あの日たすけた少女が強すぎる件   作:生き残れ戦線

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十七話

「はぁ.....はぁ」

 

熱い吐息が浴場に響き、上下する豊かな胸。

今や全身で息をする状態のセルベリアにラインハルトはやりすぎてしまったと後悔する。

 

「すまない、リア。いや、謝って許される事でないのは分かっている。淑女に醜態を晒させてしまったのだから当然だ。どんな罰でも受ける所存だ。責任をとらせてほし.....っ!」

 

言葉の途中でラインハルトは押し倒されていた。

セルベリアは椅子から落ちるようにラインハルトを自らの体で押す。踏ん張りも効かず背中から倒れるラインハルト。頭を固い大理石のタイルに打ちつける直前、優しく滑り込んだセルベリアの手によって支えられた。

しかも空いた片手でタイルを押さえ柱とすることで酷く安定している。

 

「り、リア....?」

 

戸惑いの声を上げながら視線を向けると、ラインハルトに向かって垂れ落ちる銀髪の奥で赤い瞳が妙に据わっていた。

それはまるで可愛らしいう兎のよう?....いや、違う。

獲物を狙う肉食獣のソレ(眼光)だった。

 

「で、殿下ぁ」

 

雄の脳を溶かすような甘ったるい雌の声にガツンと頭を打ちつけられたような衝撃を受ける。

このままではマズイ.....!

押さえていた獣欲が高まりだすのを感じる。

ダメだ。今はまだセルベリアを抱くわけにはいかない。

 

「せ、セルベリア、落ち着け。今のお前は明らかに正気じゃない.....!」

「いいえ、私はいたって冷静です。もう耐える事を止めただけ、殿下が悪いのですよ....?必死に繋ぎ止めていた枷を貴方が壊してしまった。もう私の意思では止まれない.....」

 

そう言ってゆっくりと美麗な顔を近づけてくる。

咄嗟に逃れようと顔を動かすがガッシリ細い手が頭を掴んで離さない。

紅い唇が近づいて来るのを黙って見ているしかない。

その感触を指先でとはいえ知っているのだ。瑞々しい柔らかさを思い出しごくりと息をのむ。

 

あわや唇が接触するかに思われたその時、

 

バシャリと桶一杯のお湯がセルベリアの頭にぶちまけられた。

 

「わぷ!?」

 

イキナリの事に驚くセルベリア。途端に淫靡な雰囲気が霧散した。

 

首を動かしたラインハルトの目に仁王立ちで立つダルクス人の少女が映る。仏頂面でこちらを見ていた。

セパレートタイプの水着を着て健康的な素肌を晒していた。鍛えられた肉体美がとても良く映えている。

()()()とは先に共だって浴場に来ていたのだ。

 

全身を濡らしたセルベリアはイムカをジトリとした目で見た。目には抑えきれない激情が込められていて、今にも襲いかかりそうなプレッシャーを放っている。

 

「なんのつもりだ....小娘」

 

絶世の美女から出たとは思えないおどろおどろしい声音に、しかしイムカは「ふんっ」と鼻を鳴らし真向から受け止める。

 

「なんのつもりもない。ハルトを襲う刺客がいたから、私は護衛として当然のことをしたまで」

「私が殿下を襲うだと!?そんなことがあるわけ.....」

 

激昂しかけたセルベリアだったが、自分が直前までやろうとしていた事を思い出し言葉尻が下がる。

甚だ遺憾だが反論の余地はなかった。イムカの言い分が正しい事を理解する。

涙を飲んで怒りを抑え込むセルベリアにイムカが追い打ちをかけた。

 

「そもそも貴女は目的を忘れて何をやってるんだ。守るべき対象を襲おうとするなんて護衛失格」

「ぐうっ!」

 

セルベリアの胸に言葉の剣が突き刺さる。深々と刺さってとても痛そうだ。

 

「やはり帝都にも私が付き添うべきだった。聞けばハルトを危険な目に遭わせかけたらしいから....」

「な、何故それを.....!?」

 

皇子暗殺未遂などと云う将校にしか知らされていない情報を一等兵に過ぎないイムカが知っていることに驚く。

だが、直ぐに誰がその情報を少女に教えたのか分かった。

 

「リューネか......!」

 

ニヒルに笑みを浮かべる陽気そうな男の顔を思い出しながら呟く。

.....何を簡単に情報漏洩してるんだあの男は!

 

「いや、それよりも」

 

男に対する怒りすら湧いて来るが今は目の前の少女の言った言葉に意識が向けられた。

 

「私が貴様に劣ると言いたいのか」

「私だったらあの状況でハルトの傍を離れることはしない。絶対に怪我一つ負わせない.....」

 

例えどれだけの村人が死のうと......。

続く言葉は言わず胸にしまう。非道かもしれないがすでに覚悟は決まっているのだ。命令にただ忠実なだけの目の前の女とは違う。そんな思いがイムカにはあった。

 

女性二人の瞳の間で火花が散った気がした。

睨み合う二人の間に柔らかな声が割って入る。

 

「まあまあ、そこまでにしませんか二人とも?せっかく旦那様と共にお風呂に浸かっているのですから.....ね?」

 

そう言って蠱惑的な笑みを浮かべるのは黒髪の侍女長エリーシャ。湯船の縁に両手を置いて楽しそうにして二人を見ていた。

彼女もまたラインハルトと一緒に浴場に来ていたのだ。

 

これ幸いとばかりにラインハルトはエリーシャの出航させた助け船に乗り込むことにした。

 

「エリーシャの言う通りだ。今はこの浴場を存分に楽しんでほしい」

 

間に入ったラインハルトが二人の肩を抱き浴場に足を進める。

 

「.....ハルトが言うなら仕方ない」

「はい殿下....」

 

ほんのりと頬を赤らめてそっぽを向くイムカと何やら思うところがあるのか俯くセルべリアに苦笑すると、浴場内に入りゆっくりと身を沈めた。近くには何故か軍刀が置いてあり降り注ぐ青い光で刀身がキラリと反射する。すぐに手に取れるようにしてあった。

 

「ふぅ.....ここはな、古代ヴァルキュリア人が戦争で負った傷を癒すために使っていた湯地場なのだそうだ。そして何を隠そうニュルンベルクが生まれた理由でもある」

 

二人を侍らせながら大理石の湯船にもたれかかると、何気なく浴場の成り立ちを教えてやった。

恐らくは対立する二人の意識をまぎらわせる意味も多分に含まれていただろうが。

 

城塞都市ニュルンベルクが作られた元々の理由はこの風呂場にある。

 

「この温泉の効能にはヴァルキュリア人を癒す力があると言われている。理由は分からないが地下に眠るラグナイトの鉱脈から生まれた源泉に、高い濃度のラグナイト保有度が確認されている事が原因の一つだと言われている」

 

自らの生い立ちに起因する内容に俯いていたセルベリアも興味深げな表情になる。

 

「そうなのですか?ですが確かにとても気持ちがいいです」

 

ラインハルトの説明に感嘆の声を上げると実に気持ち良さそうに頬を緩めるセルベリア。肌に染み込むような親和性の高さだった。

 

「でもなぜそれがニュルンベルクが出来た理由になる?」

「ふっそれはな。古代ヴァルキュリア人はこの源泉を蛮族から守るためだけに壁を作り都市を作らせたのさ。この都市に元々ダルクス人が多かったのも支配下に置いた彼らに守らせていたからだ。つまり推測するに当時は古代ヴァルキュリア人達の娯楽施設でもあったのだろう」

「なるほど、そうだったのですか。道理で就任当時から妙にダルクス人が多いと思っていたのですが、そんな理由があったのですね」

「.....私はてっきりハルトがニュルンベルクの城主になってから同胞達が多くなったのかと思っていた。昔からだったのか」

 

納得したように頷くセルベリアの横で意外そうにしているイムカ。

二年前に初めて来た時から既に多くのダルクス人が生活していたのを覚えている。当時は復讐の念にしか気を取られていなかったが思い返せばその時から既に驚くほど活気に満ち満ちていたものだ。

しかし、昔から住んでいる同僚の人間に数年前までの暮らしとは雲泥の差があると聞いた事があるから、そう思ったのだ。

 

「間違っては無い、確かに今も多くの移民が都市を訪れるからな。だが昔から他の都市と比べても人口が多かったのは事実だ。そして、それが原因で殿下はニュルンベルクの城主になったのだ」

「どういう事?」

 

訂正の言葉にイムカは首を傾げた。

 

「ニュルンベルクの前の城主は生粋の帝国貴族らしい男でな。ダルクス人を奴隷の如く扱っていたんだ。酷いものだったぞ。あれは労働法もなにもあったものじゃない」

 

セルベリアは当時を思い出すように目を伏せた。

人権すら無視された彼らの物乞いのようなみすぼらしい姿。過酷な労働条件で働かされ続ける男達。紡績工場で十二時間以上働く女子供。それでも十分な報酬は払われず路地裏では餓死している者も珍しくなかった。栄養状態は悪くやつれていたダルクス人達。

およそ酷い状況下におかれていた彼らを見かねたラインハルトは前ニュルンベルク城主を失脚させ、自らが新たな城主として政務に携わったのだ。

 

「それからだ。この都市が変わったのは。元々多かったダルクス人に住む場所を与え食事を提供し仕事を雇用したのだ。それによって今の都市がある。全てはラインハルト殿下の御力の賜物なのだっ....」

「.....やはりハルトは凄い」

 

自らの事のように自慢げに締めくくるセルベリアに、

イムカは尊敬の眼差しでラインハルトを見上げた。

純粋にそう思ってくれている目にラインハルトは気恥しい様子を見せる。褒められるのは苦手だった。

 

「今のニュルンベルクがあるのはみんなの御蔭だ。俺一人では到底成り立たなかった」

 

事実、俺は今まで多くの人間と手を取り合って来た。シュタイン、アイス、オッサー、エリーシャ、リューネ、ウェルナー、フォード。いつしか取り合った手は俺を中心に巨大な輪となった。

彼らに支えられて今の俺があると言っても過言ではないのだ。

そして、

 

「その中にはイムカ。お前もいる」

「私も....?」

「ああ、頼りにしているぞ。俺のエース」

 

言ってダルクス人特有な紺色の髪に触れる。降り注ぐ淡い光に反射して綺麗な青色に見えるそれを撫でたのだ。

気持ちよさそうに猫みたく目を細めるも、同時に恥ずかしさを覚えたのか口元を湯面で隠した。

 

その様子をジッと羨ましそうに眺めている視線に気づいたラインハルトは笑みを浮かべてそちらに首を向けた。

 

「どうかしたか?」

 

あえてすっとぼけた態度でそんな事を言ってみた。悪い性格だと自分でも思うがつい苛めたい気持ちが湧いてくる。さっきもその所為であんな事になってしまったというのに反省しない男だ。

 

「い、いえ。なんでもありません.....」

 

何でもないと言うが明らかに何でもなくはなかった。寂しげに視線を落としてしまう。シュンとおあずけをくらった愛犬のような反応に内心で笑みを深める。

 

「やはり私には殿下の傍にいる資格はないのかもしれないな.....」

 

よほどショックだったのか思わずと云った感じにボソリと呟かれた。

やはりイムカの言葉に思うところがあったのだろう。

もしかしたら俺の期待に答えきれなかったとでも思っているのだろうか。

.....だがな、それは困る。

 

「何を言っている。お前はずっと俺と共に居てくれるのだろう?」

 

俺が最初に出会い手を取った相手はセルベリア、お前なのだからな。幾たびも窮地に陥った俺が今も生きているのはお前の御蔭なのだ。

この世界で俺が生きてゆく上でお前の存在はもはや欠かせない。

 

「え....」

「俺はそう思っていたのだが、違ったか.....」

「.....私はあなたの傍に居てもよろしいのですか?」

 

可笑しなことを言う。

 

「もとよりそのつもりよ。セルベリア・ブレスあってのラインハルト・フォン・レギンレイヴぞ、あの日お前が俺の手を取った瞬間からそう決まったのだ。文句があるなら聞くが.....?」

 

......文句があろうと俺はお前を離す気はないがな。やはり俺は酷い男だ。

そう思っているラインハルトの前でセルべリアは泣きそうな顔になっていた。

.....私はこの人に必要とされている。

それが何よりも嬉しかった。

こみ上げる思いのままに口を開く。

 

「文句なんてありません。叶うならば私はずっと貴方と一緒にいたい!」

 

ラインハルトは一瞬だけ目を瞠り、フッと笑った。

 

「そうか。まるで愛の告白のようだな」

「で、殿下!私は....!」

 

感極まったようにセルベリアは思いの丈をラインハルトに伝えようとする。

しかしラインハルトはセルベリアの唇にそっと指を添えた。

優しく口を閉ざされたセルベリアが何故っと言いたげな顔になった。

.....やはり自分ではダメなのか。

そう思ったセルベリアにラインハルトが言った。

 

「責任は取ると言っただろ.....」

 

指を離したラインハルトの顔がそっとセルベリアに近づく。

 

「......殿下」

 

擦れた声でセルベリアが呼ぶ、頬を赤くして、瞳をすっと閉じた。

 

赤い唇が近づき触れるその瞬間―――

 

 

 

「――来ましたわ」

 

呟かれた声にピタリと止まる。

 

途端に響く荒々しい物音。

ドン!スタタタタタ。

 

音にすれば滑稽だがこんな感じだろうか。

 

脱衣所に繋がる扉を蹴破って中から現れた男達が浴場に入ってきたのだ。

この城では珍しくない兵士風の出で立ちをしている。誰がどう見てもこの城の衛兵である彼らが皇室専用の区画に足を踏み入れている時点で重罪である。独房に入れられても仕方ないだろう。

何故彼らがここに.....?

疑問は直ぐに解消された。

 

指揮官と思われる兵士が前に出て慇懃無礼に言った。

 

「申し訳ありませんラインハルト皇子。お楽しみのところ申し訳ないが、そのお命頂戴させていただく」

 

なんと、その目的はラインハルトの命にあるようで、物騒にも手には銃剣が握られている。

彼らの正体は刺客だったのだ。警備が薄くなった今を狙って襲撃をかけたのだろう。

いきなり緊迫した雰囲気が浴場全体を満たす.....が、セルベリアから顔を離したラインハルトは何故かのんびりと湯に浸かったままだ。

 

「.....やれやれ、もう少し遅れて来ればいいものを。タイミングの悪い奴らだ」

 

微塵も焦りを覚えた様子はない。

それどころか歓迎するかのように笑みを浮かべてさえいた。

 

「な、なんだ。状況を分かっているのか....?」

 

ふてぶてしい不敵な笑みに、並び立つ兵士風の刺客の一人が困惑する程だ。

 

「あぁ、分かっているとも。お前達は城中の兵士達に紛れていた暗殺者達だろう。手薄になった警備に乗じて俺を殺す算段と云うわけだ。ご苦労....まさか本当に居るとはな.....くくく」

 

言葉を途切れさせたラインハルトは喉元から震わせるような堪え声を漏らし、

 

「フハハハハハハハハ!!」

 

それはすぐに呵々大笑とばかりに声を張り上げさせた。

浴場に響くラインハルトの声に今度こそ男達は何かがオカシイと思い始めた。

風呂場に満ちた熱気とは明らかに違う理由で男達は嫌な汗をこぼす。

......なんだ!?なぜあの男は笑っている!?なぜこの状況で笑える!

誰も言葉を発さない。だが、誰もが同じ思いを抱いた。

刺客達の誰も動けない。

目の前の金髪の男の笑い声が完全に場を支配していた。

 

「ふふ...見事な手際だエリーシャ。まさかこうも上手くいくとはな」

「お誉めにあずかり光栄ですわ」

 

子供の様に無邪気に楽し気な声でエリーシャを褒めるラインハルト。

湯に火照ったエリーシャは妖艶な笑みで答えた。

 

「なにを....なにを言っている.....?」

「まだ分からんのかド阿保め、いやそれとも理解したくないだけか?......お前達がまんまと誘き寄せられたのだと云うことを」

「なに.....!」

 

告げられた事実に一瞬は驚きの表情になった男だったが、じんわりと笑みを広げる。

ほとんど丸腰のラインハルト達を見て、

 

「は、はははは!馬鹿が、武器一つ持たないこの状況でよくも言えたものだな。大した肝だが、そのようなハッタリが貴方の最後の策か....哀れなものだ」

「武器ならあるさ、ほら」

 

軽い口調で湯船の縁に置いていた軍刀を掲げ男達に見せびらかす。

今度こそ指揮官の男は馬鹿にした様子でラインハルトを見る。

 

「.....そんな物で我らをどうにか出来ると本気で思っているのか。もし本当にそう思っているのならお前はやはり狂っている。どうやらこの都市で聞き及んだ噂も虚言に過ぎぬようだな!」

「ドアホめ、誰が俺が使うと言った?」

「なに?」

 

憎らしいほどに不敵な笑みを崩さない金髪の男は片手で弄ぶ軍刀を何やら俯いて顔を見せない隣の女に手渡した。

 

「殺れ、セルベリア」

「―――はい、殿下」

 

渡された軍刀を握りゆらりと立ち上がった銀髪の女。まだ顔が見えない。しかし只ならぬプレッシャーを感じる。

 

「銀髪の女。セルベリア・ブレス。皇子の寵愛を受ける雌犬風情が。知っているぞお前は超常の力を使うのだとな。しかし槍と盾の遺物が無ければ力は使えないとも聞いている」

 

水着姿に軍刀だけのセルベリアを恐るるに足らずと判断した指揮官はニヤリと下衆な笑みを浮かべる。その目はセルベリアの豊満な体つきを舐めるように見ていた。

.....なんとも良い体をしているではないか。皇子を殺した後に楽しめそうだ。なんせ此処は誰も立ち入る事を許さぬ聖域なのだ。邪魔者はいない。

 

「......さぬ」

 

下劣な考えをしている男の耳に微かな声が届いた。

なんだ?と思い耳を澄ますと今度は確かに聞こえた。

背筋も凍る地獄からの声を、

 

「お前達は.......許さぬ」

 

その時、男達は見た。

銀髪の狭間から垣間見えたセルベリアの紅い瞳が列火の如く怒りに燃えていた光景を。

 

瞬間セルベリアは跳んだ。

 

「ッ!?」

 

指揮官の男が命令するよりも早く、刺客達の間合いに着地したセルベリアは軍刀を鮮やかに閃かせる。

状況が圧倒的有利だからこその余裕だったのだろう、未だ銃剣を構えてすらいなかった男達から血しぶきが舞い、場は一気に混乱の坩堝となった。

あっという間に地獄絵図が作られていく彼女の戦いぶりに目を剥く指揮官の男。

 

「馬鹿な!彼の槍と盾が無ければ只の女のはずではなかったのか!?」

 

渡されていた情報と現実の差異に驚愕する指揮官の驚く声すら無視してセルベリアは兵士達を刈り取っていく。

 

「絶対に許さない!死んで詫びろ!.....お前達の所為で!」

「何を言って....グァッ!?」

 

血涙を流す勢いの憤怒の表情で剣閃を幾重にも繰り出す銀髪の女。

何に対しての怒りかすらも男達は理解できずに、固い大理石の床に倒れ伏していく。

あまりにも強すぎる。銃撃しようにも密集しているためおいそれと撃てないのだ。

――だったら。

 

「皇子だけでも殺すことができれば目的は達成するのだ!」

 

仲間達が容赦なく切り倒されていく中、手に持つ銃剣を構えラインハルトを狙う一人の刺客。

 

「させない!」

 

刺客が引き金を引くよりも早くラインハルトの前に出たイムカが湯面に突っ込んでいた手を引き上げる。

――すると、

ザバンと豪快な音をたてながら大剣のようであり銃のような長大な武器が現れた。つまりイムカの得物であるヴァールがだ。

 

「なっ!?」

 

驚きに目を見開いた刺客とヴァールを構えるイムカはまったく同じタイミングで互いに銃砲を鳴らす。

パンと乾いた音が反響し直ぐ傍を掠め湯面に消えた弾丸を気にもせずイムカは己の機銃を掃射させた。

この時の為だけに防水耐用に改造していたヴァールの銃創は滑らかに弾丸を連射する。

放たれた銃弾の雨は構えた刺客のみならずその周りにまで降り注いだ。

 

「ガハアッ!!?」

 

被我の制圧力が圧倒的に違い過ぎた。断続する連射音と共にバタバタと倒れていく刺客達。

その中にいたセルベリアは直前でイムカの放射に気づき高い跳躍を見せると湯船の中に着地した。

危うく自分までハチの巣にされそうになったセルベリアは水しぶきを上げながらイムカを怒り顔で見た。

 

「おい、今私まで狙っていなかったか!?あと少し遅れていたら死んでいたぞ!」

「.....仕方ない。教えていたら敵にも避けられていた」

「なんの言い訳にもなっていないぞ!?」

「......ちゃんと避けると信じていた」

「今さらそんな事を言ってごまかされるか!」

「でもお蔭でほとんど倒せた.....まだ一人残ってるけど」

 

視線を鮮やかに文句を言うセルベリアから刺客の方に移すイムカ。死屍累々と転がる敵の骸から少し離れた所に立ち尽くす指揮官の男を見る。

男は顔を引き攣らせてイムカを見ていた。

あらかじめ圧倒的制圧力を誇るその武器を隠し持っていた状況に驚きを隠せない様子だ。

 

「馬鹿な、俺達の動きを知っていたのか.....?」

「だから言っているだろう。お前達は最初から罠に掛けられていたのだと」

「.....」

 

もうラインハルトの言葉を笑って返す余裕もない。さっと血の気が引いた。

温かな浴場に居るというのに青い顔色の刺客を見て、ラインハルトがふうっとため息をこぼす。

 

「ようやく自らが狩人ではなく獲物である事に気づいたようだな。さて、洗いざらいその(情報)を捌かせてもらうぞ、先の襲撃の件を含めてな」

「それでは(わたくし)の出番ですね」

 

それまで沈黙を保っていたエリーシャが動き出す気配を見せる。

というかこの状況ですら未だにラインハルトとエリーシャは悠然と構えていた事に驚きだ。

そしてついに湯船の縁に寄りかかり優美な風情だったエリーシャが満を持して立ち上がる。

 

「っ!?」

 

立ち上がるエリーシャの様子を見ていたセルベリアが絶句した。

刺客もギョッとしてエリーシャに釘付けになる。男の(さが)によって視線は目の前の光景に吸い込まれたのだ。

つまるところ彼女の()()に、

 

「な、なぜ......お前は裸なんだ!?」

 

わなわなと震える指を突きつけてセルべリアは叫ぶ。

濁り湯で気づかなかったが、この侍女長はずっと裸で湯に浸かっていたようだ。

まるで気にした素振りも見せずに美しいプロポーションを晒しているエリーシャは首を傾げる。

何を言っているのか分からないと云った感じだ。

 

「なぜって、此処はお風呂ですから裸で入るのは不思議な事ではないはずですが.....?」

「そうだけど、そうじゃないだろ!殿下だけなら別に問題はないが今回は他の男達もいるんだぞ、何のために私が水着を着ていると思っているんだ!」

「......ハルトだけだったら問題ないのか」

 

自分と同じでハルトに見られるのが恥ずかしいから水着を着ていると思ったのだが。

まさかあの女、刺客達に見られるのが耐えられず水着を着ているだけで、そうじゃなかったら喜んで裸になっていたのか?

......やはりあの女は侮れない。

セルベリアに対する警戒レベルを上げるイムカ。何に対する警戒かは分からないが。

 

「もういいお前は座っていろ!私だけで十分だ」

「あら残念」

「というか武器もなくどうやって戦うつもりだ......?」

 

セルベリアの言葉にエリーシャは女性らしい起伏に富んだ肢体を湯面に隠し残念がる。

イムカからしたら彼女は正に丸腰の状態でどう戦う気だったのか興味が尽きない。見たところ武器は何も持っていないようだが。

イムカの後ろで何故かラインハルトも残念そうにしていた。

 

「久しぶりに闇指(あんし)が見られるかと思ったんだがな」

「闇指.....?」

 

ポツリと呟かれたラインハルトの言葉に、不思議に思っていたイムカが反応を見せる。

 

「エリーシャの通り名だ。ある界隈では有名でな、なんせ彼女はナイトウォーカー《闇の中から忍ぶ者》。つまり....」

「――ご主人様。昔の話ですわ」

「.......ふむ、そうだったな」

 

と、そこで釘を差すかの如く妖艶な流し目でエリーシャはラインハルトの言葉に被せた。

まるでそれ以上は言うなとばかりに、

ラインハルトも彼女の意思を尊重したのか口を閉ざした。

 

「生殺しはない....」

 

だが、イムカはそれで納得できるはずがない。とんでもなく続きが気になる言い方で終わり、たまったものではないのだ。

しかも謎の多い侍女長の秘密とくれば気が焦れるのも仕方ないだろう。

 

「いったいエリーシャは何者?」

「そうですねぇ....」

 

紡がれる疑問にふふっと笑みを溢したエリーシャはラインハルトにしなだれかかり冗談めかして言った。

 

「私はただの侍女ですよイムカさん。ただちょっと昔にご主人様と殺し合いをした事があるだけですわ」

 

衝撃的過ぎる言葉に度肝を抜かされた。

 

「な!?......いったいどういう事....?」

「話しの通りだ。俺とエリーシャは命の奪い合いをしたことがある。ただそれだけだ。なぁっ?」

「はい」

「......分からない」

 

穏やかに笑みを浮かべ合うラインハルトとエリーシャに意味が分からないと顔を困惑させるイムカ。

明らかに先程のセリフとこの状況が当てはまらないのだ。

 

「だからそういう意味では私は彼らと何ら変わらないのかもしれませんね」

 

セルベリアと攻防を繰り広げる刺客の(さま)を見て呟く。その目には憂いが込められていた。

いったい彼女にどんな過去があるのか、謎が深まるばかりである。

 

そうしている内にセルベリアの戦いも決着がついた。

 

「.....馬鹿な!?」

 

あえて隙を作ったセルベリアに刺客が砲口を向けて一弾を放った。それをセルベリアは軍刀で叩き切るという芸当を見せたのだ。

常識の範疇を超えた動きに動揺を隠せない刺客は、一気に迫るセルベリアに軍刀の柄で殴られてあえなく昏倒した。死んではいない。この男には幾つか聞く事がある。

 

固い大理石の床に崩れ落ちた刺客を見てエリーシャが立ち上がる。

湯船から出て出口へと向かった。

 

「捕らえに行くか」

「はい、情報を流したのは三人。その内の誰かが密告者でしょう。まあ、あの娘達が篭絡してるでしょうから心配いりませんが逃がすつもりはありませんし迅速に手を打つとしましょう。追って報告はお知らせします」

「わかった。()()任せる」

 

振り返るエリーシャが微笑みを浮かべ、

 

「かしこまりました」

 

言うとそのまま彼女の姿は脱衣所に消えた。

ラインハルトは後に残った刺客の骸と血臭に満ちる浴場を見渡し。

 

「これで敵の手を潰すことができた。じきに密告者も捕われるだろう、そうすれば敵は目を失うことになる」

「やはり殿下の考え通り密告者がいましたね」

「レニイ村の襲撃者達も俺達が帝都から帰る帰路を完全に把握していないと、あれほど正確に包囲できるはずがないからな」

 

最初の襲撃から違和感を感じていた。奴らは俺達を待っていたかのような節があった。

だからこそニュルンベルクに帰るまでのルートを幾つかあらかじめ教えた人間がいると考えたラインハルトは、前日の将校会議にてエリーシャに命じたのだ。

「内通者を炙り出せ」と.....。

 

ラインハルト自らを囮にする提案には驚いたが上手くいった。いっそ笑ってしまうぐらいに。

 

「俺の駒を持って行こうとした事も含めてコレで借りを返したぞ、顔も知らぬ怨敵よ」

 

まるで目隠しをしながらチェスをうっているような気分だ。

一番にキング(ラインハルト)クイーン(セルベリア)を討つ大胆な性格かと思えば、ナイト(オッサー)ポーン(私設軍)を盤上から追い出そうという慎重にして巧妙な手口を使う。この一連の流れが敵の思惑通りなら中々の策謀家だ。

 

「......面白い、次はどんな手を打ってくる?」

 

知らずラインハルトの口角は上がっていた。

見えざる敵との攻防を楽しんでいるのだ。まるでゲームのように、

そう、これは遊戯だ。賭け金は己の命。負ければ死ぬデスゲーム。

 

だと云うのに俺は敵の全貌を知らず敵は俺を知っている。圧倒的に敵が有利な状況。勝算は低いだろう。

否、だからこそ面白いのだ。

そうでなくてはつまらない。

必ずや首魁を見つけ出し盤上に引きずり降ろしてやろう。

それまで、

 

「......首を洗って待っていろ」

 

降り注ぐ青い光に見守られ、

誰に告げる言葉なのか本人ですら知らないが、ラインハルトの宣戦布告は確かに行われた。

 

この誓いが後に帝国を二つに分断しラインハルト達は争う事になるのだが、それはまだ先のお話しである。

 

二人はまだ出会ってすらいないのだから......。

 

 

 

 

 

 

 

 


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