学年別トーナメント一年の部、三日目の夜。
一〇二七号室はどんよりとした空気に包まれていた。
清香は茶を盆に載せる。自分とルームメイト、そして藤原の分だ。
「あったかいのしかなかったけど」
「ありがとー」
櫛灘が湯飲みを受け取る。
「アチッ」
櫛灘が口元を手の甲で拭う。
客人である藤原が湯気を吹き、朱唇を慎重に近づける。
「で、何か具体案は出た?」
無造作に置かれた数枚の写真。悪趣味な写真が混ざっている。清香は見ないことにするだけの良識を持ち合わせていた。
湯飲みを置いた櫛灘が頭を抱えてしまった。先日、生徒会長に呼び出されたときのようだった。
「どうしちゃったの? この子」
「セシリアさんと凰さんに……一方的にボコられる光景しか思い浮かばないんだよね」
清香は相づちを打つ。
櫛灘はネット弾で動きを封じ、袋だたきにするという手法で勝ち残ってきた。きれいな勝ち方ではなかった。
「ビットと衝撃砲じゃあねえ」
学年別トーナメントは衆目が予想したとおり、代表候補生と専任搭乗者が上位を席巻しつつある。
八組一六名中、肩書きを持たない生徒は櫛灘、藤原、布仏、鷹月、一条の五名だ。そのうち、純粋に一般生徒が手を組んだものは櫛灘・藤原組しかない。ほかは何かしらの肩書きを持つ生徒と一緒だった。
櫛灘が震えた手で写真をつまみあげた。
「もう……この写真で脅すしか、方法が……」
セシリアだ。
シュヴァルツェア・レーゲンのワイヤーブレードで拘束され、女の特徴を示す部位が強調されている。極めつけは顔を真っ赤にして何かをこらえているような写真だろうか。
「いや、それはダメだから。恐喝ダメ、絶対」
藤原がやさぐれた笑みを浮かべた。そして制服のポケットからケースに入ったメモリーカードを取り出す。
「となれば後事を託すのみ」
櫛灘がメモリーカード、端正だが特徴の薄い容貌を見やる。
「それしかないか……誰にする? 会長の妹以外で」
「変化球で織斑とか」
「ないわー。ないない。いきなり変化球でストライクゾーンを外すとか様子見過ぎなんだけど。勝負を避けたい気持ちがみ・え・み・え」
「織斑はともかくデュノアさんならいけるんじゃないかなーって」
「ちょっと待って。私にメリットがないじゃない。それに、デュノアさんには含むところがあるから。彼女は除外したいんだけど」
櫛灘は生徒会長の口止めもあって、トーナメント期間中はシャルロット・デュノアに近づきたくなかった。うっかり真実を口にしようものなら社会的に抹殺されるだろう。防衛大臣政務官に更識姓を持つ者がいるなど、更識家の影響力は大きい。
清香が手を挙げた。
「だったらさあ。あっちでいいんじゃない?」
壁を指差す。
隣は一〇二六号室だ。
櫛灘の目が妖しく輝いた。
「そうとなったら早速行動! 善は急げ!」
櫛灘の長所は切り替えの速さ。裏返せば欠点でもあった。
メモリーカードを櫛灘が、写真を藤原が懐にしまいこむ。そのまま席を立って出ていく。
メモリーカードはラウラか桜に譲渡すればよい。
紅椿の推進系や打鉄弐式の武器に関する考察や、各代表候補生の癖といった情報が納められている。
櫛灘が一〇二六号室の扉をたたいた。
「のーほーとーけーさーん。あーそーぼ」
「ちょっ」
もうひとりが思わず袖を引っ張った。
「癖でつい」
櫛灘が苦笑いを浮かべながら髪をいじる。日本人にしては色素が薄かった。
「くっしー?」
ドアノブがゆっくりと回り、中から眠そうな表情の本音が顔を出す。
「なにー。日曜日はきのーだよー」
「シシシ……ボーデヴィッヒさん、いるかな?」
「いないよー」
「じゃあ佐倉さん」
「いないよー。ふたりなら、さっき神楽ちゃんが連れてっちゃったよー」
行き先は食堂前の談話室だ。強面の上級生がよく駄弁っているせいか、一年生はあまり利用しない。櫛灘の入学以前から談話室で飲み物を買うと、もれなく色黒の上級生に絡まれるというウワサが立っていた。
「ありがと。用件はこれだけだから。本音も明日の決勝、がんばってね」
本音がゆっくりと首肯する。対戦相手はルームメイトにして、想いを寄せる相手だった。
「じゃーねー」
袖口が垂れた部屋着を横に振る。ゆっくりとしぐさでのほほんとしていた。
▽
ふたりは談話室の前まで来た。
中に小豆色のジャージを着た水色頭がいる。
「や、やさぐれメガネがいるぞ」
「篠ノ之さんもね」
もうひとりが後ずさった櫛灘の腕をつかむ。逃走を防ぐためだ。
だが、自分から他人との接点を築くような人物ではない。櫛灘はゴクリと生唾を飲み込み、扉を開ける。
「篠ノ之さん。ばんわー」
櫛灘は外向きの顔を作ってあいさつする。箒が「なんだ。お前たちか」とふたりを見るなり言った。
箒にとっては時々会話する同級生にすぎない。最近、楯無の推挙で生徒会に迎え入れられ、ミイラ取りがミイラになったくらいの認識でいる。
トーナメント優勝候補は、紙パックにストローを差して口をすぼめる。ピンク色の液体を吸い上げていく。
「そだ。神楽ちゃん見なかった? こっちに来てるって本音に聞いたんだけど」
「あいつらなら隣の部屋に入っていったぞ」
「ありがとー篠ノ之さん」
櫛灘は努めて明るく振る舞う。教室や講堂では、いつもこの調子だった。
「さて」
箒と簪が連れ立って消えた。櫛灘は隣室を見やった。
チラと上級生の姿が映る。金髪に褐色の肌。ぽってりとした唇だ。
「うげっ。ダリルさんがいるぞ」
「神楽ちゃんもいますぜ」
櫛灘が相方の逃走を妨害するべく後ずさった藤原の腕をつかむ。
ダリル・ケイシーは三年生だ。豪州の代表候補生にしてタスク・アウストラリス社が開発したIS、ヘル・ハウンドの専任搭乗者。代表昇格間近とささやかれている。
隣室にはLAN端子が常備されていた。どうやら誰かが端末をいじって何かしているようだ。「おおー」という歓声が聞こえてくる。
藤原はゴクリと生唾を飲み込み、重い足を引きずりながら扉をくぐった。
「い、いやぁ……ら、らめ……それだけは……うわああああああ!」
ラウラが頭を抱えて転げ回っていた。
「何が……」
起き上がるとふっきれた顔つきになってラウラが叫ぶ。
「今すぐ物理的に消してやる! データと貴様の記憶もろとも!」
端末の前でガントレット型プログラマブルスイッチを押す四十院神楽に殴りかかろうとした。桜が羽交い締めにして事なきを得る。
櫛灘は感情を高ぶらせたラウラにぽかんとしてしまった。
神楽が鼻歌を歌っている。櫛灘の記憶ではアニメの主題歌だった。
「やめろ。やめてくれえ! レーゲンが……私のレーゲンが!」
ノート型端末には、
装甲を彩るテクスチャが変更されていた。残念なことに、乙女ゲーの金字塔アイドルビルダー最新作のツンデレ系銀髪ヒロインの顔をでかでかと描いた痛戦闘機と化していたのである。
「やることがえげつねえわ」
ダリル・ケイシーが口元に手を当てて一歩後ずさった。視線の先にはアイドルビルダー最新作のロゴが大きな存在感を放っている。
「ん?」
ダリルが下級生に気づいて目を細める。
隣であからさまに嫌そうなつぶやきが聞こえ、櫛灘が手を離す。ダリルがすぐさま腕を絡めて藤原を拉致して部屋から消えてしまった。「覚えてろ。櫛灘ア!」という遠吠えが一瞬だけ聞こえた。
「お隣の櫛灘さん。何しに来たん?」
桜が振り向いて聞いた。櫛灘本人は明るい笑顔のつもりだが、桜には「グヘヘ……」と邪な本心が透けて見えていた。
「ちゃっと渡したいものがあってね……」
櫛灘は苦笑いを浮かべながら、メモリーカードを机に置いた。
「それ何なん」
「各代表候補生の観察記録」
桜が顔をしかめて、メモリーカードをつまみあげる。
「まさか……ストーキングを」
「尾行は専門外」
櫛灘がきっぱりと告げたものの、桜は胡乱な目を向け、頭から信じていない様子だ。日頃の行いの悪さと三下喋りの印象が強すぎて猫をかぶっているだけにしか見えなかった。
「見返りとか求めてくるんやないの」
「やさぐれメガネをぎったんぎったんにぶちのめしてくれよう。あんのレズ会長がハンカチかんで『きーっ』と悔しがる様子が見たいんでさぁ」
「やさぐれメガネって……もしかして更識さんのこと?」
櫛灘はなれなれしく桜の肩を抱く。
「やさぐれメガネはやさぐれメガネでしょう。ってか、佐倉さーん」
「あんた、武術の心得が……」
櫛灘の親指が絶妙な位置に入っており、桜はしなだれかかる酔っぱらい用の返し技を放つことができずにいる。
櫛灘は桜の耳元に唇を寄せて、小さな声でささやいた。
「会長には気をつけてください。生徒会の仕事は布仏先輩や私に丸投げするくせに、いつもあなたの写真だけは真剣に見つめているんですよ。ねえ」
その言葉を聞いて桜はたじろぎながらも反論を試みる。
「あのウワサ、櫛灘さんのでっちあげや……」
「根も葉もなければ、すぐに消えるのがウワサ。でも一向に消えない。どうしてだと思う?」
桜は思い当たる節があって黙りこんだ。入院中、甲斐甲斐しく世話してくれたものの、体に手が触れたり、よく考えると恥ずかしい行動が多かった。
「答えられないよね」
櫛灘が優しくほほえむ。
「そのメモリーカード。使えるかどうかわからないけど、一応託したから。後はお願い」