戦国御伽草子 殺生丸   作:HAJI

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第七話 「遺言」

「わあ! すごーい!」

 

 

傍らにいる犬夜叉は目を輝かせ、興奮を隠し切れないのかぴょんぴょんとその場を飛び跳ねている。本当なら諫めなければならないのだが今は仕方ないだろう。私もまた、その光景に目を奪われておるのだから。

 

そこは異界だった。どこまでも続く岩山。見たことのない骨でできている鳥たち。辺りには霧が立ち込め、紫の光が無数に舞っている、幻想的な光景。それが黒真珠の先の世界。妖怪の墓場へと繋がるもの。言葉では分かっていても実際の目の当たりにすることでようやく理解できた。ここがこの世ならざる世界、あの世と呼ばれる場所なのだと。

 

けれど、それ以上に私にとっては、いいや、私たちにとってはこの場所は特別な場所だった。なぜなら

 

 

「大きいー……あれが父上なの?」

「……ええ、そうよ。あれがあなたの父上、闘牙王様よ」

 

 

視線の先には自分にとっては夫であり、犬夜叉にとっては父にあたる方の亡骸があったのだから。その大きさはとても言葉で表せるものではない。その大きさこそがあの方が大妖怪であったことの証。鎧を身に纏ったままの姿はその強さを体現している。それに比べて私たちのなんと小さきことか。

 

 

「母上……なんで泣いてるの? かなしいの?」

「……え?」

 

 

心配そうにこちらを見上げている犬夜叉の言葉によってようやく気付けた。知らず、自らの頬が濡れていることに。胸に浮かぶのはあの時の言葉。

 

 

『……生きろ』

 

 

生きて、生きて生き延びてくれ。その犬夜叉と共に――――

 

 

炎に包まれ、満身創痍の身体でありながら私と犬夜叉を救ってくれたあの方の遺した最後の言葉。

 

その言葉に従い、私は生きてきた。この犬夜叉と共に。母として、ただひたすらに。弱音など吐くことはできなかった。それはきっとあの方の想いを裏切ることになる。半妖であるこの子には、それ以上の苦難が待ち受けている。母である自分が強くなければ。そう信じ、駆け抜けてきた。生きてきた。それでも、流れる涙を抑えることができない。

 

 

(あなた――――ようやく、お会いすることができました)

 

 

この瞬間、ようやく私はあの方が亡くなったのだと、本当の意味で受け入れることができた。この三年間があっという間だったと感じれるほどに。ようやく私は、あの方のことを悼むことができた。

 

 

「大丈夫ですよ、犬夜叉。母は嬉しいのです。貴方と共に、この地へ訪れることができたことが」

「……?」

 

 

意味が分からず呆然としている犬夜叉の頭を撫でながらただ感謝する。恐らくは叶わないであろう願いをかなえて下さったこの方に。

 

 

「本当にありがとうございました、殺生丸様。無理なお願いを聞いてくださり、心から感謝いたします」

「…………お前たちなど関係はない。私の興味があるのはこの先だ」

 

 

横目でこちらを見つめていた殺生丸様はそのまま振り返ることなく歩き出してしまわれる。出会った時から変わらぬ所作。私たちを同行させてくれたのは気まぐれだったのか、それとも本当にどうでもよかったのか。真意は私には計れない。

 

それでもそこに確かな何かを感じながら一度深くその後ろ姿に頭を下げ、後をついて行く。その先は文字通りあの方の中。戦国最強と謳われたあの方の牙が眠る場所だった――――

 

 

 

「あれは……」

「ねえ、母上あれなに? かたな?」

『あれが鉄砕牙じゃ。普段は見てのとおり、ただの錆びた刀じゃが、担い手が持てば巨大な牙へと姿を変えるんじゃ』

「へー」

 

 

私の着物の袖をつかみながらも興味津々に犬夜叉は鉄砕牙に目を奪われている。そしてそれは私も同じ。私は犬夜叉と違い、あの刀を何度も見たことがある。それによって救われたこともある。曰く、人の守り刀であり、誰かを守りたいという気持ちがなければ扱えないとされる宝刀。けれど、その刀は今、持ち主を失いそこに封印されていた。刃が床に突き立てられた状態。ただ静かに、新たな継承者が訪れる時を待っているかのように。

 

 

「…………」

 

 

ただ静かに、殺生丸様は鉄砕牙を見つめ続けている。あれほどまでに追い求められていたものが目の前にあるにも関わらず。ただその瞳には今までは決してみられなかった揺らぎがある。ただ私にもはっきりと分かることがある。それは殺生丸様があの鉄砕牙の先に、今は亡き父の姿を見ているのだということ。

 

 

『っ!? や、止めんか殺生丸! 刀々斎から聞いておろう! 鉄砕牙には妖怪は触れることができぬよう結界が』

「黙れ」

 

 

鞘様の制止が合図になったのか、殺生丸様はゆっくりと、それでも真っすぐに鉄砕牙へと歩み寄っていく。ついに目の前にまで辿り着く。意を決したように目を細め、その右手で鉄砕牙を手にした瞬間

 

 

殺生丸様は閃光と共に、拒絶されてしまった。

 

 

「ぐ――っ!?」

「殺生丸様っ!?」

 

 

今まで表情を崩すことのなかった殺生丸様が苦悶の顔を見せながら鉄砕牙から手を放してしまう。いや、弾かれてしまった。まるで雷が落ちたような閃光と共に刀は自らに触れようとした殺生丸様を拒絶してしまった。

 

 

『いわんこっちゃない……おとなしくあきらめんか殺生丸。鉄砕牙は妖怪には扱えん。もう二本ももっとるんじゃし……』

「……ふざけるな。この殺生丸がたかが結界如きに」

 

 

鞘様の言葉に逆らうように殺生丸様は再びその手に鉄砕牙を掴む。しかし、同じように結界によって無数の雷がその手を払いのけようと襲い掛かっていく。その痛みによって殺生丸様は顔を歪めながらも歯を食いしばり、ただ抗い続ける。

 

その姿はただの幼子だった。犬夜叉と変わらないほど幼く、同時に純粋な願い。父を超えたい。認められたい。受け入れてもらいたい。ただそれだけ。

 

鉄砕牙と天生牙。二本の刀は共にあの方の牙から生まれたもの。それらは意志を持っている。自らに相応しい真の使い手を選ぶという意志を。いわば、あの方の遺志を受け継ぐ存在。だからこそ殺生丸様は鉄砕牙を求めている。鉄砕牙に認められるということはすなわち、父に認められることと同義なのだから。

 

その姿に私はかける言葉がない。そんなもの、私には初めからないのは分かっている。それでも父を求める子の姿に、それが報われてほしいと。息子である犬夜叉に遺された刀であっても構わない。だがそれでも鉄砕牙の答えは決まっていた。

 

 

拒絶。それがあまりにも残酷な、殺生丸様に突き付けられた答えだった――――

 

 

「ハァッ……ハァッ……!!」

 

 

ついに限界を超えてしまったのか、殺生丸様は鉄砕牙から手を放し、その場に膝をついてしまう。その掌は焼けただれ、直視できないほど痛々しいものになってしまっている。殺生丸様には似つかわしくない、あまりにも真逆な姿。それを前にして声をかけることは誰にもできない。何を言ったとしても今の殺生丸様にとっては侮辱、憐れみにしかならない。それが分かっているからこそ、私も鞘様も無言のまま。できるのはただ殺生丸様を見つめることだけ。そんな中

 

 

「あ、抜けた! このかたな抜けたよ母上ー!」

 

 

あまりにも無邪気で、残酷な犬夜叉の声がその場に響き渡った。

 

 

「犬夜叉……何ともないのですか……?」

「? うん、なんともないよ!」

 

 

恐る恐る尋ねるも、犬夜叉はきょとんとしているだけ。あるのは刀を抜くことができたという単純な喜びだけ。その姿に呆気に取られるしかない。妖怪ではない半妖だからか。それとも犬夜叉に遺された刀であるからか。鉄砕牙の封印ははあっさりと犬夜叉に解かれてしまった。そんな犬夜叉の姿に思わず背中に冷たい汗が伝う。子供である犬夜叉には自分の行いがどんな意味を持つが分かっていない。殺生丸様はただその場に膝をついたまま犬夜叉を見つめている。その胸中はいかなるものか。一瞬迷いながらもすぐさま犬夜叉から鉄砕牙を取り上げようとするよりも早く

 

 

「はい、これ!」

 

 

犬夜叉は自らの手で、鉄砕牙を殺生丸様に向かって差し出してしまった。

 

 

瞬間、時間が止まってしまった。殺生丸様も全く同じだったのだろう。心ここにあらずと言った風に鉄砕牙を差し出してくる犬夜叉の姿に目を奪われている。対して犬夜叉はどこか得意げに、純粋無垢な笑みを浮かべながら殺生丸様に向かい合っている。

 

 

「…………何のつもりだ」

「これあげる。兄上、これがほしいんでしょ?」

 

 

ただ当たり前のように犬夜叉は告げる。鉄砕牙をあげる、と。ようやく気付く。そう、犬夜叉にとっては鉄砕牙はただの錆びた刀でしかない。それを抜いてもってきたのはただ、殺生丸様が欲していたから。だから代わりに取ってきた。ただそれだけ。

 

 

「……ふざけるな。この私に情けでもかけているつもりか」

 

 

その事実に殺生丸様の瞳に怒りが浮かぶ。当たり前だ。殺生丸様から見れば情け、憐れみで刀を譲られたも同然。それはきっと殺生丸様にとってもっとも許しがたいこと。それを知ってか知らずか

 

 

「ううん。でもこれあげるから、かわりにぼくとあそんでほしいの」

 

 

犬夜叉はそう告げるだけ。この刀をあげるから、その代わりに自分と遊んでほしい。そんなあまりにも単純な、馬鹿げた理由。

 

 

「――――」

 

 

今度こそ、本当に殺生丸様は絶句してしまう。目は見開いたまま。まるでこの世の終わりを目にしたかのように。きっとそれは殺生丸様にとって同じくらい理解できない行動だったに違いない。

 

大妖怪である闘牙王の遺した刀。一振りで百の敵を薙ぎ払う牙。その価値はきっと一国に勝るとも劣らない。子供である犬夜叉にはその意味は分からずとも、その刀が自分に父が遺してくれたものだとは知っている。それに喜んでもいた。だが、それでも犬夜叉にとってはそちらのほうがずっと価値がある物だったのだ。

 

 

「……そうですね、犬夜叉。貴方にとってはその方が何倍も大切でしょうから」

 

 

刀よりも、自分と遊んでくれる兄がいることのほうが。

 

 

「殺生丸様、どうかお納めください。この刀はきっと、貴方様が持つ方が相応しいはずです」

「…………いらぬ。使えぬ刀など不要だ」

「いいえ、きっとこの刀はいつかあなた様を認めてくださるはずです。この牙は、あの方の牙なのですから」

 

 

意地を張られているのか、それとも本当に不要だと思っていらっしゃるのか。殺生丸様は犬夜叉から鉄砕牙を受け取ろうとしない。それでも半ば強引に犬夜叉の手を引きながらそのまま殺生丸様に鉄砕牙を手渡す。

 

そう、きっとこれでいい。あの人の思惑とは異なるかもしれないけれど、きっとこれが正しい選択だったと信じている。

 

その証拠に、もう結界は殺生丸様の手を傷つけることはない。犬夜叉が握っていたからかもしれないけれど、きっとほんの少しでも鉄砕牙が殺生丸様を認めてくださったに違いないのだから――――

 

 

 

「……眠っているのか」

「はい、今日は色々ありましたから。疲れてしまったんでしょう。まだ子供ですから」

 

 

黒真珠から現世へと戻ってくる頃にはもう犬夜叉は眠りこけてしまっていた。無理もない。きっとこの子にとっては一番忙しい日だったに違いないのだから。それでも私の背中で眠っている犬夜叉は幸せそう。良い夢を見れるに違いない。

 

殺生丸様はそんな犬夜叉の姿を無言のまま見つめている。出会った時とはその視線が違う。きっと、この子の理解できない行動に戸惑ってしまっているのだろう。覇道を、力を求める殺生丸様にとって犬夜叉の行動は理解の外にあるものだったに違いない。

 

そんな犬夜叉の顔に夕日が差してくる。もうじき刻限。そうなればもうこの出会いは終わり。それを前にして、ただ想う。きっと、あの時の闘牙王様もこんなお気持ちだったのだろうと。そのまま

 

 

「殺生丸様……お願いがございます。どうか、この子を導いてやってはいただけないでしょうか?」

 

 

恥を承知でただ己の心の内を吐露する。これまで誰にも言うことができなかった。母としての、子を想う遺言。

 

 

「なんだと……?」

「……私は人間。遠からず、この子を残して逝くでしょう。ですがこの子は半妖。人間にも、妖怪にもなれない。受け入れられることはないでしょう」

 

 

半妖である犬夜叉は遠からず、その運命を辿るだろう。人間にもなれず、妖怪にもなれない。差別、忌避、迫害。負の感情にとらわれてしまうかもしれない。この世を恨むほどに。この三年で私も、犬夜叉の身をもって味わっている。人間と共に暮らすことはできないのだと。共に生きていける自分もまた、先にいなくなってしまう。なら

 

 

「犬夜叉に……妖怪として生きる道を、あの子に示してやっていただけないでしょうか?」

 

 

人間ではない、妖怪であるこの方なら自分にはできないことができるのではないか。あの方の血を継ぐ、あの子にとっては兄にあたるこの方なら。そんな私の願いであり弱さを

 

 

「…………下らん、なぜこの私がそんなことをせねばならん」

 

 

心底つまらなげに殺生丸様は切って捨ててしまわれる。当然だろう。今日会ったばかりの殺生丸様にこんなことを頼むなんて愚かすぎる。殺生丸様からすれば私たちは小さな存在。気にかける理由も義理もない。それでも

 

 

「己の生き方すら己で決められぬなど半妖以下でしかない……ならそれはそれまでだったというだけだ」

 

 

その言葉によってようやく悟る。自分があまりにも愚かな勘違いをしていたのだということを。

 

 

「……ふふっ」

「……何がおかしい」

 

 

思わず笑いを堪えられず吹き出してしまう。自分が笑われてしまったと思われたのか、殺生丸様は不機嫌さを隠すことなくこちらを睨みつけてくる。けれど、ただ嬉しかった。

 

 

そう、全ては犬夜叉が自分で決めること。人間として生きることも、妖怪として生きることも、そして――――

 

 

「すみません……そうですね、この子の生き方を決めるのはこの子自身。そんなことすら私は気づけなかった。あの方がいれば、きっと同じことを言われそうですね」

 

 

きっとあの方も同じことを仰ったはず。自分の生き方は自分で決めろ、と。そう、きっと大丈夫。この子はあの人の血を継いでいるのだから。何よりも、あの方を超えるであろう目の前の方がいるのだから。

 

 

そのまま振り返ることなく去っていく殺生丸様に向かって頭を下げる。その腰には三本の刀がある。その後ろ姿に、背中に在りし日のあの方の背中が重なる。それを目に焼き付けながら背中で眠る犬夜叉へを見つめながら、ただ願う。

 

 

 

どうかこの子に、幸多き未来があることを――――

 

 

 


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