急いで荷物をリュックサックに詰めていく。着替えはもちろん、参考書も忘れずに。もしかしたらまたしばらくこっちには戻ってこれないかもしれないから念のため。
「よし! じゃあみんな、行ってきまーす!」
準備を万端に整えていざ出発。家を出ようとするも
「ちょっと待ちなさい、かごめ。お弁当忘れてるわよ!」
パタパタと慌てながらママが私の後を追いかけてくる。その手にはお弁当箱。まるでこれから学校か部活に行くかのような気軽さ。
「うん、ありがとうママ。じゃあ行ってくるね」
「ええ、気を付けてね」
「姉ちゃん、おみやげ忘れないでよ?」
「かごめ、待たんか。この由緒正しきお札を持っていきなさい!」
お弁当を受け取ったはいいものの、後ろから弟の草太やおじいちゃんの声も聞こえてくる。本当に自分がこれからどこに行くか分かっているのだろうか。呆れつつも送り出してくれる家族に安心しながら走り出す。向かうのは神社の中にある井戸。躊躇うことなく井戸の中へと飛び込んでいく。その先にある、こことは違う時代。戦国時代と呼ばれていた頃の世界へ。
それが私、日暮かごめの日常の始まりだった――――
「よいしょっと!」
そのまま気合いを入れながら梯子を上り、何とか井戸から這い出る。何度目になってもリュックを背負ったまま梯子を上るのは一苦労。そのまま一息つきながら改めて顔を上げる。そこには一面に広がる生い茂る木々、森の中。ついさっきまでいた自分の家である神社はどこにもない。
(私って、やっぱり戦国時代にきてるんだよね……これって結構すごいことなのかも……)
今更ながら自分が今、どんなに非日常的な生活をしているを実感する。自慢ではないが私は普通だった。普通に学校に行って、友達と遊んで、ママやおじいちゃん、草太と一緒に暮らしている。普通の中学三年生だった。
――――そう、あの日。十五歳の誕生日までは。
妖怪によって井戸に連れ込まれ、この戦国時代にタイムスリップしてしまう、信じられないようなお伽噺。まだ人間と共に妖怪と呼ばれる存在が生きていた時代。
(四魂の玉か……私が桔梗って人の生まれ変わりだっていうけど……本当なのかしら)
手の中には小さな瓶。その中には輝く石の欠片がある。四魂の玉と呼ばれるもの。妖怪の力を高める力を持つ玉。そのため多くの妖怪が血眼になってこれを狙っている。五十年前、桔梗と呼ばれる巫女と共にこの世から消え去ったはずのそれは何の因果か再びこの世に戻ってきた。私と一緒に。難しいことは分からないけど、自分が大変なことに巻き込まれてしまったのは分かる。おかげで命の危機にあったのも一度や二度ではない。それでも悪いことばかりではなかった。それは
「やっと戻って来やがったな、かごめ! 何をグズグズしてやがった!?」
大声と共にまるで猫、ではなく犬のように跳躍しながら自分の前にやってくる。赤い着物を着た、銀髪の男の子。その頭には二つの犬の耳がある。男の子が人間ではない、半妖であることの証。
「犬夜叉? なんでこんなところに……もしかして、私が来るのを待ってたの?」
「っ!? そ、そんなわけねえだろ! お前がいねえと四魂のカケラが探せねえ、それだけだ!」
「あっそ……」
うー、と犬夜叉はまるで犬のようにこちらを威嚇しながら睨んでいる。少しは可愛げがあるかと思ったが気のせいだったらしい。もう少し素直になってくれれば仲良くなれるのに。
『犬夜叉』
初めてこっちにタイムスリップした日に出会った男の子。半妖と呼ばれる、人間と妖怪の間に生まれた存在。元々は御神木に矢によって封印されていたのだが、私がその封印を解いてしまったことで目覚めてしまった。最初は助けてくれたこともあってヒーローかと思ったがそうではない。犬夜叉も他の妖怪たちと同じように四魂のカケラを狙っているのだから。だが玉が砕け、バラバラになってしまったカケラを集めるために仕方なく私と一緒に行動している。それが自分と犬夜叉の今の関係。とても安心とは言えない、不安しかない状態だったのだが、最近は少しだけマシになってきたかもしれない。
(かごめか……名前で呼んでくれるようになったってことは少しは仲良くなってるってことかな?)
それは犬夜叉の自分の呼び方。出会ってからまともに呼ばれたことはなく、呼ばれても『お前』とか『女』とかだけ。思いっきり毛嫌いされてしまっていた。その理由も何でも自分が桔梗という人に似ているからという理不尽極まりない理由。ほとほと困り果てていたのだがそれが変わるきっかけが最近あった。
それは逆髪の結羅と呼ばれる髪の毛を操る妖怪との戦い。普通の人には見えないその髪の毛を見ることができるが戦えない自分と戦うことはできるが髪の毛を見ることができない犬夜叉。互いの弱点を補い合う形で私たちは協力して何とか逆髪の結羅を倒すことができた。もしかしたらそのおかげで少しは自分を認めてくれたのかもしれない。そんなことを考えていると
「ちょ、ちょっと犬夜叉!? 何いきなり近づいてきて!?」
知らず犬夜叉はこっちに近づいてきている。目と鼻の先。思わずこっちがのけ反ってしまうぐらいの距離に犬夜叉がいる。知らず慌ててしまうも犬夜叉はまったく気にしていない。どころか私を見てすらいない。まるで犬のように鼻を鳴らして臭いを嗅いでいる。
「お、やっぱ食いもんじゃねえか! いただくぜ!」
「え? あ、待ちなさい! それは」
「へっ! 残念だったな、もうこれは俺のもんだ!」
そのままあっという間にリュックサックに入れていたお弁当を犬夜叉に奪われてしまう。悪びれるどころか心底楽し気に。まるで飼い主のごはんに手を出す飼い犬のよう。追いかけようにも犬夜叉はあっという間に木の枝に飛び移ってしまう。そうなればもうお手上げ。
(まったく……ほんとに子供なんだから)
あきらめて井戸に腰掛けながら犬夜叉を眺める。獲物を手に入れた獣のように慌てながら犬夜叉は乱暴に弁当箱を開け、手掴みで中身を食べている。行儀が悪いことこの上ない。年相応どころか、弟の草太よりも子供なのではと思ってしまう有様。
「もう、食べるのはいいけどちゃんと味わって食べなさいよ? それ、ママが作ってくれたんだから」
「まま? なんだそりゃ? なんかの妖怪か?」
「お母さんのことよ。こっちではなんて言うのかしら……母上とか?」
口いっぱいに頬張っている犬夜叉に向かってせめてもの抵抗として嫌味を言うが全く通じていない。というか意味が通じていない。確かにママやパパなんて呼び方は現代でなければ通じない。改めてここが現代ではないのだと実感しながらも
「そういえば……犬夜叉のお母さんはどうしてるの?」
何気なく話題のままそう尋ねる。学校の友達や家族と会話するように。しかしすぐに気づく。それまで夢中で弁当を食べていた犬夜叉がピタリと動きを止めてしまうのを。
「けっ……そんなもんとっくにくたばっちまってるよ」
吐き捨てるように犬夜叉はそう呟く。その表情からは犬夜叉の感情は読み取れない。ただ、それが犬夜叉にとって触れられたくない話だったことは明らか。
(そっか……確か犬夜叉のお母さんって……)
そう、犬夜叉は半妖。父親が妖怪で母親が人間。そしてその容姿で忘れがちだが犬夜叉は五十年以上生きている。妖怪と同じように、半妖もまた人間より遥かに寿命が長い。なら犬夜叉のお母さんがもう亡くなってしまっているのは当然。
「ごめんね、犬夜叉……私」
「ふん、人間ってのは弱っちいからな。すぐにくたばっちまう。お前も気をつけねえとあっという間に楓みたいな婆に」
「おすわり」
瞬間、凄まじい勢いで声にならない叫びと共に犬夜叉は木から地面にたたき落されてしまう。言霊の念珠によるもの。確かに自分も悪かったが流石にそれとこれとは話が違う。何よりも楓おばあちゃんに失礼極まりない。ある意味いつも通りのやり取り。
(でも、それならお父さんはどうなんだろう……? もしかしたら兄弟とかいるのかな……?)
ふとそんなことを考えてしまう。そういえば自分は犬夜叉のことを全然知らない。昔のことも何もかも。聞いてみたいが犬夜叉は話してくれないだろう。そんな中ようやく気付く。犬夜叉が地面に落ちたままその場から動いていないことを。いつもなら「なにしやがるてめえ!」といいながら悪態をついてくるのにどうしたのか。
「犬夜叉……? どうしたの、もしかして怪我でもしちゃった?」
恐る恐る近づきながら尋ねてみる。そんな気はなかったがおすわりが強すぎたのだろうか。そんな私の言葉が聞こえているのかいないのか
「……ちっ、いけ好かねえ臭いがしてきやがったぜ」
舌打ちしながら犬夜叉はそんなことを口している。その表情は先ほどまでとはまるで違う。まるで会いたくなかった相手が突然目の前に現れたかような、苦虫を噛み潰したようになっている。
(いけ好かない臭い……? 私に言ってるわけじゃないし……じゃあ一体何の……?)
いけ好かない臭い。
それは犬夜叉が度々私に言ってくる言葉。何でも私は桔梗という人に臭いも似ているらしい。それに関して文句も言いたいが今はそれどころではない。犬夜叉は今、私には全く見向きもしていない。ならいったい誰に向かって言っているのか。それを尋ねるよりも早く
「……やはり貴様か、犬夜叉」
その臭いの持ち主が私たちの前に現れる。
着物の上に鎧を身に着けている男。その腰には三本の剣が携えられている。間違いなく美男子だと言われる容姿。何よりも目を引くのが腰を超えるほどに長い銀髪。
「けっ……やっぱまだ生きてやがったか、殺生丸」
立ち上がり、そのまま対峙するように犬夜叉は男、殺生丸に向かい合う。まるで自分の縄張りに敵がやってきたかのように警戒心をむき出しにしている。今にも飛び出していかんばかり。対して殺生丸は微動だにしていない。ただそのどこか鋭い視線を犬夜叉に向けているだけ。
(な、何なの一体……? 犬夜叉の知り合いみたいだけど……じゃあ、あの人も妖怪……?)
とても口を挟めるような空気ではないため黙って見守るしかない。だがあの二人が知り合いであるのは間違いないようだ。だがそれ以上にその空気に気圧されてしまっていた。一刻も早くこの場を離れなければいけない感覚。私はまだこの時には知らなかった。それが妖気と呼ばれるものであることを。ただの妖怪ではあり得ない、大妖怪のそれだったのだと。
「だが手間が省けたぜ……四魂の玉の前にその牙、鉄砕牙と爆砕牙を今度こそ手に入れてやる!」
しかし犬夜叉はそんなものは関係とばかりに笑みを浮かべながら殺生丸に向かって飛びかかっていく。どうしていきなりそんなことになるのか。その牙とはいったい何なのか。制止する間もなく犬夜叉は突っ込んでいく。その右手に力を込めながら。
「――――散魂鉄爪!!」
瞬間、大地が抉られ木々がなぎ倒されていく。犬夜叉の得意技である散魂鉄爪。その名の通り、自分の爪によって相手を切り裂く技。犬夜叉の身体能力から繰り出されるそれは岩も切り裂くほどの威力がある。だがそれを
「――遅い」
一瞥しただけで回避し、体を翻しながら殺生丸は同じように犬夜叉に向かって爪を振るう。犬夜叉と同じはずの攻撃だがその速さと威力は段違い。犬夜叉は何とか防御しながらもそのまま軽々と吹き飛ばされてしまう。
「犬夜叉っ!? 大丈」
「うるせえ! てめえは引っ込んでろ! 邪魔だ!!」
吹き飛ばされ、傷だらけになっているにもかかわらず犬夜叉は全く臆することなく殺生丸に向かっていく。その爪で切り裂くために。だがその全てが通用しない。躱され、捌かれ、いなされる。逆に爪と拳によって犬夜叉は劣勢へと追い込まれていくだけ。
(そ、そんな……!? 犬夜叉が手も足も出ないなんて……!?)
目の前の信じられない光景に息を飲むしかない。私は犬夜叉の強さは知っている。半妖であっても並みの妖怪など相手にならないほど犬夜叉は強かった。なのにあの妖怪には、殺生丸には全く通用しない。大人と子供ほどの力の差があの二人の間にはあるのだと、素人である自分にもわかる。そう、犬夜叉が弱いわけではない。単にあの妖怪が強すぎるだけなのだ。
(ど、どうしたら……このままじゃ犬夜叉が……!?)
慌てるもどうにもできない。逆髪の結羅の時とは違う。あの時のようにはいかない。唯一の戦う手段である弓も今はない。まさに絶体絶命。
「がっ――!?」
そんな中、犬夜叉はその腹部に渾身の拳の一撃を受け吹き飛ばされてしまう。満身創痍。鎧よりも固いと言われる火鼠の衣もボロボロになってしまっている。完敗としかいいようがない状況。悶絶し、その場に蹲りながらもまだあきらめていないのか犬夜叉は殺生丸を睨んでいる。まだ自分は負けていない。あきらめていないと示すように。殺生丸もまたそんな犬夜叉を無表情のまま見下ろしている。
「――終わりだ」
そのまま殺生丸の手が容赦なく犬夜叉に向かってかざされる。戦いの決着を意味するもの。止めを刺すために。
「犬夜叉――!!」
気づけば走り出していた。戦う力はない。手段もない。でもこのままただ黙って犬夜叉がやられるのを見ているわけにはいかない。決死の覚悟で二人の間に割って入らんとするも間に合わない。そのまま殺生丸の右手は犬夜叉の首を――――
まるで犬のように掴んで持ち上げてしまった。
「…………え?」
思わずそんな声を上げてしまった。呆然としてただその光景に立ち尽くすしかない。当たり前だ。そこには
「て、てめえ! 何しやがる!? さっさと下ろせ殺生丸!」
「体は大きくなっても中身は全く変わっていないか……無様だな」
さっきまで殺し合っていたはずの二人が嘘のように言い争っている姿。犬夜叉は殺生丸に首根っこを掴まれたまま宙ぶらりん状態。犬夜叉はその状態が恥ずかしいのか暴れて逃れようとするが満身創痍でそれも叶わない。殺生丸は慣れているのかそんな犬夜叉をどこかつまらなげに見つめている。まるで飼い主に逆らえない飼い犬。いや、年が離れた兄弟喧嘩のよう。事情が分からない私はただ、ぼーっと突っ立っていることしかできない。
それが私、日暮かごめと犬夜叉の兄である大妖怪、殺生丸の初めての出会いだった――――