第四試合が始まった。
一夏はすぐさま雪片弐型を実体化する。ハイパーセンサーを用いて桜の動きを細部にいたるまで確認する。どんな攻撃を加えてきても即応するつもりで身構えた。
目前の打鉄零式は鋭く研がれた指先を力なく垂れ下げている。ノーガード戦法と考えもしたが、それには戦意を喪失しているかのようだ。
――おかしい。
一夏が中継モニターを介して第二試合を観戦した印象では、桜の気迫は簪に匹敵するものだ。彼女の想定する状況が過酷なものであることは先ほど聞いたばかりだ。
――こちらから仕かけるべきか。
一夏は距離を詰め剣を振るったときの桜の動きを想像する。打鉄零式のマニピュレーターを見やり、頭を左右に振った。
――伸びる腕に注意しないとな。間合いが変化するのはやりにくいんだよ。
貫手を槍か杖だと考えるよう、箒から忠告されている。第二試合で簪の初手を封じた手際から見て、反応速度は相当なものだ。思い切りがよく多少無茶な手段をいとわず勝利することに恐れることなく突き進む。
――箒の見立てだと、佐倉はかなりけんか慣れしているはずだ。
油断するな。全身装甲の利点は顔が見えないことであり、呼吸を隠すことだ。箒がしきりに強調していた。
篠ノ之流の技を半分封じたようなものだ、とも言った。呼吸を盗むことができない。つまり相手の動きを読むことができなくなると口にしたのだ。
打鉄零式は沈黙を守っている。一夏は正眼の構えをとって桜の出方を見極める。
一夏は攻めあぐねた。
どれだけ待っても打ち込むすきが生まれない。敵意がなくてはすきが生じる余地がなかった。焦れるあまり位置を変えるべく、打鉄零式の背後に回り込もうとスラスターに火を入れようとした。ちょうどそのとき、禍々しさの象徴であった打鉄零式のレーダーユニットが完全に露出した。
幻惑迷彩のところどころに赤い斑点が浮き上がる。斑点から無数の小さな円筒が生える。どれもが不気味な赤色を宿していた。
――
打鉄零式から漂う薄気味悪さに眉をひそめる。すると天蓋に向かってまっすぐ舞い上がった。一夏はその姿を追って空を見上げる。太陽の光に混ざって陽炎のようにぼやけている場所を見つけた。
ハイパーセンサーを使い、眼前に拡大して表示する。雲の模様がわずかに遅れて表示されている。一夏は奇妙に思った。
――回転している。独楽みたいなのが三つ。何だ。
「判定。当該ISコア番号の閲覧権限がありません。御不明な点があれば所属する国家、組織、もしくは国際IS委員会や
「ええっ!」
一夏は突然の合成音声にびっくりしてしまった。実際には常駐していたISソフトウェアが特定周波数の電磁波を感知し、暗号化されていたISコア番号を復号したにすぎない。
一夏が見つめるなか三つの独楽は徐々に高度を下げていく。それでもなお、打鉄零式は空中浮遊したまま動かなかった。
▽
「先生。どうぞ」
セシリアが紅茶を入れたカップを弓削に差し出す。品の良いさわやかな香りが漂っている。彼女は連城のマグカップが空になっていることのを見つけ、管制コンソールに近づく。
「連城先生。紅茶をどうぞ」
「オルコット君。ありがとう」
連城が管制モニターから目を離して礼を言った。
隣席の真耶の背後で千冬が手を後ろに組み、立ったまま弟の晴れ姿を眺めている。セシリアは担任に声をかけた。
「織斑先生もいかが?」
セシリアの大げさな動作には嫌みがない。頭の天辺からつま先まで優雅さを振りまいている。千冬は彼女のなかに妖艶な女がひそんでいることに気づく。薄く笑った表情に年齢不相応な色っぽさが見え隠れしている。
「すまんな。私はコーヒー派だ」
「あら。残念」
セシリアはいたずらっぽく笑ってから振り返り、冷蔵庫の前で背伸びしている朱音の元に向かった。
千冬は彼女の後ろ姿を見送りながら、教え子に対して不埒な考えを抱いてしまった。
――まさか、な。
千冬は弟のある能力に対して危機感を抱いていた。一夏は異性をたらしこむことにかけては右に出る者はいない、と思っている。
親友である束と顔を合わせるたびに「いっくんはちょっと目を離したすきに千人斬りするような種馬さんになっちゃうから気をつけよーねー」と忠告を受けていた。束によれば一夏を野放しにすると、女をとっかえひっかえするような人生を歩むらしい。はじめは悪質な冗談だと思ったが、一夏に想いを寄せる異性のあまりの多さにあぜんとしてしまった。
――束は予言者めいたところがあるからな。
家を離れていた頃は、
幸い凰鈴音が弟と仲良しだったので目付役として任命し、毎週状況をメールで伝えるよう頼んだことがある。
ドイツ軍で教官として勤めていた頃は教え子に人生の先達として振る舞った。プライベートで男の話になったので、虚実織り交ぜて語った。
――確かこんな感じだった。……遊びで一夏のような男と寝るのは構わない。本気で惚れたら苦労することになる。
とはいえ、クラリッサをはじめとした教え子たちは世間慣れして、それなりに経験値がある。
――危険なのは今度転入するラウラ・ボーデヴィッヒ。
純粋無垢の世間知らず。もしもラウラが花咲けばあっという間に愛欲の海でおぼれてしまうに違いない。今から心配でたまらなかった。
――だが、連絡をとろうにも手段がない。
先週、ラウラが所属するドイツ軍に問い合わせを行った。彼女は今月はじめに機材の特別共同試験か何かでドイツ海軍の
――私もおとなしく観戦するか。
ソファーに目をやればナタリアと朱音、セシリア、そして箒が並んでモニターを見上げている。
千冬は責任者としてこの場にいる。だが、実務は連城や真耶がやってくれる。雑務は弓削が担当している。千冬に残された仕事は試合を見守ることぐらいだ。
千冬は流し台のそばに配置されたエクスプレッソマシーンの前に立った。できあがりを待ちながらモニターを振り返る。
管制コンソールの内線から電子音が響く。
「はい。Aピットです」
真耶はクリーム色の受話器をつかみ取るや左頬と肩の間に挟みこむ。首をかしげた状態でせわしなくコンソールに指を踊らせた。
――問い合わせでもあったのか。
千冬はエクスプレッソマシーンが動作を終えるのを待ち、カップ片手に連城の席まで歩いていった。
忙しそうにする真耶を横目に、千冬は連城に状況を確かめた。
「連城先生。何かあったのですか」
「いえ、私もよく知りません。ですが、この番号は防諜部ですね」
連城の席にも内線が備え付けられている。電話機の液晶ディスプレイに四桁の番号が表示され、番号を暗記していた連城は防諜部の内線番号のひとつだと察していた。
その隣で真耶が深刻な顔で何度もうなずいている。監視ソフトウェアを起動し、学内ネットワーク全体の現況図を表示させる。画面の一部が赤く点滅しており、異常が発生しているのは明らかだ。真耶はデータを切り替え、ファイルサーバーを踏み台として限定権限でシステムログを閲覧する。突然手を止めた。あごに指を添えて画面を食い入るように見つめる。ログを巻き戻す。すぐさま別コンソールの窓を複製し、該当時間帯のログをパターン検索コマンドで抽出する。
「こちらでも確認しました。はい……織斑先生たちには私から伝えます」
真耶は受話器を戻す。椅子の背にもたれかかって深いため息をついた。足で地面を蹴って、椅子の向きを変える。互いの顔を見合わていた千冬と連城に真剣なまなざしを注いだ。
「防諜部から何を言われたんだ」
「学園のDMZについて連絡がありました」
千冬の問いに真耶が答える。
DMZを直訳すると
「現在、学園のDMZ内のサーバーが何者かにより攻撃を受けています。防諜部とシステム部が緊急対応。有志を募ってサイバー戦の準備を整えていると連絡を受けました」
「昔、募集要項を掲載したサーバーがDoS攻撃を受けたと聞いている。その類ではないのか」
千冬は柘植から教えてもらったIS学園第一回生を募集したときの話を思い出す。東京湾沿岸の復興が急ピッチで進んでいた頃、IS学園が設立された。世界中のマスメディアに注目されるなかで募集要項を公開した。その際、待ちきれなかった人々がWebブラウザのリロードを繰り返したらしい。
赴任したばかりの千冬の歓迎会の席で、当時防諜部の仕事に携わっていた柘植や陸自の荒川が苦労話のひとつとして披露したものだ。
「違います。今回は本格的な攻撃です」
連城が小さく挙手をしてから口を開いた。
「DMZで食い止められるのであれば、対抗戦の進行自体に支障が出ることはありえないのでは?」
アリーナ用のネットワークはDMZのサーバー群からアクセスすることができない。その逆も不可能だ。運用の観点からひとつだけ例外が存在するもののインターネットから遮断された領域だとしても過言ではない。
「アリーナのネットワークは閉じています。唯一外部へ接続しているアップデートサーバーは前回のメンテナンスの際、すべての
「……そのはずです。防諜部の人も同じことを言っていました。ですから、念のため報告したらしいですけど」
真耶は確証が持てず、不安が表に出て声が尻すぼみになる。
再び内線電話の着信音が鳴った。今度はBピットからだ。真耶があわてて受話器を取った。
「われわれはサイバー戦に関しては門外漢です。対処が終わるのを待つしかありません」
連城は千冬にそう言い、少し冷めた紅茶に口をつけた。
――確かにアリーナのネットワークは外部とつながっていない。だが、ISのコア・ネットワークと整備用の専用線につながっていたような……。
千冬は記憶の箱をひもとく。空いていた席に座ってコンソールを操作し、学内ネットワークの大まかな図を呼び出す。
一息にコーヒーを飲み干し、手近な机にマグカップを置いて学内ネットワークの概要図と真耶の様子を交互に見やった。
「織斑先生。モニター……正面のモニターを見てください」
真耶が受話器を手で覆い、モニターを注目するよう促す。箒やセシリアたちも異常に気づいたらしく驚いたような顔をしていた。
「佐倉……?」
白式と打鉄零式が天蓋付近で対峙している。近接装備主体の白式が相手のすきを見いだせず攻めあぐねている場面だった。
打鉄零式がより異様な姿に変わり果てていた。まるで全身から血を流しているようだ。
――これは生理的に受け付けられないな……意図してこのデザインだからな。どうも私は四菱の意匠が好きになれないんだ。
そう思っても口に出さなかった。誰が聞いているのかわからない。千冬は不思議と自分の直感が正しいものに思えた。
「山田君。スピーカーの音量をあげてくれ」
当事者ならば何か異常に気づいているかもしれない。千冬は真耶が操作を終えるのを待つ。
――
専用機は搭乗者の特性に合わせて進化するように作られている。桜の機体は出荷前に
「織斑君。何か見えるんですか?」
「山田先生。……独楽だ。独楽が落ちてくる」
一夏の奇妙な発言の後、突然内線が切れた。
「腕があたったのでは」
連城に言われたこともあり、真耶は着信履歴を表示してから再度通話を試みる。だが、液晶ディスプレイに「ERROR」と表示されるばかりでいつまでたっても通じる気配がない。他の内線も同様だ。ケーブルを抜き差ししても変化がなかった。
「内線はIP電話だし、メインサーバーとサブが立て続けに落ちないかぎりはつながるはずなのですが……せっかくですから黒電話を使ってBピットに確認してみましょう」
「すみません。お願いします」
連城が席を立つ。その姿を見届けた真耶はコンソールに向かってネットワークの現況図を見やった。一目で戦況が芳しくないのがわかる。
その間、千冬が桜に対して何度も呼びかけた。まったく反応がないことに焦れて、弟を呼ぶ。
「織斑。佐倉に近づけるか。さっきから通信に応じない。確かめてくれ」
「独楽はどうするんだよ。あれはISなんだ」
「なぜわかる」
「もちろん識別機が起動して」
現存するすべてのISコアには番号が割り振られている。特定の周波数帯域を使い、問い合わせに応じてコア番号を閲覧できるようになっていた。おそらく初期設定にない機体だったので、白式のISコアが番号を確かめたのだろう。
――ISならばコアの番号さえわかれば、どこに所属しているのかがわかる。
千冬はアラスカ条約の一文とその補足を記憶の引き出しから取り出す。
ISコアの番号と国家や組織との関連付けについてはSNN社と呼ばれる企業が管理している。ISコアを初期化したり新たにISを開発する際は、国際IS委員会を通じてSNN社への報告が義務づけられていた。
――場合によっては政府を通じて、所属国家や組織に対して問い合わせや抗議をしなければならない。
IS学園の上空を通過する場合は、ISであろうとも飛行計画書を提出し、許可を得なければならない。
千冬が今朝確認したところ、航空自衛隊の輸送機が通過する以外の話はなかった。
「織斑。コア番号はいくつだった」
「それがさ。変なんだよ。閲覧権限がないって言われてだめだった」
「なんだ……って……」
ISコアの番号秘匿はアラスカ条約違反だ。
千冬が声をあげて驚くのを聞いて、一夏は頼まれた仕事を先にすませようと思った。打鉄零式に近づいて腕に触れ、開放回線の感度をあげる。何度も呼びかけを行ったが反応はなかった。その間、独楽はどんどん高度を落としている。
「だめだ。佐倉の返事がない」
「呼びかけを続けろ。ISに搭乗して意識を失うことは救命領域対応といった非常時をのぞいて起こり得ないはずだ」
ISは搭乗者の生存を優先するように作られている。損傷がひどくなり、シールドを維持できなくなったとしても、搭乗者の生命だけは守るようになっていた。
――めったに「誓う」とは口にしない束が断言したんだ。間違いはない。生命だけは守るんだ。本当に。
千冬の意識が左肩から先、そして両膝へと向けられる。千冬は白騎士事件を夢のように受け止めていた。束が全身装甲にカメラを設置し、何度も繰り返したような慣れた手つきで最後のテストをしていたことを覚えている。それから先はあまりに現実離れしていた。
――佐倉は偶然応答がないだけだ。何が起こっている……。
冷蔵庫の隣で連城が黒電話のダイヤルを回している。丸い穴に指をかける。Bピットの黒電話の番号をひとつずつ入力すると、猫が喉を鳴らすような音が何度か聞こえた。
電話がつながったと思ったとき、室内灯が一斉に消えた。
「何ですの!」
「うわわっ」
セシリアと弓削の声だ。
千冬は一瞬何が起こったのかわからなかった。モニターの電源だけ生きており、茫洋と室内を照らし出している。そして、何度かスイッチ音を耳にしたかと思えば、赤色の照明が点灯した。
「非常用の……バトルランプが作動したのか」
千冬は避難訓練の際、何度か通常照明と非常照明の手動切り替えを実施している。配電盤から直接切り替える方法とネットワークから切り替える二つの方法が存在した。千冬はどちらも経験があった。その際、物理的問題がなければ自動で復旧すると説明を受けている。
――これは一時的なものだ。
「セシリア。非常用のランプに切り替わっただけだ。時間が経てば元に戻る」
千冬は管制コンソールから離れ、深刻な表情で身を寄せ合う生徒たちに声をかけて回る。真耶はブラックアウトしたコンソールの復旧作業に取りかかっていた。連城はBピットの教員に状況を確認している。
弓削が目を丸くして辺りを見回していた。彼女の手を握った千冬は、すぐに指示を出す。
「弓削君。出入り口が使えるか確認してくれ。頼む」
休憩室へ続く通用口。隣のIS格納庫に抜けるための出口。露天デッキへ直接抜けるための非常口もすべて電子的に施錠されていた。弓削は何度かカードキーをかざした。解錠用パスコードを入力したが、徒労に終わった。
「織斑先生……出入り口が、全部ロックされています……」
「Bピットの先生方や生徒も閉じこめられているそうです」
黒電話は別の回線を使っているため、問題なく使用できた。Bピットが置かれた状況は千冬たちと大差ない。連城と弓削が互いに顔を見合わせていると、スピーカーからヤスリをこすり合わせるような音が聞こえてきた。
そして、「ぴんぽんぱんぽーん」と脱力してしまいそうな軽い音がして、合成音声がひどく真剣な口調で事態を告げた。
「避難指示発令! 避難指示発令! アリーナにいる生徒ならびに教職員は係員の指示に従い、速やかに退去してください! これは訓練でありません! 繰り返します。これは訓練ではありません!」
作中にて記述したWebブラウザの過剰リロードは迷惑行為に該当します。
実際に行ってはいけません。