目を覚まし、初めに視界に入ったのは見慣れた天井だった。
耳に届くのはテレビの音声のみ。多分クロネがテレビを見ているのだろう。
なら、アズキは台所で朝飯を作っているのだろうか?しかし、毎日のように嗅いでいた美味しそうな味噌汁の匂いも軽やかな包丁の音も聞こえない。
熱気による精神的攻撃と、頭痛による鈍い痛みに耐えながら体を起こし、台所を覗く。
そこには誰もいなかった。
それどころか鍋もフライパンも使用されていない。
もちろん、布団の中にもアズキの姿はなかった。
「クロネ」
「……何? 」
「昨日、何があったか覚えてるか? 」
俺の記憶が正しければ、昨日はクリスマスで遊園地に出かけたはずだ。
そしてそこでアズキに告白みたいな事を言われて……
曖昧な記憶を辿り、なんとか昨日の出来事を思い出してみる。
が、それはどうやら無駄だったようだ。
「昨日は、朝からアズキがお風呂に引きこもった日」
根本から俺の記憶と違った。
不思議そうな顔をしているクロネに、俺が考えていた昨日の出来事を話すと、「夢じゃない? 」と片付けられてしまった。
夢にしては、かなりリアルな夢だった。
ちらりとカレンダーを見ると、まだ9月のページを指している。
よく考えたら、まだこんなに暑いのに12月のわけがないじゃないか。
冷房を起動させながら、ふと思い出す。
『好きです』
その言葉と、唇の感触。
その瞬間顔が熱くなったのが分かった。頭の中がまるでミキサーにかけられているかと思うくらいにぐちゃぐちゃに混乱している。
もちろん、夢だって事はわかっている。しかし、意識せずにはいられなかった。今この場にアズキがいたら俺はどうなってしまっていたのだろうか。理性を抑えきれていただろうか。感情的になったりしなかっただろうか。
徐々に心臓の鼓動が激しくなり、息が荒くなる。
「どうしたの? 」
クロネに声を掛けられ、俺は我に返った。
あぁ、そうだ。俺はいったい何を期待している。
アズキが俺を好く理由なんてどこにも無いはずだ。
いつまで思春期を引っ張るつもりなんだ、俺は。
「本当に、気持ち悪い男だな」
俺の呟きが聞こえたのかは分からないが、クロネは座ったまま俺を見上げていた。その顔は、少し不安気だ。
……いけない。俺のせいで空気が重くなってしまった。
自己嫌悪をする俺に自己嫌悪をするという意味のわからない状況の中、なんとかこの状況を打破する方法を考える。
そういえば、クリスマスが夢ならプレゼントもあげられてないんだよな。それに、外出も最近してないし。
唐突にCMが耳に届いた。
それは県内の水族館のCMだった。けして近くはないが遠くもない場所にある、そこそこの規模の水族館。
そんなCMを、クロネは食いつくように眺めていた。
……そうだ。
「なぁ、クロネ。アズキを呼んできてくれないか? 」
「なんで急に? 」
「少し、出かけようぜ」
頭を撫でながら言ったら、クロネは目を輝かせて風呂場へと飛んでいった。
そして数分後、アズキは顔を覆いながらクロネに引っ張られてきた。
その姿は、発情していた頃よりはマシだが、服が濡れて下着が透けて見え、髪が頬に張り付いている。なんだか、以前よりもエロく見えてしまう。
下着を見まいと視線を上にすると、耳も濡れて倒れてしまっていた。
……仕方ないな。俺はしまってあったバスタオルを取り出す。
「アズキ」
呼びかけると、顔を覆っている指の隙間から視線だけを向けてくる。
俺は腰を下ろし、胡座で座る。
「ほら、早く来いよ。 風邪ひいたら大変だ」
膝を叩きながら促すと、アズキは耳まで真っ赤に染め上げ、肩を震わせた。
恥ずかしいのだろうか?しかし、俺がもう1度呼びかける前にしっかりと顔を隠したまま俺の足の上に乗った。
「やっぱり、びしょびしょだな」
「ぬ、濡れてなんていません! 興奮なんて、してないんですから! 」
「そういう意味じゃねぇよこのエロ犬! 」
反射的にチョップをかましてしまった。そのおかげでアズキは顔を覆っていた手を離し、叩かれた頭を抑えながら涙目で俺を睨む。ようやく俺はアズキの顔を見る事が出来た。
笑いながら「悪い」とだけ返し、手に持っているバスタオルで髪を拭く。体は後で自分でやってもらおう。
力を込めすぎて、多少乱暴になってしまったかもしれないが、アズキは笑って許してくれた。
さて、次は耳だ。
タオルで包み込み、水を染み込ませるようにする。
それから優しく撫でるよう拭いて完了だ。ドライヤーで乾かしたいところだが、まずは着替えてきてもらおう。
「春斗さん、耳を触るの慣れてきましたね」
「あぁ、確かにな」
1番初めに触ったのは確か出会ったばかりの頃か。
あの時は偽物の耳だと思っており、少し乱暴気味に触れてしまった結果アズキが座り込んでしまったのだ。
出会ってまだ半年も経っていないはずなのに、何故かこんなにも懐かしい気持ちになる。
「春斗」
思い出に浸っていた俺を現実に呼び戻したのはクロネの声だった。
振り向くと、いつの間にかワンピースに着替えを完了させていたクロネがそこに立っていた。
「夕方には冷えるんじゃないか? 」
「平気」
クロネは、畳んであった自分のパーカーをワンピースの上から羽織る。白の上に黒なので色合い的には問題ないと思うが、何せワンピースとパーカーだ。その組み合わせは正直どうかと思う。
俺の反応を見て感じたのだろうか。クロネは少しため息をつき、パーカーを脱ぎ、ワンピースにも手をかける。
その際に俺は背中を向けてやる。最近ではこれが当たり前になってきている。アズキやクロネが着替えている時は俺が背を向ける。
少女達の肌を見ないようにと、俺なりの配慮だ。
「これでいい? 」
「着替え終わりました〜」
二人が着替え終わるのはほぼ同時だった。
アズキもクロネも、出会った時と同じ服を着ている。
「ああ。それでいいぞ」
さてと。そろそろ俺も着替えよう。そして、二人を楽しませてやろう。
今朝見た夢より、二人を笑わせてやるんだ。
俺が着替えに手を伸ばした時、三人同時に腹の音が鳴り響いた。
そういえば、朝飯を食っていなかったな。
俺達は見つめ合い、そして笑った。
あぁ、こんな日々がいつまでも続けばいいのにな。