ダタッツ剣風 〜悪の勇者と奴隷の姫騎士〜   作:オリーブドラブ

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第41話 十字の傷

 ついに戦いの場は、国王の寝室にまで流れてしまった。変わり果てたヴィクトリアの姿に、この城の君主は沈痛な面持ちを浮かべている。

 

「……そうか。やはり、ヴィクトリアはダタッツ殿の言うとおり……」

「陛下。暫しお待ちを……。今、この国に取り入ろうと目論む賊を成敗しますゆえ」

「必要ない。……と言ったところで、お主は聞かぬのだろうな」

 

 主君である国王には目もくれず、ヴィクトリアはただ憎しみだけに染め上げられた眼光で、ダタッツを射抜いている。一方、ダタッツはこの場で戦うことになってしまったことに、焦りを募らせていた。

 

(なんということだ……! まさか、国王陛下の御前にまで流れてしまうなんて! とにかく、急いで戦場を移さないと、陛下の身が危ない!)

 

 ここで戦うことがどれほど危険か。それがわかっているがために、黒髪の騎士は平静を欠いていた。

 下手に動こうとすれば、ヴィクトリアは必ずその隙を突いてくる。それをかわしたとしても、ダイアン姫のように危害が国王に波及する恐れがある。

 病床の国王に戦いの余波が及ぶようなことになれば、どういうことになるかは――想像に難くない。

 

 最も確実に国王を守るには、敢えてこの場でヴィクトリアに隙が生まれるまで戦うしかない。その結論に至ったダタッツは、意を決して正規団員の剣を構える。

 しかし、虎の子だった飛剣風「稲妻」をかわされた彼の胸中は憔悴し始めており、顎からは絶えず汗を滴らせていた。

 

(やはり……この技しかないか)

 

 飛剣風「稲妻」を避けられた今、決め手となる手段は一つに絞られた。そう判断した彼は――帝国式投剣術奥義「螺剣風」の構えを取る。

 ダタッツの構えの変化に気づいたヴィクトリアは、相手の面持ちから次の攻撃が正念場であることを悟り、眼の色を変える。

 

 そして再び剣を上段に振り上げ――弐之断不要の体勢になるのだった。

 

「……来い」

「ああ、行かせてもらう。……陛下、しばしお待ちを。すぐに、終わらせます」

「――うむ。信じよう」

 

 あるがままを受け入れる。そう決心していたのか、国王は眼前で危険な戦いが繰り広げられているにも拘らず、あくまで冷静に二人を見守っていた。

 

 そして。

 

「ハァ、ハ、ハァッ……お、お父様ッ!」

「帝国勇者! ヴィクトリア様ッ!」

 

 ようやく二人の猛者に追い付いたダイアン姫とロークが、息を切らせてこの場に駆けつけた瞬間。

 

「――ぉおぉおおぉッ!」

「――はぁあぁああッ!」

 

 まるで、それが引き金であったかのように。

 

 螺剣風と弐之断不要は、双方の想いを乗せて――激突した。

 

 激しい衝撃音が、王宮から響き渡り――夜空へと轟いていく。その轟音は……王宮内に留まらず、城下町にまで波及していた。

 

「な、なんだ……今の? 王宮の方から、何か凄い音がしたような……」

「おい、ハンナ?」

 

 この日の復興作業を終えた大工達が、夜の城下町で飲んで騒いでいる頃。突如彼らの耳に届いた不自然な衝撃音が、どよめきとなり広がっていく。

 そんな彼らと共に過ごしていたルーケンとハンナも、同様だった。何事かと戸惑うルーケンを他所に、ハンナは不安げな面持ちで王宮の最上層を見上げる。

 あそこで何かが起きているという、直感だった。

 

(ダタッツさん……)

 

 あの日、自分達のために戦ってくれた彼を想い。少女は胸の前に指を絡ませ、その無事を祈る。

 ――だが。

 

 その祈りは、届かなかった。

 

「ぐ……あがッ!?」

 

 鎧を紙切れのように切り裂く、弐之断不要の余波が生む鎌鼬。その空を裂く一閃を受けたダタッツの胸は縦一文字に斬られ、鮮血を噴き出していた。

 その光景にダイアン姫とロークは短い悲鳴を上げ、ヴィクトリアは口元を吊り上げる。国王は……沈痛な面持ちで、それでもダタッツを見守り続けていた。

 

「な、なぜ……なぜ螺剣風が負けたのです!? 速さでは弐之断不要を上回っていたはず……!」

 

 動揺を露わにして、ダイアン姫は眼前の状況を凝視する。技の出は、明らかにダタッツの方が速かった。なのに後出しの弐之断不要が、勝負を制している。

 その謎の答えは――ヴィクトリアの後方に開けられた、巨大な風穴と。勇者の剣の柄についた、微かな傷にあった。

 

 穴の中心は、僅かに彼女とダタッツを結ぶ直線から外れている。つまり――螺剣風の狙いが僅かに逸れ、掠った程度のダメージしか与えられていなかったのだ。

 そう。螺剣風は、紙一重で外れていたのだ。

 

 本来ならばあり得ないようなミス。先程の飛剣風「稲妻」の時と言い、明らかに本調子ではない。

 

(やはり、ダタッツ様は……!)

(くッ……どうしたんだ、俺は……!)

 

 その原因は本人すら理解していない――が、今が途轍もなく劣勢であることだけは、誰の目にも明らかだった。

 胸を押さえ、膝を突くダタッツに、ヴィクトリアは静かに迫る。血を求める勇者の剣の呪いに、導かれるがまま。

 

(わ、わたくしは……わたくしは……!)

 

 その状況を前に。ダイアン姫は咄嗟に回復魔法を使おうとして――発動寸前のところで停止した。緑色の輝きが、風前の灯のように消えていく。

 ……まだ、葛藤があったのだ。ダタッツに心を許すことで、自分の全てを捧げることに。

 そして。その躊躇が、さらにダタッツを追い詰めていく。

 

「いかん……ダタッツ殿、ここは一旦引くのだ! 今、これ以上戦っては傷が開くばかりであるぞ!」

「やめてくれよ! ヴィクトリア様っ!」

 

 ヴィクトリアに対し、本来あるべき姿を知る国王とロークは口々に彼女を説得しようと声を上げる。だが――帰ってきた反応は、冷酷な眼差しだけだった。

 

「……帝国勇者に、ここまで侵略されていたとはな。国王陛下も姫様もロークまでも……。もはや、取り返しはつかぬか」

「な、なんだと……!?」

 

 そして――仕えるべき主君に向き直る彼女は。勇者の剣を、高らかに振りかざす。

 

「陛下。貴方様が帝国勇者に屈してしまわれた今、私達が懸命に守ろうとしてきた王国は滅びました。これからは――私がこの剣を以て、一からこの国をあるべき姿に再建します」

「ヴィクトリア……お主……!」

「そのためにも。まずは、貴方様に舞台から降りて頂かなくてはなりませぬ。……お覚悟を」

 

 やがて。問答無用、とばかりに剣が振り下ろされる――瞬間。

 

「――許しませんッ!」

 

 我に返る瞬間、弾かれるように飛び出したダイアン姫が、国王の前に立ち。手にした盾で、勇者の剣の一閃を受け止めるのだった。

 無論、彼女の力で受け流せるようなものではない。衝撃に耐え切れず、彼女は再び尻餅をついてしまった。

 だが、その瞳は不利な体勢になろうとも揺るぐことはなく。ただ真っ直ぐに、姉代わりだった女騎士を射抜いている。

 

 その瞳を見つめるヴィクトリアは――微かに、人の情を残した眼差しで姫騎士を見遣るのだった。

 

「姫様……」

「思い出しなさいヴィクトリア! その力で何を守るのか! 誰を守るのか! 何のために鍛えてきたのか!」

「わ……私、は……」

 

 怒りと悲しみをないまぜにした姫騎士の一喝を受け、ヴィクトリアの瞳に滲む情の色は、徐々に濃さを増していく。……だが。

 

『オモイダセ。ウシナッタモノヲ。ニクムベキテキヲ!』

「う、ぁあがぁあああぁあぁあ!」

 

 勇者の剣に囚われた彼女の心は、再び闇に引きずり込まれてしまった。激しい慟哭と共に、ヴィクトリアは勇者の剣を勢いよく水平に振るう。まるで、邪魔なものを振り払おうとするかのように。

 

「姫様、あぶねぇっ!」

「あっ――!」

 

 その一閃が、ダイアン姫の首を刎ねる――直前。

 

「……ぉぉあぁぉあぁあッ!」

 

 痛みを押し、弾かれるように飛び出すダタッツは手にした盾を突き出し――それもろとも激しく切り裂かれていった。弐之断不要の生傷を、さらに抉るように。

 

「あ、あぁ……!」

「う、嘘だろ、帝国勇者……!」

 

 ヴィクトリアの一閃に吹き飛ばされた彼は――ダイアン姫や国王の頭上を通り過ぎ、アイラックスの両手剣に激突する。

 だが、それだけでは到底勢いは止まらず。血だるまと化した彼の体は、両手剣と共に壁を突き破り――最上層から、転落していくのだった。

 

 弐之断不要を受けた傷にさらに斬撃を受け、この高さから落ちれば。さしもの帝国勇者も……。

 

「帝国、勇者……。帝国勇者、帝国勇者! ――ダタッツぅぅうぅうっ!」

 

 そう察した瞬間。少女騎士は初めて。

 黒髪の騎士の名を、呼ぶのだった。

 

「……ヴィク、トリアァッ!」

 

 そして。彼の首からはらりと落ちた、赤マフラーを拾う姫騎士は。瞳に涙を滲ませながらも、強い眼差しを消すことなく。

 王家の剣を振りかざし、ヴィクトリアと相対するのだった。

 

「……なぜ、怒るのです。奴は、我々の仇でしょう」

「わかっています! いいえ、わかってしまった。なぜその仇が斬られて、こんな涙が出るのか。なぜ、こんなにも胸が苦しいのか。わかってしまったからこそ、わたくしは……あなたをッ!」

 

 そう。ついにダイアン姫は、認めてしまった。この瞬間、認めてしまったのだ。

 

 自分がダタッツという男を、愛してしまったのだと。

 


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