あの日たすけた少女が強すぎる件   作:生き残れ戦線

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二十九話

薄暗い廊下にコツコツと足音が響く。荒々しい、男と思われるものが二人分。

一人は軽く、もう一人は重い足音で。

急いでいるのか心なしか早い足取りで前を歩く男に、後ろの男が息を切らせた様子で呼ぶ。

 

「これ!少し待たんか。......ふう、疲れたわい、休憩がてら一服でもするかの」

 

前を歩いていた男が振り向いて、後ろをのんびりと歩いて来る男に向かって叫ぶ。

 

「何を悠長なことを言っているのですか!敵が直ぐそこまで迫っているのですぞ!()()()()()!」

 

驚くことに胸元から葉巻を取り出して一服し始めた男の正体は、ガリア軍の最高司令官たるダモンであった。

突如として司令官室から消えた男が、なぜこんな所に居るのか。

答えは簡単で、ギルランダイオ要塞より逃げるためだ。

この薄暗い通路は脱出経路であり、司令官室より繋がっている隠し扉から入ったダモンとその副官は、只今、逃走中と云うわけだ。

未だ要塞が陥落した訳ではないと云うのに驚くほどの逃げ足である。

 

あの要塞中に響いた破壊音を聞いた瞬間にダモンは動き出していた。

 

驚く副官をよそに開けた隠し扉に入っていく。その少し前ぐらいに老将の部下達が呼びに来ていたが、良いのですか?と聞く副官に午睡の時間だと言って無視していた。まさかその頃に前線司令部が無防備宣言しているとは一片も思わなかったダモンである。

慌てて付いて行った副官が扉を閉めて、老将が押し入ったあの状況が形成されたのだ。

 

『恐らく壁の門が突破されたのであろう』

 

と言うのが道中で状況説明を求めた副官に言った言葉である。

ありえない、と副官は驚いた。

 

「ありえない、なんて事はありえないのじゃよ。常に我々の常識では理解できない事が起きるのが戦争の理じゃ、実際にそれが原因で五年前にギルランダイオ要塞は落とされたしの」

「ですが今は改修して更なる鉄壁の防御を造り出す事に我々は成功しております!」

「帝国は更にその上をいく攻撃力のある攻城兵器を持ち出してきただけの事じゃて.....しかし要塞の突破がこれ程に早いとは、あやつらは間に合ったかのう.....」

 

最後に呟かれた言葉は副官の耳に届く事は無かった。

いや、聞こえていたとしても疑問に思う事はなかっただろう。それほどに副官の男には余裕がない。怯えきった様子で顔面は蒼白だ。

この要塞が落ちると云う事はガリア公国領内に帝国軍が侵入するという事だから彼の不安も当然と言えば当然だが。

挙句の果てにはガリア公国が滅びるのではっと要らぬ心配までする始末。

すっかり臆病な性根が表に出て来ていた。

 

その姿はダモンですら呆れるほどで。

紫煙を吐きつつボソリとした声が。

 

「太鼓持ちで儂の意見に背かん小心者だから取り入れたが、ここいらが潮時かもしれんのう.....」

 

小さく呟かれたものの、やはり男の耳には届かず。

 

「このままでは我が家の領地にまで帝国軍は足を踏み入れてしまうのでは.....!?そうなれば俺の当主の座がっ」

 

自らの保身にのみ注意は割かれていた。

祖国を案じる気はこれっぽっちもない。己の栄光が途絶えるかもしれないと恐れているのだ。

 

ぶるぶると震える副官の背を見て、埒が明かないと思いダモンは言った。

その言葉に副官は一瞬で意識がダモンに向くことになる。

 

「心配せずとも手は打ってあるぞ。帝国の進撃を挫く必勝の策をのう」

「な、なんですと!?将軍それはいったい!いったい何時からそのような作戦を!?」

「敵を騙すならまずは味方からと言うじゃろ?極秘作戦じゃからの、お前にも黙っておいたのじゃ」

 

さぞかしその極秘作戦とやらに自信があるのか。

葉巻を片手にニヤリと笑みを浮かべるダモン。

その姿に頼もしさを覚えた副官はパアッと笑みを浮かべる。

 

「さ、流石はダモン将軍です!そのような深謀があったとは、このミシェルもはや感嘆するしかありませぬ!」

 

役者染みた大袈裟な動きで褒めたたえる副官に気を良くしたダモンは歩みを再開して副官の横を通り過ぎる。

 

「そういうことじゃ。さて、先を急ぐぞい。儂らが遅れては意味がないからの」

「はい!」

 

気を取り直して歩き出してから数分も経たず、二人の前に出口は現れた。

 

質素な木枠で型どられた扉だ。意外な事に扉自体も木で出来ている。

重苦しい頑丈な石の扉を想像していた副官にダモンは扉を開くよう指示を出す。

 

「開け」

「は、はいっ.......あれ?」

 

指示通りにドアノブに手を掛けて引くと、目の前に壁が現れた。これもまた一面が木で覆われていて、通路を封鎖していた。

 

いったいどういうことだ?と愕然としていた副官の後ろから新たな指示が掛かる。

 

「木の壁に窪みがあるじゃろ。そこに指を引っ掛けて横に動かしてみよ」

 

言われて見ると確かにある。小さな引っ掛け穴の様な(くぼみ)が。

そこに指を指し込み横に移動させると僅かだが、壁自体が動くのを感じる。まさかと思いさらに腕に力を込めて動かせば、ズズズ....と横にスライドしていった。

 

扉の端まで壁が完全に移動すると、思った通りそこには未知の部屋が存在した。

恐る恐ると云った感じで中に入る副官は部屋を見渡す。

壁一面には木の棚が設置してあり、その中には隙間なく書籍が詰められている。

 

「ここは.....?」

「ここは要塞後部の一階にある書庫じゃな。兵士達が使う慰安部屋といったところじゃろう」

「なるほど、木の壁と思われていたのは本棚の裏だったのですね」

 

部屋いっぱいに所狭しと本棚で囲まれた部屋を見ながら納得した副官。

隠し通路を遮る壁の正体が本棚であったことに気付く。部屋の中でも目立たない隅の辺りに隠し通路はあったのだ。

隠し通路から出て来たダモンがじろりと見渡すも、すぐに飽きたとばかりに肩をすくめて。

 

「この部屋には用がないでの、行くぞ」

 

一切の興味も示さずに歩き出す。しかも吸いかけの葉巻をピンと指で弾き地面に落とす始末。まだ火が点いているというのにだ。

慌てて葉巻を踏み潰すと、部屋から出て行こうとするダモンの背を追った。一応隠し扉を遮っていた本棚は元の位置に戻しておいた。

 

元に戻した行動に特に意味はなく、ただ単に几帳面な性格だからというだけの事である。

 

書庫から出た二人はやけに静まり返った廊下に出た。

いくら探しても近くに人の気配はない。不思議に思っていた副官に、察したダモンが言う。

 

「恐らく全ての要塞守備兵は帝国領側の前衛門に向かったのじゃろう。此処にはもう誰も居らんようじゃ」

「そのようですね」

 

ダモンの言った通りであれば今頃要塞の門は突破され、帝国兵が侵入している事だろう。この非常事態にガリア側の人間が取るであろう行動は三つ。

 

一つは守備隊たちのように門の死守に動く者。

 

一つはダモン達のように危険を感じて逃亡を図る者。

 

そして最後の一つは.....。

 

「......しょうぐん....さま?」

 

ポツリと廊下にか細い声が響いた。

驚いた二人が視線を向けると、そこには一人の女性が立っていた。簡素な白い服に身を包んだ彼女は要塞に常駐する衛生看護師だった。

そう、残る一つとは戦う術を持たない非戦闘員の事だったのだ。彼女の様な非戦闘員はギルランダイオ要塞には数多く滞在していて、その職業は様々だ。分かり易い例で言うとコック等がそれに当たる。変わり種としては庭師なんて者まで居た。それも当然で兵士だけでこの巨大な要塞を維持できるはずもないからだ。

 

その中の一人である彼女はまだ年若く、この要塞にも来たばかりなのだろう。

新人特有のまだ綺麗な衣服がその事を物語っていた。

なぜか彼女は所在なさげにまだ幼い顔立ちを不安に歪めている。

 

それを見ていたダモンは何かを考えるようにしている。やがて口を開いた。優しそうな声音で。

 

「どうしたのかの。こんなところで、君一人か....?」

「本当に将軍様!?あ、えっと。も、申し訳ありません!わたしはその....先生に医務室から医薬品を取って来るよう言われたのですが、恥ずかしながら道に迷ってしまって。だからここに居るのは私だけです。えっとその....」

 

看護師の少女は慌てた様子で近寄ると言葉を紡ぐ。

国の中でもトップに位置するダモンが突然目の前に現れて緊張しているようだ。

ダモンからすれば彼女のほうがいきなり現れたようなものなのだが、どうやら廊下の隅っこで立ち尽くしていたから声を掛けられるまで気づかなかった様だ。

 

話を聞いてみたところやはり彼女はこの要塞に来たばかりだそうであり、慣れない施設で道に迷ったらしい。

ホッと安心したダモンは好々爺のように笑みを浮かべる。

 

「そうかそうか。君は見たところ従軍看護師か。まだ若いようじゃが立派じゃのう、大変じゃろうに」

「い、いえ。お国のため戦うガリア兵の皆さんの力になれる誇りある仕事です!

微力ですが一生懸命になってお国の為に尽くしたいと思っています!」

「ほう、どのような辛い目にあっても国の為に働くか。

実に立派じゃぞ!流石は我がガリア公国の誉れ高き民じゃ!全ての者が君を模範とすればきっと帝国にも打ち勝てるじゃろう!!」

「ありがとうございます!将軍様にそう言ってもらえるなんてっ。とても嬉しいです!」

「そう言ってもらえて儂も嬉しいぞ」

 

家に帰ったらお父さんとお母さんに自慢できますと目を輝かせて喜ぶ少女に、笑みを浮かべるダモンもうむうむと頷き。

 

おもむろに()()()()()()()を向けた。

 

「――え?」

 

理解できない光景に固まる少女に向かって発砲する。

パンと乾いた一発の破裂音が響いた。

 

ジワリと少女の胸元が赤く染まりだす。

己の白い看護服を汚す真っ赤な鮮血を見下ろしていた少女が呆然とダモンを見て。

 

「な、んで....?」

「今は一刻を争うでの、余計な時間は取れんのじゃ。まあ、望んでいた通り国の為に死ねるのじゃ本望じゃろうて」

 

冷たく見据えるダモンに少女は何かを言おうとするが、かすれた声がもれるだけで、意味のある言葉はもう発せず。急速に光が失われていく目の輝きと共に少女の体はゆっくりと廊下に倒れた。

 

倒れたところから廊下に広がる血だまりを一瞥もせずダモンは少女の死体を横切る。

一連の光景を絶句した様子で見ていた副官は、何事もなかったかのように歩いていくダモンを見て、ハッと我に返り。

 

「ダモン将軍!いったいなぜ!?なぜ罪もない少女を殺めたのですか!」

 

その副官の言葉にダモンは振り返る。

冷たい視線が副官の男を捉えた。

 

「さっきも言ったであろう。この作戦は機密ゆえ、儂らの存在は作戦開始まで要塞の誰にも気づかれてはならんのだ。それが例え兵士ではない一人の少女であろうと例外ではない」

「ですが....!」

「くどいぞ。これ以上の問答は不要じゃ。それともまだ文句があるというなら此処に残るがいい。守備隊と仲良く要塞を守ると言うのであれば止めはせん.....どうせ皆助からんがな」

「え?......」

 

不穏な言葉を最後にダモンは去って行く。

遠ざかっていくダモンの背中と書庫扉の前に倒れた少女の死体を見比べて。

 

「っ......許せよ」

 

なぜ謝ったのか自分でも分からない。咄嗟に出た言葉だった。

だが言わなければならないと思ったのだ。

その言葉を口にして副官はダモンの後を追う。

 

追いついた副官にダモンは何も言わず、無関心そうにしていたが、一度だけフンと鼻を鳴らした。

 

それから無言で進んでいた二人の前に扉が現れ、そこから二人は外に出た。目の前に目的の光景が広がる。

要塞後部の後門前には大部隊を待機させておくには十分な広さの場所があり、戦ともなると其処には多くの守備隊が隊伍を組み整然と並ぶ。攻撃するか或いは防御するか後は指揮官の命を待つのみである。

そして、その役割を果たすかのように広場には大勢のガリア正規軍が揃っていた。首都ランドグリーズから連れて来たダモンの兵士だ。およそ三千人といったところだろうか。そのほとんどが歩兵である。もちろん軽戦車をはじめとした自走兵器も一緒にもってきているわけだが、それらは要塞後門の外に広がる地形一帯に残りの大部隊と共に展開させていた。

 

ダモン達が広場に近づくと、待機していた部隊の中から一人の兵士が前に出る。何人かいるダモンの副官である指揮官の男だ。

ダモンの前に立つと敬礼をする。

 

「お待ちしておりました閣下。状況が芳しくないようなので独断ですが、待機状態に移行させております」

「うむ、良い判断だぞ、直ぐに移動する事になるからの。.....して、例の準備は整っておるのか?本来であれば明日まで守備隊には時間を稼いでほしかったのだが。どうやらここまでのようじゃからのう」

「はい、ギリギリでしたが何とか滞りなく。壁の一部に細工を施しております。内部には持ち込んだ物資を搬入済みです。守備隊の目は前にのみ向いていたので作業は楽に行えました」

 

その言葉に顎を摩りながら笑みを浮かべるダモン。案じていた唯一の懸念事項が解消されたのだ。

 

「そうかそうか!良くやったぞ!これで帝国に目にもの見せてやれるわい!フハハハハ!」

「はい。さらには閣下に対する邪魔な勢力である国境警備隊と要塞守備隊もろとも排除する事ができるので。閣下の力は更にガリア国内において盤石なものとなりましょう。」

「うむ、特に国境警備隊の前線司令部に居る将校どもは儂を追い落とそうと画策していたようだからの。どうにかして奴らを失脚させる事はできぬかと考えていたが、今回の帝国軍の進攻は渡りに船であったわい。儂の代わりに奴らを排除してくれたからの」

 

だからこそダモンは正規軍を動かさなかったのだ。

要塞司令部からの増援要請が煩かったが、全て黙殺してきたのには自らの地位を狙う味方の排除が背景にあった。

つまりダモンは自分の栄光の為に前線部隊を見捨てたと言ってもいい。

軍を担う最高司令官とはあるまじき卑劣な行いだが、当の本人は気にした風もなく、何事もないかのような立ち振る舞いだ。

そして、ダモンの奇行はそれだけで終わらず、

更なる衝撃的な言葉が吐き出されることになる。

 

「それでは儂らはこれよりギルランダイオ要塞より退却する。後方に展開する本隊と合流し待機。要塞が完全に帝国軍によって陥落した後、タイミングを見計らい儂の号令の元、作戦を開始する」

「その作戦とは.....?」

 

恐る恐る尋ねる背後の副官。

ダモンは振り返り様に笑いながら言った。

 

「壁の中に仕込んで置いた大量の流体ラグナイトを、後方に展開させている戦車の砲撃でもって破壊させる。それによって生じる有毒ガスをもって要塞内部の全兵士を殺戮するのじゃよ」

 

それは味方もろとも帝国軍を滅する悪魔の考え。

国際法を逸脱した前代未聞の作戦が今、行われようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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