その朝も、俺は桜に起こしてもらって、桜の作った朝ご飯を食べて、桜の作ったお弁当を貰って、桜と一緒に登校した。
こう見ると俺って桜居ないと死ぬんじゃないかなって思うよね。うん。
そんな平凡な朝を、この俺―――――平均平凡、黒髪黒目の男子高校生
つい先日、『入学記念合宿』が終わった俺たち一年生は土日を挟んでこの月曜から通常授業だ。
めんどくさいという声もあるし、日常に戻って安心したという声もある。
俺はどちらかというとめんどくさい派だ。学校、勉強、僕嫌い。
しかもそろそろ中間テストである。桜並木の花弁も散りはじめ、緑の木々が目立ち始めてきた季節。朝のHRまでの暇な時間を、俺は机に突っ伏して過ごす。
俺の席はクラスの窓際の一番後ろ。所謂ぼっち席で、隣に人は居ない。桜は真ん中の真ん中あたりに居る。
ダーツでいうと最高得点の所。
そんな通常営業の朝を、永大とクラスメイトが騒いでいるのを眺めていると、やがて鐘の音が響いた。
因みにこれは、ちゃんとしたクラシックらしい。どこかで聞いただけだが、確か「ウエストミンターの鐘」とかいう名前の筈。
ぞろぞろと生徒が席に戻り、今日も眠たそうなジャンケンの強い理科の教師でもあり俺たちの担任でもある先生が入ってきた。学級委員の声に合わせて起立し、皆でおはようございます、と挨拶をする。席を引いて座って、静かになってから先生が話し始めた。
「あー、おはよう。今日は時間割通りの月曜日だ。入学記念合宿は終わったから、次は中間テストに向けて気を引き締めろよ。後、部活入ってねえ奴は速めに決めとけよ」
何人かが不満げに声を出す中で、先生は静かにしろと言う。
普段ならここで連絡事項は終わりなのだけれど、どうやらまだあるらしい。直ぐに静かになった教室で、先生は無精ひげをいじりつつ話し始めた。
「えっとだな。喜べ男子共、転入生が来た。女子だ」
「「「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」」」」」」」
その瞬間叫ぶ男子一同。(俺と永大込み)
死んだような雰囲気だった月曜の朝、憂鬱な空気が一瞬で吹き飛んだ。男子がその目を輝かせて先生をこれ以上ないくらいに真剣に見つめる中で、少したじろいだ先生はドアへ向けて入って来ていいぞと呼びかける。
ガララ、とドアが控えめに優しく開けられて、男子はごくりと唾を飲み込んで。
じいっと注視する中で、ドアの向こうから、
――――――――桜にも負けず劣らずの美少女が現れた。
男子は全員、一瞬呼吸が止まる。
そう、その少女は美しすぎた。人間のキャパシティを超えているその美貌に、男子は何も言葉を発せずただ固まるのみ。ドアをゆっくりと閉めて、小走りでその少女は教壇の上に立った。
「んじゃあ、自己紹介頼む」
「はい!」
先生の言葉に元気よく答えた少女は白いチョークを手に取り、黒板へと文字を書き始める。
「私はゴールドクレス・トアイリスです! 気軽にアイリス、やアリスと呼んで下さい!」
流暢な日本語。
しかし彼女は名前から分かるとおりに、明らかに外国人の見た目だった。
太陽の光を受けて輝く金髪に、ライムグリーンの透き通った瞳。純粋無垢そうな少し幼い顔立ちの奥には強い意志が感じられるような物がある。
整った、とかそんなレベルではなく、それはローマ神話に出てくるヴィーナス……美の女神と言うのが一番相応しいような完成された少女だ。大きな胸に、引き締まったウエスト。女性らしさを感じさせる臀部のゆるやかな丸みも併せて、スタイルは完璧だ。
桜を例えるなら、奥ゆかしい美しさと可憐さを併せ持つ大和撫子。
そしてアイリスを例えるならば、神にも見間違える美貌と強い意志を持った女神、ヴィーナス。
どちらもずば抜けた美貌の持ち主。これは殆ど男子の好みによって派閥が分かれるだろう。
「私は米国のカリフォルニア州で生まれたんですけど、親の仕事の都合で日本に来る事が多くて日本語覚えちゃいました!元々昔には日本で三年間ほど暮らしていて、最近は一か月くらい滞在するだけだったんですけど、今回は親の仕事が安定しそうなので日本で暮らすことになりました。手続きとかで少し時期は変なのですが、皆さんどうか仲良くしてください!!これから、宜しくお願い致します!」
アイリスは言葉からも純粋な意思と真っすぐな気持ちが分かる。森の奥深くにある澄み切った泉の様な心が垣間見える中で、アイリスは爆弾を投下した。
「私が大好きなのは暁結城という男性なのですが、今きっと高校一年生で同じ学年なんです。昔仲良くさせてもらってて……どなたか、知っている人は居ませんか?」
「「「「「ボク(ワタシ)シラナイネーー!!!」」」」」
「そうですか……。残念です」
可笑しいだろお前ら。
クラス全員が片言のひきつった笑みでシラナイネー!と答えたのを信じた様で、アイリスはしょぼんと肩を落ち込ませた。
このクラスの一番端っこに居る俺を無視したクラスメイト全員は何時も通りなのが悲しい。
まあ普段から桜と仲良くしてるからね!ちょっと殺気がやばいね、男子から向けられる殺気がね!
これはあれですな、休み時間になったら全力で逃走しなきゃ死ぬ。殺される。
「終わったか、お前ら。んじゃあゴールドクレス、お前はあの一番後ろの窓際の寂しいぼっちの隣だ」
「先生まで俺を虐めんですかね!!??」
先生に向かって叫んでいる最中に、全男子からの異常な殺気の籠った視線が俺へとドスドス突き刺さる。これ以上は精神が砕け散る。そんな時に限って、更に爆弾は降ってくる。
「あ、ゴールドクレスの学校案内も頼んだぞ」
俺氏、無事死亡。
バイバイ現世。こんにちは来世。
涙目になりつつ、俺は隣の席に座ったアイリスからほんの少し遠ざかる。
「アイリスです!今日から、宜しくお願い致します!」
「お、おう。よろしくね」
「お名前は何というんですか?」
「え、えっと……えっとお……あのお……」
ここで本名を出せば教室内は一瞬で戦場と化すだろう。
考えろ、考えるんだ!生きるために頭を回せ……ッッ!!
「……ゆ、夕月!ゆーづーき、です!」
「わあ、良い名前ですね!では、学校案内も宜しくお願いしますね、夕月さん!」
「お、おう。まかせとけー」
あかつき ゆうき のつとゆときを強引に混ぜ合わせたが、それなりに良くなった。
アイリスの前だけでは俺は”夕月”でなければならないのだ。頑張れよ、俺!
ぐっと机の下で拳を握りしめて俺は決意する。やがて、再びHR終了の鐘が高く鳴り響き、ガタっ!!とクラス中の椅子が動いた。
クラスメイトのほぼ全員はアイリスの机へと殺到する中で、俺は一気にその机から離れる。
時々すれ違っている中で何人かに殴られたけど、そういう奴は足を引っかけて転ばした。ざまあ。
「ふー、何とか危機は去ったな!」
「やあ結城!」
その誰もいないクラスの前で息をついた瞬間に、肩をがしっと掴まれる。
消え去る、逃げたという達成感。まだ初夏にも入っていないのに汗は吹き出し、俺はギギギ……と古びた人形の如くゆっくりと首だけ振り向いた。
そこに居たのは予想通り、流麗な黒髪に綺麗な蒼い瞳の幼馴染、雪柳桜だ。
俺の肩を掴みつつ、桜が浮かべているのは笑み。
そう、どす黒いオーラを醸し出しつつ目は笑っていないという器用な真似をしつつ、その笑みを浮かべた相手の精神を叩き折りに行く表情。
やけに元気よく話しかけてきた桜は、有無を言わせず告げる。
「ちょっとお話ししないかい?来てくれるよね―――――来てね?」
「……ひゃい」
震え声で頷くと、桜は俺の手を取って教室を出た。
そのまま廊下を歩いていき、段々と人気の少ない方向へ。屋上へと繋がる階段、その中心の踊り場には誰も居ない。
そこへ連行された俺は壁際へと投げられ、桜に胸元を掴まれる。
涙目の俺に対して、桜は般若の如き形相を浮かべている。冷徹に、静かに。しかし背後に見える黒い業火は俺の見間違いじゃない筈である。
「……話せ。結城とあの女がどういう関係なのか」
「知らないっす。俺が知りたいっす」
「キミは彼女を見てどう思った?」
「え?……桜の方が可愛いなって」
「彼女、可愛いよね」
「うん。金髪もあの瞳も性格も見たところ良いよね。完璧だy―――――はっ!しまった!!」
「ふうううん………」
おっとヤバい。桜さんの機嫌がどんどん悪くなって、心なしか周囲の気温が氷点下に突っ込んでますね。
「ふん。もう良いさ、あの女と仲良くやってろばーかっ!!」
最後にそう吐き捨てて、機嫌の悪い桜はその場から走って居なくなった。
取り残された俺はどうしたいいのか分からず、そこで立ち尽くす。二分くらい経った後に、俺はやっと階段を下りて自分の教室へと向かった。
☆★☆
結局、桜の機嫌は直らずに授業は終わった。
話しかけてもむっすーとしていて反応はしないし、伝えたいことは全てLINEで片言か凛と永大が伝えてくれた。逆にアイリスは学校が楽しいのか終始目を輝かせて、積極的に授業を受けていた。
恐らく今日一日で生徒人気、先生人気も集めただろう。お昼の時間も沢山の人に囲まれて食べていた。
因みに桜は一瞬こっちに来ようとして、途中で止まって、ぐぬぬと唸ってから他の所へ行った。
帰りのHRが終わり、生徒は全員部活動体験か帰宅の為に立ち上がる。俺もバッグを持って桜のところへ行こうとして、突然横から袖を引っ張られ立ち止まる。
「あ、あのう……お昼休みに案内してもらえなかったので、学校の案内を頼んでもよろしいでしょうか?」
そういえば朝先生がそんな事を言っていたな、と思い出した俺は、直ぐに了承した。
桜にLINEでその旨を伝えると、帰ってきた言葉は『死ね!!!』でした。ぐすん。
「あー、んじゃあ行くかあ」
「はい!夕月さん、ありがとうございます!」
元気よく笑みを浮かべるアイリス。桜に傷つけられた心が安らいでいく。
図書室、保健室、放送室―――――と沢山の教室を一階から上に上がっていきつつ紹介していく。それらをアイリスは興味深そうに眺めて、楽しそうに見て回っていた。
純粋な子だなあとまるでお爺ちゃんの様な感想を抱き、最後に俺たちは屋上へと来た。
この学校は屋上の解放されている学校だ。まだ四時ぐらいだから昼間で、ここから見る夕暮れも綺麗なのだけれど今はまだ見えない。
「わあ、風が気持ち良いです!見晴らしも良いですね!海も山も見えます!」
「そうなんだよ。この町は海は綺麗だし山はあるし、でもファミレスとかデパートもある良い町なんだよな」
海も山も空もある。
この高校はその町の少し高いところにあり、それらが良く見えるのだ。夏は暑いけど、ここは結構な隠れ名所。綺麗な海は人が少なく、山の奥にある滝とその川はそのまま飲めるくらいに綺麗で、そして涼しい。
「良いところですね」
「うん」
感慨深そうに呟いたアイリスは、柵の外へ向けていた体をくるりと回して、内側にいた俺へと向いた。
そして笑みを浮かべながら彼女は口を開く。
「ありがとうございました!
「ん。どういたしまして―――――え?」
驚きで、体が硬直する。
金髪を風に遊ばせて、微笑むアイリス。彼女は固まった俺をじっと笑みを浮かべたまま見つめて、そしてゆっくりと口を開いた。
「忘れてると思った?結城。忘れるわけないじゃない、貴方の事を」
突然変わる口調。
雰囲気が、一瞬でがらりと塗り替えられる。ぴりっとした緊張感を孕む、妖しい空気。それを纏ったアイリスは、うっすらと開いた瞳で俺を見据えた。
「結城……ずっと会いたかった会いたかった会いたかった会いたかった会いたかった」
そして、光を失った瞳で暗く呟き続けるゴールドクレス・トアイリスを見て。
俺は一人、心の中で叫ぶ。
(………これ、アカン奴やああああああああああああっっっっ!!!!!!!!!!)