3人で水族館に出かけてから数日が経ったある日のこと。今日は朝からクロネの様子がおかしかった。妙に落ち着きがないというか、何かを出そうとしてはやめているというか。アズキに訊ねてみたが、彼女も分からないらしい。
……仕事に行く前に、本人に訊いてみるか。
カバンを手に取り、まさにクロネに訊ねようとしたその時だった。
「春斗、これ…… 」
顔を赤らめながら、1枚の紙を渡される。そこに書いてあるのは、養子縁組届の文字……
「んん!? 」
「ねぇ、私と本当の家族に、なって? 」
さっきよりもさらに顔を赤く染め、微かににやけながらお願いされてしまった。因みにアズキは目を丸くしている。なんで俺より驚いてんだこいつは……
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会社に着き、作業を始める。しかし、クロネはどこで養子縁組なんて覚えてきたんだ?中々使うことの無い言葉だったから、俺の頭からもほぼ消えていた。もちろん、教えた覚えもない。だとしたら、アズキか? しかし、朝のあいつの反応からするとその可能性も低そうだし……
「お、どうした。 ため息なんてついて 」
声をかけてきたのは隣で作業をしている同僚だった。どうやら無意識のうちにため息をついてしまっていたらしい。
ここは正直に話して、こいつにアドバイスを貰うべきか……。いや、そもそも半獣の女の子をどう説明するんだ。しかも養子縁組についてだぞ。説明の難易度が高すぎる。
「ま、悩み事くらいは聞いてやる。 1人で抱え込んでも苦しいだけだろ? 」
「別に悩みって訳じゃあないんだけどな 」
でも、確かにこれ以上1人で考えていても結論がでるとは限らない。俺は半獣という点を省略して同僚に説明した。
「なぁ、なんでお前の家に2人も女の子いんの? 」
真顔で迫られてしまった。
「いや、わからん」
まさか拾ったというわけにもいかず、濁してしまう。同僚は納得いかなそうな顔をしながらも、それ以上は言及しなかった。
「だけどよ、今まで一緒に暮らしてきたわけだろ? なら、今更縁組したって変わん無いんじゃないか? 」
確かに、親子に変わったところで態度や扱いが変わるわけではない。今まで通り、楽しく暮らしていける自信はある。が、問題はそこじゃない。
俺はカバンから養子縁組届を取り出し、同僚に見せる。
「これって、夫婦じゃなきゃダメじゃないか? 」
そう、記入欄には両性用の枠が設けられている。つまり、俺だけじゃあダメって事じゃないか?
?何故だ? 同僚がわけがわからないというような表情をしている……
「アズキちゃんは? 」
「は? 」
「お前、アズキちゃんと付き合ってんじゃないの? 」
ちょっと何言ってるか分からなかった。
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仕事が終わり、ようやく家の前までたどり着いた。辺りはすっかり暗くなってしまっている。
玄関を開けると、味噌汁のいい香りが漂ってきた。あぁ、今日はアズキがご飯を作ってくれているのか……って、ダメだ。同僚に変なことを言われたから、なんだかアズキのことを意識してしまっている……!
「た、ただいま」
声をかけると、アズキが大きく肩を震わせた。
「アズキ? 」
驚かせてしまったのか? 名前を呼びかけると、ゆっくりと俺の方を向いた。その顔は真っ赤を通り越して紅に染まっている。頭から煙が出てるかと錯覚してしまうほどだ。
「ちょっ、どうした!? 」
「い、いえ! 何でもないでしゅ! 」
明らかに動揺してるじゃないか。噛んでるし
「体調、悪いのか? 」
「そんな事ないですよ! 私は元気です! 」
逆にテンションが高すぎるから心配してるんだが。
「あまり、無理するなよ? 」
近づき、頭を撫でてやる。普段と同じように。ただの日常の中のスキンシップだ。
しかし、いつもは喜んで撫でられていたが、今日は逆効果だったらしい。
「わ、わん! わんわんわん!! 」
「おい、急に吠えるな! びっくりするだろ!? 」
「私は大丈夫です! もうすぐご飯ができるので、お部屋で待っていてください!! 」
背中を押され、強引に部屋に入れられてしまった。扉も閉められ、もう料理の音も聞こえない。
……しかし、なんだかアズキの様子が変だな。もしかして、嫌われた?
何故だろう、そう考えるとやけに胸が痛くなる。……いや、そんな事は今はどうでもいい。
「クロネ、アズキ今日変じゃないか? 」
「アズキが変なのは、いつもの事」
「いや、それはそうなんだけどさ 」
否定出来ないのは申し訳ないが、実際あいつは変な事ばっかりするから仕方ないと思う。
いきなり見ず知らずの男に拾ってくださいって言ってきたり、夜戦しましょうとか、俺をからかうような事ばっかりしやがって……。
でも、そんな毎日が楽しくてしょうがなかったんだよな……。最近の俺は
「春斗? 」
「すまん、ボーッとしてた」
意味もなく手を伸ばし、わしゃわしゃとクロネの頭を撫でる。こっちは気持ちよさそうにしてくれた。
「春斗、1つ、謝らないといけないことが」
「ん? 」
急に改まってどうしたんだ? まさか、養子縁組の話は全部嘘だったってオチか?
「実は、私、勘違いしてた」
思っていた話と全然違った。
「私、春斗とアズキは、もうできてるのかと、思ってた」
お前もか! なんでどいつもこいつも俺とアズキがそういう関係だと思ってんだよ!
「全然違うぞ? 」
「うん、アズキも言ってた 」
アズキにも言ってたのかよ
「ねぇ、春斗はアズキの事、好き? 」
「好きか嫌いかといえば、好きだよ 」
「なら、早く付き合って、結婚して? 」
なんでだよ。話が飛びすぎてるだろ。
「2人が、夫婦になってくれないと、いつまでも書けないから…… 」
書けないって、何が……と訊ねようとしたところで思い出す。俺のカバンの中の書類、養子縁組届の事を。
「……でも」
「ご飯できました 」
俺がクロネに言い返そうとしたのと、アズキが扉を開けたのは同時だった。おかげで、俺の言葉は遮られてしまう。その瞬間を狙っていたかのようにクロネは立ち上がり……
「私は、2人を応援、するから」
そう言って部屋を出ていってしまった。その時、少し口元がにやけていたのは見間違いではないのだろう。
「いったい、何の話をしてたんですか? 」
「いや、まぁ、色々と 」
アズキは普段通りになっていた。しかし、付き合ってとか、結婚してとか言われてしまった俺はそんなに平常心を保てるわけがなく……
「春斗さん? 顔、真っ赤ですよ? 」
心配そうに、アズキが顔を近づけてくる。 甘い香りが鼻腔をくすぐり、俺の思考を鈍らせる。なんでだ、なんで今更こんなに意識しちまうんだ!
最初は、本当に犬を拾ったような軽い気持ちだったんだ!それなのに、日が経つ事にこいつを女の子として見てしまう自分が酷く嫌だった。嫌……だったんだ……
「春斗さん、好きです 」