ダタッツ剣風 〜悪の勇者と奴隷の姫騎士〜   作:オリーブドラブ

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最終話 王国勇者

 ――帝国騎士団が洞窟に突入し、奴隷商を全員拘束したのは翌朝のこと。胸にブーメランを刺された頭目が、涙ながらに助けを求めてくる光景に、騎士団の誰もが困惑していた。

 

「お、おーい! あっしは王国騎士ですぜ旦那! 縛るなんてひでぇ――ぶげっ!?」

「今更そんなでまかせが通じるか! さっさと歩けダルマ男!」

「いでぇよー! 蹴飛ばすことねーでしょー!」

「ああもう、さっさと連れていけ!」

 

 縛り上げられ、次々と騎士団に連行されていく奴隷商の面々を見送る壮年の騎士――レオポルド。馬上から状況を見つめる彼のもとに、若い騎士が馳せ参じた。

 

「隊長。リコリス様の証言によれば、元王国騎士のダタッツという男による仕業とのことです。……が、いくらなんでも、独りでこんな真似ができるとは到底……」

「あのヴィクトリア殿を輩出した王国騎士だ、これくらいは容易いのやも知れん。お前も彼女の強さは身に染みて学んでいよう?」

「は、はっ!」

 

 一年前に剣術指南の一環で、容赦無くヴィクトリアに滅多打ちにされた過去を思い返し――騎士の顔から血の気が失われていく。そんな部下の様子を一瞥しつつ、レオポルドは帝都の方角へと視線を移した。

 青空の向こうに輝く太陽は、この戦いの終焉を静かに告げている。

 

(……勇者様。またしても、このレオポルドの命を救ってくださったか。もはや、いかなる感謝の言葉も足りませぬ。――命を救われていながら、貴方様に願う道理などありませぬが……どうか今一度、皇女殿下を……)

 

 ◇

 

 さらに、一週間が過ぎた。

 

 豊かな自然を一望できる、地方都市の丘に建てられた豪邸。その一室から、晴れやかな青空を一人の美女が見つめていた。

 窓から吹き抜ける風が、シャギーショートの髪を撫で――彼女の微笑みを誘う。この安らぎが、彼女に平和の到来を告げているのだ。……もう、脅威は去ったのだと。

 

「お嬢様。いつものあの子達が見舞いに伺いたいと……」

「……うん、いいよ。通してあげて、リリーヌ」

「畏まりました」

 

 メイド服に身を包む、若い使用人に向ける華やかな笑みは、窓から差し込む光を浴びて煌々と輝いているようだった。

 今回の一件で重体となっていた従者達も快復に向かい、ようやく誰もが前を向く時が来たのである。

 

 そんな彼女に恭しく一礼し、部屋を出た使用人と入れ替わるように――リコリス親衛隊の面々が飛び込んでくる。

 

「リコリス様ぁーっ!」

「よく来てくれましたね、カイン。ミィ。ポロ。あなた達には、本当に救われました。……カインは、もう怪我は良いのですか?」

「へへっ、これくらいへっちゃらさ! なんたってオレはリコリス親衛隊のリーダー……いてて!」

「何がリーダーよ、無理しちゃって。あたしの方が今回は大活躍だったんだからね! ……ま、ポロも頑張った、らしいけど?」

「ぼ、僕なんか全然……」

「なよなよしてんじゃねー! リコリス親衛隊なら、胸張っていやがれ!」

「カ、カイン……」

 

 先週の死闘が嘘だったかのように、リコリス親衛隊は元気を取り戻している。カインは身体の各部に包帯を巻いてはいるが、大の大人から暴行された後とは思えないほどの回復力を発揮していた。

 そんな彼が率いるミィとポロも、リコリスの無事を確かめるように彼女の顔をまじまじと見つめ、胸を撫で下ろしているようだった。

 

 子供達もリコリスも、こうして無事に生還することが出来た。彼が何度も宣言した通り、「大丈夫」だったのだ。

 残酷な死と凌辱を味わうはずだった、自分達四人の運命が変わったことを実感し、リコリスは歓喜の色を表情に滲ませる。

 

「……ねぇリコリス様、ダタッツの奴いつ帰ってくるかな!」

「……!」

「今度はダタッツも誘って遊ぼうよ! リコリス様!」

「ぼ、僕も、ダタッツさんに会いたいな……!」

 

 そんな彼女の胸中を知る由もなく、カインを筆頭に子供達が声を上げる。ダタッツの活躍は街中に知れ渡り、彼らの中にあの黒髪の騎士を疑う者はいなくなっていた。

 それは喜ばしいことであり、彼がフィオナが待つ帝都へ旅立ったことは、何より祝福すべきことであった。

 

 ――が。

 それでもどこか、彼女は切なげな想いを、あの日から胸に秘め続けていた。

 

(この気持ちは……許されてはならない気持ちです。誰にも、知られてはならない……私だけの……)

 

 寝ても覚めても、気がつけばあの逞しい騎士の背を思い出している。弱り切った少年時代の一面しか知らなかった彼女にとって、凛々しい青年へと成長を遂げた彼の美貌は、乙女の胸中に耐え難い衝撃を与えていた。

 ――親友でもある皇女殿下の想い人と知りながら、その彼へと横恋慕してしまうほどに。

 

 彼女自身は、その想いを許されざる恋と断じて頬を赤らめつつ、窓の外へと視線を移す。その向こうにいるであろう、彼の背に想いを馳せて――

 

「リコリス様ー、帝都はあっちだよ?」

「どこ見てんのかなー?」

「はうっ!?」

 

 ――いたのだが。何を思っていたのかを見透かされた挙句、全く逆の方向に熱を帯びた視線を送っていたことを指摘され、リコリスは羞恥に顔を赤らめるのだった。

 

 ◇

 

 ――その頃。

 

(勇者様……)

 

 帝国の広大な街並みを一望できる帝国城のテラスに、一人の銀髪の美少女が佇んでいた。蒼いリボンで髪を一つに束ね、色白な肌を強調するかのような、ウェディングドレスを彷彿させる形状の礼服。

 

 その絶対的な美貌の前には帝国の誰もがひれ伏し、不動の忠誠を誓うと言われている。彼女が一声掛ければ、その命令のために我が身を差し出す騎士はごまんといるだろう。

 だが――その天上の地位にある彼女の権威を以ってしても、叶わぬ願いがある。愛する男との再会は、この時代の戦火が許さなかったのだ。

 

 帝国の皇女フィオナの威光が如何に強大であれ、広大な大陸の中から人一人見付け出すことは、魔法の力が廃れた現代においては容易ではない。ましてや相手が、戦死したものと公に発表されている帝国勇者とあっては、捜索規模も限られてしまう。

 

 帝国勇者の存命が確定したといっても、帝国に帰ってくる保証はどこにもない。彼が行方をくらましていた理由を考えれば、迂闊に公表して帰還が難しい状況を作ってしまう展開は避けねばならなかった。

 

 ゆえにフィオナから出来ることは、もう何も残されてはおらず――こうして、愛する勇者の帰りを待ち続けるより他なかった。

 一日千秋の想いを抱えて過ごした一年は、さながら永遠の時のようで――彼女は僅かな時間の中ですら、気の遠くなるような心境であった。

 

(……勇者様。フィオナのもとへは、もう戻れぬと……もう会えぬと仰るならば。せめて、最後に一度、どうかもう一度だけ……)

 

 瞼を閉じ、青空の下で風を浴びながら――彼女はただひたすら、帝国勇者へと想いを馳せる。

 

 この日々の中で、諦めかけたことは一度や二度ではない。何度も、この想いに終止符を打とうと決意しては――その猛るような愛情が邪魔をする。

 忘れようと思えば思うほどに、その恋情は火を増すばかり。戦後からずっと変わらない、ただ一人の男への想い。

 

 異国の王子。大陸外の有力者。絶世の美男子と名高い皇太子。どんな見合いを用意されても、それが揺らぐことはなく。

 時を経てさらに、その想いは熱を増しているようであった。

 

 ――リコリスを救出し、奴隷商の頭目を打ち倒した後。風のように姿を消したという謎の騎士。

 

 リコリスが無事であることも奴隷商の全員確保も紛れもない真実として報告されてはいたが、その騎士の実態だけは依然として不明なままであった。

 だが、フィオナにはわかっていた。いや、彼女だけではない。

 

 帝国勇者の存命を知る一部の有力者は、皆悟っている。

 ――帝国勇者が、ここまで来ているのだと。

 

 目的が不明である以上、迂闊な対応はできないと静観を決め込んでいる勢力が大半であり、フィオナ自身も周囲の忠告を受けてその立場を取っている。

 ……が、何としてでも当人と接触し、帝国に連れ戻したい、というのが彼女の本音であることは誰の目にも明らかだった。

 

 青空を仰ぎ、この空の向こうで繋がっていると、信じつつも。姿を見せない彼の心中が見えず、フィオナの胸は焦燥に締め付けられる。その苦悩のあまり、無意識のうちに瞼を閉じて視界という現実を封じてしまうほどに。

 絶壁の胸の前でか細い指を絡め、哀願するように祈りを捧げる彼女。その瞼が蒼い瞳を開いた時――

 

「よっ、と」

 

「――、え」

 

 ――テラスをよじ登る曲者が、視界の正面に飛び込んでくる。

 帝国城の最上層であるこのテラスまで、身一つで登ってくる体力も。その行動力も。何もかもが非常識で、衝撃的な侵入者だった。

 

 条件反射で衛兵を呼ぼうと、フィオナは咄嗟に口を開く。……が。

 その小さな口からは、音が微かに漏れる程度の声しか出ず……彼女は目を剥いたまま、立ち尽くしていた。

 

「……あ、なた、は」

「はは、壁登りなんて久しくやってなかったなぁ。あんまり楽しかったもんで、ついここまで来ちまったよ。――久しぶり、フィオナ」

 

 黒い髪と、瞳。たなびく赤いマフラーと、王国製の鎧。鋼の剣と盾。

 

 ――穏やかながらも、どこか凛々しい精悍な顔立ちは、あの日と見違えている一方で、確かな面影を残している。筋骨逞しい肉体に成長しても、体つきはまるで違っていても。

 その眼差しだけは、七年前から変わらない――少女が愛した、伊達竜正のものだった。

 

 思えば昔から、彼はあちこちに登ったり降りたりしては、自分や騎士団を困らせていた。あの日々と変わらない、少しだけやんちゃな彼が、そこにいる。

 

 驚愕と、ショックの余りの思考停止の期間を経て――彼女はようやく、突然に訪れた「再会」を理解する。

 自分が遠い青空を見つめ、途方に暮れている間に。彼はもう、こんなにも目の前まで来ていたのだ。

 ……こんなにも、驚かされることがあるだろうか。こんなにも、幸せな気持ちがあるだろうか。

 

「……もう、ここには来ない。それくらいのつもりで、旅に出た気でいた」

「……う、ぅうっ……」

「でもさ。やっぱり、帰ってきちまった。たぶん、俺に帰る場所があるのだとしたら、きっと『ここ』なんだと思う」

 

 目を伏せ、両手で顔を覆い、泣き崩れる彼女。手すりに腰掛け、そんな彼女を見つめる帝国勇者――伊達竜正は、暫し目を伏せる。

 

 思えば、この世界に来た時に初めて自分を迎えたのも、彼女だった。

 

 ――理由の如何を問わず、殺人を禁忌とする国で生まれ育ってきた少年にとって。この世界で過ごしてきた七年は、苦悩と苦闘の日々だった。

 確かに大量殺人とはいっても、彼の行いはあくまで「戦場で敵兵を殺した」ことに過ぎない。自分も殺されるリスクを背負っている以上、この世界ではありふれた事象であり、「普通」なら罪に問われることもない。

 

 だが、その理屈は互いが対等な「人間」である前提の上に成り立っている。神から超常の力を齎された「勇者」である伊達竜正に、当てはまる道理ではない。

 神の力を受けた身でありながら、その力で生身の人間を手に掛ける。それはこの世界にとっても伊達竜正にとっても、未だかつてない「不条理」であった。

 

 そんな「不条理」を、人殺しを厭う温厚な少年が背負った結果。そのギャップから生まれた心の闇を「勇者の剣」に付け込まれ、王国に凄惨な爪痕を残すことになってしまった。

 そこから始まった贖罪の旅の中で、王国を救い――王女の赦しを得た今。伊達竜正は、ようやく。

 

 罪に塗れた今でも、帰れる場所に辿り着いたのである。

 

「……」

 

 泣き腫らしながらも、しっかりと。

 愛する男の顔が見たいと、懸命に顔を上げる彼女と、視線を交わす。

 

 あの日と変わらない笑顔。それを目の当たりにして、フィオナはようやく実感するに至る。

 

 彼は、ようやく、帰ってきてくれたのだと。

 

「ゆう、しゃ、さま」

「ん。待たせて、ごめんな。……ただいま、フィオナ」

「……おかえり、なさい。勇者、様あぁあぁあっ!」

 

 全ての感情が、奔流となり溢れ、爆発し、弾けて。フィオナは、皇女としての気高さも佇まいも全て捨て去り――ただの少女として、その胸へ飛び込んでいく。

 

 羽を休めに来た鳥を、抱き締めるために。

 

 ◇

 

 ――私達が暮らすこの星から、遥か異次元の彼方に在る世界。

 

 その異世界に渦巻く戦乱の渦中に、帝国勇者と呼ばれた男がいた。

 

 人智を超越する膂力。生命力。剣技。

 

 神に全てを齎されたその男は、並み居る敵を残らず斬り伏せ、戦場をその血で赤く染め上げたという。

 

 如何なる武人も、如何なる武器も。彼の命を奪うことは叶わなかった。

 

 しかし、戦が終わる時。

 

 男は風のように行方をくらまし、表舞台からその姿を消した。

 

 一騎当千。

 

 その伝説だけを、彼らの世界に残して。

 

 だが。

 男の旅路は、まだ終わらない。

 

 人類の希望たる、勇者としての使命を全うするまで。つまり――死ぬまで。

 

 人々の笑顔を守るため、奴隷のように戦い続けていく。真の、勇者として。

 

 しかし。

 

 今は。

 

 今だけは。

 

 彼は剣を捨て、「人」の身と成る。彼を神と崇めず、「人」として愛する者達の傍らで。

 そう。まるで、ただの人間のように。

 

 勇者は暫し、羽を休めるのだった。

 

 いつの日か再び。力無き人々を救うための旅へと羽ばたいていく、その時まで……。

 




 断章「生還のグラディウス」はここで完結となります。ここまで読んで頂き、誠にありがとうございました。
 また、明日からはダイアン姫と結ばれ断章に続かない「真最終話」を前後編に分けて掲載します。次回ここで掲載されるエピソードは本編第45話「王国の夜明け」から分岐する内容であり、本編第46話「新たな時代」以降のストーリーとはリンクしていません。ご了承ください。

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