、初めて見に行った765プロの定例ライブ、大人になって346プロに就職し仕事として参加することとなったシンデレラプロジェクトが設立されて間もなく行われた夏のアイドルフェスや部署存続を賭けて挑んだ冬の舞踏会――……。私はそういったライブ会場に足を運ぶたびに、こうしていつも皆より少し早い時間に会場に着いてライブ前の独特な空気を肌で感じていたのだ。

 私はこのライブ直前の会場全体の空気が好きだった。私は皆のようにブレイクすることができずに引退してしまったからこんな大きな会場でのライブは経験することはできなかったが、アイドルになる夢を諦めた今でもこのライブ前の張り詰めた緊張感のある空気は、引退から八年が経った私の胸の奥底に隠れたあの頃の気持ちを刺激してくれるのだ。ライブをずっと楽しみにしていたお客さんたちの高まる気持ち、アイドルたちの本番直前の興奮と緊張が入り混じった気持ち、そんな様々な気持ちがこのライブ会場で交錯して独特の雰囲気を創り上げる。

 私はもうアイドルではないし、一人のお客さんでもない、ただアイドルたちを支える裏方のスタッフの一人。だから裏方の私がこんなことを思うのは可笑しな話なのかもしれない。だが例え何度こういったライブを経験しても、夢を諦めて長い年月が流れようと、この独特な雰囲気はいつも私を二度と戻ってこない青春時代に誘ってくれるのだ。

 

 

 そんな空気を肌で感じる度に「やっぱりアイドルって良いな」、と私は思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Episode.12

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さぁー、皆! 準備は良いかな!?」

 

 

 

 

 薄暗いステージ裏に春香ちゃんの声が響き渡る。周りに立つ数人のスタッフが手に握っている灯りに照らされた先には、私が八年前過ごしていた日常過ごしたと今の私が生きている日常が交わり合っていた。あの頃私にとってかけがえのない存在だった765 ALL STARSの皆と、今の私にとってかけがえのない存在である346プロの皆が肩を組んで大きな円陣を組んでいる――……。決して交わることのない世界だと思い込んでいた私の宝物が、こうして今、私の目の前で一つになっているのだ。

 その光景が共同ライブ当日を迎えた今でも何だか信じられなくて、私はそんな皆の様子を一歩離れた場所から不思議な気持ちのまま見守っていた。

 

 

 

 

「あの子らも346プロの皆も、みんな良い笑顔ね」

 

 

 

 

 私の隣で一緒になって皆の円陣を見守っていた律子さんが静かにそう呟いた。律子さんの言葉に、私は何も言わずにただ笑って見せる。

 律子さんと私の前で円陣を組む総勢四十人ものアイドルたちの表情からは、誰一人として遠慮や後ろめたさといった気持ちが感じられなかった。765 ALL STARSの皆も、346プロの皆も、今日デビューする三人も、みんな先輩や後輩といった立場や会社などのしがらみに縛られることなく、同じ目線で同じ立場で肩を組んで円陣を作っている。いつの間にか立派な大人に成長していた765 ALL STARSの皆と、そんな立派な先輩たちの後姿をこの三ヶ月だけでもずっと見ていた346プロの皆――……、その両社のアイドル全員が自信を持った素晴らしい笑顔を浮かべているのだ。

 皆のそんな逞しい表情を見て私は確信していた。きっと今日のステージは最高のステージになるということを。

 

 

 

 

「今日のライブは歴史に残るライブになりそうですね」

 

「当たり前じゃない、私たちとちひろたちが組んでるんだから」

 

 

 

 

 眼鏡を人差し指で動かして、律子さんは自信満々にそう答える。八年前に私をプロデュースしてくれていた頃から変わらないその自信満々な表情に私は思わず苦笑いを浮かべてしまった。それと同時に、私はそんな昔から頼りにしていた律子さんの表情を見てホッとしたような落ち着いた気持ちになってしまう。

 

 そして私たちのいるステージ裏の外から大きな歓声が聞こえてきた。ライブのオープニング映像が流れ始めたようで、この場にまで会場のお客さんたちの溢れんばかりの歓声が響き渡ってきたのだ。

 いよいよ始まる765プロと346プロの共同ライブ。未だかつてない大規模なこのライブの開幕を目前に控え、円陣を組む春香ちゃんは私と律子さんに届かないくらいの小さな声で皆に何かを話している。私たちは聞き取れなかったが、春香ちゃんの声は皆に届いていたようだ。皆は春香ちゃんに向かって静かに頷くと、大きな声と共に四十人ものアイドルが肩を組んで作る円陣の中へと一斉に右足を踏み込み、大所帯の円陣を解いた。

 

 

 

 

「まずは私たちからだね! 皆が後に続くように、しっかり決めるよ!」

 

「失敗しても良いから、今日は楽しもう! 何かあったらボクたちがカバーするから」

 

「はい! 天海先輩たちに負けないように頑張ります!」

 

「なら私はしまむーに負けないように頑張らないとだね」

 

 

 

 

 未央ちゃんの声に、円陣が解かれた後にその場に残っていた六人は声を上げて笑っていた。そしてそれぞれがバシッという力強い音を響かせ、ハイタッチを交わす。不安を微塵も感じさせないリラックスした表情の六人は、それぞれとハイタッチを交わすとそのままポップアップ台に乗り、背中を丸めてスタンバイの態勢をとった。

 

 

 

 

「美波ちゃん、大丈夫?」

 

「大丈夫ですよ、千早さんたちみたいな先輩たちとこんな大きなステージに立ててちょっと興奮してるんです」

 

 

 

 

 私の目の前のポップアップ台に位置取る美波ちゃんと千早ちゃんの会話が聞こえてきた。千早ちゃんは静かに笑みを浮かべるだけで何も美波ちゃんには言わなかった。それと同時に会場から一段と大きな歓声が響いてきて、聞き覚えのある静かなイントロが聞こえてくる。

 

 

 

 

「それでは行きます! 3、2、1――……」

 

 

 

 

 真ん中の春香ちゃんが乗ったポップアップ台に手を掛けていた男性スタッフのカウントダウン。男性のカウントダウンが「1」になったと同時に、ポップアップ台に乗っていた春香ちゃん、真ちゃん、千早ちゃん、卯月ちゃんと未央ちゃん、そして美波ちゃんの六人を乗せたポップアップは勢いよくステージ目掛けて駆け上がっていく。そして上で六人を待っていた光り輝くステージに辿り着いたポップアップの音だけが、取り残された私たちの元まで聞こえてきた。

 耳が張り裂けんばかりの大歓声。私と律子さんはその会場の様子を後ろに設置された小さなモニターから確認した。光り輝くステージへと無事に辿り着いた六人は、五万人の大観衆に出迎えられステージの上に立っている。どうやら上手く行ったようだ。

 

 

 

 

「良かった……。何回経験してもライブの一発目って緊張するわよね」

 

 

 

 

 隣で疲れたような表情で安堵の溜息をついた律子さん。ライブの一番最初の登場シーンはとても肝心で、この時のライブへの入り方によって成功か失敗かを決めると言っても過言ではない。そしてどうしても不安定なまま勢いよくステージへと登場するポップアップは失敗が多く、その登場シーンを一番最初の曲で持ってきた私たちはずっとそんな心配をしていたのだ。

 だがそんな私たちの心配も不要だったようだ。ポップアップによってステージへと登場した六人は最高の笑顔でオープニング曲である『We're the friends!』を高らかに歌っている。その様子をモニター越しで確認して、私も律子さん同様に安堵の溜息を付いた。

 

 

 

 

(本当に立派になったのね、765 ALL STARSの皆も346プロの皆も)

 

 

 

 

 私の想像をも越える速さで急成長を遂げた六人を見て、私は心の中でそう呟いた。

 そんな私たちの心配も知る由もない六人のアイドルたちは五万人の大観衆からの後押しを受けて、いつになく眩しい笑顔を浮かべてステージで歌っていたのだった。

 

 

 

 

 

 

☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 ライブも中盤に差し掛かった頃、千早ちゃんのデビュー曲であった『蒼い鳥』を歌った凛ちゃんのステージが終わり、いよいよ346プロからこの共同ライブで正式に全国デビューを果たすこととなった三人がステージに上がる時が来た。序盤から凄まじい盛り上がりを見せた会場は、開始から二時間ほどが経った今でもその盛り上がりは冷めぬことを知らずに会場全体を溢れんばかりの熱気で包み込んでいる。まるで今から初めてステージに立つ三人の新人アイドルを歓迎するかのように、これ以上ないくらいに会場のボルテージは上がりきっていた。

 そしていよいよ凛ちゃんがステージから姿を消し、新人アイドル三人の紹介を兼ねたVTRが会場の大型モニターに流された時だった。ステージに上がる順番は最初が一ノ瀬志希ちゃんで二番目に森久保乃々ちゃん、最後が相葉夕美ちゃんの順になっていたのだが、このタイミングで森久保乃々ちゃんがスタンバイの場所から姿を消したのだ。

 森久保乃々ちゃんは今年で十五歳を迎える、気弱な子だ。常にネガティブで恐ろしいほどまでに後ろ向きの乃々ちゃんは高いポテンシャルとは裏腹に全く自分に自信が持てず、アイドルを志したのも親戚に勧められて断れずに始めたのがキッカケといった他の子たちとはちょっと変わった子だった。だが何故かそんな今までになかったネガティブキャラが一周回ってとても受けが良かったようで、こうして今日の共同ライブで正式デビューが決まってしまった。乃々ちゃんの性格が性格だけに、この大舞台でのデビューはかなり物議を醸したが、それでも美城さんは「最初に大きなステージを経験しておいた方が彼女の為にもなる」と言い切って、共同ライブでステージに上がることになったのだ。

 

 本人もアイドルになることへの抵抗はないらしい。だがあまりにもネガティブ過ぎる思考が彼女を弱気にさせ、迷わせてしまっていた。

 

 

 

 

「アンタ、この期に及んでまだビビってるの?」

 

 

 

 

 暫くしてスタンバイ場所近くの部屋の机の下で発見された乃々ちゃんを見て、伊織ちゃんが腕を組みながら呆れたように口を開く。

 

 

 

 

「だってぇ……。こんなに沢山のお客さんがいたら、私どこ見れば良いのか分からないですしぃ……」

 

「お客さんの顔を見れば良いに決まってるでしょ!」

 

「そんな恥ずかしい事、森久保にはむーりぃーですよ……」

 

 

 

 

 何度か伊織ちゃんが説得に当たるも、全く埒が明かなかった。そんなことをしている間に一ノ瀬志希ちゃんが大歓声に包まれながらステージへと上がって行っている。乃々ちゃんとは違って五万人のお客さんたちに臆することなく自己紹介をする志希ちゃんの声がマイク越しに聞こえてきて、より一層乃々ちゃんを不安がらせていた。簡単な自己紹介と自身のデビュー曲を歌ってかかる時間はせいぜい五、六分ちょっと、そんな僅かな時間の後には志希ちゃんはステージを降りて乃々ちゃんが代わりにステージに上がらないといけない。一秒が重くのしかかる残された時間で、乃々ちゃんは伊織ちゃんの説得に必死に抵抗するかの如く、隠れた机の脚を握り締めているのだ。

 いよいよ志希ちゃんの歌が始まった時だった。もうスタッフも伊織ちゃんもお手上げ状態で乃々ちゃんがステージに上がらなかった時の対処法を皆が考え始めていた時、雪歩ちゃんが何処からか騒ぎを聞いて駆けつけてきたのだ。雪歩ちゃんは膝を曲げて机の下で震え上がる乃々ちゃんの目線まで合わせると、優しく乃々ちゃんの髪に触れた。

 

 

 

 

「私もね、乃々ちゃんの気持ち分かるよ。私も初めはアイドルなのに、いつも人前で歌うのが恥ずかしくて逃げ出しくなる気持ちでいっぱいだったから」

 

 

 

 

 優しい声で語り掛けるように雪歩ちゃんは声を掛ける。乃々ちゃんは潤んだ瞳で雪歩ちゃんを見つめたまま、何も言わなかった。

 

 

 

 

「もし今日のステージに立ってキツくて辛かったら、私は途中でも逃げ出して良いと思う」

 

「……本当に? 本当に逃げても良いんですか?」

 

「うん、大丈夫よ。その時は私が何とかして見せるから」

 

 

 

 

 震える乃々ちゃんに雪歩ちゃんは優しい笑顔で笑って見せる。

 

 

 

 

「でもね、そんな臆病だった私でも変われたんだから、乃々ちゃんだってきっと大丈夫だよ。頑張った先には乃々ちゃんが想像できないくらい驚くような楽しくて魅力的な世界が待っているから」

 

 

 

 

 そう言うと雪歩ちゃんは乃々ちゃんの頭を撫でていた手をゆっくりと下ろし、机の脚を握り締めていた手に重ねた。そのまま優しく手を引いて、ゆっくりと立ち上がろうとしている。

 

 

 

 

「そんな素敵な世界に、私たちが連れて行ってあげる。だから頑張ろう? 私も傍で見守ってるから」

 

 

 

 

 雪歩ちゃんの言葉に、あれだけ頑なに机の下から出ようとしなかった乃々ちゃんはゆっくりと出てきて震えながら立ち上がった。今にも泣きだしそうな表情の乃々ちゃんの右手を雪歩ちゃんが握り締め、ゆっくりとスタンバイの場所まで連れてくる。

 モニターに映る志希ちゃんは自身のデビュー曲の最後のサビを歌っていた。もう間もなく志希ちゃんのステージが終わり、乃々ちゃんがステージに上がることになる。今にも崩れ落ちそうな震えた足で何とか立っている乃々ちゃんだが、雪歩ちゃんに左手に支えられたその表情にもう迷いはなくなっていた。

 

 

 

 

「一ノ瀬さん、完全に捌けました! 森久保さん、お願いします!」

 

「さ、行くよ。一緒に頑張ろうね」

 

「は、はい……」

 

 

 

 

 男性スタッフの声と共に、雪歩ちゃんは乃々ちゃんの右手を握ったまま階段を登って行った。そして最後の段を越えた舞台袖ギリギリのところで乃々ちゃんの右手を離すと、軽く乃々ちゃんの背中を押す。一人になった乃々ちゃんは震えながらも、ゆっくりとした足取りで六万人が待つステージへと進んでいった。

 

 それから乃々ちゃんは逃げることなく、なんとかステージで歌って見せた。妙な緊張感に包まれたまま緊迫した空気の中でモニター越しで皆が見守る中、途中何度も何度も乃々ちゃんは舞台袖の方へと視線を向けたが、それでも決して逃げ出すことなく最後までステージに立ち続けたのだ。乃々ちゃんが歌っている間ずっと舞台袖ギリギリのところでその様子を伺っていた雪歩ちゃんも、モニター越しで見守っていた私たちも、乃々ちゃんが歌い終わって五万人の大歓声と拍手が聞こえてくると思わず手を叩いて喜んでしまった。

 

 

 

 

「乃々ちゃーん! ちゃんと歌えたじゃない!」

 

 

 

 

 舞台袖へと戻ってきて真っ先に駆け寄ってきた雪歩ちゃんに抱き締められた乃々ちゃんは大粒の涙を流していた。独りで五万人に囲まれた中で歌う緊張感と恐怖に解放された乃々ちゃんは雪歩ちゃんの熱い抱擁に出迎えられ、更に大きな声を上げて泣いている。

 

 

 

 

「怖かったです、どこ見ても人しかいないし、誰に目を合わせれば良いか分からないし……」

 

 

 

 

 暫く泣き続けた乃々ちゃんは、最後の相葉夕美ちゃんがステージ上で歌い始めた頃にようやく落ち着いたのか、脱力した感じで目を真っ赤にして椅子に腰を下ろしていた。その隣では乃々ちゃんを落ち着かせるように、しっかりと雪歩ちゃんが乃々ちゃんの右手を握り締めている。

 

 

 

 

「でも……、なんだか楽しかったです。萩原さんの言う“素敵な世界”っていうのが少しだけ見えた気がして……」

 

 

 

 

 そこまで言って、一度言葉を区切り真っ赤になった鼻を啜った。そして私たちが今まで見たこともないような素敵な表情でこう言ったのだ。

 

――もう少し頑張ってみたいと思います……、と。

 

 雪歩ちゃんはそう言った乃々ちゃんに得意げに笑って見せる。そんな雪歩ちゃんにつられて、泣き疲れた乃々ちゃんも力なく笑顔を浮かべた。

 二人の様子を私は少し離れたところから見守っていた。あんなに臆病で自分に自信が持てなかった雪歩ちゃんが立派な先輩に成長して、昔の雪歩ちゃんのように自分に自信が持てない子を励ましてステージを成功に導いたのだ。その姿は弱気な雪歩ちゃんしか知らない私にとっては物凄く衝撃的だった。

 

 

 

 

「……良いステージだったな」

 

「美城さん……」

 

 

 

 

 そんな二人の様子を見つめていた私の横に静かに歩み寄ってきたのは美城さんだった。きっと何処か別の場所で乃々ちゃんのステージを見守っていたのだろう。無事にステージを終えて帰ってきた乃々ちゃんを見て、少しばかり安堵の表情を浮かべている。

 

 

 

 

「きっとあの子には忘れられない日になるだろう」

 

「そうですね」

 

「そして萩原雪歩も……。見間違えるように成長したな」

 

 

 

 

 感心したようにそう呟いた美城さんは決してアイドルたちの前では見せなかった優しい眼差しで雪歩ちゃんと乃々ちゃんを見守っている。美城さんはアイドルをしていた頃に雪歩ちゃんとも何度か仕事をしたことがあると言っていたから、今の姿からは想像もつかないような弱気な雪歩ちゃんを知っていたのだろう。

 美城さんの言葉に、私も静かに頷いた。もしかしたら765 ALL STASRで一番成長したのは雪歩ちゃんかもしれない、そんなことを考えながら。

 

 

 

 

「高木社長から聞かせてもらったよ、ちひろがどれだけあの子たちを可愛がっていたか……」

 

 

 

 

 思わず隣に立つ美城さんの方へと顔を向けた。美城さんは二人に送っていた暖かな眼差しを、今度は私に向けている。

 

 

 

 

「ちひろの優しさに触れた萩原雪歩が大人になって、昔の自分のように自信が持てない若い子を励まして――……。そうやって紡いでいく絆というものは本当に素晴らしいものだと、私は思う」

 

「そんな、私はそんな大そうなことはしていませんよ」

 

「相変わらずだな、ちひろは……」

 

 

 

 

 私の言葉に美城さんは溜息交じりに苦笑いを浮かべた。私は美城さんが言うほど大そうなことはしていない。雪歩ちゃんが、765 ALL STASRの皆が、本当に良い子たちで、そんな皆が私は大好きなだけだったのだから。

 

 

 

 

「ちひろ、お前のお陰で今日のライブが開催されたのだ。森久保乃々も相葉夕美も一ノ瀬志希も、お前の力なしではこんなに素敵なデビューを迎えることはできなかった。本当にありがとう、彼女らに代わってお礼を言わせてほしい」

 

「……どういたしまして」

 

 

 

 

 こんなに面と向かって言われると、照れ臭くてどういった表情をすれば良いのか分からなかった。だから私はちょっとだけおどけたように、そう言って笑って見せた。そんな私の真意を見抜いてか、美城さんも口元の端を緩めて笑顔を浮かべる。そうして、私たちは静かに笑い合ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

「何事もなく終わりそうだな」

 

「春香ちゃんたちのお陰ですね。皆があれだけ引っ張ってくれたから、346プロの皆も伸び伸びとやれてますし」

 

 

 

 

 私と高木社長はスタンドの真上にある静かな関係者室からステージを見守っていた。隣に立つ高木社長は卯月ちゃんの歌う『M@STERPIECE』を聞いて楽しそうに右手の人差し指を机に当ててリズムを刻んでいる。

 

 長かったライブも終盤に突入した。だが相変わらず会場は盛り上がる一方で、未だにどんどんとボルテージが上がり続けていくのを遠く離れた場所に居ても感じられる。

 三人のデビューステージが終わりこのライブ限定の限定ユニットが数グループステージに上がり、今ステージ上では卯月ちゃんが765 ALL STARSの曲である『M@STERPIECE』が持ち前の笑顔で元気に歌い上げている。卯月ちゃんのステージが終わると次は春香ちゃんがステージに立ち、その次はいよいよ共同ライブのフィナーレで765 ALL STARSがシンデレラプロジェクトの『STAR!!』を、346プロの人気アイドル数人で組まれた限定ユニットが765 ALL STARSの『READY!!』をカバーすることになっていた。

 私が高木社長から呼ばれたのは木村夏樹ちゃんと松永涼ちゃん、李衣菜ちゃんと真ちゃんが組む四人のユニットが歌い終わった時だった。「千川君に話があるからスタンドの真上の関係者室に来てほしい」。そう言われた私は美城さんに許可をもらうと、一旦舞台裏から離れてこの関係者室までやってきたのだ。

 

 

 

 

「それで、お話とは一体何ですか?」

 

 

 

 

 私がそう切り出したのは、卯月ちゃんが歌い終わった頃だった。ステージでは何度も何度も卯月ちゃんが五万人のお客さんに向かって手を振って、名残惜しそうにステージを後にしようとしている。

 完全に卯月ちゃんがステージから姿を消したのを確認して、高木社長はゆっくりと口を開いた。

 

 

 

「私には昔から夢があったんだ」

 

「夢……、ですか?」

 

 

 

 

 高木社長の口から零れた言葉が予想もしていなかった言葉で、咄嗟に聞き返してしまった。思わず首を傾げる私に高木社長は静かに頷く。そしてゆっくりと椅子から重そうにして腰を上げると、腕を背中で組んで見下ろすかのように大勢のお客さんで埋め尽くされた観客席へと視線を落とした。

 

 

 

 

「“誰もが幸せになるプロダクションを作りたい”、これが私の夢だった。それを黒井に話した時、彼は笑って馬鹿にした。『アイドル業界はそんな綺麗事が通じる世界じゃない』と、そう言い捨ててな。だから私は黒井と決別した」

 

「そう……、だったんですね」

 

 

 

 

 黒井社長――……、以前冬馬君たちが所属していたプロダクションの社長だ。色々と悪い噂が後を絶たない人で、理由は分からないが冬馬君たちのジュピターも黒井社長との固執がキッカケで黒井社長のプロダクションである961プロを脱退したと聞いたことがある。

 そんな961プロの黒井社長と高木社長が昔からの知り合いだったことは聞かされていた。

 

 

 

 

「そして私はあの千川君がアイドルを辞めると申し出た日、こう言った。『誰かが幸せになるためには誰かが不幸にならねばならん』と」

 

 

 

 

 八年前のあの雨の日の事を思い出し、私は頷いた。私は八年が経った今でもあの時に高木社長に何を言われたのか、言葉の一つ一つを欠けることなく覚えていたのだ。

 高木社長は相変わらず観客席を見下ろしたまま、独り言のように話を続ける。

 

 

 

 

「“誰もが幸せになるプロダクション”とか言っていたのに、結局私は心の何処かで夢を諦めそうになってしまっていた。だけど――……」

 

 

 

 

 高木社長はそっと顔を上げて、私を真っすぐに見つめる。その瞳に吸い込まれるようにして、私も高木社長の瞳を真っすぐに見つめていた。

 少し静まり返っていたお客さんたちから息を吹き返したかのような大歓声が聞こえてくる。大歓声の中心には春香ちゃんの元気な声――……。どうやらいよいよ春香ちゃんの登場らしい。

 

 

 

 

「今日のライブを見て思ったんだ。会社や先輩後輩たちの枠を超えて、こうやって協力して助け合うアイドルの生き方もあるんだと。そしてやっぱりそんな優しい世界の方が私は好きなのだと。そう思ったんだ」

 

「高木社長……」

 

「千川君、こんな素敵なライブを見せてくれて本当にありがとう。君のおかげで私は諦めかけてた夢をもう少し追いかけてみる気になったよ」

 

 

 

 

 

 優しく笑って見せた高木社長。そんな高木社長の優しい言葉に私は思わず目頭が熱くなってしまって、何も言葉を返すことができなかった。そしてそのタイミングで八年前から何度も何度も聞いていたイントロが響き、春香ちゃんは大歓声に包まれたまま『お願い!シンデレラ』を歌い始める。

 

 本当に、運命の巡り合わせとは不思議なものだと思う。

 私が高木社長にスカウトされて765プロに入社したのも偶然。引退して346プロに就職して、アシスタントを務めることになったシンデレラプロジェクトの皆が『お願い!シンデレラ』をカバーすることになったのも偶然。そしてこうやって765プロと346プロが合同でライブを行うことになったのも、東京グリーンアリーナの改修工事が間に合わないと聞くまで考えたこともなかったのだから。

 そんな偶然が幾つも重なって、今日のライブは開催された。何か一つでも欠けていたら今日のこのライブは存在しなかったのだと思う。そう思うと、全てが必然のように思えてくるのだ。

 

 そんなことを考えていた時だった。関係者室の小さなモニターに私は目を奪われてしまった。

 モニターに映っているのは私のデビュー曲であった『お願い!シンデレラ』を歌う春香ちゃん。その春香ちゃんが握っているマイク、そのマイクに何かが結び付けられている。少し色褪せて先端に薄い黄色のラインが入った赤色のリボン――……、そのリボンに私は見覚えがあったのだ。

 

 

 

 

――これって、私が春香ちゃんの誕生日にプレゼントしたリボンじゃない。

 

 

 

 

 見間違えるはずがなかった。これは私が春香ちゃんの十五歳の誕生日にプレゼントしたリボンだったのだから。

 まさか今でもあの時のリボンを持っているとは思わなかった。このリボンだって当時高校生だった私が買えるくらいのリボンだから、恐らくそんなに高い代物でもなかったはずだ。値段までは覚えていないが、ふと帰り道に立ち寄った商店街でこのリボンが目に留まり、春香ちゃんに似合いそうだなと思って買っただけのリボンなのだから。

 だけどそんな安物のリボンでも春香ちゃんは今でも大切に持っていてくれた。そのことが嬉しくて、私は胸がいっぱいになってしまう。

 

 高木社長や美城さんにあんなことを言ってもらえて、そして何も言わずに去った私を今でもこうやって皆が慕ってくれて、私は幸せ者だった。

 

 

 

 

(感謝したいのは私よ。こんなに素敵な人たちに囲まれて、幸せを感じられているのだから……)

 

 

 

 

 心の中でそう呟く。そんな私の頬を、冷たい一滴の雫が伝っていた。

 


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