戦国御伽草子 殺生丸   作:HAJI

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第六話 「母」

 

多くの貴族が暮らす屋敷の中を一人の女性が足早に歩いている。その長く美しい黒髪に加え、その美貌はどこか日本的な女性の美しさを兼ね備えている。女性の名は十六夜。十六夜はどこか慌てた様子で何枚も重ねられた着物を引きずりながら誰かを探していた。

 

 

(犬夜叉……いったいどこに……?)

 

 

探しているのは息子である犬夜叉。今年で三つになる一人息子。大きな病気をすることもなく健康に育ってくれているのは本当に嬉しいのだが、いかんせん好奇心旺盛なのは困りもの。歩けるようになってからは特にそう。目に映る物全てが珍しくてたまらない、そんな風ですらある。見守る親としては冷や冷やすることもあるが、男の子の親とはこういうものなのかもしれない。

 

けれど、自分はそう楽観することはできなかった。私は、犬夜叉はその普通には当てはまらない親子なのだから。

 

 

 

(あれは……!)

 

 

そんな中、ようやく犬夜叉の姿を見つけて安堵する。やはり少し目を離した隙に屋敷を走り回っていたらしい。あの子にとってはこんな屋敷は小さくて窮屈に感じるのかもしれない。そこに閉じ込めてしまっている自分の不甲斐なさを情けなく思いながらもその跡を追いかける。その先には

 

 

ただ一人、蹴鞠を持ちながら立ち尽くしている犬夜叉の姿があった。

 

 

きっと他の貴族たちが遊んでいたところに混ぜてほしいと近寄って行ったのだろう。もうその姿は見えない。あの子が来たことで皆、いなくなってしまったに違いない。幼いながらもその意味に気づいているのか、犬夜叉はただその場に立ちすくんでいる。その胸中は察するに余りある。

 

『半妖』

 

人間でも、妖怪でもない存在。どちらの側にもなれない者。それ故に差別され、忌避されてしまう。幼い犬夜叉といえど、それは例外ではなかった。いや、子供だからこそなのかもしれない。

 

 

「犬夜叉……」

 

 

知らず声が出ていた。ただそこから先の言葉が出てこない。できるのはただ

 

 

「母上!」

 

 

自分の姿を見るなり元気そうに振舞いながら自分の胸に飛び込んでくる犬夜叉を抱きしめることだけ。そう、分かっていた。先ほどの光景、一人孤独に佇んでいた犬夜叉の姿。あれが遠からず犬夜叉に訪れるであろう未来の光景なのだということは。今はいい。まだ自分がいる。この子を一人にはさせない。愛していける。でも共に生きていくことはできない。人間である私は、きっとこの子より先に逝くだろう。そうなれば、この子は一人で生きていくことができるだろうか。

 

 

「ごめんなさい……犬夜叉」

 

 

ただそう謝るしかなかった。私はあの人を愛し、この子を授かったことに後悔はない。それでも、その生まれを犬夜叉に強いてしまったのは間違いなく自分の罪。将来、犬夜叉は恨むかもしれない。半妖に生んだこの母のことを。それでも今はこうして抱きしめさせてほしい。今はまだ。そう涙を流しかけた時

 

 

「父上……?」

 

 

そんな、犬夜叉の声によって私は顔を上げる。瞬間、私の時は止まってしまった。

 

 

そこには一人の男性がいた。ただその容姿に、空気に息を飲む。一目で彼が妖怪なのだということを悟った。人間ではない者の空気がそこにはある。でもそんなことは些細なこと。あるのはただ

 

 

「あなた……?」

 

 

今は亡き夫、闘牙王様の姿に瓜二つだったこと。生き写しと言ってもいいほどに、目の前にいる妖怪はあの人にそっくりだった。思わずそのまま見入ってしまうも

 

 

「……貴様が犬夜叉か」

 

 

私の姿を見ることもなく、その妖怪は私に抱かれている犬夜叉へ向かって問いかけてくる。その声色と視線は冷たく鋭いもの。その証拠に無表情ながらも隠し切れない嫌悪がある。今まで貴族たちが犬夜叉へ向けていた偏見、差別。そういったものが大したものではないと思えてしまうほどのもの。

 

 

「……?」

 

 

それに気づいていないのか。それともそんなことが気にならないほどにその妖怪の姿に目を奪われているのか。犬夜叉は目をぱちくりさせながら妖怪を見つめたまま。人見知りとは無縁だったこの子では考えられないような反応。そしてようやく思い至る。目の前の妖怪が、いや目の前のお方が誰なのか。

 

 

「もしや……殺生丸様、なのですか……?」

 

 

殺生丸様。主人である闘牙王様のもう一人のご子息。それがきっと目の前のいる方なのだと。

 

 

「……なぜ私の名を知っている?」

「あの人……闘牙王様から何度かお聞きしています。自分には殺生丸様という息子がいると。あなた様がそうなのですね?」

 

 

初めて私に気づいたかのように殺生丸様はなぜ自分を知っているのかと問いかけてくる。その視線と威圧は犬夜叉へのそれとは比が違う。まるで虫けらを見るかのような冷たい瞳。それに気圧されながらも返事をするも殺生丸様は何も答えることはない。まるで自分には全く興味がないかのように。

 

 

「? 母上、この人誰?」

「失礼ですよ、犬夜叉。この方はあの人の……父上のご子息、そうですね……あなたのお兄様にあたるお方です」

「お兄様……? それって、兄上ってこと? ぼくに兄上がいたの!?」

 

 

私の言葉をどこまで理解しているのか。それまでの委縮っぷりが嘘のように犬夜叉は満面の笑みを浮かべながらはしゃいでいる。無理もないかもしれない。今まで一人っ子だったと思っていた自分に兄がいたと知ったのだから。そのまま殺生丸様の元に走り出してしまいかねない勢い。しかしそれは

 

 

「私がその半妖風情と兄弟だと……? ふざけるな」

 

 

憤怒にも似た殺生丸様の言葉によって消え去ってしまった。

 

 

(これは……殺生丸様はやはり、私たちのことを……)

 

 

その殺気に思わずその場に倒れてしまいそうなのを必死に耐えながらようやく悟る。殺生丸様が私達親子のことを憎んでいるのだということを。妖怪として人間や半妖を見下しているのもあるのだろう。だがきっとそれ以上に、私達のことを許すことができないに違いない。当たり前だ。私は殺生丸様にとっての父を死なせてしまった存在なのだから。そんな私から生まれた犬夜叉もまた同じ。父を奪った存在。

 

このままでは殺されてしまう。逃げなければ。そう本能が訴えるが、動くことができなかった。それはかつて闘牙王様から聞かされた殺生丸様のこと。まだ未熟であるが、将来、必ず自分を超えていく者だとあの方は仰っていた。その時のあの方の嬉しそうな顔と声色を覚えてる。ならきっと。私も同じように、この方に夫に通じる何かを感じ取っている。

 

そのままお互いに見つめ合っている中

 

 

『なんじゃ、騒々しい……おちおち寝ておれんじゃろーが。また何か騒ぎを起こしておるのか、殺生丸?』

 

 

どこかこの場に似つかわしくない老人の声が響き渡る。私たちの他には誰もいないにも関わらず、一体どこから。そんな中、殺生丸様が携えている刀の鞘から白い幽霊のような妖怪が姿を現す。そこでやっと思い至る。自分にとっても懐かしい方との再会。

 

 

『何じゃ? なんで人間の女などがおる? 殺生丸、あれほど人間を毛嫌いしておったのにどういう風の吹きまわしじゃ?』

「お久しぶりです、鞘様。お元気そうで何よりです」

『お? お前、儂の事知っとるのか?』

「はい。闘牙王様の妻の十六夜です」

『十六夜……? おお、そういえばそうじゃった! いや、最近物忘れが激しくてのう。元気そうで何よりじゃ』

 

 

ようやく思い出していただけたのか、鞘様は誤魔化しながらも私の無事を喜んでくださっている。どうやら物忘れはあの時よりもひどくなっているらしい。けれど無理もないのかもしれない。鞘様と最後に会ったのは三年前。犬夜叉が生まれた時以来なのだから。

 

 

『ということは……ひょっとしてお前、犬夜叉か?』

「うん……じいちゃん誰? もしかしてぼくのじいちゃん?」

『おお、やはりそうじゃったか。あの時は生まれたばかりの赤子だったが大きなったの。儂はお前の親父殿に世話になっとった者じゃ。お前の祖父ではないぞ。年寄りではあるがなー』

 

 

いつの間にか私の後ろに隠れてしまっている犬夜叉に向かってどこか感慨深げに鞘様は話しかけて下さる。犬夜叉は先ほどの殺生丸様のこともあってか、おっかなびっくりではあるがやはり気になるのか。ちらちらと殺生丸様を見ながら鞘様と話している。そのまま和やかな空気になりかけるも

 

 

「戯言はそれまでだ……答えろ、鉄砕牙はどこにある」

 

 

そんな殺生丸様の言葉によって、それは断ち切られてしまう。

 

 

「鉄砕牙……?」

「とぼける気か。お前たちが持っていることは分かっている」

 

 

その瞳に冷たさだけではない熱を見てようやく悟る。こんなにも恨んでいるはずの自分たちにの元にこの方が訪れた理由が。

 

 

「てっさいが? てっさいがって何?」

『お主の父上が使っておった刀の事じゃ。凄い刀での、お前のために残してくれた物なんじゃ』

「っ! 父上がぼくに!? ほんと!?」

『そうじゃとも……ん? そうじゃ! 殺生丸、お前まだ鉄砕牙をあきらめておらんかったのか!? あれほど言ったであろう? 鉄砕牙は御館様が犬夜叉に遺した守り刀じゃと! だいたい結界のせいでお前は鉄砕牙には』

「黙れ。次余計なことを喋れば殺す」

 

 

慌てて諭そうとしている鞘様を殺生丸様は力づくで黙らせてしまう。状況が分からない犬夜叉は再び私の後ろに隠れてしまう。それも当然。犬夜叉からすればあの人、父から何かをもらえると思って喜んでいるだけなのだから。その価値も意味も分かってはいない。

 

あの方に敵う者などいないと思えるほどの強さを持っていた闘牙王様。あの人が持っていた三本の刀。そのうちの一本である鉄砕牙には百の妖怪を薙ぎ払う力があると言われている。きっとあの方は犬夜叉の身を案じてそれを遺してくれたのだろう。

 

 

「これが最後だ。鉄砕牙の場所を言え。でなくば」

 

 

命はない、と殺生丸様はその爪で告げる。それが嘘偽りない本気であることは明らか。その腰には二本の刀がある。恐らくはあの方が遺した三本の刀の内の二本。残る最後の一本の鉄砕牙を手に入れることが殺生丸様の悲願なのだろう。いや、きっとそうではない。

 

父である闘牙王様を超えること。それが殺生丸様の覇道。あの方がそうなってくれるように望んだもの。でもきっと、殺生丸様はまだ気づいておられない。あの方の真の強さが何であったのかを。その覇道の在り方を。

 

 

「黒真珠……犬夜叉の左目にそれがあります。鉄砕牙だけでなく、あの方の亡骸と共に」

 

 

一度目を閉じながらそう告げる。犬夜叉自身も知らない、赤子の時に冥加様によってもたらされた封印。犬夜叉が大きくなり、刀を扱えるようになれば渡すように残された遺言。

 

 

『っ!? い、十六夜、なぜそのことを!? そんなことを言えば鉄砕牙を殺生丸に……』

「構いません。こうして殺生丸様がこの場にいらっしゃったこと。きっとこうなることが定めだったのでしょう」

 

 

鞘様が焦り狼狽しているのが申し訳ない。鞘様からすればあの方の遺言に反することになるのだから。でも不思議と焦りも不安もなかった。脅されたからでも、命の危機からでもない。きっと、私は殺生丸様と会えば同じことをしただろう。

 

 

「その代わり、殺生丸様……一つだけ、この十六夜の願いを聞いては下さいませんでしょうか?」

「願いだと……?」

 

 

母として、妻として、おそらくは果たすことができないであろうとあきらめていた一つの願いを。それは

 

 

「はい。どうかその黒真珠の先に、私と犬夜叉も共に行かせてほしいのです」

 

 

十六夜は願う。我が子と共に、愛する人が眠る地を訪れることを。それが犬夜叉と殺生丸の運命を大きく変えることを知らぬまま――――

 

 

 


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