ダタッツ剣風 〜悪の勇者と奴隷の姫騎士〜   作:オリーブドラブ

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第15話 無謀な出動

「貴殿のことは、噂には何度も聞いた。が、こうして直に会うのは初めてになるな」

「……はい」

 

 日も沈み、夜の帳が下りる頃。ダタッツは、国王が横たわるベッドの前に跪き、瞼を閉じて頭を垂れていた。

 そのベッドの後ろには、一振りの巨大な剣が飾られている。その大剣は、黄金の柄と白銀の刀身から、まばゆい輝きを放っていた。

 

「私の後ろに飾られた剣。貴殿ならば、見覚えがあろう」

「ええ。――アイラックス将軍の剣、ですね」

「うむ。貴殿に敗れたアイラックスが遺した、唯一の遺品。今の私やダイアンにとっては、御守りのようなものだがな」

 

 一見すれば、病床に伏した国王と一人の騎士でしかない。だが、彼らの過去には浅からぬ因縁が渦巻いている。

 我が国を敗戦国に堕とされ、妻を失い、娘を危機に晒された国王。その未来を王国に齎した、帝国勇者。

 双方の間には、埋め難い溝が広がっている。

 

「――私欲のために、神器たる勇者の装備を戦争に利用し……我が王国を蹂躙した災厄の勇者。その行いを皮肉るように、貴殿を『帝国勇者』と呼ぶ者もいる」

「……」

 

 だが。

 国王の口調には、怒りも悲しみも滲んでいない。あるがままの事実を、ありのままに語るのみであった。

 大切な民を失った苦しみのあまり、心を病んでしまったのか。そう勘繰るダタッツに対し、国王の表情には曇りの色すら窺えない。

 憎しみさえ超える「人格」の為せる業が、彼の姿を形作っているのだ。

 

「しかし――貴殿は戦後、死を偽って帝国を去り、私達の前に再び姿を現した。それも、私達の窮地を救う救世主として」

「それは……」

「ダイアンから聞いている。王国と戦う理由を失ったから、であったな」

 

 国王が伏しているベッドの傍らに控え、完全武装でダタッツを警戒しているダイアン姫は、父に名前を出された途端に瞳の鋭さを増した。ダタッツは彼女の眼差しに貫かれながらも、真摯な眼で国王を見上げる。

 

「ならば……貴殿には私欲など、なかったのであろう。貴殿が噂通りの、強欲に塗れた男であったならば――帝国軍人としての地位を捨てることも、ババルオと争うこともなかったはずだ」

「国王陛下……」

 

 その瞳を見つめる国王の表情は、真摯そのものであった。ダタッツを睨んでいたダイアン姫も、彼の真剣な横顔を一瞥すると――父の言葉を信じようと、警戒を薄めていく。

 

「――だからこそ、知りたくもなる。貴殿が如何なる理由で剣を取り、我らと戦う道を選んだのか。何故、貴殿が『帝国勇者』となったのか」

「……」

「それを知ることが出来れば――多少は、この私に残された悲しみも薄れよう。憎しみも、乗り越えられよう。理解し合うことを投げ出せば、残るものは負の感情のみなのだから……」

 

 そして、ようやく。国王の想いが――言葉として、ダタッツに届けられるのだった。

 ダタッツが、ただの悪党ではないのなら。止むを得ず、戦っていたというのなら。

 その理由を知らねば、やりきれない。

 

 ダイアン姫やロークが抱える、そのもどかしさを代弁する彼を前に……ダタッツは逡巡するように目を伏せる。

 

(ただ俺を憎む方が、ずっと楽だったはずだ。それでも、この人は……)

 

 憎み合いを続ければ、争いが繰り返され――人々はいたずらに血を流す。

 統治者として、それだけは避けねばならない。これ以上、民を苦しめてはならない。

 その想いを乗せた眼差しを、ダタッツは直視できずにいたのだ。

 

(話すべきだろうか。俺の、浅はかな理由を)

 

 彼が背負うものの重さと、自分が帝国勇者として戦った理由。それは決して、釣り合いが取れるようなものではなかった。

 話せば、彼らを失望させてしまうだろう。そんな理由で、自分達は大切な人々を奪われたのかと、落胆してしまうだろう。

 

 だが。

 そうとわかっていても、語らないままではいられない。国王の想いに、触れてしまった以上は。

 

「……国王陛下。ジブンは――」

 

 決意にも、諦めにも似た心境で、ダタッツは重い口を開く。どのような反応をされようと、あるがままに語る他ない。

 そう、己に言い聞かせて。

 

 ――しかし。

 

「盗賊だーッ! 野盗共が城下町に侵入してきたぞーッ!」

「野盗だと!? なぜ今になって!?」

 

 突如、宮内に響いた騎士達の喧騒が、その続きを断ち切ってしまう。非常事態を報せる鐘が鳴り、王宮内は一瞬にして臨戦態勢に突入するのだった。

 さらに王室まで轟いてきた声の一部を聞き取り、この場に居る人間達は、即座に状況を把握する。

 

「ババルオが去り、バルスレイ将軍が監視についたこの状況で盗みを働く賊だと……? 正気の沙汰ではないな」

「――お父様、わたくしが出向きますわ。帝国兵達がほとんどいなくなっているとはいえ、騎士団の士気はまだ回復しきっておりません。野盗共に呑まれる前に、わたくしが現場で指揮を執りますわ」

「ダイアン、しかし……」

「心配ならいりません。お父様が信じた、新戦力も居るのですから」

 

 たじろぐことなく、素早く行動に移ろうとするダイアン姫は、国王の心配を他所に戦闘準備を始める。鞘から抜き放たれた剣が、窓から差し込む月光を浴びて鮮やかに煌めいた。

 その柄を握る姫騎士の瞳は、半信半疑の色を滲ませて、予備団員の眼を射抜く。

 

「……協力して頂けますね? ダタッツ様」

「もちろんです、姫様。しかし、ここを出て階段を下り、正門から出動したのでは時間が掛かり過ぎる。敵方の規模次第では、対処が遅れてしまう可能性もあります」

「遅れてしまう――って、なら一体どうすれば……」

 

 だが、その色はダタッツの進言により、瞬く間に戸惑いの色へと変化する。

 今、自分達がいる王族の寝室は王宮内でも最高層の場所に位置している。ここから現場まで移動するのに、普通に階段で降りる以外にどのような方法があるというのか。

 

「ジブンにお任せを。――では国王陛下、暫しお待ちを。直ちに賊を成敗して参ります」

「ちょ、ちょっとダタッツ様……!?」

「ダタッツ!? 貴殿は一体何をしようと……!?」

 

 そんな彼女の焦りを他所に、ダタッツは寝室の門前に置いていたロープを拾うと、一瞬の躊躇もなく窓に向かって疾走していく。

 窓から飛び降りるつもりなのか。そう察した国王は咄嗟に声を上げるが、ダタッツは聞く耳を持たずに窓へ急接近する。

 

 そして、彼の予測をなぞるように、勢いよく窓に身を乗り出し――

 

「さ、行こうかローク君。一番の修業は実戦だ」

「んのわぁっ!?」

「ローク!? あなたいつの間にっ!?」

 

 ――窓の上に張り付き、寝室を覗き見していた少女騎士を、窓の内側に引きずり下ろすのだった。壁に張り付き、最高層までよじ登って来ていたロークの行動力に、ダタッツは苦笑いを浮かべている。

 一方、あり得ない場所からあり得ない人間が出てきたことに、ダイアン姫は目を丸くしていた。

 

 そんな彼女の驚愕ぶりを他所に、ダタッツは腰の鞘から予備団員用の剣を引き抜き――その赤い柄と窓の縁に、取り出したロープを括り付けていく。

 そして――その状態のまま、彼は剣を振りかざし。

 

「帝国式投剣術……飛剣風!」

 

 アンジャルノンを仕留めた必殺の投剣術を、撃ち放つのだった。

 

 空を斬り、宙を翔ける鋼鉄の刃は、月明かりを浴びながら――城門近くにある井戸へと急接近していく。括られたロープを、そこに導いていくように。

 

「……よし」

 

 それから程なくして……鉄の剣の切っ先が、井戸の木柱に突き刺さる。その柄と窓の縁を繋ぐロープは、一直線に張り詰めていた。

 ロープを握り、その緊張を確かめるダタッツは、深く頷くとロークの小さな体を左の小脇に抱え込む。

 

「え、お、おい」

「さぁ、しっかり掴まって。少し揺れるからね」

 

 一切の無駄を許さない、流れるような動きと――今、自分が置かれている状況を目の当たりにして、少女騎士はこの先の展開を予想してしまう。

 その予想を裏切ることなく、ダタッツは首に巻いていたマフラーをするりと解き、ロープの上に引っ掛ける。そして、そのマフラーに飛びつくように――ロークを抱えたまま、窓の外へと飛び出して行くのだった。

 

 重力に引かれ、窓から落ちていく二人の身体は、ロープに引っ掛けられたマフラーを掴むダタッツの右手によって、空中で静止する。

 そして――斜め下に向かって緊張されたロープの下を、猛烈な勢いで滑り降りていくのだった。

 

「どわぁぁああぁぁああ!」

 

 その速度と、王族の寝室から城門近くまで空中を直進して移動するという異常な状況に、ロークは絶叫を上げる。彼女の叫びは非常事態を示す鐘よりも強く、王宮中に轟いていた。

 

「……」

「……なんという、男なのだ」

 

 あまりに型破りなダタッツの出動に、国王もダイアン姫も言葉を失っている。洗濯用のロープを使って戦いに向かう騎士など、この国においては前代未聞なのだ。

 小国の王宮ゆえ、それほど高く造られているわけではないとはいえ、普通に考えれば自殺行為以外の何物でもないのだから。

 

「……はっ! いけない、わたくしも行かなくては……!」

 

 それでも、いつまでも立ち止まってはいられない。ダイアン姫は自分がやるべきことを思い出し、面持ちを引き締める。

 ――が、ダタッツが残したロープを使うことには、若干の抵抗があった。彼の力を借りて現場に向かうということは、帝国勇者の助けがなければ何もできない、ということになってしまう。

 そんな思いが、彼女の脳裏を過っていたのだ。

 

(しかし……彼が先に現場に到着して事件を解決してしまったら……わたくしが何もできないまま終わってしまう。そんなことになったら、それこそ王国の非力さが露呈されてしまいますわ)

 

 だが、ダイアン姫はそれでもと、己に言い聞かせる。

 あの速さなら、ダタッツはすぐに井戸に降り立ってしまうだろう。自分一人がセオリー通りに階段を下っていたら、到着する頃には何もかも終わっているに違いない。

 騎士団も姫騎士もろくに活躍しないまま、帝国勇者の力一つで事件を解決されようものなら、王国の名誉は今度こそ死滅する。

 

 それだけは、なんとしても回避しなくてはならない。憎き仇敵に全てを委ねるなど、あってはならない。

 

 その気高く猛々しい対抗心が、ダイアン姫に火を付ける。

 

「絶対に、屈しません……! 帝国勇者になど、絶対にっ!」

「ダ、ダイアン!?」

 

 怒りに顔を赤らめ、ダイアン姫はダタッツを追うように窓目掛けて爆走する。軽鎧の背後で揺らめく、己の白マントを破りながら。

 

「やぁあぁあああっ!」

 

 そして、娘の暴挙に驚愕する父を尻目に――新緑の鎧を纏う姫騎士が、夜空へ向かって舞い飛ぶのだった。

 

 ダタッツに倣うように、白マントをロープに引っ掛けた彼女は、その両端を両手で掴み、勢いよく城門へ滑り降りていく。

 

「きゃああああああっ!」

 

 その想像を絶する速度に、悲鳴を上げながら。

 

「……彼を、信じてよかったのだろうか」

 

 ――そして。

 やがて静寂を取り戻した寝室に、ただ一人残された国王は。

 

 あまりに型破りな帝国勇者の実態と、それに対抗しようとする娘の無鉄砲さに……頭を抱えるのだった。

 


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