ダタッツ剣風 〜悪の勇者と奴隷の姫騎士〜   作:オリーブドラブ

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第3話 小さな勇気

 帝都と地方都市を繋ぐ平原。一本道に舗装されたその道の途中には、小さな林に挟まれた地点がある。

 その林の中――茂みの中に隠された、人二人が入れるかどうか、という小さな穴。その暗闇の奥から続く階段を降りた先には――

 

「しっかしいつ見ても、こいつぁとんだ上玉だな」

「ああ。平和ボケして油断しきったお嬢様なんて捕らえるのは訳ねぇが……ここまでの別嬪はなかなかいねぇ。高く売れるってレベルじゃねぇぞ」

 

 ――薄暗い集落のような、入り組んだ地下室の数々。ならず者達がひしめく、その魔境の最奥で――大勢の野獣が、舌なめずりと共に獣欲に滾る眼差しで、一人の少女を射抜いていた。

 だが鎖に繋がれ、踊り子の衣裳のような格好にされた彼女の肢体は、少女と呼ぶにはあまりにも豊満であり――男達の黒く爛れた欲望を、爆炎のように焚きつける。

 

 燭台に照らされた、白い柔肌。芸術的な軌跡を描く、滑らかな曲線。そのラインを成す臀部、くびれ、そして胸。完成されたその肢体を、大切な場所だけを隠した衣裳に包み。

 両手を上に拘束された彼女は、今この瞬間も、男達の下卑た視線に晒されていた。

 

 その事実から目を背けるように、彼女は薄い桜の唇を噛み締め、目を伏せている。頬に滲む紅い色が、恥じらいの強さを訴えていた。

 桃色のショートシャギーは、その表情を隠し切れず――燭台の灯に照らされた彼女の貌が、さらに男達の劣情を駆り立てる。

 

「お頭ぁ、本当にヤッちゃダメなんですかい!? もう俺達ャア、丸三日生殺しなんですぜ!?」

「だったら女の一匹や二匹、お前らで攫ってこい。こいつはかなりの上玉な上に貴族であり、何より処女。……これだけの条件が揃えば、俺達全員の武装を高値に買い換えても釣りが来る収入になるんだ」

「だからってよォ……いいじゃねぇか、ちょっと味見するくらい!」

「処女じゃなくなったら、この女の商品価値は半減だ。テメェで値段を落としてどうする。明日には買い手と合流するんだ、下手な真似はするな」

 

 周りの野獣達が囃し立てる中、リーダーらしき茶髪の男が、紅い瞳で少女を見つめる。その粘つくような視線を浴びても、両手を封じられた彼女は身をよじることしかできない。

 

「しかしお頭よ。この女の色香に、もう何人かは暴発寸前なんだぜ。……処女さえ奪わなきゃ、少々のおいたも許されていいんじゃねぇか? せっかくの上玉なんだ。褒美が金だけ、なんてケチなことは言いなさんな」

「……仕方ねぇな。壊すんじゃねぇぞ」

「ヒャッホーゥイ! さっすがお頭ァァ!」

「お頭の許可頂きましたァ!」

 

 そして、今まで彼女の純潔が犯されなかった理由である「商品価値」の壁さえ越えて、今――無防備な肢体に、色に飢えた野獣達が群がろうとしていた。

 自らを嬲らんと迫る、獰猛な雄の群集。その悍ましい光景に、少女――リコリスは、声にならない悲鳴を上げる。

 

 そうして男達の影が彼女の身体を覆い尽くし、肉の宴が幕を開け――るはずだった。

 

「大変だお頭ァァ! アーマドの野郎が捕まりやがった!」

「……なにィ!?」

 

 その寸前に響く声に、リーダーの唸りが反響する。報告に駆け付けた男の発言内容に、他の野獣達も騒ぎを忘れて立ち尽くした。

 

「街の連中が噂してたんだ! 今日、王国騎士の鎧を着た野郎が捕まったらしい!」

「なんだと!? くそッ、アーマドのグズ野郎ッ……!」

「まずいぞお頭! 帝国騎士の尋問でここがバレたら……!」

「アーマドが上手く逃げてりゃいいが……見てこいカルロス! もし奴がまだ生きて街に居たなら、口を封じろ!」

「りょ、了解ッス!」

 

 リーダーの怒号を受け、カルロスと呼ばれた細身の男が素早く走り出す。その背を見送る男達は、リコリスを嬲ることも忘れてどよめきに包まれる。

 

「どうすんだよ……もしアーマドの奴がここを喋っちまったら……!」

「おい! その話はいつ聞いた!?」

「昼下がりだが……今夜には取り調べが始まるって聞いた……!」

「まずいな……もう外は夕方だ。早く手を打たねぇと……!」

 

 口々に今後の動きを話し合うならず者達。そんな彼らを一瞥し、リーダーは歯を食いしばる。すでにその手は、背にした大槍(ランス)に伸びていた。

 

「アーマドの野郎……死んでいようが生きていようが、今度会ったらそのツラをブッ刺して――」

 

「――あっしがどうかしやしたか?」

 

「あ?」

 

 その時。野獣達が集まる空間に、鎧を着た醜い男がひょっこりと顔を出してきた。

 無精髭にダルマのような体型を持つ彼は、古びた王国製の鎧を鳴らし、のっしのっしと歩み寄る。

 

 そんな彼の姿に、リーダーを含む誰もが目を点にして固まっていた。

 

「お、おいアーマド。お前、街で帝国騎士に捕まったんじゃ……」

「は? あっし、今日は街になんて行ってないでやんす。今日はちょっと遠くまで食料を狩りに――」

 

「――カルロスを呼び戻せ! 奴らこれが狙いだッ!」

 

 だが。本人が目の前に確かに存在し……行方不明だった本人が、こう発言している。その紛れもない事実が、リーダーに全てを悟らせた。

 

「くそッ! よりによって、俺達の中でもぶっちぎりで足の速いカルロスか……! 馬車を出せ! 最悪、戦闘にもなるかも知れん! 選抜隊は速やかにカルロスを呼び戻せ! 残りは戦闘準備だ!」

「え、え? な、なにがどうなってるでやんす?」

 

 そこから矢継ぎ早に飛び出す命令を受け、男達は一転して慌ただしく駆け回り出した。その騒ぎに取り残されたリコリスは、状況が見えないまま目を伏せ――ただ静かに祈る。

 

(あぁ、勇者様……人間である貴方様に祈ってしまう、私の弱さをお許しください……)

 

 ◇

 

 夜の帳が下り、月の光が地方都市に差し込んでくる。その輝きは鉄格子の隙間を縫い、ダタッツの牢屋にも差し込んでいた。

 

(取り調べの時間まで、あと少しか……)

 

 首を上に向け、その光を見上げるダタッツ。そんな彼の意識を、小さく響く足音が引きつけた。

 だが、音が伝わる方向へ目を向ける彼の前に現れたのは。

 

「君は……」

「あ、あの……夕ご飯です」

 

 帝国騎士の隊長――ではなく、リコリス親衛隊の一員であるポロだった。つぶらな瞳でダタッツを見つめる丸顔の少年は、鉄格子の隙間からおずおずとパンとスープを差し出す。

 そんな彼の姿に、騎士は微笑を浮かべて歩み寄る。敵意というものをまるで感じさせないその面持ちに、ポロは戸惑いの表情になる。

 

「ありがとう、頂くよ。ポロ、だったね。他の二人は一緒じゃないのか?」

「は、はい。カインとミィは夜の見回りをやっていて……あの、こんなことになってごめんなさい。隊長さんは話のわかる人だから、きっとすぐに釈放してくれます」

「そうなのか? それは助かるな。にしても、君は随分と優しいね」

「よ、よく言われます。でも、カインやミィにはいつも意気地なしって……」

「あはは、確かにあの子達からすればそう見えるかもな。でも、君が意気地なしだとはジブンは思わないよ。リコリスさんを攫った……かも知れない容疑者相手にご飯を持っていくなんて、大した勇気じゃないか」

「……」

 

 まるで友人のように、柔らかく接するダタッツ。そんな彼が悪人だとは、どうしてもポロには思えなかった。

 自分に気づかれないよう、巧妙に隠しているのか。そんな考えも過るが、目の前の屈託無い笑顔を疑うことは、少年の良心を深く苛む。

 

「でも、そろそろ家に帰った方がいい。きっとお母さんも心配してるよ」

「お母さんも、お父さんもいません。僕らはみんな、戦争で親をなくした孤児なんです」

「……すまない、余計なことを」

「いいんです。僕らみんな、生まれて間も無いうちに戦争が終わって、親の顔も知らずに育ってきたんです。僕らにとってのお母様は、リコリス様なんです」

「……君達はみんな、戦後に生まれてきたのか」

「はい。今ある平和は、自分達が生まれる前から頑張ってきた騎士様達のおかげだって、学校で習いました」

「……」

 

 無垢な少年の言葉に、ダタッツは目を伏せる。戦時中、「強さ」を履き違え略奪を繰り返す輩が絶えなかった帝国軍の騎士の醜態は、見るに堪えないものだった。

 

「王国騎士の人達も、戦争には負けたけど強くて勇敢な人ばかりだって教わりました。ダタッツさんも強いんですか?」

「そう胸を張りたいところだけど、ジブンは騎士団を辞めた身だし、騎士団に入ったのも戦争の後だ。ごめんな、かっこいい騎士じゃなくて」

「そんなことないです、あんなに落ち着いていられるなんて、凄くかっこいいって思います」

「あはは、ありがとうな」

 

 その歴史の一欠片でも伝われば、彼の理想を穢しかねない。その忌まわしい記憶が闇に消え去ることを、祈る他なかった。

 

(……あの地獄を終えた先に、生まれた命……か)

 


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