第五話 竜王国と獣狩りについて
ナーガを倒してから数ヶ月たち、僕の首からはミスリルのプレートが下がっている。
数ヶ月間多種多様な依頼をこなし、ついには伝説級と謳われる——最も僕からすれば雑魚だが——ギガントバジリスクを倒したことで、昇格が認められた。
ミスリルへと昇格し、依頼が減って暇をしていた頃に、僕の耳に一つの噂が入ってきた。
なんでも竜王国がビーストマンの国と戦争をしているらしい。
その戦争は現在絶望的な戦況であり、すでに三、四つの都市を落とされたとか。
今この瞬間も、多くの人々がビーストマンに食われているという。
王国に伝わってきた情報は断片的だが、一貫しているのは状況が絶望的で、戦力が足りていないということ。
その噂を聞いて、一つの心配が浮かぶ。それはこの世界にきた直後に助けたヒッテリカさんやローランドたちについてだ。
もしかすれば、今も竜王国で増え続けている死者の内に、ヒッテリカさんやローランドが入ってしまうかもしれない。
一度助けた相手が死んでしまっては寝覚めが悪い。
助けに行くべきなのだろうか。
ビーストマンは一般的に難度三十、強くても難度六十から七十らしい。難度とは冒険者の間で使われるモンスターたちの強さの尺度のことで、体感した限りではその数字はレベルの三倍くらいだ。つまりビーストマンは強くても23レベル程度ということ。僕にとっては雑魚だ。
僕ならば、ビーストマンを殲滅することなど容易いのでは?
しかし油断は禁物だ。どこに強者が潜んでいるかわからない。
死にたくなければ、戦わなければ良い。金なら十分にあるし、今から隠居しても良いだろう。
でも僕は竜王国の話を聞いて、少しでも助けになるのなら行くべきではないかと思ってしまったのだ。
ヒッテリカさんやローランドの顔が思い浮かぶ。彼女たちを見殺しにして、本当に良いのだろうか?
罪悪感が僕を苛む。
助けられる力があるのに助けない、それは怠慢を通り越して、加害者と同一ではないか?
もちろんそんなことはない。力があるからといって、義務が発生するわけではないのだ。
けれど僕の心に巣食う人間性が叫ぶ。助けられるならば、助けるべきだ、と。
僕は結局、竜王国に来た。
人間性を捨てれば、そこには亡者が生まれる。僕はまだ、生者でありたかった。
***
その日は竜王国にとって絶望の日であった。
ビーストマンとはこれまで小競り合いが続くのみであった。しかし、それはビーストマンの国に、真なる王などという存在が生じるまでのことだった。
真なる王とやらを頂点にいただいたビーストマンは、これまでの小競り合いのみですませる姿勢から一転、本格侵攻を開始した。
ビーストマンたちは、真なる王とやらに率いられ、今までより格段に強くなり、竜王国を蹂躙した。破竹の勢いで四つの都市を落とし、竜王国の王都を目指し侵攻を繰り返している。
そんなビーストマンとの戦争、その最前線。本来ならば国境からは程遠い内地と呼べる場所にあるはずの都市。
その都市は簡易的に城塞化されており、簡単な防壁によって囲まれていた。
そしてその防壁の向こう、地平の彼方に、夕焼けに照らされる黒い絨毯がある。
否、それは絨毯ではない。それをよく見れば、それが異常に蠢き、都市めがけて移動していることがわかるだろう。
簡易城塞都市の見張り番、オットー・フレンデルは、その光景を信じたくなかった。
彼の望遠鏡に映る光景、それは終末。七つのラッパがなったかのごとき地獄の顕現。
地平に浮かぶ黒い絨毯の正体は、幾百幾千幾万のビーストマンの大群。
かつてない大侵攻であり、それは竜王国にとっての絶望を表す。
この都市が落とされなかったのは、籠城という戦法と、攻撃が散発的であったからだ。防壁の門を固く閉ざし、散発的にくる数千ほどの攻撃を、冒険者たちと協力して退けるだけでよかった。
それすらも少なくない犠牲を伴ってのことであったというのに、今回は十万近い大群である。まず間違いなく、この都市は落ちる。
十万での攻勢など本格侵攻が始まって初であり、ともすれば王都が落ちることも、否、竜王国が地図から消えてなくなることも予想された。
数千による侵攻は、おそらく戦力を図るための小手調。この十万の侵攻を成功させるための、単なる調査だったのだ。
真なる王とやらによって強化されたビーストマン一体を倒すのに、熟練の兵士が二人はいる。冒険者で言えば銀から金級が二人だ。ならば十万のビーストマンを倒すには、いったい何人の熟練の兵士を用意すればいいというのか。
しかも、ビーストマンの強さも一律ではない。戦士級と呼ばれる存在は、倒すのにミスリル級がいる。戦士級の数は多くはないが、しかし十万の大群の中で戦士級が十人二十人しかいないというのは楽観が過ぎるだろう。
まさに絶望。もはや竜王国がビーストマンの津波に飲み込まれるのは必至。滅亡は避けられない。
オットーは崩れ落ちそうになる膝を必死に抑え、報告に走る。この絶望を打ち砕く何かがあることを、天に祈りながら。
***
口ひげを蓄え、首から下をフルプレートメイルに身を包んだ大男、フェルグロイ・マックールは、防壁の上でビーストマンの大群を見ていた。ビーストマンの大群はもはや都市の眼前に迫っており、十万の足音が聞こえてくる。
フェルグロイ率いるアダマンタイト級冒険者チーム〈虹彩の剣〉を筆頭に、大勢の冒険者や、兵士。とにかく戦力になるであろう全員が集まり、決戦に備えていた。
日はすでに暮れ、地平の彼方から月が顔を出している。
「こいつぁやべぇな」
思わず、というふうに、フェルグロイの口から声が漏れる。
その言葉に反応したのは、虹彩の剣の魔法詠唱者、コルケイン・ケルナッハ。第四階位魔法に手が届いた、人類の希望の一人だ。
「あまり戦闘の前に弱腰になるんじゃない。お前が弱気になれば軍全体に影響が出る」
「弱気になったんじゃないさ。こいつらを全員ぶち殺した後の褒賞を考えるとよだれが止まんなくってやばかったんだよ」
フェルグロイの軽口も、空元気であることをコルケインは見抜いていたが、しかし何も言わなかった。
虹彩の剣ならば、十体のビーストマンを屠ることは難しくない。百体も、なんとかなるだろう。だがそれが千なら? 万なら? ましてそれが、十万なら?
虹彩の剣のメンバーは、皆ここで死ぬことを覚悟していた。
本来ならば国家の戦いに介入する義理などない冒険者という立場にありながら、しかし彼らは祖国のために立ち上がった。
蹂躙される自分たちの祖国を、陵辱される民を見て、居ても立っても居られなかったのだ。
民衆のため、祖国のために、戦いに身を投じる彼らはまさに英雄。
しかしそんな英雄たちも、十万のビーストマンには、絶望を感じずにはいられなかった。この力でも優れたビーストマンが、数の力を使い攻めてくる。これを絶望と言わずなんというのか。
「くるぞ」
フェルグロイがいう。ビーストマンと都市の距離は、100メートルもなかった。
ビーストマンの咆哮が聞こえる。獣の聲。ああ、なんと恐ろしいのか。奴らは皆、人間の血肉に飢えているのだ!
弓兵が矢を射かけるが、それで死んだビーストマンはほとんどいない。強靭な毛皮が、矢を弾いているのだ。
十万の大群が唸りを上げなだれのように都市の防壁に激突する。
都市の防壁へ張り付くビーストマンたちが壁を登ってこようとするのを兵士たちが必死に叩きおとす。
ビーストマンの弓兵や投石兵が、火矢を射かけ、石を都市の内部へと放る。
フェルグロイ率いる虹彩の剣の前衛と、その他冒険者チームの前衛は、城壁を飛び降り、ビーストマンたちを切り伏せる。
魔法詠唱者のコルケインは、城壁の上から〈ファイアボール/火球〉を連射する。範囲攻撃であるファイアボールは直撃したビーストマンを丸焦げにし、近くにいたビーストマンをも焼いた。
他の冒険者チームや魔術組合の魔法詠唱者たちも、自分が使える範囲で最高の魔法をビーストマンに打ち込み、ビーストマンの数を少しでも減らそうとする。
フェルグロイはアダマンタイトによって作られ、魔化を施された魔法の剣。虹彩の剣というチーム名の元となった剣を引き抜いた。これはとある遺跡にて見つけた剣であり、特筆する魔法効果として、三つの効果をランダムで発揮するというものがある。その三つとは炎、雷撃、酸。剣を振るえば、そのどれかの属性の追加ダメージを相手に与えるのだ。
その剣を振るい、ビーストマンの首をはねる。ビーストマンの首の断面に炎が迸り、断面が焼け焦げる。今回は炎の追加ダメージを与えたようだ。
虹彩の剣のメンバーは一騎当千の実力を発揮し、ビーストマンたちを殺し始める。
それを見て、あらかじめ外に待機していた一般の兵士たちが横合いからビーストマンに突撃する。
ビーストマンは突然の横合いからの襲撃に驚き、一時的に混乱する。
それを見逃す虹彩の剣ではない。
虹彩の剣の槍兵、クークルト・フルーリンは自慢の槍を振り回して一回転させ、周囲にいたビーストマンを吹き飛ばす。
ウォープリーストのクルフーア・マックネサが巨大な戦鎚を振り下ろし、ビーストマンの頭を砕く。
アサシンのイーフェア・コンラが、切れ味の良い短剣でもってビーストマンの頸動脈を切断する。
そしてフェルグロイの剣が、数体のビーストマンをまとめて引き裂く。酸や電流が迸り、ビーストマンを確実に絶命させる。
しかしそれでも、ビーストマンの数は減らない。獅子奮迅の活躍を見せる虹彩の剣が削ったビーストマンの数は、十万からすればあまりにも少ない数だ。
一般の兵士たちが横合いから殴りつけたことによって発生した混乱から、ビーストマンは立ち直る。
一般兵はほとんどがビーストマンに食い殺され、その命を散らした。ビーストマンの全軍が、再び城壁を突破することに全力を出し始める。
冒険者たちは、兵士たちは必死に戦っている。ビーストマンを都市に侵入させぬため。自らの祖国を守るため。
槍が貫き、戦鎚が叩き潰し、短剣が切り裂き、魔法が降り注ぎ、剣が両断する。
虹彩の剣は絶望の群れに押しつぶされながらも、それを必死に押し返す。周囲にいたはずの冒険者たちは、随分と少なくなり、その分虹彩の剣にビーストマンの攻撃が集中する。
開戦からわずかな時間で、竜王国軍は、限界を迎えようとしていた。
***
ごう、と唸りを上げて振るわれたアダマンタイトの剣が、ビーストマンの頭を守る腕をへし切り、そのまま頭蓋を真っ二つにする。
フェルグロイは軽く息を吐き、続けざまにクークルトの背後に迫るビーストマンを叩き切る。
「すまない」
「気をつけろよ」
クークルトに軽く返答し、次のビーストマンを唐竹割りに。
アダマンタイトの剣は血糊でベタベタだ。魔法効果により切れ味が落ちることはないが、軽く振って血糊を落とす。
息が荒くなる。気を抜けば倒れてしまいそうだった。フェルグロイは深呼吸をして、カッと目を見開く。
もう何体のビーストマンを殺したかわからない。それでもなお、ビーストマンの数は多い。目に見えて減っているようには感じられない。未だビーストマンは四方八方から迫り来る。それを必死にいなし、かわし、叩き切るが、いくら殺しても次のビーストマンが襲いかかってくる。
許されるなら今すぐ気を失いたい。フェルグロイの体はとっくに限界を超え、喉から手が出るほどに休息を欲していた。
しかし休むことは許されない。休むのはこの戦いが終わってからだ。フェルグロイは竜王国の国民すべての命を背負っている。ここで休むわけにはいかない。
「おおおおおおおおお!」
自らに喝を入れるように雄叫びをあげながら、フェルグロイは剣を振るう。体重の乗った一撃が自らに迫るビーストマンを叩き切った。
そしてほんの一瞬。ほんの一瞬だけ、フェルグロイは気を休めた。それは意図したものではなく、限界を通り越した体がそうさせた。
それがいけなかったのだろう。
「ぐっ、あ……!?」
フェルグロイの体から、鮮血が噴き出す。
見れば、その胸部は鎧ごとえぐれ、血肉と肋骨を外気にさらしていた。
その原因となったのは、ひときわ大柄なビーストマン。おそらくは戦士級だろう。右手の鉤爪には、フェルグロイの血肉がこびりついていた。
そのビーストマンはフェルグロイが気を休めた一瞬に、閃光のごとくフェルグロイの胸をえぐったのだ。
フェルグロイはゆっくりとその場に倒れこむ。立てと体に念じるが、わずかに首が動くだけで、体はまるで動かない。
このままではいけない。フェルグロイは思う。自分が倒れれば誰が都市を守るのか、と。援軍はない。すでに全軍がこの都市に集結していた。先ほどの横殴りが唯一の援軍と言える。
状況は絶望的、ここで立たねば、待つのは都市の陥落。
しかし体は一向に言うことを聞かず、大地に伏したままだ。フェルグロイは己の不甲斐なさに憤慨する。
フェルグロイの意識が遠くなる。血を流しすぎたのだ。
ああ、自分は死ぬ。
フェルグロイは自分の死を予感した。
目の前には、自分の胸を抉り取ったビーストマン。それは舌なめずりをしながらフェルグロイの方に一歩ずつ近づいてくる。その目は自らの同胞の仇をとれる喜悦に輝いていた。
(すまねぇ。俺はここで終わりみたいだ。後は頼む)
フェルグロイは、襲いくる死の苦痛に覚悟を決めてゆっくりと瞳を閉じ——
***
僕が竜王国の最前線の街に着くと、そこはすでに戦場だった。
今僕がいる防壁の上から見える光景は地獄。地平の彼方より迫る幾万のビーストマンの軍勢。それを必死に押し返そうとするも、まるで敵わぬ人間たち。
絶望という絶望を超えた、眼前に迫る滅びの風景。僕はその光景に、帰って冷静になってしまったのか、何の感情も抱けない。
ただ、擦り切れた人間性が叫ぶ。あの人を脅かす醜悪な怪異を、忌々しき獣を、人類の怨敵たるビーストマンを、殺さねばならないのだと。
刻一刻と人が喰い殺されていく。僕は死にゆく彼らを助ける力がある。ならばあとはやることは一つだった。
僕は一振りの剣を引き抜いた。
それは、淡い銀色の美しい大剣だった。
その大剣は仲間とともに作り上げた傑作の一振り。特異な仕掛け武器にして
魔力の秘匿もされておらず、濃密な魔力を感じさせる最高峰のマジックアイテムであるそれを、僕は右手に握り、目を閉じて深呼吸を一つ。
僕は目を見開く。眼前の戦場では、今まさに一騎当千の活躍を見せていた剣士がビーストマンの攻撃を受け、倒れ伏していた。
僕は勢いをつけ、防壁から飛び降りた。
***
ふ、とフェルグロイの鼻腔を何かの香りがくすぐる。それはこの世のものならざる香り。強いて言うならばそれは、そう、月の香りだった。
フェルグロイは閉じかけていた瞳を開ける。なぜかはわからない。しかし、瞳を閉じていてはいけない気がした。
瞳を開ければそこには一人の男が立っていた。夜色の装束に身を包む彼は非常に美しく、ともすれば女性のようだったが、しかしフェルグロイの相手の性別を見抜くタレントにかかれば性別を見分けるのは容易だった。
「そこの君。死ぬにはまだ早いだろう」
彼はそう言うと、フェルグロイに赤い、血のように赤い液体をかける。フェルグロイが何ごとかと思う暇もなく赤い液体はフェルグロイに染み込み、そしてフェルグロイの全身の傷が瞬く間に塞がった。
フェルグロイは驚愕する。あれはポーションだったのか!? と。
フェルグロイは常人よりも頑丈で、それ故か深い傷を直そうとすれば常人よりも多く、または質の良いポーションを使う必要があった。そんなフェルグロイの、胸をえぐられた大怪我を一瞬で直すとは、どれほど効果の高いポーションなのか。
「ありがたい。これでまだ戦える……!」
言って、立ち上がろうとするフェルグロイを、彼は手で制した。
「君はもう十分に戦ったのだろう。そこで休んでいるといい。ここから先は、僕が引き継ぐ」
彼はそう言った後、右手に持つ大剣を掲げた。
銀色の、美しい大剣だった。
そして彼はその銀色の大剣に手をかざす。
するとどうしたことか。銀色だった大剣は、暗い宇宙の深淵をその刀身に宿し、荘厳な青緑色の、否、青き月の光を纏う。
いかなる剣にも勝る清浄な波動を放つ聖なる剣。その剣は銘を、『月光の聖剣』と言った。光り輝くその剣は、まさに導きの月光。青き月の力を宿す、神秘の剣である。
その刀身を軽く振るえば、蛍のように月光の破片が漂い、夜に閉ざされた世界を暗緑色に照らす。
その光景は何よりも神秘的で、この世のありとあらゆるすべてより美しかった。
そして彼がその月夜の燐光を迸らせる月光の聖剣を、意思を込めて振るえば——!
「ああ……!」
そこにあったのは救いの光景であった。
天に爛々と輝く青き月の光、その奔流が巨大な半月状の刃となって飛翔し、百を優に超えるビーストマンを切り裂いていた。
ビーストマンたちはその光景に恐れをなしたかのように距離をとる。
それはビーストマンの、初めての後退だった。
それは希望の光景。人類の切望した救い。
「さあ、クルーシュチャの狩りを知るがいい」
彼、否、クルーシュチャはそう言って、月光の聖剣を煌めかせた。
月光の刃が一閃二閃三閃と飛翔し、ビーストマンを削り殺していく。
先ほどまでの苦労が嘘のように、ビーストマンの数が減っていった。
フェルグロイはその光景を信じられなかった。あれほど恐ろしかったビーストマンたちが、塵のように払われていくのだ。
ビーストマンたちがクルーシュチャに四方八方から襲いかかる。ビーストマンは、数の暴力で彼を押しつぶそうとしたのだ。
しかし、それに素直にやられる彼ではない。
「ふんっ!」
クルーシュチャは月光の聖剣を暗く輝かせると、その刀身を地面に勢いよく突き立てた。
すると、地面から沸き立つように月光の散乱が放たれた。拡散する月光の波動は、ビーストマンたちを吹き飛ばし、肉片へと変える。
そしてクルーシュチャは月光の聖剣を地面から引き抜くと、汚れを払うように一振りし、再びビーストマンたちへ光刃を飛ばす。
月光が煌めくたびに血肉が舞い散り、無数のビーストマンが死んでゆく。
状況に焦ったのか、戦士級のビーストマンの中でも有数の強者、すなわち人類にとっての恐怖、30レベルに近いそれらが徒党を組みクルーシュチャに襲いかかる。
ビーストマンの切り札たる精鋭部隊であるそれは、月光に恐れをなしながらも、しかし勇敢にクルーシュチャに向かっていく。
クルーシュチャはそれを見て、月光の聖剣に力を溜め、神速の突きを繰り出した。
「はあっ!」
その掛け声に合わせるように、刀身から暗緑色の光の爆発が巻き起こり、月光が瞬く。神秘的で美しい月光の散乱は、しかしその見た目に似合わぬ破壊力を持って精鋭部隊を無様な肉塊へと変えた。
破竹の勢いでビーストマンの数を減らすクルーシュチャは、ビーストマンの数が未だ多いのを見て、何事かを決意したように息を吐く。
そしてクルーシュチャは月光の聖剣を自分の正面に、天に突き立てるかのように掲げた。
月光の聖剣はひときわ強く輝き、暗い宇宙の深淵に舞い散る月光を収縮させる。
それは月光の集結。拡散する月光の奔流が、刀身に蓄えられていく。
クルーシュチャは月光の聖剣の輝きが極限に達し、光の破片が火の粉のように大気に撒き散らされると、月光の聖剣を勢いよく振り下ろした——!
その瞬間、収縮した月光の奔流、ありえざる宇宙の深淵が封印から解き放たれる。極大の閃光が濁流のごとくビーストマンに襲いかかり、その光に触れた者から塵へと変える。
それは撃滅の聖光。ありえざる青き月の神秘。
地平の彼方まで届かんばかりの、絶対的な破壊力を宿す青き月の真なる力は、ビーストマンの軍勢の大半を飲み込み、喰らい尽くした。
その光景はあまりに美しかった。切望した救いの光景に、フェルグロイは一筋の涙を流す。
フェルグロイが感動の涙を流す一方で、ビーストマンはこの世に顕現した破滅の光景に絶望していた。
「あれはなんだ! あれはなんだ!! あんな化け物がいるなど聞いていない! 聞いていないぞ!」
ビーストマンの部隊長らしきオスが吠えたてる。
「わかりません! わからないのです! 報告ではあんな輝く剣を操る化け物はいなかったはずです!」
補佐官らしきオスが応える。それは部隊長が望む言葉ではなかった。
その間にも、次々とビーストマンは死んでゆく。人類は希望の涙を流し、ビーストマンは絶望の声を上げる。
拡散する青き月の輝きは、ビーストマンの尽くを潰し、砕き、切り裂き、焼き尽くし、灰燼に帰す。
ビーストマンにわずかな抵抗すら許さず、狂おしき月の波動がビーストマンを地獄へ叩き込んだ。
それは皆知らぬことだが、その月の奔流は、種族、月の魔物のスキルだった。日に一度のみ使うことができる、極大の範囲攻撃。そのスキルの名は〈青き月の奔流〉。ユグドラシルのGVGにおいても恐れられた、究極の一である。
***
「逃げろ! 撤退だ!」
恐怖に駆られたビーストマンの指揮官たるワーウルフ、リュカオーンが叫ぶ。
その声は獣の遠吠えにも似て、周囲によく響いた。
リュカオーンは叫びながら自らも走り、月光を操る人間から逃げていた。
「やはりいた! いたのだ! 隠していたな! 隠していたのだ! 我が主の言う通りだ!」
リュカオーンは狂ったように何事かを叫ぶ。それは大勢のビーストマンにとって意味のわからぬこと。
「いたぞ! 見たぞ! 見つけたぞ!」
かつて十万を誇ったビーストマンの軍勢は、五分の一以下までに数を減らしていた。
壊滅。その言葉がよく似合う、絶望的な状況だった。
ビーストマンたちは月光に恐れ戦き、散り散りににげまどう。
転んだビーストマンが、他のビーストマンに踏み潰されて肉塊に変わっていく。
勇猛を尊ぶビーストマンとは思えぬ、無様な姿だった。
「指揮官殿! 指揮官殿は、あれが何か知っているのですか!?」
副官らしきオスが吠えるように言う。
それは攻め立てるような口調であった。知っていたのならば、なぜ何もしなかったのか。
「知っているが、知らない! あれ自体のことは知らなかった! だが俺はあれと同じ存在を知っている!」
「それはなんだというのですか!? あの化け物と同質の存在とは!」
副官の問いに、しばし目をつぶり沈黙するリュカオーン。その顔には焦りと、畏怖と、恐怖が入り混じって浮かんでいた。
やがてリュカオーンはゆっくりと口を開く。
「あれは、あの恐ろしき、畏怖すべき存在は!」
リュカオーンは目を見開く。
「ぷれいやー! 我が絶対なる主と存在を同じくする、ぷれいやーだ!」
***
ビーストマンは地平の彼方へと消えていき、後には無数の死体のみが残った。
戦いは終わった。人類は、ビーストマンに勝利したのだ。
フェルグロイは立ち上がり、歓声を上げた。
その日は竜王国にとって絶望の日
今では、希望の日だ。