戦国御伽草子 殺生丸   作:HAJI

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第三話 「父」

月が昇り、雲からは無数の雪が大地に降り注ぐ夜。月明りに照らされながら佇む二つの人影があった。だがそれは人間ではない。妖怪と呼ばれる妖の者。その片方は殺生丸。まだわずかに幼さを残す顔立ち。しかしその佇まいは既に成人のそれ。殺生丸はただその瞳で目の前にいる妖怪を見つめ続けている。

 

その男は満身創痍だった。体には無数の傷が、血が流れている。いつ倒れてもおかしくないはずの重症。にもかかわらずその姿は雄々しくそして圧倒的だった。殺生丸ですら霞んでしまうほどの強さを、その男は持っている。

 

 

「――――往かれるのか、父上」

 

 

長い沈黙の後、殺生丸は自らの父である闘牙王に尋ねる。闘牙王はただ背中を見せたまま、振り返ることはない。殺生丸と同じく銀髪に鎧を纏った容姿。大きく違うのはその腰と背中に三本の剣を携えていること。

 

闘牙王は西国を支配するほどの力を持つ大妖怪。そんな彼が致命傷に近い深手を負っているのは同じく東国を支配する大妖怪、竜骨精との戦いによるもの。激戦の末、何とか封印することに成功するも、その代償もまた大きかった。

 

そして闘牙王はそのまま新たな戦場へと向かおうとしている。国を守るためではなく、自らが愛した女と生まれてくる子を守るために。例えそのために自らの命が潰えるとしても。

 

 

「止めるか、殺生丸?」

「止めはしませぬ。ただ、その前に牙を……叢雲牙と鉄砕牙をこの殺生丸に譲っていただきたい」

 

 

殺生丸は淡々とそう告げる。自らの父がもう永くないことを悟っているからこそ。これから父がどこに行こうとしているのかも知っている。殺生丸には到底理解できない理由。だがそれに口を出す気は殺生丸にはない。ただ興味があるのは、父が持つ三本の剣のみ。

 

『鉄砕牙』 『天生牙』 『叢雲牙』

 

それぞれが三界に対応している、それらをすべて手にすれば世界を制すると言われる天下覇道の剣。

 

『人』の守り刀、鉄砕牙は一振りで百の敵を薙ぎ払う。

 

『天』の刀、天生牙は一振りで百の命を救う。

 

『地』の刀、叢雲牙は一振りで百の亡者を呼び戻す。

 

その三本こそが闘牙王を大妖怪足らしめている。その内の二本、叢雲牙と鉄砕牙を殺生丸は欲していた。

 

 

「渡さぬ……と言ったら、この父を殺すか?」

 

 

それを知っていながら、闘牙王は殺生丸にそう問いかける。この父を殺してでもこの刀が欲しいか、と。殺生丸はただ無言のまま。例えそうなっても構わない。そんな覚悟を殺生丸は抱いている。

 

静寂。時間が止まってしまったかのような時間が二人の間に流れる。それを示すように風が吹き、雪が激しく舞い、海岸は波しぶきに包まれる。それがいつまで続いたのか

 

 

「ふっ……それほどに力が欲しいか」

 

 

そんな殺生丸の姿に思う何かがあったのか。闘牙王は僅かに笑みを浮かべる。その心情を察することは殺生丸にはできない。今の殺生丸には、まだ。

 

 

「――――何故お前は力を求める」

 

 

父は問う。なぜ力を求めるのか。あまりにも単純が故に難しい問い。それを前にして

 

 

「我、進みべき道は覇道。力こそ、その道を開く術なり」

 

 

全く迷うことなく、殺生丸は答えを告げる。覇道。それこそが自分が求めるもの。それを為すために力が、天下覇道の剣が欲しいと。

 

 

「覇道……か」

 

 

ぽつりと闘牙王は言葉を漏らす。その脳裏には、これまでの自分の人生が浮かんでは消えていく。かつて自分も求めていたもの。覇道。その行きついた果て。自分にとっての、答え。

 

 

「殺生丸よ……お前に、守るものはあるか?」

 

 

親から子へ。同じ妖怪、男としての最後の問い。遺言を闘牙王は口にする。最後まで伝えきることができなかった、息子である殺生丸に唯一足りないもの。

 

 

「守るもの……?」

 

 

殺生丸はその言葉を訝しむことしかできない。およそ覇道からはかけ離れた、大妖怪であり、自分が超えるべき最強の存在である父には似つかわしくないもの。

 

 

「――――そのようなもの、この殺生丸に必要ない」

 

 

迷いなくそう殺生丸は切り捨てる。そんなものは必要ない。覇道においては自分以外は必要ない。必要なのは力のみ。それが殺生丸の覇道。

 

 

そのまま父は去っていく。それが殺生丸と父の最後の会話。父である闘牙王はそのまま、守るべきものために命を落とす。それが闘牙王の覇道の終わり。そして、殺生丸にとって乗り越えるべき存在を失った瞬間だった――――

 

 

 

 

大粒の雨が降りしきる山の中。そこにはかつて大きな屋敷があった。しかし今はもう見る影もない。あるのは焼け残った建物の残骸だけ。そんな場所に、三人の妖怪の姿があった。

 

一人目は冥加と呼ばれる小さなノミのような妖怪。何かに落胆しているのか、涙を流しながら悲しんでいる。

 

二人目は刀々斎と呼ばれる一見すればよぼよぼの老人のような妖怪。ひょうひょうとしながらも思うところがあるのか、冥加を慰めながらも頭を掻いている。

 

三人目は鞘と呼ばれる叢雲牙の鞘に宿っている存在。一見すればまるで幽霊のような容姿の白髪に白いひげをした老人。何か困りごとがあるのか腕を組んで唸っている。

 

容姿も性格も異なる三人の妖怪。だが三人には大きな共通点があった。それが大妖怪である闘牙王の知り合いであるということ。そしてこの場所は闘牙王の妻である人間の女、十六夜を救うために戦い果てた場所であり、同時にその子供、犬夜叉が生まれた場所でもあった。

 

 

「さてと、じゃあさっさとやっちまうか。早くしねえといつ殺生丸が来るか分からねえしな」

「仕方あるまい、頼むぞ鞘殿」

「任せておけ。七百年後には叢雲牙をどうにかできる奴が現れるじゃろ」

 

 

そういいながら三人はその場を後にしようとする。つい先ほどまでここで三人は話し合いをしていた。目下の問題は目の前にある剣、叢雲牙。

 

闘牙王は自らの死期を悟り、遺言を残していた。鉄砕牙は自分の亡骸と共に黒真珠と呼ばれる妖怪の墓場に通じる真珠に封じ、犬夜叉に。天生牙は殺生丸に譲るようにと。前者については冥加が、後者については刀々斎がすでに済ませている。

 

問題は叢雲牙だった。叢雲牙についてだけは遺言が残っておらず三人は途方に暮れるしかない。叢雲牙は他の二本とは違い、闘牙王が元々持っていた剣であり、太古の邪な悪霊が取り憑いている邪剣。並みの使い手では逆に操られてしまう危険極まりないもの。それを扱えるのは闘牙王か殺生丸ぐらい。闘牙王が亡くなった今、残るは殺生丸のみ。殺生丸に渡すことも考えたが運が悪いことに、殺生丸には天生牙を渡したばかり。殺生丸にとっては不要な刀を渡したばかりの今では殺されてもおかしくない。自分たちの命を優先し、とりあえず叢雲牙は鞘が封印し、骨喰いの井戸と呼ばれる場所に投げ入れることが決定されたのだった。そしていざ、と三人がその場を出発しようとしたその時

 

 

「やはりここだったか……」

 

 

今、この世で最も会いたくない存在が三人の背後に現れた。

 

 

「せ、殺生丸……っ!?」

 

 

三者三様に叫びにも似た声を上げるしかない。当たり前だ。今しがたようやくこの面倒ごとを解決できたと思ったばかりのところにこの展開。何よりも命の危機に臆病な三人は青ざめるしかない。変なところだけ似た者同士と言えるかもしれない。

 

 

「せ、殺生丸様……な、なぜこのようなところに……」

「知れたことを。この殺生丸から逃げられるとでも思ったか」

 

 

今すぐにもこの場を逃げ出したい衝動を抑えながらとりあえず冥加が誤魔化そうとするも全く通用しない。すべて見抜かれてしまっている。逃げの達人である冥加であっても逃げる隙が見当たらない。そんな三人を無視しながら殺生丸は周囲の瓦礫を一瞥する。まるで何かを探すかのように。

 

 

「父上は逝かれたか……」

 

 

独り言のように殺生丸は呟く。頭では分かっていても、実際にその場を目の当たりにすることで実感したかのように。表情は変わらずとも、何か思うところがあるのは明らか。

 

 

「ああ、惚れた女を守ってな。犬の大将らしい最期じゃねえか」

「……人間の女などのために死ぬことが、父上に相応しいだと?」

 

 

刀々斎の言葉によって殺生丸の殺気が膨らんでいく。刀々斎にとっては誉め言葉だったのだが、殺生丸にとっては父を侮辱されたも同然。

 

 

「そうおっかない顔すんなよ。まったく……で、ワシらに何の用だ?」

「あくまで白を切り通す気か。父上の残した刀……叢雲牙と鉄砕牙を手に入れに来た。貴様たちが隠していることは分かっている」

 

 

変わらず殺気を向けながら殺生丸は自らの目的を明かす。父が亡くなり、残された三本の刀の内の二本を手に入れに来たのだと。

 

 

「やっぱそれか……殺生丸、お前にはちゃんと刀を譲っただろうが。その腰にあるもんは飾りか?」

 

 

呆れたように頭を掻きながらも刀々斎は殺生丸が腰に差している刀を指差す。そこには以前の殺生丸にはなかったものがある。天生牙。父からの遺言によって渡された形見。殺生丸にとっては屈辱であり不要なものだがそれでも父の形見。捨てるようなことはなかったらしい。

 

 

「……こんな妖怪どころか人も斬れぬナマクラがこの殺生丸に相応しいと?」

「不服か? その天生牙は間違いなく親父殿の牙から作られた鉄砕牙の兄弟刀だぞ」

「そ、その通りですぞ殺生丸様! その天生牙を譲ることが御館様の遺言、きっと御館様には何か深いお考えがあって」

「しかしよりによって天生牙とは……殺生丸にはそれを扱うのは無理だと思うがのー」

「さ、鞘殿っ!?」

 

 

冥加のフォローなどお構いなしに鞘は思ったことをそのまま口に出してしまっている。冥加からすれば同意したいところだができるわけがない。

 

 

「いいだろう……刀などなくともお前たちを引き裂くならこの爪だけ十分だ」

 

 

もう容赦は必要ないとばかりにその爪に力を込めながら殺生丸が動き出す。言葉通り、その爪によって三人を引き裂くために。

 

 

「待て待て!? まったく、本当に嫌な奴だなお前は。分かったよ、叢雲牙は殺生丸、お前に渡してやるさ」

 

 

慌てながらも仕方なく刀々斎はそう宣言する。情けないことこの上ない。だがそれ以外にどうしようもない。殺生丸が慈悲を加えることなどない。殺されてしまえばどっちにしろ叢雲牙は奪われてしまう。もはや詰みも同然だった。

 

 

「と、刀々斎!? しかしそれでは……」

「仕方ねえだろう? 親父殿は叢雲牙については遺言を残してねえんだから。親父殿がいなくなった今、叢雲牙を扱えるのは殺生丸ぐらいだろ。鞘だけに任せておくのは不安だしな」

「そ、それはそうじゃが……」

「儂は気が進まんのー……骨食いの井戸に投げ入れてくれた方が気が楽なんじゃが……」

「ワシはまだ死にたくねーんだよ、おい、冥加。どこに行く気だ? また逃げ出すじゃねえだろうな?」

「うっ!? そ、そんなことは……」

 

 

どさくさに紛れて逃走しようとする冥加を刀々斎は逃がすまいと摘まんでしまう。流石の付き合いと言えるような手慣れた対応。マイペースな鞘は再び殺生丸の逆鱗に触れるようなことを口に始める始末。

 

 

「戯言はそこまでだ。刀を渡すかここで死ぬか、今すぐ選べ」

 

 

茶番は終わりだと殺生丸がさらに間合いを詰めてくる。もう目と鼻の先。これ以上無駄話をすればその瞬間、切り裂かれてしまうのは明らか。

 

 

「おっかねえ奴だな、まったく。そら、受け取りな」

 

 

心底嫌そうな顔をしながら刀々斎はそのまま叢雲牙を殺生丸に手渡す。殺生丸は無言のままそれを受け取るもそのまま微動だにしない。ただじっと叢雲牙を見つめているだけ。僅かだが口元が吊り上がっている。自らが求め続けた剣をようやく手に入れたのだから当然。殺生丸でも感情を抑えきれなかったらしい。

 

 

「ともかくこれでもうワシらの役目は終わりだ。達者でな、殺生丸」

「うむ、居眠りをしてサボらないように頼んだぞ、鞘殿!」

 

 

とにかく一安心。一目散に二人はそのままその場を後にする。鞘については叢雲牙を封じる役目もあるため殺生丸と行動を共にする必要がある。めでたしめでたし……となりかけるも

 

 

「……どこに行く気だ、まだ終わりではない。最後の牙、鉄砕牙はどこにある?」

 

 

そんなことは許さない、とばかりに殺生丸は二人の前に立ちふさがる。最初からこうなることが分かっていたかのような手際の良さ。

 

 

「これでは先が思いやられるのー……やはり骨食いの井戸のほうが……」

「やっぱ誤魔化せなかったか。何とかなるかと思ったんだが」

「……この殺生丸を侮るな。答えなければこの叢雲牙の試し切りの相手にしてやろう」

 

 

叢雲牙の柄に手をかけながら殺生丸は問い詰める。最後の一本。鉄砕牙の在処を。その眼が答えなければ殺すと告げている。

 

 

「ここにはねえよ。確か犬夜叉とか言ったか……今は赤子らしいがそいつのところだ」

「犬夜叉……?」

「親父殿と人間の女の子供のことさ。殺生丸、お前にとっちゃ弟にあたるな」

 

 

刀々斎の言葉によって殺生丸の顔が歪む。まるで醜いものが自分の前に現れたかのように。これ以上にない嫌悪。

 

 

「汚らわしい半妖風情とこの殺生丸が兄弟だと……? ふざけるな。何故半妖などに鉄砕牙を」

「お、お待ちください殺生丸様! 犬夜叉様はまだ赤子! それを案じて御館様は鉄砕牙を犬夜叉様に……どうかご慈悲を!」

「三本のうち二本も持っておるのじゃから一本ぐらい譲ってやったらどうじゃ?」

 

 

このままではまずいと冥加が頭を何度も下げながら殺生丸に懇願するも殺生丸の怒りは収まる気配を見せない。当然だ。殺生丸にとっては人間など取るに足らない、虫けら同然の存在。そんな存在のために父は死に、あまつさえその血を継いだ半妖などという存在が生き残っている。加えて自分が求めてやまなかった鉄砕牙まで譲られている。許すことなどできるはずがない。

 

 

「どうしても納得いかねえって顔だな、殺生丸。なら一つだけ教えておいてやる。今のお前じゃ鉄砕牙は扱えねえ」

「何……?」

 

 

そんな殺生丸に向かって刀々斎はさらにもう一つの事実を伝える。殺生丸にとってはあまりにも酷な現実を。

 

 

「結界さ。今の鉄砕牙には結界が張ってある。妖怪じゃ扱うことができないようにな。あの刀に触れることができるのは半妖と人間だけだ」

「戯言を……」

「そう思うなら確かめてみればいいさ。あの結界は殺生丸、お前が犬夜叉から鉄砕牙を奪おうとするのを防ぐために施したもんだ。親父殿は自分が死ねばお前がどうするのかを分かってたのさ」

「…………」

「っ!? こ、これ殺生丸、力を緩めんか! 年寄りは労わるもんじゃぞ!?」

 

 

歯ぎしりをし、鞘を握りしめながら殺生丸はただ刀々斎を睨みつけている。その視線の先にはもうこの世にはいない父の姿がある。自らが尊敬し、同時に超えるべき存在だった父。そんな父が何故こんなことをするのか。

 

 

「なあ、殺生丸。どうして親父殿はこんな刀の分け方をしたんだと思う? 犬夜叉可愛さにお前に貧乏くじを引かせたと本気で思ってんのか?」

「…………黙れ」

 

 

ただ絞り出すようにそうつぶやく。拒絶の声。お前に何が分かるのか、と。知った風に語る刀々斎に対して、それでもそれ以外に反論する余地が、余裕が今の殺生丸には残っていない。あるのは怒りと悔しさだけ。

 

 

「鉄砕牙は犬夜叉にとっての守り刀。最初から鉄砕牙はそのために生み出されたもんだ。だが殺生丸、お前は違う。親父殿は分かってたのさ。お前には刀を譲る必要がないってな。お前だって薄々勘付いてるんだろ、殺生丸? 親父殿は――」

「黙れ――――!!」

 

 

それ以上は聞くに値しない。聞くもないとばかりに殺生丸は叢雲牙を抜き放ち、その力を解き放つ。凄まじい剣圧と共に全てが無に帰していく。天下覇道の剣と呼ばれる叢雲牙の力の一端。粉塵が収まった先にはもう刀々斎たちの姿はない。手応えがなかったことから恐らく逃げおおせたのだろう。だが今の殺生丸にとってはそんなことはどうでもよかった。叢雲牙を手に入れた喜びももはや消え去ってしまっている。あるのはただ

 

 

「父上……」

 

 

ここにはいない、父の姿だけ。

 

 

 

それが殺生丸が父の死を受け入れた瞬間。そして、本来の道とは大きく違う御伽草子の始まりだった――――

 

 

 

 


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