月の魔物の伝説   作:愛崩兎

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第七話 つかの間の平穏ともう一人のプレイヤーについて

 

 ビーストマンの国の首都、その中心には、これまで存在しなかった巨大な城が立っていた。

 その城は荘厳にして華麗な装飾が施され、ビーストマンの国にはふさわしくないほどまでに美しかった。

 事実、それはビーストマンが作ったものではなかった。

 

 その城の最奥、玉座の間にて。

 

「此度の敗北、まことに申し訳ございません。斯くなる上は自害してお詫びしとうございます」

 

 この城に唯一残られた至高の方、慈悲深き絶対の主が腰掛ける玉座に向けて跪きながら、リュカオーンは自らの鋭い鉤爪を喉元に当てた。

 

 リュカオーンの心は絶望に満ちていた。

 それは死に対する絶望ではない。死は恐れるものではない。敬愛すべき主のためならば、リュカオーンは喜んで死ねる。

 しかし、今の自分に与えられるのは、主のために死ぬ名誉ではなく、恥辱にまみれた償いの死だ。

 

 無論、リュカオーンは此度の失態を自分の死によって償えるとは考えていない。しかし、リュカオーンはこれほどまでの失態を償う方法が、死以外に思いつかなかった。

 

 リュカオーンは指に力を込める。徐々に爪が皮膚に食い込み、喉が爪を突き破ろうとしたその瞬間、玉座から威厳と覇気に満ちた声が響く。

 

「やめろ。貴様が自害したところで何の意味がある。私の手駒が減るだけだ」

「はっ、申し訳ありません、我が主」

 

 リュカオーンは即座に手を引っ込め、再び完璧な姿勢で跪いた。

 死を迎えられず、リュカオーンの絶望はさらに深まる。

 あれほどの失態を犯した上に、死すら許されず主に失望されたまま生き恥を晒さねばならないのはリュカオーンにとって苦痛だった。

 

「ですが此度の敗北、私程度の死では償えぬことはわかっておりますが、私の思いつける償いはもはや死しかなく——」

「よい。許す。償う必要もない」

「は? い、今何とおっしゃられたので?」

 

 思わず、といった風にリュカオーンは主の言葉を聞き返す。

 

「許すといったのだ。聞こえなかったか?」

「も、申し訳ありません!」

 

 リュカオーンはさらに頭を深く下げ、謝罪した。

 リュカオーンの絶対にして至高なる主は無駄を嫌う。同じことを二度言わせるという大きな無駄を主にさせたという罪の意識が、リュカオーンを攻め立てる。

 

「そもそも、貴様の此度の敗北を失態とは考えていない。此度の戦いの目的を考えれば、戦争の勝ち負けなどどうでもよかったのだ」

「しかし……」

 

 負けは負けだ。

 目的は勝利ではなくとも、負けるよりは勝つ方が良いに決まっている。

 そんな風なことを言おうとしたリュカオーンを遮って、主人は口を開く。

 

「目的を達成した、という点に注目すれば、此度の戦は大成功だ。私は貴様に褒美を与えていいとすら思っている」

「そんな! 褒美など! 我が主に最上の結果をもたらせなかった私には罰を受ける責あれど、褒美を受けとる権利などありません!」

 

 リュカオーンは慌てて頭を上げ、悲鳴のような声をあげて拒否する。戦に負けた自分が褒美を受け取るなど恐れ多いことこの上ない。

 

 焦るリュカオーンに、主はゆったりと言葉を紡ぐ。

 

「ふむ、此度の作戦目標がなんだったか、覚えているか?」

「は、はい。確と心に刻んでおりました。主人より与えられたビーストマンどもを率いて都市を攻め、『ぷれいやー』が出てくればその情報をなんとしてでも持ち帰り、出て来なければ都市を攻め落とせとの命を受けました」

「そうだ」

 

 リュカオーンの主は、手に持つ上質なワイングラスに入ったワインを飲み干した。即座に給仕によって、グラスにワインが注がれる。

 

 リュカオーンの主はワインによって潤った喉で声を発する。

 

「そもそも、なぜお前にこの世界にきてから得た兵力のみをもたせてあの都市を攻めさせたのだと思う? いや、さらにいうならば、これまでの戦で一度もスコルとハティを使わなかったのはなぜだと思う?」

 

 スコルとハティというのは、この城の最高戦力たる『えぬぴいしい』だ。『えぬぴいしい』というのは、至高の方々が直々に創造されたしもべのことを言う。リュカオーン自身も『えぬぴいしい』だ。『えぬぴいしい』がどう言う意味かは知らないが、主たちがそう呼ぶのだから、そう言うものなのだろう。

 スコルとハティは共にレベル100であり、この城で最強たる主を除けばただ二人のみのレベル100だった。

 そんな二人を使わなかった理由、と聞かれて思いつくのはただ一つ。

 

「ふさわしくない、と思われたのでしょうか?」

 

 この世界の存在は弱すぎる。この城に存在するのは全部で七十人。そのうち戦闘員は二十人だ。

 この世界で最高レベルの強者ですら、その二十の戦闘員のうち最下位に位置するリュカオーンとほぼ同レベルである。

 

 そんな世界でスコルとハティを使うには、相手の格が足りていないと主が判断したのではないか。リュカオーンはそう考えた。

 

「残念だが、違うな」

 

 主の否定に、リュカオーンは自らが主の期待に応えられなかったことを知り、恥じた。

 

 リュカオーンは主の副官ならば理解できるのであろうと、この場にいない主の副官に想いを馳せ、自らの非才を嘆こうとし、しかしそれが「そうあれ」と自らを生み出した創造主への不敬につながると思い直し、やめた。

 

「では、何故なのでしょうか?」

 

 リュカオーンの問いかけに、主人はワインで口を濡らしてから答える。

 

「我々に匹敵する敵に我らの戦力を知らせぬ為。まずそれが第一だ」

 

 敵。そう聞いて思い浮かぶのは、忌々しき月の光を操る人間。

 

 リュカオーンはあの時の敗走を思い出し、思わず歯噛みする。

 

「敵、……『ぷれいやー』ですか」

「そうだ」

 

 主はワイングラスを給仕が持つ銀の盆に置き、手を組んで口を開く。

 

「私がこの世界に来てから、最も警戒しているのが私と同等の存在であるプレイヤーだ。幸いビーストマンの国にはプレイヤーはいなかったが、しかしだからと言ってこの世界のどこにもプレイヤーがいないと判断するのは愚劣極まりない」

 

 ぷれいやー。リュカオーンらえぬぴいしいとは違う、偉大なる世界の開拓者たち。

 彼らは皆強力な力を持つ。

 

「この世界にプレイヤーが来訪していたとして、人間に味方するプレイヤーは多いだろう。私はそう見越して、人間の国を攻める際、極力こちらの手の内を晒さぬように気をつけた。プレイヤーと敵対する際、情報がどれだけ漏れているかで勝率が決まると言ってもいいほどに、情報というのは大切なものだ。故にこそ私はスコルとハティを使わなかったのだ」

「ご慧眼、感服いたしました」

 

 リュカオーンの心の底からの賛辞を受けつつ、リュカオーンの主は玉座の背もたれに体重を預け、口を開く。

 

「プレイヤーの多くはおそらく私と敵対するだろう。そして私に匹敵するプレイヤーも少なくはない。戦いになった時は、もちろん負けるつもりはないが、勝利への布石は大いに越したことはない。事前に情報を集め、相手に情報を渡さず、奇襲によって一気に叩く。プレイヤーという敵を排除するためには万全を期さねばならぬ」

 

 リュカオーンの主は組んでいた手を外し、肘掛に手を置いた。

 

「さて、私がどれだけ他のプレイヤーを警戒しているかはわかったな? 確かに貴様は負けた。だがしかし今私が望んで止まない情報を生きて持ち帰ったのだ。それは十分に褒美に値する」

「我が主……!」

 

 なんと慈悲深い方なのか。

 リュカオーンはより一層忠誠を強め、頭を下げた。

 

「貴様が持ち帰った情報は非常に有用だった。あとは貴様の情報以外にプレイヤーがいないかさえ確かめれば、奴をスコルとハティに殺させるだけだ」

「では再び威力偵察を?」

「そうだな、貴様と、誰かもう一人に二つの離れた都市を同時に攻めさせよう。それでどうなるかによってまた策を練る」

「はっ!」

 

 リュカオーンは敬意を、畏怖を、忠誠を込めて深く頭を下げる。

 

「御命令、確と賜りました。我が敬愛すべき主。ヴァナルガンド様」

 

***

 

 僕の情熱的なプロポーズから数週間。

 転移によっていつでも安全に最前線の街へと転移できるため、婚姻についての手続きや、色々と政務をこなすために、王都へ移動した。

 諸々の手続きを終えた後、形式的に必要とのことで王族としては質素な、しかし国民からは大いに祝福された婚姻のパレードを開催した。

 王都に多くの人が集まり、ささやかながら露店なども開かれ、王都は活気付いた。

 

 パレードが終わってからは、基本を王都で過ごして、敵が来たという知らせを〈伝言/メッセージ〉の魔法で受け取ったら転移によって戦場へ出向くという方式で政務と国防を両立した。

 

 そして今、僕は休憩時間を利用して、対面にいる僕の伴侶となった女性、ファールイロン・オーリウクルスとともに、午後のティータイムを楽しんでいた。

 

「ようやくいろいろと落ち着いてきたな」

 

 そう言いながら僕はソーサーの上に置かれた品のあるティーカップを持ち上げて、口へ運んだ。

 ティーカップの中のミルクティーを一口飲むと、まろやかな味わいとともに芳醇な香りとほのかな魔力を感じる。

 このミルクティーに使われている茶葉はただの茶葉ではない。この茶葉はユグドラシルの九つのワールドの一つ、極寒の世界、ヨトゥンヘイムのとある山で取れる霜の茶葉。名を「フロスト・ドロップ」という。

 フロスト・ドロップは魔力を持った植物であり、紅茶として加工することで、飲んだものに冷気に対する耐性を一定時間与える。

 最も、それほど上質な素材ではないため、与えられる耐性は100レベルに達したプレイヤーからすればそこまでのものではないが。

 

 そしてユグドラシル由来であるこの茶葉は、当然この世界で取れたものではなく、僕の私物である。

 

「そうだな。ビーストマンの攻撃も、先日の二つの都市への同時攻撃を最後に、しばらく止まっているしな」

 

 そう言いながらファールイロンも紅茶を手に取ろうとして、ピタリと止まる。

 

「どうかしたか?」

 

 僕が声をかけるとファールイロンは顔をしかめ口を開く。

 

「いや、なんというかな。これを飲むということはつまり液体のミスリルを飲んでいるようなものと思うと、恐れ多くてな」

 

 フロスト・ドロップはユグドラシルではそこまで価値のあるものでもないが、しかしこの世界においては伝説級の素材だ。

 煮出して飲むだけで強力(この世界基準)な冷気への耐性を一定時間得ることができるなど破格の魔法植物である。

 

 当然、売ればとてつもない値段がつく。それこそ、一杯が同量のミスリルに匹敵するほどの。

 

「まあ、このくらいの贅沢はいいのではないか? 僕の提供したユグドラシル金貨で、財政は持ち直したのだろう?」

 

 ビーストマンへの防衛費などで、かなり限界に近づいていた竜王国の国庫を見て、僕はアイテムボックスに眠っていた1G(10億)近い大量の金貨を、ファールイロンがもうやめてくれと叫ぶまで放出した。

 結果として国庫には黄金が満ち、財政難は解消され、逆に唐突に増えた金の使い道に困るという現象さえ起こった。

 

「そなたには感謝しておる。しておるが、なんというか……このままではこの国がお主に依存してしまいそうでな……。そなたとは持ちつ持たれつというか、健全な関係でいたいのだが……」

「しかし今は緊急事態。金はいくらあっても困らんだろう。使えるものは使うべきだし、健全不健全で民衆に不自由を強いるわけにもいくまい」

「まあ、そう言われればどうしようもないのだが、妻として夫に頼りきりというのはダメだろう。何かお主に報いたいと思うのだが、お主に捧げられるものが何もないからな」

 

 顔を赤らめて言うファールイロンに、微笑みかけながら僕は口を開く。

 

「報い、というのならばすでにもらっている。君が隣にいてくれれば僕はもう十分だ」

「なっ!」

 

 思わず声をあげ、顔を真っ赤にするファールイロン。

 

「そう言うのは、ずるいぞ」

 

 俯いて言うファールイロンが、あまりにも可愛くて、僕はくすりと笑う。

 

 ファールイロンは俯いてしばらく唸った後、落ち着いたようで、顔を上げミルクティーを飲んだ。

 

「ふう。……しかしそなたはデタラメよな。莫大な財を持ち、並ぶものなき武を誇る」

「僕よりも財を持つものは多いし、僕よりも強いものも多いのだがね」

「それはユグドラシルという場所での話であろう?」

「まあ、そうだな」

「ユグドラシルとはどんなデタラメな場所なのだ……」

 

 ファールイロンの呆れたような、驚愕したような、あるいは諦めたようなため息交じりの言葉に、僕は思わずユグドラシル時代の仲間たちへと思いをはせる。

 

 モモンガさんは、仲間たちはどうしているだろうか。あるいは彼らもこの世界に来ているのだろうか。

 

 大量の金貨の対価として、国の情報機関でナザリック、あるいはそれへの手がかりを探してもらっているが、今のところそれらしい情報は見つかっていない。

 仲間たちが異形種であるというのはぼかして話したため、それが災いしている可能性もあった。

 あるいは人間の生存圏以外に来ている可能性もあるが、しかし来ていないという可能性が最も高いだろう。

 

 思わずため息が出る。仲間たちとはもう二度と会えないのだろうか?

 

「どうした?」

 

 ファールイロンが僕の顔を覗き込む。どうやら深刻な顔をしてしまっていたらしい。

 

「いや、少しかつての仲間について考えてしまってな」

「ああ、アインズ・ウール・ゴウンか。……すまぬ、何も手がかりを見つけられなくて……」

 

 落ち込むファールイロンに、慌てて声をかける。

 

「いや、気にすることじゃない。仲間たちはきっと元気でやっているだろうからな。それに、今はかつての仲間より大切なものもできた。僕は今幸せだよ」

「そう、か?」

「ああ、そうだとも」

 

 僕はファールイロンの手を握りながら、笑いかける。

 

 ファールイロンは僕の目を見つめ、決心したように口を開いた。

 

「そうか。……だが、いつかはきっと、そなたの仲間たちを探し出してみせるぞ!」

「ああ、よろしく頼む」

 

 笑顔が戻ったファールイロンに、僕も微笑み、握っていた手を若干名残惜しく思いながらはなした。

 

「ファールイロン」

「なんだ?」

「愛してる」

「我もだ」

 

***

 

「ふむ、それでは二正面作戦の際も、出て来たのは一人だけだったのだな」

 

 王座の間に、覇気に満ちた声が響く。

 

「はっ、かの月光を操る人間は、片方をあの光の津波で殲滅した後、もう片方へと移動し、今度は光の津波を使うことなく万夫不当の大立ち回りを演じ、我々を撃退しました」

 

 リュカオーンはヴァナルガンドへと戦の結果を報告した。

 それはヴァナルガンドを満足させるに足る情報だったようで、ヴァナルガンドは微笑んでいた。

 

「そうか。ならばあのスキル、あるいは魔法はクールタイムが長い、あるいは回数制限が厳しいと見るべきであろう」

「おっしゃる通りかと思われます」

「よく情報を持ち帰った。よくやったな、リュカオーン」

「恐悦至極……!」

 

 ヴァナルガンドから直接与えられた賞賛に、絶頂しそうなほどの喜悦がリュカオーンの全身を駆け巡った。

 リュカオーンは深く頭を下げ、感謝の言葉を紡いだ。

 

「相手は一人であるとみていいな。これならばスコルとハティを出撃させれば終わる」

「では今すぐにでも?」

 

 ヴァナルガンドはしばし悩み、答えた。

 

「二ヶ月後だ。捨て駒とはいえ、戦力が減ったのは痛い。二ヶ月かけてビーストマンどもを再編し、スコルとハティとともに同時に攻めさせる」

「はっ!」

「そのプレイヤーの位置はわかるな?」

「はい。占術を使い把握しています。奴は基本的に竜王国の王都におり、戦の時のみ前線に出ているようです」

「ならば二ヶ月後、王都へ転移門を開き、スコルとハティ及びビーストマンどもを送る」

「承りました」

 

 ヴァナルガンドは、大きく裂けた口を歪め、低く、威厳のある、王のような声を出した。

 

「決戦は二ヶ月後だ、待っていろよヒューマン」


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