「犬夜叉ー? どこー? いるんでしょー?」
森の中で大声を上げるも一向に返事はない。いつもならこの辺りで木の上に寝そべっているのにどうしたのか。近くにいるのは間違いない。いつかのように無視しているのかもしれない。いつまでもこうしていては埒が明かない。仕方なく私は強硬手段に出ることにする。それは
「しょうがないわね……おすわり!」
「へぶっ!?」
おすわりによるあぶり出し。そのかいもあってか犬夜叉が叫びを上げながら木から落下してくる。まるで木を蹴って虫取りをする要領。ちょっと楽しかったが犬夜叉には内緒にしておこう。
「やっぱりいるんじゃない。なんで返事してくれないのよ?」
「やかましい! てめえこそどういうつもりだ!?」
「どういうつもりも何も晩御飯に誘いに来たの。楓おばあちゃんが犬夜叉も呼んできなさいって」
「けっ、なんで俺が。飯ぐらい一人で食うから余計なことすんじゃねえ」
おすわりで強制的に起こされたからか、それとも一緒にご飯を食べるのが恥ずかしいのか。きっとその両方だろう。ここまで予想通りの反応をされては呆れを通り越してしまう。それでもいつもよりも犬夜叉の機嫌が悪い気がする。その理由もおおよそは見当がついている。
「やっぱりあの殺生丸って人の事を気にしてたの?」
「……そんなんじゃねえよ」
今日出会った犬夜叉の兄である妖怪、殺生丸。彼と会ってから犬夜叉はずっと不愛想になっている。今も目を反らしたままつんけんしている有様。付き合わされるこっちの身にもなってほしい。そんな中、ふと目に付くのは犬夜叉が腰に差している一本の刀。
「ふーん……あ、じゃあその刀、私が預かっておこうか? 犬夜叉、その刀いらないんでしょ?」
「っ!? さ、触るんじゃねえよ! これは俺のモンだ!」
ちょっとした意地悪でその刀に手を伸ばそうとするも、犬夜叉はまるで自分のごはんを取られまいとする犬のようにその場から飛び跳ねながら逃げてしまう。うー、と唸りながらこっちを威嚇してくる始末。
「あっそ……ほんとに意地っぱりなんだから」
あんなに殺生丸から譲られた時には不満たらたらだったのに、やっぱりあの刀は譲れないらしい。言ってることと行動が正反対。こういうのをあれだ、ツンデレっていうのかもしれない。
「でもその刀……えっと何て言ったっけ? そんなにすごい刀なの? ただの古い刀にしか見えないんだけど……」
「鉄砕牙だ! へっ、かごめ、お前の目は節穴だな。こいつは一振りで百の妖怪をぶった斬れる力があるんだ!」
「一振りで百の妖怪を……?」
犬夜叉の言葉に思わず聞き返してしまう。聞き間違いだろうか。一振りで百の妖怪を斬るなんてどういうことなのか。ぱっと見ただのボロっちい刀にしか見えないのだが。でも冗談を言っているようにも見えない。
「信じてねえな? いいぜ、特別に見せてやる。あとで吠え面かいても知らねえからな!」
そんな私の態度を感じ取ったのか、犬夜叉はまるで新しく手に入れたおもちゃを見せびらかすように鞘から刀を抜き放つ。どんなすごい刀が出てくるのかと思ったらそれはサビてボロボロになってしまっている。今にも折れてしまいそうなもの。だが犬夜叉は全く気にしていない。どうやら刀自体は間違いないらしい。
「いくぜ、鉄砕牙――!!」
そのまま叫びながら犬夜叉は手に力を込めながら剣を振り下ろす。その動きに一瞬、息をのむも―――
「……何も起きないじゃない」
「なっ!? そ、そんなはずは……!? くそっ! このっ! このっ!?」
何も起きなかった。百の妖怪を斬るどころか虫一匹斬れるかどうかも怪しい。犬夜叉にとっても完全に予想外だったのか、目を丸くしながら何度も刀を振っているが何も起きない。傍目から見れば素振りをしているだけ。ただの痛い人だった。
「もしかして私をからかってたの?」
「んなわけねえだろ!? なんでだ……? 殺生丸の野郎が使ってた時には変化してたのに……!?」
何でも本当は錆びた刀が巨大な牙のような形に変化する代物らしい。だが犬夜叉の手にある刀はうんともすんとも言わない。刀に嫌われてしまっているのだろうか。
「っ! そうだ! きっとこの赤い布のせいだ! 俺が知ってる鉄砕牙にはこんなもん巻きついてなかった! 殺生丸の野郎、何か細工しやがったな!?」
そう言いながら犬夜叉は刀の柄に巻き付いている赤い布を手で引っ張ったり終いには噛みついて引き千切ろうとしているが布はビクともしない。刀とは違い、見た目とは違って頑丈な布らしい。しかし刀に組み付いて四苦八苦している犬夜叉の姿は間抜けなことこの上ない。本人は大真面目なのだろうが。
「ちくしょう……どうなってんだ……」
「大丈夫、犬夜叉? そんなに気になるならあの殺生丸って人に聞きに行けばいいじゃない」
「そんなことできるわけねえだろ!? なんであんな奴に……」
元の持ち主である殺生丸ならきっと刀の使い方も知っているはず。なのに犬夜叉は頑としてそれを認めようとはしない。だがそんな姿を見て、ふと思ったことを口にしてしまう。ずっと思っていた疑問。
「犬夜叉……あんた、ほんとはお兄さんの事、好きなんでしょ?」
「っ!? な、なんでそうなる!? あんな奴、これっぽっちも好きじゃねえ!」
「そうよね。なんだが冷たそうだったし、怖かったし。犬夜叉も大怪我させられちゃったし、私も大嫌いになったかも」
「……っ! お前に殺生丸の何が分かるってんだ!? あいつは……」
「ほら、やっぱり好きなんじゃない」
「――っ?!?! う、うるせえ! とにかく飯なんて食いに行かねえからな! 楓のばばあにもそう言っとけ!」
それを突き付けた瞬間、犬夜叉は面白いように狼狽しながら刀を抱えてそのまま脱兎のごとく逃げ去ってしまう。ちょっと意地悪し過ぎてしまった気もするけど、たまにはいいだろう。
とりあえず天邪鬼な誰かさんは置いておいて、村に戻ることにしたのだった――――
「いただきまーす!」
両手を合わせながら目の前に出された晩御飯に手をつける。ご飯に味噌汁に焼き魚。なんの変哲もない、現代からすれば質素だと言われてもおかしくない料理だが
「おいしー! ママのごはんもおいしいけど、楓おばあちゃんのごはんも同じぐらいおいしいかも!」
とてもおいしい。素材のせいか、それとも雰囲気のせいか。戦国時代で食べるごはんもおいしい。もしかしたら楓おばあちゃんの料理がおいしいだけなのかもしれない。とにかくこの食事も私がこっちに来る楽しみの一つだった。
「そう言ってもらえると作りがいがあるってもんだよ。今日はこっちに泊まっていくのかい、かごめ?」
「うん、ママたちにはもう言ってあるから大丈夫」
「そうか、ならゆっくりするといい。ところで犬夜叉の奴はどうした? 姿が見えんが」
「犬夜叉なら誘ったんだけど来ないって。今日は一日中不機嫌だったし、そのせいかも」
「あやつが不機嫌なのは今に始まったことではないが……何かあったのか?」
「うん、今日殺生丸って妖怪が犬夜叉に会いに来てたの。犬夜叉のお兄さんみたいなんだけど」
一緒にご飯を食べながら今日の出来事を楓おばあちゃんに聞いてもらう。機嫌が悪いのが当たり前なんて思われてる時点でどうかと思うがともかく今日はいつもの比ではなかった。ちょっと愚痴を言っても許されるだろう。でも
「殺生丸……? あの犬神の殺生丸のことか?」
「え? 楓おばあちゃん、殺生丸の事知ってるの?」
予想外だったのは楓おばあちゃんの反応。まるで殺生丸のことを知っているかのような驚きよう。犬神なんて変な言葉も付いてるし、もしかして有名な妖怪だったりするのだろうか。
「この国で殺生丸のことを知らぬ人間はおらぬよ。百年以上前にあった大きな妖怪の戦を終わらせた大妖怪だからね。この国では人間はもちろん、妖怪でも殺生丸に敵う者はおらん。その強さから犬神と呼ばれておる」
「そんなに凄い妖怪だったんだ……」
お味噌汁を飲みながらとりあえず相槌を打つしかない。何だかお伽噺を聞かされてるみたいに実感はわかないが、とにかくあの殺生丸という妖怪は凄い妖怪だったらしい。ならあの犬夜叉が手も足も出ないのも頷ける。犬夜叉に聞かれたら怒られるかもしれないけど。同時にあの時のことを思い出してしまう。殺生丸が別れ際に言っていたこと。
「どうした、かごめ。何か気になることがあるのか?」
「え? う、うん……実はその殺生丸が私を見た後に犬夜叉によく分からないことを言ってたの」
「よく分からないこと?」
「えっと……私のことを巫女って言って、同じことを繰り返す気かって犬夜叉に」
「……そうか。犬夜叉は何か言っていたか?」
「ううん、ただすごく怖い顔をしてた……」
今思い出してもあの時の犬夜叉は怖かった。今までに見たことのないような表情をしていたのだから。一体何をあんなに怒っていたんだろう。
「……かごめは犬夜叉がなぜ封印されていたかは知っておるな?」
「え? うん、四魂の玉を手に入れようとして桔梗って人に封印されたって……違うの?」
「違ってはおらん。ただ、皆が知らぬことがある……桔梗お姉様と犬夜叉、二人は恋仲だったのだ」
「恋仲……? それって、恋人ってこと……?」
「うむ、少なくとも私にはそう見えていた」
楓おばあちゃんから聞かされたあまりにも信じられない話に思わず固まってしまう。当たり前だ。犬夜叉と桔梗は四魂の玉を巡る敵同士。事実、犬夜叉も桔梗のことを嫌っている。容姿と臭いが似ているだけの私を嫌っているぐらいに。なのにどうして。
「お姉様は四魂の玉を守る巫女。犬夜叉はそれを狙う者。正反対の二人だったが、それ故に惹かれ合うものがあったのだろう。犬夜叉と接しているお姉様は本当に楽しそうにされていた」
当時を思い出しているのか、楓おばあちゃんは目を閉じながらぽつりぽつりと話を聞かせてくれる。犬夜叉と桔梗。そして四魂の玉の因縁を。
「お姉様は犬夜叉を四魂の玉を使い、人間にしようとされていた。犬夜叉もそれを望んでいた」
「犬夜叉を人間に……? そんなことができるの?」
「四魂の玉は妖怪の妖力を高めるだけではない、良いことにも使うことができる。半妖の犬夜叉であれば妖怪になることも、その逆に人間になることも」
「そうなんだ……でも、なら何で犬夜叉は四魂の玉を奪ったりしたの? 人間になるって決めたのに……」
それが分からない。あの犬夜叉が人間になろうとしていたこともだが、それ以上にそう決めていたのになぜ犬夜叉は四魂の玉を奪ったりしたのだろうか。桔梗を騙そうとしていたのかとも考えたがすぐにそれはありえないと悟る。騙すぐらいなら犬夜叉は正面から四魂の玉を奪いに行くだろう。犬夜叉はそういう奴。
「私もそれが分からなかった……だがその理由を知ることができたのだ。殺生丸によってな」
「殺生丸……? 楓おばあちゃんは殺生丸と会ったことがあるの?」
そこで突然その名が出てきて首をかしげてしまう。その口ぶりはまるで殺生丸と会ったことがあるかのよう。
「うむ、あれは桔梗お姉様が亡くなり、犬夜叉が封印されてからほどなくしてだった。幼かった私はお姉様の代わりを務めようと必死でな。村を守るために森の見回りをしていた時、御神木の前に見慣れぬ男が立っておるのを見つけた。それが殺生丸だと知ったのは全てが終わってからだったが」
楓おばあちゃんはその当時を思い返しながら話してくれる。犬夜叉が封印された御神木。その前にあの殺生丸がいたのだと。
「殺生丸はどうやら犬夜叉の封印を解こうとしていたらしい。今でもはっきり覚えておるよ。傍にいたもう一人の小さな妖怪が大騒ぎしていたのを。当時の私はまだ未熟でな。何とか二人を退治しようとしたが全く通用しなかった。そのまま殺されることを覚悟をしていた私に殺生丸は問いただしてきた。『なぜあの巫女は犬夜叉を裏切ったのか』と」
黙って話を聞き続けるしかない。どうやら殺生丸は犬夜叉の封印を解くためにその場に訪れていたらしい。小さい妖怪とは間違いなくあの邪見という妖怪の事だろう。
「私はすぐに言い返した。犬夜叉の方が先にお姉様を裏切ったのだと。だがいくら話しても話が噛み合わない。そのしばらく後、殺生丸は私にお姉様が犬夜叉に襲われた場所に案内するように言ってきた」
「桔梗が襲われた場所……?」
訳が分からない。殺生丸が何でそんなことを言ってきたのか。そんな場所に行って何の意味があるのか。けどその理由はおばあちゃんの話を最後まで聞いてようやく理解できた。
「仕方なくその場所に案内すると、殺生丸はその場でしばらくじっとしていたかと思えばそのまま違う場所に向かっていった。私はその場所に着いて驚愕した。そこは鬼蜘蛛と呼ばれる野盗がお姉様によって看病されていた祠だった」
「鬼蜘蛛……」
鬼蜘蛛。それは野盗であり、大怪我と大火傷を追ってしまった男の名。その男を桔梗は祠に匿い、看病していたのだという。そして鬼蜘蛛はそんな桔梗に対して邪な思いを抱いていた。桔梗が亡くなれば、看病するものがいない鬼蜘蛛はそのまま死ぬしかないはずだった。だが
「そこに鬼蜘蛛の姿はなかった。あるのはこの世の物とは思えないような邪気だけ。殺生丸は鬼蜘蛛のことだけ私から聞き出した後、そのままどこかへ行ってしまった。それ以来、殺生丸とは会っていない」
「おばあちゃん……もしかしてその鬼蜘蛛ってやつが」
「うむ、恐らく奴がお姉様を殺したのだ。犬夜叉とお姉様を憎しみ合わせたのも」
ようやく分かった。殺生丸がなぜ桔梗が襲われた場所に行ったのか。そのまま鬼蜘蛛のいた祠に行くことができたのか。それは臭い。犬夜叉は臭いによって人や妖怪の場所を探ることができる、なら兄である殺生丸に同じことができてもおかしくない。きっと殺生丸はその臭いで犬夜叉と桔梗を殺し合わせた相手が鬼蜘蛛だと見抜いたのだろう。
「じゃあ、殺生丸が犬夜叉に言ってたのって……」
「……また犬夜叉が巫女であるかごめ、お主に封印し、殺されるのを案じていたのだろう」
それがあの言葉の意味。犬夜叉にとっては忘れることができない過去、トラウマを抉られたに等しい言葉。裏を返せば犬夜叉を案じている言葉でもあるもの。
私にとってもそれはきっと他人事ではない。巫女の力を持ち、桔梗の生まれ変わりである自分。そんな私がこの時代にやってきて犬夜叉の封印を解き、出会った。四魂の玉と共に。あまりにもできすぎている。見えない力に翻弄されている気すらする。
でもきっと大丈夫。
「大丈夫よ、楓おばあちゃん。私はその桔梗って人の生まれ変わりかもしれないけど、桔梗じゃないもの」
私は日暮かごめ。桔梗ではない。生まれ変わりだったとしても私は私。そんなことには絶対にならない。何より
「それに封印なんてしなくても私にはおすわりがあ」
るから大丈夫、と口にしかけた瞬間、家の外から大きな物音と共に誰かが慌てて逃げ去っていく気配を感じる。もはや口にするまでもない。
「……盗み聞きしておったか。素直に入ってくればいいものを」
「……兄弟そろって素直じゃないんだから」
ある意味似た兄弟である犬夜叉と殺生丸に溜息を吐きながら、かごめの長かった戦国時代での一日は更けていくのだった――――