一通り館内を周る頃には時計の針は午後3時を示していた。アズキもクロネも腹から切ない音を鳴らしている。俺も腹が減っていたので丁度いい。少し遅いが、昼飯にしよう。俺は2人の手を引いてフードコートに向かった。
「うわ、まだこんなに混んでんのか」
昼時から3時間も経ってるのに、席はほぼ満席だ。たまたまアズキが空いたばかりの席を見つけてくれたおかげで座ることができたが、人口密度が高すぎる。いくつも店はあるのだが、その殆どが強烈を作っていた。
「ねぇ、春斗」
「ん? 」
クロネが指を指す先には寿司屋があった。
「あそこのお寿司って、ここの子使ってるの? 」
周りの寿司食ってる人の手が止まった。そりゃあそうだ。さっきまで眺めていた魚達を今食っている可能性なんて考えたら、食欲なんて消え失せるだろ。
「そ、そんな事ないんじゃないか? 普通に仕入れてるんだろ 」
確信はない、と言うか知らないから適当な事を言っておく。周りの人もホッとした表情を浮かべてるし、これでいいんだ。
「訊いてくる 」
「待て待て待て待て! 」
本当に寿司屋の方へ行きそうなクロネの肩を掴み、椅子に座らせる。そう言えば、アズキが静かだな。横目でアズキを見ると、何故か下を向いて太ももを擦り合わせていた。まさか、発情したんじゃないだろうな……
「春斗さん……」
「なんだ? 」
「トイレ、何処でしたっけ…… 」
情けない声で、しかも涙目で尋ねられたら、焦るよな。俺は手を引き、急いでアズキをトイレに連れていった。……あ、クロネ置いてきちまった。だが、あいつもなんだかんだでしっかりしてるし待っててくれるだろ。
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春斗がアズキを連れて走っていってしまった。結果私が残されたわけだが。
「お腹、空いた…… 」
あいにく財布は春斗が持っている。つまり、アズキの用が済んで帰っくるまで此処で待ってなくちゃいけないのか。じっとしてるの、苦手……。 靴を脱ぎ、足を椅子の上で抱える。スカートだし、もしかしたら見えてしまってるかもしれないが、別に私の猫柄パンツ見て興奮する人はいないだろう。
「……暇」
前までは1人でいても平気だったのに、何故だろう。今の生活に慣れすぎたからだろうか。もちろん、それもあるだろう。でも、慣れだけじゃない。私自身が今の生活が大好きだからだ。アズキも、そして春斗も。腕で抱えた足を離し、丸テーブルに突っ伏す。
「早く戻ってこないかな」
私の呟きは、騒がしい人混みの中へと消えていった。
「……あれ? 黒猫ちゃん? 」
懐かしい声が聞こえた。驚きのあまり勢いよく突っ伏していた体を飛び起こす。
私の目の前に立っていたのは私より10cmほど背の高いポニーテールの少女。
「そ、空……? 」
私の、元親友だ。
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少し前の話になる。私『クロネ』は春斗からこの名前をもらう前、『黒猫』と言う名前で孤児院で生活をしていた。どうやら私は産まれて間もなくして孤児院の前に捨てられていたらしい。まったく、ひどい話である。
もちろん、その頃からずっと耳も尻尾も付いていた。だが、幼かった私は特に気にもせずに普通の幼女として院で友達を作ったいた。
しかし、10歳になった頃。
「寄るなよ、バケモン 」
「え? 」
いきなりだった。本当にいきなりだったのだ。あまり話をしたこともなかった同年代の男子が私に言ったのだ。
そこから、男子多数による私へのイジメが始まった。
初めは無視されたり物を隠されたりと軽いものだったが、それは当たり前のようにエスカレートしていく。何度も殴られ、何度も蹴られた。跡が残らないように顔を避け、何度も何度も。痛かった。何度も吐いた。その度何度も笑われた。大人に相談しようにも、「喋ったら耳と尻尾を切り落とす」と脅されていた。
毎晩のように泣き、怖くて眠れない事も少なくなかった。
「こんなものがあるせいで……! 」
そうだ。こんなものがあるから私はいじめられるんだ。だったら、これを無くせばいいじゃないか。
勝手にカッターナイフを持ち出し、洗面所の前で私は自分の耳にナイフを当てた。
「何、してるの……? 」
そこにやって来て、切断を止めてくれたのが空だった。
空はすごい。私と同い年なのに、私の悩みを全部聞いてくれて、それからずっと私の支えになってくれた。
いじめられても空がいてくれるから大丈夫。そう思って痛みをずっと我慢していた。
2年くらい経った頃。流石に私をいじめるのに飽きたのか、さっぱりとイジメは無くなった。
「結局、私は何もできなかった。 ごめんね、黒猫ちゃん 」
「空は、私を支えてくれた 」
そう言えば、今のような口調になったのもいじめられていたからだ。感情を表さなければ、いつか飽きるだろうと。口数を減らしてしまえば、癇に障らないだろうと。
「で、でも……! 」
空の唇に人差し指を当て、私は首を横に振る。
「空がいなかったら、私は多分、耐えきれなかった。 だから、ありがとう 」
皆の前で空のことを抱きしめた。
「わわ、恥ずかしいよぉ! 」
口では嫌がりつつも空も私を抱き返してくれる。幸せだ。空の温もりが、空の鼓動が、空そのものが私を幸せな気持ちにさせてくれる。だが、幸せは長くは続かない。
時間は流れて去年の話だ。私を最初にいじめた男子が空に告白したのだ。空はその告白を拒絶。「黒猫ちゃんに酷いことをした人を好きにはなれない 」と言い放った。しかし、それだけでは終わらなかった。空に振られたことに逆上した男子は、空に殴り掛かる。私をいじめていた時と違い、その場には大人もいたため空が殴られたとしても大人が止めてくれただろう。でも、私は空に手を出されるのが耐えられなかった。
今度は、私が空を守る番。
私は男子の肩に手を乗せて、振り向かせる。その直後に血飛沫が舞い、悲鳴が響き渡った。爪を立てた指で男子の左目を抉ったのだ。
さっきも言った通り、この場には大人もいる。そしてもちろん、他にもたくさんの院の子供がいるのだ。そんな中で目が潰れ、泣きわめいていたら、他の子達も恐怖で泣き出すに決まっている。ましてや、幼い子なら尚更だ。大人は急な事で驚いていたが、すぐに病院に連絡、男子の止血に手を回した。
「空、ごめんね」
騒々しい院の大部屋。私は振り返り、空に謝る。
「私には、こんな事しか出来ないから」
本当にごめんと言い残し、私はその場から走り去った。部屋から黒色のパーカーだけを回収して、院から逃げだした。
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元親友に偶然であった私達は、懐かしさのあまりついつい昔話で盛り上がってしまった。しかし、院であんな事をした私に、よく空は笑顔で話が出来るな……。
「え? だって黒猫ちゃん、あの時私を助けてくれたんでしょ? 確かにやりすぎだとは思うけど、あのままだと私が殴られてたよ。 だから、ありがとね 」
優しく微笑みかけてくれた。こんな私に、だ。手を出し、逃げ出した臆病な私にありがとうと言ってくれた。
「ど、どういたしまして…… 」
「あ〜、黒猫ちゃん照れてる〜 」
おそらく赤く染まっているのであろうほっぺたを揉みしだかれたので私が少し頬を膨らませると、空はクスクスと笑い出した。それにつられ、私も笑う。
2人して笑い合っていると、1組の夫婦が近づいてきた。2人とも、春斗よりも年上に見える。
「空、そろそろ行くよ 」
「え〜、もう? 」
男性と空の会話は、それはもう家族みたいな……ん? 家族……?
「空、もしかして」
「うん! 私のお父さんとお母さん! 」
それはそうか。こんなところにいるんだ。そりゃあ引き取られてはいる。 私が軽く会釈をすると、笑顔で返してくれた。良い人に引き取られたらしい。
それから少しだけ空と話をして、その後で空は帰ってしまった。どうやらこのあとも予定があるらしい。空との会話の中で、気になる点が一つあった。『養子縁組』どうやらそれをすると本当の家族になれるらしい。
それを春斗に言ったら、いったいどんな顔をするのだろうか。少しだけ楽しみになってきた。
って、あれ?
「春斗とアズキ、まだ……? 」
お腹から切ない音を鳴らしながら、私はまた1人で机に突っ伏した。