夢を見ていた。
「名前がないのは不便だな。よし、君に名前を与えよう」
それは遠い記憶。
彼女と初めて出会ったあの日の事を。
懐かしいあの頃の姿の少女。
「名前?私に、ほんとうに?」
「ああ本当だ。そうだな.....せるべりあ。そうだ!今からセルベリアと名乗るがいい」
あまり深く考えた名ではなかった。咲き誇る青い花の名から付けたから。
当時の自分の安直さに、夢の中でも苦笑を覚える。
それでも少女は、嬉しそうに笑ってくれた。本当にうれしそうにしてくれたから。コレでよかったんだと思う。
夢の二人は楽しそうに笑っている。何者にも汚されない無垢な光景だ。
いつまでも、あの優しい世界で笑っていられたら.....。
―――――――――――――
「....知らない天井だ」
窓から注がれる朝日に目が覚めたラインハルトは見知らぬ天井をぼんやりと眺める。
はて、ここはどこだったか?
最初わからなかったが意識の覚醒と共に少しづつ思い出してきた。
そうだここは帝都から二日ほど離れた距離にある山合いの小村で。
俺は自領に戻る途中で立ち寄ったこの村に一泊していたのだ。
自由気ままな旅路を思い出し笑みを浮かべる。二人だけの旅は思った以上に楽しかった。
「....リア」
夢の中にも現れたもう一人の旅の仲間を思い出し、ラインハルトは起き上がろうとして、腕に絡まる心地よい重みに気付く。
目線をそちらに向けると、静かに眠るセルベリアが、生まれたままの姿でラインハルトの腕を抱き込んでいた。
すぅすぅと可愛らしい寝息と共に押し付けられる豊かな乳房。柔らかくて実に幸福な感触だ。
幸せそうに眠るセルベリアを見て、意識がようやく目覚めた。
先に言っておくが昨晩。やらしいことは何もしていない。先ほど言ったように此処は小さな村なので宿泊宿というものは存在しなかった。唯一あるのは寂れた掘立小屋だけ。突然やって来たのは自分達なのだからこの小屋で十分だと言ったのだが、明らかに高貴な見た目の二人をみすぼらしい小屋に泊まらせるわけにはいかないと思った村長が用意してくれたのがこの部屋だ。元は息子の使っていた部屋だったそうだが今は帝国軍に居るので不在らしい。
ありがたく使わせてもらっていたが寒くて眠れない。一般的な平民の部屋で眠るのは今のラインハルトでは難しかった。
どうするかと悩むラインハルトを見かねてセルベリアが提案したのが。
曰く、「こ、これは北部出身の者が言っていたのですが.....寒い地方では人肌を重ね温め合いながら眠るのだとか。古よりの知恵だと....で、ですにょで。もしよろしければ....わ、わたしごときでよければ、で、で、殿下を温めさせていただくことを.....提案しまひゅ!」
自分で言って羞恥を覚えているのか白磁の肌は桃色に染まり、途切れ途切れの言葉はかみかみだ。しかし、口を震わせながらも精一杯言い切ったセルベリアに、ラインハルトは「なるほど」と頷く。
腕を組んで考え込むラインハルトを見て、軽蔑されたのではないかと思ったセルベリアが慌てて口をひらく。
「も、申し訳ありません!はしたない事を言いました!忘れてく....」
「わかった。頼む」
「はい!」
背筋を伸ばして見事な敬礼をとるセルベリア。反射的な行動だった。
その直ぐ後に理解が及び、自分で言っておきながら驚いたような表情になる。が、次の瞬間には笑みが弾ける。
まさかこんな所で夢の一つである『殿下と添い寝』が叶うとは!
幾つかある夢の実現に感動するセルベリアだった。
一日千秋の想いを噛みしめるセルベリアを不思議そうに見上げるラインハルト。
「セルベリア?」
「っいえ、それでは失礼いたします」
ハッと我に戻ったセルベリアは、ベッドから起き上がるラインハルトの元に寄り、シーツに手を掛けようとしたところで、
「服は脱いだほうがいいか?」
「....え?」
その言葉に硬直するセルベリア。
今何と言った?服を脱ぐ?誰が、ラインハルト様が?
「人肌を重ねて温めると言っただろう。だから裸身になった方が良いのかと思ったのだが」
違うのか?と首を傾げるラインハルトにぶんぶんと首を振る。
「いえ!そうです。そうでした!うっかりしていました!」
「....わかった」
セルベリアの見ている目の前でラインハルトは平然と身に纏う衣服を脱ぎ始める。平穏に生きることを渇望しているラインハルトの趣味は意外な事に体を鍛えることだ。剣の師に教えを乞い帝国式剣闘術を学び修練を積んでさえいる程であった。細身ながら絞り込まれた筋肉が露わになっていく。
セルベリアは目を見開いて目の前の光景に釘付けになっている。
たくましい大胸筋に視線を向けていると、カァッと頬が熱くなり、心臓は早鐘を打つ。
「どうした、脱がないのか?」
「あ....うぇ?」
流石に下までは脱がなかったが、既に服を脱ぎ終えている。後はセルベリアだけだ。
これは本当に現実なのだろうか。茹だった頭で考えるが答えは出ない。
いや、もう夢でもいい。
黒い軍服に手をかけて金縁のボタンを外していく。服が緩み白い肌が覗きだす。一番下までボタンをとり....バサリと軍服が床に落ちる。
露わになった黒いレースのブラが豊かな胸を窮屈そうに抑え込んでいた。
そして、腕を背に回しそれすらも取り外したのだ。
室内の冷気が肌に触れるが火照る体の所為か寒さを感じない。
パンツと黒のストッキング以外を脱いだセルベリアはシーツをめくりその中に忍び込むと、ラインハルトの体に触れる。
温かく広い背中だ。体を密着させると、
セルベリアは囁くようにそっと言った。
「どうですか殿下、寒くはないですか?」
「いや、温かい.....」
その言葉は事実のようで、ラインハルトは心地よさそうにしている。しだいに穏やかな寝息が聞こえて来た。
セルベリアは体の熱を共有するようにぎゅっと抱きしめるのだった。
・
・
・
・
というわけである。
セルベリアの奉仕のおかげでぐっすりと眠ることができた。
回想を終えたラインハルトはセルベリアを起こそうと肩に触れるが。
あまりにも蕩けきった顔で寝ているものだから。
何か悪い気がしてラインハルトだけベッドから起き上がった。
眠るセルベリアにシーツを掛けてやり、自分はベッドから降りて洋服ダンスに向かう。掛けてあった黒色の軍服に着替えると部屋から出る。
まだ日は朝早いが、村長は起きて料理を作っていた。おたまを片手に振り返る初老の老人。
「おや軍人さん。起きて来たのかい」
「昨晩は泊めていただき感謝します」
まさか皇子だと名乗るわけにもいかず、
混乱を避ける為にあらかじめ軍人という身分で名乗っていた。まあ嘘でもないし問題ないだろう。
「いやいや、あんなぼろ部屋ですまないねえ。あまり眠れなかったろう?この時期は寒いからね。暖炉でもあれば違うんだけどね」
「いえ、ぐっすりと眠れましたよ」
「おや、そうかい?」
「それより顔を洗う場所はないですか」
不思議そうに首を傾げる村長をよそにラインハルトは顔を洗うために水を求めた。
「ああ、それなら外にある井戸を使うといい。案内しよう」
家の外に出ると裏手の庭にある井戸に案内された。
投げ入れた桶を引き上げ水をすくうと顔に浴びる。予想以上に冷たい井戸水に身を引き締められる気分だ。
「....ふう」
「はっはっは最高じゃろう。アース山の雪解け水じゃからな、この時期は一等に冷たいんじゃよ」
「人が悪いですよ老公。わざと黙ってましたね」
「ほっほっほ悪かったの。おわびに温かいスープをご馳走しよう。儂のつくる山菜のスープは絶品じゃよ。あの美人なお嬢ちゃんも起こしてくるといい」
「ありがとう。お言葉に甘えます」
快活に笑いながら家に戻る村長に苦笑しながら後を追いかけていくラインハルトだった。
「......ん?」
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「目標を捕捉しました。標的は予測通りあの村に入った模様です」
「やっとか......ったく面倒かけやがって」
双眼鏡で村を見下ろしていた青年の言葉に、
後ろに控えていた傷有りの男は煙草を口にくわえながら顔を歪める。
彼らは村の裏手にある遠くの斜面から、木々に隠れて村を観察していた。
溜まっていた鬱憤を晴らすようにゆっくり紫煙を吐くと、瞬間、勢いよく煙草を投げ捨てた。手に持つ通信機のマイクに叫ぶ。
「てめーら待ちに待った出番だ!『金獅子は檻に入った』繰り返す『金獅子は檻に入った』これから作戦を開始する。檻の中に居る獅子を殺せ!!一人たりとて生かして逃がすな、これは絶対命令である!」
怒声ともとれる傷有り男の命令が通信機を介して全兵に伝わった。