あの日たすけた少女が強すぎる件   作:生き残れ戦線

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十三話

見上げる程に大きなお城。荘厳な雰囲気と古い歴史を感じさせる。

城塞都市ニュルンベルクの中心に座するニュルンベルク城は正にその都市を冠するに相応しい存在感を放っていた。

それを放心した様子で間近で見上げていたエムリナは、夢を見ているような不思議な感覚に囚われていた。

何故かと云うと今自分が置かれている状況がとても現実とは思えないからだ。

 

.....確かにあの方は一目見たら忘れられない高貴な見た目をしている。只の軍人などではない、もしかしたら貴族なのではないか?と村の者達も噂していた程だ。

しかしそんな彼らの憶測は甘かった。笑ってしまうぐらいに。

いや、それは私も同じだ。

ヒントは幾らでもあったのに気が付かなかった自分の鈍さに呆れてしまう。

だけど、そんな事が起きるとは思うわけないじゃない。

どこの国にその国の皇子が寂れた小村なんかに訪れると思うんですか、ましてや山賊から村を救い、ダルクス人の女なんかを気に掛けるというんです!

私は悪くないですよね!?

 

半ば現実逃避をし始めたエムリナは前を行くハルトに目を移す、

衛兵たちに敬礼されながら門を潜る彼の様を眺めながら。

 

「本当にハルトさんが.....ラインハルト様なんですね」

「ふふ、まだ実感が湧かないだろ?」

 

信じられないとばかりに呟くエムリナの隣を歩くセルベリアは笑っている。悪戯が成功した少女のような笑みに気付いたエムリナはもしやと思った。

 

「もしかして.....わざと黙ってたんですか!」

「......ふ」

 

セルベリアの堪えきれていない笑い声が漏れるのを見てやっぱり、もう!と抗議の視線を送るエムリナ。

 

「悪かった。こういう事はあまりあるものではないだろうから、可笑しくて」

「本当にびっくりしたんですからね!?」

「ああ、それは十分分かってるよ。あの時の驚きようといったら.....黙っていた甲斐があったな」

「....いじわるです」

 

頬を軽く膨らませてぶーたれるエムリナはとても一児の母とは思えない可憐な一面を見せる。それでいて人妻特有の色気のようなものを漂わせるのだから卑怯だ。

現に衛兵達の鼻の下がエムリナの膨れっ面を見て伸びていた。

 

それに気が付いていないエムリナは初めて入るお城という場所に緊張の面持ちになりながら足を進ませていく。

お伽噺の世界に入っていく様な気分だが、心臓だけは痛いほどにドキドキと脈打っている。

 

「夢じゃない、私ほんとうに此処で働くんだ....!」

 

その痛みが今は心地良い。これが現実だと教えてくれるから。

 

だけど同時に自分なんかが此処で働けるのだろうかと心配になってくる。

 

「でも一番心配なのはアレだよね.....」

 

乾いた声音の言葉を出しながらエムリナの見る先にあるのは......。

 

「すごい!キラキラしてる!おっきいおうちー!....すごいね!おとうさん!」

 

帝国に君臨する一族の一人であるラインハルト皇子の事をダルクス人の娘が『おとうさん』と呼んでいる光景だった。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――

 

 

「.....おとー....さん?」

 

静まりかえる空気の中にイムカの唖然とした声が響いた。

ポカンとした顔でラインハルトを見上げる。

ラインハルトもまた驚きの表情で自分の腹部に顔を埋めているニサを見下ろしていた。

 

「ハルト....様?この少女はいったい....」

 

途切れるイムカの言葉。恐らく続く言葉は『貴方とどんな関係なんです』だろうか。

綺麗な藍色の目が動揺に揺れている。なにか凄い勘違いをしてそうだ。

誤解を招く前に説明しようとするが、そこでオッサーが先に口を開いた。

 

「おや?大将いつ子供なんか産ませたんで。おめでとうございます」

「子供!?産ませた!?」

 

ガガン!と効果音が演出されそうな驚愕ぶりを見せるイムカ。完全にオッサーの言葉を信じ込んでしまったようだ。

オッサーお前....。

振り返って睨みつけると案の定オッサーは面白そうに笑みを浮かべていた。

どうやら事情を知らないイムカの反応を見て楽しんでいるようだこのオッサンは。

というかイムカよ。お前とは二年来の付き合いだろうが、この年の子が俺にいるわけないだろう。騙されてくれるな。

 

「いやーこんな美人さんだったら、男だったら仕方ないでしょうがね」

 

なおも続く驚愕の真実にイムカの体は幽鬼のようにふらつく。

望洋とした目がオッサーの褒める人物に向かい。

視界に映るのは同じダルクス人の女。

 

この女がハルトの子供を産んだ.....?

 

その事実と更には同族という事がイムカの受ける衝撃を二乗する。

復讐に囚われていた心に芽生え始めた小さな想いが、粉々に打ち砕かれそうになる。まだ本人ですら自覚していなかったと云うのにだ。

イムカの小さな胸の奥から痛みが走る。

 

どんな辛い鍛錬にも耐えてきたのに、初めて感じるその痛みだけは耐えられそうになかった。

 

「っ....」

「うお!?す、すまん言い過ぎた!」

 

すでに半泣き状態のイムカ。

それを見てやりすぎたとばかりに顔をしかめるオッサーが巨体を盛大に慌てさせる。

まさかこんなにも効果覿面だとは思わなかった。

 

「女子を泣かせるとは見下げ果てたぞ、そんなのだからいつまで経っても嫁の一人も貰えないんだ!」

「グハ!」

 

セルベリアの刀よりも鋭い叱責にオッサーが斬られたように呻く。

オッサー四十七歳。いまだに春の兆しは見えなかった。

 

「イムカ違うぞ、オッサーの冗談に騙されるな。俺はまだ一人身だ」

「.....嘘?」

「ああ」

 

ラインハルトの言葉にようやくイムカもオッサーの言っている事がデタラメだということに気づいた。

頷いてやると空虚な目に強い光が宿る。それはまるで萎れた花弁が花開くような変わりようだった。

 

「そうか....」

 

安心したように笑みを浮かべるが、自分でも何に対して安心したのか分からず困惑する。

まだこの感情が何なのか分からないと云った様子だ。

しかしまずはこの気になる感情よりも別に湧いて来るこの怒りをどうにかしなければならない。

 

「オッサー准将。約束していた今度の模擬戦は覚悟してください。久しぶりに全力でやりますので」

「ウゲッ!待て待てどう見ても模擬戦ですまなさそうなんだが!?」

 

フフッとオッサーに向かって笑みを浮かべるイムカだったが、その目だけが全然笑っていなかった。

殺意すら籠ってそうな目に背筋を震わせるオッサー。

彼もまた武人気質であり兵士時代は対戦車兵として名を上げていた。だがそれは昔の話。

『バジュラスゲイル』の若きエースとして君臨する新進気鋭のイムカと全力で模擬戦闘なんてしたらただで済むはずがない。いや、そもそもイムカの目が物語っている。猫科類のような鋭い瞳が『お前を狩るぞ』....と。

もはや命の危険すら感じる。

助けを求めてラインハルトを見るが、

乙女の純情をからかった報いである。

甘んじて受け入れろと視線で語るラインハルトに絶望した顔のオッサー。

 

窮地に立たされた自業自得の副官を無視してラインハルトは幼い少女を見る。

 

「ニサ。なぜ俺のことをお父さんと呼ぶんだ?」

「ん~?だってニサとお母さんの事守ってくれるんでしょ?だからニサのおとうさんなの!」

 

ニサの言ったことは簡潔にして明快だった。

なるほど間違ってはいない、確かに俺は二人を保護すると決めたのだ。だったら俺はニサにとっておとうさん(守る者)という認識にあるのだろう。あるいは父親という存在自体がニサにとって曖昧なものなのだろうか。

 

「おとうさんじゃないの~?」

 

気が付くとニサは泣き出しそうな目でラインハルトを見上げていた。今にも可愛らしい目から大粒の涙が流れだしそうだ。

 

「いや、俺はニサのおとうさんだよ。好きに呼ぶといい」

「わ~い!」

「殿下!?」

 

微笑みながら承諾するラインハルトにセルベリアが驚愕の声を上げる。

顔には本当によろしいのですか?と書かれていた。

 

「かまわないさ。子供の言葉を叱りつけて強制させるほど狭量ではないつもりだ」

「いえ、ですが御身は帝国の第三皇子なのですよ!いくらなんでもダルクス人が親呼ばわりするのは些か外聞が....」

「――第三皇子?」

 

あっとセルベリアが振り返れば驚愕に表情を歪ませるエムリナの姿が映る。

 

「や、やはり貴方様はラインハルト皇子なのですか....?」

「.....そういえばまだ正体を明かしていなかったな。まあ伝えるには丁度いいだろう。ああ奥方、俺がラインハルト・フォン・レギンレイヴ。帝国の皇子兼このニュルンベルクの城主にしてハプスブルクの領主を務めさせてもらっている。以後よろしく頼む」

「ふぁ!?あ、あわわわ!今までの無礼の数々をお許しください皇子様!」

 

薄々感づいていたラインハルトの正体は自分なんかが簡単に喋りかけるのも恐れ多い。正に天と地ほどの差が存在する帝国の皇子なのだ。エムリナが混乱の極地に至るのも仕方ない。乗馬していなかったら直ぐにでも跪きそうな勢いだ。

 

「いい、かしこまることはない。畏れられるために俺は貴方を旅の共にしたわけではないのだからな」

 

手で止める仕草をしてラインハルトは言う。

 

「今までどおりで構わない」

「......はい」

 

徐々に落ち着きを取り戻すエムリナから視線を変えてセルベリアを見る。

 

「セルベリアよ、俺がもしダルクス人だったとしたら。帝国の皇子という位を剥奪されたら。お前は俺を見限り俺の元を去るか?」

「ありえません!そのようなこと断じて!例えあなたが何者であろうと私はあなたに仕えますっ」

「そうか。であれば俺の外聞など気にするな。何と呼ばれようと俺は俺だ。帝国の皇子であろうとダルクス人の親であろうと俺は何も変わらないのだから」

「はっ申し訳ありません!」

 

馬上にて(こうべ)を垂れるセルベリア。その肩にそっと触れる。

 

(おもて)を上げよセルベリア。俺はお前の忠心を嬉しく思う。お前だからこそ、そう思うのだ。他でもないお前だからこそ」

「で、殿下....!」

「俺もお前がヴァルキュリア人だから傍に置いているわけではない。お前だからこそ俺の隣にいてほしいと、そう思うぞ」

「勿体ない御言葉ですっ!」

 

感極まったセルベリアの頬が上気するのを見て、ふっと笑みを浮かべると馬首をニュルンベルクに向けて返した。

 

「さあ、思いのほか時間を取ったが......凱旋するとしようか」

 

「大将がお帰りになられるぞー!お前ら道を開けろォオオオ!!」

「応!!」

 

平原に敷かれた黒い絨毯がラインハルトの進みと共に道が開かれていく。

のべ五千人もの帝国兵士達が白馬に跨るラインハルトに忠誠を示すよう敬礼をしながら並ぶ様は圧巻の一言に収まり切らない。

右を見ても左を見ても屈強な兵士達が立ち並び自分達の為だけに道を作るのだ。その光景にエムリナは眩暈すら覚えていた。

 

「これは現実なの....?」

 

凡そ現実とは思えない光景にエムリナの本心が漏れるのだった。

 

 

 

 

 

 

★       ★        ★

 

 

 

 

ニュルンベルクの街並みの印象は風情ある石畳の溢れた街と云う感じである。古めかしいと言ってもいいかもしれない。

しかしその一方で目を凝らせば沢山の機械や人工的に作られた光が視界に映る。例えば上を見上げれば赤焼けた空にネオンの看板がチカチカと輝き、人々を誘う誘蛾灯のように街中を彩っているのだ。

大通りには多数の自動車が行き交っていた。

そして自らも車中の人となっているエムリナは初めての乗車経験に少しだけ感動していた。実はエムリナは今まで車に乗ったことがなかったのだ。これを聞いて驚く人が意外に多い。

人に聞けば全員が全員ダルクス人はみんな油に塗れて機械を弄っているというイメージを持っているようだがそんなことはない。工業系の仕事をしたことのないダルクス人なんて大勢いる。現にエムリナは一度もスパナなんか持ったこともないのだから。

 

だからこそ考えを巡らせるのはこれからの自分の働き場所だ。

どこで働くのか皆目見当もつかない。

 

女性ダルクス人が働く場所と云ったら武器や兵器の部品組み立てだったり兵隊の軍服を作るお針子さんとかだろうか?

それだったらいいのだがいきなり戦車の整備をしろなんて言われても自分にはちんぷんかんぷんである。不安は尽きない。

耐えきれずに前の席に座るラインハルト皇子に訪ねてみることにした。

 

「あ、あのう....よろしいでしょうかラインハルト様....?」

 

今この車中には前部の運転手を除いて四人の男女が座っている。運転席とは完全に隔離してある個室のような室内だ。

前にラインハルトとニサが後部席にセルベリアとエムリナが向かい合うように座っている。機械に疎いエムリナの目から見ても高級そうな造りの車だ。

ちなみにこれまで乗って来た馬二頭は入口に設置されていた検問所の兵士達に預けている。そのまま皇子専用の馬舎に連れて行かれるのだという。その時にラインハルトは愛馬の鞍に取り付けていた革袋を手に取っていた。袋の歪みから円盤状の物が入っているのだと察することが出来る。それを大事そうに持って待機していた黒塗りの車に乗り込み今もラインハルトの横にそれはある。ニサが興味津々といった眼差しで見ていた。

 

「なんです?」

「えっと、私の働き場所のことなんですがどのような所なのかお聞きしてもよろしいでしょうか」

「ふむ、そうだな....」

 

ラインハルトは視線をエムリナからずらし窓の外に移る光景に目を向けた。

 

「時に奥方。この街をどう見る?率直な感想を聞かせてほしい」

「え?あ、はい。.....とても活気のある街だなあと思います」

「他には?市民たちを見て気づくものはあるか」

 

言われてエムリナも窓の外に映る光景を眺める。多くの人々が行き交う姿が見える。買い物帰りだろう主婦や遊んでいる子供、労働者の男達。特に変わったものはないように思えるが、

 

「.....あ!そういえばダルクス人が多い気がします。工業都市だからでしょうか?」

「そう!そこだ。奥方は今、工業とダルクス人を結びつけましたね、なぜです」

「それは....ダルクス人は昔から機械作りに精通しているからです」

「ああ、その通りだ。過去の歴史から見ても名のあるダルクス人はみんな技術者達だった。だがそれは『ダルクスの災厄』以降からの事だ。それ以前は彼らにも多くの職があり携わっていた者達は数々の偉業を残している」

「そうなのですか!?」

「本当だ。帝都の古い文献に書かれていた。災厄の重荷を背負わされたダルクス人は本来の選択肢を(せば)められて今に至る。だが俺はこの世界に蔓延る悪習を壊したいと思っている。彼らにも職業選択の自由を与えたいのだ。今やニュルンベルクに住むダルクス人は工場のおかげで多くなった。いや、多くなり過ぎた。自慢じゃないが近年移住する者達が増大したことで働き口である工場だけでは雇用が間に合わなくなっているんだ。新しい工場も建設させているがそれでも足りないだろう。別の受け皿が必要だ」

 

ラインハルトの語る事実はダルクス人であるエムリナをして初めて知ることであった。

孤児院から脱却したかった幼い頃のエムリナは勉学に励んで歴史についても学んでいる。だがそこで教わる多くがダルクス人は古代から工業化学が盛んな民族であるとしか先生たちも教えてくれなかったのだ。恐らく世界中がそう教えているはずだ。だからこそダルクス人は工業という流れが出来てしまっているのだ。

確かにそれは世界に広がる悪習と呼んでも云いだろう。なぜならその悪習のせいでダルクス人は他の仕事に(たずさ)われないのだから。

だからこそ、それを壊すと断じたラインハルトの言葉にエムリナは驚きを隠せない。

 

「ゆえに、まずは貴方がその先駆けとなってくれればと俺は思っている」

「......はい?」

 

首を傾げるエムリナに向かってラインハルトは言った。

 

「奥方よ、俺の専属侍女をやってみないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――

 

 

 

侍女に連れられて城内に入ると其処は寝物語りに聞く話し通りだった。

煌びやかなシャンデリアが頭上に輝くホールに、二階に続く細かい装飾が散りばめられた大階段。

一つの絵画を切り取って出来上がったような光景に感嘆の声をもらす。

 

「すごい...」

「ニュルンベルク城は古代から存在する帝国の中でも一等に古い城の一つだ。中に入るのはもちろん内装を見れたダルクス人はイムカを除けば奥方達が初めてだろうよ」

「イムカさんというのは先程の?」

「ああ、彼女にも入城許可を出しているから、いつか会うかもしれないな仲良くしてやってくれ」

 

そう言ったラインハルトの右手にはやはり革袋が握られていた。

 

「は、はい....」

 

なぜか凄く怖い目で見ていた少女の姿を思い出し少しだけ気後れするエムリナだった。

と、そこに女性が廊下の奥からやって来る。後ろには侍女たちを引き連れてだ。

楚々とした黒髪に優しそうな顔立ちの彼女は侍女服を完璧に身に纏っていた。

 

「お帰りなさいませ旦那様」

「遅れてすまない皆には心配をかけたみたいだな」

 

エリーシャ・ヴァレンタイン。それが彼女の名前だ。ニュルンベルク城の侍女達を統括する侍女長の役目を負っている。しかしそれだけではない、彼女にはもう一つ裏の顔があった。

泣き黒子(ぼくろ)が蠱惑的な彼女はゆっくりと頷くと、

 

「はい、お話しは後で皆様が集まってから致しましょう。そちらの方々はお客様でしょうか?」

「いや、彼女達はこの城で預かることにした。母親のエムリナと娘のニサだ。ここで働かせてやってほしい」

「侍女にですか」

「そうだ。俺の専属侍女にしようと思う」

 

その言葉にざわざわと後ろの侍女達がざわつきだす。みなが一様に驚いた様子だ。

 

「お静かに」

 

それだけでピタリと静まり返った。

エリーシャの優しそうな目が細まる。途端に不可視のプレッシャーがエムリナを襲った。

 

「っ!」

 

エムリナの背筋を悪寒が走る。

なにか恐ろしい猛禽類に睨まれているような錯覚に陥ったのだ。

部屋の気温が一気に下がったような気さえする。

 

それでも、エムリナはエリーシャの目から視線を外さなかった。顔色を悪くしながらも必死に耐えている。

 

そして、ふっと笑みを浮かべたエリーシャ。するとあのプレッシャーのような威圧感が嘘のように晴れる。

 

「わかりました旦那様。彼女の事は私達にお任せください、立派な侍女に教育してみせますわ」

「そうか、そう言ってくれると思っていたぞ。ではエムリナ達の事は頼んだ、別館に住む部屋も用意してやってくれ」

「かしこまりました」

 

恭しく礼をするエリーシャに満足気な表情で頷くとまだ少し顔の青いエムリナを見る。

 

「すまないな。今のはエリーシャなりの試験なんだ。彼女から合格点を貰えるのは凄い事だよ、やはり俺の目に狂いはなかったようだな」

「は、はあ....」

 

次にラインハルトは自分の足にしがみつくニサを見て、

 

「ニサ、このお姉さん達に付いて行きなさい」

「えー?おとうさんと一緒がいいな~」

 

またもや侍女たちがざわつきだす。本来、教育が行き届いた彼女達がこうまで動揺を見せるのも珍しい。

エリーシャがふらりと彼女達を見返す。

すると面白いぐらい静まりかえる侍女達。

 

「これから何度だって会えるさ。だから今は新しい部屋もあるから見て来るといい」

「ほんとおー!わかった!」

 

新しい部屋と聞いて目をキラキラさせるニサに微笑んで、またエムリナを見る。

 

「後の事は彼女達に聞くといい。ではな....」

「ええ!?ラインハルト様っ」

 

そう言って立ち去っていくラインハルト達に別の意味で顔を青くするエムリナ。

待ってください!こんなところに一人にしないでください!

そんな感情がアリアリと顔に書かれていた。

 

「フッ、大丈夫だよ奥方。貴方ならきっと大丈夫、俺が保障する」

 

階段を上がりながらの言葉に「全然大丈夫じゃありません!」と言ってやりたいエムリナだった。

ラインハルト様ーっと手を伸ばすも侍女達が防波堤のようにそれを遮る。

 

「それではこれからよろしくお願いしますね、エムリナさん。未熟ながら指導させていただきますわ」

「......お手柔らかにお願いします」

 

これからどうなっちゃんだろ?

その思いに答えてくれるものは誰も居ない。

エムリナの波乱の生活は幕を開けたばかりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★        ★         ★

 

 

 

 

上階に上がったラインハルトはセルベリアを連れて自らの部屋に戻っていた。

一週間前、帝都に旅立ったあの日から何も変わっていない。

簡素な部屋を見渡す。書類の置かれた机と革椅子、その後ろの壁画に掛けられた螺旋模様の短槍を眺める。

 

「久しぶりの感覚だな、あれから一週間が経っているからか。まさかこれ程に時間が空くとは思わなんだな」

「私の所為です、私が殿下を守り切れなかったばかりに....」

「よい。あれは俺の考えが甘かっただけのこと、自業自得だ」

「ですが.....っ!」

 

俯くセルベリアの顎をついと指で上げるとその美しい紅い目を捉える。

 

「悔いるのはいい、それを糧にして強くなり俺を守れ。頼りにしているぞセルベリア」

「はい....殿下」

 

うっとりとするセルベリアの朱い唇を親指でなぞると、ぷにぷにとした感触が伝わる。ここに口づけすればどれほど気持ち良いだろうか。

一瞬そんな誘惑に駆られたがラインハルトは指を離すと背中を向ける。

 

「あっ.....」

 

名残惜しそうな声をもらすセルベリアの前でラインハルトは執務机に周り、持っていた革袋の中から入っていた物を取り出す。

 

「これからも頼りにしている。だからこそコレを帝都の宝物殿から持ち出したのだから」

 

それは螺旋を描いた一つの盾で、壁に掛けてあった巻貝のような短槍と対になるような形状をしていた。

手に取った盾を壁に掛けて壁画が完成する。壁には古代ヴァルキュリア人を模したレリーフがありヴァルキュリア人が槍と盾を持つようになっているのだ。

 

「ようやくもう一度『ヴァルキュリアの槍』と『ヴァルキュリアの盾』がこの城に戻って来たな」

「はい、殿下」

「この槍と盾が揃うのはあの初陣以来か....」

「そうです、あの時に私はヴァルキュリアとして覚醒しました。そして.....」

 

あなたを守りきれなかったのだ。

鉄と錆の味を思い起こさせる苦い記憶に、セルベリアはもう一度あの日の誓いを胸に刻む。

 

「セルベリア?」

 

その場で跪くセルベリアに疑問の声をこぼすラインハルト。

 

セルベリアは神に祈るシスターのように敬虔な雰囲気を漂わせて言った。

 

「この命に賭けて貴方を守り抜きます。貴方に頂いた名前。そして槍と盾に誓い、主人の敵をことごとく一掃してみせましょう」

 

主人を守る事に二度失敗した。三度目はない。

 

もし、その時が訪れるとしたら、それは私が死んだ時だけだ。

 

強く、そう誓うセルベリアだった。

 

 

 


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