あの日たすけた少女が強すぎる件   作:生き残れ戦線

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三十八話

「望むものは全て与えてやる、争いとは無縁の平穏な人生も。それだけに及ばず地位や財。ありとあらゆる褒賞も思いのままだ。お前にとっても悪い話ではあるまい.....」

「......」

 

除染作業が完了しておらず、人気のない廊下に、

マクシミリアンの声が朗々と響く中、それを耳にしながらもセルベリアは過去の記憶に意識を浸らせていた。

 

そして思い出した。七年前の記憶を。

無力を嘆き力を求めた、全ての始まりとなったあの日の夜。

確かにあの時、マクシミリアン皇子は私に言っていた。

 

自分の元に来いと。

 

殿下に寸前で引き留めてもらっていなかったら、私はどうしていただろうか?

 

断っていただろうか。それとも......。

 

いや、そんな事を考えてもせんないこと。

あの時は殿下の力が今よりも弱かったからこそ、揺らぎはした。あらゆる勢力から殿下を守るためには自分を犠牲にするべきではと。

だが、今であればその心配はない。

刺客が襲って来ようと私が返り討ちにできる。どんな勢力が攻撃してこようと彼の軍は負けない。

だからこそ自信をもって言える。

 

「今までもそしてこれからも私の主はただ一人、ラインハルト様だけです、だから貴方の誘いには答えられない」

 

きっぱりとそう言ったセルベリア。表情には揺るがぬ意志が見て取れた。

.....それに、マクシミリアン皇子では私の望むものを与える事は不可能だ。

だって私が欲しいものは......。

そっと思いを胸にしまう。今はまだ。

と、そこに――

 

「そうか。......ふ、よもや余の申し出が再三に渡って断られるとはな。まあいい.....」

 

何故か、断られたというのにそれを面白がるようにマクシミリアンは薄い微笑を浮かべる。

セルベリアの返答に対しても氷の貌は崩れない。

意外にもあっさりと諦めた(てい)の態度で、逆にそれを不審に思った。

.....もしや。

 

「私が断ると分かっていたのでは?」

「余とて人だ、人の情を察する事くらいは出来る。そなたが弟の元を離れる事は無いだろう事は、あの時のお前達を見ていれば分かる」

 

これほど即答されるとは流石に思わなかったがな。と酷薄な笑みと共に言うのを聞いて。

ますます不審な思いは募るばかり。

だとしたらなぜ、あえて聞いてきたのだ.......?

訝しむセルベリアは思い切って聞いてみる事にした。

 

「マクシミリアン皇子らしくありませんね。無駄を嫌う貴方がわざわざそのようなお戯れをするとは......もしかして、本国で何かあったのですか?」

 

賭けだった。それを聞いたのは。

昨夜、秘密裏に会議が行われていた事と、本国で何かあったかもしれないとエリーシャが言っていた意味深な言葉を思い出し、カマをかけてみることにしたのだ。そしてそれは成功する事になる。

その言葉にマクシミリアンの目が鋭くなり。

 

「.....流石だな、その勘の鋭さは驚嘆に値する、それに気づいたとはな。......セルベリア大佐の言う通り、昨夜の事だ。帝都より急報が入った。おかげで本国から来る筈であった援軍の動きが停滞していてな、ガリア公国進攻の方針を話し合っていたのだ、そこで低下した戦力を補う為には大佐の力が必要だと考えた。故に余自ら誘いに来たというわけだ」

「私の力を必要とするほどの事とはいったい......?」

 

.....何が起きたというのだ。援軍を動かせない状況だと?そのような緊急事態。帝都、いや帝国全体を揺るがすほどの大事(だいじ)が起きなければ発生するとは思えない。

 

「セルベリア大佐にとっても因縁のある相手だ」

 

セルベリアの反応を楽しむような声。事実、楽しんでいるのかもしれない。セルベリアは小出しにされていく情報を吟味した。

.....私にとっても因縁のある相手。つまりそれは殿下と関わりがある事だと思う。さらに、それまでマクシミリアンが言った言葉を思い返す、なぜ私に七年前の事を思い出させた?

それを含めて意味があったとしたなら、答えはおのずと出ていた。

 

「まさか.....」セルベリアの口から震えた声が漏れ出た。徐々に鼓動が激しさを増していくのを感じる。

答えに至ったと理解したマクシミリアンが頷きながら口にした。

 

「―――三日前、連邦軍が帝国との境界線である西方戦線を越え進撃を開始した」

 

セルベリアの紅い瞳が驚愕に瞠る。

――連邦軍襲来。その知らせを聞いた瞬間、セルベリアが内心で思ったのは。ついに.....だった。

遂にこの日が訪れた。

 

私が力を望む事になった全ての元凶。

七年前、完膚なきまでに敗北という味をなめさせられた仇敵。

 

「状況は七年前のダゴン戦役と酷似している、小競り合いが続いていたかと思うと、大規模な軍勢を動員して一気呵成に東進を始めた。だが、その動員兵力は恐らくその比ではない。情報局国境監査班の情報ではダゴン会戦が最終報告で40万だったのに対し、今回の初期報告では西方戦線全域を合わせれば100万を優に超えていたそうだ」

「っ!」

 

帝国の長い戦歴においても史上類を見ないほどの大兵力だ。しかも初期報告での数ということは、これ以降さらに増えていくという事でもある。

いったい連邦はどれほどの兵を西方戦線に送って来くるつもりなのか想像も出来ない。

 

「既に西方戦線は破られ、帝国領内には連邦軍が連綿と列をなして雪崩れ込んでいる。情報局は一杯喰わされた、連邦の大進攻を帝国は予測できておらず、現在も防衛線は後退を続けており、早期の戦力投入が望まれる。これを迅速に対処しなければ、最悪の場合、首都にまで連邦の手が伸びる可能性が高いと余は考えている。その前に何としても敵の進軍を止めなければならない」

 

その言葉に成程とセルベリアは頷いた。

この時、セルベリアはガリア方面侵攻軍は根底にあった攻撃方針を撤回、進撃を中止し後退した後、防衛線を繰り広げる帝国軍と合流を図る気なのだろうと考えた。昨夜遅くに開かれた会議も恐らくその方針改訂の合議を行っていたのだ。

つまりである。

 

「それでは、ガリア方面侵攻軍はガリア公国に対する攻撃を取り止め、停戦するのですね」

 

激しい戦火を交えたにも関わらず、呆気ない幕切れだったなと思うが、帝国の危機とあれば仕方ない。ガリア公国程度の小国に構っていて首都を陥落されましたでは話にならない。故にマクシミリアン皇子は防衛線の救援に向かうのだと、そう思っていたのだが......。

 

「いいや、それは違う。我が軍はこれまで通りガリア公国の進攻を続ける、ガリア方面侵攻軍の方針は当初から何も変わることはない」

「.......え?」

 

呆気なくその考えは崩された。

マクシミリアンの意図を把握しかねて困惑するセルベリア。

 

「それはどういう意味でしょうか?」

「言葉通りだ。余はこれまでの計画通りガリアを落とす」

「なぜですか!?未曾有の危機が帝国に迫りつつある中、ガリアのような小国に構っている暇はないはずですが!」

「これは異な事を言う、余の役職はガリア方面軍最高司令官なるぞ。何も不思議な事ではあるまい、よもや神聖不可侵なる皇帝より任ぜられた命令に背けと言うのか?」

「クッ.......!」

 

それを言われれば何も言い返す事など出来ない。

帝国皇帝は神聖不可侵なる絶対の存在。

基本的に彼の存在から賜った命令は絶対尊守である。極端な話、命令を全うできなければ死を賜る事もありうる。それ程に強制力の強い力。貴族の中にはそれを名誉と感じる者も少なくない。

一介の兵士であるセルベリアが、ガリア方面軍の方針に口出しすれば、皇帝の命令を背かせようと、示唆したのではと疑われかねない。そうなれば処断は免れないだろう。

だが皇帝の子であるマクシミリアンならばその限りではないはずだ。例え皇帝から与えられた命令であろうと撤回しようと思えば出来る。現にラインハルトなんかは皇帝の命令を辞退した程なのだから。

 

......ではなぜガリア公国への進攻を止めようとしない。

逆に考えればそれだけの何かがガリアにあるという事なのだろうが、帝国の一大事よりも優先する目的とは何なのか、セルベリアには分かりかねた。

だが、マクシミリアンが今現在、何を考えているのか、その目論見は次の言葉で分かることになる。

 

「セルベリア大佐に質問だが、連邦という脅威が迫る中、ラインハルトはどう動くと考える?」

「それは.......っ!?」

 

その言葉にセルベリアは愕然とした面持ちになる。

マクシミリアンが何を考えているのか分かってしまったからだ。ここで思い出してほしい、帝都と西方戦線の間に何があるかを。それは殿下の居るニュルンベルクだ。否が応でも戦いは免れない。

 

「順調に連邦の攻勢が進めばおのずと我が弟は連邦軍と戦う事になるだろう。余を前にして一歩も引かなかったあの男が敵を眼前にして逃げるとは思えんからな」

「まさか連邦軍が殿下を襲うのを狙っているのか!?」

 

その答えに至りセルベリアは目の前の男を睨んだ。皇子だろうともはや関係ない。視線には敵意すら滲ませていた。言葉も荒々しいものになる。

 

「何を怒っている。ただの推測にすぎない、実際にそうなるかはラインハルト次第であろう、もしかしたら帝国軍に任せて後方に退避するかもしれん」

「思ってもいない事をっ!殿下が連邦軍と争わないはずがない事を貴方は知っているはずだ!」

 

だからこそ私達は力を求めた。その為のニュルンベルク軍だ。

いずれ来るであろう再戦を望んでいたのは他でもない殿下自身なのだから。

それを利用してマクシミリアンは殿下と連邦軍を共倒れさせる腹積もりだというのなら許せるはずがない。

こうしてはいられない早く殿下の元に向かわなければ!

 

その時、マクシミリアンは釘を指す様に言った。

 

「セルベリア大佐及び遊撃機動大隊はガリア方面軍の指揮下にある。勝手な行動を取ろうものなら敵前逃亡の罪で処断する」

 

動き出そうとするセルベリアの足が止まる。顔は苦悶の表情で染まっていた。

マクシミリアンは何も変な事を言っていない、一度、ガリア方面軍の指揮下として動いている以上、例えガリア方面軍の旗下ではないとはいえ。新たなるラインハルトの命令がない場合は指揮権はマクシミリアンにある。軍規を乱す迂闊な動きをすればマクシミリアンが処罰する権限がある。

気付いたらもう遅い、この瞬間をもってギルランダイオ要塞はセルベリアを閉じこめる為の監檻となったのだ。

そしてマクシミリアンは悪魔の取引を持ち掛けた。

 

「だが、余のものとなればラインハルトを救いに行かせてやる。余の手勢も幾人か借してやろう」

 

初めからこれを狙っていたのだ。マクシミリアンは。

セルベリアを手中におさめる事を微塵も諦めてはいなかった。

厭らしいほど狡猾に蜘蛛の糸を張り巡らせていた。セルベリアはその糸に絡まる哀れな青い蝶。

もし仮に素直にマクシミリアンの誘いに乗ったとしても、その証明にヴァルキュリアの遺物を置いていかせる腹積もりであった。背筋が薄ら寒くなる程に恐ろしい男である。

 

完全に退路を封じられたセルベリアは立ち尽くし力なく俯いている。もはや諦めてマクシミリアンのものになるしかないかと思われた。

影に隠れて表情の窺えないセルベリアの口からポツリと紡がれる。

 

「.....一つだけ聞きたい事があります」

「ふむ?申してみよ」

 

何を言うのか興味深げに薄い笑みを張りつけていたマクシミリアンの表情が次のセルベリアの言葉で固まる。

 

「.......七年前の事です、士官候補生であった私達はダゴン会戦時を利用して予備役将校訓練課程を行っていました。その目的は実錬教育であり実際の戦争を肌で感じ学ぶというものでした。そして当時七千人の兵士達と共に従軍していたラインハルト様を含む104班は待ち伏せていた連邦の部隊に襲われ全滅、ラインハルト様は生死を彷徨う事となりました。その事は貴方も知っているはずですね.....」

「......ああ、だがあれは不慮な事故で片付いたはずだ。稀にそういう事はあるからな」

「ですがあの状況に違和感を持つ者がいました、その彼が機密情報であった進軍ルートの流出があったと思われる日に学内府を訪れた者を調べたところ、非公式にですが貴方が訪れていた事を知り得たのです」

「.......」

 

淡々と口にするセルベリアの言葉をマクシミリアンは無表情で聞いている。

それに構わずセルベリアは一拍後、それを口にした。

 

「貴方が連邦に情報を売ったのですか?」

 

あまりも不敬な言葉にも関わらずマクシミリアンは怒りを露わにしなかった。ただ能面のような感情を伺わせない表情でセルベリアを見て、

 

「......七年前からそう思っていたのか?」

「はい、ですが確信したのは最近の事です。貴族の位を継いだ時に最高機密を知る権限が与えられます、その時に調べてもらいました。貴方は殿下を邪魔だと強く感じていたのを見受けられました、動機は十分にあるはずです」

「なるほど、それで余がラインハルトを亡き者にせんとして敵に情報を売ったと思ったわけか。だが証拠はあるというのか.....?」

「残念ながら明確な証拠はありません、なので罪に問うことは出来ないでしょう。が、もとよりそのつもりもありません」

 

その言葉が意外だったのかマクシミリアンに初めて困惑の色が現れる。

 

「もとより罪に問うきはないと申すか。だとしたらなぜそんな意味の無い事を聞く?」

「私は貴方の口から真相が知りたいだけです」

 

だが、この時、既にセルベリアは確信を持っていた。

同胞であるヴァルキュリアの存在が疑惑を確信に至らせていたのだ。

......やはり七年前、槍と盾を届けてきたのは......。

 

表情の窺えないセルベリア。不穏な気配を孕んでいた。プルトが僅かに身じろぎする。

そんな中でもマクシミリアンは泰然とした態度を止めず、何事か考えるように無言が続く。

やがて口を開いた。

 

「......そうだと言ったら?―――っ!」

 

――途端にマクシミリアンの背筋に凍るような寒気が走る、水瀑布の如き殺気を浴びせられたのだ。驚愕はその後に起こった。

なんとセルベリアの姿がいきなり巨大化したように見えたのだ。だが違う、それは瞬く間にセルベリアが接近した事でマクシミリアンの目が錯覚した、幻覚の像。

 

気付いたらセルベリアが目の前に迫っていて、腰元の刀を抜き放った後だった。流麗な曲線を描いて振るわれた剣閃がピタリと細い首筋で止まる。薄皮一枚のミリ単位で静止した刃。あまりの早業に。実にマクシミリアンが出来た事は腰の剣に手をやるのみであった。その代わり配下のヴァルキュリアは見事な動きを見せた、寸前で間に割り込んだ彼女が自身の体を盾にマクシミリアンを守ろうとしたのだ。

だがセルベリアがその気であれば二人の首を刎ねる事も容易い。完全に生殺与奪を握っていた。

不気味な緊張感が満ちる中、この状況でも気負った様子の無いマクシミリアンの声が響く。

 

「自分が何をしているのか分かっているのか......」

 

逆にこちらを尋問するかのような圧が込められていた。まるで命を失う事を恐れていない。

そんなある種の異常を思わせる声に対しても動揺を見せず静謐を体現するセルベリアは。流れる動作で刀を鞘に納めると、マクシリアンの青い瞳を見詰め返した。

 

「突如の無礼を申し訳ありません。ですが、これこそが私の返答です」

「なに.....?」

「例え殺されようとも私は貴様に従うつもりはない!!」

 

その言葉には絶対の確信が込められていた。紅い瞳からは例えあらゆる権力を笠に脅されようとも屈する事はない不動の信念が見て取れる。

 

「ならば死ぬか?余に刃を向けた以上、ここから生きて帰れると思わぬことだ」

「元より覚悟の上、主を裏切るくらいならこの首差し出しましょう。ですが私とてただで死ぬつもりは毛頭ありません。死ぬ間際には蒼き炎となってこの要塞ごと全てを焼き尽くしてご覧にいれます。次に全てを失うのはマクシミリアン殿下となるでしょう」

「貴様......!」

 

これにはさしものマクシミリアンでさえ呻いた。

蒼き炎とはヴァルキュリア人が自らの命を代償にして起こす事象の事だ。覚醒した蒼い炎のオーラでさえ比べ物にならない、文字通り命を燃やして起きる炎の爆発は、一瞬にして数キロの範囲にわたって大地を焼き尽くす。

仮にここでソレが起きようものならギルランダイオ要塞は地上から消し飛ぶだろう。

 

何故そこまでできる.....?

マクシミリアンには理解できない。目の前の女がそこまでして自分に服従することを拒むのか。

何故そこまでラインハルトに固執するのかが分からない。

 

「分からぬな、どうしてラインハルトの為にそこまでする?拾ってもらった恩があるというだけで、貴様は死を厭わぬというのか」

 

なぜそんな簡単な事を聞くのだろうと思いながらセルベリアは紡ぐように言う。

セルベリアにとってその質問は至極簡単な事だった。

 

「......確かに私は拾ってもらった事に多大な感謝の念を感じています、だけどそれだけでその人の為に死ねるほど私は出来た人間ではない。私はあの人と共に生きている中で、その優しさに触れ、人となりを知っていく内に気付けば虜となっていたのです。初めは戸惑いましたが、今はこの思いが心地いい.....この感情こそが愛というものなのでしょう」

 

マクシミリアンは耳障りな言葉を聞いたとばかりに、露骨に顔をしかめさせた。その表情には失望の色がありありと描かれている。

 

「あれほどの力を持つ貴様ですらあいつと同じ事を言うのか。愛だ慈しみだと下らぬ戯言を!それがいったい何だと言うのだ!力こそが全てのこの世界に、愛など無価値、そんなもの力なき弱者の言葉に過ぎん!」

「そうは思いません、愛は死の恐怖を凌駕する唯一の感情だと考えます。事実、私は死を恐れてなどいない、本当に大切なものの為なら命すら投げうてる、だからこそ私は誰よりも強い......!」

「.....っ!」

 

言葉を失うマクシミリアン。

セルベリアの言葉にある女性の姿が脳裏をよぎる。

 

その人は誰よりも気高く強かった、幼いマクシミリアンにとって世界の全てであり、唯一心を通わせることの出来た大切な存在、その人もまた大切な子供を守るために自らの命を投げうった。

記憶の底に封じていたビジョンが次々と浮き上がる。

 

【地に転がる黒鉄の列車】【燃え上がる黒煙】【泣きそうな笑顔を浮かべる母親】【泣き叫ぶこどもの声】

【たった一人墓前に立つ少年の姿】――までを思い出したところでマクシミリアンは過去を振り払った。

それまで氷を思わせる凍てついた貌が崩れ去り、今にも泣きそうな子供の様な。悲痛な表情が垣間見える。

.....俺はまだこの感情を捨て切れていないのか。

 

「こういう甘さを克服する為に力が要るんだ!絶対の力が.....!」

 

吐き捨てるように言ったマクシミリアン。その豹変に驚いた様子のセルベリアを睨んだ。

 

「貴様と余ではその価値観があまりにも違い過ぎる、交わらぬ平行線のようだな。ここまでラインハルトに毒されていようとは。もはやお前は必要ない......!」

 

もはや用はないとばかりに背を翻した。そのまま立ち去っていくかと思ったが、最後にマクシミリアンはこう残した。

 

「......貴様らの情報を売ったのは余ではない、だが奴の命を奪おうと動いた者がいるのは確かだ、せいぜい気をつけるといい」

 

言って歩き出す、その後ろをプルトが付いて行く。

 

それをセルベリアは黙って見届けるしかなかった。彼らの姿が見えなくなってようやくホッと安堵のため息をこぼす。戦場とはまた別の緊張感だった。

一時はどうなるかと思ったが、なんとかこの状況を凌げた。

 

殿下の忠誠を裏切ってまで生き永らえる気はない。

場合によっては死を引き換えに炎となってやるつもりだったが、こんなところで死ぬわけにはいかなかった。

私にはまだやるべき事が残っている。

 

まずは状況の整理をしよう。

 

三日前、つまりギルランダイオ要塞が陥落した日から程なくして連邦軍は帝国に対する大進攻を始めた。

その動員兵力は現時点で100万を超える大規模。恐らくヨーロッパ世界において史上最大級の戦争になる。

ラインハルト旗下であるニュルンベルク軍も動くことになるだろう。その救援に向かいたくても、

ガリア方面軍は依然として方針を当初のものから変更することはなく。勝手に動く事は許されない。

 

「どうすればいい.....!」

 

考えれば考えるほど焦りが生まれてくる。

......またなのか、私はまた大事な時にあの人の傍に居れない!

やるせない思いに渋面を浮かべた。

 

と、その時―――ハッと何かに気付いたセルベリア。

いきなりその場から走り出す。

 

要塞中を駆け回りながら誰かを探す様に忙しなく視線を巡らせる。

 

途中、出会った女官たちに聞いてみたが彼女達も分からないそうで首を振った。

 

「いったい何処にいる.....?」

 

それでも諦めず要塞を隈なく探していると、ようやく出会う事に成功した。

それはセルベリアが要塞後部にある一階の廊下を歩いていた時だ、

目の前の扉がガチャリと開いたかと思えば、ちょうどそこから目的の人物が現れた。

その人物とは――

 

「あら?奇遇ですね。なぜセルベリア様がここに?」

 

丁寧な口調で言うのは切れ長の瞳に黒い髪の女官。

エリーシャ=ヴァレンタイン扮する仮初の姿エリーであり、セルベリアが探していた人物だ。

 

「お前こそ何でこんな所から出て来るんだ?どうりで見つからないはずだ」

 

マクシミリアン殿下の近辺情報を探っていたはずだが、上手くいかなかったのだろうか。それにしては穏やかな笑みを浮かべている。失敗したとは思えない。

セルベリアはもう一度、エリーシャが出てきた部屋の名称が書かれた看板を見た。

 

そこには『情報書簡庫』と達筆で書かれており、潜入作戦を行うエリーシャとの関連性がない。まさかこの状況で読書を楽しんでいたわけではあるまい。

はたして一体どういう事だ?

 

 

 


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