あの日たすけた少女が強すぎる件   作:生き残れ戦線

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二十話

ラインハルトの執務室に入室したセルベリアはゆっくりと室内を見渡す。

月も現れていないのか部屋の中は一筋の光もなく、漆黒に染まっている。

闇の中でセルベリアの紅い瞳だけが妖しく光っていた。

部屋の明かりを点けようかと思ったが止めた。

その理由はと云うと。

 

.....い、いざ本番をすることになったら、見られるのは恥ずかしい......。

 

これに尽きる。

行為をしている最中の姿を見られるのが恥ずかしいから先に目を暗さに慣らしておくつもりなのだ。今、明かりが点灯すればセルベリアは瞳だけでなく顔全体を真っ赤に染めている事が分かるだろう。存外に初心な乙女である。

 

ふうっと息を吐き覚悟を決め、

 

夜間行軍の経験を活かして暗闇の中を歩き着実に進んでいく。向かうは隣の寝室に繋がる扉だ。

暗闇に目を慣らす暇すら惜しい。

緊張で胸が張り裂けそうだ。

もしかすると初陣の時よりも緊張しているかもしれない。

 

何故こんなことになっているのか、そもそもの原因はあの女の一言から始まった。

 

―――――――――

 

―――――

 

――

 

城内の一室に設けられた女性専用談話室。ここでは女性であれば誰もが自由に出入りすることが出来る。女中達の憩いの部屋。各自がお茶をもって楽しむ事も許されている。

その一席にて銀髪の軍人セルベリアと黒髪の侍女長エリーシャは歓談していた。

 

「......なるほどレニイ村でそのような事が、それでセルベリア様はようやくご主人様と一夜を明かしたわけですね」

「そ、その言い方は語弊がある!ただ、寒さで震える殿下を温めて差し上げただけだ!」

「寒さで震える御主人様ですか、それはさぞかしお可愛かった事でしょうね」

「うぅむ確かにあれは庇護欲が増す。あの殿下が幼子のように震える姿は思わず温めてあげたくなるほどで、気づいたら口から言葉が出た後だった。そして......ふふ、今思い出しただけでも胸が高鳴る」

 

意外な組み合わせのようだが数少ない女性の同僚である二人は偶に時間をとっては、こうして何気ない会話を楽しんでいるのだ。まあ、主にラインハルト関連の話題ばかりだが。

 

「そういえば、前から疑問に思っていた事があるのですが、よろしいですか?」

「む、なんだ」

 

村での一時を思い出し相好を崩していたセルベリアに何気ない様子でエリーシャは問いかけた。

セルベリアが紅茶に口を付けたところで、

 

「ご主人様とセルベリア様はどこまで進んだのでしょうか」

「コフっ、い、イキナリなんだ!」

 

紅茶でむせたセルベリアは何やら楽し気に笑みを浮かべているエリーシャを睨みつける。

 

「だって、その村で少しは進展があったかと思えば、そうではないんでしょう?」

「う、うむ。私が服を脱ぐ前に殿下は背中を見せてこちらを見ないようにしていたし、疲れていたのか直ぐに寝てしまったからな、お前が言っていた....その.....夜伽は成功しなかった。だがまぁ、私としてはあれでも十分な戦果だと思うぞ」

 

....なんせ殿下と一緒のベッドで眠れたのだからな。

頬を赤らめ恥ずかしそうにするセルベリア。

残念そうではあるが同時に幸せそうでもあるセルベリアの鼻先にビシッと人差し指を突きつけるエリーシャ。

 

「甘い!甘いですよセルベリア様!そこは自ら積極的に誘わねばなりません。それが健全な淑女としての務めです、常識ですわ」

 

そんな淑女の常識は寡聞にして初めて知った。

 

「そ、そうなのか?いや、だが、そうは言われてもな、私は臣下で殿下は主君なのだぞ。それは不敬に過ぎるではないか。それに.....私の様な身分の者が殿下と吊り合うはずもない」

 

身分に対する格差。それがセルベリアの負い目であった。研究道具として扱われていた過去をもつ自分は、そんな自分を救ってくれたラインハルトに相応しい存在ではないと思っていた。

あれから何年も経ったが、その考えがこびりついて離れない。

人格の否定、尊厳の剥奪。それが研究者達が最初に行った実験だった。彼らはよく調整と言っていた。家畜同然の扱いを受けていたのだ。

暗い記憶が脳裏をかすめ、セルベリアの表情に影を落とす。

対面に座るエリーシャは俯くセルベリアを見て、

 

「身分とはそんなに大事なものですか?」

「なに....」

「そうやってずっと一線を引いたままでいるつもりですかセルベリア・ブレス大佐。いつまでも過去に囚われていては本質を見失いますよ」

「それは....分かっているのだ。だがな、今の関係を壊してしまうかと思うとどうしても一歩が踏み出せないんだ」

「なるほど.....」

 

数多の戦場を駆け抜け、その功績から蒼き女神と称された彼女も、こと恋愛に関しては足踏みしてしまうらしい。

まるで少女のような恋模様ではないか。

本当にお可愛らしいこと......。

 

――でしたら、とっておきの切り札を使わせていただきましょう。

 

エリーシャは微笑むと一つの分厚い冊子を取り出してテーブルの上に広げた。

ドスンと聞くからに重そうな音を出しながら置かれるソレは、幅は図鑑並に厚みがあってとても読み応えがありそうだ。

だが別にタイトルは書かれていないから書籍の類ではないのだろう。

 

「なんだこれは.....?」

 

興味深げに見下ろすセルベリアに向けて微笑みいっぱいのエリーシャは一息に答えた。

 

「ラインハルト様の婚約者候補の方々をリストにまとめたものです」

「なに!?」

 

途端にエリーシャを見るセルベリアの顔が驚愕に染まる。

 

「殿下の婚約者候補....だと。この数がか」

 

ラインハルトの婚約者候補。そう呼ばれる存在が居る事をセルベリアは知っていた。そもそもラインハルトは数えで二十三を迎え、とっくに成人した青年だ。しかも帝国の皇子という身分なのだから婚約者の一人や二人いてもおかしくはない。

だが、これほどの数が候補に上がっていたとは知らなかった。

しかしエリーシャは首を振って、

 

「いいえ、これはまだほんの少しです、今独自の情報網で調べさせていますがこれからもっと増えるでしょうね。貴族から大商人から大三候族や果ては外国の姫君まで、選り取り見取りですわ」

「そんな.....!」

 

これでさえ氷山の一角に過ぎないと云うのか!

その事実にセルベリアは驚きを隠せない。驚きで硬直する体。まだ戦車の砲弾が雨あられと降り注いだほうが冷静に動ける自信があった。

 

「とまあ、そういう訳でご主人様の奥方という座を狙う者は多いのです。あの噂がなければとっくに縁談交渉に入る家もあったでしょうね」

 

噂というのは例のフレーゲルが流した噂の事だろう。

混乱する中でもにっくきその男の事だけは即座に理解する。

 

「これで分かっていただけましたか。セルベリア様に残された時間は余りにも短いのです。勝負を掛けなければ横から誰とも知れない女にラインハルト様を盗られてしまいますよ、それでもよろしいのですか!」

 

言われて想像してしまった。

ラインハルトの横に見知らぬ女が立ち、仲良く肩を組み、笑い合って語り合う幸せそうな光景を。

やがて二人の顔はゆっくりと近づき.....。

途端にバンと強い音が鳴る。セルベリアが思いっきりテーブルを両手で叩いたのだ。

 

「いやだ!そうなるくらいなら死んだ方がましだ!」

 

叩くと同時に立ち上がったセルベリアはイメージ上に浮かぶ泥棒猫(?)の女を睨みつけ想像を振り払う。

理性ではなく本能がそうさせるのだ。

あの人の横に立つのは自分でありたいと心が叫ぶ。

 

やはり私はあの人のことをどうしようもなく......。

 

 

 

★     ★      ★

 

 

 

「.....愛してしまったのだな」

 

呟かれた言葉が闇の中に消えていく。

 

強く突きつけられてしまったこの想いを偽ることなど出来ない。

だから私はここにいる。

エリーシャの言葉に背中を押されて、この部屋に来たのだ。

 

まさかあの女に突き動かされるとは.....。

 

セルベリアの表情には幾分かの苦笑が込められていた。

 

初めて出会ったのは一年前。数年ぶりにこの城に戻って来た時に出迎えたのが侍女服を纏ったエリーシャで。どうもあいつは最初から私の事を知っていた節があり、こちらを見透かした様な目で見ていたのが印象的だった。

出会いが出会いだからか最初はどこかいけ好かない奴だと思っていた。妙に殿下に馴れ馴れしすぎるのも相まって嫉妬にも似た感情を覚えていた事もある。正体を知った今、殿下に必要な存在だと認めているが胡散臭さは倍増していた。どこかシュタインの同類の様な気がしてならないのだ。

だが、その考えは私の思い違いだったらしい。

今までも殿下に対する悩みを聞いてくれたり、アドバイスをしてくれる事もあった(かなり過激な内容だが)が今回はこうして私の為にリストを作ってくれたのだからきっと彼女は私が思うよりずっと友人思いなのだろう。

考えを改める必要がありそうだ。

 

そう思っていると気づけば扉の前に立っていた。

余計な事を考えながらも暗闇の中、一直線にたどり着いたセルベリア。

いよいよ、この扉を開ければ其処は殿下の寝室だ。

ふぅっと軽い息を漏らし、ゆっくりとドアノブに手を近づける、その瞬間。

 

――いきなり背後から気配が現れた。

 

「なにっ!?」

 

驚きを見せるセルベリアが振り返るのと、迫る影が攻撃を仕掛けて来たのはほぼ同時だった。

 

眼前に迫る黒い影が腕を勢いよく伸ばしてくるのを視認してセルベリアは思い切り横に跳ぶ。

 

服の一部にかすらせるも何とか躱す事に成功した。

が、受け身を取る暇もなく胸から着地したセルベリアは、柔らかな感触に受け止められた。それは直ぐに客席用のソファーだと理解する。

高級な手触りを楽しむ暇もなくセルベリアは立ち上がり、油断なく黒い人形の影を見据えた。顔は見えず正体は分からない。

 

.....何者だ。まさか、本当に刺客が侵入してきたのか。

 

その考えに至り警戒を強めるセルベリア。

 

重心を僅かに落とし構える。腰の剣を抜こうと身構えると、正体不明の敵は抜剣の気配を読んだのかそうはさせじと動き出す。いまだ夜目も効かないと云うのに刺客は獣の如く一直線にセルベリアに迫った。未だぼんやりとした輪郭の影から動きを読んで何とか防御するセルベリア。

 

「ッ!」

 

腕に掛かる重い衝撃がセルベリアの長身を吹っ飛ばす。呆れた筋力を保持するパワーに舌を巻くセルベリアは、内心で敵の高い実力を称賛する。

笑みを浮かべると地面に手をついて着地した。そして構える。

 

.....何者か知らんが、来るならこい。相手になってやろう。

 

未だにシュタインとの戦闘で帯びた熱がセルベリアの体を駆け巡っていたのだ。

戦気を十分に昂らせ刺客を見る。刺客も直ぐには来ずセルベリアの様子を窺っていた。

 

そして両者はお互い顔も見えぬままに睨み合いを続け、静寂の時間が流れる。

 

やがて二人は示し合わせたように、ほぼ同時に動き出した。

 

視覚に頼らず気配を探りながら動くセルベリアは慎重にならざるをえない。しかし、謎の敵はまるでセルベリアの居場所が手に取るように分かっているかの如く部屋を駆けこちらに向かってくる。

その間にソファーや平たいテーブル等が配置されているのだが敵は意に介した様子も見せず、衝突することなくセルベリアの眼前に躍り出た。もしかすると全ての障害物の配置を暗記しているのかもしれない。

 

目の前まで迫った正体不明の敵に向かって咄嗟に回し蹴りを行うが、敵は黒い残影となって掻き消えた。

躱されたのだと即座に理解すると周囲を窺う。だが、反撃はなくまたもや辺りは静寂に包まれた。

静かなる戦闘方法はまるで暗殺者を思わせる。

彼ら闇の狩人は静かに気を研ぎ澄ませ、背後より忍びより、獲物を一撃で刈るのだ。

だとすれば......。

 

そこで唐突にセルベリアは勢いよく背後を振り返る。

予想通り敵はそこにいた。

まだ目視することは出来なかったが気配が動くのを感じる。同時にタンッと地面を蹴る微かな音。

敵が迫っている事を確信したセルベリアは迎撃の姿勢をとる。ラインハルトに教わった術で捕縛するつもりだ。

タイミングを図り腕を伸ばすと掴みかかった。

しかし、

 

「ぁぐっ!」

 

敵と思われる黒い影は蛇の如くセルベリアの手をすり抜けると背後に回り首を絞めて来た。抱き付くように腕をセルベリアの華奢な首に搦めて体重を乗せる。圧迫される気道から苦し気な声が漏れた。

ここまでの間に余計な物音は一切なく、敵の動きは、ほぼ完成されたサイレントキリングであった。地面を走る微かな音さえなければ完璧と言って云いだろう。

視界が早くも朦朧としてきた。

ここに至っては称賛する余裕もなくもがくセルベリアだったが、同時に違和感を覚えていた。

 

なにか妙だ。どうやら敵はセルベリア同様、相手を殺すつもりはないらしく捕縛するつもりのようだ。

しかもセルベリアは敵が行う無音の戦い方に覚えがあった。

前に一度だけ見たことがある。

 

.....まさか、こいつは。

 

一人の人物が思い当たり。

セルベリアは口を開いて言葉を紡ごうとするが、腕十字で固められた首絞めによってままならない。

まずは拘束を外さなければ、先に意識が落ちてしまう。

セルベリアは絞めつける敵の腕を掴み引き剥がそうと力を込めた。

 

ギュッと力を入れた瞬間。腕の筋肉がミシリと軋み悲鳴を上げる。

セルベリアの白く細まった手が深々と相手の腕に食い込んでいた。恐ろしい程の握力だ。

力づくで腕の首絞めを解きに掛かったセルベリアは僅かに気道が空いた隙を狙って言葉を発した。

 

「おまえ.....エリーシャか?」

「っ...!?」

 

その言葉に反応を見せた背後の敵。腕の力が弱まる。

その隙を逃さずセルベリアは拘束を解くとそのまま掴む腕を利用して前面に投げ飛ばした。

先程シュタインにされた背負い投げを再現してみせたのだ。

 

「あうっ!」

 

地面に叩き付けられる鈍い音が響き。闇の中に苦悶の声が上がる。若い女の声だった。

 

やはりそうだったか、と一時は敵の正体に確信をもったセルベリア。が、その予想は外れることになる。

 

その時、厚い雲間に隠れていた月が現れ、窓から明かりが差す。

 

明かりに照らされる室内。そして投げ倒された敵の顔貌が露わになる。

 

特徴的な紺色の髪に彼女の強気な性格を示す吊りあがった目。一見小柄な体は、しかし、強靭な力を内包している。

その姿は紛れもなく、

 

「イムカ.....?」

 

ダルクス人の少女、イムカその人であった。

違った.....?だがあの戦い方は間違いなくあの女の戦闘方法だった。なぜイムカがそれを使える。

考えながら意外なものを見る眼でイムカを見下ろすセルべリアを、イムカもまた目を丸くして見上げていた。

 

「なぜ貴女がここにいる」

「.....それはこちらのセリフだ。なぜお前が殿下の執務室に居るんだ」

「私は昨日からハルトの護衛をしている。まだ宮中に刺客が潜んでいるかもしれないから。なのに.....ハア。まさか貴女だとは思わなかった、紛らわしい」

 

イムカからジトリとした目で見られるセルベリアは内心で驚いていた。

.....まさか自分と同じ考えをもっていたとはな。

昨日、同じくラインハルトの身を案じて護衛しようとしていたセルベリアはそう思った。

 

ん?いや待て、昨日から来ていただと.....?

浮かんだ疑問を口にする。

 

「なぜ普通に入って来られた。扉の前に近衛兵が番をしていたはずだろう」

 

イムカは痛む腕を摩りながら立ち上がると、何を言っているか分からないと云った顔で返答した。

 

「?....何の事か分からない。部屋には普通に通してもらった」

 

言葉通り、夜遅くにラインハルトの部屋を訪れたイムカを近衛兵は撥ね退けず、たった一回の問答で入れてくれたのである。

その話を聞いて納得いかないセルベリア。

 

「な、なぜイムカはあっさりと通す?私の時は断固として入れなかったくせに.....!」

 

イムカよりずっと階級は上なのにこの対応の差はいったい何だ!?

愕然とした面持ちでこの格差に悩んでいるとイムカがポツリと言った。

 

「多分、侍女長に頼まれたからだと思う」

「.....エリーシャに?」

「うん。昨日の朝に侍女長と会ってハルトの護衛を頼まれた。その時に許可は取っておくと言っていたから、もしかしたらそれの御蔭かもしれない」

「.....」

 

その言葉を聞いたセルベリアは奇妙に顔を歪めた。

 

昨日の朝に悩む私を殿下の元に向かわせるよう焚きつけたくせに、同じ時にイムカに護衛を頼むとはどういう了見だ。

当然二人が鉢合わせてしまうだろう事は分かっていたはずだ。夜這いをアドバイスしたのはエリーシャだと云うのに一体何を考えている。

これでは、まるで二人を鉢合わさせるのが目的のようではないか。

まったくもって意味が分からない。

ため息を吐く思いでセルベリアは首を振り、

 

「やはりあの女はシュタインと同類だ。もっと分かり易く言葉で言えばいいものを.....」

 

少しでも見直した私が愚かだった。

あの二人の考える事はさっぱり理解できない。

今から行って真意を問い詰めようかとさえ考えてしまう。

だが、セルベリアはその考えを即座に切って捨てる。

 

―――なぜなら私にはやらねばならないことがある。

 

セルベリアは首を巡らし寝室に繋がる扉を見詰めた。

そして悠然と足を進める。

 

「待て、そもそも貴女は何をしにここに来たんだ」

 

言いつつセルベリアの進路を塞ぐイムカ。訝しんだ目でセルベリアを見ていた。

 

「フン、野暮な事を聞く小娘だ。若い女が異性の部屋を訊ねる理由など一つしかあるまい」

 

そう言った後に、

何故かセルベリアは妙に大人な風格を出しながら笑みをこぼす。まるで場慣れしたイケてる女のように。

しかしイムカには伝わらず。

 

「よく分からない、どういう事」

「くくく、まあ小娘には分かるまい。つまり、ここから先は大人の世界というわけだ」

 

大人の余裕っぽさはまだ崩れていない。意味深に髪をかき上げて艶のある流し目でイムカを見据えた。男を誘う妖艶な女を演出したいのだろう。

だがイムカには伝わらない。

 

「?....大人の世界というのは具体的に何の事を言っている。ハッキリ答えてみせろ」

「だ、だからだな。その、男と女の....だな、あの、えっと.....」

 

ここで崩れた。しどろもどろになりながら言葉を濁すセルベリア。頬は羞恥で赤く染まっている。何のことはない、出来る大人の余裕をイムカに見せつけたかったのだ。だがイムカはセルベリアの意図する意味にまったく気づかず何度も聞き返した。それでドンドン追い詰められたセルベリアは恥ずかしくなって撃沈したと云うわけだ。

セルベリア22歳、いまだ清い乙女であった。

 

「だからつまり、え、エッチな事だ......っ!」

「っ!?」

 

意を決して言い切ったセルベリアの言葉にようやく理解を得たイムカ。顔を真っ赤に染める。

 

「ななな、なにを言っている。この変態女!」

「お前が言わせたんだろうが!しかも言うに事を欠いて変態とは何事だ!!」

 

顔を赤くして睨み合う両者。

 

「間違ってない。一昨日の浴場での出来事を思い返してみればいい、あの時の貴女は淫乱そのものだったじゃないか雌犬のように盛って.....」

「!?し、仕方ないだろ!愛する人の前で醜態を晒してしまったんだ。押し倒すしかないじゃないか!それに殿下の手が気持ちよすぎるのが悪いんだ!あんなの誰でも気をやってしまうに決まっている!」

 

実感が込められた迫力のある言葉に押されるイムカ。

......確かにあれほど気持ち良さそうにしているセルベリアを見た事がなかった。

そんなに.....?

思わずゴクリと喉が鳴る。

その後でハッと我に返ったイムカ。

 

「下らない。わ、私だったらそんな事にはならない」

「お子様のイムカでは分からないさ、あれほどの多幸感を味わった事のないお前ではな....」

「私は子供じゃない!」

 

ふうん?とセルベリアは笑みを浮かべる。

 

「ほう?そうなのか、いや悪かったな。私はてっきり男とキスの一つもした事がないと思っていたのでな」

「っ.....!?」

「おや、したことぐらいあるんだろう?大人なんだから」

「っく、そう言う貴女はした事があるのか」

「無論だ」

 

キッパリと言ってやった。

嘘ではない。セルベリアは一度だけ接吻した事実がある。

つまるところレニイ村で毒に倒れたラインハルトを治療する際の事だ。

薬師の老婆に調合してもらった治療薬を施す為にセルベリアは口移しでラインハルトに飲ませていたのだ。

セルベリアはその事を言っていた。

まあ、あの緊急処置をキスにカウントしていいのかは疑問だが。

 

嘘ではないと自信満々な態度から見て判断したイムカは慄いて。

 

「まさか.....その相手は」

「ふっ、そのまさかだ。私がこの体を許すのは一人しかいない、ラインハルト様だ」

「.....っ」

 

その言葉にイムカの胸がズキリと痛んだ。

――まただ。

以前ニュルンベルク前の平原でも同じ事があった。『ラインハルト隠し子事件』の時だ。

あの時も苦しかったが。

今回はあの時よりもずっと苦しかった。

自分は何か重い病気にかかってしまったのだろうか。

イムカには自らの胸中に宿る想いが何なのか分からない。

 

ただ、ラインハルトがセルベリアとキスを交わす光景を思い浮かべて。やるせない気持ちに支配される。

漠然とだが嫌な思いになったイムカは弱々しく呟いた。

 

「そう....か。私には関係ないことだ。私は村を襲った仇を討つ復讐の為にのみ生きているのだから.....勝手にすればいい.....」

 

萎れてしまった花のように元気のないイムカはよろよろと体をふらつかせながら廊下に繋がる扉に歩を進める。

 

「どこに行く?」

「.....腕の治療を受けてくる。腫れあがって動かすのもままならない」

「そうか....すまないな」

 

イムカの腕は痛々しい程にくっきりと手痕がついて内出血をおこしている。赤く腫れあがって痛そうだ。

主犯のセルベリアは少しだけ申し訳なさそうにして、あの腕では開けられないだろうと考えたセルベリアは代わりに扉を開けてあげる。

 

イムカはふらふらと幽鬼の如く怪しい足取りで退出していった。

 

パタンと扉を閉めて静寂が訪れる。

 

「いったいどうしたのだろうか.....?」

 

いきなり元気が無くなったように思えたイムカの様子にセルベリアは不思議そうに呟く。

イムカの想いに気付く事はなかった。

 

少しだけ考えたが答えは出ず諦めたセルベリアは視線を寝室の扉に向けた。

 

もうセルベリアの邪魔をする者はいない。

 

扉の前に立ったセルベリアは万感の思いで扉を開けた。

 

血が激しく脈動する音が聞こえる程に心臓がドキドキと高鳴る。

 

ゆっくりとセルベリアは寝室に入り、ラインハルトの眠るベッドにそろりそろりと近づいていく。

 

腰の剣を外し円卓の上に置きつつ通りすぎてその先に。足を進めながら衣服を脱いでいく。

 

パサリと背広を落とし軍服を脱ぐ。黒のブラジャーを外し、ぽろんと豊かな胸がまろび出る。

金色のベルトをシュルリと取り外しスカートを下ろすと器用に片手で白の紐パンティーを脱ぐ。

黒い網目状の模様が走るストッキングだけを残して裸身になったセルベリア。

 

今夜...私は女になる。

 

長年の想いが、夢が遂に果たされる。

そう思うと今まで感じた事のない緊張がセルベリアの体を襲った。数多の戦場を渡り歩いたセルベリアでさえ初めて味わう種類の緊張感に足は止まる。

雄の本能を刺激する悩ましい程に豊かな体をかき抱き、自らを叱咤する。

 

怯えるなセルベリア・ブレス。こんなところで足を竦ませてどうする。ずっと切望していた事じゃなかったのか。

もう足を止めるな、前に進むと決めただろう。

想いを胸に覚悟を決めたセルベリア。

 

いざ勝負の時は来たのだ。

 

満を持してセルベリアは視界をベッドの上に向けて、ようやく効いてきた夜目がソレを映した。

 

「え?」

 

途端にピタリと固まるセルベリア。

驚きに紅い瞳を見開き口をぽかんと開けて言葉を失う。

 

彫像もかくやと云わんばかりのセルベリアが凝視する先にはラインハルトが眠っていて、それは問題ないのだが原因はその横に居た。

 

「むにゃ.....おとうさん.....」

 

ラインハルトに抱き付くようにして眠っているのは最近やって来たダルクス人初の侍女であるエムリナの娘、ニサであった。本当の父親の隣にいるように安心しきった表情で寝ている。

 

「あ.........ははは.............はぁ.....」

 

予想外の伏兵。正に予期すらしていなかった展開にセルベリアは乾いた声を出すしかなく。そしてドッと息を吐き項垂れた。

同時に今夜の作戦の失敗を悟る。

まさか幼子が寝ている横で作戦進攻(ゆうわく)するほどセルベリアは策士ではなかった。幸か不幸かそこまでの大胆さはない。

 

「.....これほどの失意は初めてだ......」

 

圧倒的な敵を前にした絶望。

初めてセルベリアは少女によって敗北感を味わわされることになった。

もしかすると長い戦歴の間でも個人的な戦いで挑んだ中では初めての敗北だったかもしれない。

 

なんという恐ろしい相手だ。セルベリアは強くそう思うのであった。

 

こうして、夜は何事もなく更けていく......。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

「朝か......」

 

陽射しの温かさにラインハルトは目を覚ました。

寝起きはあまり良くない。

いまだ寝ぼけた意識をゆっくりと覚醒させていく。

 

「ふぁ.......ん?」

 

あくびを噛みながら上半身を起き上がらせると、隣の存在に気付く。

ころんと猫のように丸まって眠る少女を見て、そういえば昨日、入室許可を出したところ早速遊びに来たのだったなと思い出す。そのまま夜になったので連れ戻しに来たエムリナだったが、まだ遊び足りないのか嫌がるニサに、それならばとラインハルトが泊まるよう提案したのだ。

一緒にベッドで寝ているのはその為だ。

 

ラインハルトは眠る少女の頭を軽く撫でつけてやる。するとふみゅっと子猫の鳴き声のような声をもらすニサ。

 

自然と穏やかな笑みになっていたラインハルトは、視線の端に映る、その女性の姿に気付いた。

 

「セルベリア?なぜここに.....?」

 

なぜか軍服姿のセルベリアが円卓の席に座って眠っていた。

昨日の記憶を掘り起こしてもセルベリアの姿は見つからず。

なんで自分の部屋に居るのか皆目見当がつかない。

 

不思議に思ったラインハルトが身を起こしベッドから立ち上がった。

 

二つのシーツを手に取り一つはニサに掛けてやる。起こさないよう静かに。

そしてすやすやと眠るセルベリアに近づくと。

 

円卓の上に置いた腕を寝枕にして、寝ている彼女にもシーツを掛けてやる。何気なくセルベリアの流麗な銀髪を撫でつけると「んっ」と微かに声がもれた。

 

無言でその様子を見下ろし、やがて対面の椅子に座る。

 

ジッとセルベリアの寝顔を眺めていると、

 

「....んか」

「?」

 

まるでラインハルトの存在に気が付いたかのように、セルベリアは何かを呟こうとする。

 

耳を澄ませたラインハルトに、その声は届いた。

 

「でんか.....お慕いしています....」

「......っ!」

 

ラインハルトの目が見開かれた。驚きの顔でセルベリアを見るが、

セルベリアに目を覚ました様子はない。

 

「寝言か......今のは反則だろ。......リア.....」

 

寝言だと云う事を確認すると苦笑を浮かべたラインハルトは何かを言おうとして躊躇う。

そして、逡巡する様子を見せたラインハルトは、やがてフウッと吐息をこぼしこう言った。寝ているセルベリアに語り掛けるように。

 

「......俺はなリア。時々こう思うんだ、俺はお前を縛り付けてしまっているんじゃないかって。あの時お前を救ったのが俺じゃなくてマクシミリアン兄上だったならば幸せになれたんじゃないかって.....。お前をこのまま必ず訪れるであろう血塗られた闘争に身を置かせるべきじゃないのかもしれない、もっと別の幸せがあるのではないか?とな......だから、お前に今一度選択をさせよう。俺から自由になれる機会を与えようと思う.....その上でリアが俺を選んでくれるというのなら、その時は、俺はお前を........愛してもいいのかな?」

 

その問いかけに当たり前だが寝ているセルベリアは答えず。ラインハルトもまた答えを期待していなかったはずだ。

 

そうして静かに囁いたラインハルトの独白は虚空に消えていき。

 

ただ、僅かにセルベリアの体が身じろいだ気がした。

 

それを気のせいだと思ったラインハルトはやがて部屋を退出するのであった.....。

 

 

 

 

 


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