あの日たすけた少女が強すぎる件   作:生き残れ戦線

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四十三話

昨夜から降っていた雨は、昼前になってようやく上がった。大変有難い。なにしろ春先とはいえ外気は未だ冷たく、濡れて凍えるのは流石に遠慮したいからだ。

 

行進する戦車の上から外を見下ろすアイスは自分の部隊を眺める。

行軍中だから不思議はないが、みんな口数が少ない。しかし、それにしても、静かすぎるように思う。

森と森の間を縫うように出来た街道に列をなして進む彼らは、見えない敵から身を守るようにして用心深く視線を彷徨わせていた。職業軍人である彼らがこうまでして気を張り詰めている。

その最たる理由は一言で済む。

 

―――ここが既に連邦軍との交戦地帯だからだ。

 

なのでいつどこから進攻する連邦軍が現れても不思議ではない。先を行かせた斥候部隊からの報告がない以上、いらぬ心配なのかもしれないが、何が起こるか分からないのだ。彼らにとっては連邦が攻め込んでくるというのも寝耳に水の事だったろうから。不安になるのも仕方ない。

 

......だが、とアイスは無念そうに首を振った。

唯一、自分だけは想定していた事だったというのに。このような窮地に陥ってしまうとは、これでは殿下に顔向けができないな。

こうなってしまったのは全て自分の不徳の為すところだ。

あの時、選択を間違えなければこうはならなかった。

そう考えながらアイスは行軍を進めた。

 

 

もうじき森を抜ける――――

 

 

 

 

★   ★   ★

 

 

 

 

征暦1935年3月30日

 

アスターテ平原。

ハイドリヒ領西部に位置する地名である。

起伏のある丘陵地帯と平らな平原地帯で構成されたその地形は、見渡すほどに広大であり凡そ数十万人もの人間を優に収めても余裕がある。現に帝国軍の大規模演習場としても使われるほどだ。

そのアスターテ平原を分断して北から南にかけて境界線であるかのように東西を割く河川がある。

ライン川の名称で呼ばれ、アルプス山脈に端を発し、中部ヨーロッパをほぼ北流して北海に注ぐ川だ。

古来より西岸を連邦側(現帝国領)東岸を帝国側としてある種、国境線としての役割をもっていた。

その東岸には現在、辺境伯アイス・ハイドリヒの率いる私設部隊が駐留していた。

先んじて帝国の外敵を打ち払う辺境伯としての力を見せつけるかのように木っ端貴族とは比較にならない数万からなる軍勢である。岸際に整然と横並びの陣を構えていた。

どうやら対岸から来るであろう連邦軍をライン川の瀬戸際で待ち構えようという布陣のようだ。

 

更には対岸にも同様の陣形を組んでいて、ちょうどライン川の両岸を結ぶ大橋と合わせればH形の構えになっている。先んじて西岸と東岸を制圧した隙の無い、超突猛進型である帝国にしては珍しい。防衛側であることを活かした見事な防御型の陣形であった。

これにはいかなる大軍と云えども、ちょっとやそこらの攻撃ではビクともしないだろう。

 

しかし、このとき事態は雲行きの怪しい方向へ向かおうとしていた。

 

発端は東岸にある臨時司令部の本陣から始まる.....。

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「なぜだ伯よ!なぜ儂の意見に耳を傾けて下さらぬのじゃ!下劣なる連邦軍によって傷つけられた帝国の威信を取り戻すためには自ら討って出る他ないというのに何故分からんのだ!!」

 

熱気の籠った狭い密室の中に、男の荒い声が響いた。

苛立たしさを隠さない激情の込められた声音だ。

皺の刻まれた表情にもまた納得しかねるといった感情が色濃く表れていた。

外見は六十がらみの武人である、貴族の男は古くから()()()()()()に仕える老臣の一人であった。

睨みつける目線の先にはアイス・ハイドリヒが居た。仕えるべき主を見る目ではない。

なぜか周囲にいる半数近くの男達も同じ目をしていた。

 

「......」

 

それまで沈黙を保っていた赤毛の青年――アイスは気づかれない程度の小さなため息を一つこぼすと重く閉ざしていた口を開いた。

このままでは引っこみが付かなくなってしまった老臣に向けて言う。

 

「あなた方の言い分も分かります。ですが攻めるだけが帝国騎士の本分ではないはずです。ここは守りを固め味方の来援が来るのを待つべきだと僕は思いますよ」

 

静かに述べたアイスに対して老臣の男は顔を真っ赤にさせると苛烈に言った。

もはや叫びに近い。

 

「なりません!伯は辺境領を治める当主の本分をお忘れか!率先して動かず、ただ味方が来てくれるのを待つだけなど低俗な平民からなる帝国軍にもできる事!それでは栄光ある帝国貴族としての示しがつきません!このままでは武勇で馳せたハイドリヒの名が泣きますぞ!他の貴族共にも何と言われるか、想像するだけでも腹立たしい!ご再考をお願いしまする!」

 

方針の撤回を求める老臣を見てアイスは内心で大きくため息を吐いた。

先程からコレの繰り返しである。

 

方針の撤回。つまり老臣の男は連邦軍を防衛の構えで迎え撃とうとするアイスの考えとは逆に、こちらから討って出て攻勢に転じたいと考えているのだ。

それに関しては完全に却下と決めているアイスにとってコレは無駄な問答である。ため息の一つでも吐きたくなるというものだ。だがここにきて彼らの主張は高まりを帯びていた。引き下がる気はないといった様子だ。

 

彼らの主張も分からないではない。一刻も早く自分の領地を踏み荒らす侵略者を撃退したいと思うのはアイスもまた同様だ。それが叶うのであれば彼らに進軍命令を出す事に何の躊躇もない。

だが勝つ見込みがないのであれば話は別だ。そのような無謀をさせる訳にはいかなかった。

勝つための策があるのであれば違うが、聞いてみると返ってきた言葉は、

 

「我ら『ハイドリヒの騎士』は最強の軍団!古来より帝国の先鋒を務めてきもうした!連邦にもその勇名轟いております!その我らが攻めてきたと知れば彼奴等は恐れをなして歩みを止めるでしょうぞ!その隙に敵の只中を突き進み、敵の首魁を討ち取れば低俗な平民で構成された烏合の衆である連邦軍は瓦解する事でしょう!」

 

つまり平たく言えば敵に向かってひたすら突撃を敢行するだけである。

これで勝利を確信しているのだから始末が悪い。彼らの戦争は旧時代で止まっている。帝国がまだ騎馬隊を使っていた時の戦法だ。

......数年前もこの戦法で当主であった父も付き従っていた兄も死んだと云うのに、まだ分からないのか。

 

震えるほど拳を固く結ぶアイス。その様子を見た老臣はアイスが首を縦に振らないと察したのか、ならばと言い方を変える。

 

「伯はそれほどに味方をお見捨てになりたいのか?先ほどもヤハト砦から救援信号が届いたと聞いておりますぞ」

これにはアイスの顔も厳しい表情になる。それについては隠しておいたはずなのだが。

「あれは明らかに敵の罠です、僕たちを誘き寄せて一網打尽にしたい敵の策でしょう、乗る必要はありません」

「はて、その確証はないはず。もしかすると未だに砦の兵士達は死守しているのかもしれませんぞ、いやそうに違いない!」

 

ヤハト砦とはハイドリヒ領最西部にある砦の事だ。

連邦進攻の知らせを逸早くアイスの元に届かせた砦は、その立地故に、最も早く連邦軍に攻められ既に陥落しているはずの場所なのだ。だが、おかしな事に未だヤハト砦からの救援信号が発せられていた。これをアイスは敵の罠と断じたのだがその情報をあえて隠していた。彼らの様に砦の兵士達が戦い続けていると信じる者が出ないようにするためだ。

 

「既に後退する帝国軍の国境防衛部隊が続々と此処を通過しています、彼らが戦い続け生き延びている可能性は万に一つもありません。それ以上は希望的観測というものです、可能性の低い憶測で軍を動かすわけにはいきません」

「っ!......な、ならば防衛部隊が戦線を維持していた時に動いていれば!防衛部隊と連携して連邦軍を追い返す事も可能だったはずですぞ!それなのに我が軍は連邦の侵攻を逸早く知ったのにも関わらず帝都と他の都市群に報告した以外はこの地で二週間あまりも時を無為に費やしたではありませんか!何を考えておいでか!」

 

確かに老臣の言う通り、後退しながら戦線維持に努めていた国境防衛部隊と力を合わせる事が出来れば状況もまた違っていただろう。それは否定しない。だがそれは到底実現不可能だった事だろう。原因は目の前の彼らにある。

そのほとんどが平民で構成されている帝国軍と貴族やその子弟と従士で構成されている私設部隊は言わば水と油。平然と低俗な平民と呼んでいる彼らが、完璧に帝国軍と連携を取れるはずがない。平民は指揮官になれないと言われているが、それは内地の部隊での話だ。損耗率の激しい国境部隊には平民の指揮官も珍しくはない。

きっとどこかで軋轢を生んだはずだ、その歪みが此度の戦争における致命傷にならないとも言い切れない。戦線が崩壊する可能性だってあるのだ。ならば帝国軍と貴族の私設部隊は分けて戦うほうが邪魔をし合わないし効率も上がる。

その考えが老臣達には分からないだろう。彼らにとって平民とは使い潰す駒に過ぎないのだから。

妾の母を持ちほどんとの時間を平民として生きてきたアイスにとって彼らの価値観は相いれないものである。

 

「先ほども言った通り、救援を待ちます」

「ですが本隊の援軍はもう暫くの時間が必要なはずですぞ」

「いえ、本隊ではありません」

 

本隊を待っていないという言葉に老臣が首を傾げる。何を言っているのかと訝しむ。

 

「なにを.....?ではどこから援軍が来ると言うのですか、隣のウィップローズ家ですかな?あそこの当主が動くとは思えませんがの」

「違います......ラインハルト殿下です」

「は......」

 

目を点にしていた老臣はやがて面白い冗談を聞いたかのように笑い出す。

 

「ハッハッハ!何を言うかと思えばあの皇子がですか、七年前の初陣以来戦場に立つ事を拒否し都市に籠ってばかりいるばかりか、ダルクス人などという薄汚れた民族を重用する事で虚けと囁かれるあの皇子ですかな?」

「口を慎みなさい、それ以上は不敬罪と見なします、父の代から仕える貴方を捕えたくはない」

「だまらっしゃい!まさかあの皇子と懇意にしているという噂が本当だったとは嘆かわしい!先代ハイドリヒ卿とジーク様はフランツ第一皇子を支持しておられたというのに!」

 

未だに老臣達の多くは今は亡き先代当主の呪縛に囚われている。

彼らの生きた半世紀以上が父と共にあったであろうから仕方のない事だが、現当主であるアイスの命令も受け付けない頑固な姿勢は就任以前からの困りごとであった。このままでは碌な事にならないのは目に見えているのだが、この領地において彼らの影響力は計り知れないものがある。領地運営にも老臣達の力が必要であった事から今も改善されていないままにある。

 

恐らく正当な後継者である兄ジークが当主の座に着いていれば老臣達も素直に命令に従っていたのだと思う。彼らは平民の血を引く自分の事を当主として認めていないのだ。

だがそれでも、

 

「僕は僕だ、先代の様にはなれない。嫌でも受け入れてもらう、今の当主は僕なのだから。貴方達も僕に従ってもらう」

有無を言わさぬ冷たい気迫。感情を伺わせない怜悧な瞳が老臣達を貫く。

「ぐうっ!若造が.......!。貴様はやはりハイドリヒの器に相応しくない、歴代の当主様方が持っていた闘争の火が見られん。まるで氷のようだ......!」

 

もはやさざ波程度のこゆるぎもしないアイスの様子を氷と表した老臣はこれ以上は言っても無駄だと分かり、悔し気に顔を歪ませる。

 

「伯よ.....それでも儂らは『ハイドリヒの騎士』であることを止める事は出来んのだ」

 

諦めたのか僅かに首を振ると老臣は本陣に居た半数の騎士達を背後に引き連れて出て行った。

落ちかける夕焼けの光に消える彼らの背中が何かを物語るようであったが、それが何なのかアイスには分からなかった。正当後継者でありハイドリヒの騎士であった兄ならばもしかすると分かったのかもしれない。

 

そして歯車は狂う。

 

もしアイスが貴族という存在を理解していたらソレは起きなかった事態だ。

時に効率や計算と云った理から外れ、無謀と分かっていても体裁を重視して動くのが貴族という生き物であり、平民とは相容れない価値観をもった、別世界で生きる住人だということを、平民として生きてきたアイスは知らない。

 

 

 

 

 

 

 

その一端に気付くのは翌日の明朝、西岸から彼らの部隊が消えた報告を聞いた時であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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