春斗さんを見送った後、私は食器を洗いながら考えた。何故クロネがいきなり養子縁組届を春斗さんに渡したのか。今まで私達は家族のように暮らしていたし、今更そんな事をしても変わらないだろう。それに……
「春斗さんが、それを承諾したら、私はどうなるんでしょうか? 」
そう。仮に養子縁組を行ったら2人は家族になるのだ。そしたら私は何になる。家族でもなく血か繋がってる訳でもない。それこそ本当に赤の他人だ。
おそらく、春斗さんもクロネも優しいので普段のように接してくれるだろう。でも、やはりそこには大きな壁が出来てしまう。そう考えると、なんだか悲しくなってくる。
「アズキ? 」
背後からクロネに声をかけられた。いつもならこの時間はテレビを見ているはずなのに、台所に来るなんて珍しい事もあるものだ。
「どうしました? 」
「……どうして、泣いてるの? 」
「! 」
あれ、いつの間に……
いくら拭っても、涙が溢れだしてしまう。
「アズキ、何か悩んでるなら、聞くよ? 」
ようやく涙を拭いきったが、うまく頭が回らない。こんなにクロネが心配してくれているのに、何故か余計なことばかりを考えてしまう。
……クロネは、初めて会った時に比べて、かなり成長した。表情も豊かになり、最近では口数も増えている。それに比べて、わたしはどうだ?出会った直後に家に押し入り、ワガママで、迷惑ばかりをかけて……
こんな私なら、いっその事もうずっと赤の他人でいればいいのではないか。その方が、これ以上2人に迷惑をかけることもないだろう。
あぁ、そうだ。私は本当の家族となった2人を見守ればいいんだ。
「クロネ 」
「なに? 」
「春斗さんと家族になっても、私と仲良くしてくれますか? 」
「質問の意味、分からないよ。当然、でしょ? 」
「だって、本当の家族になる2人の中にいるんですよ? 」
「だから、私も家族になろうとしてるん、だよ? 」
「え? 」
「……え? 」
なんだろう、会話が成り立っていないような気がする。
「待って、整理、させて 」
私が頷くと、クロネは額に手を当て、目を瞑る。数十秒にも満たない沈黙だったが、それでも私が潰されそうになるには充分だ。
「ねぇ、1つだけ、確認していい? 」
「はい 」
「春斗とアズキって、夫婦、だよね? 」
「……はい? 」
今度は私が止まってしまった。私と、春斗さんが夫婦……?
考えただけで顔が熱くなる。それと同時に、何故か胸が苦しくなったような気がした。
私が動揺したことに気がついたのか、苦笑いをしながら言った。
「あ、まだ、恋人?春斗、意気地無しだもんね 」
「ち、違います! 」
誤解を解くために私たちの関係を否定しようとする。が、なぜか言葉にしようとすると胸の痛みが増す。まるで内側にトゲが刺さったような感覚だ。
でも、言わなくちゃ。
ズキズキと痛む胸を抑えながら私は息を吸い込んだ。
「私と春斗さんは、そういう関係ではありません! 」
言い切った私に、クロネは本気で驚いたような表情を見せていた。いや、そこまで驚きますか……?
「本当に、2人は、付き合ってもいないの? 」
頷くと、クロネは項垂れ、「私の計画が」などと呟いている。計画とは一体何なのだろうか。聞いたら教えてくれるでしょうか?
私が計画について訊ねようとした時、クロネが口を開いた。
「アズキは、春斗の事、嫌い? 」
「嫌いなわけないじゃないですか! むしろ…… 」
むしろ……? 私は何を言おうとした? 咄嗟に口に出してしまったものだから、うまく言葉がまとまらない。いや、まとまってはいるが私がそれを口にしていいのかがわからない。
私たちは戸籍上は赤の他人といえど、現在では既に家族、それ以前に飼い主とペットの関係だ。春斗さんがペットという表現を嫌がったとしても、それでも私は居候の身分なんだ。そんな私が、春斗さんとそんな関係を持とうとするなんておこがましいにも程があるだろう。
「むしろ、なに 」
「いえ、なんでもないです 」
勝手に考えて、勝手に落ち込んでしまった。クロネには悪いが、この話はこれでおしまいだ。
そう思い、その場から逃げるように居間に戻ろうとする。が、それはクロネに阻止されてしまった。
腕を掴まれ、引っ張られる。
「ねぇ、自己完結、しないでよ。 仮に、耳とか尻尾とか、気にして、我慢してるんだったら、本当に家族になろうとした、私がバカみたいじゃん 」
声が震えていた。慌てて振り向いてみれば、クロネが泣いていた。初めて見るクロネの泣き顔に少し戸惑うと同時に、驚いた。彼女は、本気で私たちと家族になりたかったんだ。飼い主とペットという関係じゃなく、親子という関係に。
なんて重い感情なんだろう。でも、なんて真っ直ぐな感情なんだろう。それは、私のひねくれてしまった私の考えを正すには充分すぎて……
私はため息を吐きつつ、クロネの頭を撫でた。
「全く、愛が重いクロネちゃんのために、私が一肌脱いであげます 」
「! 」
一気にクロネは顔を明るくし、続けて微妙そうな顔をした。おそらく、私は重くないとでも言おうとしたのだろう。
「急に、どうして……? 」
「私の方がお姉さんですし、情けない姿、見せたくありませんからね 」
クロネを抱きしめ、覚悟を決める。
勝負は今夜。緊張するし、怖いけど、とにかく頑張ろう。