その日は血のように紅い夕日の赤焼けが映える空で。
――そこは戦場だった。
辺りを見渡せば戦場に広がるのは立ち込める硝煙と血と鉄の混じった匂い。
そして大勢の帝国兵の死体。
破壊しつくされた兵器や戦車の残骸が散らばっていた。
ああ、そうかまたこの夢か....。
理解した瞬間、ラインハルトは戦場の真ん中に立っていた。
久しく見ていなかったが何度見ても酷い戦場だ。
多くの死と嘆き絶望が溢れている。
感慨深く眺めていたラインハルトは視線をとある方に向けて、ゆっくりと歩き出す。
微かに遠くの方で、
「―――.....か!」
生ける者の居ないこの地で誰かの声が聞こえる。
「――――を開けて、お願いだから!」
それは知ってる声だった。若い少女のもので、
「あなたが居なくなったら.....わたしはどうすればいいのですかぁ....」
その声には悲痛な感情が込められている。
「ううぁああ....ああアアア.....!」
銀髪の少女が泣いていた。
傍には螺旋模様を模した巻貝形の矛と、対になる盾が転がっていて、
少女は大人に成り切れていない未成熟な体に誰かを抱きかかえている。
「目を開けてください.....殿下ァ!」
その誰かは幼い少年だ。今よりもずっと幼い姿のラインハルトが瞳を閉じて倒れている。
まるで死んでいるかのようで。周りに倒れている兵士達と大差はない。
その光景を黙って見ている俺は。
....ああ、また泣かせてしまったな。
と、そう思い。
地平線に消える夕日だけが黄昏るラインハルトの様子を眺めていた。
――――――――――――――――――――――――――――――
「.....知ってる天井だ」
昇る朝日の光で目を覚ましたラインハルトは覚えのある天井をボーっと見上げていた。
見覚えのある木目調の天井を眺めているとデジャヴを覚えた。
なぜか、もう遠い日の出来事の様な気分だが.....。
そこでふと目線を横に向ける。
目線を向けた先には生まれた姿の絶世の美女が.....居なかった。
少し残念な気持ちになりながらラインハルトは起き上がる。
「なんだ?体が重い....」
自身の体の不調に気付いた。体が鈍く気怠い気分に自分の体であることながら戸惑いを覚える。
だがそんな思いは次の瞬間ある事に気付いたことで消え去る。
「生きているのか.....俺は」
自分が未だ活動していることに今更ながら気づいた。
抑えた手から心臓の鼓動が確かに聞こえる。
あの手練れ達との戦いでよくも生き延びられたものだ。
昨日の事を思い出しながら押さえていた手をふっと離す。
気怠い体に喝を入れて立ち上ると部屋を見渡す。
ここはやはり村長宅の部屋に相違ないな。
さて、あれからどうなったのか?
確か敵の攻撃を受けて気を失った後に一度目を覚ましたらセルベリアが泣きそうな顔で俺を見下ろしていたな。先ほど見た夢の様に....。
嫌な夢を見たとばかりにラインハルトは頭を振る。
と、その時―――
ドアがコンコンと叩かれた。それを無言で見ていると、ややあって「失礼します」と云う声と共に扉が開かれた。
扉の先から蒼い髪の美女――つまりセルベリアが現れた。
紅い瞳が蒼氷色の瞳と合う。
一瞬大きく見開かれた瞳。セルベリアの息を吞む音。
それまでどこか憂いが込められた瞳にみるみる生気が宿りだすと、
「――殿下!」
感極まってしまったと云うようにラインハルトに向かって飛び込む。
「おぉっ....?」
咄嗟に受け止めたラインハルトだったが思うように力が入らずそのまま後ろへ倒れ。
「ああ!?申し訳ございません!殿下っ」
図らずもセルベリアはラインハルトをベッドに押し倒す形になってしまう。
慌てた様子であわあわしながら顔を赤くするセルベリアは直ぐに離れようとするが、
背中に回されたラインハルトの腕によって拘束される。
「いや、このままでいい....」
ラインハルトは確かめるように抱擁する。押し付けられるセルベリアの胸からドクンドクンと熱い鼓動が脈打つのを感じる。
その音が確かに俺達は生きているのだと教えてくれる。
あれが今生の別れになっていたかもしれないと思うと確かめずにはいられなかったのだ。
それからもずっと感無量とばかりに背中を撫でていると、セルベリアがふるふると震えているのに気付く。見れば目の端に涙が溜まっていた。
「どうした?」
「殿下が....死んでしまうと思って...ずっと目を覚まさないから。だから嬉しくて...!」
詳しく聞いたところによると、どうやら俺は毒を受けていたらしく覚えていないが生死の境を彷徨っていたらしい。
回想するとこんな感じだ。
★ ★ ★
気を失った後、蒼褪めたセルベリアは必死に呼びかけるが段々と発熱し始めるラインハルトの体に異変を感じ取る。
「こんなに汗が止まらないのはおかしい...何か異常だ....これは、まさか毒!?」
昔滞在していた戦場で似たような症状を受けた兵士を見たことがある。
すぐにラインハルトの体を調べると左腕に深い傷口が見つかった。この傷口から毒物が入った可能性が高い、セルベリアは傷に口を付けて毒を吸い上げる。
ジュルっと血を含むと地面に吐き、それを繰り返す。これは経口接触によりセルベリアにも毒が入る危険性があるが気にした様子もなく処置を進める。
腰に巻いているベルトを取って腕に巻き圧迫する。
これで応急処置は終わり。
しかしこれ以上の治療が必要だと考えたセルベリアは辺りを見渡す。村の男達を捉え。
「この村に医者はいないか!」
問いかけられた男達は一瞬ビクッと肩を震わせた後。
「いえ、いません!」
首を横に振って答える。
こんな小さな村に滞在してくれる医師などいない。麓の町に行くしかないのである。
「....そうだ」
何かに気付いた様子のセルベリアは急いで駆け出す。刺客達の亡骸に近づくと装備や持ち物・衣服に至るまで物色し始める。
毒を使う手合いならば解毒剤を持っているかもしれないと思ったのだ。
だが、しかし....。
「クッ....!」
それらしき物は見つからない。
絶望的な状況に歯を食いしばり悲痛の表情になるセルベリア。
「どうすれば.....どうすればいい!?」
この時、懸命に考えを巡らせるセルベリアの一方で村の中にぞろぞろと村人達が戻り始めていた。
伝説の救世主ヴァルキュリアの登場に湧いていた村人達は、そのまま導かれるままに村へと足を進めていた。もう村は救われたのだとある種の確信をもって。
村人達は敬虔なユグド教徒であった。
実際に山賊達が全滅している光景を目撃するとワッと歓声が上がる。
やはり彼女こそが自分達を救ってくれる存在だったのだと。
そこに、
「誰か町に行って医者を呼んできてくれ!」
遠巻きに見ていた村人たちに男が近づき声を掛ける。その男はラインハルトによって助けられた本来であれば毒塗りのナイフを受けていた筈の男だった。
ラインハルトが毒を受けた事を知り、自分の身代わりとなった命の恩人の為に動いたのだ。
「なにがあったんだ?」
「軍人さんが毒を受けちまったみたいなんだ。だから解毒剤がいる」
「町まで行くとなると半日以上かかるぞ大丈夫なのか.....?」
あっと呻き声を上げる男。間に合わないかもしれない。そう云う意図が込められていた言葉に沈痛な面持ちになる。
「....あ、薬師のばあ様なら解毒薬作れるんじゃ」
誰かがポツリと言った言葉にセルベリアは反応した。
「それはほんとうか!?」
「っ!?は、はい!えっと村一番の薬の名人なんです。時折街にも卸しに行ってたりして....」
「その人を連れて来てくれ!」
「分かりました!」
大急ぎで走る村人。
程なくして一人の老婆が連れてこられた。腰を悪くしているのか杖をついてひょこひょこと歩き。セルベリアの前までやって来る。
「おお、ヴァルキュリア様..この老骨めに何か御用だとか?」
何故かセルベリアのことを敬称を込めて呼ぶのだ。杖がなかったらその場で拝んでいたかもしれない。
「あなたは解毒の薬を作ることができると聞きました。その力をお貸し願いたいっラインハルト様を助けてくれ!」
「なんと毒ですとな。しからば失礼....」
ラインハルトの前で屈みこむと触診を始める。ラインハルトの容態を確認して、セルベリアに振り返る。
「どうやら致死性の毒ではないようですが。直ぐにでも毒の治療を始めなければ。このまま悪化すれば命に関わるやもしれませぬ」
「どうすればいい!?私にできることがあれば言ってくれ!」
「裏山にハプルシュと言う毒草が群生しておりますじゃ。それを摘んできてほしいのですが」
「ど、毒草を治療に使うのか....?」
毒の治療に毒草を使って大丈夫なのか?不安そうなセルベリアにほっほっほと笑い声を上げる老婆。
「毒は転じて薬にも使えるもの。逆もまたしかり、時に薬も転じて毒となる。薬草学の初歩ですじゃ」
「.....分かった。ハプルシュを取ってくればいいんだな?」
「はい。この症状は前に診たことがあります。処置しなければ死んでしまいますがそれほど強い毒ではありません。この毒を作った者は自生して簡易に取れる植物だけで解毒できるよう作ったのでしょうな....」
なるほどそうか。万が一にも解毒剤が無くなれば本人も危険な代物となる。なので簡単に解毒薬が作れる必要性がある。だったら簡単に手に入れる事のできる植物である方が都合が良い。
知識さえあれば毒も薬もつくれるのだから一石二鳥だ。
その分毒の威力は弱まるが、もしかしたら刺客の本来の用途は暗殺ではなく。要人誘拐や仲間の支援に使っていたのかもしれない。
「わかった。直ぐにとって来る!」
そうして、無事にハプルシュを摘んできたセルベリアは老婆に渡し、解毒薬を作ってもらい。それをラインハルトに飲ませたらしい。
薬の効果もあったのかラインハルトの容態は安定に向かい昏睡状態に入る。
セルベリアは付きっ切りで看病をしてくれていた。
教えてもらって驚いたが実に五日間もの間、俺は眠っていたらしい。
それだけ寝れば体も気怠く鈍るだろう。体の変調にも合点がいく。
その後もセルベリアの事後報告は続いた。
俺が眠っている間に村人達はセルベリアを崇拝し始めたことや、俺と一緒に戦っていた男達は重症を受けた者もいたらしいが全員が生きているという事。それには俺も驚き安心する。
ヴァルキュリア化したセルベリアを目撃したなら仕方ないことだろう。あの状態のセルベリアは神秘に溢れ女神を連想させるのだから。
よかった、生きていたか。守り切る余裕がなかったから覚悟はしていたのだが全員が生き延びているなら奇跡と言って云いだろう。
それぞれにそんな感想を抱きながらセルベリアの報告を聞く。
ちなみに抱擁は報告の前に解いて、今は部屋の真ん中に立つセルベリアと面と向かい合っている。
「.....そして件の刺客達のことですが。やはり....」
「ああ、帝国の手の者が俺に仕向けた暗殺者集団だろうな」
装備や服装を一見山賊の様に野卑な格好に扮していたが明らかに戦闘のスキルが違いすぎた。
「はい、倒した後何人か生かしておいたのですが、悉く自決した模様です。高い調練を施されていました」
「そして主犯格は逃げおおせたか....」
「申し訳ございません」
「いや、リアを相手にして生き延びたのだ。恐ろしい程の戦術家だということが分かる.....それに俺が上げた狼煙を見て駆けつけて来れたのだろう?謝るべきは俺のほうだ。許せ」
「殿下が謝ることはありません!殿下が無事でいてくれた事が何より最も重要なのですから....!」
それが絶対の理だと云うようにベッドの端に腰掛ける俺に向かって言う。
「まあ目途も立っている。恐らくは兄上に属する貴族のいずれかだろう」
「マクシミリアン皇子とフランツ皇太子ですか」
「ああ。マクシミリアン兄上の可能性は低いが.....約束もあることだしな」
「約束....?」
「お前にとっても無縁ということではないな」
というより当事者になるかもしれん。その時がきたら言うつもりだが、もしかしたら拒否されるかもしれん。
今から口説き文句を考えておかねば....。
「はあ......?」
何のことか分からず不思議そうにしているセルベリアに俺は立ち上がって言った。
「さて、六日も滞在してしまったのだ。予定よりだいぶ遅れてしまったが....帰ろう。ニュルンベルクに....」