ダタッツ剣風 〜悪の勇者と奴隷の姫騎士〜   作:オリーブドラブ

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第42話 想い

 王家の剣を上段に構え、ダイアン姫はヴィクトリアを鋭く見据える。その瞳の色には、迷いを感じさせるような濁りは微塵もなく――決意に満ちるように、澄み渡っていた。

 自分がこの国を離れる前とは、比べものにならないほどの胆力を身に付けた彼女を前に、ヴィクトリアは彼女の師として目を見張る。これほどまでに成長していたとは、予想だにしていなかったのだ。

 

「……驚きました。まさか、これほどまでに気勢を高められるようになっていたとは」

「……」

「――ですが。私を超えるには至らない力です。姫様、今ならまだ引き返せます。剣をお納めください」

「剣を納めて……どうなるというのです、ヴィクトリア。この国の民と大地を血に染めようとする、今のあなたの行いを――見過ごせというのですか。わたくしは、そんなことをあなたに教わった覚えはありません」

 

 邪気に魅入られたヴィクトリアの面持ちには、まだ微かに……かつての彼女の面影が残されている。その瞳を見つめ、ダイアン姫は彼女と過ごした日々を思い返す。

 

『姫様、剣の稽古に参りましょう!』

『だ、だけどわたくし……剣など、握れません。女に、剣なんて……』

『私も女だてらに、剣を嗜んでおります。いざという時の護身術くらいなら、私でも教えられますし、姫様なら絶対に身に付けられます!』

『そ、そう……でしょうか……』

『姫様なら出来ます! 絶対に! ……もう、これ以上。何も失ってはならないのです、姫様!』

 

 戦後から数年が経った頃。彼女は母を失い意気消沈していた自分を、強引に剣の稽古に連れ出し、身の守り方を教えるようになった――。

 終戦直後は、彼女の方が沈んでいたというのに。それでも自分を奮い立たせ、騎士の本文を全うするために立ち上がろうとしたのだ。当時、剣の握り方すら知らなかった彼女に、護身術としての剣技を教えることで。

 

『うわぁあん! 痛い、痛い……!』

『泣いてはなりません、姫様! こんなところで躓いていては、自分の身など守れはしません! 私達が帝国の凶刃に倒れた時、御自身をお守りするのは、その手に握られた剣だけなのですよ!』

『そんな……そんなの無理、無理ですっ……』

『姫様!』

 

 ――無論、ダイアン姫は容易に今の強さに辿り着いたわけではない。稽古を始めてから三年間のうちは、痛みに泣き喚いてヴィクトリアを困らせるばかりだった。挫けてしまい、逃げ出そうとした日もある。

 

 だが――自分に逃げられ、独りになっても懸命に修業に励む彼女の姿を見る度、ダイアン姫は必ず帰ってきた。雨に打たれても、猛暑や吹雪に晒されても、休むことなく自分のために鍛え続ける彼女の背中に、惹かれている自分がいたから。

 

 そして、終戦から六年の年月を経た今。ダイアン姫は己が学んだ技の全てを、師にぶつけるべく――自身の気勢を最大限に練り上げ、剣を振りかざしていた。

 その構えを前にして……この場にいる全員が目を見開く。今まで何度も目撃してきた、王国式闘剣術の真髄となる技。

 

 ――弐之断不要を、前にして。

 

「姫様が、弐之断不要を!?」

「まさか体得していたというのか!? アイラックスとヴィクトリアにしか、極められぬと言われた弐之断不要を!」

 

 動揺するロークと父の言葉に耳を貸すことなく。ダイアン姫は、静かに――鋭く。ヴィクトリアを睨み据えた。

 

「……あなたの背中を追いかけて、もう何年になるでしょう。まさか、この技をあなたにぶつけることになるなんて……考えてもみなかった」

「姫様。弐之断不要は確かに、絶大な破壊力を誇る一撃必殺です。力量差を覆す、起死回生の技にもなりましょう。ただ、それは技に見合う筋力と気勢が伴って初めて成立するものです。あなたでは気勢が充分でも、その細腕のために己の身体を壊すだけです」

「無論、承知の上ですわ。――わたくしにとっては、命を削る技だということくらい」

「……!」

 

 ヴィクトリアの指摘を受けてなお、ダイアン姫は構えを崩さない。弐之断不要を自分が使うことで生じるリスクなど、覚悟の上なのだ。

 そう言い切ってみせた彼女の気迫に、女騎士は戦慄を覚えていた。木剣で軽く打ち合っただけで、尻餅をついて泣き喚いていた彼女を知るヴィクトリアにとって、今の彼女の姿はそれほどまでに衝撃だったのである。

 

「……帝国、勇者ァ……!」

 

 そして――その事実は、さらにヴィクトリアの胸の内にある黒い感情を滾らせていく。

 今の彼女がある理由の一つが――帝国勇者への恋だったからだ。

 

 よりによって憎い仇に、自分が鍛え、見守ってきた姫騎士が奪われようとしている。その現状への怒りが、ヴィクトリアに纏わり付く呪いをさらに強くしているのだ。

 

『コワセ……ニクシミノママニ……!』

「殺すだけでは足りない。首を取り、四肢を刻み、その骸を衆目にさらしてやる! そして帝国人全てに、それを見せつけてやるのだ……!」

「そんなこと……絶対に許しません! これ以上、わたくし達は――もう、何も失ってはならないのですから!」

 

 そんな彼女に怯る気配も見せず、かつての師の教えに従い。ダイアン姫は、眼差しでヴィクトリアを射抜いてみせる。

 凛々しく、勇ましいその背中を見つめ、ロークは固唾を飲み――国王は険しい表情で見守っていた。対峙する二人の女剣士が放つ気迫は、他者の介入を決して許さない。

 

「……ならば簡単なこと。何も失いたくなければ――全てを奪い去ればいい」

「……本当に墜ちてしまわれたのですね。あなたの心が一欠片でも残っていたならば、決してそのような言葉は口にしなかったはず」

「わかるものですか。姫様に、何がわかると!」

「今、あなたが苦しんでいること! わかることなどそれで充分です!」

 

 そして、その問答を最後に――ダイアン姫の気勢は限界まで高まり、放出する瞬間を迎える。

 

「だからわたくしが――あなたを目覚めさせるッ!」

「――出来ますかな」

 

 リスクを度外視した、捨て身の弐之断不要。それを迎え撃つ、ヴィクトリアの弐之断不要。

 

 双方が、交わる時。

 その余波が、人々を際限なく巻き込んでいった。

 

 彼女達の同質の剣技が激突した瞬間――衝撃のあまり天井が吹き飛び、王室は月明かりの下に晒されてしまった。ロークは盾で懸命に国王を守りながら、勝負の行方を見極めるため、土埃の向こうを見つめる。

 

「姫様! 姫さ、ま……」

 

 そして――言葉を失うのだった。

 

 一方。弐之断不要の衝撃により吹き飛ばされ、瓦礫と化して王宮前に墜落した天井部分は、下にいた騎士達を大混乱に陥れていた。

 

「うわぁああ! なんだ、何がどうなってるんだ!」

「姫様は無事なのか!? 陛下は!?」

「と、とにかく逃げろ! ここにいたらぺしゃんこだ!」

 

 右往左往し、逃げ惑う王国騎士団。彼らは瓦礫の下敷きにされた一人の予備団員に気づくことなく――王宮から方々に散っていく。

 その予備団員は……瓦礫の中で流血している状態のまま、目の前の光景を見つめていた。

 

(……今ならわかる。あの時、なぜ技が二度も外れた――いや、外したのか)

 

 予備団員――ダタッツは、虚ろな瞳で逃げ回る騎士団員達を見つめる。その情けない背中に、自分自身を重ねるように。

 

(俺は……この戦いの中で。いや、それよりもずっと前から……死にたかったんだ)

 

 それが答えだった。

 自分自身ですら気付けなかったそれこそが、彼の本心だったのだ。

 

 自害など償いにはならない、死ぬことなど逃げに等しい。そう自分に言い聞かせていながら、心の奥底では死により楽になることを望んでいたのだ。

 

 かつての自分と重なるヴィクトリアを前にして、罪の意識を抉り出された彼は、無意識のうちにその本心を引き出し――彼女に殺されようとしていた。

 本来、勝てる相手だったというのに。

 

(やはり……俺が勇者をやろうなんて、おこがましかったんだ。そんなことに気づくのに、六年もかけて……)

 

 この土壇場で、この世から逃げようとする。そんな自分の浅ましさを改めて思い知り、ダタッツは失意のまま瞼を閉じる。

 元の世界でもこの世界でもない、現世から離れた場所へと立ち去るように。

 

(すまない、ローク君。ハンナさん、ルーケンさん、バルスレイさん、国王陛下。フィオナ、皇帝陛下、ダイアン姫――ベルタ)

 

 勇者どころか、人として失格。そう感じたダタッツの意識が、闇の中へと消えていく。覚めることのない、眠りへと。

 

 ――沈んでいく。

 

 寸前のことだった。

 

(……?)

 

 永く眠ろうとしていたダタッツの耳に、何かが落下してくる音が届く。瓦礫とは全く違う、その風を切る音色が――彼の意識を僅かに現世に繋ぎとめていた。

 

(……!)

 

 それから僅かな間を置いて。ダタッツは、気づいてしまう。

 これは――剣が落ちる音だと。

 

「……ッ!」

 

 そして、反射的に顔を上げる彼の眼は。

 

 ――地に墜ち、粉々に砕けた王家の剣を目撃する。

 

(ダイアン姫……!)

 

 その光景が意味するもの。それを察したダタッツは、自分の体の芯から広がる、えもいわれぬ熱さに戸惑いを覚えていた。

 死んで楽になりたい、何もかもどうでもいい。そんな人間であるはずの自分がなぜ――こんなにも、熱くなっているのか。

 なぜ、無力な自分に怒っているのか。

 

(……俺、は……)

 

 その答えは――瓦礫の中で彼が無意識に握り締めていた、剣の柄にあった。

 かつて自分を救おうと懸命に戦い、命を落としたアイラックス。その魂が宿る両手剣に伝わる熱が、眠ろうとしていたダタッツの心を突き動かしていたのだ。

 

(そうか……それでも、俺は……)

 

 ダタッツの胸に残された熱気。それは――誰かを救いたいという想い。

 家族に会う道を絶たれ、償うことも死ぬことも許されず、責められ続けてきた人生であっても。自分が醜い人間だと思い知らされても。

 

 それでも捨てきれない、ダタッツ――否、伊達竜正という人間の根幹。それがまだ生きているからこそ、彼の手にはアイラックスの剣が握られているのだ。

 己の命を差し出すことさえ厭わず、子供達の未来のために逝った、あのアイラックスのように。

 

(まだ……寝られない。まだ冷めない熱が、残っているのなら。俺は、まだ……!)

 

 それに気づいた彼は、もう立ち止まることはない。罪から逃れるために、己の命を軽んじることもない。

 ただ想うままに。人々を守るために剣を振るう。それが、勇者ダタッツとしての在り方であるならば――。

 

「まだ……止まらない。止まれないんだ!」

 

 その叫びと共に。彼を押さえつけていた瓦礫は弾けるように四散し、周囲に飛び散っていく。だが、凄惨な戦場と化したこの王宮内には、もう騎士はほとんど残っていない。

 いるとすれば王宮の外か――あの最上階か。

 

「……」

 

 「彼女」が待つ戦場を見上げ、ダタッツは両手剣の柄を握りしめる。もはや、その眼には寸分の迷いもない。

 

(泣き言も弱音も、吐けるだけ吐いた。……行こう。皆が、待っている)

 

 激しく傷付いた今の体では、本当に全力を出したとしても勝てるかはわからない。だが、不思議と彼の胸中に不安の色はなく。

 ただ、戦わねばならないという決意だけが、その胸を焦がしていた。

 


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