戦国御伽草子 殺生丸   作:HAJI

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第八話 「犬神」

「お、お待ちください殺生丸様!?」

 

 

息も絶え絶えに訴えながら邪見は必死に主である殺生丸の後ろについていく。対して殺生丸は全く気にするそぶりなく進んでいくだけ。はたから見れば殺生丸が歩いているのに勝手に邪見が付いて行っている様に見えるだろう。だがそれがいつもの光景、この二人の主従関係。

 

 

「殺生丸様……本当に犬夜叉を置いてきて宜しかったのですか? てっきり連れ戻すのだとばかり……」

 

 

ようやく追いつき、人頭杖を支えにしながら自らの主である殺生丸様に恐る恐る尋ねる。それは先ほど再会した犬夜叉のこと。今朝、突然殺生丸様は自分を置いたままどこかに行ってしまわれた。それ自体は珍しいことではないのだがその行先に犬夜叉がいたことには驚いたが逆に納得した。殺生丸様は臭いで犬夜叉が復活したことに気づかれたのだと。

 

 

(ああ……やっぱり答えて下さらない……)

 

 

だが殺生丸様は何も答えて下さらない。間違いなく耳には届いているはずなのに全く聞こえていないかのように無視してしまわれる。その変わらぬ後ろ姿から漂う高潔さに惚れ惚れしながらも、いつも通りの対応に肩を落とすしかない。そう、これはいつものこと。自分の問いかけに応えて下さることの方が稀なのだから。

 

 

(これもそれも元々は犬夜叉のせいではないか……! 全く、わしがどれだけ迷惑しておるか……見た目はでかくなっても中身が全く変わっとらんわい!)

 

 

思い出すのは犬夜叉の事。ようやく復活したかと思えばあの振る舞い。あろうことか殺生丸様に挑みかかり、悪態をつく始末。もっともこの国で殺生丸様に喧嘩を売るなんて恐ろしい真似ができるのは犬夜叉ぐらい。

 

 

(まったく……小さい頃は兄上兄上と殺生丸様の後ばかり追っておったくせに)

 

 

今でも鮮明に思い出せる。幼い犬夜叉がまるで金魚の糞のように殺生丸様の後ばかり追いかけていたのを。それがあんな風になったのはいつからだったか。犬夜叉が殺生丸様のことを殺生丸などと呼び捨てになるようになった瞬間の殺生丸様の顔は今でも忘れられぬ。恐れ多いにもほどがある。

 

それはともかく色々あったが一安心できた。どれだけわしが心配……ではなく、殺生丸様がご心配されていたか。そのせいで自分は犬夜叉の封印を解くために巫女を探すよう殺生丸様に命じられてしまったのだから。

 

 

(危うく、わしが滅せられるところじゃったわい……)

 

 

今思い出しても背筋が寒くなる。何度見つけた巫女に殺されかけたことか。犬夜叉の封印を解く前に自分が滅せられかねなかった。妖怪である自分の話を聞いてくれる巫女などいるわけがない。だがそんな巫女たちも殺生丸様の名を出せば話は違った。

 

 

『犬神』

 

 

それが殺生丸様の通り名。その名の通り神の如き強さを持つ殺生丸様を畏怖した人間や妖怪たちがつけたもの。しかし、もう一つの意味合いがそこには込められていた。

 

曰く、犬神に認められれば死や病から救われる。

 

一振りで百の命を救うとされる天生牙。御母堂様曰く慈悲の心を手に入れ、天生牙を極めた殺生丸様は死者を蘇らすことはもちろん、病や怪我を癒すことすら容易い。まさに神に等しい御力を持っておられる。

 

殺生丸様からすれば邪魔なあの世の使いを斬っているだけらしいが、それに救われた者たちによってそんな噂が広がってしまっている。真に恐れ多いことこの上ないが、そのせいで一部の人間たちには殺生丸様は崇め奉られている。そのおかげもあり、巫女たちの協力を得ることができたのだから助かったのが。

 

 

「そ、そういえばなぜ犬夜叉は目覚めて……?」

 

 

ようやくそのことに思い至る。そう、巫女たちの協力を得ることはできたものの、結局犬夜叉の封印は解くことができなかった。何でもその封印は並の巫女では束になっても叶わないような強力なもの。封印した本人でなければ解くことは叶わないだろう代物。そんな封印がなぜ。

 

 

「気づいていなかったのか。あの場にいた女が巫女だ」

「は? あの面妖な格好をした人間の女がですか……!?」

 

 

知らず口に出てしまったのか、それに対して殺生丸様がお答えになって下さる。どうやらあの時一緒にいたあの奇天烈な格好をした女が巫女だったらしい。とてもそんな強力な巫女には見えなかったのだが殺生丸様がそう仰るなら間違いない。しかし

 

 

「っ!? し、しかし殺生丸様! それでは犬夜叉の奴、また封印されるようなことに」

 

 

なら尚更犬夜叉をお連れになったほうが良かったのではないか。あの犬夜叉のこと。また同じような目に遭うに違いない。狼狽し、そのまま元来た道を引き返そうとするも

 

 

「……同じことを繰り返すようなら、その程度だったということだ」

 

 

何でもないことのようにそう言い残しながら殺生丸様はそのまま歩き始める。その背中が余計なことをせずに付いてこいと告げている。それに感動しながらもようやく悟る。先ほどの犬夜叉とのやり取りの本当の意味。

 

 

(なんて言いながらも……なるほど、鉄砕牙を犬夜叉にお渡しになられたのもそういうことか。本当に過保護でいらっしゃる……)

 

 

犬夜叉に鉄砕牙を渡すため。その無事を確かめることもあったのだろうが、恐らくは犬夜叉が自分の身を守れるように鉄砕牙を渡すことが一番の目的だったに違いない。殺生丸様はあの時に鉄砕牙を犬夜叉に譲ることができなかったのをずっと悔いておられたのだから。もっとも素直に渡すことができない辺り、やっぱり二人は兄弟なのかもしれない。その慈悲の心を半分でもいいから自分にも分けてほしいと心の涙を流しかけた瞬間

 

 

まるで雷が落ちたような轟音と衝撃と共に無礼な来客が自分たちの前に現れた。

 

 

「よーう、久しぶりだな殺生丸」

 

 

頭をぽりぽりと掻きながらくたびれた老人。何度見てもふざけているが、こんなのがこの国一番の鍛冶屋などと未だに信じられん。

 

 

「刀々斎!? いつもいきなり現れおって! 無礼じゃと何度も言っておろうが!?」

「なんだ、まだ懲りずに付いて回ってるのか邪見。お前も物好きだな」

 

 

刀々斎は自分を見るなりそんな失礼極まりないことを言ってくる。付いて回っているのではなく、仕えているのだと何度も言っているのになぜ分からないのか。ついさっき同じことを犬夜叉にも言われたばかりだというのに。だが刀々斎はわしを無視したまま殺生丸様をじっと凝視している。殺生丸様自身ではなく、その腰にある刀たちを。

 

 

「なんだ、なんか足りねえと思ったら鉄砕牙がなくなっちまってんのか。てーことは、ようやく犬夜叉の奴に形見を譲ったってわけか。随分長い間かかっちまったな」

 

 

ようやく違和感に納得がいったのか、刀々斎は飄々とそんなことを殺生丸様に口にする。事情を知っているとはいえ失礼な事この上ない。文句の一つも言いたいが殺生丸様の前に出るわけにもいかずまごつくしかない。

 

 

「それで、お前なりに納得できたか、殺生丸?」

「……不要な刀を捨ててきた。それだけだ」

 

 

流石は殺生丸様。惜しげもなくそう告げる姿には全く虚栄はない。文字通り、殺生丸様にとって鉄砕牙は不要なものだったのだろう。譲ったのではなく捨てたの辺りにこの方の全てが込められているに違いない。

 

 

「相変わらず可愛げのない奴……うん? 殺生丸、お前あの鉄砕牙をそのまま犬夜叉に渡したのか?」

「…………」

 

 

思い出したかのように刀々斎はそう尋ねている。そういえばあの小細工……もとい仕掛けは刀々斎も一枚噛んでいた。そんな面倒なことをせずに犬夜叉に直接伝えればと口に出かけたものの慌てて口を噤んだのを思い出す。

 

 

「親父殿も大概だったが……殺生丸、お前の過保護っぷりはそれ以上だな。そんなところまで親父殿を超えなくてもいいだろうに」

「そんなことをわざわざ言いに来たのか、刀々斎」

 

 

流石の殺生丸様も我慢の限界が来たのか、爆砕牙の柄に手をかけながらそう告げる。余計なことをこれ以上口にすれば殺す、という意思表示。冗談では済まないところが殺生丸様の恐ろしいところ。慈悲の心が適応されるのはほんの僅かにすぎない。

 

 

「相変わらず冗談が通じねえ奴だな……刀を見てやるためだよ。前見たのはもう何年も前だからな。ほれ、さっさと爆砕牙と天生牙をこっちによこしな」

「ふん……」

 

 

呆れたようなような顔をしながらも刀々斎は要件を告げながらその手を晒す。刀の研ぎ直し、点検のために刀々斎はやってきたらしい。そういえば最後にしたのはもう何年も前だったはず。不機嫌さを見せながらも刀には代えられないのか、殺生丸様は腰にある二本の刀を渡そうとするも

 

 

『んあ? な、なんじゃ? 刀々斎、なんでお前がこんなところにおる?』

「なんだ鞘、お前またずっと寝てやがったのか」

「やけに静かだと思っておれば……鞘、貴様犬夜叉と会う前からずっと寝ておったな!?」

 

 

爆砕牙の鞘が突然目を覚まし、大声を上げ始める。いつもやかましいのに静かだと思っておれば鞘のやつ、ずっと寝ていたらしい。一応殺生丸様に仕える身でありながらなんたる怠惰。

 

 

『犬夜叉……? 犬夜叉の奴、家出からようやく戻って来よったのか? 全く反抗期というのは面倒じゃのう』

「いつの話をしておる!? 犬夜叉は五十年前に封印されておったろうが!」

『ん? おお、そうじゃったそうじゃった。いやー最近は物忘れがひどくなっていかん。で? 犬夜叉は家出から帰って来たのか?』

「だいぶボケが進んじまってるみてえだな、鞘」

 

 

意味不明なことを口走っている鞘に流石の刀々斎も呆れ切っている。寝ぼけているのもあるがボケているのがほとんど。これから先が思いやられる。

 

 

「これでよしと。ほれ、あんまり荒っぽく使うんじゃねえぞ、殺生丸」

 

 

そんなこんなで刀の研ぎなおしも終わり、二本の刀が再び殺生丸様の元に戻ってくる。爆砕牙と天生牙。破壊と再生という真逆の力を持つ刀たち。強さと慈悲を兼ね備えた殺生丸様を体現するような武具。もっともわしは優しさなんて知らないが。

 

 

「本当なら鉄砕牙も見たかったんだが、ないんじゃしょうがねえな」

「犬夜叉のところに行くつもりか」

「いや、今のあいつじゃ鉄砕牙を使いこなすのは無理だろ。赤布が解けたら会いに行ってみるさ」

 

 

相変わらずマイペースにへらへらしながら刀々斎はそのまま帰るつもりらしい。その言葉だけには同意できる。あの調子では犬夜叉が鉄砕牙を使いこなすのも殺生丸様の真意に気づくもずっと先だろう。ともかく用が済んだのならさっさと帰れと内心毒づくも

 

 

「待て、刀々斎。奈落、という名の妖怪に心当たりはあるか」

 

 

殺生丸様は刀々斎を呼び止め問いただす。今の殺生丸様の二つの目的のうちの一つ。

 

 

「奈落? なんだそりゃ?」

「殺生丸様が追っている妖怪の事じゃ。障気を放ち、様々な姿に変化する奴らしいがよほど逃げ足が速いのか、未だに姿形すら見つけられん」

 

 

奈落と呼ばれる妖怪。ただその名は耳にするものの一向に姿は現さない。この五十年、殺生丸様と共に探しているが、どこかに隠れているのかそれとも逃げ回っているのか。刀々斎が知っているとは到底思えないが殺生丸様も分かっていて尋ねられているのだろう。

 

 

「悪いが知らねえな。ただその奈落って奴には同情するぜ。お前に命狙われて追いかけられるなんて、ワシなら絶対に御免だな」

 

 

予想通りの答えを返しながらも、心底嫌そうにどこか実感のこもった嫌味を残しながら刀々斎は去っていく。最後の部分について心から同意するしかない。もし自分だったらと思うと生きた心地がしない。

 

 

「行くぞ。邪見」

「は! これ、犬夜叉、お前も付いてこん……」

 

 

思わずは反射的に後ろを振り返るもそこにはぴょんぴょん自分の後を付いてきていた幼子の姿はない。どうやら自分も鞘のことは言えないらしい。

 

 

「お、お待ちください殺生丸様!?」

 

 

気づけば置いていかれそうになりながらも邪見は走る。自らの至高の主の後に付き従いながら――――

 

 

 


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