それは幼い日の出来事。
「.....どうあってもソレを余に引き渡さぬつもりか?ラインハルト」
「ごめん兄さん。無理を言って連れて来てもらったばかりか兄さんの目的を奪うような事をして.........でも、こればかりは引き下がれません。この子は僕が保護します!」
幼い少年姿のラインハルトが背後に居る存在を隠すように立ちふさがる。彼の背後には銀髪の少女が立っていて不安そうに少年の前に立つ男を窺っている。
その男――マクシミリアンは凍てついた怜悧な青い瞳でラインハルト達を射抜いていた。
場が緊張感で張り詰めている。
三人の周りを囲んでいる青い花々だけが、その様子を眺めていた。
「ほう、余の目的がその娘にあったことを知っていたのか。道理でこの施設に共に来たがったわけだ。最初から余の邪魔をする腹積もりであったか」
「ち、違うよ!?この子と出会ったのは本当に偶然だったんだ。兄さんの邪魔をするつもりなんてないよ!......それに僕はただ兄さんの役に立ちたかっただけなんだ.....!」
「だったらなぜ余にソレを渡さぬ。今のお前の行動が余の損益に繋がると知れ」
「だって......この子は物じゃないんだよ!?人間なんだ!」
マクシミリアンが少女を見る眼は、お世辞にも温かみのあるものではなかった。まるで路傍の石を眺めているような無機質な輝きがあり。ラインハルトはそれを危惧した。
....この子を兄上に渡してはいけない。
マクシミリアンの目を見てラインハルトはそう直感した。
ほとんど根拠なんてものはなかったが自分の判断を後悔していない。例え信頼する兄に恨まれようとも意志を曲げるつもりはなかった。
そして、ラインハルトは己の判断が間違っていなかった事を知る。
「人間?フッ......ラインハルト、それは違うぞ。外見に惑わされるな」
「え?」
「お前は知らぬだろうがソレは人間ではなく、兵器だ。この研究所が開発している戦争兵器であり実験道具。まかり間違っても人と呼んでくれるな」
「っ!?」
あまりにも冷酷な言葉にラインハルトは絶句する。
ただ実験道具という言葉に驚きはない。あらかじめ研究所内の研究者に似たような事を聞いていたからだ。助手だというその男は子供だと思ってペラペラと余計な事まで喋ってくれた。
背後に立つであろう少女を肩越しに覗き見る。
少女は兄の無慈悲な言葉に怯えていた。顔を青くさせていて紅い瞳には陰りがある。
ラインハルトの服を握る小さな手が微かに震えていた。
「大丈夫だよ....」
だからラインハルトは少女の手を握ってやり心配するなと笑いかけてやる。
少しだけ少女の震えが治まった。
フッと笑みを浮かべたラインハルトはマクシミリアンに振り返り、
「兄さんが何と言おうと僕にとって、この子は只の女の子だよ。だから、この子を兄さんには渡せない.....!」
.....戦争の道具にしようというのならもっての
意志を固めるラインハルトを見て、マクシミリアンの目が鋭く細まった。
「これ以上の問答は無駄のようだな.....」
「兄さん分かってくれた....ガッ!?」
理解を示してくれたと思い。
ほっと安心したラインハルトの頬が勢いよくぶたれた。
おもむろに上げられたマクシミリアンの
「余の邪魔をするのであれば弟といえど容赦はせん」
そして冷たく見下ろすマクシミリアンの目が少女に向いた。
「ここから連れ出してやる。故に我が力となれ」
「い、いや.....!」
後ずさる少女に向かって手を伸ばすマクシミリアン。その手が少女の眼前に迫り触れようとした時、動きがピタリと静止する。
視線が下がり地面に向けられた。
自らの足を掴む手を見て、
「分からんな。お前がそうまでする理由はないはずだ。兵器として見ないお前にとって、この娘にそれだけの価値があるとは思えんが......」
地面を這いつくばりながらも阻むように自身の足を掴むラインハルト。それに対してマクシミリアンは己の弟の行動が理解できないのか不思議そうに呟く。
仰ぎ見るラインハルトは笑って、
「誰かを助けたいと思うのはその人に価値が有るか無いかじゃないよ。その人と話して笑って仲良くなれるから助けたいと思うんじゃないか。人の価値は誰かを慈しめる心にあるんだよ兄さん」
「下らん、甘い幻想だ。現にお前は実の母親にすら愛されなかったではないか。忌み嫌われ疎まれた哀れな弟よ、フランツさえ居なければお前は誰からも愛されるはずだったと云うのに。奴らが憎いとは思わないのか」
「思わないよ.....だって、その代わりにあの人が僕に手を差し伸べてくれた!本当の家族のように愛してくれた!それだけで僕は救われたんだ.....だから僕もあの人のように誰かを救いたい!兄さんだって分かってるんだろ?こんな事あの人が悲しむだけだよ.....!」
「っ!?黙れっ!それ以上口を開くな!!」
「ゥアッ!」
激昂したマクシミリアンの足がラインハルトの顔を蹴り上げた。二転、三転、少年の小柄な体は大地を転がる。
怒りのままに込められた力は強く、仰向けに倒れ伏すラインハルトの口からは唇が切れたのか血がツーっと垂れ落ちていた。
「ら、ラインハルト!」
地面に横たわるラインハルトに少女が駆け寄った。
ラインハルトを助け起こして膝に抱える。だがどうすればいいのか分からずオロオロとしていた。
怪我人の介抱をした事がないのかな、とこんな時だと云うのに呑気な事を考えている自分が少しだけ可笑しかった。
涙目で見下ろす少女を見上げて穏やかに笑うラインハルト。
「ふふ、初めて名前を呼んでくれたね.....大丈夫、君は僕が守るから」
「っ!.....うぅ....!ラインハルトぉ.....ひっく.....」
息を吞む少女の瞳からボロボロと涙があふれてくる。
さっきから泣かせてばかりだなと少しだけ罪悪感を感じたラインハルトは起き上がろうとして、
「ダメ!」
「ふぎゃっ」
少女に組み伏せられた。体温が感じられるほどに密着した少女はまるでラインハルトを守るように覆いかぶさっている。
いや、実際に少女はラインハルトを守ろうとしているのだ。
.....マズイ、このままじゃあこの子まで酷い目にあうかもしれない。痛い思いをするのは僕だけで十分だ。
そう思ったラインハルトはジタバタともがくが少女の力は想像を超えて力強く、まったくと言っていいほど抜け出せない。完全に力関係でラインハルトは少女に敗北を喫していた。
最近、剣の鍛錬を始めて力が付き始めたはずのラインハルトは少女に力で負けている事実に愕然とする。
「あれ、おかしいな!?......は、離して!このままじゃあ君まで兄さんに......」
「ダメっ!.....ダメエ!」
聞く耳をもたない少女は目をギュッと瞑りイヤイヤと首を振る。それどころかもがけばもがくほどラインハルトを抑え込む力は強まっていき。このままいけば少女の細腕によってラインハルトの首はへし折られかねなかった。
「ちょ!?お願いだから僕の話を聞いて!このままじゃ僕がヤバい!!」
「ふぇ?.....あっ、ご、ごめんなさい!」
顔を青くするラインハルトに気付いた少女が力を弱める。ほっと息を吐いたラインハルトは身を起こしマクシミリアンに視線を向けた。
慌てて少女を背で庇うも、何故かマクシミリアンは二人をただジッと見ていた。
その怜悧な瞳には深い悲しみの色が湛えられている。
まるで二人の様子を見て何かを思い出してしまったかのように.....。
抑えきれない兄の感情に気付いたラインハルトもまたマクシミリアンを気遣うように見ていた。
やがて、
「.......いいだろう。その娘はお前にくれてやる」
「......ありがとう兄さん」
「但し一つだけ条件がある」
「条件.....?」
ラインハルトに少女の所有権を与える代わりにマクシミリアンは一つの条件を提示した。
「いずれ余にはその娘の力が必要になる時が訪れるだろう。その時にお前は無条件でソレを余に貸し出せ」
「この子の力を?」
思わず後ろの少女を振り返って見る。
当の本人も兄上の言葉がよく分かっていないのか紅い瞳をキョトンとさせている。
うん、可愛い。......いや、そうじゃなくて。
本当に、この女の子に兄さんが言っているような力が秘められているのだろうか?
「研究者の話では、ソレはこの研究所で唯一の成功体らしいからな。代用は出来ない。必ずその娘が必要になる」
「.....分かったよ」
ラインハルトは認めた。いや、認めざるを得なかったと言う方が正しい。マクシミリアンにとってこれが最大限の譲歩なのだ。このうえ拒否しようものなら今度こそ力づくでマクシミリアンは少女を奪っていくだろう。
それを理解していたからこそラインハルトも首を縦に振らざるをえない。
「約定を違えるなよラインハルト。もし違えるようであればお前も余の敵とみなす」
「兄さん....」
もはや用は無いとばかりに立ち去っていく兄の後ろ姿を見送るラインハルトは悲し気に顔を歪ませていた。
その肩にポンと小さな白磁の手が乗る。
振り返ると少女が心配そうにラインハルトを見ていて「大丈夫?」と声を掛けてきた。
「......うん。大丈夫だよ、ありがとう」
「よかった....」
ふわりと華やかな笑みが咲いた。
我が事のように喜んでくれる少女にラインハルトも微笑を浮かべて手を差し出す。
「これからよろしくね。改めて僕の名はラインハルト・フォン・レギンレイヴ。好きに呼んでくれて構わないよ。君の名は.....そうだ、名前が無いんだったね.....名前が無いのは不便だな、よし君に名前を与えよう」
「名前?私に、ほんとうに?」
可憐な瞳を驚きに染めた少女に向かって頷く。
「ああ本当だ。そうだな.....せるべりあ。そうだ!今からセルベリアと名乗るがいい」
何という名前にしようかと悩むラインハルトの視線に青い花々が映り、ラインハルトの脳内に雷鳴が轟いた。
天啓を受けたかのように満面の笑みになるとラインハルトは少女に『セルベリア』という名前を付けたのだった。
――――――――――――――――――――――
「......なるほど、この手紙に書かれた約束とはそういった経緯があるのですか」
飾り気のない無地の手紙をしげしげと眺めながらそう言ったエリーシャは手に持っていたソレをテーブルに置いた。
「ああ、もう十年以上も前の話だ.....」
ラインハルトは首肯すると手紙に視線を注ぎ、
「そうか、もうそんなに経つのか。早いものだな」
その目に込められている思いは昔を懐かしむようであり、しかし何かを憂えているかのようであった。
それを見てエリーシャが口を開く。
「つまるところ今回の話、要点はマクシミリアン皇子からの援軍要請という事でよろしいのでしょうか」
意図的に話を変えた事に気づきラインハルトは視線をエリーシャに向ける。
わかりづらいが瞳の奥にこちらを心配する感情が見え隠れしていた。
.....どうやら気をつかわせてしまったようだな。
フッと苦笑してラインハルトは答えた。
「恐らくはそれで問題ないだろう。なんせ俺と兄上が約束を交わしたのはアレが最初で最後だからな、まず間違いない筈だ.....しかし」
「
「まったくだ。彼の敵が動き出している情報が届いた今、あまりにもタイミングが悪すぎる」
エリーシャの台詞に同意を示すとラインハルトは次にセルベリアを見た。
未だ話の中に入ろうとしない彼女はジッと俯いて黙り込んでいる。
何を考えているのか分からないが少しは察してやることは出来た。
あれ以来、セルベリアは兄上の事を苦手としていたからな、気乗りはせぬだろう。
だが、
「セルベリアよ、話は聞いた通りだ。あの頃は分からなかったが今なら分かる。兄上はお前の持つヴァルキュリアの力を欲しているのだろう.....ゆえに代わりは居らん、行ってくれるな?ギルランダイオ要塞に.....」
有無を言わさぬ口調でラインハルトはセルベリアに言った。
.....セルベリアが抜けるのは大きな痛手だ。しかし、この約束だけは断るわけにはいかない。どんなに俺が内心で
「.....はい、殿下。ご命令とあらば私は如何なる戦場にも馳せ参じる所存です。しかし....」
「申してみよ」
「は、もしギルランダイオ要塞を攻略したとしてその後は....?まさかガリア公国侵攻にいたるまで私たちは件の皇太子様に付き従わなければならないのでしょうか?もしそうであれば私は....」
『この任務を拒否したいです』。その文言が浮かび、
そこでセルベリアはキュッと口を結んだ。
軍人としての己の職務を考えればその続きを言ってしまう訳にはいかない。だが、私の役目は殿下を守ることなのだ....と、躊躇いの様子を見せるセルベリア。
「心配するな。俺とてお前に長く居なくなられては困る。大丈夫だ、その為に手は打ってある。いや、打たれていると言うべきか」
「それはいったい.....?」
「じきに分かるさ。だが今はギルランダイオ要塞攻略に集中せよ。あの要塞は一筋縄ではいかないだろうからな。まだ不安か?」
「いえ!かしこまりました。愚かな事を述べたこと、申し訳ありません。この上は彼の要塞を落とすことで身の上の錆を払う事といたしましょう!」
「セルベリアの戦果を期待する。それにおいては先ほども言ったようにヴァルキュリアの力をもって示すがよい」
ラインハルトはおもむろに立ち上がり壁画に歩み寄ると掛けられていたヴァルキュリアの槍とヴァルキュリアの盾を取り出し、
「持って行けセルベリア」
「は!」
ラインハルトの眼下で跪いてみせたセルべリアは手渡される槍と盾を受け取ると恭しく礼をとった。
今はただ命令に忠実であること、それが自分に求められる事だと自分に言い聞かせる。
両の手に感じる重みに負けないよう強く勤めなければならない。
そのためにもギルランダイオ要塞は私自らの手でもって落としてみせる。
そう決意するセルベリアの横でエリーシャに再度目を向けたラインハルトは彼女にも次令を下した。
「此度の命令が致命的なまでに危険な事であるのは重々承知だ。だが同時に好機でもある。兄上の目的を知るチャンスかもしれん。ゆえにだエリーシャよ」
「はい、なんなりとお申し付けくださいまし」
与えられる命令を前にして楽しむように艶のある笑みを見せるエリーシャを見て、ラインハルトは言った。
「お前には密命を与える。此度のガリア方面軍司令官を自薦した理由、兄上の真意、目的を探るのだ、あの人が何を成そうと考えているのかその一端でもいい、調べてくれ」
現在、編成されたガリア方面軍の時点でガリア公国との戦力差は歴然としたものであるはず。だというのにそれに加えてヴァルキュリアの力まで使おうと云うのだ。しかも密かに探らせた情報では新兵器の噂すらある程で、つまり兄上は本気でガリア公国を制圧する気なのだろう。以前のフィラルド侵攻時でさえ幾ばくかの遊びがあったが、今回はそれがない。まるでこの戦いで己の持てる全ての切り札を使い切るかのようだ、とラインハルトは今回の侵攻について感じていた。
恐らくガリアには俺ですら知らない何かがある......。
その何かをマクシミリアン兄上は欲しているのではないか?そう思えてならないのだ。
「なるほど。皇太子殿下の情報収集ですか、しかも明らかに機密に触れること請け合いですわね。バレれば即刻銃殺刑ものですわ」
「やはり難しいか?」
「まさか。先ほどの言葉はうそ偽りなく、我が君のためとあらばなんなりと滞りなく済ませる。それがメイドとしての義務である以上何の問題もありません......ですが一つだけお願いがございます」
言葉を切ったエリーシャはラインハルトを見て微笑み、
「もし相手側の手に落ちようものなら即刻切り捨ててくださいまし。それが認められなければ御命令をお断りさせていただきます」
「.......わかった。その場合はお前が門閥貴族派のスパイだったとして処理する。それでいいな?」
「ありがとうございます」
面と向かって切り捨てると言い切った相手に向かって深々と腰を折る侍女長の姿はセルべリアをして唸らせるものがった。
そこに彼女の誇りと決意が如実に現れている気がする。見事だと思わざるをえない意思の強さだった。
実際、もし仮にエリーシャが任務に失敗した場合、彼女は即座に自決するつもりである。
「だがまあ、俺としてはエリーシャが失敗するなどとは微塵も思えんのだがな。だからこそこのような危険な任務も任せられる」
「あら、酷いですわ。ご主人様はいったい私を何だと思っているのかしら。私だって失敗ぐらいしますわ、だって御主人様が未だに生きているのがその証明ですもの」
「よく言う。初めからそれすら利用して己の所属するギルドの壊滅を目論んだのは何処の誰だったかな?」
その上、俺と取引した時点で構成員の半数を既に味方にしていたのだ。警察とシュタイン達近衛騎士団が奴らの本拠地を包囲したころを見計らって蜂起したので帝都に巣食う闇と恐れられた彼の組織は一晩の内に壊滅した。
「その節は新たな雇用先を設けていただきありがとうございます、仲間たちが今も飢える事無く生きていけるのもご主人様のおかげですわ」
「正直お前たちを味方に引き入れることが出来たのは僥倖であった。ある意味帝都で一番の収穫だったぞ。もはやお前たちを手放す事は出来んよ」
「そこまで褒めていただけると照れますわ」
ふふふ、とたおやかに手を頬に当てて微笑を浮かべるエリーシャと苦笑するラインハルトの様子を横で眺めているセルベリアはどこか面白くなさそうにしていた。
.....これだ。この分かり合ったような二人だけの疎通というか絆と云うか。私が入り込めない世界が形成されている。二人がどんな出会いをしたのか知らない私にはあずかり知れない事なのだろうが、なんだか落ち着かない。
ラインハルトを取られてしまったような気持ちになっているセルベリアは我慢できず口を開いた。
「コホン!それでは以上で殿下の御指示は終わりということでよろしいでしょうか」
「む?....ああ、そうだな。明朝をもって使者殿と共に二人には要塞に向かってもらうことになるので、それまでに遊撃機動大隊の出陣準備を終わらせること。以上で話は終わりだ、下がって良い」
「は!」
軍人として流石の敬礼をして見せたセルベリアはエリーシャを伴って部屋を退出しようとする。
と、何やら考え込んだ表情でその後姿に目を向けていたラインハルトは、彼女たちを呼び止めた。
「.....待てセルベリア。一つだけ話が残っていた」
「は」
「そのだな.....むぅ」
「....?」
言い出そうとするも口を噤むラインハルトを不思議そうに見ているセルベリア。
言うか言うまいか迷っているようで唐竹を割った気概のラインハルトにしては珍しい。
やがて決心がついたのかふうっと息を吐きラインハルトは視線をセルベリアに定めて言った。
「此度の任務が成功した暁には、一つだけ何でも願いを叶えてやると言ったら、どうする?」
「は...え?....」
言っている意味が分からなかったのか小首を傾げている。
そういうふとした所で幼かった頃の所作を出してくるセルベリアにもう一度ラインハルトは念を込めて言った。
「俺がセルベリアの願いを何でも叶えてやると言ったのだ」
「はぁ、なんでも......なんでも!?」
思わずといった風にずいっと前に踏み出た。とても興味があるようだ。
美貌を驚愕に染めるセルベリアに俺は頷いて、
「ああ。だがあくまで俺が出来る範囲での望みだったらという条件付きだから叶えられる望みと言ってもあまり大したことはできないと思うがな」
「い、いえ十分過ぎるというか!願ってもないことです!で、ですが一体なぜそのようなことを.....?」
喜ぶよりも疑問に思う方が強かったようで、なぜラインハルトがこのような事を言ってきたのか不思議に思っているようだ。
「いやなに、先日の大浴場での一件でも言ったように、長く俺に良くしてくれるセルベリアに何か恩赦を与えたいと常々思っていたのだ。だが俺にはセルベリアが欲しがる物が分からない。だからこの機会にお前が望むことを叶えてやろうと思ってな......」
それらしく言い繕っているが、まさかエムリナのアドバイスが関係しているとは言えない。
そう、これは先日、エムリナが俺に耳打ちした助言に含まれる内容なのである。
あの時エムリナはこう言った『セルベリア様に褒美を与えると言った時に自分に出来ることなら何でも望みを叶えると言って下さい』と.....。
そうすれば万事上手くいくらしいのだが、いったいどうなるというのかラインハルトには分からなかった。
「殿下.....もったいないお言葉です。私のことをそこまで考えてくださっていたなんて.....」
感極まったのか紅い瞳をウルウル涙で滲ませるセルベリアに少しだけ気まずさを感じながらラインハルトは口を開いた。話す内容は先も考えていた彼女を自由にするかどうかの事だ。
セルベリアは幼い頃より俺のせいで自由を奪われてきた。保護したという名目はあるが言い訳に過ぎない。十数年もの月日を俺という枷によって束縛されてきたのだ。彼女の大切な人生を俺という存在が壊しているのではないかと思うのだ。
本来は一度しかない人生、彼女が自由を望むなら、それを邪魔する権利が俺にはない。だから選択の機会を与えたい。それが今だ。
声が震えるのを感じながら言葉をつむぐ。
「それでだなセルベリアよ、俺はこうも考えていた。もしお前が自由を望むなら、俺はお前を.........。聞いているか?」
「殿下が....なんでも....叶える。私の望み.....ふふふ....いや、何を考えているのだ私は!?それは破廉恥に過ぎるではないか。しかし....えへ」
いや聞いてない。ぶつぶつと小さな声でなにか言っているようだが低すぎて聞き取れない。恍惚の表情で何やらトリップしてしまっている。
何だか悲壮な覚悟を決めている自分が馬鹿みたいだ。
「.....ふっ、まあよい。それに、望みを叶えると言っているのだから、今の俺の言葉は無粋であったか」
「ご主人様ぁ」
「ん?どうしたエリーシャ」
「セルベリア様だけにずるいですわぁ。私にはないんですか?御褒美は」
「ふむ....」
暫し考え頷く。確かにセルベリアだけでは贔屓が過ぎるな。平等とはいえない。
「わかった、いいだろう。任務が成功したら望みを叶えよう」
「ふふ、ありがとうございます。一層の尽力を勤めますわ、それではセルベリア様さっそく準備を始めるとしましょう」
「そうだな。それでは殿下、私たちはこれで失礼いたします。必ずや吉報をもって帰ってまいりますので楽しみにしていてください」
「期待している」
それを最後に二人は今度こそ部屋を出て行った。
直ぐにセルベリアは休む暇もなく自らの部隊が駐屯する北区の軍事施設に向かい急ぎ出撃準備を始めるのだろう。
これから忙しくなる。
見送ったラインハルトも残りの書類に目を通していくのだった。
そして、翌日の明朝。
聳え立つニュルンベルク城の頂点に設けられた屋上にて、都市中を見渡せる光景を我が物としていたラインハルトはさらに郊外の平原に目を向けていた。
都市と郊外を遮る大門を越えた遠くに位置する野営地。そこには大型の軍用車両が幾つも屯っていて、その周りには多くの帝国兵士達が揃っている。
ここから視認することは出来ないが、恐らく彼らの前にはセルベリアが立っているのだろう。
やがて訓示が終わったのか兵士達は勢いよく車両に乗り込み始め。整然と動き出す車両の列。
土煙に隠れた彼らの姿は直ぐに平原の彼方へと消えていった。
向かうは開戦間近のガリア公国、大要所ギルランダイオ要塞である。
地平線に途切れた遊撃機動大隊の姿を見届けたラインハルトは、彼らが消えた西の彼方を見上げる。
「これより戦乱の幕が上がる。小さな世界を巻き込んだ大戦争が.....」
空に昇り消えていくラインハルトの予言は、これより半月後。現実のものとなる。
セルベリア率いる遊撃機動大隊の消えた西方より、とある急報が届いたのだ。
その報は帝国に激震を与えることになるのだが、到来を予感しているのはたった一人。
虚けと呼ばれる男だけであった。
戦火の足音は着実に近づいてきている。
そして、その先に俺が望むものがあるのだろうか.....
新たな時代の転換点を前に、ラインハルトはいつまでも考え続けた。